宵闇よりも遥かに暗く、そして冥い空間の中央に、男が一人佇んでいた。
男の姿は白衣。素材やデザインは少し違うが、GBWFをプレイする為の根幹たる"コクーンポッド"に付いていた男たちと格好は非常に似通っている。それが、ゲームの運営に関わりのある立場にあるという事を証明していた。
ドーム状に広がる天井を見つめ、両腕を広げた男の双眸が、静かに細く形を変える。
「さぁ……、楽しい楽しいゲームを始めよう」
男の口元が、三日月形に歪んだ。
瞼を閉じると大きく息を吸い込み、ゆっくりと時間をかけて肺の中に取り込んだ空気を吐き出す。その動作に意味は無いのだろうが、やけに男の格好に馴染んで見えた。
やがて最後の一滴まで絞り出すかのように、長い深呼吸を終えた男が腕を下ろし、その口が徐ろに開かれる。
「眠れ、"ルルイエ"。おやすみ、"ルルイエ"。誰も届かぬ世界で」
彼の言葉が何を意味するのか、それは分からない。
けれども、彼の言葉が何か重要な価値を秘めているのだという事だけは、その節々からどこか読み取れた。
男は、さらに笑みを深める。空間の中央、暗闇の中で青白く光り始めたその機械へと、優しく、愛おしそうに、そうして視線を送るのだ。
「これで、私と彼の望む世界が手に入る。始まるんだよ、クリス――――」
――――男は笑う。嗤う。嘲笑う。この後に起こる、悲劇の始まりを知っているかのように。
***
10分程前、強気系ポニーテールな銀髪美女であるところのイリーナ・エイゼンシュテインの新たな一面を知る事の出来たアカギ・K・ヒジリは、中央公園を抜けて街の中へと入っていた。
ビルの立ち並ぶ路地を、スマートフォン型携帯端末にプリインストールされているマップアプリを頼りに歩く姿は、今時の若者と言えるかもしれない。
「この信号を渡って、500m先を左……あっ」
端末を見る視界の上部に、横断歩道が見えた。
ヒジリの目の前には十字路の片側二車線の道路があり、車道用の信号機が青になっているため目の前を何台もの車が通り過ぎる。かなり高度なAIを搭載したNPCによって運転される未来的なデザインのその車達の動きは、現実世界のそれと大差がないように見えた。
一方、歩行者用信号が赤のままな事に気づいたヒジリは、端末から目を離すと一度立ち止まり歩行者信号用のセンサーに手をかざす。
「こういうところは、やけに先進的というか、何というか……」
基本的なインフラは同じだが、その機械が押しボタン式からセンサー式に変わっているという現実との差異に、毎回驚きを覚えるのが新鮮で楽しい。
現実世界では未だ多くの場所で、耐久性やアナログ故の動作の信頼性から、歩行者用信号では押しボタンが使われているため、こういったセンサー式とはまだ一度も出会ったことがなかったのだ。
一度反応してしまうと反応しない事は分かっていたが、ついセンサーに手をかざしたり離したりしてしまっていると、目の前の歩行者用信号が青へと変わった。
横断歩道を渡ると、ヒジリは歩道の端に寄って端末のスリープを解除し、バックグラウンドで待機していたマップアプリを立ち上げた。
ナビモードの起動しているマップを操作し、その先のルートを表示させる。
「流石に、歩きながらってのは危ないしな……。えーっと、この先の十字路を左に曲がって、その先を右か。ん? もしかしてこれって……」
端末の画面をスワイプしてマップを動かすと、そこでヒジリはある事に気づいた。
拡大されたマップには所謂一般道と呼ばれる道だけでなく、路地裏などの細く狭い道も表示されているのだが、ナビに従って大通り側を進むよりも、計算してみると路地裏を通った方が目的地への距離が近いようなのだ。
その道を通れば、少し入り組んでいて表通りからは外れてしまうが、時間も距離も短縮出来るため、ヒジリはすぐにその路地裏を通るルートを使う事を頭の中で決定した。
「イリーナさんの事もあったし、スタートのタイミングもソランに先を越されてるから、なるべく早い方がいいよな……」
マップアプリのナビモードを停止し、画面を現在地へと戻す。彼が通ろうとしている路地裏の入り口は、彼のいる場所から100m程先の場所だった。
路地裏から抜けるところまでの道順を記憶し、端末をスリープモードへと落として、ジーンズのポケットへと仕舞う。少し歩き、すぐに路地裏の前へと辿り着いた。
「一度こういう所に入ってみたかったんだよなぁ。アニメとか漫画だと良く出てくるんだけど、どうにも車やバイクを使うようになるとダメだね。その機会を自分から捨ててしまってる」
いかにもなアンダーグラウンド感の漂う目前の風景に、感嘆の声が漏れた。
現実世界では普段から文明の利器に頼りきりになっているため、未だ数多に存在する実際の路地裏というものにはめっきり遭遇する機会がなかったのだ。現代文明とは、そういったものと出会う機会を奪ってしまうのだから、それも少し考えものかもしれない。
そんな瑣末な事を思い浮かべながら、ヒジリは路地裏へと足を踏み入れる。最初の十数メートル程で、すでに辺りは薄暗くなり、道の狭さと相まってなんとも言えない"らしさ"を感じて、思わず表情が崩れた。
「こういう所って、仮想世界でもロマンに溢れてて、なんかこう……心にグッと来るものがあるな。何かイベントが起こりそうな雰囲気もひしひしと感じるし、それにちょっと冒険みたいで楽しいというか」
両横を囲うビルの壁面や、そこを走るパイプ管などに視線を這わせ、その造形のリアルさを楽しむ。本物と言われても信じてしまいそうな程の、堆積した汚れや傷すら表現されたそれらにヒジリは感動すら覚えた。
「普通、こういう部分って表現を省略されたりするものなんだろうけど、汚れとか……指で触っても分かるもんな、これ」
すぐそばに走るパイプ管の表面を人差し指でなぞると、指先に付着した汚れのエフェクトの感触を確かめるように親指とこすり合わせた。
普通なら殆どの人間が気にする事などない場所であるにも関わらず、緻密に作り込まれているというのは、もはや驚嘆すら抱かせる程だ。
その些細だがこだわりを感じさせるリアルさが、予算を出資した企業や開発スタッフ達が、どれ程このGBWFというゲームの開発に本気で取り組んでいるのかを示す小さな指標になっているようにも思えた。
一通りエフェクトのリアルさを堪能すると、指先をズボンで払って、再び端末を取り出しカメラアプリを起動させる。
「折角だし、こっちの世界の写真も撮っとかないとな……っと。データはさサーバーを経由して"コクーンポッド"のストレージに記録されるって言ってたし」
端末を横向きに持ち、カメラを先程のパイプ管や建物の裏口へと向ける。
これ程のリアリティ、写真に収めてベータテスト終了後に現実世界で感想を待つ知り合いや、全国のガンダムファンにSNSで伝えても罰は当たるまい。それに、写真をゲーム終了後に公開してはいけないとは言われていないし、マニュアルにも書かれてはいなかったのだ。ならばきっと、その程度は構わないという事なのだろう。
自らの心中でそう結論づけ、歩きながら次の被写体を画面越しに探している、その時だ。
「――――だから、私達はあなた達に付き合う気もなければ、そんな暇もないと言っているでしょう!」
ヒジリの進行方向、路地裏の先から、女性の声が聞こえてきた。口調からして、少し怒っている様子なのは姿が見えなくとも分かる。どうも、この先で面倒な方のイベントが起こっているらしい。
溜息を一つ吐くと、端末をポケットへと戻し、ヒジリは路地裏を進む。
「でもさぁ、君らってこういうゲームには不慣れなんでしょ? 見てて分かったよ」
「……そんなの、あなた達には関係のない事よ。本当に迷惑なの。付きまとわないでくれるかしら」
声が近づき、会話の内容が鮮明に聞こえてきた。察するに、男性の側が女性に絡んでいるのだろう。所謂、ナンパという奴だ。
(ゲームの中でまで、ナンパなんてバカな真似してんじゃないっての……)
内心で独り言ちながら、歩みを緩める。声が聞こえてくるのは、曲がり角の先ようだ。
壁に背をつけて、ゆっくりと顔を出して先の様子を覗くと、そこには二人の女性――――外見から見て10代後半だろう黒髪の少女達と、見るからに軟派そうな面持ちの男性が二人の姿が見えた。
「そんなツレない事言わないでさぁ、俺たちならこういうゲームも詳しいし、色々とアドバイス出来ることもあるだろうからさ」
「そうそう。それに、女の子二人だと色々と面倒事に巻き込まれる事もあるかもしれないし、ね?」
男性の片割れの内、茶髪の男が白いカチューシャをつけた少女へと近づき、あまり体が触れないような形で肩を回す。
同時に打ち合わせでもしていたかのようなタイミングで、もう一人の金髪の男が後ろでこの状況に対し狼狽えている別の少女の逃げ道を塞ぐように、少女の目の前に立つと、その顔に嗜虐心の滲み出た笑みを浮かばせた。
(やらしい手を使いやがって……。あれじゃ、ハラスメント防止用の警告は出やしないな……)
睡眠や買い物など、プレイヤー達に休息を提供する場である街中では、プレイヤーの安全性確保するために、男女間における過度な接触行為や暴力行為が行われないように、一定の状況下や接触具合によって発動するハラスメント防止用の警告がGBWFには実装されている。これはマニュアルにも明記されている他、チュートリアルでも説明がされていたものだ。
だが、ヒジリの視線の先に映る彼らはそれらを知った上で、恐らく"過度な接触にならない範囲内"で少女たちに触れ、同行を強要しようとしているらしい。
このままでも街の外に連れ出されなければ、彼女達に物理的な危害が加わる訳ではないだろうし、そもそもゲームなのだからそういった行為に対するセーフティシステムは他にもあるのだろうが、精神的に彼女達が苦痛を覚えるだろう事は、嫌がっている姿を見れば明白だ。
もう一度、今度は深呼吸のような長く深い溜息を吐くと、ヒジリは覚悟を決める。
("お前"なら、たぶんもっとストレートに蹴散らすんだろうけどな……)
端末を取り出してカメラアプリを起動し、バレないように消音へ設定すると、端末だけを壁の角の先へと出して、男たちの姿と、嫌がる少女の姿が全てはっきりと映るように動画の撮影を開始した。
「さ、触らないで! 人を呼ぶわよ……!」
「こんな場所に人なんて来ないって。それに、そんなに触ってないから良いでしょ。ほら、システム警告も出てないし、セーフだってセーフ」
「俺ら優しいからさぁ、そういう事したくないんだよね。ただ仲良くなりたいだけだからさ?」
「じゃ、じゃあどうしてあなたは道を塞ぐんですか……!」
狼狽えていた少女が、彼らの行為を非難するように口を開く。
それを見た金髪の男は、さらに笑みを深めると、少女へと近づいた。距離が詰まり、男と少女の体格の差が明白に見て取れる。
「だからさー、ただ君らと仲良くしたいだけなんだってば。ちょーっと外まで付き合って、クエストこなしてくれるだけでいいからさぁ?」
「……っ! いや!」
悲鳴に近い声を上げ、少女は肩に触れようとした金髪の男の手を振り払う。
男慣れしていないのか、そうして金髪の男から距離を取ると、少女はカチューシャの少女へと身を寄せた。
(こんだけ撮れば、十分だな……)
ヒジリはそう判断すると、録画を止めてアプリを閉じて路地の角から顔を覗かせる。
見ると、少女に手を振り払われた男の表情は、少女が取った行為への苛立ちが見え隠れするものへと変わっていた。あまり気の長い方ではないのだろう事は、その外見からも見て取れるが、どうやらその季の短さは筋金入りのようだ。
今にも少女に手を上げそうな男の表情を影から窺い、ヒジリは端末のギャラリーアプリを起動させると、そこでようやく少女達の前へと飛び出した。
「はいはい、そこまで。そこまでだから。お兄さん達もストップしてくれよ」
「あぁ? なんだお前? 何の用だよ」
少女たちに向けていたものとは別物のような荒い口調で問うてくる茶髪の男に、ヒジリは視線を向ける。
「いやあね、そこの角の手前くらいから聞こえてきてたんだけど、お兄さん達その子達にちょっかい出してるみたいじゃない? ちょっとそれを止めようと思ってさ」
「は? ちょっかいなんか出してねえよ。ただクエストにこの後一緒に行かないかって誘ってるだけだし、それに文句つける気かお前?」
「へぇ……、誘ってるだけ、ねえ……」
苛立たしげに視線を寄越す男達を前に、飄々とした態度でヒジリは話す。
そんなヒジリの態度に更に彼らは苛立ちを募らせているようだが、それはヒジリには関係なかった。なるべく、男達に絡まれていた少女達が安心するような、余裕のある男を演じようという考えの元で、その態度を取っているのだから。
言葉の途中で視線だけを少女達へと向けると、少女達は男達と同様、ヒジリへと視線を向けている。不安げな彼女達のその目が、ヒジリの更なる原動力へと変わった。
「俺には、どうもこれが"ただクエストを誘っているだけ"には見えないんだけどなぁ……?」
「あ、て、テメェそれは……!!」
片手を上げたヒジリの手に握られている端末の画面を目にした金髪の男が、そこに映る映像を見て声を上げる。
そこには、金髪の男に迫られ、伸ばされた手を振り払う少女の姿が映っていた。無論、そこにはカチューシャの少女や茶髪の男の姿も映っている。
「そこで隠れて撮ってやがったのか……! この野郎、汚え真似をしやがって……ッ!!」
「汚い真似をしてるのはアンタらの方だろ。寄ってたかって、女の子二人に絡んで。困ってるのが分かんないのか?」
言うと、録画映像の再生が終わった端末を仕舞って、ヒジリは続ける。
「やってる事が小物なんだよ。モテないからって、ゲームの中でまで女の子に手を出してんじゃねえっての」
「んだとコラァ! ぶん殴られてえのか!」
「やれるものならどうぞ。まあ、そういう行為は禁止されてるし、そもそもシステム上で出来ないようになってるからアンタらには何も出来ないだろうけど」
そこで、不敵な笑みを男達へと向け、
「あと、もうアンタらのIDと顔は控えたし、ついでに言うと通報も済ませてるから、そろそろポリスNPCがやって来るんじゃないかな。このゲーム、そういった行為への対応って早いらしいからね」
そうしてヒジリは親指を立てて、後ろを指差す。
街中で暴力やセクシャルハラスメントなどの違法行為を行った場合に、警告の発動やプレイヤーからの通報によって駆けつける治安用NPCが、今にも来てしまうかもしれないぞという意味をヒジリは言外に、その仕草に含ませる事で男達に伝えていた。
その仕草の意味が伝わったのか、男達が後退る。NPCポリスに逮捕されれば、投獄されるだけでなく、ゲーム内で一定期間前科持ちを意味するアイコンが頭上に表示されてしまう。投獄による時間の無駄な消費よりも、そちらの方が彼らにとっては都合が悪い事は間違いないだろう。
「クソ……! 余計な事しやがって……」
「おい、とっとと行っちまおうぜ。流石に捕まんのはヤバイって……」
「分かってる! ……テメェ、顔は覚えたからな。次会った時は覚悟しとけよ!」
悔しげに男達は顔を歪めると、さも台本でもあるかのようなテンプレートに添った捨て台詞を吐くと、脱兎の如くその場を去っていった。どうやら、手を出すのも早ければ、逃げ足も早いようだ。
「はいはい……、一時間くらいは覚えとくよ」
走り去る男達の姿を見送ってから、ヒジリはその背中に軽く手を振った。その後軽く息を吐くと、思った以上にすんなりと事が運んだ事に、そっと安堵する。
「ま、NPCの件は全部ブラフなんだけどな……」
ブラフ、要するに先程の言葉は全てこけおどしの嘘八百だったという事を小さく自白しながら、少女達へと顔を向ける。
カチューシャの少女はともかく、年下と思わしき少女の方は少し怯えていた様子だったが……。そう思いながら少女へと視線を移すと、案の定少女達はヒジリから少し距離を取り、警戒している様子だった。
年下らしき――――頭上に浮かぶアイコンから見るにクジョウ・ミユというらしい少女の方に至っては、カチューシャの少女――――コノエ・オトハの後ろからこちらを窺っているくらいである。
困ったように頭を軽く掻き、ヒジリは弁明を開始する。
「あー、そう警戒しなくても良いって。ほら、何もしたりしないしさ」
両手を上げて危害を加える意思のない事を少女達にアピールし、出来るだけ無害そうな柔和な笑みを浮かべた。
敬語は、少女達の年齢が恐らく同年代か年下だろうという事もあり控えておく。
「別に何か意図があって現場に割り込んだ訳じゃないし、俺も行きたい所があって、近道だったから偶然ここを通りかかっただけなんだよ」
「……いえ、たぶん、きっとそうなんだろうなという事は想像がつきました。私達も、近道だからこの路地裏を選んだだけですし」
「察してくれて何よりだよ。でも、君達もたまたまここを通ったってだけなら、なんでさっきのヤツらは君達に絡んでたんだ? まさかアイツらも同じ理由で……?」
顎に手をやり、ヒジリは暫し考え込む姿勢を取る。すると、そんなヒジリへミユという少女から声が飛んだ。
「その、きっと違うと思います。先程も実は、あの人達の顔は見た覚えがあったので……」
「って事は、君達はアイツらに目をつけられてたって事か。んー……まあ、君達って二人揃って綺麗だから、面倒な輩を引き寄せやすいのかもね」
素直にそう口にしたヒジリの言葉に、照れたように年下の少女は視線を逸らす。カチューシャの少女も同様に少し照れていたようだったが、仕切りなおすかのように咳払いを挟むと、会話を再開した。
「ミユの言った通り、私もあの男達の顔は見覚えがありましたから、きっと私達がこの路地裏に入ったタイミングで、チャンスだとでも言わんばかりに声をかけてきたんでしょう。本当、考える事が一から十まで汚らわしい……」
オトハという少女は、忌々しいと言わんばかりの表情を貼り付かせる。
眉間に皺を寄せ、端正な顔に怒りを滲ませるオトハの姿を見て、余程腹立たしかったのだろうと納得し、ヒジリは続ける。
「とにかく、ここで会ったのも何かの縁だし、君達の今後についても色々と心配だから、NPCへの通報先を教えとくよ。ちょっと端末借りれる?」
「え、その……」
「大丈夫、変な事はしないよ。ちょっとメモを使うだけ」
「それなら、まあ……」
ヒジリの説明に了承してくれた様子オトハから端末を受け取ると、なるべく不要な情報は見ないように注意しながらメモアプリを立ち上げて、新規データを作成。そこに箇条書きで通報方法を纏めるとデータを保存。オトハへと端末を返した。
「はい。とりあえずこのメモに書いてある"11010"ってところへ電話をかければ、プレイヤーの状況を自動的に判断して、必要そうならNPCが来てくれるようになってるから、何かあったならそこにかけて。ワンタッチで電話がかけられるようになる方法も書いてあるから、必要ならそっちも使ってね」
「あ、はい。ありがとうございます……」
マニュアル情報を惜しみなく活用したヒジリに対し、オトハは礼儀正しく頭を下げる。角度は綺麗に45度だ。
「礼なんていいよ。流石に、二度も三度もさっきみたいなのに絡まれたくないでしょ? あと、街の外に出た時のために護身用に拳銃と、あと防犯ブザーくらいは買っておいた方がいいかもね」
「銃、ですか? 護身用ならそれよりも、出来れば木刀辺りがあったら良いんですけれど」
「木刀……はあるかどうかは微妙なところだけど、もしかしたらあるかもしれないから、一度この街のショップを回ってみると良いよ。ゲーム内マネーは初期配布分を持ってるだろ?」
「はい。えっと……10000マニー、かしら。ちゃんと持ってるみたいですね」
端末で所持金額を確認し、オトハは頷く。
10000マニーは、ゲーム開始時に配布されている金額としては満額となっている。これなら、最低限の装備は整えられるだろう。
「なら大丈夫そうだね。ショップの場所は端末からマップで見る事が出来るから、それを見てくれると良いかな」
「分かりました。じゃあ、そうしようと思います。他には何かありますか?」
「頼りにしてもらえて嬉しいよ。そうだね、後は……少人数でこんな路地裏には入らないように、って事を言っときたいくらいかな」
「そう、ですね。この子にも怖い思いをさせてしまったし、これからは気をつけるようにします」
後ろに隠れたままのミユを抱き寄せ、オトハは苦笑を浮かべた。恐らく、オトハがミユの保護者的な立場にあるのだろう。苗字が違うため血の繋がりはないようだが、その姿は仲の良い姉妹にも見えた。
その光景に心温まるものを感じつつも、ヒジリは自分の端末にマップを表示して目的地のショップの位置を改めて確認する。
「それじゃあ、そろそろ俺は行くけど、さっきみたいな事にめげず楽しんでね。またどこかで会う事があれば、その時はよろしく頼むよ」
「ええ、色々とありがとうございました。アカギ……さんで良いのかしら? こちらこそまた会った時は、よろしくお願いしますね」
「あの……、ありがとうございましたっ」
二人からの礼の言葉に、ヒジリは微笑みをもって返答する。
オトハの背中から離れ、こちらへと頭を下げるミユの姿を一瞥すると、「じゃあ」と手を振り、ヒジリは二人と別れて路地裏を出るため駆け出す。
途中で一度、オトハからの感謝の言葉が投げかけられたが、その言葉には手を上げて返す。そんなヒジリの背中を、少女達は強くその瞳に焼き付けていた。