新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。どうもまたも投稿遅れて済みません。
ちょっと同市内とはいえ、引っ越ししますのでまあ色々ばたばたしてたもので。
まあ、まだ終わってないんすけどね……。
とはいえ、今回の回はワカメ主役回! 個人的には気に入っている回です。
それではどうぞ。



23.イカロスは地に堕ちた

 

 

 

 蟲達が蠢いている。

 グラリグラリと動き回る、喰らい付く、溶ける。

 融けて行く。

 果たして捕食されているのは自分なのか、それとも捕食しているのが自分なのか。

 わからないままに、わたしは飼育場の夢を見る。

 ぐちゃり、ぐちゃり。

 内面までとけこんでドロリドロリ。

 迷宮から抜け出すための蝋で固めた翼なんてわたしにはない。

 焼き殺すための……開放を告げる太陽すらも此処にはない。

 かの蝋の翼の青年(イカロス)のように、自分に忠告をしてくれる人すらもいない。

 いない。

 ふと、そこで気づく。

 ああ、そっか、いなくても当然ですよね。

 だって、わたしが閉じ込められていた「怪物」のほうなのだから。

 迷宮から逃れる父子を羨ましく窓から見送る「怪物」のほうがわたしなのだから。

 気付いたらおかしくなって笑った。

 此処は寂しい。

 此処は苦しい。

 海底よりも尚、此処は暗い。

 ドロリ、ドロリ。

 嗚呼なんて嫌な夢なんだろう。

 早く兄さんが帰ってきてくれたらいいのに。

(大丈夫。すぐに目は覚めます。だって兄さんは約束してくれたから。わたしを置いていかないって)

 兄さん、可哀想なわたしの兄さん。

 早く、わたしを起こしに来てください。

 わたしはもう、こんな夢は見たくない。

 

 

 

 

 

 

 

  イカロスは地に堕ちた

 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 それはまるで、スローモーション映像を眺めている時のように、ゆっくりと感じられた。

 柵を乗り越えて、崩壊し傾いていく地面。

 投げ出された僕の身体。

 ああ、そうだ。空へ落ちる。

 墜ちる。

 堕ちる。

 赤い結界を失った空は、青く僕を飲み込んでいく。

 投げ出される。

 終わるのか? 僕は。僕が。

(なんでこの僕がこんな目にあう?)

 終わる、終わる、終わる。

 こんなはずじゃなかったなんて言葉に意味は無い。今更過ぎて意味が無い。

 乾いた笑みを浮かべて目を瞑る。どうでもいい。負けた僕にどうせ居場所なんてない。

(怖い)

 あの家にどうせ最初っから僕の居場所なんてなかった。

(本当は嫌だ、受け入れれるわけがないだろ)

 魔術師の家系なのに魔術回路を持たずに生まれた僕は、最初っから欠陥品だったんだ。

(死にたくない)

 痛いのは御免だ。どうせなら一瞬で終わればいいんだ。

(死にたくない、嫌だ、誰か助けてくれよ)

 相反する思考、矛盾だらけの僕の内面。

 走馬灯のように、いつかの妄想を思い出した。

 赤い煉獄の中、伸ばされる褐色の手と、断罪の鎌……そんな妄想を。

 馬鹿すぎて涙が出てくる。

 これをやると決めた時から、僕を最後に殺しに来るのは彼女だと思っていたんだ。

 そうであって欲しかったんだ。殺されるなら彼女にが良かった。

 そうだよ、勝手に僕はそう決めていたんだ。

 嗚呼、ムカつく。糞、糞、糞。

 なんで僕がこんな目にあうんだよ。

 なんで……彼女じゃなくてアイツなんだ。

 なんでこの僕が衛宮に負けるんだ。ふざけるなよ、本当。

 ……痛いな。糞、痛い。

 ……なんで、どうしてだよ……なんでいつまで経っても終わりが来ない?

 手が、身体が痛い。

 誰かの体温?

 僕の手が握られている。誰に?

 

 

【挿絵表示】

 

 

 麻痺している思考の中、ノロノロと目を開く。

 宙ぶらりんの身体。

 僕の手は気のせいではなく誰かに掴まれていた。

「慎二……っ」

 その声のニュアンスと発音は、望んでいたものと酷似していたから、馬鹿な期待を僕は抱く。

(シロさん……?)

 白髪の女を一瞬だけ幻視する。

 それはすぐに現実に飲み込まれて、ガラガラと音を立てて霧散した。

(違う) 

 そうだ、シロさんが此処に現れるわけがないんだ。

 此処にいたのは最初っから僕とコイツだけだったんだから、僕に手を伸ばせるとしたらそれは1人だけの人間しかいない。さして考えなくてもわかるだろう答えだとしてもそれを理解した僕が感じたのは怒りだった。

(……なんで、オマエなんだよ)

 いつかの妄想。

 赤い煉獄の中、伸ばされる褐色の手と、断罪の鎌。

 そうだ、僕はあの人の手を待ち続けていた。

 声に出した約束なんて一度もしていないけれど、それでも待っていたんだ。

 なのに、なんで……なんでオマエが僕に手を伸ばすんだ?

 なんで、オマエを殺そうとした僕をオマエは助けようとするんだよ。

 意味もなく泣き喚きたくなった。

 だって、なんで、くそ、オマエはあの時のシロさんと同じ目で僕を見るんだ。

 馬鹿なんじゃないのか、馬鹿なんじゃないのか。

 なんで、どうして僕はシロさんと衛宮のやつを見間違えたんだ。

 そんな自分がショックだった。

 何故か凄くショックだった。

「待ってろ、今引っ張り上げる」

 彼女とは違う琥珀色の目が、彼女とよく似た空気を宿して真剣に僕を見ていた。

 衛宮の奴は真面目だ。冗談のつもりなど欠片もなく、本気で僕を助けようとしていた。

(なんだよ、それ。勝手に決めるなよ)

 一方的に勝手に救われるほうが、どう思うかなんてこいつは考えてない。考えられないくらいの馬鹿なんだ。

 嗚呼、そうだ、衛宮は馬鹿だ。

 そんなの中学生からの付き合いだ、よく知ってる。

(そんなところが放っておけなかったんだから)

 衛宮の奴は馬鹿だから。だから、僕はこいつを助けてやら無いといけないと思っていたんだ。

 それが僕の役目だって思ってたんだ。

 やめろよ。僕を助けようなんて衛宮の癖に生意気なんだよ。やめろよ。

(嘘だ。死にたくない)

 傾いて斜めになった屋上、ずり落ちそうな身体。

 僕の身体を腕一本で支えながら、衛宮の奴はもう片方の手で柵を掴んでいる。

 衛宮が体重を預けている柵からはギィギィと頼りの無い音楽を奏でている。

 いつ僕ごと衛宮が落ちてもおかしくない状況だった。

(本当、馬鹿だよオマエ)

 オマエ1人なら助かるのは造作もないってのに。馬鹿じゃないのか。

 自分ごと落ちたらどうする気なんだよ、馬鹿衛宮。

(舐めるなよ)

 震えた。

 自分がやろうとしていることを前に震えた。

(怖い)

 恐怖で奥歯がガタガタしているのが自分でもわかった。

 顔が引き攣る。青ざめる。

 でも、僕は笑った。

 ガタガタに震えながら、出来うる限りの精一杯で笑って、手を……あいつの彼女とは違う手を振りほどいた。

(僕が、オマエなんかの思い通りになってやるわけないだろ、バーカ)

 

 にぃと、口元だけで笑って、目からは恐怖のあまり涙がこぼれた。

 でも僕は今度は目を閉じなかった。

「慎二っ!」

 悲痛に響く赤毛の友人の声。

 嗚呼、何を必死になった声を出してるんだよ、衛宮。

 ホント、信じられないくらい馬鹿だな、オマエ。

 僕はオマエを殺そうとしたんだぞ、本当にわかっているのか。

 自分を殺そうとした奴なんて、普通は見限るだろ。

 見限られるようなことを僕はしたんだ。

 もうすぐ、僕は終わる。

 この気持ちの悪い浮遊感もすぐに終了する。わかっていても震えた。

 刹那だけ、家で寝込んでいる妹の姿が脳裏をよぎった気がするけど、すぐに消えた。

 遠くなっていく、衛宮の必死な顔。

(じゃあな。衛宮。絶対言ってやらないけど、オマエの馬鹿なとこ僕は結構好きだったんだぜ?)

 人間には翼なんて生えていない。

 あの手を振りほどいた時から僕に待っている運命なんて1つだけだ。

 それでも思わずにはいられなかった。

(嗚呼、クソ)

 

 ―――――……死にたくないな。

 

 グチャリと、トマトのつぶれたような音がした気がした。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 俺の手を振り払い、地面に落下していく慎二の姿を、俺はずっと最後まで見ていた。

 落下していく青毛の友人。

 脆くもただの人間の身体は、あっけなくアスファルトに叩き潰され、赤い血が地面を汚していく光景をずっと見ていた。

 元々常人よりもずっと良い視力を所持していた俺の目は、その最期の表情も様子も見逃すこともなく捉えていく。

 かつてはその優男ぶりで学園の人気を二分した自慢の顔はカチ割れて、灰色のゼリーのような脳が血化粧の合間に飛び散っている。

 其れが、間桐慎二という男の最期だった。

「慎二……」

 ぐっと、所在無さ気にさ迷っていた右手を握り締める。

 強すぎたそれに対し皮膚に爪が食い込み、ボタリと血が伝い落ちる。

 この手に、ついさっきまで慎二の体温があった。

 ついさっきまであいつは確かに生きて、此処にいたんだ。

 涙なんて出ない。

 死には慣れている。

 だって俺は……。

「士郎、無事?」

 懐かしい声がして、それが誰のものか判断するのも後回しにして俺は後ろを振り返る。

 そこには、10年間家族として生活をし続けてきた義姉(イリヤ)の姿があった。

「……イリヤ」

 いつもと変わらぬ姿をそう一目見ただけなのに、その姿に、急にわけのわからない安心を覚えた。

「…………」

 イリヤは無言で俺の居るあたりまでの道を針金で補強する。

 そして俺の隣で慎二の死体を見下ろしながら諭すような声でいった。

「……士郎の責任じゃないわ」

「…………」

「これは慎二が自分で選んでやったことの結果なの。いい、士郎が背負うことじゃないの」

 その言葉に慎二に手を振りほどかれた瞬間を思い出した。

「……わかってる」

 泣きそうな顔で、口元だけ引き攣るように笑いながら、アイツは俺の手を払った。

 その体温を覚えている。

 汗でにじみ震えながら、それでもあいつはこの終わりを選択した。

「わかってるさ」

 誰かを救おうなんて、そんなこと自体がおこがましく傲慢なことなのかもしれない。

 それでも俺は救いたかった。

 だけど、あいつはそれを拒絶した、きっとそれだけの話なのだろう。

「そう。ね、帰ろう士郎。みんな、待ってるから」

「……うん」

 俺に絡んでくる白い手、紅い瞳は憐憫を秘めて優しく細められる。

 それを受けて俺はそこを歩き出す。

「士郎は良い子ね」

 出口近くで、背伸びをしながらグシャグシャと俺の髪を撫でてくるイリヤ。

「やめろよ、イリヤ」

 いつもどおりの口調で、困ったように笑みさえ口元に浮かべてそう返答した俺。

「士郎、士郎は頑張ったわ」

 ぎゅっと俺の身体を抱きしめながら、イリヤはそう囁く様な声で呟いた。

「救えなかったからって悔やんじゃ駄目よ。でもね、辛いことはちゃんと辛いって吐き出してもいいの。そうしてまた頑張ればいいんだから」

「イリヤ……」

「だからね、士郎。我慢しちゃ駄目よ」

「別に我慢なんて俺は……。……? ぁ」

 ぼろりと、気付けば右目から涙が一粒零れ落ちた。

 それを皮切りに、まるで川を堰止めしていた堤防が外れたかのように、ぼろぼろと意味もなく、俺の感情すら無視をして涙が零れだす。

「なんで、クソ……」

 人の死なんて見慣れている。

 10年前のあの時に、死体なんていくらでも見てきた。

 なのに、まるで涙を流すロボットかなにかになったみたいに、馬鹿みたいに涙が止まらない。

 思い出すのは今見た慎二の死体だ。

 脳漿を散らして、コンクリートに叩きつけられ真っ赤に染まって死んだ中学時代からの友人。

 気難しくて癇癪持ちで、だけど憎めない奴だった。

 馬鹿だ馬鹿だと言いながら、笑いながら俺に付き合うようなそんな奴だった。

 救いたかったんだ。

 例えこの状況を招いたのがアイツだとしても、だからこそ尚更アイツを救いたかったんだ。

 アイツは俺の友達だから。

(正義の味方になりたい)

 アイツは苦しんでいたんだ。ずっと傍にいながら俺はそのことに気付いてなかった。

 誰かが苦しんでいる時、傍にいて支えてやれるようなそんな正義の味方になりたいと思ってきたのに。

「いいの、それで」

 そっと優しく俺の目元を拭いながら、銀の少女は言う。

「士郎は人間なんだから、それでいいの」

 どうして、なんで。

 俺は弱いんだ。

 こんなに弱いんだぞ、イリヤ。

 正義の味方になりたいと思っているのに友人1人救えない。

 男の癖に今だって馬鹿みたいに泣いている。

 情けないし見っとも無い。

 なんでそれでいいっていうんだ。

「士郎が今泣いているのは、優しいからなの。決してそれは見っとも無いことじゃないわ。そういう心をもてたことは士郎が誇ってもいいこと」

 まるで俺の心を読んだかのように、イリヤはそんなことを言う。

 ポンポンと、まるで本当に小さな弟にするかのように俺の背中をあやしながら、ふと俺の顔を見上げて、本当に姉らしく微笑んで誇らしく口にする。

「気が済むまで泣きなさい、士郎。遠慮はしないの。だってわたしは、士郎のお姉ちゃんなんだから」

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 確実に、シロとは違う風に成長していっている士郎(おとうと)をあやしながら、わたしの脳裏には先ほど見た光景が横切っていった。

 潰れ、崩れた教室。

 一応その場に残ったランサーに生きているものの救助を命じて、士郎の居る屋上へ来ることを優先したけれど、下の様子が深刻であることには違いはなかった。

 ちらりと行きがけに見た光景を思い出す。

 柱に埋まった少女。

 記憶違いでなければ、あれはわたしのクラスメイトだったように思えた。

 あれは聖杯戦争が始まる前。

 わたしに向かって『一度でいいから一緒に食べたいなぁなんて思ってたんだ?』なんて子犬のような目で不安そうに弁当を掲げながら言った少女。

 ソバカスのよく似合う可愛い子だった。

『嬢ちゃん』

 ふいに脳内へとパスを通じて直接ランサーの声が響く。

『どう、状況は?』

『数人は息があったが、あとは駄目だな。死者の数は計7人ってトコだ。一応危ない奴は俺のほうから応急処置に治癒魔術を施しておいたが……あとはどうする?』

『そう。ならそこまででいいわ。あとはわたしのほうでなんとかするからランサーは霊体化してついてきて』

『了解』

 ランサーとの念話を終え、少しだけため息を吐きたい気分になる。

 わたしは士郎じゃないから、見知らぬ誰かが死んだって悲しむような神経は持ち合わせては居ない。

 あの子犬のようなクラスメイトが死んだことについてだって、少しだけチクリとするものがあるくらいで、それだけだ。

 それでも此処は士郎にとって大切な所。

 そんな場所で慎二の他に7人も死者が出たというのはあまり望ましい状況じゃない。

 とはいっても、そんなことを言っている場合でもない。

 此処で事実を偽ったって士郎は余計に悲しむだけだ。

 それと同時に面倒なことを1つ思う。

 今回の事件は決して小さな問題ですまされない。

 死者自体は10人もいないけれど、被害者は学校全域なのだから。

 だから、わたしは、出来れば連絡など取りたくは無かった敵に向かって、携帯を発信した。

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

「嗚呼、わかった。よくぞ、連絡をした。衛宮の娘」

 ピッと片手で携帯の電源を切る。

 右手は今だ黒鍵を手に行うべき行動を続けている。

「さて、どうやら貴様の孫はとんでもない大仕事を作ってくれたようだ。全く、昼間だというのに見境の無い。我ら教会の苦労もわかってほしいものだ」

「ぐ……がぁ」

 口元だけ皮肉めいた笑みを浮かべながら、私は目の前の汚物へと語りかける。

 返答など元より期待はしていない。

 それでも、何故と目線だけで語りかけてくるこの老獪の姿を見るのは、若い頃の仕返しとまではいかないが少しだけ胸が空く想いがした。

 そして先ほどの続きをはじめる。

「私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない」

ぐちゃりと、老人の頭を掴み言う。

「打ち砕かれよ。敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる」

 聖詞を前に、蟲で出来た人間ならざる化け物は足掻く。

 無駄だとわかりつつも足掻く姿に、愉悦を覚える。

 自身の有り方を強く自覚する。

「装うなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は、死の中でこそ与えられる。―――許しはここに。受肉した私が誓う」

「……っ!」

 最後の聖言を前に、老人は声にならぬ悲鳴を上げる。それを心地言いと思った。

 言葉だけは厳かに、神を強く思いながらついに私は其れを告げた。

「“この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)”」

 老人を構成していた蟲は、聖なる言葉に敗れて消えた。

 ピッ。携帯電話を再び手にして、今度は教会側の人間に電話をかける。

「もしもし、私だ。例のゲームの件だが、犠牲者が出た。ついては隠蔽工作を頼むわけだが、場所は……」

 

 

 

 side.ライダー

 

 

 偽臣の書が燃え、私は本来のマスターであるサクラの元へと戻っていた。

 青白い顔をして、ベッドに伏せる彼女に向かって起こった出来事を話して聞かす。

 サクラは静かに私の話を聞いていた。

 そう、不気味なくらい静かに。

 人間じゃないように青白い肌、光の乏しい藍紫色の瞳は深く、ここではないどこかを見ている。

 たったの数日でサクラはこんな風になった。それを痛ましく思う。

 サクラ、私のマスター。

(守りたい)

 でもどうすればいい。どうすれば貴女を守れるのでしょうか。

 わからない。私は貴女を守れたらそれでいいのに、なのに私が出来るのは見守ることだけ。

 そうやって怪物への道を、過去の私と同じ道を辿ろうとしている貴女の傍にいるのに、私には其れしか出来ない。それがとてもはがゆくもあった。

 たとえどんなに変わっても、私は彼女の味方で有り続ける。そう決めてはいた。

 だけど、この変わり方はとても痛ましい。

 明らかに彼女の変化は急速で急激だった。

 同時に彼女の味方が私だけだという状況に暗い喜びも沸く。

 そんな自分にほんの少しだけ嫌気もさした。

「……ライダー」

「はい。なんでしょうか、サクラ」

 感情の篭っていない声でサクラは私の名を呼ぶ。

 今までサクラがこんな風に私の名を呼んだことはなかった。

 だけど、敢えて追求せずに私は目の前の主人の言葉を待つ。

「……さっきね、兄さんの夢を見たの」

 まるで独り言のように、サクラは続けた。

「屋上から落ちてグチャリと弾けて死んじゃった」

「……サクラ?」

「ねぇ、ライダー」

 無感情はそのままに、サクラの声のトーンが1つ下がる。

「……どうして、兄さんを助けてくれなかったの?」

 ゾッとするほどに暗い目をしたサクラが、其処に居た。

「わたし、お願いしましたよね? 『ライダー、兄さんをお願いね』『ライダー、兄さんを守ってね』って。ねえ、なんで守ってくれなかったの?」

「サクラ」

 ズズっと音を立てるようにサクラの色が変わる。変わっていく。

 青紫の髪が銀に染まっていき、禍々しい気が周囲に渦巻く。

 サクラは尚も言葉を続けながら、私の肩をその震える青白い手で掴んで胸元で顔を伏せる。

「わたしには兄さんしかいなかったのに。兄さんは……わたしを置いていかないって約束してくれたのに……どうして……」

 ぐぐっと、少女の手に力が篭る。

 昏き気が周囲に充満する。

「ああ、そっか」

 明るくさえ聞こえる声でポンとサクラは言った。

「言うことを聞かない悪い子は食べちゃってもいいですよね?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 コトン、と人形を思わせる動きで首を傾げながら、どこか焦点の定まっていない紅く染まった瞳でサクラは私を見上げつつそんな言葉を発した。

「サ……っ」

 影が伸びる。

 ブワリと、彼女の中から伸びてきた黒き触手は私の身体を捕らえ、言葉を続けようとした口ごと封じた。

「いただきます」

 そう口にして微笑むサクラは、人とも思えぬほどに美しく残酷だった。

(すみません、サクラ)

 ウジュルウジュル。

 影に捕食され闇に堕ちていく。

 黒ずむ意識の中私はただ本当の意味でもうサクラを守れないことだけを惜しいと、悲しいとそう思った。

 

 ―――蝋で翼を造ったイカロスは、日輪に焦がれて堕ちた。

 

 

  NEXT?

 


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