雨の降る町
雨が降っている。
人々は皆、さして濡れることを防いでくれるものでもない雨具を使い、それを凌いでいる。人間が雨を防ぐ方法など、屋根のある何処かでやり過ごすか、かれこれ三百年も変わらないお馴染みの雨具でせいぜい、頭部を守りきるか、その程度。
そんな雨の降る町のなかに、少女が一人。
雨に、全身がぐっしょりと濡れるのも構わず、行く人行く人に挨拶をしながら歩いている。
「やあ。おはよう。」
「おはよう。おじさん。」
馴染みの、と言っても、別に買い物をしているわけではないが、よく顔を合わせる、入ったこともない店の店主に挨拶をされ、彼女は元気よく頭を下げた。
「毎日のことだけど、どうして傘をささないんだい。風邪をひくよ。」
「だって、毎日降ってるし傘をさしたって、濡れるときは濡れるもの。」
濡れた髪を揺らす少女の言葉に、店主は苦笑いをする。この町では、かれこれ、何年だったか。少なくとも、この少女が物心をついて以来、雨の降らない日はなくなっていた。原因は地球温暖化だか、はたまたそれ以外の理由で気候変動が起きただの、頭でっかちの学者が色々と議論をしているがよくわかってない。よくわかってないのなら、受け入れるしかない。この町では雨が止まない。過程など必要ない。現象を受け入れるのならそれだけで充分だ。
「ところで、今日も散歩かい?」
「うん。」
「そうか。帰ったら、すぐに身体を拭くんだよ。」
少女はやはり、歳不相応な無邪気な笑顔で手を振って去っていった。彼女はいつも、全身が雨に濡れて、それを気にせずに無防備に歩いている。町の中では特に何が起きるということは無いだろう。そもそも、若者と呼べるような存在は彼女以外にこの町にいなかった。それ故に、彼女は町のすべての人間から愛されていたし、同様に可愛がられてもいた。特に人口が少ないわけではない。ただ、少子化が、どうしようもなく進んでしまった結果とも言える。きっと彼女の幼い内面は、同年代の者と関わることもなく、ずっと大人から甘やかされたのが原因だ。
そんな、町の庇護対象である彼女にはひとつ、年相応とは言えないでもない夢があった。彼女は靴が濡れるのも構わず、地面に溜まる水を弾きながら、小さな一軒家へと入っていく。
「ただいまー。」
ここは彼女の家。だが、その言葉に返事をする者は居ない。ただ、返事をする"物"はいた。
「おかえりなさい。はやく身体を拭いてください。家の中が濡れてしまいます。」
「はーい。アニー、お風呂沸かしてある?」
「ええ。毎日毎日、雨に濡れて帰ってくるのですから。とっくに家事パターンに組み込んでいます。」
「昨日も同じこと言ってない?」
「昨日も同様に、濡れて帰ってきましたから。」
彼女に小言を言ったのは、この家を管理している人工知能だ。家の中にある様々な電子制御の機械を操ることができる。これが開発された当初は賛否両論あったものだが、今となってはこのように一つの建物には最低でも一体はいるのが当たり前になっている。この家の人工知能の名前はアニー。少女が名前を付けたわけではなく、最初から決まっていたのだ。
少女は玄関先に用意されていたタオルで軽く身体を拭いて、脱衣所へと向かう。ポタポタと長めのスカートから雫がたれてしまい、それに対してアニーが小言を言いながら掃除用の円盤型ロボットを向かわせる。
「まったく。貴女は年頃の女の子なのですよ。少しは振る舞いや身嗜みに気を使ってはどうですか。」
「ドラマのメイドさんみたいなこと言わないでよ。」
「私だって一応、この家の家政婦のようなものですから。さあ、早くお風呂に入ってください。」
彼女に親は居ない。それでも、寂しい思いをしたことは無かった。家ではアニーが居たし、何より、町の人たちは優しい。両親は変に裕福だったそうで、こうして、豪遊さえしなければそれなりに暮らしをしていけるだけの財産は遺されている。物心がついたときからずっとそうだから、比較する対象がいなかったから、違和感も、何も抱いたことがなかった。
濡れた服を脱ぐと、妙な解放感がある。ずっしりと重くなったそれを洗濯機に放り込んで、自動洗濯のボタンを押す。それから彼女は、清潔に保たれている風呂場へと入り、シャワーを浴びる。暖かい雨が全身の体温を心地よくしていく。それが彼女は好きだった。はやく身体を湯のなかに沈めたいが、湯槽に入るのは身体をしっかり洗ってからじゃないと、アニーがうるさい。
「しっかりと肩まで浸かってください。」
「はーい。」
家の隅々まで、人工知能であるアニーの監視というか、目は行き届いている。彼女はアニーのことを少しやかましく思うこともあったが、素直な彼女は特に反抗することもなかった。言われた通りに、湯船に肩まで浸かる。昔はここから六十秒を数えていたが、もうそんな歳でもないと一度少女がぼやいたら、「それもそうですね。」と。それ以来は言われなくなった。
「そういえば、届いてる? アレ。」
「はい。届いていますよ。」
「それならそうと!」
「言ったら着替えよりも先に籠ってしまうと思ったので。」
ぐうの音も出ない。学習型管理人工知能とは、十数年前の型だというのにかなり優秀だ。流石に彼女自身、今までに濡れた服で部屋に籠るだなんてことはしたことがなかったが、そんなことはしないと、彼女は自分で自分に胸を張って肯定することができない。それに、届いていたら何よりも早く取り掛かるつもりでいたのもまた事実だった。何から何までお見通しのようだ。
「それと、今月に入って少し費用を使いすぎだと思います。先月は研究費用として四十万八千二十五円の出費がありましたが、今月はまだ十四日なのにもかかわらず、既に八十万円を超えています。」
「その代わり来月からは当分は何も買わないから。」
「確かに、これをこの間のように壊してしまわなければ、ですが。」
「・・・昔のことばかり言ってると老るんだって。」
「しっかりアップデートはしてます。なのでご心配なく。」
そういう意味ではないのだが。少女は苦笑いをする。この手の人工知能は基本的に冗談が通じない。それでも、こういったやり取りは人間とコミュニケーションを取れる人工知能の開発以来、かなりの大きな進歩だそうだ。
「あー、そうだ。今日の夕飯は軽食でお願い。」
「またですか。はい。了解しました。何か希望はありますか?」
「特に無いからおまかせで。楽しみにしてるね。」
「作るのは私じゃなくて調理ポッドです。」
「じゃあ、調理ポッドちゃんによろしく言っておいて。」
微妙に噛み合わない会話をしながら、少女は風呂場を出て清潔なバスタオルで身体を拭く。もう少女の頭の中は、今日これからやる研究で一杯になっている。学位は愚か学歴も無い彼女は、一人で普通に生活していては到底使いきれそうにない資産を独学による研究費用に宛てていた。学校に通わず、知識はネット上で共有されている世界各国の論文と公開授業の動画から、計算は随分と発達したコンピューターで。そして発想と実行は彼女の有り余る若い時間によって出されていた。
彼女の研究のテーマは任意による天気の操作。特定の天気に変えるだけの機能ならば何十年も前から方法はある。ただ、どれも確実性や安全性などの欠点があった。それらを補い、その上で複数の天気を任意に、そして局所的に変化させるのが彼女の研究テーマだった。とても難しく、そして壮大な目標だったが、彼女は別に名声が欲しいわけでも、その技術による金銭的な利益も望んでいない。ただ、この街で、雨以外の空を見てみたかった。白く舞う雪を見てみたかったし、雨の無い灰色の曇り空を見てみたかった。そして何よりも、直視できないほど眩しい太陽が、蒼く透き通った空に浮かんでいる様を、蒼空を見てみたかった。そして、町を、雨の降る町と呼ばれているこの場所で、虹を見上げてみたかった。それが少女の理由の全てで、子供らしい、単純明快な幼い夢だった。
「あまり遅くまで起きすぎないようにしてくださいね。」
母親のような人工知能の小言を聞いて部屋に入ると、紙とインクの匂いが溢れる。その部屋の角にある段ボール箱のガムテープを剥がした。
「うん。」
中から出てきたのは上空の気流を地上から計測する特殊な機械だ。本来ならば地上から上空を飛ぶステルス機を発見するためのものである。ただ、これに使われているセンサーが高性能なため、前から目をつけていたのだった。なんと上空の空気の動きだけでなく、電磁波等も計測可能な優れものだ。こういったものが真っ先に使われるのは軍事用であるのはやはり人の性なのだろう。まず軍事で使われてから、それが安く、手軽に平和な形で一般へと流通する。今回はネットのオークションで手に入れた。幸い競争相手はアニーの小言だけで、ほとんど初期の値段で買うことができたのだ。
「アニー、昨日任せておいた計算は終わってる?」
「はい。今朝、過程と共にまとめておきました。」
計算結果が、部屋の宙に浮き出た架空ディスプレイに映し出される。このディスプレイ、原理としては、室内に微量の蒸気を充満させ、そこをスクリーンとして映し出しているそうだ。理論上は、この技術、雨だったり霧だったりする屋外でも使用が可能。やろうと思えば、雨の降り続けるこの町でならどこでも架空ディスプレイを出すことが可能である。ただし、この少女のように濡れることを気にしなければ、という問題点があるが。
「えーっと、じゃあ、この三つ目のやつでいこうか。昨日のプログラムに解を追加しておいて。」
「了解です。」
「動くかな・・・っと。」
目の前の、センサーを取り付けたばかりで、まだ配線が剥き出しになっている機械のボタンを押す。
「うんうん。良好良好。」
機械のモニターに周囲の空気のデータが出る。部屋の温度や湿度と一致していることを見て、少女の顔が満足気に綻ぶ。このときばかりは、やはり歳不相応だが、その顔は無垢な少女のものではなく、一人の発明家の顔をしているのだ。だが、その顔を知るのは小煩い人工知能だけである。
「アニー、フレームどこやったっけ?」
「それは右手方向に四つ目の段ボール箱の中に入っています。」
「あーあったあった。ありがとう。」
箱の中から、プラスチック製の機械の外形が取り出された。既存のコードやら、先程のセンサーやらを収納して準備を整える。マイナスのドライバーでネジを止めて、少女は立ち上がった。
「じゃあ、一回外行ってくるね。」
「もう日が暮れるのでお気をつけください。」
「はーい。」
傘を持ち出し、ベランダから小さな庭に出る。
傘は当然ながら、本人ではなくその腕に抱える、機械を雨から守るためのものだ。一応防水加工はしてあるのだが、それでも極力濡らさない方が良い。自分の身体は濡れても乾けばいいが、電子機器は濡れることで劣化するものが多い。それは電子機器の宿命のようなものだ。どれだけ外部を防水にしても、浸水が起きるとどうにも弱い。
「・・・"code:0000"」
ビニールを敷いた地面の上に置き、音声認識ソフトを確認し、起動させる。
「"code:0001"」
コードレスマイク経由の音声による認識を行う。認識用の人工知能は少女が作ったものだ。ゆくゆくは、堅苦しいコードではなく、口語で命令を下せるようにしたい。探せばそういった人工知能はいくらでもあるが、他人が作ったものを利用するとお金が取られる。どうせなら自分で全部作りたい。
「"code:0002"」
この機械の原理としては、特殊な磁場を作り出すことで雲の状態を変化させ、天気を操作する。それが巧くいけば磁場の有効範囲を広げることで、町ひとつ程度の天気を一括して操作することが可能だ。それによって、この雨の降る町で青空を見るのだ。
少女の研究以外に晴れを作る方法はいくつか存在する。
その中で最も単純なものは、ミサイル等で雲を散らしてしまう方法だ。しかし、この方法は一度のコストがかかりすぎる上に安全管理の問題が大きい。要するに実用化には向かない。別の方法で、ヨウ化銀を上空に散布させ、強制的に雨を降らせて空の雲を無くす方法もある。だが、不思議なことに常に雨が振り続けるこの町では、恐らく意味がない。実際に少女は試してみたが、一時的な降水量を増やすだけだった。
今回採用した方法は、地震雲から着想を得たものだ。地震が起こる前の地盤の動きにより、周辺の地場に変化が生じる。そのことによって雲が特徴的な形になると考えられている。なら、磁場を弄ることで天候を左右することも可能なのではないか、という発想だ。
「・・・晴れないな。」
少女は空を見上げながら呟く。センサーによって観測されている周波数は目的の現象を起こすための数値と一致している。計算上は天候に影響してくるであろう時間の、二倍ほど待った。しかし、それも虚しく、雨音が期待を掻き消す。
これ以上は時間の無駄かもしれない。動かないで待っていたら体も冷えてきた。傘を持つ手も疲れを訴える。
予想通りで期待はずれの結果に肩を落とす少女は、しかし気を取り直して機械の電源を落とし、腕に抱える。いつものことだから、落ち込んでいるなんて勿体ない。発明や研究に、失敗はつきものだし、成功するまでやれば良いのだ。そうすれば失敗は成功の一ピースとなる。かの天才もそう言っていた。
「お、今日も実験かい?」
「はい!」
ほら、落ち込んでいる暇なんてない。傘をさした近所のご老人に、日常のことで変な心配をさせるわけにもいかない。
「あんまり根を詰めすぎないようにね。まだ若いんだから。」
「うん。気を付ける。」
この腰の曲がった老人は、彼女の家の庭先を散歩しているからかこうやって庭に出るとよく会話をする。甘やかされた記憶はないが、彼女にとっては大好きな住民の一人だ。
「・・・よし。」
気を取り直して、家の中へと戻った。今日も今日とて、彼女はいつもと何も変わらない日常を生きる。これから睡魔に襲われるまでは勉強の時間だ。今夜は、彼女が楽しみにしていた講義が公開授業として、インターネットを通じて放送される日だ。海を遠く越えた、それこそ地球の反対側にいる教授の授業が受けられる。彼女が人類の技術の進歩に敬意を払う、そして感謝をして関心を持ったひとつの要因であった。
「アニー。ディスプレイを今日のオンライン授業に繋いでおいて。」
コードレスマイクの対象を自室のスピーカーに変えて指示を出す。セットのイヤホンから、アニーの了承を得た声が聞こえた。
ベランダから家の中に戻り、タオルで装置についた水滴を拭う。そろそろポッドが夕食を部屋に運んでいてくれている時間だということを、壁に投影された時計から確認する。食材はアニーが定期購入をしてくれている関係で、彼女がリクエストをしなければ、メニューを知ることは食べる直前までまずない。だからそれは、ささやかな彼女の楽しみでもあった。
「ただいまー。」
「お帰りなさい。駄目でしたね。また明日、もっと時間をとって試してみましょう。」
理論上は正解だとしても計算に含めていなかった要因が関係したり、つまりは思い通りにならないのが研究の常だ。彼女は首を振って自分の興味をこれから受けるオンライン授業に移した。今日のテーマは教育用の人工知能に育てられた子供だそうだ。最近は増えているらしく、彼女もその一人であるが故に興味が湧いたようだった。授業を受ける用意は既にアニーが済ませており、机にはサンドイッチが用意されている。調理ポッドが作った食事が運ばれてきたのだろう。一口食むと、いつも通りの安心する風味が広がった。人工知能に育てられるのも悪いことではないと、当事者である彼女は思う。予め自身の意見を持ったうえで、授業の画面を開いた。授業の内容はオンラインでのディスカッションを交えたもので、議論はいつものように活発だった。どうやら最近は、人工知能による英才教育、つまりは遺伝子的には才能があるとされる子供を隔離して、人為的に最適とされる環境で育成するそうだ。この計画は議論の中で最も白熱とした。反対派が多かったが、中にはそれが人類の進歩に繋がるならむしろやるべきだという意見もあった。研究のテーマとは全く関係がないが、こうして色々な思考に触れるのも大切だという。豊かな知識はどこで結びつくかわからないというのも、理解には容易い。専門外でも関心を持つのは大切なことだ。
「それじゃあ、納得のいく議論はできたかい? 今日はここまで。」
一時間と三十分はあっという間に過ぎて、授業は終わった。架空ディスプレイを閉じ、紙媒体の本を取り出す。昔はこれが主流だったらしいが、紙媒体の資料も今では減っていている。電子書籍の方が資源や持ち運びといった点で圧倒的に有利だからだという。
「紙の本、結構好きなんだけどな。」
「年々資源は少なくなりますから。資源の無駄遣いとする層も多いみたいですよ。」
「だったら兵器開発とかをやめるのが一番だと思うけどな。」
「いつの時代も、抑止力は必要ですから。」
アニーのいいところは、どうでもいい独り言にもしっかりと反応してくれることだ。やはり人工知能というものにも、ある種の温かみがあるように思える。先ほどの議論では人間の親には温かみがあるが人工知能にはない、という意見もあったが、彼女はあまりそうとは思えなかった。ただ、人間の親、ようするに生物学上の私の親に位置するのはどんな人間だったのだろうか。彼女は考えてみる。自身ににここまでの資産を遺せたのだから、やはり優秀だったのだろうか。など。思考はとめどなく広がり、やるせなくなった。
「アニー、ちょっと外に行ってくる。」
「外はもう暗いですよ。」
「ベランダに出るだけだから平気だよ。少し思いついたことを試すだけ。」
「気を付けてくださいね。」
実を言えば、何一つ当てはない。試すことなら夕方にやったし、今彼女がしたかったのは水っぽくて冷たい夜風にあたることだった。ただ、データは自動的にアニーが保存するように設定しているから、何もしないならしないで嘘がバレてしまうから、彼女はとりあえず装置を動かしてみることにした。
「code:0000」
なんなら、出力を少し上げて、試してみることにした。
夕方と同じ周波、同じ時間だけ、そして出力を倍にして機械を動かす。センサーの感度は相変わらず上々で、昼から夕方にかけて行った時間に、夜ということもあり、彼女はすぐ傍にクッションを用意し、ベランダの見える位置で仮眠をとることにした。
「アニー、三十分経ったら起こしてね。」
「了解しました。」
目覚ましは優秀な助手に頼んだので、あとは問題ない。彼女は少しだけ期待しながら眠りについた。
* * *
彼女が目を覚ましたのは、アラームによるものではなく、違和感によってだった。
何かが変だ。具体的には、あまりにも眩しい。室内の照明にしては光量が多く、そして暖かい。そんな些細ではない、初めて味わう違和感が、彼女を目覚めさせようとした。
「・・・嘘!もう朝だ!」
朝、そう。視界が明るい。目を閉じたのは夜だったはずだから、普通に考えて寝過ごしてしまったのだ。しかし彼女の意識の焦点は、ベランダから外を見た時点で全く別のものに完全に奪われてしまった。いつも眺めていた朝の数倍は明るかった。いつも見上げていた空とは比べ物にならないほど、その空は、青く、透き通っていた。
「晴れた・・・。」
率直に、目の前の事実を言語化する。夢にまで見ていた晴れだった。嬉しすぎて現実であるのかを疑うこともあったが、それを考えることはすぐに中断された。気が付いたら、裸足でベランダに飛び出して走っていた。人っ気の少ない町を走ると、いつも頭から彼女を濡らす雨はなく、爽やかな風が髪をたなびかせた。水たまりを踏むと跳ねた水滴が脚に触れて心地よい。見上げれば直視することのできない光が輝いている。この興奮を誰かと共有したいと、周囲を見渡した。誰もいない。
そこで気が付いた。
人がいない。今朝から、一度も人影らしいものを見ていなかった。いつも早朝は本屋のおばあちゃんが散歩をしているはずだ。出勤のために、駅に向かう人もいるはずだ。商店街の開店準備もしていないとおかしい。嫌な予感が頭を過った。静けさが不気味だった。立ち止まったとき、足の裏の冷たさが目立った。ぱしゃりと、静かに水たまりの快晴が波打った。歩かなくなると不安が恐怖に変わった。だれか、と少女は声を出そうとした。乾いた吐息が震えた。
「―――――」
遠くの建物で音が聞こえた。縋るような思いで走り出した。今まで一度も入ったことのない、でも、いつも挨拶をしているおじさんのお店だった。突進するように、扉をこじ開けた。
「―――ンが、ありません。スクリーンが、ありません。スクリーンが・・・」
エラーメッセージを告げる機会に手を伸ばして、そのタッチパネルに触れた。
「指紋認証をしてください。」
言われるがままだった。そこに彼女の意思があるのかはわからなかった。
「認証完了。」
画面に現れた文章を目で追う。
『被験者No.2』
もうほとんど意味は理解していた。その答え合わを無機質な合成音声が、それでもどこか温かみのある声で告げた。
「英才育成プログラム“雨の降る町〟を、終了します。」
町には大きな、虹がかかっていた。