新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。
新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
さて、そんなわけで新年早々欝展開でお送りいたしますうっかりシリーズ第五次編29話、今回のサブタイトルは2名の人物を示しております。
原作で死んだことがないキャラは二次でも大丈夫なんて、そうは問屋が卸さないんだぜ。


29.皮肉なる最期

 

 

 

 たとえばそれが蟲に変えられたような痛みだとしたら、

 たとえばそれはチェスの駒にされたかのようで。

 たとえば性をあさる娼婦のようにわたしが変えられたのだとしたら、

 たとえば彼女は性処理を兼ねた殺戮人形にされたようで。

 人間だと見て欲しくて、だから厳しくても人間扱いをしてくれた兄さんがわたしは好きで。

 自身を人形だと思った彼女は、自分が人間であることさえ捨てた。

 ずっと辛くて苦しくて、わたしは誰か(姉さん)に助けて欲しくて。

 助けてなんて思わずに、思えなかった自我の幼き彼女は男に肉体だけを救われた。

 自分が汚れていることを自覚していても、それでも好きな人には綺麗に思ってもらいたくて綺麗な自分のフリをした。

 自分は道具なのだからと、体すらも自分を拾った男の為の手段にして、自分も無く生きていたのに、醜く足掻く人に知らず憧れた。

 たとえばわたしが未来を閉ざされているならば、

 彼女は過去こそ閉ざされていて。

 たとえばそれは……。

 

 

 

 

 

    

  皮肉なる最期

 

 

 

 side.間桐桜

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 息が切れる。

 動悸が収まらない。

 心臓が煩く早鐘を打ち続ける。

 まるで警鐘の変わりのように。

 そうやって、鬱蒼とした森の中をただ感情のままに走っていた。

「ひっ……ふっ……ぁあ…………」

 顔を覆って、悲鳴なのか嗚咽なのかわからない声を噛み殺す。

 自分の頭の中はぐちゃぐちゃで、今わたしは立っているのか座っているのかすらもわからない。

 こんな薄汚れてしまったわたしを、救いたいのだといった(ひと)に罰を与えるつもりでしたあの接続、そこから伝えられたイメージが脳裏を支配してやまないから。

 知っている筈なのに、名前を忘れちゃった黒い服の女性。

 彼女をわたしの影の中に取り込んで、魔術師としてはあまりに弱い耐魔力を無視して、彼女の記憶に触れた先のひと時、そこから見たのはあまりにも意外な女の過去の映像とイメージだった。

 幼くして兵士に仕立て上げられ、夜は毎日のように強姦され身ごもった子供は奪われる。

 人に生まれ落ちながら、人として扱われないそんな人生。

 正確に見たわけじゃないけれど、断片で伝えられたそれに、わたしは彼女を未消化のまま影から吐き出してただ逃げ出した。

 わたしにとって、ずっと世界というのは辛いものだった。

 間桐の家に来てから、痛くて苦しくて辛いことばかりだった。

 そうだったはず。

 なのにさっきのアレを見てから、本当にそうだったのかがわからなくなっている。

(だって、わたしには兄さんがいた。○○先輩がいた。○ロさんも。イ○ヤ先輩も)

 どうして。

 どうして、どうして。

 それとは別に頭の奥で囁く声が聞こえる。

“何ヲ迷ッテイルンダヨ。オ前ハ辛カッタハズダ。苦シインダロ、憎インダロ。憎メヨ、ソレガ正シイ。コンナ世界壊シタカッタ筈ダロ。全部滅茶苦茶ニシヨウヨ、ソレガ望ミナンダカラ”

「……やめて……」

 本当にわたしはこの世界が憎かったのか、記憶が曖昧でよく思い出せない。

 でも胸の奥で声が響くたび、先ほど見た彼女のイメージが脳裏によぎるたび、涙がぽろぽろぽろぽろとこぼれだす。溢れる。

 寂しい人だった。

 自我すら碌に形成することも出来ず体だけ先に大人になった、そんな人だった。

 哀しいを哀しいと思えず、辛いを辛いと思えず、ただ『人間』を羨望して、人間らしい感情も自分の感情もわからなくて、自分を機械だなんて思って、憧れの真似をしてわたしに手を差し伸べた。

 同情なんて彼女にはなかった。

 可哀想という感情すら彼女は知っていなかった。

 それは人間としてどれだけ歪なんだろう。

 つい先ほどまで確かにわたしは、世界中に憎まれていると思っていた。

 世界中全てがわたしに優しくないって、だからこんな世界壊してしまおう、そうしても許されるって何故か思っていた。

 どうしてかはわからない。

 ただ、世界全てが悪意の刃に見えていた。

 だけど、それが本当なのかそうでないのかわからない。

 わたし、わからないんです。

“余計ナ事ヲ考エルナ。オ前ハ化ケ物ナンダヨ。憎インダロ。辛インダロ。殺セヨ。壊セ。全部食べチャエ”

 ほうら、腹が減ったんだろう? そんな空想の声にゾクリと体が震えだす。

「やめて、やめて、やめて」

 そうだ、わたしには兄さんがいた。お爺様もいた。

 シ○さんもいたし、イリ○先輩もいた。

 好きな人だって、好きだって思ってきた人だっていたの!

 先輩の家で食べたご飯がおいしかった。

 些細なことでみんなで笑って、こんなわたしの手を、汚れているこの手を握ってくれたの。

 泣きたいくらい幸せで優しかったの。

 確かに辛いことも、苦しいことも多かったけれど、わたし、わたしはだから寂しくなんてなかった。

“拒絶サレタノニ?”

 ぞっと、血の気が引いた。

「やめ……て……」

“アノ日、告ゲラレタ筈ダロウ。ナノニ、ワカラナイノ?

『君が間桐の後継者なんだろう?』

 そうわたしは所詮間桐(ムシ)で、人間じゃなくて、もうあの家にわたしは行ってはいけないんだと、そう確かに突きつけられたんだから。

「やめて…………!」

 違う、違う、違う。

 わたしは恨んでないの!

 わたしは、だって確かに愛情も知っているから。

 辛いことばかりなんかじゃなかった、笑ってわたしの傍にいてくれた人達がいた。だからやめて。

 もうわたしに吹き込まないで。黒く染めないで。

 世界を壊すことなんて、望んでない。

 望んでいないの。

 だって、だって、わたしは兄さんがいた。

 ○○先輩が……わたし、わたしは1人なんかじゃなかった。

“マトウシンジハ死ンダヨ”

 はっと、その情景を思い出す。

 斜めになった校舎の屋上から落っこちて、アスファルトの大地に墜ちて赤い花を散らせて死んじゃった。

「ぁ……ぁぁあああ……」

 ガタガタと震えだして、顔を抑えてわたしはしゃがみこんだ。

 ボロボロボロボロ、涙が止まらない。

 息をするのさえ苦しくて、喘ぐように小さく悲鳴をかみ殺す。

 姉さん、姉さん助けてください。

 それでわたしが死ぬことになってもいいですから、もういいですから。だから、助けてください。

 もう辛いの、苦しいの。

 自分がわたしがわからないの。

 記憶も想いもぐちゃぐちゃで虫食いの穴あきなの。

 自分の考えもなにもかもわからないの。

 誰か、誰か助けて。

「……間桐嬢?」

 

 呼びかけられ胡乱な意識のまま前を向いた。

 気付けば自分はとうに森を抜けて住宅街の裏通りにいたらしい。そんなことに今更気付く。

 そして目の前に立っているのは買い物袋を手に提げた小柄な少年が1人。

 どこかで見覚えがある同年代らしきその人は、わたしを間桐桜と認識しているらしく、知人に対する色を宿した目でわたしを見ながら、何故こんなところにいるのか? という疑問を乗せた声でわたしの名前を呼ぶ。

 誰?

 確かにわたしはこの人を知っているはず。

 そう、時々○○先輩と一緒にいる姿を見かけることがあった。

 そう、先輩のクラスメイト。

 ○○先輩?

 そういえばそれが誰かなのかすらわかっていないのに、なんでそんなことを思うのだろう。

「間桐嬢でござろう? その髪や姿はどうなされた?」

 困惑するようにわたしを見ながら、その男の子はわたしに対する疑問を口にする。

 とはいえ、言及するのは容姿に関してだけで、そこにわたしに対する畏れや恐怖といった感情は見あたらない。わたしの異様性には気付いていないのか。いや、わかっていないだけなのだろう。

 だって、相手は一般人なのだから。

「いや、そんなことより、近頃はこのあたりで一家失踪事件が相次いでいるという。おなご一人では危ない。衛宮でないのはすまぬが、拙者がお送りしよう。さ、手を」

 そういいながら、○○先輩のクラスメイトの少年は手を伸ばした。

 それに思わず息を呑む。

 今目の前にいるのは、事情も何もしらない、きっと見知った後輩くらいにしか自分のことを認識していないだろうそんな少年だ。

 だけど、わたしはそれが救いの手に見えた。

(いいの?)

 この手をとってもわたしはいいの?

 そんな自問をする。

 だけど、今は誰かに縋りたくてたまらなかった。

「……ありが……」

 震える手をわたしも伸ばして、それが終わりだった。

 ビチャリと、血が顔にかかる。

 目の前で少年の体は真っ二つに割れて、ぐしゃりと崩れ落ちた。

 何が起こったのかわからなくて一瞬、硬直する。

 そして、すぐに理由に気付いた。

 少年はわたしの影に襲われたんだと。

「……ぁ」

 わたしが手を伸ばしたのを合図にして、影が少年を襲っていたんだって。

「ぁあ……」

 ぐちゃりぐちゃりと影が徘徊する。

 まるでお腹が空いたんだと喚くように崩れ落ちた少年の体にかぶさって、ぐちゅりぐちゅりと肉を、血を啜る。

 やがて影は全てを飲み込んで、少年がいたという痕跡すらなくした。それの意味。

 わたしは、わたしが(・・・・)、わたしを救おうとした少年を殺して喰らった。

「……ぃやぁぁあああああーーー!」

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 僕を呼ぶ声が聞こえて、僕は瞼を開く。

 ここはどこなのか、考える前に刹那の結論。

 嗚呼これは夢だ。夢の中に僕はいるんだと。

 ふと、口元だけで笑う。

 久しぶりに「本当」の夢を見た。

 夢とは人の願望を写す鏡なのだという。ならば確かに其れは僕の願望だった。

 雪のように白い髪に、透き通った紅の瞳、慈母の微笑みを湛えた今は亡き最愛の妻、アイリスフィール。彼女がそこに立っていた。

 そして、諭すような声で彼女は言う。

『まだ駄目よ』

 そっと白魚のような手が、慈しむように僕の頬に伸びる。

『まだ、あなたがこっちにくるには早いわ』

 懐かしさに、夢の中というのに目じりが緩む。

(だけどアイリ、僕は……)

 思い出すのは意識を失う前のこと。

 憎悪に燃えた目で僕を見たレイリスフィールという少女の姿。

 結局のところ、僕は間違えたんだ、アイリ。

 僕はただ救いたかっただけなんだ。

(それはあの日のイリヤを? それとも第三の僕の娘を?)

 だけど、駄目だったんだ。拒絶されたよ。

 そりゃあそうかもしれないね。

 結局、僕のこの手は血まみれで、散々誰かを殺してきた立場で誰かを救いたいなんてことこそが、傲慢さに胡座を掻いた自己満足行為でしかなかったのだろう。

 僕は昔からなんにも変わっちゃいない。

 初恋の女も実の父親も母代わりの女性も、そして君すら殺して、死なせて、それでも僕の夢がそれらで叶ったことなんてなかったんだから。

 僕はただ正義の味方に……みんなを救って守れる人間になりたかっただけなのに、それすら捨てて、残骸として10年を生きてきた。

 みんな死なせて、骸ばかりを重ねて、そのくせ10年間も穏やかに暮らしたんだぜ? この僕が、だよ。

 だから、きっと罰だったんだ。

 彼女という存在も、彼女に憎まれることも。

(でも、だけど、救いたかったんだ)

 結局は僕には何も変えれないのか。

 僕には何も出来ないのか。

 なぁ、アイリ……僕は、君の元に行ってはいけないのか。

 こんな僕に、まだ生きる価値があるというのか。

『泣かないで、切嗣。もう少しだけ頑張りましょう。ね?』

 優しい声で彼女はそう言って、そっと僕の背中を抱きしめた。

 ささやかな提案のように彼女は耳元で言う。

『ねえ、切嗣。あなたは笑うかもしれないけど、少しだけ奇跡を信じてはみない?』

 妻のほうへと視線を向ける。

 彼女はいつかのように、少しだけ悪戯そうに微笑んで、穏やかに告げた。

『だって、私も聖杯だから。信じればきっと奇跡は起きる。だから諦めないで。時間ギリギリまであなたは足掻いて、最期まで生きて。お願いよ。私の分も……』

 そういっている彼女は、アンリマユが見せる偽者ではなく、かつて僕が愛したアイリそのままのように思えた。

 そうだ、ここのところ夢に出てくるアイリはもっと歪んだ表情をして、怨嗟の声ばかりを僕にぶつけていた。なのに今目の前にいるアイリはかつての微笑を浮かべていて、いつかのままだ。

 ふと、もしかして目の前にいるアイリは本物なのではないのかという錯覚を覚える。

『聞こえる? 切嗣。あなたを呼ぶ声がしているわ。さあ、行って。そしてあの子達の力になってあげて。私は、いつまでも見守っているから……』

 

 覚醒はゆるりと訪れた。

 これほど穏やかな目覚めなんて一体いつ以来なのかすらおぼろげで、答えが出ない。

 それほどに優しい目覚めだった。

 ふと、自分の目元に違和感を感じる。次いで気付いた。嗚呼、自分は眠りながらに泣いていたのか。

 こんな、穏やかな目覚めがあっていいのか。

 眠りにつく前の僕は、そんな穏やかでいられるような状態じゃなかったはずなのに。

 あのまま死んでもおかしくないとすら思っていた。

 でも、目が覚めたということは、即ち自分は死んではいなかったらしい。

 そこまでゆるく思考したあと、隣に座る存在に気付いた。

「起きたか、切嗣(じいさん)

 そういって自分に話しかけてくる顔。

 10年家族として共に暮らした僕の娘。僕の息子士郎の『なっていたかもしれない』将来の姿。

 夢に落ちる前にぼんやりと思った剣の王の背中を思い出す。

 赤き荒野に佇む剣の王。

 それは確かにシロであってシロではなく、だけど確かにシロだった。

「……シロ」

 声を出す。

 億劫に自分の声が鼓膜に響く。

 まるで70を過ぎたかのような、弱く窶れた老人のような声だった。

「……僕は、どれくらい、眠っていた……?」

 それに一瞬彼女は痛々しげに眉をひそめ、ついでいつも通りの表情を作って淡々と話す。

「一昼夜……だな。寧ろそれだけで目覚めるとは僥倖だ」

 その言葉で、今日は2月10日であることを知る。

「……そうか。僕はあと、どれくらい持ちそうだ?」

 それに、数瞬彼女の鋼色の目が虚空をさ迷う。

「……どれ程長く見積もってもあと10日……いや、1週間がせいぜいだ」

 わかっていたことだけれど、魔術薬と固有時制脚を同時併用の代償は大きいのだと改めて知る。

 わかっていたことだ。

 だけど、あのときの選択に後悔するつもりはない。

 あそこでレイリスフィールと名乗るあの子を見捨てる選択のほうこそ、きっと今の僕には耐えられなかっただろうから。

「そうか……薬は、あと何回まで大丈夫だい?」

 それに一瞬シロは怒りにかられたような表情を浮かべた。

 けれど、すぐに表情を打ち消し、堅い声音で僕の質問に言葉を返す。

「……3日以内なら2回が精々だ。だが、次に服用すれば貴方は死ぬ」

「……そうか」

 返事として出した声はやけに乾いた声になった。1週間も保たないとしても、充分だろうと思う。

 その後は淡々と士郎やイリヤたちの事を聞く。

 言峰は教会にいなかったこと、イリヤや士郎にも心配をかけていたということ。意外にも、あのセイバーも心配していたということ。

 そして変わり果てた間桐桜の話になって……彼女を語るシロを前に、初めて僕はソレを確信した。

 突如としてバラバラになっていた色んなピースが1つになったようなイメージを覚える。

 嗚呼、なんで気付かなかったんだろう。

 こんな近くにいたのに、僕はもう君のことをわかっているつもりでいたのに、やっぱり全然わかっていなかった。

『私は貴方が思うままに進めばいいと思っている。私はそのサーヴァントとして、貴方の決断に従うだけだ』

 その言葉の真意をどうして気付こうとしなかったんだ。

 思えば、この第五次聖杯戦争が起きてからずっと彼女はちぐはぐだった。

 その理由は、僕だ。僕だったんだ。

 報告を続けようとする彼女を目線で制して、10年ぶりにかの名を呼ぶ。

シロウ(・・・)

 それは10年間シロと名乗り続けてきた彼女の本名。

 僕ではない僕に拾われた時に失くした上の名とは違う、最初から持っていた本当の名前。

 それに彼女は驚きに目を僅か開いた。

「シロウ、もういい。もういいんだ」

 億劫な右手をぎこちなく動かして、彼女の褐色に染まった頬まで伸ばした。

 どうか僕の思いが届いていればいい。そんな願いを込めながらなぞる。

「ごめんよ、今まで気付かなくて。もう僕のことはいい。捨て置いてくれてかまわないんだ。だから、シロウ、君は自分の生きたいようにやってくれていい」

 そうだ、彼女は本当はこんなところでくすぶっていられるような性格はしていなかった。

 周囲に自分の正体がバレるかもしれないなんて、そんな理由で大人しくしているような人間じゃないんだ。

 それがこうして満足に動くことさえせず、鬱屈する心を抱えながらも大人しくこの家にとどまっていたのは……僕のせいだ。

 シロウは今でも僕がマスターだと思っている。

 その上親子の情もある。

 死にかけのマスターを彼女は放っておけなかった。

 だから迂闊に動けなかった。

 きっとそれが正解だ。

「桜ちゃんを助けたいんだろ?」

「……! 桜は……」

「いいんだ、もう。自分の心を偽らなくていい。だから、シロウ。自分の心のままに歩きなさい。それが父親としても、マスターとしても……僕の願いだ」

 泣きそうに目の前の相手の人相が歪む。

 涙なんてなくても、それでも僕はそれを泣いていると思った。

 

 

 

 side.バゼット

 

 

 あれから一週間ほどが経っただろうか。

 白い空間。その中を私は歩いていた。視線を下げ、人と目をあわせないようにして歩く。

「あ、バゼットさん、本日退院ですか」

 ふと呼びかけられて前を向くと、そこには自分を担当していた快活な看護婦の姿があった。

 ……彼女はなんだか苦手だ。思わず小声になって言葉を返す。

「ええ」

 曖昧な笑みを浮かべて言う。

 それに彼女は気にした風もなく「また何かおかしなことがあったらいつでもきてくださいね」なんて言って笑った。それを俯いてやり過ごす。

 ……本当はもっと前から退院は出来た。

 今日まで引き伸ばしてきたのは、思考を放棄してきた結果だ。

 聖杯戦争に参加するマスターになるために送り込まれたというのに、何一つ果たせず、聖杯戦争が始まる前に私は令呪ごと腕をとられて脱落した。ランサーは別の人間と契約したという。

 自分を斬った男を思い出す。

 言峰綺礼。

 私はこの男に好意をもっていた。

 信頼してはいけない危険な男だという認識もないまま、背中を見せた結末がこれた。

 私の左手はぽっかりと欠けたまま。

 これから何をしていいのかわからなくて、でも考えるのも辛くて思考停止ばかりを繰り返していた。

 とっくに退院は出来るというのに、長く病院にい続ける私を医者も看護婦も止めることはなかった。

 いや、医者は正確には『金さえ払ってくれるんならいい』だったのですが。

 そして、いつまでもこうしているわけにはいかないだろうと思ったのが昨日。

 殆どないに等しい自分の荷物を纏めて、病院の出口に向かっている。

 ふと、自分を此処に預けた女を思い出した。

 黒髪黒目の国籍不詳な黒い女。

 彼女は何かあれば無線で連絡を、と言っていた。

 そうだ、今回の件では迷惑をかけた。

 たとえ彼女の仲間からの指示で私を助けただけだとしても、それでも聖杯戦争の関係者なのに元マスターである私に対してのそれは温情といっていいだろう。

 本当はきっと私はあそこで死んでいるはずだったのだから。

 だから、一言礼を言おう。

 無事退院しましたと、そう告げよう。

 そう思って無線に手をかけたが……それが繋がることはなかった。

「…………」

 これは、もしかして壊れている……?

 相手の身につけている無線が。あるいは……。

 嫌な予感が胸に広がる。

 そして、私は己の心のままに駆けた。

 

 

 

 side.アサシン

 

 

 彼らを見つけたのは偶然といえば偶然だった。

 橋の上を歩く2人組みの男女。

 それが魔術師であることと、共に霊体化したサーヴァントの気配がすることに気付いて、それが私が屠るべき敵であることを知る。

 アサシンのサーヴァントには気配遮断のスキルが与えられている。

 それを使い気配を消しながら、私は彼らの後をつけた。

 たどり着いたのは一軒の武家屋敷。

 そして、其処にもう1つサーヴァントの気配がすることに気付いた。

 おそらくが2体のサーヴァントとマスターが手を組んでいるのだろうとそれで判断する。

 しかし、そこまで考えて暫し困った。

 私は暗殺者だ。

 ただでさえサーヴァント同士の戦いには不向きというのに、2人のマスターと2騎のサーヴァントが組んでいるとなると、この現状は厄介だ。

 かといって、他に敵マスターの手がかりはといえば、あの白い娘と赤い娘くらいだが、彼らには姿を見られているし、一度殺しに失敗した。私に対する警戒レベルも引き上げられていると見ていいだろう。

 なら、これも迂闊なことは出来まい。

 だが、聖杯戦争とは何も必ずしもサーヴァント同士が殺しあうというものでもない。

 マスターを殺しても目的は達成される。

 そしてこの身はアサシンのサーヴァント。マスターの暗殺に最大のアドバンテージを誇るクラスだ。

 よって、私は方向性を変えることにした。

 幸いというべきか、此度のターゲットであるこの屋敷の人間の数はサーヴァントの数より多い。

 そのあたりがあの白い娘や赤い娘とは違う。

 ……人間が1人の時を狙い、殺して、サーヴァントが追ってくるより先に霊体化して気配を遮断し逃げればいい。

 それを繰り返せばこの陣営は崩れる、とそう私は睨んだ。

 そこまで考えればあとは簡単だ。

 人間が張った結界など、この私にはあまり意味がない。

 まして、こうも開放的な造りの家ならば尚更だ。

 無い顔で笑いを殺しながら、霊体化して気配を消し屋敷の中へと潜む。

 あとは獲物がかかるのを待つだけだ、そう思い待って……そしてその時は存外早く訪れた。

 そう、昨晩確かに私が見かけた赤い髪の少年が、隙だらけの姿のまま1人佇んでいる。

 馬鹿な獲物を前に忍び笑う。

 そして実体化してダークを投擲、その刹那、私は驚愕に一瞬動きを止めた。

 為す術もなく無様に殺されると思った少年は、私が放った一瞬の殺意に反応して、黒と白の双剣で私のダークを打ち払っていた。

(馬鹿な……!) 

 確かあれはあの赤き弓兵の装備だったはず、それを何故こんな少年が持っている。

 いや、この少年、いくら私の本気の一撃でなかったとはいえ、仮にもサーヴァントの攻撃に対処しただと?

 思う間にサーヴァントの接近する気配が近づく。

 尋常ならざるスピードにそれがランサーだと気付くが、いまだ驚きから覚めぬ私は相手のサーヴァントが一体と知ると、迎え撃つほうに心の秤が傾く。

 思ったとおりの青き槍兵が赤き槍を手に私に迫る。

 それを妄想心音(ザパーニーヤ)を使い、しとめようとして、そしてそれを実行に移すより一寸早くソレを聞いた。

刺し穿つ(ゲイ)……」

 魔力が周囲から巻き上げられる気配がした。大気が揺れる。

「……死棘の槍(ボルク)ッ!!」

 そして、槍はその伝承の通りに私の心臓を穿った。

 

 

 話は変わるが、サーヴァント同士の戦いとは、結局においては宝具同士の撃ち合いである。

 そして、神秘はより強い神秘の前に破れる。

 宝具同士の競い合いとして出したならば、世にも名高きゲイボルクに妄想心音が負けるのは当然といえば当然の結末であった。アサシンはランサーと対峙してはいけなかったのだ。

 けれど、正史ではアサシンによって屠られるのはランサーのほうである。

 なのに、この結果を招いたのは何か? それはマスターの違いかもしれないし、状況の違いかもしれないし、あるいはランサーがアサシンと出会った時、全力で叩き潰すと以前に誓っていたことも元凶かもしれなかった。

 どちらにせよ、正史では屠ったランサーによってアサシンが殺されるとは皮肉といえば皮肉なる最期であった。

 

 

  NEXT?


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