新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。

今回はワカメ回というわけで、このシリーズのワカメとエミヤさんの関係判明回です。
個人的には結構気に入っている回だったりしますね。
『まどろみの中見た夢』は嵐の前の静けさと、それぞれの思いへの再確認回みたいなものですが、やっぱりこういうジャンルの話はそういうそれぞれの動機みたいなものは大事なんじゃないかと思います。
まあ、なにはともあれ、これ含めてあと3回で序章は終了ですし、そこから先は不穏な事にしかなりませんがよろしくです。


14.まどろみの中見た夢 後編

 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 間桐は魔術師の名家だった。

 それを知った日から僕は特別なんだとそう思って育った。

 今は廃れていても、僕は特別な人間で、特別な才能をもっていて、いずれその間桐の全てを受け継ぐのは僕なんだとそう信じていた頃、義妹としてやってきた桜のことも、どこかの孤児を引き取ったのだろう、家にわざわざ引き取られるなんてよっぽど酷い所から来たんだなとそんな風に思っていた。

 最初はこの血の繋がりもない、暗くてノロマな妹のことをうざったく思っていたけれど、それでも愛玩動物として見るなら多少馬鹿なほうが可愛い。

 それに、どうせ間桐を継ぐのは僕なんだから、寛大な気持ちで接してやろうとそんなことを何も知らずに僕は思っていたんだ。

 魔術を学べる後継者はたった一人だけだ。

 他の兄妹は魔術とは隔離され、一般人として育てられる。それが魔術師の世界の常識。

 そして、魔術書がおいてある書斎に入れるのも、後継者である僕だけだ。桜は入れない。

 だから、僕が後継者なんだと、桜は同じ家で育てられていながらも、何ももっていない無力で可哀想な奴で、だからそんな奴相手にのけ者にするのも馬鹿らしいと、この愚鈍な妹を兄として可愛がってやろうじゃないかと、優越感混じりに考えていたあの頃。

 けれど、実際は逆で。

 本当の後継者は桜だった。

 本当は僕が見下されていた。道化師(ピエロ)だったのは僕だった。

 なんだよ、それは。

 哀れむなよ。ふざけるなよ、おまえ何様のつもりなんだよ。

 でも、桜は言うんだ。

 いつか僕があいつに向けていた同情と哀れみを宿して、そうやって言うんだ。

「…………ごめんなさい、兄さん」

 ……ふざけるなよ。

 僕を馬鹿にするのもいい加減にしろよ。

 おまえに哀れまれるほど、僕はおちぶれちゃいないんだよ。

 おまえが後継者だっていうんなら、そういう風に振る舞えよ、そしたら僕だってこんなに惨めな思いをしなくてすんだんだよ。

 そうして僕はその日、激情に駆られるままに桜を押し倒した。

 何度も罵倒して、罵って、桜を傷つける言葉をかけながら自分自身をも傷つけて、そんな風にこの血の繋がらぬ妹を抱いた夜。

 そんな夜……。

 深夜、ひとしきり桜を犯しぬいたあと、僕は家を抜け出した。

 当てなんて無い。どこに行こうとしていたのかも定かじゃない。僕自身何を考えて出たのかすら記憶にないほど、それは無意識の行動だった。

 ただ、惨めだった。

 悔しくて、腹が立って、矜持が粉々に砕け散らないようそればかりに必死だった。

 桜が家でどうなっているかなんて考えたくもないし、見たいとも思わなかった。

 そうしてぼんやりと、橋のあたりまでふらふらと歩いていた時、聞き覚えのある女性の声が耳に届いたんだ。

「慎二……君?」

 公園の蛍光灯の元、青白く光る白い髪を束ね、褐色の肌に長身の女性がぱちぱちと不思議そうに目を瞬かせて僕を見ていた。

 ああ、誰だっけと、一瞬考え込んで、それが以前に一度だけ友人の家で見た、そいつの姉である女性だってことに気付く。

 名前は……確か、シロねえと衛宮は呼んでいたっけか。

「こんな時間にどうしたんだ……?」

 歩み寄りながらかけられる声に、自分だけのことでいっぱいいっぱいだった僕は「アンタには、関係ないだろ」とそう答えて視線を外した。

 ふ、と女の影が離れる。

 どこかに行ったかとほっとしつつため息をつくと、ゴトン、とそんな音がした。

 顔を上げれば、そこには自動販売機からホットコーヒーを2つ取り出している彼女の姿があって、そしてその缶コーヒーを手にしたあと、そのうちもう片方を僕に向かって手渡した。

「……なんだよ」

 どういうつもりなのかと見上げると、白髪の女は「今日は月が綺麗だ。だが、1人で観賞するのは聊か味気ない。付き合ってはくれないか?」と、そんな言葉をほんの少しだけおどけるように、けれど静かな声で言い、とん、と公園に置いてあるベンチに腰をおろす。

 つられるように、つい僕も隣に腰をおろした。

「……アンタこそ、こんなところで、何してたんだよ」

「さて、夜の散歩と月見といったところかな」

 気負うのでもなく、さらりと告げる女の言葉に思わず毒が抜ける。

 プシュと、缶タブを抜いて、所詮インスタントな暖かいコーヒーを啜った。

 普段家で飲んでいるコーヒーに比べたら、クソ不味いとすら言える筈のコーヒーが暖かく五臓六腑に沁み込んできて、なんともいえない気持ちになる。

 そうだ、こんなの不味い筈だ。

 なのに、ただ、腹に暖かさが染み渡るだけで、てんで味がわからなかった。

 隣に座る女は僕のほうは見ずに、静かに空を見上げている。

 何も言わない。

 寒空の下の沈黙。

 だけど、それは不思議に嫌じゃなかった。

 なんでだろうな。

 会うのはこれで2度目でしかないし、殆ど接したことがない相手だっていうのに、こうしていると何故か昔っからいつも一緒にいたような、そんな気にさせられるんだ、この女といると。

 何故か、この女なら僕を有りの侭にそのまま受け入れてくれるんじゃないかって、そんな馬鹿みたいな考えを抱いてしまう。

 ただ、一緒にいるだけだ。

 何を話すでもなく、同じベンチに腰をかけて、公園でコーヒーを啜っているだけだ。

 なのに、それだけなのに、あれほどの家を出る前に抱えていた嫌な気持ちは随分とマシになっていた。

 そして、ぽつりと、僕は決して他人には聞かせまいと思っていたことを漏らす。

「僕はさ……自分が特別な人間だと思っていたんだ」

 なんでこんなことを言おうとしたのかは、今考えてもわからない。

 頼まれたって、誰にもいうつもりがない言葉だったのに、なのに、何故か言葉が自然と僕の内からあふれ出して、止まらなくなっていた。

「ずっと、僕こそが特別なんだって、僕は他の奴らとは違うんだってそう思っていたんだ。でも実際はそうじゃなかった」

 彼女は何も言わない。

 ただ、隣に座っているだけだ。

 まるで空気のように、水のように、自然のままにあるだけだ。

「道化だったんだよ、僕は。特別なのは、特別は……僕じゃなかったんだ」

 言いながら、声が震えた。

 感情が纏わりついて、苦しい。吐き出すものが痛い。

 自分で自分が言っている言葉に傷ついて、だけど言うのが止められなかった。

 そんな風に、他人に弱みをさらけ出すのは初めてだった。

「だったら、なんで僕を誤解させるようなことをするんだよ、あいつ。なんで、あいつは僕にむかって謝るんだ。謝るなよ、謝るな。謝られたら、僕はどこにこの感情をぶつけたらいいんだよ。なんで、謝るんだよ」

 きっと、何を言っているのか、聞いている側からしたら意味不明だったと思う。

 だけど、それが今の僕には精一杯だった。

 それが僕の精一杯だった。

「そうであるなら、そう振舞ってくれたらそれでよかったんだ。そうしたら諦めがついたんだ。今まで通りにはいかなくても、そうしたら僕は……」

 ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回して、血反吐をはくように言葉を続ける。

「そうだよ、あいつ、自分の言葉がどれだけ僕を傷つけているのか気付いていやしないんだ、馬鹿だから! ほんと、ふざけんなよ、あいつ。なんで、どうして、ぼくは……特別になれなかったんだ」

 最後のほうは蚊の鳴くような声で吐き出す。

 実の父親でさえ、僕よりも養子(さくら)を選んだその事実、その現実。

 いっそのこと、全て切り捨ててくれたらそれでよかったんだ。

 そうしたらふっきれた。

 そうしたら、こんな惨めな気持ちにならずにすんだ。

『…………ごめんなさい、兄さん』

 そう口にした桜の声が耳から消えない。

 兄と、僕のことを兄とよぶくせに、おまえは僕を哀れむんだ。

 だから、いっそのこと、その幻影も何もかも全て壊してしまおうと、そう思ったんだ。

 壊れてしまえばいいと思ったんだ。

 僕が欲しかったものを全部もっていって、僕が欲しいものを全て手にしておいて……ごめんなさいなんて言うなよ。

 いっそのこと突き放してくれたら良かったんだ。

 僕はおまえの兄になろうと、良い兄になろうとそう思っていたのに、全部それを茶番にするくらいなら、そのほうがずっと良かったんだ。

 苦しいんだ。

 惨めで惨めでたまらないんだ。

 やめろよ、謝るなよ。もっと、堂々としろよ。でないと、僕が惨めなだけなんだよ。

 僕が欲しくて欲しくてたまらないものをお前はもっているくせに。

 言わない。

 言ってやらない。

 あいつにそんなこと言ってやらない。

 言ったら……僕は、もう立ち上がれない。

 兄としてのプライド、それ以外にあいつ相手に何が残るんだ。

 それがなけりゃあ僕はどうすればいいんだ。

 あの家に……間桐に僕の居場所なんてない。そんなこと知っている。

 でも、それを認めたら、そうしたら僕には今度こそ何もなくなる。なくなってしまう。

 僕は……。

 とん、と背中に誰かの体温を感じて、のろのろと顔を上げた。

 見れば、褐色の肌に黒衣を身に着けた女が、僕に背中を預けてぽんぽんと、軽く2度ほど肩を叩いた。

「慎二」

 その発音が、そのニュアンスが、違う声、違う人物だというのに、唯一のかの友人と妙に被った。

「あまり、溜め込むなよ」

 そんな気負いの無い言葉が、やっぱり赤毛の友人によく似ていて、でもそいつよりもずっとずっと老成を感じさせるような、どこか遠くを見つめるような声音で響いて、僕の耳を通り抜けた。

「……ばっかじゃ……ないのか」

 そうだ、馬鹿だ。

 なんで、そんな言葉で僕は泣きそうになっているんだよ、本当に馬鹿じゃないのか。

 嫌だ、そんな無様なまねなんてしない。したくない。そんなこと、僕のプライドにかけてするもんか。

 唇を噛み締める。

 目を瞑る。

 震える拳を、両膝に乗せる。

「馬鹿じゃないのか……!」

 自分に対して叫ぶ。

 嗚咽するように、慟哭するように。

「なんだよ、それ……! 僕の気持ちがわかるとでもいうのかよ。憐れんででもいるのかよ。ぼ、僕が、どんな、なんであんたは、ふざけんなよ、ふざけんなよ、ふざけんなよ。僕は、僕は……僕がどんな気持ちかなんてわかってたまるかっ」

「そうだな、わからないな」

 あっさりと、彼女は背中越しにそう呟くような声で言った。

「人の気持ちなんて他の誰にもわかりやしない。理解なんてない。他人を理解したなんて……そんなものは思い込みに過ぎない」

 まるで遠くを見るように、過酷な人生を歩んできたもののようにその言葉は重々しく響いた。

「でも、支えたいと思うのは……間違いなのだろうか」

 堰が切れた。

「馬鹿じゃ……ない、のか」

 本当に馬鹿みたいだ。

 ボロボロ、ボロボロと涙が勝手に次々溢れ出す。

 彼女はそれ以上声をかけない。

 ただ黙って背中を僕に預けて、無言でそこにあるだけだ。

 今の僕の顔なんて誰にも見られたくない。

 ぐしゃぐしゃで情けない顔。それも、彼女は見ない。

 そう、そこにあるだけ。

 否定も肯定も口にせずに、有りの侭で傍にいるだけ。

 それがこんなに有り難いなんて知らなかった。

 それがこんなに嬉しいなんて知らなかった。

 背中越しに触れる体温が暖かくて、辛くて、苦しくて、その癖に何よりも心地よかった。

 たとえ誰に否定されても、それでも1人でも自分をあるがまま受け入れてくれる人がいるのならば、それは……。

 

 

               * * *

 

 

 いつもの自分の部屋、自分のベッドで、窓から差し込んできた光を合図にうとうとと、まどろみから目を覚ます。

「シンジ」

 そう自分を呼ぶ女のほうを見やる。

 紫の長い髪に、豊満な体を黒のボディコンのような装束に包み込んだ目隠しをつけた女。

 元は桜が呼び出して、今は僕のサーヴァントになったライダーだ。

 目覚め自体は悪くなかったのに、この陰鬱な面を見せられてちょっとむっとする。

「なんだよ」

「今日は学校に行くのですか」

 その言葉に、夢の余韻は消えて、頭がすっと覚醒した。

「当然だろ」

 言いながら、着々と制服へと着替える。

 ……学校にはこの女の宝具を使って張った結界がある。

 魂喰いのための、中にいる人間を贄にする結界、他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)だ。

 ライダーを偽臣の書によって自分のサーヴァントにすることが出来たとはいえ、僕には魔力をつくる魔術回路がない。それはつまり、魔力で身体を構成されているこいつに力を渡す手段がないってことだ。

 ないものは他所からもってくる、それが魔術師の基本だ。

 そして、人間霊であるサーヴァントの餌とは、人間の精神や魂になっている。

 だから、魔力を僕が生成できない以上、こいつ自身に人間を襲わせ食わせるしかこいつを維持する手段は無い。

 例え、魔術回路がなくても、僕は魔術師になる、そう決めていた。

 なんでも叶うという聖杯を手に入れたらきっとそれは叶う。

 だというのに、ちくりと何かが痛むような気がするのはなんでなのか。

 サーヴァントなんて破格の使い魔を手に入れて、遠坂たちと競う舞台に立てたんだ。もっと、高揚すると思っていたのに。

 ……学校には、あの人の弟でもある友人がいる。

 もしライダーの結界を展開させたら、そいつも餌食になるだろう。

(だからなんだ)

 魔術師ってのは外道の名だ。

 一般人なんて平気で踏み台に出来る奴らのことだ。

 僕はそれに今からなるんだ。だったら、友人だからとか、そんなの犠牲にするのに関係がないじゃないか。

 弱いのが悪いんだ。

 弱いのが、悪いんだ。

 僕は、あいつらを犠牲にすることによって、今までの甘ちゃんな僕と決別する。

 そうだ、あいつだって、僕のための贄になるんだったら本望だろう。

 でも、きっと衛宮が死んだらあの人は哀しむんだろうな。桜もまた……。

 ちくり、また胸に棘が突き刺さるような感じが襲ってくる。

 やめよう。

 考えるのはやめよう。

 全部、終わってから考えたらいいんだ。

「ライダー、お前は霊体化して僕についてこいよ」

 女にそう告げてから鞄を背負い、廊下に出る。

(そういえば……)

 気にかけないようにしていたけれど、桜の姿を暫く見ていない気がする。

 昔っから丈夫なことだけが取り得な奴だっていうのに、3日前からずっと塞ぎっぱなしだ。

 最後に顔を見たのは一昨日の朝だったっけか?

 ったく、僕がおまえのかわりにマスターとして頑張っているってのになんなんだ。

 でも、まあいい。

 どうせ桜にはそうやって家に篭っているほうがお似合いだ。

 そうだ、聖杯戦争中だって外なんか出ないでずっと家に閉じ篭っていたらいいんだ。

(……勘違いするなよ、こんなの気まぐれなんだからな)

 誰に言い訳しているのかわからないことを考えながら、桜の部屋のドアを開ける。

「おい、桜」

「…………」

 桜の声は聞こえない。

 布団は膨らんでいる。眠っているのか、それとも本当に具合が悪いのか。

 いつもだったらなにかしらの返事を返すのに。

「家政婦に後で机の上に粥を用意させておくから、ちゃんと食べて置けよ。……勘違いするなよ、別におまえを心配していってるんじゃないんだからな。……お前は間桐の女なんだ。フラフラ出歩いたりとか、そういう見っとも無い真似はするなよ」

 言いながら、言い訳みたいな口調になった。

 全く、なんで僕が桜如きにここまで心を配らなきゃならないんだ。

「じゃあな」

 余計なことを言い過ぎたと思って、慌てて部屋を後にした。

 だからか、その部屋の雰囲気がいつもと違うそれであったことにも僕が気付くことはなかった。

 

 

 

 side.キャスター

 

 

「行ってらっしゃいませ、宗一郎様」

 間借りしている部屋から出て、柳洞寺の山門付近までマスターである葛木宗一郎を見送り、にこやかに手を振りながら言う。

 それに、いつも真面目なあの人は「うむ、行ってくる」といって、きびきびとした動作で石段を降りていった。

 思わず、うっとりと見惚れていると、横から鬱陶しい声が聞こえてきて、私の折角の感傷を台無しにした。

「全く、女狐も惚れた男の前ではただの女といったところか」

 からかうような男の声は、想い人である彼とは真逆の軽薄なそれで、すっと絶対零度の声を作って「黙りなさい、アサシン」と厳しく告げて睨んだ。

 それに、紫の陣羽織を身に着けた男は、「さて、あの男がおぬしのその本性を見たらどう思うのだろうな?」とにやにやと厭らしい笑みを浮かべながら言う。

 ……この男、自分の立場がわかっていないのかしら。

「黙りなさいって言ったでしょ。貴方はこの山門さえ守っていればいい」

 じろりと睨みながら言うが、男は全く堪えていない。

 本当に腹の立つ男。

「しかし、随分と苛々しているではないか? さしずめ、あのバーサーカーのマスターが原因といったところか」

「……ッ」

「まあ、私の見立てでは、同族嫌悪なのではないかと思うのだがな」

「冗談じゃないわ。誰があのクソ生意気な小娘と同族ですって? それ以上世迷いごとを言うようなら、その口二度と利けないようにするわよ」

 その私の声を合図にしたように、ふと、男の雰囲気が変わる。

 飄々としてて軽薄なそれから真面目な顔にかわって、男は言った。

「気をつけろよ、キャスター。これは私の勘でしかないが、近々大きな変化が起きる。魑魅魍魎の類か、悪鬼の類かはしらんがな。このままで済む筈は無い。今は新妻ごっこにせいを出しているようだが……所詮は全て泡沫の夢、だ」

「っ!」

 ばっと、振り向き様に衝動的に魔術を放つ。

 男は既に霊体化して山門の上のあたりへと移動していた。

「忠告はしたぞ」

 そしてもう、興味をなくしたように振る舞うのだ。忌々しい。

 それを背後に、宗一郎様と一緒に住んでいる部屋に向かいながら、ぽつりとこぼす。

「わかってます」

 思い出すのは……あの雨の日。消えかけていた私を拾ってくれた時のあの人。

 サーヴァント・キャスターとして仮初めの生を得た、私という存在にとっての大切な思い出。

「アサシンなんかに言われなくても、わかっているわよ」

 聖杯戦争で呼び出される英霊なんて、所詮は英霊の座にいる本体のコピーに過ぎない。

 やがて例外なく消える運命。

「こんなの……まどろみの中見る夢のようなものだって」

 でも、それでもそれを大切にしたかった。

 少しでも長くあの人と共に生きたい、それが偽らない私の本音だった。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 朝食が終わり、方針について話し合う。とりあえず、現状に置いてはランサーの敵討ちの件は保留。

 またいつあの子に狙われるかわからないし、昨日の今日だ。

 でも、ランサーはあっけらかんとしたもので、自分の敵討ちが遅れるというのに、割と素直にそれを受け入れた。

「で、暫くは学校の結界対策をメインにやるってか」

「そうね。わたしと士郎とランサーでそっちにまわるわ」

「なぁ、イリヤ」

 そこで士郎が遠慮がちながらもはっきりした声で、口を挟む。

「何?」

「その、自分で頼んでおいてなんだけど、本当に大丈夫なのか? 無理はしないほうがいいぞ」

 その言葉に、昨日のことを言っているんだってわかって、苦笑しながらも私はこう返答を返す。

「平気よ。ちょっと……色々驚いちゃっただけだから」

 その言葉に、シロとキリツグが視線を伏せる。

 けれど、わたしはそれを見ないフリをして、弟を安心させるための微笑みを1つ浮かべた。

 そんなわたしに、罪悪感じみた謝罪の声が届く。

「すみません……イリヤスフィール。私が我侭を言っているばかりに……」

 セイバーだった。

 どうやら、私達に昨日ついていかなかったことに後ろめたさを覚えているらしい。

 思わず苦笑が漏れる。

 聖杯戦争のサーヴァントとマスターの関係なんて、所詮は利害の一致なんだし、前々から知っている仲ならともかく、私達なんて最近出会ったばかりの他人同然なんだから、そこまで気にしなくてもいいのに。

「気にしないで。戦う気がない人に戦わせるつもりなんて元からないんだし、サーヴァントとして召喚に応じてくれたっていうのに、聖杯を破壊しようとしているわたし達の敵にまわらないでいてくれるってだけで大分助かっているもの」

 それはわりと本音だ。

 サーヴァントは望みがあってサーヴァントとしての召喚に応じている。

 例外はたまにあるけど基本はそう。

 そして、最初のやりとりから見ても、セイバーは聖杯を求める望みへの比重が大きいタイプのように見えた。

 いくら聖杯が汚染されているといっても、言葉の説明だけじゃ破壊するのに対し、納得いかないのが普通だろう。

 聖杯を諦めきれないし私達を信用出来ないから敵にまわる……というのも可能性としてはあった筈の話で、それを今のマスターを斬って新しいマスターを探すどころか、味方にこそなってくれないとはいえ、傍観という形でどちらにもつかないことを条件に、けれど私達の邪魔をしないでいてくれているっていうのは、それだけで大分助かっている。

(だってどう考えても、セイバークラスに選出されるほどの英霊を敵に回すのは得策じゃないもの)

 だっていうのに、セイバーは「すみません」といって更に縮こまった。

 おそらくは、根が真面目なんだと思う。

 それを見ながら、ランサーだけは酷くつまらなさそうな、でも憮然とした顔でセイバーを見て、ふいとそのまま視線を逸らす。パスを通じて伝わってくる感情もあまりいいものではない。

「もう、謝らなくていいの。その話はこれで終わり」

 ぱんぱんと、手を叩いて仕切りを入れなおす。

「とにかく、わたしたち3人は学校で結界をなんとかする。あの子のことは……」

 ちくりと、言葉に出すのに少し胸を痛ませながら口にすると、キリツグが挙手してこんなことを告げた。

「そのことだけど、イリヤ。あの子の事は……僕に任せてはもらえないか」

「キリツグ……?」

 何を考えているのか、吃驚して思わず、父親である痩せこけたその顔を見上げる。

 キリツグは衰えたその黒い眼に真摯な色を乗せて、すっと頭を下げた。

「頼むよ」

「あの子は……わたしじゃないわよ?」

 何をキリツグが考えてそう言ったのか、震える手を見て気付いた。

 前に少しだけ聞いた事がある。

 キリツグはシロの生前の記憶が流れ込んで、その映像を度々見ることがあるんだって。

 その中には、わたしがもう死んでいるキリツグを殺しにくるものもあるんだってことは、シロとの会話とかでなんとなく察しはついている。

「わかっている」

「いえ、キリツグはわかっていない」

「わかっているさ」

 噛み殺すような声で響く父である男の声。

 其れを聞いて、ああ、説得は無理だなって悟った。

「そう、わかった……でもね、キリツグ、あの子がもしわたしの前にまた立ちはだかったら、その時は……」

 あの子を殺すのは、わたしの役目なんだって、士郎に聞かれないように言葉にせずに伝えた。

 わたしはもう、アインツベルンのホムンクルスじゃない。

 だから、今の体に移る時に、かつてもっていた膨大な魔力と魔術回路もまた失った。

 レイリスフィールと名乗ったあの子との、魔力量なんてきっと桁外れに違うと思う。だってあの子こそが今回の第五次聖杯戦争における小聖杯なんだから。性能は違って当たり前なんだろう。

 それが人間(ひと)として生きるってことなんだから。

 けれど、それでも、あの子を殺すのは、アインツベルンを裏切り、アインツベルンの全てを捨てたわたしの役目なんだと思う。

 士郎には嫌われたくない。

 だから、血をかぶる魔術師になる道を選んだといっても、誰かをこの手にかけることはしたくなかった。

 だけど、あの子はしたいとかしたくないとかじゃなく、しなきゃいけない。

 それが、あの子を生み出した当事者の1人であるわたしの役目。

 誰の手を借りることもなく、わたしの手でいずれ決着をつけなきゃいけない。

 それはきっと、あの子も望んでいることなんだと思う。

 

「私は、暫く切嗣のサポートにつく」

 話はまとまったと思ったらしい、シロがそう口にする。

「学校の事は任せっぱなしになる。……悪いな」

 本当にすまなそうに片眉を下げて、この図体ばかり大きな妹はそんな言葉を言った。

 セイバーもそうだけど、そんなことわざわざ謝る必要なんてないのに。

「ううん、気にしないで。わたしたちだっていつまでも子供じゃないのよ? 3人もいれば充分だわ」

 そうわたしが答えると、そこに横から声がかかる。

「まてよ、あのバーサーカーのマスターの嬢ちゃん相手に2人でいく気か?」

 どうやらシロの身を案じたらしい、ランサーはむっすりとしたどことなく不機嫌そうな顔で、シロと切嗣の顔を見ながらそんな言葉を口にした。

「それがどうした」

 特に動じることもなく、シロは感情を交えない淡々とした口調と表情でまっすぐにランサーへと視線をやる。

 続いてキリツグもまた、シロとよく似た表情を浮かべながら、この槍兵のクラスで呼び出された蒼い男の動向を観察するように黒い眼で見やった。

 そんな2人の視線を受けてもなんでもないかのように、ランサーはいつもの飄々とした口調で言う。

「いやな……そこに1人サーヴァントが余っているように見えるのに、なぁ? と思っただけだがよ」

 その半神を象徴するかのような赤い目が、一瞬鋭くセイバーを捉える。

 その意味がわからないほど剣使いの少女も鈍くはないのだろう。

「ランサー……何が言いたい」

 そう、セイバーが碧い瞳をきつくして、ランサーを見やる。

「いやいや、どこぞのただ食費を圧迫しているだけの腰抜けのことだなんて、いってねえぜ? ただ、生身2人でいくのは無謀過ぎやしねえかと思っただけだ」

 その言葉に、ピリピリと2人の間に殺気じみた緊張が走る。

 それを止めるように、ハスキーなどことなく声変わり前の少年を連想させる女声が響く。

「セイバーには」

 はっきりした声で、セイバーやランサーが何かを言うより先にシロはこう告げた。

「セイバーには我が家を守護してもらう。拠点を守るのも大事な役目だろう? それに、レイリスフィールはサーヴァントを連れぬ相手にはサーヴァントを出さない主義のようだ。話も通じぬわけでもない。却ってサーヴァントを連れて接触するほうが、相手を挑発するようなもので危険だ」

 そんなことを淡々と言い切る。

 それは何も知らないのであれば、ある程度説得力がある言葉ではあったけれど。

(……シロも、こういう時は役者よね)

 実の所、セイバーを庇う為の言葉に他ならないことを知っているわたしとしては、ため息の1つも洩らしたくなるような言葉だった。

 だって、そうでしょう?

 受肉した今こそ人間として暮らしているとはいえ、シロは元々第四次にアーチャーのクラスとして呼ばれたサーヴァントなのだもの。

 士郎やセイバー、ランサーは知らないし、シロのことを普通の人間と思っているからいいでしょうけど、アインツベルンである以上、あの子は確実に情報としてシロが切嗣のサーヴァントだったことぐらい知っていると見るべきで……ならその時点で、シロが口に出した説得の台詞は破綻しているも同然。

 だというのに、微塵もそれを感じさせない口調でそう白々しくも言い切るんだから、役者としかいいようがないと思う。

 けれど、それをわたしが指摘するわけにはいかなかった。

「それとランサー、先ほど終わったやりとりを蒸し返すような真似は以後やめてもらいたいものだ。君の英雄としての格を疑うことになる」

 その言葉に、けっと舌打ちをして、ランサーはそっぽを向いた。

 セイバーはすまなそうにも感謝するようにもどちらにも見える顔をして、シロにむかってぺこりと一礼する。

「それじゃあ、解散だ。士郎、イリヤ、学校にいくのならば急いだほうがいい。10分以内に出ないと遅刻になりかねない」

「え? もうこんな時間? そうね、じゃあ行って来るわ」

 そういって士郎と2人、学校の準備を整えて、3人で玄関へと向かう。

「まて、ランサー」

「ん? なんだよ」

 シロはそうやって霊体化してついてこようとしたランサーを呼び止め、そして次のような事をランサーに告げた。

「君の元マスターであるバゼット嬢からの伝言だ。『不甲斐無いマスターで、すみませんでした』と。彼女は昨日目覚めたらしい。斬られた腕は治らないだろうが、体は順調に回復していっているそうだ」

 それを聞いて、ランサーは、なんともいえない顔をして「……そうかい」とぽつりともらして、それから霊体になって姿を消した。

「イリヤ?」

 じっと、かたまっていたわたしをみて、学校に行く為の鞄を背負った士郎が気遣うような顔でわたしへと声をかける。

 心配されている。

 それがわかって、殊更明るい顔で「さ、士郎行こう」といって手を引いて玄関を出た。

 

 そして舞台は、化け物の胃袋に包まれた穂群原学園へと辿り着く。

 

 

  NEXT?

 

 


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