新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完) 作:EKAWARI
今回は‘彼女’回です。
ところでうっかりシリーズ内ではジルと龍ちゃんの扱いがあれですが、俺はあの二人ふつーに大好きだったりします。まあ、なんだ。好きだからって出番が多いとは限らないのさ。
side.衛宮切嗣
一仕事を終え、アーチャーが作ったという握り飯を口にする。
「…………」
時間を置いたというのに、それは馬鹿みたいに美味くて泣きそうになる。食べ手のことを考えて作られたそれはあの日の朝飯と同じように、暖かくて、作り手の優しさや人間性が言葉にしなくても伝わってくるようだ。
英雄なんてものは所詮は殺人者だ。わざわざ崇め奉るような存在じゃない。ただお綺麗なお題目で衆人を惑わして、誰よりも数多くの人間を殺してきた存在、それが英雄なんだから。僕からしてみれば、英雄なんて存在は忌々しいだけだ。
けれど、あの子、あの白髪褐色肌のサーヴァントを英雄にしてしまったのは他ならぬ僕なのだ。それが重く胸を圧迫するようだった。
こんなに暖かくて優しいものを作れるあの子を、血塗れの道に引きずり込んだ。
あの冬の城で、イリヤといた姿を思い出す。
普通の家族のように、イリヤを優しく諭して、世話を焼きながら見守っていた姿。まるで本当の姉妹のようだった。あれが本当のあの子なんだろう。なら、あれを歪めたのは僕だ。
きっと僕が子供の頃に夢見た
それをした僕は平行世界の別人かもしれない。彼女の養父で、正義の味方という夢を語った僕は厳密には此所で生きている「僕」とは他人だろう。だが、それがどうしたんだ。例えそうだとしてもそいつも、僕も同じ「衛宮切嗣」であることには何も変わらないというのに。
卵焼きを咀嚼する。甘い卵焼き。彼女の人間性そのもののようだ。そんな自分の想像に、涙ぐみそうになる己を自覚する。
もし、ここで何もかも投げ捨てて逃げ出せたなら、それはどんなに甘美な誘惑か。
アイリスフィールと共に逃げ出して、イリヤスフィールも連れ出して、アーチャーもそこに、普通の家族のように……。
わかっている。色んなものを踏み躙り、代償にして生きてきた自分がそんな選択をするなんて無理だ。
そもそも、たとえ未来の我が子であろうとも、英霊でサーヴァントであるアーチャーは聖杯が貸し与えた道具に過ぎないのだから。聖杯のバックアップがない限り、魔力で体を構成されているアーチャーはこの世に留まることなんて出来ない。
この感傷はあまりにもそぐわないものだ。
「…………」
怖い。怖いんだ。
聖杯がもし本当に汚染されていたなら、その時僕はどうすればいい? 僕は何を選択すればいい?
それでも僕はやはり戦うのだろうけれど。
しかし、その時戦う相手とは誰だ?
僕のこの手で守れるものはあるのだろうか?
衛宮切嗣、その魔術の起源は『切断』と『結合』。切って嗣ぐことによって変質をもたらす者。その僕が、一体何を守れるだろうか。殺すことしか出来ないこの僕が。
それでも僕はやらなければいけない。親の罪を子供に残すわけにはいかないんだ。
ぎりっと自分の
聖杯が汚染されているにせよ、そうでないにせよ、最後には全てがはっきりする。
かちりと音を立てて僕は煙草に火をつける。先ほどまで口にしていた自らのサーヴァントの心遣いの味を誤魔化すように。
そして数日が過ぎた。キャスターによる誘拐事件は未だ終わらない。
side.遠坂凛
その日、隣町に預けられていたわたしは、決意を胸に勢い込んで、自分が育った街に戻ってきた。
この街は戦場だ。今現在冬木市では、敬愛する父も参加している7人の魔術師による争いが行われている。そんな街によりにもよって1人で夜訪れるだなんて、危険だってことはわかっている。散々言い聞かされてきたし、だからこそお母様と二人で、聖杯戦争期間中は禅城のおうちに預けられたんだってことだって理解している。
だけど、友達のコトネが戻ってこないことを見過ごすなんてわたしには出来ない。
今TVを騒がせている冬木市の児童誘拐事件。その原因は聖杯戦争だと自分は知ってる。わたしの他は誰も知らないことをわたしは知っているんだ。なら、原因を知っている自分こそが、巻き込まれた
コトネ、コトネ。わたしの大切なお友達。いつもわたしに頼りきりで泣き虫で怖がりで、でも優しかったコトネ。きっと今もわたしが迎えにくるのを待って、泣いてるわ。
だから、ごめんなさいお母様。どんなに危険だとしても、やっぱりわたしは友達のコトネを助けてあげたいの。
少しの良心の呵責、それに従って書置きだけは残してきた。そうして、今わたしは冬木駅の出口に立っている。
閑散とした街。今の時刻が夜とはいえ、果たして、この街はこんなに活気がなかっただろうか。
そんな疑問を振り払い、冬の刺すような冷たさに立ち向かうように、よしと顔を上げて、わたしは探索の為の魔力針の蓋を開く。そしてその結果に思わず眼を見開いた。
「……なにこれ?」
普段ならぼんやりと揺らぎながら震えているはずの針が、いつもと違ってせわしなくぐるぐると回転していて、薄気味悪くなる。こんなに色んなところに魔力の残滓があるというの?
でもこのままじゃいけない。立ち止まっていたところで何も変わらないんだから、とそう自分に言い聞かせてわたしは無理矢理歩き出した。けれど、そうして歩き出した先で人影がどんどん減っていくことに、わたしは間もなく気付かされることになる。
本当にこれはどういうことなんだろう。まるで知らない街を歩いているみたいで、すごく気持ち悪い。ここは本当に見慣れた冬木の街なんだろうか?
(あ、やばっ)
パトカーの赤い閃光を目にして、咄嗟にわたしは路地裏に隠れた。今ここで見つかったら、保護者をつれていない自分は連れ戻されてしまうことくらいわたしにだってわかる。だけどそれじゃあ困るのよ。
だってわたしはまだ何も成し遂げていない。連れ戻されたらコトネを探せない。わたしはあの子を探して、連れて帰らなきゃいけないんだから。だからまだ連れ戻されるわけにはいかないんだ。
やがて、パトカーは遠ざかって、ほっとして息を一つ吐いた。けれどその途端、大きな物音が聞こえて息を飲み込んだ。
発生源は路地の奥、魔力針もまた、そちらの方向を示したまま、ぴたりと静止している。それに、嫌な予感が胸を締めて、苦しいほどに息がし難い。
「…………」
何かがいる。それはもう殆ど確信といえた。じっとりと汗が肌に滲む。だってわたしはまだ幼いのかも知れないけど、それでもわたしだって魔術師の端くれだし、お父様の娘で、遠坂の後継者だ。だから、わからないはずがなかった。そこにいたのは魔力だ。異常な魔力を放つ何か、それがわたしを見ている。コトネが消えた元凶かもしれない何か。
正体を知らなきゃいけない。わたしは責任をもってそれの正体を確かめなきゃ……。
(嫌だ)
そんな理性をかき消すように、本能的な恐怖が腹の内から湧き上がる。振り向いてはいけないと、あれは決して見てはいけないものなのだと、自分の中の魔術師としての血が騒いでいる。訴えている。
(絶対に嫌だ)
ピチャピチャと、ナニかが音を立てている。その音の意味を知りたくない。でも、わかってしまった。それだけで理解してしまった。さらわれた子供達の末路が。本能的にわたしはそれを悟ってしまった。そして、自分もこのままではどうなるのかも。
(怖い……怖い、怖い!)
わかっていて尚、いやわかっているからこそ、恐怖で頭がおかしくなりそうだった。
(やめて、怖いの、知りたくない)
ごめんなさい、お父様。言いつけを破ってごめんなさい。もうしないから許して。嫌だ、耐えられないの、あれが側にいることも、自分が辿るだろう末路も、もうこれ以上は……恐怖とパニックにとらわれながら、そう思ったその時だった。
「こら、凛、君は一体こんなところで何をしているんだ!?」
見知らぬ赤い外套の女性が、何故か自分の名前を呼びながら怒鳴っていた。
side.エミヤ
あれから数日たったが、いまだ
ここのところ起きている幼児誘拐事件がキャスターの犯行であることは既にわかっている。それに苦い思いを感じてもいる。本当は今すぐにでもキャスターのような外道は滅ぼしてしまいたい。というのが偽らざる私の本心といえよう。だが、マスターの意向に従うのがサーヴァントというものだ。あまり勝手な行動も出来ない。
戦闘は行わないという条件の元の見回りではあるが、それでも誘拐される子供達を一人でも多く助けられたなら、目的としては達成だ。牽制くらいにはなるだろう。そう思って高所に立ち、鷹の目で周辺をチェックしていた。私が彼女を見つけたのもその時だった。
白いシャツに可愛らしい胸元のリボン、真っ赤なスカートに蘇芳色のコート。黒いハイソックスに、ツインテールの黒髪。幼いながらも整った勝ち気な面差し。これだけわかれば間違いようもない。
あの子は子供の頃の遠坂凛だ。そして、彼女のすぐ傍にはキャスターの手のものの姿があった。
それらを見た瞬間、既に私の中からは戦闘を行わないというアイリとの制約など消えうせていた。考えるよりも早く矢を一閃させて海魔を消すと、赤い外套を翻しながら彼女のすぐ隣に着地する。
そして私は呆れと安堵と苛立ちの混ざった声で、幼い遠坂凛を相手に説教を開始した。
「全く、君という人は、今の冬木の街は危険だと親に教えられなかったのかね!?」
そう叱ると、幼い凛はむぅーっと頬を膨らませて、私をじろじろ見ていたが、私は構わず説教を続ける。
「大体、私が見つけたからいいものの、あのままでは君がどうなったことか……と、聞いているのか? 凛」
「……あんた、誰よ」
(しまった)
ここで、漸く私は致命的なミスに気付いた。
そうだ、私が凛の名前を知っているはずがないのだ。彼女と私が出会うのは十年後なのだから。今の私が知っているのはおかしい。
その証拠に凛は不審者を見るような目で私を見ている。く……! またか、また原因はうっかりスキルか!? 私はだらだらと内心冷や汗をかきながら、「あー……まあ、その、なんだ」と口ごもった。困ったことに、こういうときに限っていい言い訳が思いつかない。
しかしもしかしたら珍しく其の日私は運に恵まれていたのかも知れなかった。
「ひょっとして、お父様の知り合い?」
少しだけ訝しげな顔を緩めて凛はそう問うた。思わぬ所から来た助け船だ。どうやら私が聖杯戦争に参加している、彼女の父親の敵サーヴァントであることには気付いていないらしい。
けれどそれを丁度良いとばかりに、わたしは誤魔化しの文句として使うことにした。アイリから教授された情報くらいでしか知らぬとはいえ、遠坂時臣を私が知っているのは、全くの嘘でもないし。
「まあ、その、似たようなものだ」
「そっか」
言うと、凛は途端にしおらしく、しゅんとした顔になった。
「心配かけちゃったわね」
「全くだ。君はもう少し自分の立場とか色々と自覚したまえ。そんなことではこちらの心臓がもたんではないか」
その私の言葉に、凛は私を見上げつつ、むっと不服そうな表情を見せる。
「あんた、お父様の知り合いってことは魔術師なんでしょ」
「む?」
まあ、魔術師としては最期まで半人前だったが、一応の分類としては間違ってはいないな。
「口調も変だし、魔術師の女なのに髪の毛だって短いし、髪は
「……凛?」
いや、そんなこと言われても。
「見た目だけでも女らしくしたらどうなの?」
……ついさっき救った相手に、何故私はそんなことを責められなくてはならないのだろう?
「凛、あのな、私は」
「ああ、もう煩い!! あんたなんか髪の毛のばしてちょっとは女らしくしなさーい!!」
そう幼い凛が叫んだ時だった。それは一体どういう魔法だったというのだろうか。かっと、光が私を包んだのだ。そう、まるで令呪で命令を受けたときのように。
全ては一瞬のことだった。そう言える。しかし、其の一瞬である一点においては劇的に私は変わってしまった。
それが晴れたあとも、見た目は私は変わっていなかっただろう。だが、私は自分で自分を解析することによって何が起きたのかを理解することが出来た。だからわかった。
そう、何故か私は、既に完成された存在であるはずの英霊でありながら、普通の人間のように髪の毛が伸びる体質に変化していたのだ。
……いや、なんでさ。
まあ、新たな呪いを受けて、内心泣きたい気持ちになりながらも、一般人になじむようような普通の上着を投影し、不審者に見えないようそれを羽織りながら、駅までの距離を凛と手を繋いで歩く。そうして、あとちょっとで駅につくというところで、凛はそっぽを向きながら「その……」と言い辛そうに口を開いた。
「なにかね?」
「今日はありがとう。その、助かったわ」
僅かに凛の頬は赤い。先ほど海魔から救われた事に対して礼をいうことが気恥ずかしいらしい。そんな凛を見て、思わず暖かい気持ちになり、笑いながら「どういたしまして。
そのとき、品のよさそうな女性が、慌てて車から飛び出し、血相をかえてこちらへと走りよってきた。
「凛!」
「お母様っ」
ぱっと、顔を上げて凛が母親らしい女性に駆け寄る。目元を除けば凛とよく似た面立ちの品のある女性は、ひっしと娘を抱き上げると、次いで私の存在に気付いたらしく、はっと顔を上げ、強張った表情を私に向けた。
「貴女は……」
どうやら私がサーヴァントであることに気付いたらしい。ぎゅっと緊張に体を堅くしながら、娘を抱き寄せる。
「遠坂の奥方かね? 私はここで帰らせてもらうが、そうだな。娘の動向にはもう少し気をつけたほうがいい。今この街で何が起こっているか、貴女もよくご存知だろう」
「貴女は……」
凛の母親の女性は葛藤にかられた顔をしている。おそらく、私に対して投げたい質問が、
「大丈夫だ」
だから私は、安心させるように出来るだけ皮肉じゃない笑みを浮かべながら、それを言った。
「無駄な殺生は苦手でね。それにそんなことは命じられていないし、関係のない人間を巻き込む気もない」
そんなこと、とは凛に危害を加えるかどうか、ということであることは、頭の良さそうな女性だ、気付いただろう。
「お母様?」
凛は不思議そうに母親を見上げている。自分の母親の反応が理解出来なかったらしい。そんな彼女を見て思わず苦笑した。どちらにせよ、保護者と再会したのだ。私の役目はここまでだろう。
「凛、達者でな」
そう声をかけて、彼女達に背を向ける。
「ちょっと、待ちなさい! あんた、名前は!?」
闊達で気の強いその声に、懐かしさを覚え、思わずふっと笑みがこぼれた。そこにいるのはいつかの師匠と己のマスターだった少女に至るかもしれない、今は何も知らないあどけない子供の姿だ。けれど、その存在の鮮やかさだけはどれほど幼くなろうと変わらない。愛おしく懐かしいいつかの御主人様。
「……また会えたら、その時にな」
次なんてない。なのに約束してしまったのは何故だろうか。まだアカイアクマと呼ばれていない彼女は、私の返事を前に、無邪気に手をふって私を見送った。
これを嬉しいと思ってしまったのは何故だろう。
夜は明けない。今はただ、居住のアインツベルンの城を目指して、私は夜闇を駆け抜けた。
NEXT?