医務室の扉が開いて中に入ると、そこには何とも珍妙な格好の女性がいた。
「やぁマシュ。医務室に来るとは珍しい。そして後ろの子は……マスター候補の子かな?」
その女性はかけていた眼鏡を外しそう問いかけた。女性の眼鏡率高いなと思った。
その女性は赤いドレスにマントを羽織って左手には大きな籠手をはめており、その手で大きな杖も持っている。コスプレだろうかと疑り深い視線を向けてしまったことは仕方のないことだと思いたい。
「先輩の体調が優れないので来たのですが……ドクターはいらっしゃらないのですか?」
「ロマニなら所長に厄介払いされておサボりの途中さ。何なら私が代わりに診てあげようか」
「お断りします。ダ・ヴィンチちゃんが真面目に診察してくれるとは思いません」
ダ・ヴィンチちゃんと呼ぶその女性の笑みは玩具を見付けて喜ぶ童子のソレで、嫌な悪寒が背中を駆け巡る。すかさずマシュが私と彼女の間に入って来てぷくっと頬を膨らませた。
「うーんアツアツだ。マシュがこんなにも入れ込むというのは余程気に入られたみたいだね、彼女」
「あー……ははは、どうもです」
何だろう、嬉しい。
「すぐにドクターを呼び戻せますか?」
「呼べば来るんじゃないかな。いつもの無人部屋で休んでるだろうから5分くらいはかかるだろうけど」
「お願いします。できれば早めに」
「マシュに睨まれちゃあ仕方ないね。呼び出しておくから、私は工房に戻るよ」
気の抜けた笑みを浮かべた彼女はひらひらと手を振って部屋を後にして行った。これまた不思議な雰囲気の人だ。
「……マシュ。ダ・ヴィンチちゃんって呼んでたよね」
「? はい、彼女はレオナルド・ダ・ヴィンチですからね。ダ・ヴィンチちゃんというのはそう呼べと言われてるので仕方なくですが」
「……レオナルド・ダ・ヴィンチって、あのモナ・リザの!?」
レオナルド・ダ・ヴィンチ。詳しくは知らなくても名前なら聞いたことがある。天才的な画家であり多才な偉人だ。
「え、でもレオナルド・ダ・ヴィンチはもういないし……それに男だったし……」
「……先輩はサーヴァントの存在をご存知でないのですか?」
「サーヴァント? 奴隷?」
全くわからない。
「では説明させていただきます。サーヴァントとは使い魔の1種でその中でも最高ランクのモノを指します。簡潔に言いますと、魔術によって過去の偉人達を呼び出し現世に繋ぎ止めたモノです。原理はもっと複雑ですが、説明するには時間がかかり過ぎるので割愛します」
ダ・ヴィンチちゃんはそのサーヴァントの1人。過去のレオナルド・ダ・ヴィンチが“座”と呼ばれる場所からコピーされて魔力によって現界しているのがあの姿なのだと言う。女性の、モナ・リザと同じ姿でいるというのは単に彼女がそうしたいからあの姿なのであって、中身は本当にレオナルド・ダ・ヴィンチそのものである、とのこと。
「そのサーヴァントに密接に関係するのがマスターになります」
「マスター……と、サーヴァント……」
主従の関係に結ばれる
その発祥は極東の地だとか……。
「っ、……頭がっ……」
ズキンッ、鋭い痛み。脳の奥に刃物が突き刺さるような感覚に頭を抱える。
何か、何かがある。記憶の奥底、忘れ去られた闇の中に、何かがあるんだ。正体はわからない、けど、大事なモノがある……。
さっき程ではないにしろ、不快感が体を重くした。マシュが「大丈夫ですか……?」と不安げな表情で心配してきてくれているのには本当に頭が上がらなかった。
「ありがと……マシュがいてくれて本当に助かってるよ。さっきも、独りだったら壊れるところだった」
「……いえ。わたしは何もできませんでした。ただ、そばにいることしか……」
顔を伏せるマシュ。影の差す表情に首を振って答えて、マシュの手を握った。
「そんなことないよ。マシュが心配してくれて、抱き締めてくれて、とても安心したの。すごく暖かかった。マシュは私を救ってくれたんだから、もっと胸を張っていいんだよ」
「そ、そうですか……? 先輩にそう言われると……何だか、嬉しいです」
影を落としていたマシュの表情に笑顔が戻った。少し照れたように頬を赤くして笑う顔。思わずこっちまで釣られてしまうくらいにマシュの表情が輝いて見えた。
「――――はいはいお呼ばれされてきましたDr.ロマンですよーっと………………………………あれ?」
ガーッ、と。今までの雰囲気をぶち壊すように扉の開く音がした。
入ってきたのは気の抜けた印象を受ける白衣の青年。首からかけたスタッフ証で医務官であることはすぐにわかったけど……。
「…………お取り込み中だったかな……?」
両手を上げてお手上げのポーズの青年。
マシュとは現在向き合って手を握っていて、顔も僅かに数センチの距離。お互いにすごく良い雰囲気だったもので……、
「っ!!」
「あっ……」
反射的に思わず手を放して1歩2歩後ずさってしまった。マシュが一瞬落ち込んだような表情を見せたような気がして罪悪感。
「あ、ごめん、マシュ、別に嫌だったとか、そういうのじゃなくて……その……」
「……だ、大丈夫です。わたしも、別に……」
「…………………………………………、」
「…………………………………………、」
「やっぱり取り込み中じゃないか……っ!?」
「「疚しいことは何もしてません!!」」
「うひゃあっ!? も、申し訳ございません!?」
入ってきたのはロマニ・アーキマンと言う、ここカルデア施設の医療担当とのこと。皆からはDr.ロマンと呼ばれているらしい。見た目やオーラも合間って非常に緩い……シリアスまで和らげてしまいそうな雰囲気がある。何でこうもこの施設の人間は不思議な人ばかりなんだろうと首を傾げた。
「――で、君がマスター候補補欠の子か。所長の説明会を欠席するって言うのは相当の症状なのかな?」
「先輩には現在記憶に障害が発生しています。教授曰く霊子ダイブの影響も考えられる、とのことでした」
「へぇぇ、記憶障害…………え゛っ、記憶障害ぃっ!?」
「あのぉ、そんな声を大にされるのは……」
「あ、ぇ、あっ、あぁごめんごめん……取り乱しちゃったよ……。えぇぇ、でも、記憶障害……?」
診療器具を用意していたドクターが慌てた様子だ。手に持った器具を落としそうになっていた。
「……本来なら、私みたいに記憶に影響が出るって言うのはないことなんですか?」
「うーん、そうだね。かなりのシミュレーションを重ねてきたけど、そう言った話は全く聞いたことがない。そうなったら僕も患者を診るはめになってたろうしね。正直予想外だ」
前例はなし。可能性はなきしもあらず、とは言われていたかもしれないが、対策を立てようにも原因すら特定できないだろうとされていただけに予防法も治療法もないのが現状だ。
「……身体に異常はないね。頭を強く打ったとかもないんだろう?」
「はい、覚えてる限りでは……」
「となるとやっぱり霊子ダイブかなぁ、レフも言ってたってことは。後でマリーに伝えておいた方が良いかも…………ってそう言えばマシュ、説明会は良かったのかい? 僕はともかく君はAチームだろう?」
ロマンが時計を見たら意外と時間も経過していた。
「そろそろ説明会も終わる時間ですね。わたしは1度所長のところに行ってきます」
「そうした方が良い。彼女は僕がしばらく経過を見ておくから、レフやマリーに宜しく伝えてくれるかな」
「了解しました。では先輩、また」
「あ、うん、またね、ばいばい」
ぺこりと礼儀正しく一礼してから部屋を出ていくマシュを見送り、医務室にはロマンと2人きりになった。
彼は彼でしばらくじーっと症状のメモを取ったディスプレイとにらめっこをしておりこちらは手持ち無沙汰。やることもないので椅子に座ったままくるくると回る。
「そう言えば、説明会に出てないってことは何故このカルデアができたかもわかっていないんだよね?」
不意にロマンがそう言ってきた。
全くその通りなので首を縦に振って肯定する。
「じゃあ僕の方から軽く説明だけしておこうか。わからないことがあったら適宜聴いてくれ」
人理継続保障機関カルデア。
人類史の未来を観測し、人類の存続を保証するための特殊機関。
魔術師の貴族であるアニムスフィア家が主導となって機関を運営し今に至る。
機関の最大の特徴は先述通り人類史の観測である。電脳魔ラプラス、地球環境モデル・カルデアス、近未来観測レンズ・シバ、英霊召喚システム・フェイト、霊子演算機トリスメギストス、これらを総動員し、人類の100年先までを観測しているのだ。
今回、このカルデアに集められたのは48人のマスター候補。自分を含めた彼らは、カルデアスの映し出す人類史の一部にレイシフトを行うために集められたのだとか。
「恐らくだけどあと少しで最初のレイシフトの実験が行われる筈だ。本当なら近くで見ていたいところだけど、生憎
粗方の説明を終えてロマンが苦笑して肩を竦めた。
「マシュもマスターとして一緒に?」
「彼女はここの研究員だよ。サポーターとして実験に参加するんだ。一軍のAチームとしてね。確か君は補欠だったからDチームだと思うんだけど……まぁよっぽどの事がない限りは出番もないかもね。所長は確率の低い賭けが嫌いな完璧主義者だし」
それはそれでわざわざここまで来た意味がなくなってしまう。雪山の地下施設である所まで来たと言うことは、もしかしたら結構な志があったのかもしれないのに。記憶のない今となってはそれもわからないのだけれど。
「ま、呼び出しがあるまではゆっくり休んでサボろう。君には口実があるし、そのお陰で僕も正当な理由でいむしに残れるし。お菓子もお茶請けもあるよ。和菓子、食べれる?」
しかしこうも堂々仕事をサボる宣言はいかがなものか……。
が、休めるなら休もうとも思う。正直なところ、体はまだしも精神的な疲労はこう見えてかなり蓄積しているのだ。未だに記憶を掘り返そうとすれば頭痛がするくらいには……。
ロマンが上機嫌に机の引き出しを漁り始める様子を見ながら、何となくマシュはどうしてるかなぁなんて考えて。
その時、耳をつんざく轟音と警報がカルデアに鳴り響いた。