「ほ、ほんとにここで狩りをするんですか……?」
迷宮の中層――霧と腐臭に満ちた空間にエリカのか細い声が響いた。フードからのぞく顔は蒼褪めており、どこかから呻き声が聞こえる度に、びくりと肩を震わせる。
「お、お金ならある程度用意できますし、それでよかったんじゃ……」
「ここに来るまでに何度も説明しただろ。あいつは変人だから、金を積んでも何も教えてくれない。『死体泥棒』の情報が欲しければ、あいつが欲しがるものを用意しないと駄目だ」
迷宮街において、情報は非常に高価だ。各階層のマップは言うまでもなく、魔物の特性や弱点、冒険者の動向等、様々な話に値段が付けられ、情報屋によって売買されている。
俺の言う心当たりは情報屋ではないが、タダで話をしてくれるほど暇な人間ではない。おまけにだいぶイカれているので、情報を得るためには、金の代わりにそいつが欲しいもの――屍食鬼(グール)の血肉を持参する必要があった。
「一日中篭る必要はないから、我慢してくれ。それに、慣れればここもそんなに悪くないと思えるぞ?」
「あなたみたいな変人と一緒にしないでください……!」
抗議してくるが、取り合ってやるわけにはいかない。恨むなら生徒会長を恨んでほしいものだ。
全階層が堅牢な石畳の回廊で構成される上層とは違い、中層以降は各階ごとに様々な特性を持っている。この階層はだだっ広い空間になっており、霧に覆われているため見通しがきかないが、もともと視覚に頼らず索敵をする俺にとっては、あまり関係のない話だ。エリカは既に涙目になっているが、俺を良いように使おうと言うのだから、このくらいは耐えて欲しい。
「とにかく進むぞ。ここにしては珍しく付近に魔物の気配はないが、適当にぶらぶらしてれば、そのうちグールも湧いてくる」
「わ、わかりました」
泥濘の中を湿った足音を鳴らしながら俺の先導の元に進んでいく。
地面は沈みこむほどぬかるんではいないが、滑る上にいちいち靴底に纏わりついてくるためとても鬱陶しい。おまけにところどころ深い泥沼になっているため、足を踏み出す先を選ばないと、嵌まり込んで身動きがとれなくなってしまう。
硬い床の多い迷宮にあって、この手の地面は珍しいため、慣れない人間は苦労する。エリカは丈の長いローブ姿だから、裾に泥が絡んで余計に歩きにくそうだ。もともと後衛型ということもあってか、少しも進まないうちに肩で息をし出していた。
見かねてローブを脱いだほうが良いんじゃないかと助言してみるが、返答は「嫌です」の一言。手を貸そうかと尋ねても、「結構です」と一蹴される。ほぼ初対面に近いはずなのだが、俺も嫌われたものだ。状況のわりにまったく頼ろうとしてこない。
本人がそれでいいならいいのだが、此処でもたもた歩いていると――
「え?」
不意にエリカが困惑した声を上げる。
ああやっぱりかと振り向けば、恐怖に目を見開いたエリカと視線がぶつかる。
「言ってなかったか」
意図して意地悪な笑みを浮かべて言い放つ。
「屍食鬼(グール)は地面から産まれるから、もたついてると、裾掴まれるぞ?」
俺の目線の先では、エリカのローブの裾を黒ずんだ手が握り締めていた。
「ひっ!」
短い悲鳴を上げ、エリカが逃げ出そうとするが、服を掴まれているためにその場で転倒してしまう。彼女の到達階層から考えれば、グールなど取るに足らない相手だと思うのだが、本当に苦手なようで冷静さを失ってしまっている。この様子じゃだめだな。
「俺が片付けるから、おとなしくしてろ」
彼女の傍に駆け寄り、グールのぬめった手首を掴む。滑らないよう注意しながら、一気に引き抜いてやると、少しの抵抗感とともに地面から姿を現した。
俺よりも少し小柄なグールは、粘り気のある液体に覆われて、表面がてらてら光っている。腕を捕まれ宙吊りにされたまま、黄色く濁った瞳で俺をねめつけ、がちがち歯を鳴らした。久しぶりに間近で味わう強烈な腐敗臭に思わず顔を顰める。
さてどう料理してやろうかと考えていると、蒼を通り越して白くなったエリカがその場で胃の中身をぶちまけ出した。……さっさと片付けた方がよさそうだ。
グールは一度に襲ってくる数が厄介なだけで、腐敗した身体は非常に脆い。空いた方の手で首を掴み力を込めてやると、容易に握り潰すことができた。そのまま首と胴体を引きちぎり、動かなくなったそれらを地面に放り出してやる。頭と胴が泣き別れになっても即死とはいかず、泥の中で手足をばたつかせるが、もはや脅威にはならないだろう。
周囲の気配をうかがい、グールの出現が一体で打ち止めになったことを確認した上で、臨戦態勢を解除する。
蹲るエリカの方へ目を向けると、荒い息を吐いていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫……じゃない……」
「だろうな」
助け起こすために手を差し出してやるが、エリカは見つめるばかりで俺の手を握ろうとはせず、自力で起き上がった。グールを掴んだばかりだったので無理もない。
「グールは苦手か?」
「見ればわかるでしょう……」
恨めしそうに俺を見てくるので、口をゆすぐための水を渡してやる。迷宮内で水や食料は貴重なので、本来であればあまりこういう使い方をするべきじゃないが、今回は仕方ないだろう。
エリカが口内を洗浄する間に、俺は早速グールを解体しにかかる。首を引きちぎったことで体液が漏れ出てはいるから、あまり悠長にはしていられない。
短刀を取り出し、まずは胸部を切り開いて、心臓をつかみ出してやる。どくどくと脈打つそれを見せ、「不死者(アンデット)って言ってもちゃんとここは動いてるんだよ」とエリカに説明してやると、さっき飲んだばかりの水を胃液とともにまた吐き戻し始めた。かわいそうに。
心臓が痙攣しているうちに管を斬り、潰さないように握り締める。黒ずんだ体液が出てくるので、それを小瓶で受けて溜める。体液を搾り取った後は、内臓をそれぞれ取り出し、別々の瓶に詰めていった。めぼしい臓器を採り終えたら、後は腐肉を削ぎ落とし、袋に詰めていくだけだ。このグールは小ぶりではあるが、丸々一体を余すところなく剥ぎ取ったので、十分な土産になってくれるだろう。
骨まで残さず収集し、一仕事終えた気分に浸っていると、ようやく立ち直ったエリカが話しかけてきた。
「見苦しい姿を晒してしまい、申し訳ありません」
「気にすんな。大抵のやつがそうだから、俺みたいなのが食い扶持を稼げてたんだしな」
好き好んでここに篭る人間は迷宮街でも皆無だ。だからこそ、俺はグールをほぼ独り占めすることができ、中々有意義な時間を過ごすことができたのだ。
「今日はやけにグールが少ないみたいだが、いつもはもっとたくさんいるから、ここでの狩りもけっこう楽しいもんだぞ。あいつらわらわら押し寄せてくるから、片っ端から斬れるし」
「普通は魔法で焼き払うと聞いたのですが……」
「それじゃ面白くないだろ」
エリカが言うやり方は、一般的なパーティが選択しようとするここの攻略法であり、グールに近づかずに済むことが利点だ。もっとも、魔術師の負担が大き過ぎるため、初回攻略に挑むレベルのパーティにとっては、あまり現実的な手段ではない。
今の会話で確信したが、エリカはここを避けて次の階層に進んだようだ。
中層以降は、上層と違って、その層すべてが同質の領域にはなっていない。グールが湧くこの場所も、絶対に通過しなければならない場所ではなく、同じ階層の他の領域を踏破すれば、次の階層に進むことは可能だ。それゆえ、この領域は余計に人気がなくなっている。
「……あなた、ずっとこんなことをやってたんですか?」
「他にやりたいこともなかったしな。さっきも言ったが、慣れればそんなに悪い場所じゃないし、けっこう儲かるんだよ」
水で手を濯ぎながら応える。
「さて、情報料にはこれで十分足りると思うが、小遣い稼ぎにもうちょっと狩ってくか?」
そう問いかけると、エリカは何やら思案顔だ。
「……あの、さっきの話なんですけど、今日はやけにグールが少ないんですよね?」
「まあそうだな。俺がよく潜っていたときは、次から次へと襲ってくるのが普通だったから、こうやって落ち着いて会話ができるような場所ではなかったよ」
「そうですか……」
グールは泥の中から産まれてくる。ここは一面泥の海なので、グールはどこからでも出現しかねない。対グールの戦闘において、注意しなければならないのは相手の数だ。一体一体はさほど脅威ではないが、物量で押し切られかねないのがグールの厄介さである。
俺自身気づいていないわけではないので、エリカが考えていることはわかっている。先ほどの戦闘だって、一体を倒したところですぐに終わりになるのは正直に言って意外だった。
理不尽な変化に満ちた迷宮にあっても、変わらないものは変わらない。
過去の経験から言って、こういうときは大抵他のパーティが派手に殲滅した後だったりするのだが、魔術を行使した後に残る魔力の残滓は感じられない。俺のように力技で殺し尽くした可能性もなくはないが、見込みのある推理とは言えないだろう。
「会長が言ってたこと、覚えてます?」
「黒魔術師がグールをどうのこうのって話だろ。たしかにおかしなことは起こっているようだが、それとこれと安易に短絡させるべきじゃない」
「ですが、すべてを偶然で片付けられるとも思えません」
「そうだな。だからこそ、調査が必要だ。必要なのは事実であって推測じゃない。手始めに、ここから虱潰しに確認しよう」
言ってから、頭の中で計画を練る。階層の広さに対して、エリカを連れて歩いた場合の移動速度を考慮し、探索に要する時間を計算する。本格的な探索を想定していないため、手持ちの資材は多いとは言えない。最寄りの転移装置までの距離を踏まえると、一日ですべてを回りきるのは避けたほうが良さそうだ。
とりあえずの計画を説明しようとしたところ、エリカがまた顔色を蒼くしている。
一度視線を自分の足元に落とてみせてから、何かを訴えるように俺を見た。エリカの足首を泥から生えた手が握っている。問題はそれがただのグールの手じゃないこと。汚れてはいるが、腐ってはいない白い手。
なんとかしてくれと、声を出さずに懇願される。
俺自身困惑しながらも、いつもの要領で引き抜いてやれば、学園の生徒と思しき男が姿を現した。
身体を地面に横たえてやり、状態を確認する。
瞳は固く閉じられ、全く反応がないが、呼吸はしている。全身に目立った外傷はなく、ただ泥の中で眠っていただけという様子だ。
「おいおい……」
さすがにわけがわからない。グールの代わりに人が湧くなんて、いままでの経験にもない事態だ。
「この人、生きてますよね?」
「少なくとも息はしている」
「学園の生徒ですよね。なんでこんなところにいるんでしょう」
「わからん。ただ本人の意志じゃなさそうなのは間違いないな」
身に着けている装備から男の素性がわからないかと探ってみるが、はっきりとした手がかりは得られない。鎧の表面等、おそらく所属しているギルドの紋章があったであろう場所は、ご丁寧にも削り取られていた。懐を漁ってみても、生徒手帳の類は見つからない。
「すぐに正体がわからないように、誰かが細工したんでしょうか?」
「本人がやるとは思えないから、そうだろう」
「この人、ひょっとしてグールになっちゃってるんでしょうか……」
「違うんじゃないか。グールは魔物だが、こいつはどう見たって人間だ。もっとも、見た目だけってことも十分ありえるが……」
「目を覚まさないですね」
「叩き起こしてみるか?」
問いかけると、ぶんぶんと首を振って否定される。怖いのか。
「何らかの魔術が行使された反応は?」
「感じ取れる範囲ではありません……。少なくとも、魔術的な手段で昏睡させられているということはなさそうです。連れ帰って調べれば何かわかりますか?」
「おそらくな。普通の病院はだめだが、知り合いに解剖マニアがいるから、そいつに看させれば何かしらわかるはずだ」
解剖マニアことエルの顔を思い浮かべる。あいつなら嬉々として心臓を抉り出すに違いない。
本来であれば病院送りが妥当なのだが、こんな場所で泥の中から見つけた人間だ。正体不明なのは事実だから、あまり大っぴらに連れ帰るのは避けたい。迷宮街に無断で魔物を持ち込むのは重罪だ。こいつはグールではなさそうだが、だからといって魔物じゃない保証はない。
「ケルコフに頼んで、行方不明者ないし死亡者の名簿を取り寄せてもらえ。それと突き合わせれば、これがどこのどいつなのか、特定するのは難しくないはずだ」
何かの参考になればと、男の現れた地面の泥を瓶詰めし、持ち帰る用意をする。男を担ぎ上げ、撤退の準備を整えた。
帰りにグールに襲われたときは頼むぞとエリカを見やれば、早くも杖を抜いて魔力を漲らせている。現れたら即超火力の魔術をぶち込む気だろう。げんなりしつつ、役割を逆にすればよかったと後悔の溜息を吐いた。