新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。

今回の話は、前回も言ったとおり、にじファン連載時代未収録の完全書き下ろしSSとなっております。
つきましてはエミヤさんの生前についての捏造要素がありますので、ご了承下さい。
では、どうぞ。


04.今は遠い未来(かこ)

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 最近日差しが暖かくなった。

 元より冬木は温暖で長い冬になる事が特徴ではあったが、梅の花も蕾を付け、鳥の鳴き声が通るようになると、嗚呼春が近いんだな、とそう実感を覚える。

 少し肌寒くて、それでも爽やかな朝。

 月に一度の大掃除は想定以上に順々に進んでいる。

 自らの手でこの武家屋敷と呼ぶに相応しい我が家を徹底的に磨き上げていく、この感覚の充実感は中々のもので、何事にも代え難い。

「ねえ、シロこれでいいの?」

 ひょこりとイリヤが顔を出す。

「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」

 そう言って、私は雑巾を絞りながら彼女へと声をかける。

 イリヤの手には私が頼んでおいた、ガラスクリーナーが握られていた。

 本当はイリヤに手伝って貰うつもりはなかった。この家の掃除など私1人で充分だからだ。清々しい土曜日の朝、士郎は留守にしているため私の掃除ライフを邪魔するものもいない。というのも、士郎は今日切嗣(じいさん)と一緒に用事ついでに新都まで買い物に行っているからだ。

 つまり、今日は久しぶりにイリヤと二人っきりという事になる。

 そんな中、朝っぱらから掃除を始めた私に、興味津々という目を向けて、珍しくイリヤは手伝いを申し込んだ。

 気持ちは嬉しいが、正直彼女の手を患わせるのは気が乗らない。というか、この家の家事全般は私の仕事だ。あまり人に譲りたくはない。とはいえ、折角のイリヤスフィールの気持ちを無碍にするのもどうか。それで、道具を取ってきて貰う事だけをお願いすることにした。

 とはいえ、折角イリヤと2人きりだ。掃除は昼前には切り上げて、彼女には礼を兼ねて馳走を振る舞わなければなるまいと、キュッキュと柱を磨き上げながらに冷蔵庫の中身を頭に浮かべる。

 さて、今日の昼餉は何にするか。

「シロ」

 そんな事を考えているとにっこりとした笑顔を浮かべたイリヤに声をかけられた。

 なので、一旦手を止めて彼女のほうへと視線を向ける。

「えいっ」

 私が彼女に振り向いた事を確認すると、そういってイリヤは私をその紅葉のような愛くるしい手で叩いた。

 それから呆れたような、仕方ないなあと思っているような顔をしながら彼女はこう言った。

「もう、いつまで続けるつもりなの? もう3時間よ。楽しそうなのは良いけど、少しは休憩ぐらいしなさい」

「いや、しかしもう少し……」

「シ~ロ~」

 もうちょっとでこの部屋の掃除が終わる。そう思っての私の発言はむぅう~と愛らしく頬を膨らませて抗議の視線を投げかけるイリヤの言葉に遮られた。

「そんなこと言って、本当に少しで終わったりしないことぐらい、ちゃんとわかっているんだからね。とにかく、駄目、一旦休憩しなさーい!」

 お姉ちゃん命令なんだからね! そうびしっと指を突きつけられて言われて、私に拒否など出来るだろうか。

 いや、出来るわけがない。

 私は苦笑しながら、「わかった、わかった」と降参だと示すように手をひらひらとさせながら答えると、イリヤは満足そうに「うん、よろしい」と頷いて私の手を取りながら居間へと誘った。

「ほら、シロ、早く早く」

 そういって雪のような銀髪を靡かせながら駆ける姿は、とても愛くるしい。

 さて、今日の我が家のお姫様へのお茶請けは何にしようか?

 

 結局、本日のお茶請けは先日作っておいたくず餅とほうじ茶で無難に纏める事にした。

「うん、美味しい。相変わらずシロの作るお菓子は絶品ね」

 そういってふにゃりと弛んだ顔で笑うイリヤはとても可愛らしい。

「光栄だ、お姫様」

 そう言って答えながら私もまたくず餅へと手を伸ばす。

 ふむ……自画自賛になるが、甘さが控えめでまろやかな舌触りに出来上がったくず餅は、確かに美味といって差し支えがないだろう。正直に言えば、店で買ってきたと偽って来客に供しても手作りとは気付かれない自信がある。

 ……とはいえ、3時ならぬ11時のおやつとなってしまった以上、昼ご飯は控えめにしてバランスを取らなければならないな、と考えながらテレビをつけてニュース番組へとチャンネルを回す。嗚呼、今日も明日も天気が良くなりそうだ。そうだな、ならば明日は普段使わない予備の布団でも干すとしようか。

 そんな風に明日のプランを考えていると、ふとイリヤは静かな紅色の瞳で、机に肘を付きながら、ぽつりと大人びた声で呟いた。

 

「もうすぐ春ね」

‘もうすぐ春ね’

 古い、旧い記憶だ。

 その表情が、その台詞があまりにも似すぎていて……はるか昔に亡くした『姉』を思い出した。

 

 

 * * *

 

 

「もうすぐ春ね」

 

 そう言って彼女は遠くを見るような目をして呟いた。

 白い肌、雪のような銀色の髪、紅い瞳。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという名の少女。

 初めて彼女と会ったのはランサーに一度(オレ)が殺される前日のこと。

 その頃、オレは彼女という存在をまだ知らなかった。

 そして次に会ったときには聖杯戦争の敵マスターとして立ちふさがって、やがてイリヤが衛宮切嗣(おやじ)の実の娘だということを知った。

 知ったから、余計に守らないといけないと、そう思ったんだ。

 ……イリヤは変わらない。

 あどけなく、時に大人びていて愛くるしい、雪の妖精のような少女。

 聖杯戦争を終えて聖杯として機能しながらも命は紡いだ後、彼女は実家に勘当され藤村家がイリヤを引き取る事となった。

 その頃オレはイリヤのことを妹だと思っていた。

 やがて、穂群原学園を卒業して遠坂凛と共に彼女を師匠としてロンドンに渡って……久しぶりにオレが帰ってきたその時も、イリヤは変わらなかった。

 何も変わらなかった(・・・・・・・)のだ。

 出会った頃と変わらない、あどけなくて可愛らしくて、まるで……10歳前後の子供のような姿で。そこから少女が成長することはなかった。

 子供のようにしか見えない外見。

 綺麗な銀髪、神秘的な紅の瞳、抜けるような白い肌。愛くるしい冬の少女。

『おかえり、シロウ』

 そうオレの名を呼んで、嬉しそうに笑って、だけど、どこか生命力が抜け落ちていた。

 もうオレに抱きつくことさえままならなくなっていたんだ。

 見た目はそのままに、まるで迎えを待つ老人のそれのように生気が抜けて、衰えて……誰が見ても先は長くなかった。

 オレは、気付けなかった。

 イリヤは第五次聖杯戦争の聖杯だ。そういう風に生まれ、そういう風に調整され、そういう風に育てられた。

 その身に流れる血の半分は人間だったけど、もう半分はホムンクルスで、その事をその時まで本当の意味では理解していなかった。

 ……本当に愚かしい話だ。愚昧にも程がある。

 本当は、気付くための信号(シグナル)などいくらでもあったのに。

 

 出会ってから3年。オレが結局彼女と共に同じ家で兄妹として暮らしたのは、最後の1ヶ月ほどだった。

 

 

「もうすぐ春ね」

 

 そう言ってイリヤは遠い目で外を眺める。

 その肌は白く、いっそ青白いといっていいほどに痛々しい色をしていた。

 あんなに無邪気で活発だったのに、日の光で焼ける事さえ忘れた肌。それはイリヤがずっと伏せっていた事を示す。もう公園への外出さえままならないほどにイリヤの身体機能は衰えていた。

「イリヤ、風邪を引くぞ」

 そういって、当時まだ赤茶色の髪に琥珀の瞳だったオレは、イリヤの肩へと毛布をかける。

 そうすると、ふわり。透明な微笑みを乗せて「ありがとう、シロウ」と少女は笑った。

 そうやって日々を過ごした。

 そんな日々を1ヶ月ほど送った。

 遠坂はイリヤの体に何が起きていたのか気付いていた。

 だから、その間走り回ってくれた。

 何度もイリヤの体を点検して、何度もイリヤに魔術を施して、でもイリヤの症状がよくなることは無かった。

 そうやって衰弱していくイリヤを、オレは見守る事しか出来なかった。

 

「シロウは良い子ね」

 

 そういって雪の少女は微笑む。

 出会った頃と変わらぬ姿で、外見年齢にそぐわぬほどの慈母の愛を瞳に宿しながら。

 こちらが泣きそうなぐらいにイリヤの心は強かった。

 それは梅の花が咲き誇る季節。庭をボンヤリと見ながら、イリヤは独り言のような声で、オレにこう言った。

 

「嗚呼、本当に今日は気分が良いわ……」

 オレは声をかける事が出来なかった。

 ただ、彼女のためのお茶を入れた盆を持って、イリヤの言葉に耳を傾ける……それぐらいしか出来なかった。

「本当に、気分が良いから、今まで秘密にしてたこと、話しちゃおうかな」

 そうしてイリヤは、大人びた色を紅の瞳に宿して、本当に淡々と静かに、少しだけ悲しむような自嘲するような、そんな本当の子供には出来ないだろう色を表情に載せながら、こう語った。

「あのね、シロウ。わたしずっとシロウのことお兄ちゃんって、そう呼んでいたけど……本当はね、シロウがお兄ちゃんなんじゃなくて、わたしがお姉ちゃんなんだよ」

「…………」

「ずっと言えなかったけど……わたし、本当はシロウより年上なんだ」

 

 イリヤの見た目は、実年齢とは違い、本当は見た目よりもずっと歳を重ねている。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは決して幼い子供じゃない。

 ……その事には薄々気づいていた。

 だって、イリヤの外見年齢は出会った時からこの3年間、全く変わる事がなかったのだから。

 

「わたしが生まれたのは第四次聖杯戦争が始まる8年前だった」

 そうしてイリヤは淡々と自分の過去を語っていった。

 アインツベルンに迎えられた魔術師殺し、衛宮切嗣と、自分の母親と過ごした幼少期の生活や、何を思って衛宮士郎(オレ)を殺そうとしていたのかを。両親が去ってから置かれた自らの境遇を。

 年下で、血の繋がらない妹だと思っていた存在は、その実外見年齢とは異なり自分よりも年上の存在だった。

 それは、考えればわかる話だった。

 だって、イリヤはまるで見た目通りの幼い子供であるかのような振る舞いをすることがあったけど、時々見せる顔は大人の淑女(レディ)のそれだった。妹のように普段は振る舞うくせに、まるで姉か母のような包容力と慈愛を見せながらオレに接していた。

 なにより、見た目通りの年齢だったのなら、彼女は赤子の時に衛宮切嗣(ちちおや)と別れた事になる。なのにイリヤにはあまりにも、親父との思い出がありすぎた。鮮明過ぎたのだ。

 そして初めて会った日から3年経っても彼女の外見が変わることはなかった。

 つまり、イリヤは成人しているのに、子供の姿でしかあれなかったのだ。そういう体だった。

 時々見せた大人びた一面を、マセているだけだとそう思って思い過ごしていた。

 なんてことはない。そちらこそが、本当のイリヤの姿だったのだ。イリヤはマセていたわけではなく、実年齢相応に振る舞っていたんだ。どちらかといえばあの子供みたいな振る舞いのほうこそが偽装だった。

 それに、こんな寸前になるまでオレは気付く事が出来なかった。

 

「もうすぐ春ね」

 

 そう言ってイリヤは遠くを見つめる。

 話し疲れたのか、疲労が目に浮かんでいる。背中は頼りなく細い。一回り以上小さな、身体。

 そんな体に重すぎるものを背負い続けていた。

 

「ねえ、シロウ」

 

 まるで、それは本当に雪の精のように。

 

「春になったら、わたし、みんなとお花見に行きたいな。行けるかしら」

 

 儚げにイリヤはそう呟いた。

 オレは、「行ける」とそう約束してやることが出来なかった。

 

 

 ――――――……終わりなんていつだって呆気ない。

 

 雪が降らなくなり、草木が萌え息吹く季節、桜の開花を前にして、沢山の花々に囲まれながら、イリヤは眠るように静かに息を引き取った。

 

 もう彼女が目を開けることはない。

 

 もう彼女がオレの名を呼ぶこともない。

 

 もう、イリヤが失った両親について語る日は永遠に来なくなった。

 

 

 ―――――花を捧げよう、君のための花を。

 君を弔う為の花を。

 沢山の花に囲まれて、君はほら、こんなに美しい。

 

 ……式は藤村組が率先して行った。

 その時の事について私が覚えていることは少ない。

 覚えているのは、棺に収められたイリヤの小さな体と、彼女を埋め尽くすように捧げられた花たち、それだけで……どうやって其の日の夜を迎えたのかすら覚えていない。

 

「姉さん……」

 

 結局(オレ)は。

 

「……姉さん」

 

 彼女が生きているうちに、一度もその名称でイリヤ(ねえさん)を呼んでやった事はなかった。

 

 

 * * *

 

 

「シロ?」

 白昼夢に浮かされていたように、唐突にはっと我に返った。

 目の前では不思議そうな顔をして、マジマジと私の顔を覗き込む紅色の瞳が一対。

「どうしたの?」

「……イリヤ」

 思わず、呟いて息を飲み込む。

 そんな私を見て、イリヤは「変なシロ」そう言って笑った。

 ふわりと、子供の瞳で。

 そこで漸く気付く。

(嗚呼、違う)

 確かに似ている。

 起源は同じで同一存在だ。

 だけど、例え見た目があの時の『姉さん』と同じでも、このイリヤは見た目相応の年齢で、未来を約束された『子供』で、そして此処で『生きている』。

 

「ただいまー!」

「あ、おかえりー、士郎ーっ!」

 そういってパタパタとイリヤは走っていく。

 やがて、赤毛の少年と雪の少女は仲睦まじく手を繋いで私がいる居間へと現れた。その手には大判焼きの入った袋が握られており、2人は嬉しそうに笑いあっている。

 それは、仲睦まじい『姉弟』の姿だった。

 その後ろには、ぼさぼさの黒髪に優しげな笑みを浮かべた着物の男が寄り添っている。

 そして彼は言った。

「ただいま、シロ」

 

『おかえり、シロウ』

 ……白昼夢を見た。

「ああ、おかえり」

 

 かつて、幼い子供の言葉を信じて幸せそうに逝った男がいた。

 姉と呼ぶ機会もないままに短い寿命を散らした姉が居た。

 けれど、ここでは彼らは生きている。

 彼らは、自分が亡くした『彼ら』と厳密には同じじゃないし、同一の別人で、彼らを救ったところで過去の自分の大切だった人達まで助かるわけではないけれど……それでも、『彼ら』の分も彼らが幸せであればそれでいいと思う。

 

 彼らの人生が憂い無きものであるように。

 そう祈ることはきっと罪ではないと思いたいから。

 

 ―――――……今は遠い未来(かこ)

 

 

 了

 

 


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