新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完) 作:EKAWARI
おまたせしました、最新話『懇願』です。
ここらへんから本格的に不穏な空気になってくんだよなあ、というわけで間桐家中心にお送りいたします。
幼い頃より、私は機械として望まれて機械として生きてきた。
感情は死に絶え(そんなものは元より必要ではなく)、ただ人を殺す道具であれと望まれた(激情に身を委ねるということがどういうことなのかがわからなかった)。
それに疑問も覚えずに生きてきた。
いや、そんな生を「生きている」と称すること自体、本当はおかしいのかもしれない。
子供を身ごもった時も、その息子と離された時も私に感じるものはなかったのだから。
……感じることが出来なかったことを悲しいと思えたら良かったのだろうか。
普通の母親のように我が子を思えなかったことも、そのことに価値を覚えられなかったことも。
人の真似事。
生きているだけの、人間を模ったただの戦闘機械。
だから、私を拾った男の部品の一部になると決めたときも感慨はなく、それでも自分と一見すれば似たタイプにすら見えるこの男が全く違っていることだけはわかった。
この人の支えになろうとかそういうものじゃない。
私にとってはその人の一部になるのは当たり前だった。
何故なら私には何も無く、今の名前さえもこの
だからこの人の為に死ぬことになってもそれで構わないと思っていた。
けれど、再会したこの人は根本の何かが変わっていたらしい。
私だけが置いていかれた。
そんな魔術師の為の戦場、そんな場所で私はとても奇妙な人を見た。
見つけたときには瀕死の体で、左の貌は潰れていて、何故生きているのかも不思議なほどに哀れな男。
そんな有様だというのに必死にどこかに行こうと、全力で「生きよう」としていたそんな男。
ぼんやりと羨ましいような気がした。
何故、そんなに必死だったのだろう。
何故、そんなに「生きて」いたのだろう。
最期に、その男が呼んだ名前は……この人が向かおうとした先はなんだったのか……あれから10年、その片鱗が漸く私にもわかったような気がした。
懇願
side.エミヤ
「それじゃあ、間違いないんだね?」
夕食が終わってからのいつもの話し合いの時間、アサシンのことについて私と舞弥からの報告を聞いた爺さんは、代表として確認のようにそんな言葉を口にした。
「ああ……誰がどうやったのかは知らんが、どうやらあのアサシン・佐々木小次郎を媒介に本物のアサシンを召喚した人物がいるとみて間違いないだろう」
その言葉にセイバー、イリヤといった面々は緊張を表にのせた。
ランサーは「へー」と気の抜けた声でけだるそうな姿勢で話を聞いている。
士郎はイマイチ実感が沸かないらしい。ぴんとこないといった顔をしたまま、ただ耳を傾けていた。
「参ったわね。此処にきて本物の暗殺者が出るなんて」
アサシンの登場、それがどういう意味をもつのかわかっているイリヤはため息混じりに言う。
生身の魔術師として、この反応は至極真っ当だろう。
アサシンには気配遮断スキルが存在している。
この家にも結界は張ってあり、それは
それを思えば工房といえるであろう自宅であろうと、襲撃される危険がないとは到底いえなかった。
あの、佐々木小次郎ならばいざしらず、本物のアサシンである以上この家の結界を突破するくらいはお手の物だろう。
「まあ、そういうわけだ。アサシンの件が片付くまで暫くは一人寝は避け、夜は男女2部屋に分かれてそれぞれ固まって就寝という方針で行こうと思うのだが……セイバー、戦いを無理強いする気はないが、そう言ってられる場合でもないのは君もわかるだろう。就寝時の警護について頼まれてくれるか?」
「わかりました。確かに、そのようなことを言っていられる時でもないようです。いいでしょう。この家は私が守ります」
セイバーはすっと静かな面持ちでそう述べる。
その瞳は此処に召喚されて以来初めて見せるだろう、彼女本来の澄んだ決意を思わせる瞳だった。
それに、戸惑うように士郎の「なんでさ」という言葉がかけられる。
「ちょっとまってくれよ、シロねえ。俺だけ話が見えない。アサシンがいるから1つの場所に固まって寝る? アサシンってそんなに危険なものなのか」
その言葉でつい、セイバーを見て、過去の何か恥ずかしい思い出が頭を過ぎりかけたが……それらの感傷を意識の外に押しやり、淡々とした声で私は説明を紡ぐ。
「サーヴァントとしての格はほぼ末端に位置しているとはいえ、それでも英霊の一席だ。それに元よりアサシンというクラスはマスターの暗殺にこそ長けている。この家の結界を誰にも気付かれずに突破するなどお手の物だろうさ。気付かぬ間に侵入され、寝首をかかれていたでは笑い話にもならん」
奴には気配遮断スキルがあるからなと付け足して説明すれば、士郎にも漸く重大性がわかってきたらしい。ついで、首をかしげ次の質問に移る。
「だけど、気配を絶って進入できて、マスター殺しに長けているんじゃ、一箇所に固まって寝てもあまり意味がないんじゃないのか?」
それで、今までだらだらとしたポーズで転がっていたランサーが漸く身体を起こして、「あのな、坊主、何の為の俺だと思ってんだ」とそう口にした。
「気配遮断スキルがあるといっても、さすがに攻撃に移るときまで気配を断てるわけじゃねえ。それに、所詮はマスター暗殺が専売特許の連中だ。英霊同士の斬り合いとなりゃあこっちに分があるんだ。同じ部屋にいりゃあまず、坊主や、あー……キリツグといったか? お前らを守りながら仕留めるくらいわけないんだよ」
だから心配するなと、そうあっさりとした口調でランサーは言い切った。
「やれやれ、その慢心が足を掬わなければいいのだがね」
つい、ぽろりと反射的にそんな皮肉を口にする。
言ってから、険悪な様子で文句を返してくるのではないかと私は思ったのだが、意外にもランサーは特に怒った様子もなく、「なんだ、俺を信用出来ないってか?」と軽い様子でそんなことを口にした。
その反応が、私の知るランサーとは違っていたので僅か戸惑う。
「いや、そういうわけではないが。言葉通りの意味だ」
言いながらも、困惑が強く口に乗った。
なんというか……調子が狂うのだ。
皮肉を言っても食って掛かってこないランサーなど、らしくないとしか思えない。一瞬だけ、ひょっとしてこいつはランサーじゃないんじゃないかなとそんな失礼なことまで思ってしまったくらいに、調子が狂う。
そんな私の困惑など気にしてもいないのか、ランサーは私にずいと近寄り、「なぁ、アンタひょっとして俺を心配しれくれてるのか?」なんてことをにやけた顔で言い放った。
「は……?」
何言ってるんだこいつ、と思わず思って私はまじまじとランサーを見返す。
「アサシン如きに遅れをとると思われるのは癪だが、まあアンタに心配されんのは悪くねえ。いいぜ。好みの相手じゃねえが、出合ったら全力で叩き潰すと誓おう」
その言葉尻にのせられた色に、私を見てくるその顔に、そういえばこの男は私を「女」と認識して接しているのだったと、今更ながらそんなことに思い当たって納得すると共に僅かに気落ちする。
同時、ぴりぴりと爺さんやイリヤから殺気染みた威圧感が漂う。
「たわけ」
いつの間にか掴まれていた右手を振り払う。
予測していたこの男の言動と対応が違う原因は、この男が私を「女」だと認識しているが故だということはわかったが、それはそれで男だった身としては中々に癪なものだ。
たとえ10年間女として暮らしていても、心まで女になった覚えはないし、これからも心まで女になるつもりはない。
とはいえ、私が元々が男だったという事情を他人に知らせるわけにもいかず、結果として「女じゃあるまいし、そんな扱い不愉快だ」とそんな本音を相手にぶちまけることも出来ないわけで、そんなところも含めて腹立たしく思い、苛立ちを声に混ぜたわけだが、ランサーはそんな私の態度を気にした様子もなく、飄々とした顔で払われた手を見ていた。
そんなところが、私からすれば余計に腹が立つんだがな。
「あの、仲がいいのは結構なことですが、本題を進められては?」
ごほんと、一言遠慮がちにセイバーはそんな提案をする。
それに思わず「だ、だれが仲がいいと。セイバー、君は何を見ていたのかね」と思わず言い返すと、「そうですか。私には貴方方がじゃれあっているようにしか見えませんが」と全く悪気の無さそうな碧い瞳で首を傾げながら見上げてきた。
く……やりづらい。セイバー、そういう顔は反則だぞ。
「なんだ、セイバー、お前もたまには良いことを言うもんだな」
ああ、なんか呑気にそんなことをいってくる、この馬鹿犬が憎い。
「ランサー、話をまぜっかえすのはやめなさい」
と、そこで話を止めたのは、ぴりぴりとランサーに殺気を飛ばしていたイリヤだった。
「アサシンの脅威がある以上、必要以上に夜の探索は控えたほうがいいわね。あの影の正体もよくわからないし」
「これだね」
カタカタと
それは映像ごしであるにも関わらず、見る者に悪寒を植え付けるほどの禍々しさを放っていた。
「これは一体……」
まじまじと見てくるセイバーを含め、殆どのものは正体がわからずに首を傾げる。
「舞弥は実際に影を目にしたんでしょ。何かわかったことってない?」
イリヤはくるりと、背後にいる30半ばほどの女性、久宇舞弥に向かってそう問いかけた。
舞弥は、静かに口を開き、淡々とした口調で報告を始める。
「いえ……私にも具体的には。ただ、あれは周囲から魔力を奪い吸収する生き物のように感じました。また、見たところ動いているものを特に標的としていたように思います。キャスターの結界を破ったのもおそらくはこの影の仕業なのではないかと」
「…………」
その言葉に、影の話になってから顔を伏せていた士郎が、琥珀色の瞳に力を込めて舞弥を見上げる。
「なぁ……寺の人は生きていたんだよな? 無事なんだよな」
その口調には焦りが含まれている。
おそらくは友人である生徒会長のことも思っての発言だろう。
「はい。少なくとも私が見た限りでは命に別状はありませんでした。その後匿名で救急車に連絡をしましたが、生憎最後までは見届けてはいませんから生存について断言は出来ません」
「……そっか」
「ですが、私があそこから抜け出した時既に影は去っていたようでしたから、無事と見てもいいと思います」
無表情でそれは淡々とした声だったけれど、その言葉には士郎を安心させるような色がのせられている気がして、私は我知らず安心した。
感情がわからないと舞弥は言う。
だが、無自覚であろうときちんと他人を思いやれる彼女は、ちゃんと人間なのだ。
「だけど、アサシンが残っている以上楽観視もまた出来ないだろうね」
きっぱりと切嗣が舞弥の言葉を打ち消すように、そんなもう一つの現実を告げる。
それに、士郎は僅かに肩を落とした。
ぽんと、セイバーが士郎の肩を叩く。大丈夫だと諭すように。
それをみながら、ついつい私も余計な一言を付け加える。
「それほどに気になるというなら、一成君に連絡をとればよかろう」
その言葉に、士郎は目を僅かに見開いて驚きを表に出した。
聖杯戦争中なのにいいのかと、そう如実に顔に出している。
「キャスターが消えた今、覗き見される心配もあるまい。電話越しに無事を確かめるくらい気にすることではない」
「シロねえ……サンキュ」
柔らかく微笑みながら、士郎はそう礼を口にした。
……参ったな、何故こいつのこういう笑みを見るとこう照れくさく感じるのか。
少々戸惑いながら、横を向いて、私は解散の合図をする。
「というわけだ。アサシンが出歩いている今、夜半の活動は出来るだけ抑え、一箇所に固まったほうがいい。出来るだけ、1人にはなるな。以上だ。それとランサー……」
と、そこで、思わず言葉を途切れさせた。
……正直あまり気が進まないし、あまりしたい提案ではない。
とはいえ、自分の今の戦力をわからないほど私は馬鹿であるつもりもないし、ここで黙って出て行けばあとでイリヤや切嗣に何を言われるかわからない。
だからこそ、私は少しため息交じりに……正直かなり癪な気はするんだが、次のことを口にした。
「夜の探索に行きたいのでね……ついてきてもらっても構わないか」
「お、いいぜ」
からりと、1も2もなくランサーは即答した。
……なんだろうな、この気持ちは。
(ふ……殴っても構わんのだろう?)
そんな言葉が頭を過ぎる。
いや、落ち着けオレ。早まるな。
出来るだけ不審に思われないように振る舞うと決めているのだ、平常心、平常心。
「1時間後に出る。それまでは好きに過ごしていろ」
そういって、背中を向けた。
「シロ」
そこへ、低い女性の声がかかる。
「舞弥?」
「確信がとれませんでしたので、言わなかったのですが……話したいことがあります」
side.三枝由紀香
「じゃあね、蒔ちゃん、鐘ちゃん」
学園からの帰り道、わたしはいつも一緒にいる大の仲良しの友達2人にそう言いながら手を振って別れを告げた。
「おう、由紀っち。また明日学校でな」
「最近は物騒だし、送りたいところなのだが」
「あはは、大丈夫だよ。鐘ちゃんは心配性だなぁ。じゃ、わたし弟達がまっているからもう帰るね」
そういって、早足で家に向かう。
あーあ、すっかり日が暮れて遅くなっちゃった。
みんなお腹すかせているよね。早く帰って美味しいご飯つくってあげなきゃ。そう思って歩を進めていたそのとき、ふと公園のほうに妙なものを見かけた気がして、足を止める。
「……?」
今何かいた?
気のせいかもしれないけれど、もしも人だったら放っておけず、わたしは思い切って声をかける。
「誰か、いるんですか?」
そして、ふと木の上のほうを見上げた時、わたしはそれを見つけて……。
「……!」
黒く長い手に口を塞がれた。
「ほう、私が見えるか」
それは異常な光景だった。
闇の中髑髏の仮面をかぶった男の影が薄く笑う。
それを怖いと思うのに声は大きな手に塞がれていて、悲鳴すら出ないままにがくがくと足が震えた。
其処に立っていたのは2mを越えた長躯の黒い男だった。
白い仮面だけが笑みを浮かべて浮いている。
「魔術師ではないが、適性はあるか。いや……たとえ魔力供給の役に立たずとも、居るだけで効果はあるか」
異形が、くつくつと何か良くわからない言葉を口にした。
「我が
そして、異形の黒い手はのばされる。
記憶はそこで途切れた。
side.間桐慎二
ライダーに適当に見繕ったチンピラを襲わせ、魔力供給をして、僕は意気揚々と自宅へと帰った。
ただいまなんて言葉は口にしない。そんな言葉に意味なんてないからだ。
他を顧みることもなく、僕は自室に向かって歩を進める。
「………………ぅ…………ぁ……」
「ん?」
きぃと、見れば桜の部屋のドアが僅かに開いていて、そんな感じのうめき声染みた声が聞こえ、僕は足を止めてあの愚図な義妹の部屋の前に立ち、声をかける。
「桜?」
あいつ、まだ寝てたのかと驚き半分でいながらも、こんな風に何日も寝込むなんて本当に珍しいと思い、僕は桜の部屋のドアを開けて、この義妹の部屋へと歩を進める。
何故こんなことをしたかっていったら、強いていうならちょっとした慈悲だ。
こんなでも一応は僕の妹だからな、見てやるのは兄としての義理だろう。
「おい、桜?」
桜は脂汗をかきながら眠っていた。呼吸は荒く、酷くうなされている。
「桜? おい、なんだよ、お前。おい、桜」
ここまで眠りで苦しんでいる桜を見るのは流石に初めてな気がして、僕は戸惑いながらも妹の肩をゆすって、起こしにかかる。
薄っすらと桜は瞳を徐々に開いていく。
「…………ぁ………………に……さん?」
眠りから覚めた桜は徐々にいつも通りの顔に戻ろうとして、小さく力ない声で「どうしたんですか?」とそんな言葉をぼんやり口にした。
それに知らず安心を覚えたけれど、まるでそれが桜に振り回されているみたいで正直面白くない。
……たく、なんで僕がこんな桜如きに気をつかわないといけないんだよ。
「全く、いくらお前がノロマだからっていつまで寝ているつもりだよ。もう夕食の時間だぞ、わかってんのか」
「ご、ごめんなさい」
桜は恐縮しながら、そう口にして上半身を起こす。
その瞳には僕の次の一言を気にするような色が見えて、漸く僕は許す気になった。
そこでつい、面白いことを思いつく。
そうだ、桜もあの馬鹿に騙されていた1人だ。それを教えてやろう。
「まぁ、いいや。お前がグズなのはいつものことだし。それより、知ったかよ。桜、衛宮の奴さ、魔術師だったんだぜ?」
そう僕が話した時の桜の顔は、なんと表現すればいいのだろう。
ぽかんと空虚で、まるで虚無そのものみたいな顔をして、桜は……「……ェ……ミ……ヤ?」と鸚鵡返しみたいに口にした。
「……桜?」
それに、流石におかしいなと思いだす。
「……エミ……ヤ……」
まるでそれが誰かわからないように、まるで初めて聞いたかのような反応を返す桜を相手に流石に僕も焦る。
桜は、確か衛宮の馬鹿が好きだったはずだ。
なのに、なんだよ、この反応は。
瞳に光はなく、桜は何度か「エミヤ……エミヤ……」とそう言葉を繰り返す。
「衛宮士郎だよ。僕とクラスメイトの。中学時代から一緒で何度も家にきたことがあるアイツ」
思わず助け舟を出すかのようにそんな言葉を口にしていた。
其れを聞いて、すっと……漸く正気に戻ってきたかのような顔をして桜は「……衛……宮、士郎……先輩」そう口にした。
まるで、忘れていた大切なものをそこで漸く思い出せたといった顔で。
「桜……お前……」
「………………士郎先輩」
ぽた、ぽたと目を見開いたまま桜の瞳から涙が零れ落ちていく。
哀しんでいるわけでも嬉しんでいるわけでもないだろう顔で、桜は泣いていた。
「……わ、たし……」
がたがたと手を震わせて、桜は自分の身体を抱きしめる。
それから、僕の服の裾を掴んだ。
「なっ、なんだよ、桜」
「兄さん」
追い詰められた者の声で、桜は僕の服の裾を強くつかむ。
「わたしを、置いていかないでください」
「はぁ!?」
何を言っているのか意味がわからない。
ひょっとして、こいつ本当に頭がおかしくなったのかと思いながら、僕は僅か後ずさる。
「お願いです、置いていかないでください」
涙にぬれた声で、また桜は同じ言葉を繰り返す。
それは間違いなく懇願だった。
「置いていかないで、置いていかないで、置いていかないで」
壊れた機械のように、桜は同じ言葉を繰り返す。
それがまるで壊れたレコードみたいで気味が悪くて仕方がない。
「お、おい、放せよ」
「お願いです、兄さん。わたしを置いていかないで」
そういって、僕を見上げてくる桜の顔は今まで見てきたどれよりも感情を顕わに、恐怖に震えながら涙にぬれていた。
「わたしの、傍に居て」
「! ……わかった。わかったから、離せよ、馬鹿。服が汚れるだろ」
ばっと、桜の手を振りほどく。
それに桜は、安心の笑みを僅かにのせて、「約束……ですからね」そう蚊のなくような声で口にした。
「ああ、わかったわかった。僕は兄だからな。妹の懇願くらい聞いてやるよ。それでいいだろ」
そう言って、僕は桜にむかって背中を向けた。
もう、この部屋にいたくはなかった。
side.間桐桜
とても、残酷な夢を見たんです。
わたしは化け物になって、みんなを食べてしまう。
きっと、最後には大好きだったはずの先輩だって食べてしまう、そんな夢。
(夢と、現実の違いがわからないっていったら、貴方はどう思いますか)
化け物がわたしだったのか。わたしが化け物だったのか。
「傍に居てください」
わからないんです。
わからなくなってしまうんです。
わたしが、どこまでがわたしで、わたしであれるのかが。
だって、わたし、大好きな○○先輩の顔すら今は思い出せない。
だから、兄さんが傍にいるってそう約束してくれたことが嬉しかった。
きっと、兄さんがいたら、わたしはわたしを完全に無くしたりしないとそう思うから。
「ライダー」
本当はわたしが呼び出した、今は兄の下にいるサーヴァントの名をよぶ。
「はい」
兄の部屋にいるはずのライダーは、すぐに返事を返した。
それを何故か不思議だとは思わなかった。疑問に思うことさえない。
ただ、その声に安心する。
「ライダー、兄さんをお願いね」
「桜……」
心配げな響きで彼女の声が耳を打つ。
優しいおねえさんといったその感覚にわたしは包まれて、目を伏せる。
「ライダー、兄さんを守ってね」
「…………」
ライダーは言葉を返さない。
元々饒舌なタイプじゃないし、彼女となら、そんな沈黙さえ心地がよかった。
「お願いよ、ライダー」
うとうとと自分が眠りに落ちようとしているのがわかる。
「わたしには、もう兄さんしかいないから」
今度はあの化け物になった夢じゃなければいいのに。
そう思いながら、わたしは意識を沈めた。
NEXT?