まったりとした空気を切り裂く警報。真っ赤なランプが明滅し、今が紛れもない緊急事態だと思い知らされた。あまりの緊張感の変化に身がすくんで椅子の上で縮こまった。
部屋の照明もすぐさま落ちて真っ暗に。そしてスピーカーから嫌に耳につく機械音声が流れ始めた。
緊急事態発生の知らせ、中央発電所並びに中央管制室での火災。
「……管制、室……?」
ふと、思い至る。管制室は確か説明会が開かれている場所であり、その後すぐにレイシフトの実験が行われるとも言っていた。
そして、その実験には、
「――マシュ……ッ!!」
――マシュ・キリエライトが同行する。
と言うことはつまり、管制室にはマシュがいることになる。
そう思うや否やいてもたってもいられず、背後から聞こえたロマンの制止を振り切って部屋を飛び出した。
普段から真面目に運動に取り組んできた訳でもなく。よって至って平均的な運動能力しか持たない自分が嫌になる。今は少しでも早く
それでもひたすら全力で走った。もつれて転びそうになる脚を必死に前に出して。
走って僅かに2分の距離。されどその2分が異常に長く感じた。
壁に手をついて、ふらふらと前に進む。自分の体力の無さが恨めしい。
「フォウ!!」
「……?」
煙の臭いが嫌でも鼻につく頃。ふと自分の足元に何かがいた。ふわっふわの白い毛並みを持つ、四足歩行の……何か。恐らく哺乳類。
「フォウ、キャーゥ!!」
その子はパタパタと少し前を駆けて行き、時おり止まってはこちらを見てくる。
「ハァ、ハァ……待ってて……」
進んでる方向は管制室と同じ。案内をしてくれるというのか。
既に切羽詰まった思考はその白い生物を不思議に思うこともなく、ただただ着いていくことしか考えられなかった。
やっとの思いで管制室前に辿り着く。
廊下に面した扉や壁が内側から爆破されたかのように吹き飛び、中から炎の赤い光が吹き出している。
「そんな……っ」
火災なんて生易しいものではない。これは、
「人為的な爆弾テロってとこかな」
「っ、ドクター……っ」
気付いたときには後ろにはロマンが。同じように走ってきたのだろう、息も荒いし額にもうっすらと汗をかいてるいるのがわかる。
「ドクター、すぐに救出を……!!」
「待った、火の手が強すぎるッ、下手に飛び込むと火傷だけじゃ済まない!!」
「マシュが、マシュがいるかもしれないのに、黙って見てるなんてできない!!」
「ああっ、ちょっ、無茶苦茶だ!!」
袖で口元を覆い、火の手に飛び込んだ。肌を焼く痛みを気力で無視し、瓦礫の中をひた走る。
「マシュっ、誰か!! 誰でもいいから返事をして!!」
声を張り上げて叫ぶ。しかし、返事は一切なし。
もう一度、声を張ろうとするが息苦しさに咳き込んだ。ぐらぐらと視界が揺れ、頭も痛い。身体中から汗が吹き出して気持ち悪いし、涙も止まらない。喉にも痛みが回ってきた。
「これ、じゃ……っ!!」
歯を食い縛って部屋を見渡すが動く影はなし。いよいよもって絶望感が思考を襲ってきた。
『動力部の停止を確認。発電量が不足しています。予備電力への切り替えに異常があります。職員は手動で切り替えてください。隔壁閉鎖まであと60秒。中央区画に残っている職員は速やかに第二ゲートから――――、』
そしてここで動ける時間も無くなってきた。脱出もそうだが、そもそもこの体で脱出までもつかどうか……。
「君ッ、早く戻るんだ!! そうじゃなきゃ自滅するだけだ!!」
ロマンの声が聞こえる。炎の向こう、随分と遠くに思えた。
「でも、まだ誰かいるかも……!!」
「放送を聴いただろう!? 隔壁が閉まる前に脱出するんだ!!」
「ッ……!!」
ギリッ、と唇を噛んだ。歯痒い。あまりに、悔しすぎる。もしかしたら誰かが生きているかもしれない。マシュがいるかもしれないのに。それを目の前で切り捨ててしまうなんてことは……。
「………………………………ぁ、」
「!! 誰かいるの!?」
不意に聞こえてきた小さな呻き声。今にも潰えてしまいそうな力のない声に反応し、瓦礫を蹴って駆け出した。
声の元は破損したコフィンのその陰に隠れたいちからだった。恐らくたまたま爆風をコフィンが遮る形になったのだろう。不幸中の幸いというものだろうか。
「大丈夫です、か――――マシュ!?」
「…………せ、んぱ、い……?」
そこには捜していた影が――マシュがいた。横たわり、身体中から血を流す、弱々しい姿で。
「……なん、で……ここに……?」
「助けに来たんだよ!! 大丈夫、すぐ安全なところにつれて行くから……!!」
マシュの体は瓦礫に埋もれていた。1つ1つは大して大きくもないが、熱を吸収して熱い。
それでも、火傷を気にする暇はなかった。マシュを助け出せるのなら、この程度のこと。掌の痛みを泣きながらも全力で我慢し、やっとの思いで瓦礫から身体を引き摺り出した。
「は、はぁ、はぁ……これで、やっと、ぉ……!?」
運べる。そう言おうとして、ガクリと膝から力が抜ける。ガンガンと頭の奥が痛い。手先の感覚も既に無くなりかけていて、喉も焼けつくように痛い。
「ダメ……まだ……!!」
空気が、熱い。喉が焼けてしまったのか。声はとうの昔に枯れてしまっている。
それでも、それでもマシュを助けなければ。言うことを聞かない身体に鞭打って、自分で自分の脚を殴り付け、動け動けと念じ続ける。
「無茶、です……先輩、……早く、に、げて……」
「嫌だッ……絶対嫌だ。助けるから、絶対に……っ」
マシュの脚と身体に手を回し、横抱きにして持ち上げた。
持ち上げたは良いが、そこから続かない。酸欠で視界は不明瞭、足腰の力も限界で、歩くことすらままならない。今すぐにでも崩れ落ちてしまいそうになる。
「ふぅぅッ、はっ……ぁ……!! 待ってて、もう……すぐっ……」
前へ。脚を引きずって、出口へ。爪先が瓦礫に引っ掛かり、それでも進む。
『システム:レイシフト。最終段階に移行します』
その時、低い男の機械音声が鳴った。
『座標:西暦2004年1月30日。日本、冬木』
「ふゆ、き……? ――――ぁぎぁッ!?」
突然、頭痛が襲った。あの時と同じ、刃物を刺されたような鋭い痛み。そのあまりの苦痛に膝が折れ、床に倒れた。
辛うじてマシュを下敷きにはしまいと背中から転んだが、力尽きた。足にも手にも力が入らない。ぐらぐらと歪んで回り続ける景色と、際限なく苦しくなってゆく呼吸、頭痛は止まることを知らず脳内を思考をぐちゃぐちゃに掻き乱し、感覚すらも失われていった。
知っている。あの光景を。知っている。あの景色を。
――――嗚呼、ここで死ぬのか。
「……先輩……、」
声がした。優しい、儚い、そよ風のような声が。
「……手、を……にぎって、もらって……いいですか……?」
ぼやけていた焦点が捉えたのは、マシュだった。真っ白な手をこちらに伸ばした彼女だった。
「……うん……」
そっとその手に自分の手を重ねる。せめて、最期くらいは、先輩らしく後輩のために。自然と諦めのついた思考は無意識に会頭を弾き出す。
『ラプラスによる転移保護、成立。特異点への因子追加枠、確保。アンサモンプログラムセット。マスターは最終調整に入ってください』
「……ごめん、ね、マシュ……」
「……? どう、したのです、か……?」
「……助けて、あげられない……私じゃ、無理だった……。マシュを、助けられない……っ」
視界が涙で歪む。あと少しなのに。もうちょっとで助かるかもしれなかったのに。自分の体は既に使い物にならなくなり、目の前でどんどんと衰弱してゆく友達も救えやしない。
『観測スタッフに警告。カルデアスの状態が変化しました。シバによる近未来観測データの書き換えをします』
相も変わらずアナウンスは鳴り止まない。炎の勢いも弱まることを知らない。
「…………あ、……カル、デアスが……、」
マシュがぼうっと見上げる部屋の中央。
鎮座するのは大きなオブジェクト――カルデアス。擬似的な地球を表現したその球体が、赤く輝いていた。
『近未来百年までの地球において、』
『人類の痕跡は発見できません』
『人類の生存は確認できません』
『人類の未来は保証できません』
「……真っ赤、ですね……、」
ポツリと呟いた力のない声音。ただそれに静かに答えようとして、声も出なかった。か細い息がヒュウと音を立てて喉を通るのみ。喋ることすら、もうできない。
「……だい、じょうぶ……先、輩……わ、たし、は……」
マシュが手を伸ばす。力尽きて眠ろうとするその身体に手を伸ばす。
『コフィン内マスターのバイタル基準値に達していません。レイシフト定員に達していません』
『該当マスター検索中…………発見しました』
『適応番号無し再設定、適応番号48をマスターとして設定します』
『アンサモンプログラム、スタート。霊子変換を開始します』
「わた、しは、……ひとりじゃ、ない、です……。先輩が……いっ、しょで……」
その手を、力一杯握る。
『レイシフト開始まで、あと3』
――世界が、燃えてゆく。
『2』
――――何もかもが赤い波に飲まれて、形を失ってゆく。
『1』
――――黒い、影が。
『全行程、
――――いつまでも眠りこけている暇はないぞ、■■■■。