新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。

現時点でサブタイトル通り2月5日まで進みました。
因みに本作では2月16日に聖杯戦争終結予定です。まる。


20.2月5日

 

 

 

 1人の少女の夢を見た。

 金紗の髪をした、少年のような身形の少女。

 誰にも抜けなかった筈の黄金の剣を、止める老人の声を自分の言葉で払って引き抜いた少女。

 戦うと決めたのだとそう告げる声は清涼で、どこまでも真っ直ぐで。

 血塗られた道を歩こうとしている筈の彼女に、痛々しさがないわけではない。

 だって、相手は小柄な女の子だ。

 男に守ってもらうほうが似合うような、そんな華奢な少女だ。

 だけど、自分の意思で戦いを選び剣を手にしたその少女の迷いの無い背中が、何よりも美しいと俺は思った。

 けれど、ふと目の前の女の子が自分のよく知った誰かさんに似ているようなことにも気づく。

 容姿は違う。

 寧ろ正反対と言っていい。

 でも、その凛とした背中が、いつも自分の前にある人の背中にも似ているような気がしたんだ。

 

(そうして夢から覚める)

 

 

 

 

 

 

  2月5日

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 夕食時の打ち合わせ通り、この家を取り仕切っている白髪長身の女と玄関で落ち合い、2人で揃って玄関の外へと向かう。

 夜の街は静寂であると同時に、潜む影の存在故かどことなく不気味だ。

 とはいっても、この女にしろ、俺にしろそんなものに怯えてやるほど可愛い神経はしてねえわけだが。

 まあ、アーチェの奴と行動を共にするっていっても、こいつは俺のマスターじゃねえから、念話は使えねえ。だから、本来必要じゃない時は霊体化して行動するのが聖杯戦争のセオリーなんだが、敢えて実体化して動くことになっていた。

 尚、そのさい一般人に見つかったら面倒だからとかって理由で指定の場所につくまで着ているようにと、現代人が着るようなジャケットを手渡される。

 全身着替えたわけじゃないが、どうせ夜で視界がいいわけじゃないんだから、上着だけ羽織っていれば、ぱっと見は普通の人間に見えるだろうとは、アーチェの奴の見解だ。

 マスターになったあの嬢ちゃんにしろ、こいつにしろ、目撃者を殺せとは言わずそれを回避しようとする当たり、お優しいこってとも思うし甘ぇなとも思うが、まあ罪もねえ一般人を殺すような仕事は俺だってあまり気持ち良いもんじゃねえからな、敢えて指摘はするまい。

 そもそもこそこそ隠れて動くのは俺の性には合わん。

 やるなら何事も正々堂々と正面から向かうのが良いに決まっている。

 故に、実体化して行動する事自体は別にいいんだが、現代服をきて誤魔化さずとも、いざとなりゃあ俺のルーン魔術でなんとかなるんだが、その辺気づいていないんだか、それとも魔力の消費を抑えさせたかったのかが、イマイチ判別がつかないトコだ。

(ま、どっちでもいいんだがな)

 それをいえば、本来飯を食わなくてもいいサーヴァントを相手に食事を提供していること自体、無駄遣いしてるよなあって話だしな。

 ま、こいつの作る料理は絶品だから、こっちとしちゃあ有難いわけだが。

「んで、どこに行くって? 宛ても無くふらふらしたいわけじゃねえんだろ」

 言いながらずいと近寄り、肩を抱こうとすると、アーチェはむっすりとした顔で俺の手をはたきながら、じりじりと一歩後ずさりつつ、「当然だ。というか、馴れ馴れしいぞ、貴様」と言いつつ顔をしかめた。

 おーおー、警戒してんなぁ。ちっと前まで結構無防備だったのに。

 ま、それもこれも俺を意識しての態度だと思えば、こういう反応も可愛く思える。尻尾おったてて警戒している懐かないネコを見たような気分といえば、どんな気持ちかわかりやすいか。

 そんなことを考える俺を置いて、アーチェの奴は次にはスイッチを入れたかのように、これまでの空気を一転、どこぞの弓兵を思わせる表情や雰囲気を身に纏い、硬質な鋼色の瞳で真っ直ぐに俺を見ながら、淡々とした口調で今夜の仕事内容を口にした。

「舞弥からの報告で判明した点も多々あるが、柳洞寺の現場を私のほうからも確認したい」

「アサシンがいつ現れるかわからない以上、夜の探索は避けるんじゃなかったのか?」

 そう、俺のマスターになったイリヤの嬢ちゃんたちとの話し合いで決まったことを口にすると、アーチェはぴくりと眉間に皺を寄せて、「だから、貴様を連れて行くんだろうが」と忌々しそうな口調でむっすりと言う。

「確かに、必要以上の夜の巡回は避けるといったが、直接この目で見なければわからないこともある。既に舞弥の手に負えるようなレベルではないからな」

 俺は生き延びることに長けた英霊であり、俊敏性にかけては聖杯戦争に召喚されたサーヴァントの中でも随一だ。それに、これでも俺はルーン魔術にだって長けている。

 そういう使い方をされるのは好きじゃねえが、斥候向きの力を備えてるって言っていい。

 だから、例の影が現れたっつう現場がそんなに気になるっていうんなら、俺1人をいかせりゃあいいだろうに、自分で行くというのはこいつの気性なのか、それとも俺を信用してないから1人で行かせる気がないのか。

 ま、両方だろうな。

 とは思うがそんなことで腹を立てるほど俺だって心は狭くない。

 なにせつい先日まで敵同士だった身の上だ。

 昨日の敵は今日の友で、今日の友が明日の敵というのは、俺の生まれた時代にゃあ珍しい考えでもないが、だからといってこいつらまでそういう考え方が出来るかっていったら、別なんだろうしな。

 だからそこに関しては別に良い。

 それに、自ら現場に行くって言っているのはこいつの気性と、俺を信用していないからの二重の理由だと推測を立てちゃあいるが、どちらかといえば、アーチェの奴の中では前者のほうが比重がでかいように思えた。

 影の映像を見たときから、一番ピリピリしていたのはこいつだ。

 もしかしたら、影の正体にも心当りがあるのかもしれねえなと、目の前の女を見て思う。

 敵として対峙していた時の俺に対してよりも、アーチェは影にむかってそれほどの警戒と敵意を抱いていた。

「んじゃあ、行きますか」

「ん?」

 よっと掛け声を軽くあげて、ひょいと拒絶されるより早く、女のしなやかに引き締まった腰へと手をまわす。

 見た目通り、中々良い肉感だった。

「なっ、貴様、おわ」

 そのまま、流れるように膝下にも手をいれ、アーチェの奴を所謂、姫抱きで抱え上げ、柳洞寺に向かって走り出した。アーチェの奴は青筋だった顔で文句を言おうとしていたが、サーヴァントでも最速に分類される俺の足を前にして、上手く文句を言えずにいた。

 不満たっぷりな顔で、舌を噛まないように口を閉じて、でも俺にしがみつくような真似だけは絶対したくないとでもいうかのように、己の右手を左手で押さえ込みつつ、恨みがましく俺を睨んでいる。

(おー、おー、怖い顔してんなぁ)

 そんな顔ばっかしてると、折角の美人が勿体無いぜ? なんて思うが、ここで俺が口を聞いて反射的に言い返そうとして舌を噛んだなんてことになっても悪いので、思うだけで俺も余計なことは言わずに目的地をひたすら目指して足を走らせる。

 こんな状況だというのに、振り落とされる危険から安全を求めるよりも、俺にしがみつく真似をするほうが嫌だといわんばかりの、この目の前の女の態度は、本当に懐かない猫みたいだった。

 程なく目的地である柳洞寺のお膝元たる石段の下に到着し、俺は腕に抱えた女を解放した。

 同時に迫り来る褐色の拳。

 感情的で戦略もへったくれもない女の細い拳を、パシリと右手で受け止めながら、苦笑しつつ言う。

「うわっと、危ねえな。おいおい、俺はアンタのためにアンタに付き合ってやっているわけだぜ。折角送ってやったっていうのに、いきなり殴りかかるってのは無しじゃねえか?」

 すると、アーチェは気まずそうに一瞬肩を竦めて、けれど思い直したようにむっすりとした仏頂面になって、そっぽをむきながら小声でぼそぼそとこう言葉を続けた。

「それは……感謝している。だが、これとそれとは別だ。他にも方法があるだろうが、方法が! 何故わざわざあのような方法で運ぶ!?」

 最後のほうは、キッと鋼色の瞳に力をこめて、見上げるように睨みつけながら強く言い切った。

「あん? こっちのほうが手っ取り早いだろうが」

 片眉をひっさげながらなんでもないようにあっけらかんと言うと、女もむっとしたまま言い返さずに口をつぐむ。それを見て俺はにやにやと笑みを浮かべながら、「それともなんだ? ひょっとして、アンタ他意でもあると期待してたのか?」そんな言葉を顔を覗き込むようにして続けた。

「んなわけあるかっ! たわけっ」

 がーっと、全力で否定する褐色の肌の女。怒りと羞恥のあまりか頬は真っ赤だ。

 子供みたいにムキになったその姿はなんていうか、楽しい。

「もういい」

 言いながら女はズンズンと前を歩く。

 そして、ふと、またガラリとそれまでと空気を変えて、真剣な気配を身に纏いながら、魔術の呪文を口にした。

 馴染みのあるそれは認識阻害の魔術だ。俺もそれに習ってルーン魔術で同様のものを刻む。

 目の前の寺には、人間がいた。

 警察という機関で働いている奴ららしい。そいつらのうちの1人に近づいたアーチェの奴は、そのままなんらかの暗示をかけ、すぐに離れ木に隠れた。

 やがて、人間達はアーチェが暗示をかけたやつを筆頭にどこぞへと帰っていく。

 寺には立ち入り禁止の札だけが貼られた。

 静寂が夜を覆う。

 アーチェは無言だ。もう軽口一つ叩くことも無く、眉一つ動かさない無機質な顔で己がなすべきことのみを為す。魔力の痕跡を調べているのだ。

 これでも、俺は魔術師としての適正も高い身だ。ランサークラスで召喚されたとはいえ、手伝えることもないわけじゃない。だが、敢えて俺は傍観者に徹することにして、アーチェの奴の姿を後ろから観察する。

(ま、そもそも手伝ってくれなんて言われてねえしな?)

 それに興味もあった。

 この女の動向、見せるだろう顔に。

(にしても、薄気味悪い場所だ)

 あの魔女……キャスターのサーヴァントとしてこの度現界した女とも、俺は数日前に矛を交えていたわけだが、あの女がいたときよりも場に残った淀んだ空気は大きい。人が去った今、その印象は更に上乗せされている。

 まさしく、この場はあの正体不明な影やアサシンが好むだろう異界であるとさえいえた。

 膝を落とし、真剣な目で影の残照に手を伸ばす女をちらりと見やる。

(良いな)

 その鋼の瞳は、あの家で見せていた顔と別人かと思うほどに、硬質で鍛え抜かれた戦士としての色が浮かんでいる。

 その目に、顔に、この女と戦いたいという衝動と、この女に手を出したいという衝動が同時に湧き上がる。

 戦への興奮と性の衝動はよく似ている。

 そんなことを思いながら、舌なめずりしそうな己を抑えた。

「ランサー」

 タイミングを呼んだかのような絶妙さで、まあ……おそらくは偶然なのだろうが、女は俺に声をかける。

 真剣な鋼色の目は下を向いたまま、俺にはぴくりとも視線を寄越すこともない。

「おう、なんだ。なんかわかったのか」

 それに飄々と、先ほどまで戦いたいとも犯したいとも思っていた女に、そんなことを思っていたとは欠片も感じられないだろう軽い声と態度で尋ねながら、手を伸ばせば届く距離へと近寄る。

「あの影に出会ったら、誰を置いてもいい。戦わずに逃げろ」

「あん?」

 真剣な声音でそんな論外なことを言い出す女に、眉をしかめつつ言葉を返す。

理由(ワケ)はあるんだろうな?」

「君は正統な英霊だ」

 淡々とした声音で、低く女は一見関係がないような言葉を並べた。

「稀代の大英雄。あちら育ちなら誰もが憧れるアルスターのクランの猛犬(クー・フーリン)。君ほどの真っ当な英雄はそう多くはいまい」

 えーと、これは褒められてんのか? と首を捻りつつ、目の前の女の言葉へと耳を傾けていった。

「だからこそ、あの影には勝てないのだ」

 そう、きっぱりとした声で女は言う。

「あ? そりゃあどういう意味だ」

「どうもこうもない。そのままの意味だ。魔力の残照を調べて確信した。君にとって、いや……おそらくは全サーヴァントにとって、あの影は……天敵だ」

 だから、絶対に近づくなと、そういって女は今日の探索を打ち切った。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 その日俺は妙な夢を見た。

 朝日が差し込み、それが眩しくて目を細めながら起床する。隣には人の気配。

 すぅすぅと耳に届くのは俺じゃない人の寝息だ。

(ああ、そっか)

 それで、思い出す。

 アサシンのサーヴァントを警戒して、男は男同士、女は女同士固まって寝ることになったから、俺は親父の部屋で寝泊りすることになったんだ。

 相変わらず眉間に皺を寄せながら、苦しげに寝てはいるけど、それでも親父の様子はいつもよりは若干マシそうに見えて、ほんの少しだけほっとした。

 突如目の前に膨大な魔力の塊。

「よぉ、坊主、早いんだな」

 ひらひらと手を振りながら軽い調子でいうランサーが、実体化して伸びをした。

「ん、ああ。ランサー、おはよう」

 出来るだけいつもどおりを装ってそう挨拶をしたけれど、実はちょっとだけ驚いている。

 聖杯戦争のサーヴァントだの、英霊だのといわれても、ランサーもセイバーも見た目は人間と変わらない。

 本体が霊体だといわれても正直ちっともぴんとこないくらいに、2人とも人間らしい人間なものだから、ついついこいつらが人間じゃないことも忘れそうになる。

 そこへ、あの実体化。

 それを見て、本当にこいつらは人間じゃない存在だった事を思い出すってわけだ。

「なぁ、坊主」

 ふと、ランサーが神妙な顔をして俺を見て何か言いかけるが、こちらに近づいてきている気配を前に口を噤んだ。

「士郎、おはようっ」

 がらりと戸を開け、出てきたのは愛くるしくそんな朝の挨拶を投げかける、にぱりと、明るい笑顔を浮かべたイリヤの姿だった。

「ああ。イリヤ、おはよう」

 最近イリヤは沈みがちな顔が多かったから、その笑顔にほっと安心する。

「ランサー?」

 そうして振り向いたとき、いつの間にかランサーは再び霊体化したのかその姿を消していた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

「よし」

 ぱんと顔を張って、いつも通りの顔を作りわたしは意気揚々と家を出て学校へと向かった。

 問題はたくさんある。

 だけど、そんなことを一々気にしていたら始まらない。

 学校では結界の対策、夜は影の調査をメインに進めると決めたのだから、こういうときはすっぱりと気持ちを切り替えるに限る。

(とはいえ、わたしが出来ることもあまりないんだけどね)

 調べた結果、あの結界はサーヴァントが張ったらしきものであることは判明している。

 わたしに出来るのは結界の発動を遅らせるくらいの嫌がらせをして、犯人をあぶりだすことくらいだし、それも衛宮イリヤスフィール達もやっていることだから、益々わたしがやれることは少ない。

 だからといって、放置して構わないってくらい甘い問題じゃない。

 何より、遠坂(わたし)のテリトリーで起こった問題だ。それを見逃すなんて出来ない。

 学校に到着する。

 バタバタと忙しない空気。そうやって過ごす中で耳に入ったのは、昨日の柳洞寺の件だ。

 やはり、かなり大きな話になっているらしい。

 教室に到着。

 見慣れたいつもの教室のはずなのに何か違和感がある。結界だけのせいでもない。何がおかしいのだろう。

 考えて、あっと気づいた。

(三枝さんがいない?)

 いつも仲良しの陸上部三人組のマスコットである少女が欠けているのだ。

 それにいつも騒がしい蒔寺さんも普段見ないくらいおとなしく、それに氷室さんが慰めの言葉をかけているように見えた。

 いったいどういうことなのだろうと問う前に鐘がなって席に着く。

 がらりとドアを開けて現れたのは担任教師ではなかった。

 なんでも葛木先生は柳洞寺にお世話になっていたとかで、今は警察で事情聴取を受けているのだという。

 それらの副担任からもたらされる情報に、昔からいがみあってばかりの関係だった、中学からの学友の姿が頭に浮かんで、振り払った。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 結局はその日も、学校ではとくに何も起こらずに終わった。

 そのことにほんの少しだけ拍子抜けする。

 俺達がやったことは昨日と変わらず、結界の基点にイリヤの魔力を流してもとの魔力を洗い流すことだけだ。

「意外。そろそろ痺れを切らして現れると思ったのに」

 不服そうな顔をしてそんな言葉を言うイリヤに思わず苦笑する。

 今の時刻は夕刻だ。先日の家族会議で決まった方針もあって、あまり学校に遅くまで残るわけにはいかず、今日はこれで帰ることになる。

 と、その時目の前をよく知った人が通りかかったので思わず声をかける。

「藤ねえ」

「ん? 士郎……って、こら、学校では藤村先生でしょ」

 めっと叱り口調でいう姉貴分を自負する女性は、手に荷物をもったまま職員室から出てきたところのようだった。間近で見るその顔は、珍しくも疲労の色がのっている。

 それに、昨日一成と電話で話した内容を少し思い出す。

 なんでもうちの学校の教師であり藤ねえの同僚である葛木先生は柳洞寺でお世話になっていたとかで、警察で事情聴取を受けているらしいが、もしかしたら同僚のつながりで藤ねえにもそっちで何かきているのかもしれない。

「ごめん、藤……村先生」

 ついまたいい間違えそうになって、直しつつ言葉を切り、次の言葉を続けようか迷う。

 疲労の入ったその顔を見て迷ったとはいえ、聞きたいことがあった。

「なあ、先生」

「なんですか、衛宮君」

 そう先生モードで返事を返す藤ねえに出来るだけ慎重な声で問いをかける。

「桜はまだ来てないのか?」

 そのことが気になっていた。

 あんな別れ方をしたのが先週。それから謝らなきゃなと思いつつ、いまだに桜に会うことが出来ていない。

 それを藤ねえも気に掛かっていたんだろう、苦笑しながらこう答えた。

「桜ちゃんはまだお休みね。なんでも風邪をこじらせたんですって」

 それを聞いて、隣のイリヤは複雑そうな目をしてうつむく。

「そっか」

 それについ声を落としつつ、いうと藤ねえは極いつもどおりみたいな明るい声で「ほら、士郎そんな顔をしないの。桜ちゃんがいなくて寂しいのはわかるけど、士郎がそんな顔しているのを桜ちゃんが見たら心配しちゃうぞ」そういって笑った。

 それで、少しだけ気分が浮上する。

「先生」

「ん?」

「サンキュ」

「どういたしまして」

 そういって藤ねえはまた笑った。

 血を流す魔術師とはまさに正反対の太陽のような笑顔だった。

 

 見方を変えたら、桜が休んでいることは何も悪いことばかりではないなということに気づいた。

 何せ今の学校はこの状態だ。

 人の魂を溶解するための結界が張られている中、発動するのがいつなのかは完全に術者の掌の中なこの状況。そこに桜が巻き込まれる可能性が低いことはせめてもの救いだろう。

 2人並んでイリヤと一言二言会話をかわしながら帰路に着く。

「ただいまー」

 いつもなら、ここで俺はシロねえの手伝いに行く。

 だけど今日はそんな気になれず、「悪い、イリヤ、シロねえに言っといてくれないか?」そういって、両手をあわせて頼み込む。

「わかったわ」

 イリヤは俺の気持ちを察したように、こくりと頷いて手をひらひらと振り、シロねえがいるだろう居間に向かって駆けていく。

 それを見送ってから俺は自分の部屋に向かって荷物を置き、そして、衛宮の敷地内にある道場へ向かって歩を進めた。

 シンと静まり返った、厳かな雰囲気の道場。

 まるでそこにいるだろう少女を思わせるほどに凛と張り詰めた空気。

 そこに、いるだろうと俺が思った少女は、思ったままの姿そのままでそこにいた。

「おかえりなさい、マスター」

 道場の隅で、ぴんと張った真っ直ぐな姿勢が印象的な、金紗髪の少女は正座をして目を瞑ったまま、俺の顔を見るよりも先にそう清涼な声で言葉をかけた。

「ああ……ただいま、セイバー。その、邪魔だったか?」

「いいえ」

 きっぱりとした、だけど拒絶する類のものではない口調でいいながら、彼女は次いでまっすぐに目を見開く。

 翡翠のような彼女の瞳は静を湛えて其処にあった。

「セイバーは日中はずっとここにいるのか」

「はい。ここは……落ち着きますから」

 そういう彼女の声には僅かな翳りがあって、俺は慌てて話題を変えるようなことを口にする。

「そのさ、マスターって呼び方やめてくれないか。いや、意味はわかるけど、むずむずして落ち着かない。俺には衛宮士郎って名前がある。だから名前で呼んでくれないか」

 それは前から気になっていたことだった。

 何故なのかはわからないけど、セイバーは俺の名前を呼ばない。

 それはまるで戒めのようでもあるけど、それでもそんな態度を取られる側としては、セイバーのそういう俺に対する扱いはなんていうか、困る。

 だからこそ、これは命令というよりはお願いだ。

 けれど、そんな俺の願いをこめた言葉を前にも、彼女はぴくりとも眉1つさえ動かさず「マスターはマスターですから」と、そんな言葉を口にした。

 語調はやわらかいけれど、それは間違いなく拒絶だった。

「そか」

 しばらく場に沈黙が落ちる。

 少女は変わらない。入ってきたときとかわらず、ぴんとまっすぐに背筋をのばしたままそこに座っていた。

 衣服は昔のイリヤがきていたものだ。こうして見ると、本当に美人な年頃の少女にしか見えない。

 だけど、人間にしか見えなくても彼女は剣の英霊なのだという。

 英霊とは、英雄の魂が人に祀られることによって、精霊と同格にまで霊格を押し上げられた存在のことを言うという。たとえ今は普通の少女にしか見えなくても目の前の少女はその英雄の1人なのだ。

 ふと今朝見た夢を思い出す。

 戦うと決めたのだといって剣を抜いた少年の身形をした少女の夢。

(あれって……セイバーだったんだよな)

 きっとそうだろうと思う。

「何か?」

 問われて、彼女の顔をまじまじと見ていた自分に気づいた。

 慌てて取り繕うような声が出る。

「いや、セイバーって剣の英雄なんだよなと思って」

「……そうですね」

 どこか自嘲じみた声で彼女は、ぽつりと返した。

 その顔についはっとする。

 なんだかその顔が、自分が良く知っている人に似ていたからだ。

 義理の姉の1人……シロねえに。

「セイバー」

「なんでしょう、マスター」

「俺もさ、勿論セイバーには遠く及ばないだろうけど、剣をやっているんだ」

 そういって見開かれた翡翠の瞳はほんの少しの驚きみたいな色があった。

「それでさ、剣の稽古、セイバーが良かったらつけてもらえないか」

「私が……ですか?」

「ああ、俺は是非ともセイバーの剣が見たい。駄目か?」

 暗い気分にならないよう、笑顔さえ浮かべてそう問う。

 それにセイバーはどことなく泣き笑いのような顔をして、それから「わかりました。お引き受けしましょう」そう口にした。

 

 ……一言でいうと、セイバーの剣戟はスパルタだった。

 天才ってのはこういうのを言うのかと体に教え込まれた。

 俺はこれでも、毎日のようにシロねえの稽古を受け続けてきたのもあって、それなりに強い自負があったんだけど、そんなものが粉々に砕けるほどにセイバーは強かった。

「いててて」

「ほら、立ちなさい。貴方の実力はそんなものですか」

 そういうセイバーの顔はこれまで見てきたどれよりも楽しそうで、輝いていて、それを見て俺はふと安心して笑った。

「? 何故笑っているのですか」

「いや、なんでもないよ、セイバー」

 その時、とたとたと第三者が近寄る足音が聞こえ始めた。

 がらり、道場の扉を開いて、そこにたっていた銀髪の美少女、義姉のイリヤスフィールがちょっとむくれた顔をして、「あー、こんなところに2人ともいた」なんていった。

「もう、夕食の時間なんだから、2人ともさっさと手を洗って着替えてきなさい」

 そういって、イリヤは怒ったようなジェスチャーをしてから踵を返す。

「もうそのような時間ですか」

 言ってセイバーは少し驚いたような顔をして、ついですまなさそうに俺に手を差し伸べた。

「すみません、マスター。熱中しすぎたようです」

 セイバーは恥ずかしいのか少しだけ頬を赤らめる。

 その白い小さな手をとりながら、「お互い様だろ」そういって俺もよっと起き上がる。

「なあ、セイバー、これからも出来れば手合わせしてもらってもいいかな」

「マスター?」

「出来ればでいいんだ」

「……構いませんが」

 いいながら共に並んで道場を出る。

 困惑を浮かべるセイバーにむかって、うんと笑い、俺は「セイバーは、沈んだ顔よりも剣を手にしているときの顔のほうがいいと俺は思うぞ」そういって、照れ隠しに足早にその場をあとにして部屋に向かう。

 その言葉をきいて、固まったセイバーに気を払う余裕はなかった。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 夜がきた。

 結局のところ、学校では動きは無く、わたしは一旦家に帰ると夕食を食べ、入浴などの小休止をすませると、夜の冬木の街に繰り出す。

 その間も情報収集はかかさない。

 その集めた情報の中には、昨日3人の男が死んだというものもあった。バラバラ死体で残ったのは体の一部だけだったというそれが、聖杯戦争と無縁であるとはわたしには到底思えなかった。

 あの影と関係があるんじゃないかというのがわたしの推測だ。

 アーチャーもまたそれに同意した。

 ぐるりとそれぞれの街を慎重に歩く。そうしているうちに気づけばもうすぐ日付を超えようという時刻が差し迫っていた。

 わたしの足は、10年前の聖杯戦争決着の地だというだだっぴろい公園の前にあった。

 中に足を進める。

 そして、わたしはその気配を受け取った。

「まぁ」

 優美で凍りついたように冷たい、それは少女の声。

 リンリンと歩み寄ってくる少女の左一房につけられた髪飾りの鈴が揺れて音を奏でている。

「貴方が遠坂の今代の主ですか」

 それは膨大な魔力を身に纏った、銀髪のピンクのドレスを身に着けた人形のように美しい少女だった。

(なんでよ……)

 その少女を見て、心臓が嫌な音を立てる。

「はじめまして、遠坂凛。私はアインツベルンのマスター。レイリスフィール・フォン・アインツベルン」

 美しい雪のような銀色の髪、人間とは思えぬ美しさの紅色の瞳のレイリスフィールと名乗った少女は、ここ数年でそれなりに仲良くなったある少女に、年齢さえ除けば酷似していた。

 古馴染みたるアーチェの義妹、衛宮イリヤスフィールに。

 アーチャーは実体化して、私をかばうように剣を手にした。

「そして、さようなら」

 氷のような瞳の少女の指が、戦闘開始の合図を作った。

 

 

  NEXT?

 


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