新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。

おまたせしました、赤セイバー・ヒーロー回、暴君の矜持です。
主にこの回の為に赤セイバーはいたようなものなんだな。
ではどうぞ。

PS、因みにうっかりシリーズには韓国語翻訳版とかも存在していますが、一応俺が許可出していますので、無許可じゃありませんよ、とか言ってみる。


09.暴君の矜持 前編

 

 

 

 正直な話をすれば、余は当初、言葉ほどアーチャーの奴を気に入っていたというわけではない。

 容姿とて、整ってはおっても、取り立てて美人と呼ぶほどでもないし、女らしからぬ長身に少しの妬みもある。

 なによりそんなものより、戦いに水を差されたという事実が不快さを覚える要因となって、不機嫌な気持ちでその矢を放ってランサーとの死合いを止めた犯人に対し、さぞや無粋な輩であろうな、とそんな風に考え我らの前に降り立つのを見ていたのだ。

 現れたのは現代衣装に身を包んだ、鋼のような目をした女戦士だった。

 それがランサーの美貌を前に、真っ赤になってうろたえている姿を見せたのが愉快で、先ほどの意趣返しも含めて可愛がってやろう、と、まるで愛玩動物に対するかのようにそう思いついた。

 始めはそれだけだったのだ。

 余と戦うほどの価値もないと。

 花は花らしく、大人しくしておればいいのだとそう思った。

 なのに、余を狙う黒甲冑が現れた時、それにいの一番に気づいたのはアーチャーで、あまつさえ余の申し出を拒絶しておきながら、アーチャーは黒甲冑から余を守るように前に出ていた。

 衝撃だった。

 余を庇うというのか? 会ったばかりで、よくも知らないというのに? 奏者の命があればいつでも敵対するであろう余を?

 アレの存在に気付けなかった自分を恥じる気持ちもある、アーチャーを侮っていたことに対する自分の迂闊さを呪うような気持ちも少しはあるのだ。

 けれど……人に庇われるとは、なんとも面映ゆいものよ。

 舐められている、とも違うのだろうと思う。

 アーチャーは驚くほど自然体で、まるで当たり前のように余を庇っていた。

 その紅い背中が、まるで一振りの真っ直ぐな剣のように余の目には映った。

 そう、それが余には、嬉しかったのだ。

 最初の、アーチャーに対して抱いた不愉快な気持ちはただそれだけでさっぱり消えた。

 そして、あの日、アーチャーの城で行われたあの宴、マスターを守り抜ければそれでいいと、今までついぞ見せなかった柔らかな微笑みを湛えて、そんな言葉を吐いたその姿。

 邪気が欠片もないその姿は、まるで敬虔な聖者のようで、ただ、その笑顔を綺麗だと、嗚呼コレはとても尊いものなのだと、そんな風に余が一方的に思っただけだ。

 そうよの……それを余は、守りたい、と思ったということなのかもしれぬ。

 のぅ、アーチャー。

 余は、己の民を愛していたぞ。

 民に糾弾され、死した身なれど、それでも余は民を守りたかったし、愛おしかった。

 それもな、一つの事実なのだ。

 そなたに対する想いも同じこと。

 暴君と呼ばれて死んだ身空なれど、それでも、暴君には暴君の矜持(プライド)がある。

 

 

 

 

 

  暴君の矜持

 

 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

「はぁ、はぁ……はぁ」

 あらん限りの力で夜闇を走った。

 肺の中が凍てつくように痛い。

 酸素が欠乏している。

 刻印蟲が体中の神経という神経を食い荒らす。

「はぁ、はぁ……はぁ、は…………はは」

 ぐしゃりと、無様に転びながら、意味のない笑い声が自分の引き攣った口から漏れ出した。

 ぐちゃぐちゃの思考は取り留めもなく、誰もいない無人の墓地は俺の声以外響かず静寂を保っている。

 あの時現れた大男、そして信じられないあの光景から、俺は逃げた。

 逃げ出した。

 自分が何を見たのかさえ、今では曖昧で、ただ全てのものが、世界すら痛い。

 バーサーカーの暴れる様に体中の刻印蟲が悲鳴を上げている。もういい。

 供給を切って、身体の疼きを治める。

 そんな俺の前に、そいつは現れた。

「まったく。随分なザマに成り果てたのぅ、雁夜よ」

 その言葉にぞわりと、全身が総毛だつのがわかる。

 そこに現れたのは小柄な老魔術師の姿をした、醜悪な間桐の妄執だ。

 人ならざるそれが人の言葉を操って、俺に何事かを語りかける。

「これだけ命を蝕まれて尚、よくもまあ、ここまで生き延びたものよ。既に三人のサーヴァントが果て、残るは四人。正直なところ、まさか貴様がここまで食い下がるとは予想しておらなんだ」

 妖怪ジジイが何かを言ってる。

(煩い)

 蟲たちがぎちぎちと飼い主の来訪を喜んで軋みをあげている。

(黙れ)

「改めてひとつ、掛け金を上乗せしてみるのも悪くない。雁夜よ、貴様にはワシがここ一番の局面に備えて秘蔵しておいた切り札を授けてやる。さあ……」

 ぐい、と口を無理矢理開かされた。

 次の瞬間、その口内にずるりと鼠のような俊敏なナニカが喉の奥へと飛び込んできた。

「が、ぐふぅッ…………ッ!?」

 おぞましさと苦痛を湛えながら、それは腹の中にまで納まり、次の刹那、焼き鏝を押し当てられたような灼熱が俺を襲い、巡った。

「ぐあぁぁぁぁッ…………があぁッ!?」

 あまりの熱さにのた打ち回る。

 夜の墓場の冷たさなど既に微塵も認識出来ない。

 これは圧縮された魔力の塊だ。

 其れが暴れる、活性化した刻印蟲が俺の身体を食い荒らす、歓喜の声を上げる。

 麻痺し果てた筈の痛覚が蘇る。

 それは、まるで拷問と大差がなかった。

「呵々々々ッ、覿面じゃのう。いま貴様に呑ませた淫虫はな、桜の純潔を最初に啜った一匹よ。どうだ雁夜よ? この一年、じっくりと喰らいに喰らった娘の精気……極上の魔力であろう?」

 擦れる耳と思考の中拾い上げたその言葉に、桜のことを漸く思い出すことが出来た。

 そうだ、あの子、桜、あの子だけは、サクラダケハ、俺ガ、助けなケれバ。

 思い出せない痛みなんてどうでもいい。

 それはきっと思い出してはいけないことなのだから。

 思い出してしまったが最後、きっと俺はもう動けなくなる。

 俺はそう、笑顔が消えたあの子だけでも、桜だけでも救出しなければいけないんだ。

 だから、ダカラ、俺はオレハ聖杯を掴マナケレバ。

 聖杯を、モライにいこう。

 あの神父はヤクソクした。

 でも、今は、今だけは……。

 ずずっと、鼻を啜る。夜の墓地で、魔力の熱にうなされながら、俺はただ噛み殺すように咽び泣いた。

 

 

 

 side.ライダー

 

 

「むっ!?」

 キュプリオトの剣が虚空を切る。

 気配だけは相変わらず存在しているにも関わらず、先ほどまで猛々しく奇妙な現代兵器を振り回しながら暴れまわっていた黒い甲冑の輩は、跡形もなく姿を消していた。

「何が、どうなったんだよ!?」

 敵の弾丸が届かぬよう、離れたところで様子を見ていた余のマスターたる坊主は、おっかな吃驚そんなことを尋ねる。それに拍子抜けしたような呆れたような声で余は返答を返した。

「霊体化して逃げられた、というところだろう」

 言いながら、検めて余は惨状を見回した。

 そこには首のない男の死体が一つと、そして、先ほどまで生きていた(・・・・・)まだ暖かい女の死体が一つ、寄り添うように横たわっていた。

 あの黒甲冑のマスターらしき男は、女の生死も確認せずに出て行ったのだが、男が出て行った時点ではまだ女は生きていた。それの息の根を止めたのは、黒甲冑が放った短機関銃(サブマシンガン)による流れ矢であった。

 崩れ落ちる女の顔を見ていた時の、あの錯乱した相貌を思い出す。

 おそらく、このどこの誰とも知らぬ哀れな女と顔見知りであったであろうあの男。

 その、知り合いの息の根を止めたのは、自身のサーヴァントであったのだ。

 其れを知らずに去ったことは不幸なのか幸いなのか。

 ただ……余が思うには。

(気に食わん)

 それだけだ。あの、黒甲冑、あれは余が叩く。

「坊主、一旦帰るぞ」

「はぁ? 追うんじゃないのかよ」

「これは余の勘だが……次が最後の戦場となろう。マッケンジー夫妻に別れを済ませてやれ」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 其れは、話せば話すほどに馬鹿な男だった。

 聖杯戦争も終盤に当たる現在、聖杯(アイリ)が連れ去られた今、本当は一刻の猶予もないのだろう。

 こうしている今も、聖杯戦争は続いている。

 されど、その状況だからこそ、オレも、切嗣(じいさん)も対話を続ける事を選んだ。

 アイリが連れ去られた家で、一晩中互いに話し続けた。

 お互いに馬鹿だと言い合った。

 取りとめのない話から、果ては切嗣が私の記憶を見ていたということまで。

 血が繋がっていなくても、やはりエミヤ(わたし)と衛宮切嗣はどこまでも父子だった。

 ここまで似たもの親子というのもそうはいるまい。

 互いに互いを崇高なものだと、そんな風に見間違えて、空回りして、遠回りして、二人とも揃ってどうしようもなく大莫迦者だった。

 互いに間違って、間違えて、罵りあって、でも最後におかしくなってどちらとも付かず笑った。

 そんな時でもあるまいに、妙に清々しい気分だった。

 そうして、朝日が昇る。

 暁に染まった空、その様を二人で並んで見上げた。

 

 今日こそが最終決戦の日なのだと、どちらが言うこともなく理解している。確信している。

 朝焼けに染まる、その横顔を眺める。

 マスターと呼ぶ養父の目元には、薄い隈が出来ていた。おそらくは、二日は眠っていないはずだ。

切嗣(マスター)

「何だい」

 私へと向けられたその視線と顔、それは幼少期に見ていた切嗣の表情によく似ている。

 魔術師殺し衛宮切嗣としてではなく、1人の人間として、1人の親として、今、切嗣は私に接していた。

 それに嬉しいような、サーヴァントとしてはあまり喜ばしくはないことのような複雑な心境になる。

 でもそういう弱さを含めての衛宮切嗣という人なのだろう。そう、私は思った。

 ふと、私の口元が笑みを描いた。

「少しでいい。睡眠はとるべきだ。あまり寝ていないのだろう。寝れるときに寝るのも戦の定石だ。そんなこと貴方はわかっている筈だが」

「でもね……」

「まだその時(・・・)ではない。大丈夫だ、私がついている」

 渋る様子にそういうと、切嗣は、「じゃあ、5分だけ頼むよ」とそう告げて、身体を横たえた。

「了解した」

 そして眠りにつくその顔を見る。

 やはりというべきか、当たり前だというべきなのか、その顔は自分もよく知る「衛宮切嗣」そのものだった。

 生前噂で散々聞いてきた「魔術師殺し」などどこにもない。

 昨日の話し合いの内容を思い出す。

 私も、切嗣もアイリスフィールの生存についてはもう諦めた。

 元よりそういう風に造られた存在であり、イリヤと違って完璧なホムンクルスである彼女が、この第四次聖杯戦争が終わったあとも生きているなど始めから思ってなどいなかったのだ。

 だから、彼女の探索はもう行わない。

 今回の聖杯の降臨場所は既にわかっている。

 歴史が大きく変わったりしない限り、おそらく、今回も其処に配置されるだろう。

 それを先回りして乗り込んでいれば或いは道が拓けるのではないか。

 だが、それがどういう結果をもたらすのかは不明だ。

 今回の聖杯戦争は、私の知る歴史とは違うものなのだから。

 だから、万が一の可能性も考えて、他の聖地……遠坂邸と教会には使い魔を、一番の霊地である円蔵山には久宇舞弥が向かい、待機することになっている。

 ふと、自分が衛宮士郎とよばれていた時に言った言葉を思い出す。

 私が昔のことで覚えていることは数少ないけれど、こんな風に類似状況に会えばふいに思い出すこともある。

 かつての自身が参加した第五次聖杯戦争で、聖杯であの大災害をなかったことにしないかと、そう問われて、私は「やり直しなど望まない。そんなおかしな願いはもてない」とそのようなことを言った。

 そんな私が自分殺しを望んで聖杯に召喚される死後を送るなど、まあ皮肉な話だが。

 今私は衛宮切嗣(じいさん)に召喚されて此処に……衛宮士郎が誕生する以前の過去にいる。

 そしてそれに当事者として関わっている。

 これは、果たしてやり直しになるのだろうか。

 いや、答えは否だ。

 私の知る歴史では、爺さんに召喚されるのはアルトリアでなくてはならず、英霊エミヤがアーチャーとして此処に召喚されるのも有り得るはずがない事だからだ。何故なら前提が間違えている。

 ギルガメッシュもおらず、あの赤いドレスのセイバーがいるこの世界は、確実に私には繋がらない世界だ。

 だから、私が何をやろうと私の世界の歴史と同じになることはないだろうし、私がどういう行動をとったところで、それは「過去の改竄」にはなりえない。並行世界とは、つまりそういうものだ。

 何故なら、私という存在は既に存在しており、座という記録に残されているのだから。

 ならば、答えを得た英霊エミヤ(わたし)のとる行動など決まっている。

 何をやったところで過去の改竄にならない別世界であるなら、一人でも多くのものが助かる道を模索し、それを果たす。それが正義の味方というものだろう。

 そんなことを考えていると、目の前の男がぱちりと、その黒い眼を開く。

 5分など瞬きに等しい時間というものだろう。

 

「さて、行こうか」

 僅かに少し無理をしたぎこちない笑顔を浮かべた男は、そんな言葉を言いながら、右手を私のほうへと差し出した。

「その前に、やるべきことがあるだろう」

 私がそういうと、切嗣は、少し嫌そうに眉根を寄せる。

「どうしても……かい?」

「先日の令呪の件でなんでも私の言うことを一つ聞くと、そう言ったのは貴方だ」

「でもね……」

「爺さん」

 まだも渋る男に私は嘆息を一つ、言い聞かせるような声で言葉を続けた。

「オレを信じろよ。……私は、貴方の子供だ。そうだろう? なら、何も心配などいらないさ」

 言いながら、笑った。

 養父でありマスターでもある男は私の発言を前に、瞠目に目を見開く。

 そういえば、この切嗣に自分が貴方の子供であるなんて言葉を使うのは、召喚された日以来だったな。そう意識すると、急に頬の周りが熱を持ちだしたような熱さを覚え、羞恥に耳まで赤らんでいくのを感じた。

 なんだこれは、我ながらこの年でこれは恥ずかしいぞ。……英霊に年は関係ないかもしれないが。

 ああ、上手く言えんが……何か、これは照れくさいものだな。

「そっか。なら、しょうがない」

 そう言って、切嗣も笑った。困ったような、少しの悲しみをない混ぜにしたような笑みだった。

 自分の中に通っているラインが、熱を持つ。

「令呪でもって命じる」

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 醜悪だ。目の前の男は何よりも醜悪なもので出来ている。

 薄汚い地下空洞で、余はただ、目の前で起こる其れを見ていた。

(おぞましい)

 アーチャーのマスターの女だとそう認識していた女が、この悪臭と妄念が篭る貯水槽に描かれた魔方陣の上で仰臥し、望まず新しい奏者(マスター)となった男に、呪いの言葉を吐いている。

(醜い)

 余がこの世で最も嫌いなものは、『倹約』『没落』『反逆』の3点だ。

 だというにも関わらず、聖職者の仮面をかぶりながら師を裏切り、他人を陥れるばかりのこんな男が余の奏者であるなど、悪い冗談だとしか思えない。不愉快にも程がある。

 だが、あやつが下した令呪の命は確実に余の身体を縛り、認めたく等なくとも認めずにはいられない。

 この屈辱、それすら酒の肴にするこの男ほどの悪党も、そうはおらぬだろうぞ。

 侮蔑と嫌悪。

 凡そマスターたるべき存在に向けるべきではないそれらの感情を向けようと、あの男は逆に心地よさそうにするだけだ。それがわかっていても、果たして憎まずにはいられようか。

 余の奏者を殺したこの男を。

 そして幾許かの問答のあと、余の新しき奏者(マスター)、元アサシンのマスターであるところの黒衣の大男、言峰綺礼はその女の命を奪った。

 美しい(かんばせ)を苦痛に歪めながら、女の細い首が花を散らすように手折られる。

 それに思わず目を逸らす。

 其れがせめてもの慈悲だった。それ以外に余に出来る事などない。

 アーチャーはきっと、この女の死を悲しむだろう。それに遣る瀬無い気持ちもある。

「セイバー」

 男の声が余のクラス名を呼ぶ。それすら耐え難いほど不愉快な出来事だ。

「私は聖杯を降臨させる準備に取り掛かる。近づくものは、衛宮切嗣を除いて全て始末しろ」

「…………」

 貴様が、降ろすというのか。貴様のような害悪たる存在が。

「どうした? それとも、令呪で命じられなければ動けないという気か?」

 男が薄っすらと笑う。おぞましい。

 こんなものが聖杯に選ばれる……と?

 世の中とはとことん狂ったものよと、そんな風に言うしかないではないか。

「セイバー」

 返事を返さぬ余に対し、咎めるような声で付けられた名に相反した男が余のクラス名を呼ぶ。

「わかっておる」

 感情のない声が出る。その声で、吐き捨てるように続けた。

「余は貴様に近づく輩を足止めすればいいのだろう」

 

 

 

 side.ウェイバー

 

 

 ボクは馬鹿だ。

 かつての自惚れを捨てて、どうしようもなく、今そう痛感している。

 あの後、深夜に寄生しているマッケンジー夫妻の家に戻ると、夫妻は当たり前のようにやはり自分を暖かく迎えてくれた。暗示で孫と思い込んでいるのだ、当然だとボクは思った。

 そんな中、明け方に、家主であるグレン老に「一緒に屋根の上で星を見よう」そういわれて、ライダーに背中を押されたのもあり、一緒に並んで座った。

 勝手に家と身分を借りているのだ、しょうがない。付き合ってやるか。そう思って。

 その時知った衝撃の事実。

 グレン老はボクが「孫」なんかじゃないことに気付いていた。

 暗示なんて、魔術の初歩の初歩だ。それが一般人の、自分から「騙してくれ」と言い出してくるようなお人よしの老人にすら破られるような出来でしかなかった。それほどにボクの魔術は稚拙だったんだ。

 時計台にいた頃、ボクには才能があると思っていた。そう、自惚れていた。

 だけど、結果は……はは、なんだ、ボクは道化なんじゃないか。

「さて、坊主行くか」

 最終決戦へと赴こうとしている、隣に立つ大男を見上げる。

 この十日余りの日々をずっと共に過ごしてきた、古代の征服王。本物の英雄。

 いつも通り、戦車(チャリオット)の身車台の横を、ボクの為に空けてくれている。だけど、ボクは苦笑しながら、その申し出にかぶりを振った。

 イスカンダルの為のその豪奢な騎乗宝具は、凡俗で卑小な自分にはふさわしくない。

 征服王の覇道への道を穢していいわけがない。

 ボクは確かに負け犬かもしれないけれど、負け犬には負け犬なりのプライドがある。

「我がサーヴァントよ、ウェイバー・ベルベットが令呪をもって命ずる」

 ライダーが僅かに目を瞬く様子を出来るだけ見ないように、右手の令呪に集中した。

「ライダーよ、必ずや、最後までオマエが勝ち抜け」

 元より相手は征服王なのだ、それは当たり前の約定。

「重ねて令呪をもって命ずる。……ライダーよ、必ずやオマエが聖杯を掴め」

 消えていく二画目の令呪に、未練が心を過ぎる。

 それを無視して三度目の命令を下す。

「さらに重ねて、令呪で命ずる」

 自分は彼のマスターだった。

 それを最後の意地として、怯むことなく彼と対峙していたい。

 だから、真っ直ぐにその大きすぎる男を見上げた。

「ライダーよ、必ずや世界を掴め。失敗なんて許さない」

 最後の令呪が消えていく。

 これで名実共にボクはライダーのマスターではなくなった。

 どうしてだろう、やっと対等に立てた気がする。

 きっと錯覚だろうけど。

 でも妙に清々しい気持ちを抱えたまま、ボクは正面に立つ男を見上げた。

「…………さあ、これでボクはもう、オマエのマスターでも何でもない。さあ、もう行けよ。どこへなりとも行っちまえ。オマエなんか、もう…………」

 うむ、と頷く声がした。

 何度も苛立たされて、でも憧れ、何度も魅せられた男の声だった。

 それでほっとして、肩の力を抜いたその時、ライダーはいつものいかつい手でボクの首根っこを掴んで、身車台の横へと押し込んだ。

「もちろん、すぐにも征かせてもらうが。……あれだけ口喧しく命じた以上は、もちろん貴様も見届ける覚悟であろう? すべての命令が遂げられるまでを」

 え、と口が勝手に開く。

 何を言ってるんだ、こいつは。

 だってボクは……。

「ば、ば、馬鹿バカ馬鹿ッ! あ、あのなぁ、おいこらッ、令呪ないんだぞ! マスター辞めたんだぞ! 何でまだボクを連れて行く!? ボクは……」

 連れて行くような価値なんてないだろう、そう続ける前にボクの言葉は遮られた。

 認めたくなくても、大好きだったその声で。

「マスターじゃないにせよ、余の朋友(とも)であることに違いはあるまい」

 うろたえ狼狽するボクを前に、その男は至極当然といった口調で呑気な笑顔を浮かべながら、そんなことを言い切った。

(あ、駄目だ)

 涙腺が崩壊する。

 鼻水が混じってぐちゃぐちゃだ。

 誰に言われるでもなく、自分が酷い顔で泣き崩れていることがわかる。

 でも止められそうにもない。

 嗚咽交じりの酷い声で、それでも聞きたい言葉を問いかけた。

「…………ボ……ボクが…………ボクなんか、…………で本当に、いいのか…………オマエなんかの隣で、ボクが…………」

「あれだけ余と共に戦場に臨んでおきながら、今さら何を言うのだ。馬鹿者」

 そんなボクの言葉を笑い飛ばしながら、イスカンダルは、ボクの肩をバンバンと叩いた。

「貴様は今日まで、余と同じ敵に立ち向かってきた男ではないか。ならば、朋友(とも)だ。胸を張って堂々と余に比肩せよ」

「…………ッ」

 この日のことを、ボクはきっと一生忘れないだろう。

 目の前にあるのは、夜の冬木市の街並み。

 第四次聖杯戦争最後の夜が始まったんだ。

 敗北も恥辱もない。今、自分は王と共にある。

 この男さえ信じていれば、きっとこの頼りない足でだって世界に届くだろう。

 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

 嗚呼……聖杯ハどこにあるノだろう。

 まどろみかラ目が覚める。

 あたリは暗闇。

 冬木の街に、聖杯ヲ降ろす聖地は4つある。そウじじいは言ってイた。

 だカら、きっと4カ所のどこカにある筈。

 アの神父は聖杯を俺ニ譲るといってイた。

 急がなければイケない。

 蟲に喰われル前に、終わらせなけれバいけない。

 ふらふらト、身体が動く。

 ふらふら、ふらふら。

 動く、動ク。

 コの体ハまだ動ク。

 確か……この冬木デ一番の霊地は……円蔵山。

 ソウダ、きっとお山だ。そこに違いナい。そコに行けば、俺の願イは叶う。

 長い長イ、階段。

 息を切らしナがら、ふらふら、ふらふらと山を登る。

 何かの嗤い声ガする。

 何の音だろう。

 いや、今俺ハ何カを視得ているのだろうカ?

(思考停止)

 人はイナい。いつから?

 確かここニは僧侶たちがイタはずだったのに。でも、いないならそのほうが都合がイイ。どうでもイい。

 聖杯は、どこダ。

「神父……いないのか」

 外した、ノか?

 聖杯ノ降臨場所はコこじゃナかった?

 そノ時、雷鳴が響いタ。

 思わずばっと、空を見上ゲる。

「さて、賊よ。昨日ぶりだのぉ。今度は逃げんのか?」

 イたのは天駆ける戦車にのった大男。

 そうダ、あれはサーヴァントだ。

 迸る怨念に眼を吊り上ゲる。サーヴァントはスベて滅しなければ。

 あれが、どれホどの英霊カなどどうでモいい。今の俺は、力が漲ってイる。

「まあ、どちらにせよ、逃がす気もないがな」

 大男がナニか言っている。アレを見てイると気分が悪くなる。思い出してはイけないことを思い出しそうになル。頭がガンガンと響く。すっと、引き攣った右手を掲げル。

「殺せ」

 怨念、憎悪、それガ原動力になって、自身の従者にラインを通じて流れてイく。

「殺し潰せッ!バーサーカーッ!!」

 黒い甲冑の狂戦士が、声ならヌ叫びを上げながら、赤毛の大王へと斬りかカった。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 冬木市市民会館。

 それが今回の聖杯降臨の舞台の名だ。

 十中八九此処が言峰綺礼との決着場所となる。

 だから、僕は昼間からこの場所に潜伏し、数々のトラップを仕掛けていった。

 とはいっても、ここは元よりあまりに防御に向かない土地だ。故に攻撃こそが最大の防御。仕掛けたトラップは全てあの神父を倒す為の迎撃装置だ。

 夜半が近づく。

 朝、アーチャーが用意した一口サイズのサンドイッチを口に収める。

『切嗣』

 無線から、右腕である女の冷徹な声が響く。

「どうした、舞弥」

『サーヴァントの戦闘が始まりました。相手はバーサーカーとライダーです。今のところ私に気付いている様子はありませんが、どうしますか』

 少し思考の波へと落ちる。

 それから慎重な声で部下へと返答を返した。

「様子を見ていてくれ。自分の命を最優先に、介入できそうなら介入してくれ。そこは君の判断に任せる」

『了解しました』

 その時トラップが作動し、誰かが来た事を僕に伝え、それを合図に即座に意識を切り替える。

 コツコツと靴音を鳴らしながら現れたのは、教会の代行者、言峰綺礼。

 間違いなくこの戦いでもっとも危険であろう男。その腕には、アイリの物言わぬ亡骸を抱えている。

「……ッ」

「驚いたな」

 地下で刃と刃が衝突する音が響いている。ラインからも、戦闘中である気配が流れ込んでくる。

 つまりはもう一方の戦闘も始まったというわけだ。

 油断無く構える。

 そんな僕を前に、口元に嘲笑じみた笑みをこぼしながら言峰綺礼はその低い声で言葉を洩らした。

「よく、私が此処を選ぶとわかったものだ」

 どさりと、綺礼は物のようにアイリスフィールだった身体を背後に投げた。

 其れを合図に、僕は9mm軍用弾(パラペラム)による一撃を放った。

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 あの時から、こうなるとは分かっていた。

 地下駐車場に向かう我らを、閃光のような矢が狙い打つ。

 見るのが初めてであればおそらく対処が難しかったであろう、それを、余の愛剣で撃ち落していく。

 その矢を一言で申すなら正確。

 一見するならば、どこから飛んできたのかわからぬそれは死神の鎌さながらでもある。きっと下位のサーヴァントであればどうしようも出来なかったであろう。それほどの技巧を秘めた攻撃であった。

「セイバー」

「…………」

「アーチャーの相手をしろ」

 言いながら、僧衣の男は一人階段を上ってその地に……おそらくは奴が言うておった、衛宮切嗣とかいう男の元へと向かう。

 狭い地下空間での弓の不利を悟っているのだろう、余がどこにその姿を潜めているのか中りをつけると同時に、アーチャーはいつかも見た黒と白の双剣を手に余の前へと躍り出た。

 その凛とした鋼鉄の如き立ち姿。

 ほんの数日ぶりなのに、酷く懐かしい気分だった。

「久しいのぅ、アーチャー」

 そう余がゆるゆると問いかけると、弓兵を名乗る赤い女騎士はこれまでと変わらぬ調子で淡々と言葉を返す。

「まだ、四日ほどしか経っていないと思うがね」

「そうであったか? 余にはもっと、永く感じたぞ」

 ふと、アーチャーが戦闘中に被る鉄面皮を曇らせる。

 眉根を寄せて何事かを考えたかと思えば、すぐに「ああ」となにやら納得して、再び剣を構えた。

「君もついていないな」

 余の本来のマスターのことについては、アーチャーは知らないはずだ。

 あれは最後まで表に出ようとしなかった男であった、知りよう筈もない。けれど、その言葉だけで、アーチャーは全てを知っているのだとそんな風に感じた。

「全くよ。のぅ、アーチャー……剣を収める気はないか? そなたが手を出さぬというのなら、余とてそなたを手にかけはしない」

「愚問だな」

 アーチャーはまっすぐな声で、口元に笑みさえ浮かべて告げる。

「私の望みはマスターを無事に守り抜くこと。ならば、マスターの障害である君を前に、おめおめ逃げ帰るはずがなかろう?」

 その言葉に、例の衛宮切嗣とかいう男こそがアーチャーの本当のマスターなのだと気付く。

 かつて、アーチャーが「守り抜いて家族の元に帰す」と宣言した男。

 今もそう誓っているという男。

 見えるのは親愛と信頼。

 ……酷く羨ましい感情だ。

 今の余の奏者(マスター)は、一応とはいえあの男、言峰綺礼となっておる。

 あの聖職者の皮を被った醜悪なる裏切り者の目的が衛宮切嗣という男である限り、あの男のサーヴァントである余が障害であるのは、成程道理であったか。

 目の前の白髪長身の女弓兵を見上げる。

 其処にいたのは、忙しなく給仕に励んでいた娘でも、敬虔な聖者の如き微笑みを讃えた女でもなく、主君の為の一振りの剣だった。

「そうか」

 その姿を、ただ欲しいのだとそう思った。

 かつて、「聖杯に願うような望みなどない」と言ったその口で、余を欲しいと言わしてみせるとそう思ったときもあった。でも、今はその剣を思わせる生き様諸共に、この紅い女戦士の全てが欲しい。

 器量は、整ってはおっても十人並みだ。変わった色合いをしてはいるが、並外れて美しいとは呼べぬ。

 されど、その鋼の一振りの剣のような鋼鉄の意志と心根は、充分に魅力的で、紅玉よりも尚美しい。

 無骨で愚直な、宝飾剣には有り得ぬ美しさ。

 ああ、アレが欲しい。

(けれど、今の余は……)

 自分の今の境遇に自嘲がもれる。

 アーチャーに対して抱いた欲望も、憧憬も、それが果たされることはない。

 ならば、この闘争に全てを賭けようぞ。

「覚悟、せいよ」

 そして、アーチャーと余が斬り込んだのは、ほぼ同時だった。

 

 

 続く

 

 

 


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