新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完) 作:EKAWARI
明日は大晦日ですね。というわけで今年最後の更新になります。
来年もよろしく。
10年前に両親を失った。
隣人も失った。
せめてこの子だけでも助けてという声も振り払って、連れて行ってくれという声も振り払って歩いた先。
全て黒い太陽に飲み込まれて、帰る場所は消えた。
そこで出会った褐色の手と男の手。
全て失くした筈の俺は、新しい家族を得た。
それからの日々は目まぐるしく、過去は消えたりはしないけど次第に小さくなって、そうしていくうちに日々は過ぎた。
楽しかった、幸せだった。
全てを一度は失くしながらも、それでも俺は幸せ者なのだろうと思う。
時々、ふとあそこで皆を見捨て自分ひとりで助かった俺がこんなに幸せでいいのかと思うときがある。
それでもいいんだと、イリヤは言う。
だったら、せめて幸せを分けてやれる人間になろうと俺は思った。
かつて全てを無くした自分が周囲に助けられることによって、幸福を取り戻しここにあるように。
今度は俺が分ける側の人間でありたいと願った。
だから、正義の味方になりたいと思ったんだ。
幸せになっていいのかと思うときはあるけど、幸せになってはいけないみたいになるのは、周囲を余計に悲しませるだけだと俺は知っているから。
そう思って生きてきた10年間。
俺はその日、自分の幸せの裏にあった代償を一つ知った。
拒絶
side.レイリスフィール
突然目の前に割り込んできた男が放った銃弾が、ガードしようと張られた影ごと撃ち抜いてマキリの杯へと被弾する、その様を一瞬我を忘れた様に私は見ていた。
「ぁああああーーーっ!!」
瞬間、自らをかきむしるようにしてマキリの杯は絶叫した。
顔をかきむしるようにしてもがく彼女に向かい、突然割り込んできた男……前にも一度会った魔術師殺し、衛宮切嗣は、携帯していたらしいサブマシンガンらしきものをありったけ黒い聖杯に打ち込んで、それと同時に流れるような動作で先ほど女に向けて放った……おそらくは男の魔術礼装であるほうの銃を仕舞い、私を脇に抱えて走り出した。
「何、をっ」
荒い息でなんとかそれだけを告げる。
男は答える余裕がないのだろう、無言のまま脇目も振らず走る。
遠ざかったあの化け物がいる地点からは、痛みで暴れ狂っているのか地を抉る轟音が響いている。
いつもならば、お放しなさい無礼者と一喝するところではあったが、この状況においては放り出されるほうが分が悪い。私は生き残らなければいけないのだから。
だから、暴れるのは一時的に中断する。
(この男……何を考えている)
聖杯の器である私を手中に収めたいのか。
思いつく理由はそれくらいだったけれど、男の感じからしてそれも違うような気がする。
読めない存在に抱えられている、その事実が気持ち悪い。
だが、利用できるものはするべきだという打算が働くからこそ、今は無礼を許しているだけだ。
今の私は体力が足りていない。
どういう意図があるのかは知らないが、この男は私を殺すつもりはないらしい。
後ろからはアレがいずれまた迫りくるだろう。
ならば、それまではせいぜい利用させてもらいましょう。
全ては力が回復してからでも遅くは無い。
けれど、そうは思うも、不愉快であることは確かだ。
何ゆえ私がこのような汚らしい人間に抱えられねばならぬのか。いや、一体この男は何がしたいのか。
男を見上げる。
黒く濁った目は何の事実も写していないようで、死人のようで気持ちが悪い。
このような存在を父と仰ぐ姉の思考は異常なのではないのかとそう強く思う。
(何故、
自分とよく似た顔をした、同一の遺伝子を持つ片割れを思って再び不愉快になる。
約30秒ほどの思考。
「
見れば前方には一台の車があり、顔を出すようにして褐色の肌の女が姿を見せている。
注意して見なければわからない事であったが、私には一目でそれが何者か理解した。
まるでただの人間かのように霊格は抑え込まれているし、ステータスも見れないように表面に偽装が施されていたが、間違いはない。
白髪褐色肌のこの女は私がいずれ屠るべき敵・サーヴァントだ。
大爺様やメイドたちがかつて話していた特徴。間違いなく前回の聖杯戦争のときに衛宮切嗣によって召喚され、現世に残ったというアーチャーのサーヴァントだろう。
今すぐその喉を切り裂いて惨たらしく殺してやりたい。
そんな衝動を抑えながら、開いたドアから後部座席に男に促されるままに乗る。
この
ならば、癪だがこの乗り物で一気に距離を離したほうが賢明な判断といえる。
そう思ったのは私を連れてきたこの男も、今運転席に座っている裏切り者のサーヴァントも同じだろう。
不幸中の幸いというべきなのか……あの影は攻撃範囲が広くはあるが、それほど足が速いわけではない。
とはいえ、時間があるわけではない。
私達を拾ってすぐに、白髪の女は車を高速で発進させた。
魔力でなんらかの強化を施しているのか、車は鬱蒼とした森の中にも関わらず、森を突っ切っていく。
隣に座る男を見る。
痩せこけた頬に死相の浮いた顔をした、死んだ目をした男。
「なんのつもりですか」
厳しく声をかける。
それに、困ったような顔をするのが苛立たしい。
まるで子供に向けるかのような顔だ。
アインツベルンの今代のマスターである私に向けるべき態度ではない。不愉快だった。
「私に恩を売ったつもりですか。助けられたことについては、ひとまずは感謝してもいいでしょう。ですが、私には貴方に助けられるような身の覚えはありませんが? 何が目的です」
「僕は……」
男の目線が泳ぐように移ろう。
車は森を抜けて市街地へと走っていく。リンと髪に撒いた髪飾りの鈴が音を立てた。
そんな中、乾いたような震えたような声で男は呟きを漏らす。
「僕は、そんなんじゃないさ」
何を言っているのか、この男は。意味がわからない。
思えば最初から理解不能な男だった。
ただ、いるだけで不愉快に思う。
この男の態度も、言動も全てが理解不能。消えて欲しい。
「何を考えているの」
嗚呼、気持ち悪い。
凄く気持ちが悪い。
なんでこんな目でこの男は私を見るのか。
理解不能、理解不能、理解不能。
その言葉ばかりが警告を鳴らすように私のうちを駆け抜ける。
わかってはいけない。
知ってはいけない。
知りたくもない。
おぞましい。
なのに、口だけは質問を紡ぐ。
言うな。
何も聞きたくは無い。
これ以上喋るな。
動くな。
見たくも無い。
警告音が響く。
その中で確かに私はそれを理解した。
「僕は、君を……」
瞬間、息が止まるかと思った。
続きなんてもう聞かなくてもわかった。
その瞳を見た瞬間にそれを確かに感じ取ったのだから。
ぐっと、血が滲むほどに右手を握り締める。
「…………止めて」
怒りで脳が沸騰するかのようだった。
目の奥から脳まで熱く燃え滾るようなのに、響く声は低く冷たく凍えている。
車はこの男と初めて遭遇した公園のすぐ傍で止まった。
「漸く理解しました、衛宮切嗣」
憎々しげに男を見上げながら吐き出す。
今すぐに抉り出してやりたいような黒き眼があの忌まわしい目をして私を見ている。
はらわたが煮え繰り返しそうだ。
竦むように私を見る男。その目だ。
なんということだろう。
なんという屈辱なのだろう。
この男……よりにもよって、この私を通して
(ふざけないで)
私はイリヤスフィールなどではない。
私はアインツベルンの今代の聖杯、レイリスフィール・フォン・アインツベルンだ。
たとえ同一の遺伝子から生まれた存在であろうと、決してイリヤスフィールなどではない!
屈辱だった。
どうしようもなく屈辱だった。
こんな輩に助けられたという過去自体が忌まわしい。
これなら、まだあそこでマキリの手に落ちたほうがマシだった。
こんな風に同情の目で見られるくらいなら、そのほうがマシだった。
(ふざけないで、ふざけないで、ふざけないで)
この私が何故人間風情に同情などされねばならない!
自分の価値観で私の価値を決めて、勝手に同情して、私を自分の『娘』だとでも思っているのか!?
なんという傲慢、なんという偽善者なのか。
私こそがアインツベルンの聖杯だと思ってきた。
だから、どんな仕打ちにも耐えてきたし、アインツベルンの悲願を果たそうと思った。
イリヤスフィールと比べられるたび、私は絶対にイリヤスフィールのように人間もどきにはなるものかと何度も誓った。
全て耐えれたのは、私こそがアインツベルンの聖杯だという誇りがあったから、絶対に大爺様を見返すのだという誓いがあったからこそ、全てに耐えた。
それを、その誓いを無茶苦茶にしようとでも思っているのか。
何様のつもりなのか。
勝手にイリヤスフィールと重ねて、同情……?
人間などにそんな風に思われる覚えはない。
許さない。
(耐えれたのは、言ったのがアハト大爺様だったからだ)
許せない。
私のプライドを傷つけるものは絶対に許さない。
この時、私の中でどうでもいいと思っていた男、敵ですらなかった半死人、それが完全に敵になった。
「……私が望んだことではないとはいえ、一応は今回は命を救われました。不愉快ですが、それもまた事実。故に今回だけは見逃してさしあげましょう」
なけなしの理性を総動員してその言葉を告げる。
唇は怒りに震え続けている。
それでも今すぐ殺したい気持ちを鎮めて、それだけは告げたのはそれもアインツベルンの名を継ぐ者としてのプライドだった。
たとえどんなに腹が立っていようと、恩知らずの謗りを受けるような、家名に泥をつけるような行為だけはする気はない。
車から降り、男を睨み据えながら、言葉を続ける。
「ですが、次はありません。覚えておきなさい、衛宮切嗣」
体中の血液という血液が沸騰して眩暈がしそうな錯覚を覚える。
私の感情に呼応するかのように、自らのうちで狂戦士が騒いでいる。
その想いのままに私は告げた。
「私は、決してオマエをゆるさない」
side.衛宮切嗣
それはまるで呪詛。
「私は、決してオマエをゆるさない」
亡き妻とよく似た声で完全な拒絶を示すそんな言葉を残し、遠ざかっていく彼女の姿を、僕はただ立ち尽くして見ていた。
あれは、本気だ。
怒りと憎悪に燃えた瞳だった。心底僕を憎む目だった。
結局は全て間違っていたのだろうか。
救いたいなんてむしがいい話だったんだろうか。
答えが出ないままにグラリと体が傾く。
「爺さんっ」
此処10年で聞きなれた心地のよい声が焦りを含みながら僕の耳に届く。
瞬間、僕の体は彼女の引き締まっていながら柔らかい体に包まれた。
続いて2回連続で咳き込み、吐血する。
それに薬が切れたんだと理解した。
「すぐに家に運ぶ、じっとしていろ」
いいながら、シロは僕を抱え、後部座席に寝かせたあと急いで衛宮の家に向かって発車させる。
「…………シロ」
「喋るな。黙っていろ」
咳き込む合間に言った声に、厳しくも優しく彼女はそうかぶせる。
「…………」
「いいか、まだ死ぬなよ。こんなところで死んだら、オレは貴方を許さないからな」
どうせ今回助かってもそれほど持たない。
それを彼女もわかっているだろうにそうシロはそう言う。
いつだって彼女は素直じゃないのに優しいのだ。
うん……と心の中で頷きながら後姿を見やる。
瞳はぼやけてろくに焦点が合わない。
内臓は……ひょっとするといくつか臓器を駄目にしているかもしれない。
だけど、痛みすらどうでもよくて、前を向いている彼女の背中に、初めて夢で見た時の赤き剣の王の姿をぼんやりと思い出しながら、車に揺られるが侭に任せていた。
side.衛宮士郎
そこにいたのは、かつては人間だったはずの何かの姿だった。
神の家の地下に隠されていたにしてはあまりにおぞましく、異常な光景。
かつては人間だった残骸。
「……これ」
後ろから声をかけられる。イリヤの声だった。
だけど、それにこたえられるような心の余裕なんて既にない。
前に一歩進み出る。
「士郎っ」
心配するような咎める様な、動揺をはらんだ姉の声。
それとは別に啜り泣くような声が聞こえた。
『殺シテ、殺シテ、殺シテ』
『痛イノ、助ケテ』
『ココハドコ』
食い入るように目を逸らさずに彼らを見る。
無残で人間とすらもう呼べないようなものに変えられた人たち。
だけど、気付いてしまった。
俺は彼らを見たことがあるってことに。
たとえば、街中でばったり出くわしたり、たとえば、進学先の学校でたまたま同じクラスになったり、そんな風にしてまた会った時に、過去の辛くも懐かしい思い出として、あの頃のことをいつか語り合いたいとそんな淡い期待をしていた。
そう、火傷の痛みがなくなった頃に……。
「…………ごめん、な」
ぽつりと呟く。
俺は無力だ、だからごめん。
今まで知らなくてごめん。俺だけがのうのうと生きていてごめん。
これからもそうやって生きようとしていてごめん。
もうみんなの時間は動けないのに、ごめんなさい。
彼らはもう1人の俺。
俺がなっていたかもしれない姿。
彼らはあの日の大災害で生き残り、教会の孤児院に引き取られたはずの子供たち。
同じものを体験し、病院で目覚めたかつての同胞。
瞳を見開いてその光景をしっかりと目に焼き付ける。忘れないように。忘れ去ったりしないように。
拒絶するのは簡単だろう。
ここで逃げ出すのも簡単だろう。
でもな、それじゃあ駄目なんだ。
「坊主、どうするつもりだ」
後ろからランサーの声が聞こえる。
一瞬だけ、イリヤとランサーに目をやる。
「此処は壊す。イリヤとランサーは外に出てくれ。俺がやる」
「士郎がやる必要なんてないわ」
多分これはイリヤなりの気遣いなのだろう。知っている。彼女はそういう人だ。
いつだって優しくてしっかり者で、俺を気遣ってくれた。
けれど、それに甘えるわけにはいかないんだ。
だからゆっくりと首を横に振り、俺は静かな声で答えた。
「イリヤ、ごめん。それは聞けない。これは俺の仕事なんだ。……みんなを眠らせてやらなきゃな」
目元だけ微笑んで、また前を向いた。
背後からはイリヤの戸惑うような気配がした。
「……わかった。士郎もすぐ来るのよ」
「うん、ごめん。姉さん」
自然と、普段は言うのも恥ずかしい敬称が口から出る。
イリヤはもう振り返らず、ランサーを連れて上へと行く。
彼らは濁った目で皆俺を見ていた。
どうしてお前だけがそうして生きているんだと、そう責められているような気がした。
自分たちはもう人間ですらないものにされてしまったというのに。お前も俺たちと同じだった筈なのに。
そうだ、俺は彼らと同じ立場だった。
だからこそ、終わらせるのも俺の役目だ。
「皆、ごめんな」
ふっと微笑む。
それからスイッチを切り替える。
ガギリと頭蓋を撃ちぬかれる錯覚。
今日は妙に魔術回路の調子がいい。
まるで俺の感情に応えるように。
怒りと悲しみと慈しみ、全てが廻り回って1つに集約する。
そして、この場所を彼らごと全て破壊するためのカードを振るった。
「
side.間桐桜
「ぁああああーーーっ!!」
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ。
なんでこんなに痛いの、なんでわたしがこんな目にあうの。
身体中の蟲たちが悲鳴を上げる。
魔力が体内で暴発したかのようなショックに何匹もの蟲が死んだ。
それを受けて蟲たちもまた狂乱状態に陥って暴れる、乱れる、食いつく、魔力を喰らう。
修復と逆流。
再生と死を繰り返しているような感覚に絶え間ない痛みが襲う。
銃弾が撃ちこまれた箇所だけ、魔力を込めても上手く戻らず拡散するかのように、過剰の魔力がまた蟲たちを刺激していく。
もっと、魔力を。
そんな要求に応えるように影は暴れ狂い地面や木々たちに宿る魔力を捕食した。
再生と破壊がわたしを襲う。
思考も何もかもグチャグチャでドロドロとけてしまっている。
(どうして、なんでこんな目にわたしがあうの)
自分に銃弾を打ち込んだ男を思う。
黒い濁った目をした男だった。
どこかで見たことがあったような気がする男だった。
それが誰だったのかはわからない。
だけど、殺そうと思う。
こんなに自分に痛いことをしたんだ、死んで償うのが当然だと思う。
にたり、嗤って起き上がる。
撃たれた箇所だけは元通りにはならないので、魔力を使って新たに細胞分裂させて作った新しい皮膚を使って覆った。ズタズタになった体内もほら、もう元通り。
嗚呼、追って殺さなきゃ。
だって、わたしを殺そうとしたんですから、だから殺さなきゃ。
もう痛い目になんてあいたくない。
今のわたしには力があるんだから、だからあんな『死にぞこない』殺せる。
ああ、お腹がくうくうなりました。
ふらふらと立ち上がって、けたけたと進む。
死にぞこないだったけれど、食べれば少しはマシになるかもしれない。
だけど、何故だろう。
あの人の傍に会いたくない人がいたような気がする。
今のわたしの姿を見せたくない人がいたような気がする。
(暗雲、暗雲、答えは出ない)
絶対に知られたくない……?
誰に?
兄さんは死んだ。
兄さんは死んでいる。
なら一体わたしは誰をそんな風に思っているのだろう。答えは出ない。
でも、まあいいやと思いました。
わからないなら、思い出せないならきっと大したことじゃない。そうですよね。
そう思ったら笑えてきた。
「あはははは」
けたけたと大きな声で高笑い。
あれ? そういえば……ああ、そうだった。
わたし、そういえばあの白い子ヤギさんを探していたんだ。
くすくす、逃げるなんて悪い子。
悪い子はおしおきです。
うん、違和感は残っているけど、体はもう痛くナイ。
痛みがなくなれば、却って清々しい気分になれた。
きっとわたしは何でも出来る。
ズルリズルリと闇を引きずって歩く。
わたしは影で影はわたし。
2人で1つのマトウサクラ。
ピクリと、人の気配がした。
「誰!?」
バッと、影を翻し、木々をなぎ払う。
スレスレで避けて出てきたのは数日前も見たような気がする黒い女の姿だった。
「……桜」
無感動無表情に見えるのに、恐怖ではないものに苦しげに眉を寄せている女。
だけど、それが誰なのかはイマイチ今のわたしには思い出せない。
ただ以前見逃したことがある相手だったような気がした。
だから、くすくす笑いながら言う。
「へぇー。また来たんだ。それで何の用ですか。わたし、今ちょっと忙しいんです」
邪魔したら食べちゃいますよ? と暗に含めて口にしたというのに、目前の黒衣の女は全くわたしと視線を逸らすことはなく、はっきりと「もう、やめてください」そう口にした。
「はい?」
首をかしげながら女を見る。
「これ以上やっても、傷つくのは貴女でしょう。もうやめてください。私は貴女を……救いたいと思っているんです」
その言葉に腹が立った。
救いたい? ええ、ずっと救われたかった。
姉がいると知っていつか、自分を救いにきてくれるんじゃないかってそんな夢想を覚えるくらいずっと誰かに助けて欲しかった。
毎日痛くて、辛くて、辛いことばかりで、○○先輩の家だけが居場所だったのに、それすら無くして、拒絶されて、兄さんも死んで、わたしを人間としてみてくれる人なんていなくなって、わたしを世界は拒絶してなんでどうして、今更になって、貴女みたいな他人が『救いたい』なんて言うの。
どうして、もう夢なんてみたくないのに。いっそ堕ちたいのに。どうして、なんで。
(ワタシハ、モウ戻レナイノニ)
「勝手なこと言わないで!」
「桜」
「わたしがどんな目にあってあの家で育ったと思ってるんですか。痛くても辛くても、もうやめてって何度もいったのに、わたしが痛がれば痛がるほどいい道具になるっていわれて、痛くてずっと助けてほしくて、でもわたしが待っていたのは貴女じゃない!!」
「桜、私は」
尚も言葉を紡ごうとする喉を影で締め上げる。
これ以上聞きたくなんてない。
気道を塞がれた女は苦しげに空気を吐き出す。
けれど、その目はまっすぐに労わりを見せながらわたしを見ている。
それが無性に癇に障った。
(ああ、そうだ)
わたしを救いたいなんていった人に相応しい罰を思いついて薄く笑う。
このままこの人を一飲みにしてしまうのは簡単だ。
それじゃあつまらない。
そんなの簡単すぎる。
ドサリと女を地面に降ろして、にやりと哂って言った。
「わたしを救いたいといいましたよね?」
くすくすわらいながら彼女を見る。
「わたしに……同情していますか。わたしを可哀想だと思いますか」
「……桜?」
「じゃあ、同じ目にあってくださいよ」
ぶわり、影が足元から広がる。
「同じ目にあって、それでも同じことが言えるんなら、そうしたら少しは信じてあげます」
ぱくりと彼女を影に飲み込み、わたしがあの家に連れて来られてから受けた仕打ちを彼女の中に再生させようとして記憶に触れ、そして……。
「……ぇ」
目前の女の思わぬ境遇を知った。
「……!!」
夜の闇を飲み込んでFateの運命の輪は廻る、廻る。それぞれの思惑を孕んだまま。
NEXT?