新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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 ばんははろ、EKAWARIです。

 50話に入り、やっと聖杯戦争らしくなってきましたね。
 というわけで、物語全体としては漸く折り返し時点に来たかな? ってとこですね。
 とはいえ、第五次聖杯戦争編としてはまだまだ序盤に過ぎないわけですが、バゼットや舞弥さんなどキャラも増えてきた以上、全部のキャラに均等に出番や見せ場を用意しているとは断言出来ませんが、それでも出来る限り1キャラ1見せ場はあるようにいきたいと思っていますので宜しくです。


12.戦端二つ

 

 

 

 憧れ、浮かれ、裏切られる。

 無様で、なんて滑稽。

 どうして私はこうなのだろう。

 罪の証があるというのならば、無くなったこの腕が証なのだろうか。

 すみません、ランサー。

 私は自分のサーヴァントも守れぬマスターでしかなかった。

 

 

 

 

 

  戦端二つ

 

 

 

 side.バゼット

 

 

 覚えているのはこの感情だけ。

『死にたくない』

 経過すらどこかに置き去りにして、その言葉だけが呪文のように内に残る。

 まどろみ、ざわめき、蠢く。

 死の世界はあまりに冷たい。

 こんな筈ではなかったなんて、そんな言葉に何の意味があるのだろう。

 すぅ、と……突然意識が浮上する。

 ふわふわと、浮いていく。

 ごぽごぽと泡を吐く様に、私は、そんな風にして目覚めの時を迎えた。

 

 重い目蓋を開く。

 最初に見えたのは一面の白。

「……?」

 目が慣れない。体が重い。

 自分が何故こんなところにいて、どうなっているのかがクリアに思い出せず、ただぼんやりと数秒を過ごす。

 それから耳に届いたのは知らぬ声。

「気がつきましたか」

 かけられた声は知らない女のものだった。

 それで、覚醒した。

「ッ!」

 ばっと、上半身を起こし、そのまま反射的に女を組み伏せようとして、気付いた。

 私に、左腕は無い。いつでもあった筈のその先は消えていた。

「あ……っ」

 思い出した。それで思い出してしまった。

 そうだ、あの日、私は浮かれた気分のまま、あの男に……今回の聖杯戦争の監督役の言峰綺礼の呼び出しを受けて……そして、そこで左腕と令呪をとられたんだ。

「……ァアア」

 思わず残った右手で自分の顔を覆う。

 そんな私に、先ほど声をかけた女性は「状況はわかりますか。ミス・バゼット」そんな言葉を口にした。

「落ち着いたら、急に動くのはやめたほうがいい。一時は本当に危篤状態だったのですから」

 言われて、私はゆっくりと、その女のほうを見た。

 それは黒髪黒目の国籍が不明な30代半ばほどの女だ。

 漆黒の髪を頭上で一つに束ねており、衣装もまた闇に融けるようにシンプルな黒衣を身に着けている。

 その顔立ちは端正ではあるが、目元や口元には僅かに皺も浮いており、もう十年も若ければ美人であると評されていただろう切れ長の美貌で、であるからこそ人形のような無表情さがよく際立つ、そんな顔の女だった。

「……失礼ですが、貴女は」

 先ほど、この女性は私のことを「ミス・バゼット」と、そう呼んだ。

 つまり初対面である筈の彼女は最初っから私が誰か知っていたということだ。

 そのことから警戒心をもって問いを投げかける。

 そんな私に対し、女は全く動じることもなく見た目通りの印象の声でこう答えた。

「貴女を保護したものです。ここは冬木市ではなく、隣町にある裏の人間御用達の病院です。貴女は此処に昨日から入院しているのですよ。もう一度言います、ミス・バゼット。貴女は自分の状況はわかりますか?」

 淡々と落ち着いた声のその女性は、おそらくは魔術師なのだろうと思う。

 けれど、聖杯戦争のマスターにしてはあまりにも微弱な魔力量だし、なによりマスターだとしたら私を助ける理由がわからない。そう、きっと彼女はマスターではないのだろう。だからこそ、こんな状況では嫌でも認めざるを得なかった。

 失った、左腕には幾重にも包帯がまかれている。

「私は……サーヴァントを失ったのですね」

「そうです。貴女はもうマスターではなくなりました」

 その言葉に沁みた。

(すみません、ランサー)

 誓ったのに、貴方と聖杯戦争を勝ち抜くのだと。

 そんな風にうなだれる私に向かって、女性は淡々と続けた。

「……貴方のサーヴァントだったランサーに伝言はありますか?」

 その言葉に目を見開いた。

「どういう、ことだ」

 この人はマスターではないのだろうと思った。だからこそ私に接触したのだと。

 だが、違うというのか。

「落ち着いてください。私は貴女を保護する命を受けて、ずっと貴女についてここにいました。昨日、貴女のサーヴァントだったランサーは、貴女からランサーを奪った男との契約を切り、私の仲間の一人と再契約を果たしたと、そう連絡がきました。ランサーには貴女を私が保護していることは告げてあります。彼は貴女のことをやはり気にかけているそうです。貴女からランサーに元マスターとして伝えることはないですか」

 ランサーが他の人間と契約したこと、それからあくまで私は元マスターでしかないというそんな女の言葉に、そんな権利もないのに傷つく。

 サーヴァントは聖杯戦争の為に召喚に応じるのであり、サーヴァントとマスターの関係とは、普通の使い魔のように信頼関係で成り立つものというわけではないのだから、契約者(マスター)を彼が変えたことを責めるのはお門違いだということもわかっている。

 マスターがいなければ、魔力で身体を構成されている彼らは現界出来ないのだから。聖杯戦争のサーヴァントとマスターの関係は、表向きは主従を謳っていようが、結局の所実際にそうかと尋ねれば、違うとしか言いようがない。

 それでも、それでもと希望の糸に縋るように未練が口をついて出た。

「私が再びランサーのマスターになることは」

「無理でしょう。貴女はとっくに聖杯戦争を脱落した身です。その身体で何が出来ますか?」

 女は本当に感情を交えずに淡々と言う。

 だからこそ、その言葉は何よりも響く。

「折角、拾った命です。聖杯戦争が終わるまで大人しくしていてください。さて、私はそろそろ行きます。何か用があればこちらの無線で御連絡ください」

 事務的な声音で語りながら、女は私に先ほど口にした無線らしきものを手渡す。

 そうして、女はそのまま、本当に振り返ることすらせずに行こうとした。

「待って……!」

「何か?」

 淡々と尋ねる、黒曜石の瞳。

 ぐっと、残った右腕で拳を握りこんで、搾り出すような声で、私は其れを告げた。

「ランサーに……ランサーに伝えてください」

 ……戦えなくなった私に、何の価値があるというのだろう。

 先ほどはああいったけれど、こんな姿をよりにもよって彼に見せられるわけがない。

「不甲斐無いマスターで、すみませんでした……と」

「ええ。了解しました」

 そうして、ぱたんとドアが閉め切られ、黒衣の女はいなくなった。

 ぼとり、と身体を白いシーツに落とす。

 染み一つ無い白が目に痛かった。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 夕食が終わった後、皆が集まる話し合いで其れは決められた。

「とりあえず、教会を襲撃するわ」

 とは、イリヤの談。

「そうだな。ランサーには元マスターのバゼット嬢の仇を討たせるという約束をしている。面倒ごとは先にすますとしよう。まさか、言峰も失ったと思ったランサーに即座に攻め込まれるとは思うまい」

 なんてことを言いながら、ふむとシロねえは頷く。

 それに、ランサーの奴は、「お、いいね。そういう単純明快な作戦は好きだぜ」といいながら、囃し立てた。

「今はわたしがランサーのマスターだから、襲撃に行くのはわたしとランサーの二人にするわ。キリツグは後方待機。シロは確か他に用事があるんでしょ?」

 その言葉に、俺は「ちょっと、まてよ、イリヤ」そうストップをかけた。

「俺も行く」

「士郎、大丈夫よ、ランサーもいるんだから」

 イリヤは俺の心配を読んでそう言葉をかけるが、俺はそれに否、と首を横に振ることで答えに変え、言った。

「もし、途中でサーヴァントに遭遇した場合、サーヴァント同士の戦いはランサーがいるからいいけど、その場合イリヤを守る人がいないだろ」

 イリヤの作戦自体はきっと間違っていないんだろうとは思う。

 だけど、問題はここだ。この作戦にはイリヤを守る人がいない。そして俺は空いている。

 なら、その役を俺が果たさなくてどうするんだ。

「言ってたじゃないか。聖杯戦争では真っ先にマスターが狙われるもんだって。俺だって鍛えてるんだ、イリヤの盾くらいにはなれると思うぞ」

 イリヤだけ危険に晒すなんて、そんな真似許容出来る筈がない。

「士郎に守ってもらわなくても、わたしだって戦えるもの。大丈夫。だから、士郎は」

 昔からイリヤは俺が積極的に戦うのをよく思っていない。

 それは知っているし、イリヤはいつもわたしがお姉ちゃんだからわたしが守るんだって口にするけど、だからって女の子に守ってもらうほど俺だって子供じゃないし、俺だってイリヤを守りたい。

 だから、いくら反対されてもこればかりは譲れない。

「でも、攻撃魔術が得意ってわけじゃないだろ、イリヤは。いいから、こういうときくらい俺に守らせてくれよ……サーヴァントには敵わないかもしれないけど、俺だって戦えるんだ。ちょっとは頼ってくれよ、その……ね……姉さん」

 イリヤは俺やシロねえに「姉」と呼ばれることに弱い。

 其れを狙って普段言い慣れない呼称を口にして、自分で言ってて思わず赤面した。

 ヤバイ、想像以上に恥ずかしいぞ、これ。

 イリヤもつられたように白い頬を紅く染めて、目線を右へ左へ彷徨わせる。

「シ、士郎、そんなことをお願いしても、お姉ちゃん、士郎が危険な目にあうのは許さないんだからね」

 なんていいながらも、動揺している。

 あと一押しだ、恥ずかしいからって負けるな俺と思って続けた。

「俺だって、イリヤが危険な目にあうのは嫌だ。今回ばかりは何を言ったってきかないからな。……姉さんっ」

「あ……う……」

 くそ、二人そろって顔を茹で蛸みたいに真っ赤にして、馬鹿みたいだ。恥ずかしい。本当、これ恥ずかしいぞ。

 そんな時、思わぬほうから助け舟が来た。

「いいんじゃねえのか? 嬢ちゃん。坊主だってここまでいってんだ、連れて行ってやれよ」

 そうさらっと言ったのはランサーだった。

「よく見ろよ。いっぱしの男の目しているぜ。男が女を守りたいって言ってるんだ。それを汲んでやるのもイイ女の仕事だろ。違うか?」

 なんていいながら、口元に思わせぶりな笑みを浮かべて、ランサーは流し目でイリヤを見た。

 イリヤは「勝手なことを言って」なんてぶつぶつ言ったかと思うと、「いいわ。士郎を連れて行くっていうんなら、責任をもって士郎の事も守りなさい」なんてランサーに告げて、それからふいと背中を向けた。

「話が終わったな。それでは、今夜11時に家を出るとして、入浴と仮眠でもすませたまえ」

 そんなシロねえの言葉で、食後の話し合いは締めくくられた。

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

 空を見上げる。夕陽が沈んで夜に切り替わる逢う魔が時、それももう終わる。

 遠坂の屋敷の屋根の上で、そんな光景を見ながら、私は、昨日の女……もう一人の私との会話の内容を思い出していた。

 

 

                * * *

 

 

 昨日、……日付でいうのならば、今日の2時過ぎ頃にあたる夜の学校の校庭で、白髪褐色肌のその女を前に私は確信染みた問いを投げかけた。

「オマエはオレか?」

 その俺の言葉に、にっと口元に笑みを浮かべて、女は至極あっさりと次の内容を白状した。

「そうだ。随分変質してしまったが、私はオマエだ」

 そう、それはわかりきった答えでもあった。

 いくら性別が違おうと、同じエミヤシロウならばわからぬ筈がない。

 ぴりぴりと相手に感じるこの違和感と不快感、それは同一の存在がそこにあるからこそ起こる矛盾による摩擦だ。世界は同一の存在がそこにあるのを嫌う。

 とはいえ、聖杯戦争に召喚されるサーヴァントとは、座にある本体ではなく、あくまでコピーである分身でしかないし、その上この目の前の相手は本人の言葉通り随分と変質している。性別なんて人の根本的なものまで変わっているとなると、全くの同一のものとは既に呼べない存在だ。

 故に、同一存在が其処にあるからこそ起こる違和感と不快感も最小限に抑えられてはいる。

 だが、最も解せなかったこと、それは昨日の夜、学校で見かけた衛宮士郎よりも、この目の前の女に対する不快感や違和感のほうが強かったということなのだ。

 つまり、女でありながら、この女のほうがこの世界に存在している衛宮士郎よりも英霊エミヤ(わたし)には近いという、そういうことなのだ。

 おまけに、目の前の女は受肉している。

 これはどういうことなのか問いたださぬほうがおかしいだろう。

「解せんな。何故、そうなった」

 それに女は、いつぞやも鏡で見た自分の顔そっくりの表情とニュアンスで淡々とこう言葉を続けた。

「さて、オマエ自身先ほど言ったことだが、あまり時間があるとはいえん。短期間で説明するにはあまりにも複雑すぎてな……それに私自身、己に起きたことを正確に把握出来ているとは言えん。ただ、わかるのはこの世界で切嗣に召喚された時には既に、私は何故か女の身体になっていたということだ」

「何……?」

 今、この女は切嗣に召喚された、とそう言ったのか?

 馬鹿な、と思う。

 第四次聖杯戦争で切嗣が召喚するのはセイバーのはずだ、断じてオレではない。

「切嗣は生きている」

 女は真っ直ぐにオレを見て、そう告げた。

「意味がわかるか。この世界の衛宮士郎は『あの呪い』を受け継いでなどいない、そういうことだ」

 それは、オレが召喚に応じた理由すら壊すような言葉だった。

「この世界の士郎は決して私にはならないさ。なぁ、英霊エミヤ(もうひとりのオレ)、それでもオマエは衛宮士郎を殺そうと思うのか」

 衛宮士郎を、英霊エミヤ(わたし)への道を歩もうとするだろう過去の自分を、その前にこの手で殺す。それは淡い希望だった。

 過去の自分自身をこの手で葬ることで、世界に矛盾を起こして自分の座を消滅させると……きっとそんな願いは叶わなくて、ただの八つ当たりで終わるだろうことはわかっていたけれど、そんな藁にも縋るような希望に縋りたくなるほど、そう、私は、オレは疲れ果てていた。

 たとえ、召喚した相手がかつての養父であろうと、女に変質していようと、根本的にそれでもこの女は私と変わらぬはずだ。

 そうでなければ、ここまで相手が変質して尚違和感と不快感を感じなどしなかった。

 強迫観念のように目の前の相手を認めてはいけないのだと、そんな感情は相手が自分自身でなければありはしない。

 この世界はおかしいと、召喚された時からそんな予兆はあった。

 だから、この世界の衛宮士郎が願いを叶えてくれるような存在ではないことを告げられても、理解は出来た。

 だが……。

「何故、オマエはそれほど強く、衛宮士郎の存在を肯定している?」

 理解出来ないのはそれだ。

 本質は私と同じであるはずの目の前の女は、明らかにこの世界の衛宮士郎を庇っていた。

 女は少し俯いて、掠れたような声で、静かに告げた。

「幼いアレに魔術を教えることになった時、私はアレに尋ねたのだ」

 揺れる瞳。

 その女の様は、神への懺悔をするようにも、遠い偶像を想う姿にも似ていた。

「そう、『オマエにとっての正義の味方とは、なんだ?』そう、尋ねた時、アレは……士郎はこう答えたんだ」

 祈るように、囁くように。

「『誰かが辛い時に傍にいて、笑って手を差し伸べてくれる存在。人々に笑顔と希望を与える存在。誰かが哀しいと思っている時傍にいてくれる人。それが正義の味方』なのだと」

 それは、あまりにも違った。

 英霊エミヤにとっての『正義の味方』とは違いすぎた。

 そう、つまり英霊エミヤは数多くの人の『命』を救う存在こそが正義の味方だと、手の届く範囲にいる人間全てを泣かせないことが正義の味方であると定義したのに対し、この世界の士郎は、正義の味方とはつまり、人々の『心』に寄り添う存在であり、そういう人物こそが正義の味方であると考えていたということなのだから。

「馬鹿みたいな話だ。私はそれだけで士郎を守ろうと思ったのだから」

 ああ、これは自分ではないと。自分には絶対にならないものだと、そう思ったのだと、そんな女の声が、安堵と羨望の声が聞こえてきそうだ。

 そしてそれはそのまま自分の声でもあった。

 笑顔で手を差し伸べるなんて、そんな選択、自分はとてもじゃないが出来なかった。

 そもそも、心より笑えたことのほうこそ稀だ。この身は自分のためにあっては為らず、この命は他人の為にこそ使うべきだと考えて、ただそうやって駆け抜けた。

 たとえ誰に裏切られようと、愚かにも死ぬ瞬間までもずっと誰も恨むこともなく、助けても蔑まれ、何を考えているのかわからない、気味が悪いといわれ続け、そうやって絞首台に上った人生だった。

 確かに多くの人を救おうとしてきて、その選択を選んできた筈だけれど、しかし笑って誰かに手を差し伸べたことなんてあっただろうか。その命だけではなく『心』まで救おうとしたことなんてあったのだろうか。

 そんな資格自分にはないと思ってはいなかったか?

 笑って誰かに寄り添う存在こそが正義の味方など、そのような発想は少なくとも、オレから出ることはなかった。

 この身は誰かの為にあらんとしてきた。

 幸せなど享受することすら罪だと思ってきたこの身では、そんな『正義の味方』像など考え付きもしなかった。

 当然だろう。エミヤシロウはとっくに歪んでいた。自分だけが生き残ってしまったそのことに対する罪悪感と、空っぽの器に詰め込まれた大きすぎる理想。自分の全てを作り上げた衛宮切嗣(ちちおや)への憧憬と羨望。

 エミヤ(わたし)にとって幸福とは即ち罪であり、苦痛だった。

 きっと、それはこの女にとっても同じだった筈で。

(そうか……)

 そんな答えを選ぶ、衛宮士郎も、いたのか。

 誰かを救うのは、身体だけでは駄目なのだと、そのことを初めから知っていた、そんな衛宮士郎もいたのか。

 ……私は死ぬまで気付くことが出来なかったのに。

 死んでも、ずっと長いこと気付けなかったのに。

「希望とは、なんだろうな。英霊エミヤ(わたし)。オレにはアレがそれに見えた。ただ、それだけだよ」

 

 

                * * *

 

 

『アーチャー、聞こえる?』

 マスターからの念話が聞こえ、はっと私はそれまでの思考を打ち消して、『どうした、凛』と返事を返した。

『こっち来て』

 言われて、すっと霊体のまま屋根から居間へと直接降りて立ち、実体化をして彼女の前に姿を現した。

 そこでは、身支度は完璧といわんばかりに、外出の準備を整えた遠坂凛の姿があった。

「柳洞寺に行くわよ」

 きっぱりとした言葉だった。

「待ちたまえ。本当にそれでいいのかね?」

「悪いけど、待つのは性に合わないの。それに、時間を与えるほうがキャスター相手には不利だってアーチャーだってわかってるはずでしょ」

 むっとしてそう答える凛。

「そのことではない。あの女の言うことを丸呑みにしていいのかと、私は言ってる」

 そう、キャスターが柳洞寺にいると凛に告げたのは、アーチェと名乗るもう一人の私だった。

「罠とは思わないのか」

「あら? ひょっとして自信ないんだ? アーチャー。最強だって言ってたのは何処の誰だったのかしら?」

「凛!」

 そう強めの声で呼ぶと、彼女は肩を仕方無さそうに竦めて、それから「心配してくれているのは嬉しいけど、大丈夫よ、アーチャー。あいつ、この手の情報で嘘つくことはないから」なんていって、くるりと無防備に背を向けた。

「とにかく、柳洞寺に行くわよ。これはマスターの決定! キャスターを倒せとは言わないわ。様子見も兼ねて今日は臨みましょ」

 全く、やれやれ。

 様子見で済んだらいいのだがな。

「了解した、マスター」

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 事前に用意されていたそれに袖を通して、俺は少し困惑気味に居間へと姿を現した。

「うん、サイズぴったりね」

 にこにことそう口にしたのは、イリヤ。

「なんだ、それが坊主の戦支度か?」

 なんて言いながら、ランサーは俺をにやにやと見ている。セイバーはどことなく驚きを宿したような目で俺を見た。

 シロねえもまた、いつもとは異なる格好に身を包んでおり、黒のノースリーブに右肩と右胸に肩当と胸当を身に着け、指先部分が露出出来るタイプの黒の長手袋? らしきものの上から右腕だけ手甲を嵌め、下はどこかで見たようなベルトの多い黒ズボンに、目にも鮮やかな赤い前開きの巻きスカートらしきものをつけていた。

 髪はいつも通り結わえて紅い宝石の髪留めで留めている。

 まるで、どこかのゲームから飛び出してきた女戦士みたいだ、とそう俺は思った。

 赤と黒という色の組み合わせ自体は同じだけど、いつもの家庭的な姿とはまるで別人みたいだ。

 あ、うん……派手だよな。シロねえの格好もだけど、俺の格好も。

「なぁ、これ、外へ着ていったら凄く目立つと思うんだけど」

 俺の格好といえば、半袖シャツとジーンズの上から胸当てをつけ、左腕にはよくわからないけど凄い魔力を感じる布を巻き、指先には指だし黒手袋をつけ、右腕には手甲を身に着け、シロねえの巻きスカートとお揃いの真っ赤なケープを上から羽織っているという、とても一般人には見えないような格好だった。

 正直、凄く悪目立ちすると思う。

 そう思っての俺の懸念に対し、イリヤはさらっとした調子でこう答えた。

「大丈夫よ、それには認識誤認の呪を施してあるから、魔術師じゃない一般人にはただの普通のコートにしか見えないわ。それに、そのケープも左腕のソレもどっちも耐魔力効果をあげるマジックアイテムなんだから、聖杯戦争中は外に出る時、外しちゃ駄目よ。士郎の耐魔力の低さは魔術師として失格レベルに酷いんだから」

 俺の未熟っぷりを指摘するその言葉にちょっとだけへこむけど、まあ、一般人には普通のコートに見えているっていうんならまだいいかなと少しだけ思って、気持ちを浮上させる。

「ついでだから、物理防御もあげてあるし、保温効果もあるから、薄着でも寒くないはずよ。士郎にあつらえたその胸当と手甲だって、強化の魔術を通しやすい素材で作ってあるんだから、強化の魔術を人体にかけるリスクも回避出来るし、それをつけている限りは即死の確率も大分下がる筈だわ」

 ……どうやら、見た目によらずかなりハイスペックな装備だったらしい。

「士郎、僕からはこれを」

 そう親父に声をかけられ、何か小さなバッジのようなものを渡される。

 普段着の着物ではなく、おそらくは戦闘スタイルなんだろう、くたびれた黒スーツに身を包んだ親父は、「最新式の小型カメラだよ」と、そのバッジらしきものについて説明した。

「僕は今回、家で待機だから、士郎たちに変化がおきないか、逐一そのカメラを通して家で様子を見ることになる。近距離なら音声も拾えるし、何か想定外のことが起きた場合僕のほうから指示することも出来るから、なるべく全体を見通せるところにつけておいてくれ」

「わかった」

 ついてこないとはいえ、それでも自分達を見守っているのだと、家にいようと心は一緒にいるのだと告げるような親父の言葉に少しだけほっと安心をする。

「今夜、私は別件にあたるが、何か異常事態があると切嗣(じいさん)から連絡があれば、私も向かう。安心しろ」

 ついで、口元に薄っすらと笑みを浮かべて、そうシロねえも言った。

「ったく、過保護な奴らだな。俺がいるんだ、そんな心配は不要だろうが」

 と、ここにきて、拗ねたような声でランサーは言った。

「こと、戦闘に関しては信頼はしているさ。それでも、万が一ということもある」

「あー、わかった、わかった」

 もういいって、とうんざりしたような声でランサーは言って、それから、4人で玄関に向かう。

「マスター」

 どこか迷うような少女の声がして、俺は出て行こうとした足をとどめて、後ろを振り返った。

「……御武運を」

 セイバーだった。

 金紗の髪の少女は、碧い瞳を迷わせて、躊躇いがちにそんな言葉を俺にかけた。

 ソレを見て、俺はセイバーを安心させるように「ありがとう。セイバー、親父を頼むな」と言って笑った。

 それに、何故か少女は悲しそうな顔をして、「ええ、ありがとうございます、マスター」そういって泣きそうな顔で微笑んだ。

 何故、そんな顔をするのだろうか。理由はわからない。

 ただ、セイバーは召喚されたそのときから何度もそういう顔を俺に見せた。その理由を俺は尋ねたことはない。

 気軽に尋ねていいことじゃないような気がした。

 遠くなる金髪の小さな影。その横で、ランサーが小声で「腑抜けが」と苦虫を噛み潰したような声でポツリと呟いた。それを何かの感情を抑えるような声だと思った。

 理由は知らない。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 キャスターの根城は柳洞寺だ、とそう告げたアーチェの言葉を頼りに、わたしは円蔵山に向かっていた。

 アーチャーも言っていた通り、あいつの言葉を鵜呑みにするのは魔術師としてやってはいけないことなんだって、わたしだってわかっている。

 だって、今は聖杯戦争中で、あいつがどう動くのかは知らないけれど、その家族は聖杯戦争に参加するマスターなのだ。

 キャスターの居場所を言ったのも、私達を利用する為に口にした、と見るのが正しいだろうし、きっと実際その通りだ。

(でも、仕方ないじゃない)

 冬木で横行する昏睡事件の犯人はほぼ間違いなくキャスターなのだ。

 あれほど見事な犯行は魔術師のサーヴァントでもなければ出来ないだろうし、わたしは一般人への被害は冬木の管理人として許せない。それに、他に手がかりもない以上、わかっている情報内で直接確かめるほうが手っ取り早いんだから、だから仕方ない。

 とはいえ、基本的にわたしは勝率のない賭けには出ないことにしている。

 だから、アーチャーにも言ったとおり、今日の目的は様子見だ。

 まずそうだったらさっさと手を引いて、次来たときに勝てる策を用意する。

 そんなことを思って、階段を上がっている時、それに気づいた。

「凛」

 アーチャーがわたしを守るように背中をむけて実体化し、立つ。

「ほう、これはこれは、姫君とそれを守る騎士といったところか」

 流麗に時代錯誤な着物を着こなして、涼やかな目元のその男は月を背景に現れた。

「サーヴァント……ッ」

「然様。今は女狐にここの門番に雇われている。ここを通りたくば拙者を倒して通るがよい」

 その言葉に、アーチャーが昨日の夜にも見せた白黒の双剣を手に構えを取る。

「アーチャーッ」

「アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎、参る」

 そして美麗な侍然としたその男は、不敵な笑みを口元に浮かべて、長い日本刀を手に獰猛に笑った。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 教会は深山町ではなく、隣の新都のほうにある。だからそちらに向かって歩き、橋の近くの公園を歩いている時……真っ先にそれに気付いたのはイリヤだった。

「……この気配……」

 リン、リンと冬の夜に鳴り響く鈴の音と、コツ、コツと響くブーツの音。

 数日前にも聞いた、そんな音を響かせて、やはり数日前にも見たその少女は、昔のイリヤによく似た美貌に身も凍るような冷笑を浮かべて、凄まじいプレッシャーを放ちながら「まぁ」と美しい声で感嘆をもらした。

「今日は幸先が良いです事。ずっとお会いする日をお待ち申し上げていましたわ」

 クスクスとおかしそうな笑い声をあげているのに、ちっとも笑っているようには見えない冷たい紅色の瞳をした彼女は、俺やランサーなど目に入らないかのようにイリヤだけを見つめていた。

(……イリヤ?)

 10年共に暮らしてきた義姉、イリヤスフィールの顔面は蒼白で、ぐっと何かをこらえるような顔をしている。

 レースやフリルをあしらったピンクのドレスなんて、子供らしさを強調するような格好をしているのに、子供らしからぬ冷たさを纏った少女は、明らかに俺やイリヤよりも格上の魔術師だった。

 そして、その小さな口を開く。

「レイリスフィール・フォン・アインツベルンです。初めまして、裏切り者の姉様(あねさま)

 そう、彼女は己を紹介し、氷のように冷たく微笑んだ。

 

 

  NEXT?

 

 


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