「かんぱ~いっ!!」
「帰れ」
IS学園第3アリーナ整備室。そこの一角に真新しい部屋が一室設けられていた。
中にいるのは部屋に割り当てられたリヒャルト=マティーアス=シェーケル大尉。更に、何故かその部屋に備え付けられたソファーで堂々ビールを開けるウサギさんこと篠ノ之束。後は資料を届けるついでに様子を見に来た織斑千冬だ。
「束、私は帰れとあれほど言ったよな? 忘れたとは言わせんぞ」
「まぁまぁまぁまぁ、そう言わずにさぁ~」
ささささっ、と千冬の背中を押してソファーに座らせドイツ産ビールをグラスに注いだ。
「仕事中なんだが」
「いいじゃん今日くらいは。それにこの味は今だけしか味わえないんだよ?」
グラスを傾けて妖艶に微笑みかける束。やたらとウザいなと感じるが、それよりも鼻腔をくすぐる良い匂いがやたらと気になって仕方ない。
「んん~~~~っ、このソーセージ美味しいっっ」
「重畳。ビールによく合う」
リヒャルトと束、ついでに今来た千冬の3人で囲むテーブルには焼き立てのソーセージが湯気を上げていた。肉汁の香りが否応なしに食欲をそそる。
「ちーちゃんも食べなよぉ。リト君のは絶品なんだから」
特にこの焼き加減がねっ、とカレーソーセージを一口。そしてまたビールを飲む。
――――ああ羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい……なんて旨そうなんだ、食べたくなるじゃないか、あの濃厚な味がどれほどビールにマッチするだろうか。想像しただけで涎が……………………、
「…………ぐぅ……っ……、」
しかし残念なことに織斑千冬、まだまだお仕事が残っている。欲求的に酒盛りをしたいのは山々だがそこにはちゃんとブレーキがある。混ざりたい衝動を押さえ付けてなるべくテーブルの上を見ないように努力し、彼女は資料を半ば押し付けるようにリヒャルトへ手渡した。
「おや、これは?」
「形式的ですが、教員手帳です。証明書としても機能しますので持っていて下さい」
「なるほど、IDガードのようなものですか」
保険ですね、とリヒャルトは早速掌サイズ程度の手帳を胸ポケットにしまった。
「…………あと、シェーケル大尉。一応学園内なので程々にお願いしますよ。この兎が暴走して部屋から脱走しないように監視もして下さいね」
「かねがね承知ですとも。生徒に悪影響を与えるわけには行きませんからね」
いやはやしかし旨い、とビールを傾ける。ついついその様子に目が泳ぎ、それを目ざとく見付けたリヒャルトが作り笑みだった表情を、今度は心の底から面白いものを見付けたと言わんばかりに顔を歪めて笑みを浮かべた。
「クククッ、誘惑に折れそうですねぇ、織斑閣下」
「っ」
「飲もぉよちぃちゃぁん」
「えぇいっ酒臭い!! 寄り掛かるな!!」
寄りかかる束を押し合いへし合い。すっかり出来上がっている酔っ払い兎だがグラスを持っていては迂闊に手を出せない千冬であった。
「博士も煽るのはその程度にしておきましょう。流石に閣下が可哀想だ。それに、閣下もお仕事が終わりましたらどうです? まだ在庫も潤っていますし」
ニコニコと屈託の無い笑みのリヒャルトにぐぅの音も出ず。千冬は誘惑に負けて素直に頷くしかなかった。
この後の仕事のペースが上がったのは言うまでもないことである。
更識簪は靄のかかった思考の中で夢を見ていた。意識はあるのに、完全な覚醒はしていない。曖昧な平衡感覚の支配する空間で、彼女は第3アリーナの整備室に立っていた。
目の前にはディスプレイ、その奥には中途半端に組み上げられたISの打鉄の姿が。本来の打鉄とシルエットが異なるのは、それが簪に与えられた専用機の未完成品だからだ。ISの名を『打鉄弐式』
展開されるディスプレイに映るのは打鉄弐式に積む予定のプログラムシステムの一部。高水準言語で書かれているそのソースコードも、傍目から見れば暗号文の羅列にしか見えなかった。
何度も何度もプログラムを見直してコンパイルからの実行。演習ソフトに走らせてみて、やっぱり失敗する。ああでもない、こうでもない。試行錯誤を繰り返し、しかし結局望む答えには届かぬまま刻一刻と時間だけが通り過ぎてゆく。
そんな時、彼女はほんの気まぐれで視線を上げた。いつまでも首を固定していては疲れるから。少し首を回そうと顔を上げた時だ。
視界に入ったのは、少し離れた距離の場所に立つ1人の男。高く細い体格と、底知れぬ感情を湛えたギラギラと光る瞳。貼り付けたような機械的な笑みが特徴的な、外人の男性だった。
彼は何をする訳でもなくじっと佇んでは目の前のボロボロの黒いISを見上げていた。恐らくは海外の技術者だろう。専用機のISを持つ代表候補性などがいるIS学園では男の技術者が整備室にいることは別段珍しいことではない。しょっちゅうある訳でもないことだが。
簪もいつも通りであれば普通に見てまた意識の外に追いやり自分の作業に戻るのが日課であり、今日もまたそれを繰り返そうとしていた。
「……マルチ、システム。ふむ、なるほど」
その男の呟いた言葉に、簪は無意識に勢いよく顔を上げた。
彼女が躓いている1つの壁。それはISのセンサー類を駆使して行う、複数対象に対するマルチロックオン・システムだった。
相手側に数の有利が傾く場合など、ロックオンを1つに絞ることが出来ない時にこのマルチロックオンさえ使えれば、後はミサイルの雨でいくらでも対抗できる。そう考えた簪が1から作り出しているのがマルチロックオン・システムのプログラムなのである。
「ワイヤーもやはり多人数を相手にするにはいくらか自動で追尾させるべきだ。確かに少佐の主張は正しい。しかし単一ロックオンではどう考えても常識的にロックオンは無理。マルチロックオンは必須項目である訳だ」
なるほどなるほどと独り言にしてはいくらか芝居がかった口調で呟く男から簪は目が離せないでいた。
もしかしたら、あの人から今の壁を乗り越えるヒントが得られるかもしれない。そう思うと僅かな挙動すら見逃せないと躍起になる。
「しかし戦争でも起こさなければ必要性は皆無な筈じゃあないのかね……まぁ作れと言われれば作るしかないのだが」
仕方ない、と男が空中にディスプレイとキーボードを投影しタイピングを始める。その手際が簪が戦慄する程に手際よく、そして素早かった。
気付けば5分が経過し、「ふむ」と男が頷いてタイピングをピタリと止めた。ロクな見直しも行わずにプログラムを実行。僅かな時間に仕上げられたそれは正に、簪が目指したマルチロックオン・システムを忠実に再現し、プログラムは一旦終了する。
「――――さて、私のプログラムは参考になりましたかね、更識簪君」
「ッッッッ……!?」
男がニッコリと、感情のない笑みをこちらに向けた。
気付かれていた。いつから? いや、男の言葉からして、
「そりゃあ気付きますとも。貴方がこの整備室に入ってきた時から私は貴方を認識していた。周りの状況を常に把握するのは軍人の基本です」
コツコツと革靴の踵を鳴らしてゆっくりと、敢えて遠回りをするようにその男は歩いて近づいて来る。簪は、立てなかった。足が異様に重くなって、動くことすらままならなかった。
「一応説明しておきますと、私は明日付でここに勤務になる者でしてね。まぁその内大衆の前で自己紹介でもあるでしょうから、名前はその時にしておきましょう。それはさておき。私はね、これでもドイツ軍の技術屋でね。今回は軍部に関係のないことだったから良かったものの、本来常識的に見て覗き見はマナー違反だ」
この後かんちゃんがどうなったのか忘れました