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織斑一夏は特別であった。
ISの公式世界大会モンド・グロッソで総合優勝という輝かしい成績を収めた姉、織斑千冬を持ち。
かつ、彼はまたISを唯一起動し扱うことのできる男性操縦者となったのである。
だが、若干変わり者だった。
◆
本日はIS学園の入学式。世界中から生徒の集まるこの特殊教育機関は女子校である。
が、しかし。織斑一夏は特別。ISを動かした希少な存在であることから、男性であるにも関わらずこの女子校への入学が認められていた。否、義務付けられていた、と言う方が正しい。
そして今彼はそのIS学園の入学式を終え、1年1組の割り当てられた最前列の教壇前の席にてボーッと天井を見上げていたのであった…………。
(…………眠い)
くぁぁ、と1つ欠伸をする。とにかく眠い。
朝早くに家を出て来たものだから睡眠時間が無かった。道中にも軽く仮眠は取ったのだがあまり意味を成していないらしい。昨晩は少し遅くまで家事をしていたからだろうか。
ともかくとして眠い。が、ここで寝るとよろしくない。授業そっちのけで寝てしまいそうな自信がある。
嗚呼しかし、しかし。このまま授業開始を待っていると寝てしまう。何か、何か気を紛らわせるものは――――、
「あ、箒」
誰かが教室に入って来る気配を感じて視線を向ければ、懐かしい顔が見えた。
向こうもこっちに気付いたらしい。一瞬目を見開いて、すぐにまた表情を戻してつかつかと歩いてきた。頭のポニーテールがゆらゆら揺れる。いいよなあの揺れ具合。ついつい目で追いたくなる。
「よう、久しぶり」
ソイツは、何だかより一層大人っぽくなったと言うか、成長したと言うか。一度別れた時より、ずっと綺麗になっていた。
「久しぶりだな、一夏」
そう言って、篠ノ之箒はフッと薄く笑った。
篠ノ之箒。俺の幼馴染。
物心ついた時には既に隣にいるのが当たり前の存在で。
そんな生活が小学校5年生まで続いて。
箒はとある事情で転校して行って。
俺の幼馴染との思い出はそこで止まっていた。
思えば、箒は小さい頃は泣き虫だった。
気が弱くて、ちょっと転んだだけで泣きじゃくる。
それをいつも慰めていたのは俺だったか。
いつまで経っても歩けないとぐずる箒を、幼い体でおんぶして、ひいこら言いながら家まで送り届けた事もあった。
そして箒の姉に滅茶苦茶心配されて、でも俺だけはちょこっとお小言をいただいたり。
懐かしい回想浸りながら、進んで行く自己紹介を聞き流す。
箒と一言ずつ交わした後、すぐに教員が入ってきてその場は流れた。箒はさっさと席へ向かい、俺も回転の鈍い頭を叩き起こしつつ無意識に姿勢を正す。
今は目の前の教員、山田真耶先生が指示した通り1人ずつ自己紹介が行われている。名簿順だそうだ。
彼女も教壇に立った時は「はじめまして、こんにちは~」と挨拶をしたが、それに返したのは俺だけで非常に気まずい空気になったのを覚えている。山田先生だけは「救世主様……!!」って感じで俺を見てたんだけども。正直滑ったので勘弁して欲しかった。
「えーっと……あ、次は織斑君ですね」
「うっす」
もうか。50音ならあ行だから、確かに早いのも頷ける。
返事をして立ち上がり、そのままだと皆が見えないのでくるりと振り向く。
俺を射抜く50個以上の眼球。何故そんなに期待を抱いた眼で俺を見ると言うのか。
しかし箒、お前だけ何でそんなに何をしでかしてくれるかって感じで皆とは違う期待を込めてるんだ。
「織斑一夏。K県K市の■■中学校出身。趣味は剣道と料理。座右の銘は『一意専心』。ISはシロートだけど、姉みたいな世界一目指してるんでそこンとこは宜しく」
どや。うむ、噛まずに言えた。
満足して教室を見渡すと、皆ポカーンとしてた。何だ、何か変なこと言ったか?
と、不意に横からぱちぱちと1人分の拍手が聞こえてきた。
横目で見れば箒。何やらこちらも満足気で手を叩いていた。
釣られ、拍手が教室に伝播する。
多分、未だに俺が何を言っていたか理解してない感じ。いやそれなら無理に拍手しなくていいんだぞ?
それ以降、特に大きなことは無かった。強いて言えば1人高飛車っぽいお嬢様口調の人がいたような気がするけど後ろを振り向く気力もなかったのでそのままのんびり自己紹介は聞き流した。因みに名前を覚えた子はゼロだ。箒くらいしかわからん。だって顔見てなかったし。顔がわからなきゃ名前が一致しないの当たり前だよな?
まぁともかく何も事件も起きずに授業へ。
ここまでは良かった。
ここからが酷かった。
俺の教科書がない。
鞄の中を見たがない。可笑しい。
ちらりと右隣の女子生徒を見る。教科書の表紙をちら見する。続いて左隣の子も。
うん、あの教科書、鞄の中には無かった。でも見覚えはある。
…………一昨日の古雑誌回収の日に電話帳と間違えた奴だ。
……いや待てよ。辞書と間違えたんだっけ。電話帳にしちゃあ小難しいことばっか書いてあるっぽいなぁなんて思って捨てる方に分別してたし。
うん、思い出した。辞書と間違えた。電話帳は別で捨ててたわ。
しかし不味いな。初日教科書を忘れただけならともかく、捨てちまった。今から取り行っても回収日は昨日の朝だったから、今頃灰になってるんだろうな。すまねぇまだ中身も見てなかった教科書よ。君のことは忘れない……ようにしたい。
取り敢えず隣の人に見せてもらおうか…………ぬ、まずい。既に板書が始まってる。もう黒板半分以上?
よろしくない。非常によろしくない。ここで「教科書忘れたんだよ~見せてくれよ~頼むよ~」「え~織斑君初日から教科書忘れたの~? おバカさんだな~こういう日は念のため全部持ってくるのが定石じゃな~い?」「バカ言えよ~そんなの重すぎて運ぶの嫌になっちまうだろ~そもそも俺教科書間違って捨てちまったからさ~」「うわ~擁護できない程の大バカなんだね織斑君って~」「よせやい照れる~」なんてやり取りしてる間にも授業は進むんだ。一刻の猶予も許されない。俺は自他共に認めるバカだしISの授業なんて初めてだから予備知識なし。板書を少しでも怠れば……成績が死ぬ。
成績が死ぬとどうなるか? 姉である千冬姉にボロクソ言われた後折檻されて缶詰にされる。あれは嫌だ。どこかも知らないホテルに放り込まれて外出すら許されずひたすら参考書に向き合うんだ。もうあんな地獄は体験したくない。
つまるところ俺がやることは1つ。周りになりふり構わず板書をノートに書き殴るのみ……!!
そこからは速かった。新品のノートを開きシャーペンを取り出す。芯先は1ミリピッタリの○ルトガ、これで常に同じ太さで字が書ける優れもの。消しゴムは効率よく、シャーペンを持つ利き手とは反対、左手側に配置する。更に俺は定規を取り出す。別に図形を描く訳ではない。これはただ単に右手と紙の間に挟むだけ。これで何となく紙上における手の滑りが良くなる(気がする)。字は自分がギリギリ読める最低限の字体に、とにかく板書を片っ端から写し口上も空いたスペースに捻じ込む。これが俺の勉強スタイル。わかんないなら取り敢えず、写せ!!
隣の隣から、何かこちらを嘲笑するような気配がしたが、無視した。
1限、2限が終了した。俺の頭は沸騰した。周りから視線が集中してるのがわかる。俺の頭から湯気が出てるんだ。
「…………水」
水が飲みたい。知恵と一緒に蒸発した水が欲しい。
「相変わらず、おつむは変わらないらしいな」
ひんやりした机に頬を当てて気持ち良くなってると、眼前に500mlペットボトルのミネラルウォーターがとんと置かれた。買いたて冷え冷えだ。ほやほやと言わなかったのは温そうな雰囲気じゃなかったからだったり。
「箒か。水貰っていい?」
「好きにすればいいだろう」
「サンクス」
体をお越し早速水を体に流し込む。知恵熱が引いていく。うまい。
一気に3分の1程飲んだところで一息ついて視線を上げれば、飽きれ顔の箒が机に手を置いて寄りかかっていた。そんな表情を見るのは初めてだ。
「箒、面白い表情してるぞ」
「誰の所為だ、誰の。全く、いつまで心配かけさせる気だ」
「心配? 誰の?」
「お、ま、え、だ」
ビシッと箒の人差し指で何度も何度も俺の額を突いて来た。痛い、痛いっス。
「この単細胞バカ。Fランにしか行けないような脳みそになっていたらどうする気だ。昨今阿呆共のしょうもない女尊男卑の所為で男の就職率が若干厳しくなった時代、お前のようなバカが就職できるとでも思ってるのか? 甘い、甘いぞ一夏。ラスグッラより甘い」
ラスグッラってあれだよな、世界一甘いって言われてるお菓子。すげぇ、俺世界一を超えた。
「就職もせずフリーター気取りか? つまりは一生ヒモだぞ。千冬さんにおんぶ抱っこで養われる正真正銘の役立たずだ」
何かすっげぇボロクソ言われてるんだけど。俺泣いていい?
額が赤くなって来た頃、ようやく箒がつつくのを止めてくれた。これニキビできるかもしれん。
「少しは頭が良くなる努力をしたらどうだ? ただノートを写すだけでは何も意味はないぞ」
「いやでもお前授業中面白そーに俺の方見てたじゃん」
「小学校の時からやり方が全く変わらないから懐かしむと同時に憐れんでたんだ」
「憐れむ前に助けてくれよ……」
可笑しいな、あの頃の純粋な箒ちゃんはどこへ行ってしまったのか……。
「実は教科書を使わない辞書と間違えて捨ててしまってだな」
「本当にお前は世界一のバカだな」
間髪入れないツッコミが俺の精神を容赦なく抉る。へいへい、俺はバカですよ~。
「少し、よろしくて?」
「ぬ?」「む?」
と、後ろから声がかかる。箒は顔を向けるだけで良かったが、俺は真後ろなので見えん。
ああでも、この高飛車お嬢様っぽい声には聴き覚えがある。誰だったかな。
と言うことで後ろを見る。振り向くんじゃなくて、見上げるようにして体を反らす。
目に飛び込んで来たのは金髪縦ロール。あれどうやってセットしてんだろうか。
「……織斑一夏」
「俺に用か?」
「ええ」
何だろう、俺何か変なことしただろうか。とっても不機嫌そうに、それこそよくある“養豚場のブタでも見るかのように冷たい目”って奴だ。今回は侮蔑の意味もそこにおまけでついて来てる……気がする。
「…………貴方、人と話すのにその態度と体勢は直そうとは思いませんの?」
態度? それはまぁともかく体勢はいただけないか。
反っていた体を元に戻し、今度は体ごと回って椅子に横合いから座り直す。
「ん、これでどうだ」
「わたくしは態度と体勢と申した筈ですが?」
「あ、そうか、態度……態度かぁ、忘れてた。うーん……それは難しいなぁ。俺ってば昔からこうだから」
腕組んで態度を直す方法を考えるけど何も思い浮かばない。人って全然変わらないんだよな。箒は色々、それこそ本当に色々大きく変わったけど。チラッと視線を向けたら恍けた表情してる。大丈夫、バレてない。
「まぁそこはスルーってことで。どーしても直してほしいってんなら善処はする、かもしれないし、しないかもしれない。それで、用事ってのは?」
「…………百歩譲ってそれは置いておくとしましょう。本題ですが、貴方に質問がありますの。
言われ、「おう、任せろ」と返すと、これまた何か言いかけて口を半分開けたが無理矢理閉じて一度咳払い。言葉を整理するように一息ついてまた口を開いた。
「先程の自己紹介、あなたはどこまで本気ですの?」
先程の。つまりあの“そこンとこは宜しく”ってやつか。
「全部本気だけど」
「……………………耳が遠くなってしまったのかしら。もう一回言って下さる?」
「全部本気だけど」
ふらりと、目の前の金髪が揺れた、ように見えた。一瞬貧血っぽいような倒れ方したけど大丈夫なんだろうか。
「大丈夫か?」
「……貴方程度に心配される程のことではありませんわ」
「そうか?」
「そういうものです。少しは察しなさい」
「無茶言わんでくれ。俺はバカだからな、あんまり細かいことはできねぇ」
「……本当にバカですの?」
「おう、俺はバカだ。なぁ箒?」
「そうだな、お前は私の知る限り最高峰のバカだ」
「な?」
「“な?”などと言ってる場合じゃありませんわ……」
酷く疲れた顔をして大きく溜息。バカにされてるなぁ、俺。
「バカと自称しておきつつ、だからと言って何でもかんでもが許されると思っているのですか? だとしたら勘違いも甚だしい。ここはIS学園、貴方のようなパイロットになるための努力をしてこなかった輩が我が物顔で居座る場所ではありませんわ。その間抜け面を消しなさい。それが出来なくば即刻退学すると良いですわ。話はそれだけです。……ああ、そうそう。決心がつきましたらわたくしに仰いなさい。最後くらいは面倒を見て差し上げますわ」
と言って金髪さんは颯爽と席に戻って行った。うーん、優雅だなあの人。常に余裕を持ってるって感じ。
「一夏。お前いつの間に貴族と知り合った?」
「いやいや、俺に貴族の知り合いなんていないぞ。そもそも外人さんすらいないってのに。……ああ、そう言えば」
「そう言えば?」
「あの人めっちゃ日本語流暢だったな」
「そこを気にするか……いや、何も言うまい。元々こうだったんだし……」
箒が嘆息。幸せ逃げるぞ?
「お前と一緒の時点で色々逃げたからもういい」
どうやら俺は疫病神だったらしい。