俺は、実際に人を殺した。
そのことを語るには、少し、昔話をしなければならない。
昔の、まだ俺にも"かぞく"がいたときの話。
俺は、どうやら、望まれない子供だったようだ。
それに気が付いたのは、物心がついてすぐ。
はじめの記憶は、痛み。
身体が痛い。
意識が遠い。
そのうち、俺は痛みを感じなくなった。
でも、殴られている感覚はするもので、ああ、死んではいないんだなぁとなんとなく思う。
後で知った話、俺は、両親にとっては都合が悪い存在だったそうだ。
俺の血縁上の父はどこかの会社の若手社長で、母はそのつまりは遊び相手。
母は、あわよくば社長令嬢になれるかもしれないと俺を産んだらしいが、結果的には当時既に婚約者がいた父に捨てられ、生活は地に堕ちた。
父の経営していた会社も、すぐにクビになったそうだ。
そりゃあそうだろう。
都合の悪い人間をいつまでも自分の会社におくわけがない。
そして、その不幸は、自分に降りかかった全ての災いは、俺のせいだと思うことで、彼女は、俺の母は、精神を守ろうとした。
母性は無いのかと言われるかもしれないが、最低限は生かされていたし、彼女の身の上もなかなか悲惨なので、別に恨むような気も残っていない。
それに、恨むような資格など俺にはないのだ。
・・・ここまで言えば、きっともう気がついているだろう。
そう、俺が殺したのは自分の母親。
「あんたなんて、産まなければよかった!」
俺はきっと、名前を呼ばれたことはないかもしれない。
彼女から聞いたのはこんな言葉ばかりだったのだから。
彼女から貰ったのはあんな痛みばかりだったのだから。
殴られ、蹴られ、罵倒され、そして、母が眠ったあとに、こっそりと残飯を漁る。
記憶と言えばこのくらいしかない。
そんな中、俺の記憶でとてもとても鮮明なものがある。
あの日、あのとき。
何月何日だったかもわからない。
あの暗い部屋には、季節も関係がない。
そんな、不確かな情報のなかで確かなもの。
「うあああああ!!!!!!!!」
いつにも増して怨の籠った叫び。
そして、暗い部屋の中で、唯一、月の光を反射してキラリと冷たく、美しく光るものを見る。
何も知らない、知識はないのにも関わらず、本能はそれを危険と判断したのだろう。
衰弱しきった4歳の子供とは思えないような力が出た。
とても、とてもとても鮮明で。
顔の横スレスレに突き刺さる刃。
母に位置する女の涙が顔にかかる。
身体をくねらせ、女の下から逃げる。
それを追い掛けてくる女の足音。
何かに躓き、転んでしまう。
腐敗した有機物と畳の臭いが顔に擦りつく。
追い付かれ、全神経が叫びをあげる。
手元に、小さな細くて鋭いものを見つける。
手に取り、それで無我夢中に空を裂く。
サクリと気持ちの良い感触の後、
ゴリッとした気持ちの悪い感触。
振るったそれも、月の光を反射していた。
この行為の意味を知るのは、それからもう少し時間が過ぎてからのことだ。
状況から警察は、幼児虐待による正当防衛と判断したため、俺は不起訴となった。
それから俺は、施設に引き取られ、中学を卒業するのとともに、独り立ちをした。
今は、バイトと、親父からの仕送りで何とか暮らしている。
そんな仕送りをしてくるくらいなら、はじめから捨てなければいいというものを。
きっと、彼なりの戒めなのだろうと、俺はそう思う。
俺は、彼と似ているのかもしれない。
だって忘れた方が楽だというのに、俺は、記憶を焼き付ける方を選んだのだから。
肉を裂く感触は、あの夜の恐怖を思い出させた。
骨を断つ感触は、あの夜の深紅を思い出させた。
罪を忘れるのが怖かった。
罪を忘れたくないという、甘えと言う名の欲。
罪を忘れないために、俺は罪を重ねた。
それからは、前に説明をした通りだ。
あの時のように、あの時のナイフで首を掻き斬る。
罪を物語る、戒めというお守りのナイフで、罪を重ねる。
それが人ではなく、カラスになったという程度だ。
今はそれすらも出来なくなってしまったけれども。
俺は、己の罪に耐えられず、そこから逃げてしまおうとしたけれども。
これまでのことを洗いざらい、白銀に話した。
それは、
懺悔のようで、
投げやりで、
諦めが混じり、
子供の駄々の様でもあり、
とても、自分で聞いていられるようなものでは無かった。
でも、白銀は、俺のそんな懺悔を、罪を、全て、黙って聞いてくれた。
正直、彼女には悪いなと思った。
俺の話をすることで、彼女は知らなくても良かったことを知ったのだから。
「・・・ごめん、こんな話をしちまって。」
怖くて顔が見れない。
ああ、こんな話をしてしまったら、嫌われるだろうか?
あんなに憎たらしかった白銀に嫌われることに、俺は恐怖を抱いていることに気が付く。
「滅茶苦茶なやつだよなぁ。。。俺。」
黙るのが怖くて、話続けてしまう。
白銀は話さない。
「いっそ、あの日大人しく殺されてた方が・・・」
俺が弱々しい言葉を吐き終わる前に、俺の顔を鈍い痛みが襲った。
その痛みの原因は、白銀だった。
普通、ビンタとかなのだろうが、白銀から飛んできたのは、高蹴りだ。
正直、この衝撃が足だと思うには俺と彼女には身長差がありすぎる。
とんでもないところで意外な一面を見てしまう。
女子に蹴られて、身体が吹っ飛ぶ。
「これ以上ふざけないで。」
この日、このとき、俺は、白銀を、"白銀 香雪"を、見たのかもしれない。
「自分の優しさを、そんな風に自分への鎖にしちゃダメ。」
白銀は言う。
「罪悪感を感じてるっていうのはそれだけ、真剣にそのことに向き合ってる証拠よ。」
白銀の顔は、よく見えなかったけど、少しだけ、紅くなっていた。
「私はね、今は貴方以外がどうなろうと知ったこっちゃないわ。・・・もちろん、貴方を除く世界が滅びてもね。」
白銀の言ってることは、納得もできないし理解もできない。
「でも、貴方は違うでしょ?きっと私以外にも大切な人がいて、全く知らない人のことまで責任を持とうとして。」
でも、全く彼女の言う通りだ。
どこまで見透かされているのか。
「だからね、貴方はね、私にとっては、ヒーローなの。正義のなんかじゃなくて、私の。」
やけに、ヒーローにこだわる。
そんな彼女は、自分の言葉にだんだん恥ずかしくなっているようで。
「ふふっ、顔真っ赤じゃん。」
ちょっと、可笑しい気分になってしまった。
白銀が慌てたように反論してくる。
「い、いや、これは、その。。。」
俺はなにか気の利いた言葉をかけようとしようとしたが、やめることにした。
そのかわりに、少しだけ、素直になることにした。
この数ヵ月を、俺と過ごしてくれたこの、狂った少女に。
「白銀。・・・ありがとな。」
「え?」
ここ何年も張つめていた糸が切れたのか、はたまた白銀の蹴りが効いてきたのか、それともただの寝不足か。
俺はその場で倒れた。
「うぅ。。。」
目が覚めると、白い天井が見えた。
横を見ると、カーテンで仕切られている。
・・・保健室か。
正直、倒れたときの記憶はあるので驚きもしない。
誰かに話しただけだというのに、随分と心の負担は減るらしい。
カウンセラーの意味がわかったような気がする。
「あのー、すみません、俺どのくらい寝てました?」
ベッドから出て、保健医に訊ねる。
「ああ、今は帰りのHRがやってる頃だから、二、三時間くらいかな?今から行っても中途半端だし、サボっちゃえば?」
じゃあ、結構寝ていたようだ。
やれやれ。
なかなかに情けない。
そして保健医とはいえ学校の職員の台詞ではないと思うのだが。
すると、保健医がこう言ってきた。
「それにしても、大丈夫?彼女さん、心配してたよ?」
・・・はあ、またか。
男女が一緒にいるとすぐコレだ。
「いや彼女じゃねっす。」
このやり取りにはそろそろ飽きてきた。
「あ。そうなの?ゴメンね。生徒の事情は良くわからなくて。。。」
「いや、よく間違われるんでいいです。・・・慣れました。」
しばらく保健医と他愛のない話をしていると、下校時刻のチャイムが鳴った。
「ああ、じゃあ、先生は職員会議があるから。とりあえず、側頭部を打ってるみたいだし、何かあったら病院に行くこと。・・・うん。あとは良いかな。」
「あ、ありがとうございました。」
「それじゃあ、御大事に。」
保健医が保健室を去ったあと、俺はひとまず教室に戻ることにした。
ここにいても暇なだけだし。
・・・側頭部を打ってるって、きっと蹴りが原因だろうなぁ。
その蹴りの犯人は、どうしてるだろうか?
いつの間にか白銀のことを考えるようになっている自分に苦笑いする。
教室の扉を開けると、白銀が席に突っ伏して寝ていた。
夕陽で長い黒髪が透けて、少し茶色く見える。
待っていてくれてたのだろうか。
「・・・。」
寝息を立てている。
いつもの憎まれ口や虚言癖がなければモテそうなのだが。
普段から飄々としていて、なかなか本質が掴みにくい。
さあ、どうしようか。
起きるまで、待っていようかな。
うん。そうしよう。
俺を優しく許してくれた彼女の前の席に座り、寝顔を眺める。
そういえば、初めて会話したときは、逆のシチュエーションだったなあと、思い出しながら。
開けっ放しの窓から吹く風は、最近少しずつ、少しずつ、冷たくはなくなって。
「・・・もう、クラス替えか。」
俺の思考は、自然とこのことになっていた。
何年ものし掛かっていたものからようやく解放された俺は、間抜けにも、先のことを考えていた。
その、"先"の意味に気が付くことなく。
「同じクラスになれるといいな。」
小声で、つぶやいた。
そして、季節は巡り、俺らは1つ進級した。
といっても、それはあまりにも、平穏で、平凡で、平常で。
あろうことか俺は、白銀からよく言われた言葉を忘れてかけていた。
『あと、一年の辛抱よ。』
その、"一年"がどれだけ彼女の心をを蝕むのか。
その、"一年"がどうやって終わりを告げるのか。
考えても、いなかった。
「・・・あの、さ。」
そろそろ寒くなってきた頃。
俺と白銀が、出会った頃の季節。
「俺、お前のこと全然知らないんだけど。」
「・・・そう。」
白銀は、俺の背中に寄りかかったまま、一言だけ短く答えた。
「って、それだけかよ。」
「・・・」
いつもみたいに減らず口で突っかかるかはぐらされるかを想像していたので、なんだか虚しくなってしまう。
「だってさ、かれこれ一年近く毎日一緒に登下校してるんだぜ?いい加減、誕生日すら知らないのは変だって。」
なんとなく慌ててしまい、変なことを言ってしまう。
「誕生日なんて、別にいいじゃないの。どうせ・・・」
白銀は何かを言いかけ、そして黙ってしまう。
確かに、友達ともそこまで誕生日を祝い会うことなんて相当親しくないとなかなかない。
我ながら、もう少し考えられなかったのか。
その日は、結局それ以上話すことなく、俺の家まで着いてしまう。
「それじゃ。また明日な。」
「・・・」
白銀は無言で俺の自転車から降りて、いつもの方向へと歩きだした。
このときはまだ、どうせ明日になったら普段通りの日が来るのだと、俺はただ漠然とそう思っていた。
そして次の朝、俺の電話が鳴ることは、なかった。
学校に行くと、彼女が育てていた花が。
彼女が毎朝世話をしていて、昨日は確かに咲いていたはずの花が、いつの間にか枯れていた。
そして、彼女の姿は、教室にはなかった。
担任の教師も、なにも知らないらしい。
俺は家に帰ってから、白銀に電話を掛けた。
どうせ風邪でもひいて寝込んでいるのだろうと。
そう思っていたからだ。
「・・・もしもし。」
白銀の携帯にかけると、知らない女性の声が聞こえた。
「すみません、それ、白銀さんの携帯ですよね?」
不審に思った俺は、そう電話の相手に質問をした。
「ああ、この娘、シロカネって名前なんだ。へぇ。」
どういう、ことだ?
電話の相手は俺を馬鹿にしたようにこう続ける。
「もしかて、君、この娘の彼氏?なら残念だね。」
その声は、とてもとても眈々としていて、感情が感じられない。
「彼女、あとちょっとで死ぬから。」
背筋が凍りつくのを感じる。
電話の相手が何を言ってるのかわからない。
「まあ、そうは言っても、私が殺さないといけないんだけどね。」
その言葉は、俺の頭から冷静さを"刈り取る"には十分すぎた。
「アンタ、誰だ?何をしてるッ」
「ふふ、君、少年に似てるなぁ。・・・ああ、こっちの話。」
「今どこにいる。白銀に何をするつもりだ。」
俺は、随分と頭に血が昇っている。
それをさらに煽るように、彼女はこう言った。
「そうだね、君には"シロカネ"サンの死に目に会わせてあげてもいいか。」
この一言で、俺は理性を失った。
「いいから答えろ!!」
「おお、怖い怖い。そう怒らないでおくれよ。」
ヘラヘラと電話の向こう側で、俺のことを煽り続ける。
「だからっ!!」
「場所は、、、そうだな。君がカラスを殺していた公園。そう言えばわかるかい?」
「・・・!」
どうして知ってる?
まさか、"あの青年"の知り合いか?
「待ってるよ。それまでは、彼女になにもしないからさ。」
プツッ
一方的に電話を切られた。
俺は、変に冷静になった。
あれ以来、白銀に会って以来一度も持ち出していなかった折り畳み式のナイフを手に持つ。
あの、カラスを殺すときに着ていたパーカーを着た。
フードをかぶり、覚悟を決める。
そして、そのまま家を飛び出し、なにも言わずに走り出した。
全速力で走り、公園にたどり着く。
その公園には、あのときの、あの、冷たい眼をした青年と、ショートヘアーの、青年と同じくらいの年齢の少女が睨み合っていた。
そして、青年の後ろには。
ぐったりと眼を閉じている、白銀が倒れていた。
「ヴアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!」
その姿を見た俺は、叫びながら、その青年にナイフを向けて、突進していった。
こんなの、下手したら殺人鬼だ。
これだから、俺は、ヒーローになんてなれない。
なれたとしても、せいぜい。
死に損ないの、悪役だ。
死神の悪戯は、運命を歪めた。
その先は、幸か不幸か。