『さぁ、ついに始まりました! ガンダムバトルワールドフロンティア、通称"GBWF"の超大規模オープンβテスト! 日本ではここ、静岡のバンダイワールドホビードームの他、千葉、兵庫、福岡などで本日同時刻より開催されております――――』
ドーム内に、興奮気味に解説を進める司会者の熱気を交えた声が響く。
通路上に幾箇所にも設けられたスピーカーから出力されるその声は、あまりの昂ぶりに音声のボリュームを調節し忘れたのかと疑う程に大きく、些か耳障りにも聞こえた。
そんな大音量が響くネイビー一色で彩られた通路を、バイザーを身につけた男は「革の靴が床を叩く音の方が、まだ耳に優しいだろうな」などと、実のない事を思いつつ歩いていた。
関係者以外立ち入り禁止と書かれた電子ポスターが時折目に入るその場所を、男は黙々と歩き続ける。専用に仕立てられたコートの胸元には、VIP専用のIDカードが付けられていた。
と、そこでバイザーの男は立ち止まる。彼の目の前には近代的なスライド式の扉と、門番のように佇む屈強そうな黒スーツの男二人の姿があった。
「お待ちしておりました、四代目メイジン・カワグチ。すでに他の方々は準備を始めております。リベオノール氏も中に」
リベオノールとは、このドーム会場であるバンダイワールドホビードームで開催されるGBWF――――"ガンダムバトルワールドフロンティア"の開発を手がけた主任エンジニアの名だ。
これまでに幾度も顔を合わせている相手であり、今日この日にメイジンが参加する事は知っているはずの人間である。
故に特にその人物には触れないまま、姿勢を正したまま堅い口調で話し始めた黒スーツの片割れに、バイザーの男――――四代目メイジン・カワグチは問うた。
「そうか、ありがとう。……エニアクルも、すでに来ていると見て良いのだろうか?」
「エニアクル氏でございますか? 少々お待ちを」
黒スーツの男は徐ろにタブレット型端末を取り出すと、四代目メイジン・カワグチの要望に応えるために少し太めの指で端末の画面に触れて操作を始めた。暫し端末を操作し、お目当ての情報を見つけた黒スーツの男は、四代目メイジン・カワグチへと向き直ると、
「エニアクル氏はすでに準備を終え、"コクーンポッド"への接続を開始したようです」
「早いな。もう始められるとは、これでは先にゲームを堪能されてしまいそうだ」
「メイジン、すでに貴方様の"コクーンポッド"もスタンバイ状態で準備が済んでおります。どうぞ、心ゆくまでお楽しみください」
「ああ、そうさせてもらうとしよう。失礼」
手空きだった黒スーツの片割れが扉の横に設置された専用端末に親指を置くと、即座に端末が指紋を認証。ロックが解除され、スライド式の扉が空気を吹き出したような音をさせながら静かに開いた。
一礼をする黒スーツの男達を尻目に、四代目メイジン・カワグチが扉をくぐり先へと進むと、そこにはドームの中とは思えない程に広い空間が存在していた。その広さの程は市営の室内プールくらいと言えば良いだろうか。先程までの通路と打って変わって、無論天井も高いその空間の広さに四代目メイジン・カワグチは僅かに感じていた圧迫感から開放されたかのような気分を自分が味わっているのを自覚した。
だが、広々としているのは宙空だけである。部屋の中には幾つもの機械の繭と言えるようなポッド式の大型ゲームデバイスが1列6基ずつ等間隔で並んでおり、それが2列の計12基設置されていた。
"コクーンポッド"と呼ばれるゲームデバイスには白衣を着た社員らしき男が各一人ずつついており、その傍らにはトレーニングウェアのような服装をした男女の姿が見受けられた。
(あの服装には何か意味があるのだろうか……。考えられるところとすれば、発汗対策か、それとも何かの測定用か……)
体のラインが必要以上に浮き出てしまっているその服装に、四代目メイジン・カワグチはそんな懸念を抱いた。
彼がプレイするために訪れたゲームであるところの"GBWF"は、バーチャルリアリティ作品である。専用の設備である"コクーンポッド"内のヘッドギア状のデバイスでプレイヤーの頭部を覆い、そのデバイスにより電子的にプレイヤーの脳を接続。感覚器官を経由する事なく脳に直接視覚や聴覚を始めとする五感情報の全てを与える事で、仮想空間を形成するという最新式のVR技術を使用する事によってプレイが可能となっている。
脳とデバイスを直接接続するため、ゲーム中にプレイヤーの精神状態の変化によっては心拍数の変化やそれに伴う発汗、発熱、痛みなども現実の体にもその影響が及ぶというデメリットはあるものの、それについては社員の方から口頭だけでなくメールに添付されていたマニュアルデータの方でも事前に説明がなされていたし、痛覚についてはペイン・アーブソーバーシステムによる対策も取られているという事もすでに把握していた。
だからこそメイジンは浮上した懸念を自ら飲み下して沈没させる事には成功したのだが、メイジンの思考は別の網にまた捕まることになる。
(だとしても、あの姿は男性諸君の目には毒だろうに……)
四代目メイジン・カワグチの特徴であるバイザーの奥の瞳は、一人の女性プレイヤーの姿を捉えていた。
絹のような銀髪の髪に翡翠色の瞳をしたその女性プレイヤーの顔に、四代目メイジン・カワグチは見覚えがあった。名は確か、イリーナ・エイゼンシュテインだったはずだ。ロシアから日本へと移り住んできたガンプラファイターで、世界大会でも何度か戦った事があると、四代目メイジン・カワグチの記憶は告げていた。
その視線の先に映るエイゼンシュテインの姿は、体にピッタリと貼り付くように纏われたウェアによって浮き出たボディラインのせいで、良くも悪くも男性の目を引く状態となっていた。
外国人らしい長くスラっとした脚や美しくくびれた腰、そして何より平均サイズをゆうに超える胸部のそれは、メイジンの視界の端に映る男性プレイヤー達幾人かの視線を釘付けにするには十分以上の攻撃力がある。
と言っても、流石にまじまじとエイゼンシュテインのその豊満な山々へ視線を注ぐ者はいない。全員が全員、チラチラと伺うように顔を向けてはいるが、当のエイゼンシュテインはそれに気づいていないのか、それとも気づいて無視をしているのか、素知らぬ顔でプレイの準備を進めていた―――――はずなのだが、そこでエイゼンシュテインのポニーテールを備えた頭部が、徐ろにメイジンの方向へと向きを変えた。
(マズイ、視線に気付かれたか……?)
そう思い、四代目メイジン・カワグチは即座にエイゼンシュテインから視線を外す。
メイジンも歴代のメイジン同様にバイザーで目元が隠れるようになっているはずだが、女性とは自分へ向けられる視線には敏感なものだと聞く。
尤も、それも一般的な女性であれば何となく向けられているな、程度のものでしかないだろうが、今メイジンが視線を向けていたのはガンプラファイターの中でもトップクラスの技量を持つあのイリーナ・エイゼンシュテインだ。そのファイターとしての勘と気配への察知能力を考えれば、バイザー越しの視線が気付かれても不思議ではないだろう。
伺うように、エイゼンシュテインの方へと視線を戻すと、当のエイゼンシュテインは眉をひそめ、いかにも不快そうな表情をさせながらメイジンへと歩を進め始めたではないか。
メイジンは何かいちゃもんを付けられるのではないかと、内心で身構えた。
そう遠くない距離を歩いてきたエイゼンシュテインが、メイジンの前で立ち止まると、彼の眼前へと人差し指を突き出し、口を開いた。
「四代目メイジン・カワグチ、ようやく来たのか。待っていたぞ!」
「……、ん?」
罵倒や叱責に近い言葉が飛んでくるだろう覚悟をしていた四代目メイジン・カワグチは、エイゼンシュテインの口から発せられた言葉に、一瞬思考を放棄した。というより、思考能力がカタパルトに乗せられて射出されていった。
「どうした、何故そこでそうも阿呆のような表情をする。私の日本語は何か間違っていたか?」
「あ、いや。すまない、イリーナ・エイゼンシュテイン氏……で良かっただろうか? まさかロシアを代表するトップファイターの一人である貴方が、私のような者に声をかけてくれるとは思ってもみなかったもので、つい」
「日本人は謙遜を美徳とすると聞くが、貴様に言われると少し腹立たしくなるな……。世界大会で散々私に苦汁をなめさせて来たのを忘れたのか」
四代目メイジン・カワグチの言葉を皮肉か何かと受け取ったのか、大変ご立腹そうな表情を浮かべるエイゼンシュテインを前に、メイジンは自分の予想が徒労に終わった事に人知れず安堵した。
だが、同時にメイジンは彼女の言葉に思考を巡らせる。確かに幾度か刃を交えた事はあった気もするが、彼女が言う程ガンプラバトルの回数を重ねた事がある訳でもなければ、こちらがバトルで何か卑劣な手を使った訳でもない。
更に言えば、ガンプラバトルで勝敗が決まる戦いをしたことがある訳でもないのだ。であれば、何故彼女にここまで目の敵にされているのか……。
「エイゼンシュテイン氏、すまない。確かに私は貴方と幾度かガンプラバトルをした事があるが、乱戦やチーム戦が多かったもので、少しその辺りの記憶が……。何か失礼をした事があっただろうか?」
四代目メイジン・カワグチの何気ないその言葉に、エイゼンシュテインの眉がつり上がった。
「貴様……本気で私をバカにしているようだな……」
「いや、だからそういう訳では……」
「私はこれでも、ロシアでも指折りのファイターだと自覚している。それは実際にトーナメントでの優勝経験や、スポンサーが付いている事からも証明されていると言ってもいいだろう。その事に私は誇りを持っているし、それが私の技量の証明だとも思っている。だが――――」
エイゼンシュテインは再び四代目メイジン・カワグチへと人差し指を突きつける。
「――――貴様は、そんな私と戦う度、いつもいつも軽く子供をあしらうかのように私をいなし、さも当然と言わんばかりにあの忌々しいソラン・エニアクルとの対決へと流れを進めてしまうではないか!」
「そんな事は……いや、確かにソラン・エニアクルと最終的に戦闘状態に入ってしまう事は認めるしかないが、それは彼がそれ程の技量を持っているからであって、決して貴方に対して粗雑な対応を取った訳ではないんだ」
「ふん! 口で言うだけならば何とでも言えるだろう。……まあ、良い。それも、このGBWFではあまり心配する必要はないらしいではないか」
腕を組み、すぐ近くにある他プレイヤーの"コクーンポッド"を見やるエイゼンシュテインの言葉に、メイジンはなるほどとゲームの内容を頭の中で反芻させる。
GBWFは100万人規模で行われるゲームではあるものの、そのゲーム内に構築された世界は広く、地球だけでなく宇宙空間は無論の事、コロニーや火星、木星までもがその舞台として存在しているらしい。
ある程度のスケール縮小は行われてはいるだろうが、それでも100万人という人数はその世界の大きさから考えれば少ないとも言えるだろう。
であれば、一つの戦場での対戦人数はある程度限られてくるのは明白だろうし、メイジンとの戦闘も邪魔される事は少ない。
加えて、GBWFには一対一の決闘システムはもちろんの事、闘技場のようなものまであるという話だ。彼女の言葉は、それらの事を指しているのだろう。
「であるならば、覚えていると良い! "向こう"では貴様と今度こそきっちりと勝敗をつけてやるからな!」
「ええ。それについては無論、私の全力を持ってお答え致しましょう」
「当然だ! "向こう"では首を洗って待っていろ。すぐに貴様を見つけて、決着をつけてやる。絶対だからな!」
伝えたかった事は全て言い終えたのか、そこまで言うとエイゼンシュテインは与えられた"コクーンポッド"へと戻って行く。
その背中を眺めたメイジンの口からは、緊張の糸が解けたのか小さい溜息が零れる。
メイジン自身女性は嫌いではないが、流石にあの性格と口調で真っ向から宣戦布告されるというのは、いささか気を張るものだったようだ。
彼の心の疲れを表すかのように、左手で少し傾いていたバイザーの位置を直すと、手の空いている白衣の社員に声をかけ、専用のウェアを受け取った後、室内に設けられている更衣室へと向かった。