新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完) 作:EKAWARI
今回の話は夏祭り回というわけでほぼオールキャラになっています。お陰で長かった。
因みに「夏」が付くタイトルが多すぎたので旧作「夏の約束」から今回サブタイトル変更することにしました。
因みに、作中で美人と書いたり普通と書いたりしている、女エミヤさんの容姿ですが、個人的には10段階中7ぐらいの美貌のつもりで描いていたりしています。
なんていうか、10人いたら10人中6~7人には「美人」だと思われ、3~4人には「普通」だと思われるぐらいの容姿というか、そんな感じ。
なので、うっかり士郎にとってエミヤさんの容姿は前者で、美男美女見慣れている赤セイバーやイスカンダルからしたらどっちかっていうと後者な容姿に目に映るって感じです。
童顔であり、顔立ち自体は整っている。だが、華があるわけでもないし、美女と言い切るには疑問がつく……というのが大体目が肥えている奴らの評価って感じですかね。
とにかく超美人とかじゃないのは確かです。
side.久宇舞弥
「夏祭り……ですか」
周期としては3ヶ月~1年に1度の、日本・冬木の衛宮邸への来訪で、新作だというアーチャーの……いえ、シロのミックスベリータルトをつつきながら、
そんな私の態度を気にするでもなく、美しく成長した利発な少女は、満足げに言葉を続ける。
「そう、一週間後夏祭りがあるの」
「それに、私も同伴しろ……と?」
意思の強そうな紅色の瞳が生き生きと、いかにも楽しげにYESといわんばかりに満面の笑みに飾られる。
……彼女は……、衛宮切嗣の実娘であるイリヤスフィールは、少し苦手だ。
面差しは、死んだマダムにそっくりで、雰囲気こそ異なっているが年々母親に似てくる。
天真爛漫ではあるが、拭いきれぬ品がまとわりついているところもそっくりだ。けれど、母親よりもずっと彼女は押しが強く、物言いもはっきりしており、マダムのようなおっとりした所はあまりなく、勝ち気でしっかり者。そんなところが、苦手だ。
心はずっと昔に死んでいる私には、彼女はあまりに強く眩しすぎる。
切嗣のご息女でなければ、関わりたくない、そういう人種だ。
しかし、祭り……か。
……私とは縁がないものだと思っていたから、誘われたこと自体が意外で、どう返答するべきなのか、悩む。
そもそも、日本の夏祭りなど、資料でしか知らない行事だ。
「行けばいい」
そう横からかけられた声は、どこか少年的なハスキーボイスで、私にタルトを差し出した製作者である女性だ。
「君は日本の夏祭りに参加したことなどないのだろう? なに、良い経験じゃないか。そうだな……ふむ、折角だ。君の分の浴衣も用意しよう」
平均よりも整った顔立ちに皮肉気な笑みを携えて、けれど声だけは穏やかにそう述べる彼女。
今は、衛宮切嗣の養女として、この家で暮らしている元サーヴァントのシロ。
アーチャーとして第四次聖杯戦争にかつて召喚された彼女は、8年以上に渡る人としての暮らしのせいか、召喚された頃に比べて随分と穏やかに……柔らかな表情を浮かべるようになった。
きっと、彼女が英霊であり、サーヴァントであるなど、言われても誰も気付かないだろう。
「舞弥の分の浴衣を用意するのもいいけど、今年こそあなたも浴衣を着るのよ? シロ」
にやりと、小悪魔めいた微笑みを浮かべて告げられた少女の軽快な声に、げっといわんばかりにシロの顔がしかめられる。そんな彼女を見て益々楽しくなったのか、イリヤスフィールはスススッとシロに近寄り、人差し指を口元に置きながら、愉快そうに唄うように言葉が続けられる。
「まさか、人に勧めておいて、自分だけ私服で済まそうなんて思わないわよね~?」
だらだら、褐色の肌から冷や汗をこぼしながら、シロは視線を泳がせ、「……わかった。着る。着るからそんな目で見るな、イリヤスフィール」と心底困ったような声で告げた。
「ふふん、わかったならよろしい。シロは良い子ね~」
「そうやって私を子ども扱いするのはやめてくれないか?」
そんな何気ないやりとりが……年齢が逆な気もするが、本当に本物の姉妹のようで、眩しくけれど微笑ましくて、思わず頬がゆるむ。
ぽかん、と視線が私に集まる。
それに、自分でも意外なほど穏やかな声で、「では、祭りの日まで厄介になりましょう」と告げた。
はっと我に返ったイリヤは、優しげな天使にも似た表情を浮かべて、「舞弥、気付いた?」とそんなことを穏やかな声で言った。
「?」
思わず首をかしげる。
「貴女、今、笑っていた」
第四次聖杯戦争の終結と切嗣の日本への居住……あれから約9年の月日が流れた。
変わったのは彼らばかりで、私だけは年齢以外何も変わっていないのだと思っていたけれど、本当は私も変わっていたのだろうか。
あの男……瀕死の身体のまま、それでも藻掻き生き喘いでいたバーサーカーのマスターだった男をふと思い出して、手は引き金をひくような形を描いた。
それらの答えはまだ見つからない。
side.衛宮士郎
高校生になって初の夏祭り、一緒に同伴するメンバーはこれまでになく多くて、思わずそわそわしながら、親父と二人、女性陣の着替えが終わるのをまつ。
がらり、と戸を開けて一番初めに入ってきたのは、予想通りというべきか、親父と揃いの色の浴衣を身に着けたシロねえだった。
ちょっとあっさりしすぎなくらいの、親父と柄違いの藍色紬に、地味な印象の浴衣のデザインとは対照的な、黒い花模様がどことなく色っぽく派手やかな蘇芳色の帯。見事なまでの白髪は結い上げられて、いつもの紅い髪留めと黒くシンプルな簪で纏め上げられている。
大人の女性なら、これに加えてメイクの1つでもしているものだろうけど、シロねえはいたっていつも通りの素顔で口に紅1つ入れてやしない。
多分イリヤに化粧するようにいわれはしたけれど、いつもの調子で頑として断ったってとこだろう。
でも、化粧なんてしていなくてもシロねえは充分に綺麗で、結い上げられ露わになった、浴衣から覗くうなじがどことなく色っぽくて、少しだけ目のやり場に惑う。
「イリヤたちはもう少しかかりそうだ。茶でものむか?」
あっさりと飾りっ気のないいつも通りの言葉を告げる、シロねえ。
だけど、いつもは祭りも私服で通しているシロねえが浴衣を着ているという事実に、妙にどぎまぎして、「飲む」と上擦った声で答えてしまった。
うわ、なんだか今日の俺すごく情けないぞ。
シロねえは家族だっていうのに、俺は何を考えてるんだ。
だけど……やっぱりこういう女の人らしい格好しているシロねえって貴重だし、綺麗なんだよなあ。
そりゃイリヤみたいなプロのモデルも裸足で逃げ出すレベルの美人じゃないかもしれないけどさ、でもイリヤとタイプが違ってもやっぱりシロねえは美人だと思う。ちょっと童顔だけど。
だから、うん、なんだその……俺も健全な男子高校生である以上、こういう時ドキドキしてしまうのはしょうがないと思うんだ。シロねえは俺の家族だけど、血が繋がっているわけじゃないんだしさ。
いや、それも言い訳だってわかってるけど。
そんな煮え切らない俺の態度を前に、シロねえは一瞬不思議そうな顔を浮かべるけど、思いなおしたのか、なんでもないかのような仕草で茶を沸かしに向かった。そんな姿が堂に入っていた。
「切嗣さーん、桜ちゃん終わったよ」
そんな言葉を上げて、シロねえの次……約15分後に入ってきたのは、髪に黄色い花飾り、同じく黄色地に抑え目の向日葵柄の浴衣、そして控えめなデザインの浴衣とは対照的に、オレンジ地にコミカルな虎の絵が描かれたのが人目を引く帯を身に着けた藤ねえと、友人である間桐慎二の妹、桜の姿だった。
「あ、あの……」
下をむいて、うつむきながら自信なさ気な声を出す、中学時代の後輩の姿。それに暫し見惚れた。
「先輩……どうですか? 私、変じゃないですか?」
髪型は……いつも通りの桜だ。
けど、ピンク地に白い桜柄の浴衣、藤紫色の和模様が入った帯、結い紐は赤で、その小さな口には薄っすらと紅がひかれていて、それを一言で言うのならば、凄く……。
「うん、可愛い」
俺の言葉に反応するように、ぱっと、藍紫色の瞳が輝くように上を向く。
「本当ですか……っ」
「嘘なんてついてどうするんだ。うん、今日の桜は凄く可愛いぞ」
えへへ、と照れたように桜が頬をかく。それに、きらんと虎の目が輝く。
「ほほう?」
「……なんだよ、藤ねえ」
思わず胡乱気な目で、自称「おねえちゃん」を見上げた。
「んー、士郎もお年頃ってことかなってね」
うふふ……なんて笑うのが正直薄気味悪い。
「いや、でも本当に今日の桜ちゃんはいつもにも増して可愛いよ」
と、にこにこしながらも落ち着いた調子で言葉をかける
それに桜は、にっこりと、俺に向けたのとは種類の違う笑顔を浮かべて「おじさまも、ありがとうございます」と、ぺこりと頭を下げ、それから、桜と藤ねえの分の茶をもって居間へと入ってきたシロねえにも頭を下げた。
「シロさん、こんな素敵な浴衣まで用意していただいて、ありがとうございました」
「気に入ったかね?」
「はい、とても」
そういって微笑む桜の姿は、まるで名前通りに桜の花みたいに綺麗だ。
そうシロねえも俺と同じことを思ったのか、俺には出せないどことなくキザったらしい口調で、けれど声音は穏やかにこう言葉を続けた。
「ふむ……やはり君には名前の通り、桜がよく似合う。気に入ってくれたというのであれば、製作者としてはそれに増した喜びはない」
「え……それってわざわざ私の為に作ってくださったってことですか?」
……そうなのだ。
実は衛宮家から夏祭りに参加するメンバーの浴衣は全部シロねえの手作りである。
勿論、俺が今着ているオレンジ色の浴衣もシロねえ手ずからの作品だ。
それに思いを馳せて、少し照れくさくなる。
「そうだが……なんだ? ひょっとして迷惑だったか?」
「いえ、迷惑だなんてとんでもないです。でも……私の為にわざわざ作ってくださったなんて、なんだか申し訳ないです……」
しゅんと桜がうなだれる。
それに、シロねえは、家族でも見れるのは稀なほどに穏やかな顔をして、ぽんと、桜の柔らかそうな髪の上に手をおいて、優しく梳いた。
「何、気にすることはない。私が好きでやったことだ。それに、師が弟子に贈り物をするのはそれほどおかしなことでもあるまい。気にするな。君の今日の仕事は、今日という日を少しでも沢山楽しむことだ」
諭すような優しい響きに、桜の頬も緩む。
「はい」
そういって笑う桜の顔は、初めて会った時の暗さとはどこまでも対照的で思わず安堵の息を内心ついた。
「士郎、シロ、大河、桜ー、おまたせー」
そういって元気な声で入ってきたのは、親父やシロねえの昔からの知り合いだっていう、舞弥さんを引き連れ現れたイリヤだった。
その台詞の中に、親父だけが含まれていないのは……多分わざとなんだろうな。
横目で見るに、やはり爺さんは娘の仕打ちを前にしくしくと年甲斐もなく哀しんで、苦い顔をしたシロねえに肩を叩かれ慰められている。
イリヤはなんで親父にだけあんなにキツイのかな。
……まあ、知らない他人にもキツいけど、親父のとはまたそれは種類が違う気がするし。
と、内心苦笑する間もなく、暫し固まる。
いつもはおろしている、雪みたいな白銀の髪をポニーテールに結い上げ、赤と黄色の花飾りを身に着けているイリヤ。控えめな薄水色の着物には兎があしらわれ、でもそんなに子供っぽいデザインというわけでもなく、しっとりと落ち着いた風情をかもし出している。その胸の下で纏めている帯はタンポポが描かれた薄い黄色の帯。それら全体的に薄い色が、赤朽葉色の布地によって引き締められている。
幼い頃から見続けてきた不思議な印象の紅色の瞳が笑みを象る。白い雪の妖精を思わせる美貌。どこかの物語から抜け出してきたみたいだ。
思わず頬が火照る。
(落ち着け、イリヤの浴衣姿も着物姿も去年も一昨年も見てきたじゃないか)
昔からイリヤは綺麗な子だった。控えめに言ってももの凄く美人だ。
でも、年々それに増して綺麗に、女の子から女の人になっていく。その大人と子供の中間である少女としての美しさに、その浮世離れした美貌に浮かんだ天真爛漫さに、心をかき乱される。
だけど、毎回こう赤くなってたらたまらない。意地で、照れを引っ込めた。
「ああ、イリヤ、よく似合っている」
「えへへ、シロ、ありがとう」
固まっていた俺より先に声をかけたのはシロねえだった。
「うん。イリヤは浴衣もよく似合うよ」
「キリツグには聞いてないわ」
シロねえとは対照的なイリヤの冷めた返答に、がんと、親父がショックを受けて沈む。
「もう、イリヤちゃん。どうして、そんなに切嗣さんに冷たいの」
「おじさま、大丈夫ですか」
ぷんぷんと怒ってみせる藤ねえと、心配気に爺さんに近寄る桜。
「イリヤ、その物言いはあんまりだろ」
思わず、はあ、とため息をつきながらそう言うと、イリヤはむぅと頬をふくらませ、こう呟く。
「だって……うざかったから」
最後のほうがぼそぼそと、聞こえるか聞こえないかの声でそんな言葉を告げるイリヤ。
思わずため息を吐いて、こう諭す。
「イリヤ。爺さんはイリヤのたった1人の父親だろ。大事にしなきゃ駄目だ」
「だって……」
語尾が弱くなり、それきり言葉は切れた。
ふ、と目線をやると、浴衣を着た舞弥さんが所在なさ気にたっていた。
常盤色地に紅牡丹、サーモンピンクの帯には、流水と小さな花模様があしらわれている。見事に真っ黒な髪は飾りっ気のない黒のバレッタで纏められていて、その姿は堂に入っている。とても着物の類を初めて着た人間には見えない。
でも舞弥さんは黒髪黒目だし、浴衣もよく似合うけど、どこか異国人じみている感じもするのは、年中海外を飛び回っているという話だからなのだろうか。
思わず疑問を確かめるように言葉をかける。
「舞弥さんは、浴衣を着るのは初めてって本当なんですか?」
そう俺に話しかけられた舞弥さんは、少しだけ意外そうに、僅かながら目を瞬き、少しだけ思案して見せたような間を置いた後答えた。
「そうなりますね。変、だったでしょうか」
言葉としては、この部屋に入ってきた時の桜と同じような台詞ではあるけれど、淡々としたその口ぶりからも同じ印象を受けることはない。彼女にとっては、これもただの確認作業にすぎないのだろう。
「そんなことないです。お似合いですよ」
慣れない敬語を口にしながら、にこりと笑って、本心からの言葉を告げる。
それに律儀に彼女は「有難うございます」と淡々と頭をさげて、シロねえに手渡された茶を啜った。
今年はいつもよりも人が多い分、みんなでまわるのははっきりいって大変だ。
だから、今年に限ってはくじ引きをして、誰と誰がペアになってまわるのか事前に決めておき、花火が始まる30分前に待ち合わせの場所で合流するという形となった。
その結果、イリヤと
その姿は子供っぽくてほほえましくて可愛らしい。
とりあえず、祭り会場までは全員一緒だ。横で歩きつつ、子供みたいに感情駄々漏れの義姉の姿に苦笑する。
「シロか、士郎と一緒が良かったのに」
拗ね気味な調子でそう呟くイリヤ。
「そう言うなよ。この機会に、親父ともっとちゃんと話をしたほうがいいと思うぞ」
そう告げると、イリヤは拗ねた目で俺を見上げた。
「キリツグと話すことなんてないもの」
「それにだ」
ああ、これは別のアプローチをしたほうがいいな、とそう思ったので少し卑怯かもしれないけどこう提案する。
「舞弥さんを祭りに誘ったのはイリヤだろ? これを機会に、ちゃんと日本の祭りを案内してあげないと」
「それをしたら、士郎、褒めてくれる……?」
……不意打ちだった。
普段はよく姉ぶるイリヤだったが、時折俺相手にはこんな風に、少し頼りなげな、守りたいと思わせる顔や言葉を表に出す事がある。再び、顔に熱が集まりだす。
それを誤魔化すように手で顔を扇ぎながら、それでも言葉だけはしっかりと「ああ、いくらだって褒めるさ」と言い切った。
ふわりと、イリヤが微笑む。この笑顔が昔から俺は好きだ。
「ねえ、士郎」
くい、と袖を引かれる。
「うん?」
「わたし、今日まだ肝心なこと、士郎の口から聞いてないわ」
肝心なこと……なんだっただろうか? と、ふと、家を出る前のことを思い出す。
そして、思い至った。
「ああ、イリヤ、その浴衣凄く似合っている。うん、可愛いぞ」
「うん、ありがとう。士郎もよく似合っているわ。わたし、見惚れちゃった」
そうして悪戯そうに微笑むイリヤは、大切な宝石を慈しむように、俺の手をぎゅっと握った。
side.エミヤ
屋台がところ狭しと並ぶ中を、間桐桜と一緒に並んでまわる。桜は、どことなく、不思議の国に迷い込んだ
時間が進むにつれ、人が増えてきた。
頼りなげな少女の肩を見下ろす。人波に今にも浚われそうだ。
実際浚われそうになって、そっと、間に入って助ける。
「大丈夫かね」
「はい、ありがとうございます」
ぺこりと、軽くお辞儀をして、またまじまじと周囲を眺める桜。
……もしかしたら、祭り等こういう行事に参加したことはそれほど多くないのかもしれない。
じっと、少女の視線が一点に集中した。何を見ているのか、程なく気付く。射的の景品のぬいぐるみのようだ。少女らしい嗜好に私の頬もゆるむ。
「一回だ」
そのまま迷わず的屋を選び、金を払う。
桜はちょっと吃驚したように「シロさん?」と話しかけ、私は店の親父から射的用の玩具……銃を受け取る。この距離で私が外す筈もなく、そのまま、あっさり狙いの景品を撃ち抜いた。
「……うわ、やるねえ、ねえさん」
そんな店の親父の言葉を無視して、すっと、今とった景品であるぬいぐるみを桜に手渡す。
「え……シロさん、あの……」
「何、無理にとはいわないが……よければ受け取ってくれないか? こういったものは君のほうがよく似合う」
桜は少し惑ったかと思うと、次に柔らかな微笑みを浮かべて「はい」とそう答えた。
桜は、明るくなった、と思う。
初めて会った時の桜はもっと暗く、自分の内に篭りがちな少女で、何故そう思ったのか自分でもわからないが、そんな彼女を変えたくて衛宮邸で料理を教えることを提案し、誘った。
生前、彼女とどういう関係であったのかの詳細部分については、磨耗し果て死んだ私には既にわからない。類似状況に遭遇すればそれに纏わる記憶が蘇ることもあるのだが、そもそも生前のことについて覚えていることのほうが少ないのだ、当然だろう。私の記憶の殆どは風化している。
でも、この懐かしさからすれば、おそらく親しい存在だったのだろうと思う。
桜が御三家の一角、間桐家の跡継ぎだということを考えれば、そうやって家に上げる行為は危険ともいえた。だから、はじめは爺さんに桜を家に入れる事は反対もされた。
しかし、体感時間にして8年10ヶ月程前にサーヴァントとして参加した第五次聖杯戦争では、桜はマスターではなかったように記憶している。少なくとも、その姿をそういう場で見かける事はなかった。それに桜自身は他人を容易く傷つけるような子じゃない。それを理由に説得に踏み切った。
間桐の家の人間という時点で警戒を完全に解くことはありえない。
だが、それでも受け入れようとしたのは、あの暗く陰のように生きる少女に笑って欲しいと、そう思ったからかもしれない。
(……そんな感情も磨耗し果てたと思ったのにな……)
まるで昔の自分に引き戻されていくかのようだ。
もう私は
思えば、この9年弱の年月はずっとそんなことの繰り返しだった。穏やかに、安らかに、まるで本当に人間のように暮らしている自分を自覚する。……私は死人だというのに。
それを悪くないと感じはじめたのは、さて、いつからだったのか。
「桜」
「なんですか?」
穏やかな藍紫色の瞳が私を見上げる。
「君はもっと我侭になっていい。むしろ、なってくれないか?」
「え?」
「君は子供だ。まだ発展途上の少女だ。大人は子供を守り、導く勤めがある。まあ……私では役者不足かもしれないがね、それでもこういう時くらいもっと頼ってくれないか?」
「え……と、それって……」
桜が言いよどむ。
「まあ、そうだな。ふむ、手始めに欲しいものがあるのなら迷わずいってほしい。縁日の出し物だ、多少は割高だが……何、たまの散財くらい構わんだろう」
「……そんなこと言っていると、私、調子にのっちゃいますよ?」
桜はどこか心配気な、でもそれでいて楽しげな表情で首をかしげながら私を見上げる。
「君のような可愛らしいお嬢さんの頼みなら喜んで請け負うさ」
「ふふ、その物言い、まるでシロさん男の人みたいです」
……まあ、男だったからな、とは流石にいえないが。
「やはり、私では役者不足かね?」
「いえ……有難うございます」
そうして本当に綺麗に、桜は笑った。
side.衛宮士郎
「もー、士郎、そんなにのんびりしてると、おねえちゃんおいてっちゃうんだからね」
がおー、と手をあげながら、藤ねえが元気良く声をあげる。
「あー、はいはい」
その声が結構でかいのが、一緒にいて恥ずかしいんだよなあ。
藤ねえはずっとこの調子だ。
あっちこっちに目移りしてぱたぱたと行くからそのうちはぐれるんじゃないかと思う。まあ、ここには藤村組から店を出している人も多いみたいだし、知り合いが多いみたいだから、はぐれたところでどってことないんだろうけどさ。
そう思いながらぼんやり藤ねえを見ていると、聞き知った声に呼び止められる。
「あれ? 衛宮じゃないか」
「慎二」
声をかけてきたのは、桜の兄貴で、俺の親友でもある間桐慎二だ。今日も今日とて女の子を数人連れている。
それに相変わらずだなと思って内心苦笑する。
どうやら慎二も今日は浴衣だったらしく、老竹色地に唐草模様というチョイスが垢抜けていて、瑠璃色の帯がしゅっと締まった色男を演出している。浴衣にあわせて同じく緑系統の苔色の下駄の選択が中々渋い。
慎二のやつは相変わらずオシャレだ。
「そうだ、衛宮」
なんだよ、と返事をする前に、慎二に手をとられ(気付いていたが、慎二なので避けなかっただけだけどな)、こそこそと内緒話をするように顔を寄せられ、小声で話しかけられる。
「なあ、今日はシロさんと一緒じゃないのか?」
そう口にする慎二の顔は、まるで純粋な少年のような照れ顔だった。
……ああ、そういえばそうだった。
慎二は初めて俺の家でシロねえに会って以来、こんな感じでシロねえのことを気にしている。
だけど……。
「なあ、慎二」
「なんだよ、衛宮」
むっとしたように、慎二が眉根を寄せる。
「お前、遠坂が好きなんじゃなかったっけ」
そう、確か、うちの学年のアイドルにしてミスパーフェクトの異名を持つ、あの遠坂凛に告白して、こっぴどく振られたとかなんとか聞いたような。
「あのなあ、衛宮」
ふぅ、と慎二はまるで聞き分けの悪い生徒を前にしたような顔をして言葉を続ける。
「いいか、遠坂とシロさんに関する感情は全くの別物なんだよ。ったく、なんでそんな当たり前のことがわからないわけ? ああ……衛宮だから仕方ないか」
……いや、わからないから。
「あの人はそんなんじゃないんだよ」
そう呟く慎二の顔は、どことなく真剣味を帯びていつつも切実な響きすら籠もっているようで。
とりあえず、慎二の心は中々複雑みたいだ。
「そうか」
ひょっとして俺が知らない間にシロねえと慎二に何かあったのかもしれないけれど、それを聞くのも野暮なのかなと思いつつ、そう返事を返す。
すると慎二はそれまでのどことなくシリアスな雰囲気を置き去りにして、また元の少年の顔に戻して再び俺に訊ねた。
「で、一緒じゃないのか」
「ああ、シロねえは今桜と一緒にまわってる。あとで合流する予定だけど、それまでは別行動だ」
「げ、あの足手まといとかよ」
俺の口から告げられた桜の名前に、慎二が嫌なものをきいたとばかりに頬をひくつかせる。
「慎二、妹にそんな言葉はないだろ」
「まあ、あの人は優しいから、桜みたいな落ちこぼれにも手を差し伸べるんだろうな」
相変わらず言葉は酷いが、そのわりにその声音には棘が含まれていなかったから、それ以上咎めるのはやめる。そもそも、この毒舌さが慎二の持ち味なんだし。これがなければ慎二じゃない気がする。
ひょいと、慎二が俺から離れ、連れていた女の子たちの元に向かう。
「行くのか?」
「ああ、あの人によろしく言っといてくれ」
そんな言葉を残して慎二は俺と別れた。
side.エミヤ
待ち合わせ時間30分前が近づき、桜と私は集合場所に近づく。その時、何度かこれまでも聞いてきた威勢のいい少女の声が私の耳に届いた。
「あー、レッドのねえちゃん!」
「おや、これは奇遇」
「エミヤさん、お久しぶりです」
嬉しそうな声をあげて、私を指差しはしゃぐ、浅黒い肌の少女は蒔寺楓。
時代がかった口調のミステリアスな少女は氷室鐘。
ぽやんと柔らかな微笑みを浮かべるいかにも癒し系といった感じの少女は三枝由紀香だ。
彼女達と初めて会ったのは3年ほど前の夏の海だったか。
ナンパに絡まれていた由紀香を助けたのが始まりで、その時は名乗りもせずに別れたのだが、新都を歩いていた時にばっかり何度か出くわし、根に負けた末、「エミヤ」とだけ名乗った。
以来、何故かこの3人に懐かれている。
「3人とも、元気そうでなによりだ」
ふむ、とそれぞれの格好を見回す。
3人は3人とも浴衣に身を包んでいた。
色黒の肌が健康的な楓は、藍色地に桔梗柄、帯は灰色が地だが、色鮮やかな花模様に包まれていて地味さはどこにもない。左下に一匹だけ描かれた赤い蝶が印象的だ。落ち着いた意匠の浴衣は、元気で活発な彼女には合わぬと思いきやなんのその、呉服屋の娘で普段は着物で過ごしていると聞くだけあって、よく似合っている。
鐘は、白緑地に、白鶴と月をあしらい、大人っぽく仕上げている。帯の色は老緑と柑子色。唐草模様が慎まし気に描かれている。衣装にあわせて華やかな和柄のポーチを身に着けている辺りが抜け目がない。髪は結い上げ、赤い花飾りを一つ、それが大人っぽい落ち着いた色合いに華を添えている。
由紀香は、朱色地に流水と和鞠をあしらった浴衣に、山吹色の帯には黄色い小さな花々が描かれたデザインに、結び紐は鮮やかな茜色。全体的に可愛らしいデザインとなっており、赤い花飾りもまた、その印象を強めている。
三者三様ながらも、それぞれの長所を引き出すようなチョイスだった。
「ふむ、楓も鐘も由紀香もよく似合っている。年頃の娘らしい美しさだ。また、下らぬナンパにひっかからぬよう注意することだな。次も私が助けられる保障などどこにもないのだからな」
その言葉に3人が照れたように頬を赤らめる。
「かー、もうあんなのにひっかかるわけないって」
「む……前から思っていたが、貴殿は男子のような物言いをよくされるな。まあ、私も人の事を言えんのかもしれぬが」
「あははは……エミヤさんもその浴衣よくお似合いですよ」
そんなやりとりを繰り広げていると、後ろからおずおずと遠慮がちな声がかけられた。
「あの……」
今日の連れである、桜だ。
話においていかれてどうしたものか、と思っていたのだろう。不安を絵に描いたような顔をしている。
「およ?」
「もしや、妹君か?」
「でも、そのわりに似てないぜ」
3人が興味津々といった風情で桜を見る。
それに、桜が萎縮した。
「ああ、桜。こちらの3人は……そうだな。士郎や君の兄の学友にあたる。まあ、色々あってな……私とは顔見知りといったところか」
「そうですか」
士郎の学校の生徒ときいて、ほんの少しだけ桜の警戒が緩む。
「おおう、顔見知りとはレッドのねえちゃん、そりゃつめたいぜ」
「ふむ、まあ確かにそれほど知っているわけではないからな」
「あはは……」
個性もバラバラながらも仲が良いのだから、全く、本当にこの3人は見ていて飽きないな。
「間桐桜です」
そう、桜が挨拶をすると、3人は大小は別にして一様に驚く。
「え……間桐ってもしや、あの間桐か?」
「君の兄とはもしや間桐慎二のことか」
「あの間桐くんの妹さん?」
その言葉に戸惑いつつも桜は……「えっと……はい、そうです」と答えた。
「かー、まじかよ。あの間桐の妹でなんでこんないい子そうな子になるんだ?」
「全く、事実は小説より奇也とはこのことだな」
「あはは……。あ、自己紹介が遅れたね。わたし、三枝由紀香。こっちの子は鐘ちゃん……氷室鐘ちゃんで、こっちは蒔ちゃん……蒔寺楓ちゃんだよ」
見るからにふんわりとした由紀香の空気に触れたせいか、桜の警戒もまた少しゆるみ、差し伸べられた手を握り返している。
「あ、はい。先輩方、よろしくおねがいします」
そういってぺこりと頭を下げる桜の様子はとても穏やかで、見ていて安心した。
「お、シロねえ、桜、ここにいたのか」
「桜ちゃーん、シロさんおまたせー」
といってやってきたのは、士郎と大河だった。どうやらこの調子だとイリヤたちが一番遅いようだ。
「あれ? 氷室、蒔寺、三枝。お前ら、なんでシロねえと一緒にいるんだ」
きょとんと、士郎が3人を見回して首をかしげている。
「げげっ、衛宮なんでお前ここに」
「いや、なんでって言われても」
その浅黒い肌をした少女の言葉を前に、腑に落ちない顔をして士郎が腕を組む。
「まて、蒔の字。彼女の名前を思い出すんだ」
「えっと……衛宮君、今エミヤさんのことを『シロねえ』って呼んだよね。それってもしかして」
「ああ、シロねえは俺の姉だ」
きっぱりと、士郎はそういいきった。
その少年の答えを前に、ぴしり、と自称冬木の黒豹である少女が固まる。
「え……えええええええ~~~!? 嘘だ、なんでお前なんかのねえちゃんがこんな凄い人になるんだよ! イリヤ先輩だけで腹切り物だってのによ~~~。レッドのねえちゃん本当なのかよ。衛宮なんかが弟なんて、嘘だよ、な、な?」
なんらかの希望的観測をつけて私に縋りつく色黒の少女。
……何故そこまでショックを受けているのか、元・衛宮士郎である私としては複雑な気がしなくもないが、とりあえず答えを返す。
「本当だ」
がーん。そんな擬音が本当に聞こえてきそうな風体で、少女はあからさまなショックを受けてへこんだ。
「なに? 何の話?」
話についていけてない虎はしこたま買い込んだ食い物をむぐむぐと消化していた。桜は状況がわかっていても何も言い出せず、ただ苦笑しながら立っていた。
イリヤ達が合流するその直前に、3人娘達は、鐘の「さて、これ以上家族の団欒を邪魔するわけにはいくまい。楓、由紀香、行くぞ」との言葉を合図に立ち去っていった。
再会したイリヤは、分かれたときのどことなく不満そうな様子は跡形もなく消え去り、今は士郎相手に嬉々として今までの経緯を話している。士郎もそんなイリヤの様子に頬を緩めながら耳を傾けている。
ふと見ると、隣には舞弥が立っていた。
「祭りとは、これほどにぎやかなものなのですね」
淡々とした声。
だけど、どこか羨望のような色が僅かに染み出しているのは、きっと私の気のせいではないのだろう。
「もっとにぎやかな祭りはいくらでもある」
「そうですか……」
そんな言葉と共に口を紡ぐ横顔を見る。
老いたな、と思う。
女性に年齢の話をするのは失礼ではあるが、それでも、8年余りの年月は人間にはとても長い。
出会ったときは皺一つない若い女だった。
だが、今は口元と目元に少しばかり皺が浮いている。30も半ばになろうとしているのだから、それが当然だ。寧ろ、8年以上の歳月を経ても全く外見に変化が見られない私こそが異端なのだから。
私の外見が変わらないのも当然だ。
受肉したとはいえ、私は英霊の一席。変化などおきよう筈がない。変わるのは髪の長さぐらいのものだ。
それでも……受けた当初はただ、災難としか思えなかった、小さな凛による呪いが今は寧ろありがたい。『普通の人間のように髪がのびる呪い』といえば、なんとも間抜けな響きでは在るが、人間の外見には髪型もまた大きく作用する。私自身の外見年齢は全く変化していないが、それでも髪型一つで5歳くらいは印象が左右されるといっていい。
それは、年をとっていないということを誤魔化すのにはとても有益な手だ。
……とはいえ、流石に10年も誤魔化すのは難しいだろう。いくら若作りだと言い張っても限界はある。それから考えたら……さて、聖杯戦争のことを抜きにしても私はあと何年冬木で生活ができるのやら。
偽造戸籍上の私の今の年齢は26歳。あと1年半もすれば第五次聖杯戦争がはじまるわけだが、それを抜きに考えたところで、保って、あと5年が限界というところだろう。
ああ……でもそんな心配はそもそもいらない。
これは余計な思考だった。
そんなことを考えているうちに花火がはじまる。空に打ち上げられる大輪の花。それを前に人々の瞳が輝き、その天上のアートを眺め、見惚れていく。
人の手で創られ、創意工夫されて残ってきた伝統と職人技の人工の花。
だが、それは確かに人々の心を打ち、感動を与える一枝なのだ。
「また……」
ぽつりと、士郎がつぶやく。
「また、みんなで来年見に来ような」
それにふっと明るい声でイリヤは「ええ、そうね、勿論よ」という。
二人は花火を見ている。だから、気付いていない。
爺さんは……切嗣は、哀しげに瞳を細めて、儚く笑っていた。
「親父?」
静かなことに……返事がないことに気付いたのだろう、士郎が振り向く。それに、切嗣はいつもの顔を装って「ああ……そうだね」と、静かな声で告げ、そして。
「約束しよう」
そう言った。
花火が終わり、祭りは終わった。その帰り道、私は切嗣の横に立ち、念話で会話を繋げた。
『爺さん』
『ん……? どうしたんだい、シロ』
まるで好々爺のような顔と口調。しかしその頬はやつれ、指は細くなっていた。それは、なにも歳をとったから、とそれだけの事情ではない。
『保ちそうに……ないのか?』
僅かな動揺がラインに流れ込んでくる。
『まいったな……』
『どうなんだ』
第四次聖杯戦争。あれから8年と9ヶ月の歳月が流れた。
その間、蒼崎の礼装のおかげもあったのだろう。年月を経るごとに力を少しずつ取り戻していった私とは裏腹に、切嗣の力は少しずつ少しずつ、年々弱っていった。
なんといおうと、最後の令呪が残っている以上、私は切嗣のサーヴァントだ。契約を断っていない以上、受肉していようと今も私と切嗣の間にはパスが通っている。故に、マスターである彼の状態がわからない筈がない。
ラインから流れる魔力からしても、切嗣の生命力そのもの自体が弱っているのは明白だ。
『保つよ』
こともなげに、爺さんはそう伝えた。
『来年の約束を反故にする気はない。それに、聖杯戦争がはじまるのは第四次から数えて10年目なんだろう? それまで、保つよ』
『……本当に、か?』
淡々と伝えられる声。だが、それに逆に不安が過ぎる。
『自分の身体のことは自分がよくわかっている。だから、そんな顔をしなくても大丈夫だよ。君がそんな顔をしていると、イリヤや士郎が哀しむし、僕も見たくないなあ』
『……わかった』
たとえ虚勢だろうと、それでも信じると決めたのだから、だから私は思考をそこで打ち切った。
「もう、シロ、おいてっちゃうよー。ついでにキリツグも、早くきなさーい」
白いお姫様が元気良く発破をかける。
その紅色の瞳には明日への希望がつまっていた。
「わかったわかった。今、行く」
そして空を見上げる。
果たせるかわからぬ約束を残して、そうして今年の夏も終わっていくのだ。
了
おまけ、「猫好き必死」
この後、イリヤの猫嫌い発覚。