新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完)   作:EKAWARI

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ばんははろ、EKAWARIです。
お待たせしました、第五次編31話円蔵山です。
今回は久しぶりのあのキャラが出てきますよ。ではどうぞ。


31.円蔵山

 

 

 

 力が欲しいとこんな時思う。

 わたしはわたし。

 自分が自分であることに常に誇りをもってきたし、何があってもそんな自分の人生を肯定してきた。

 わたしはなんだかんだいって恵まれていて、最初っから大抵の事は何でも出来た。

(本当に一番大事なことはいつだって上手くいかないけれど)

 そんな自分を当然だと、わたしは笑って肯定してきた。

 わたしはわたしであることに誇りをもっていたから。

 泣き言なんてそんなの、わたしには似合わない。

 常に余裕をもって優雅たれ。

 白鳥は美しく水面の上を行く。

 水面下ではバタバタと足を必死に動かしてようとも、それを表に出すことは無い。

 そんな風に裏での苦労なんて、表に出さず、苦労を苦労と思わずに毅然とあること。

 それが父さんの教えである、常に余裕をもって優雅たれということだと信じている。

 だけど、こんな風に自分の無力を思い知らされた時は、自分にない力を望む。

 無いもの強請りをするなんて愚かだなんて知っている。

 でも、わたしは今現状を変える為の力が欲しい。

 

 

 

 

 

         

  円蔵山

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 影の出現、その始まりの場所は柳洞寺……即ち円蔵山だ。

 そしてそこは聖杯が出現するとされている数ある霊地の1つでもある。

 今のわたしにはやるべきことがあっても手がかりがない。

 そういう時は最初の場所にヒントが隠されているっていうのが相場だ。

 だから、わたしはその始まりの場所である山に向かっていた。

 今はもうキャスターはいない。

 アサシンはいるのかもしれないけれど、よしんばいたとしても、わたしとアーチャーの敵じゃないだろうとわたしは睨んでいた。なら、そこに向かうことに恐れる理由なんてない。

 長い石段を上がりながらそう思う。

 集団昏睡事件の影響もあって、立ち入り禁止の札が張ってあるけれど、それだけ。

 わたしは気にせずにひょいっとそれらの警告を無視して奥へと向かった。

 アーチャーは何も言わずわたしに従っている。

 斜め後ろから感じる己がサーヴァントの気配が心強い。

 サーヴァントとマスターは普通の使い魔と主の関係じゃない。そこに流れているのは互いに互いを利用するギブアンドテイクの関係で、互いに聖杯を得るためだけの薄い繋がり。油断をすれば裏切られてもおかしくはない。

 それが聖杯戦争のサーヴァントとマスターの関係だ。

 なにせ、使い魔という形を取っていても、相手は歴戦の英雄、伝説に名を残した英霊の一柱なのだから。

 魔術師とはいえ、人間であるわたし達とは存在としての格が違う。

 それを思えば、本当はサーヴァントなんて信用し過ぎちゃいけないものだけれど、わたしはアーチャーがわたしを裏切らない確信があった。だから、安心して背中を預けられる。

 そういう相手がいるってのはとても幸いだ。

 お陰でわたしは前だけ向いていれる。

 ぐるりと、お堂の周りをまずは探索する。拍子抜けするほど何も異常はなかった。

「何もないわね」

 気だるげに息をひとつ吐きながら呟く。

 そんな時、わたしからちょっと離れてもう少し広範囲を探索していたアーチャーが帰ってきた。

 霊体から実体へと切り替えたアーチャーの表情は厳しい。

 何かがあったのだろうと直感し、わたしも、厳しめの眼差しを自身の従者へと送る。

「何かあったの?」

「いやなに、裏庭のほうだがね、微かにおかしな気配がある。おそらくは結界だろうが……どうも妙でな」

 その言葉を受けて、気を引き締めつつわたしは言った。

「いいわ、案内して」

 

 果たしてそれはあった。

 アーチャーのいっていたそれは、綻び掛けの小さな結界で、術者は死んだのか大分気配が薄まっている。

 それでも完全に消えていないのは、地脈から吸い上げた霊力を応用して展開する術式が一部組み合わされていたからだろう。でも、この程度の結界なら、わたしの魔力で上書きし、押し流せば破れる。

 誰が張ったのかは知らないけれど、これを張った奴は知識があるだけで魔術に手馴れている奴が張ったそれじゃない。まるで一級の知識を与えられた素人が張ったかのようなそんな結界だった。アーチャーがおかしなと称したのはそういうことだろう。

 と、そんなあたりをつけながら自分のやるべきことに集中する。

 何を隠しているのかは知らないけれど、きっと碌でもないものを見る羽目になるのだろう。

 そんな予感を覚えながらわたしは基軸へと魔力を流し込んだ。

 パシリ。

 破れた結界により、まわりの風景に同調するかのように設えられた幻覚の風景は解けて、変わりに、この結界を張った何者かが隠していたそれが眼前へと露呈される。

 そしてそれを見てわたしが真っ先に感じたのは驚愕の感情。

 唖然と目を見開き、思わず息を一瞬飲み込んだ。

「……ぁ……ぅぁあ…………」

 目前の大木に捕らえられていた小柄な少女が僅かに言葉を溢す。

 わたしの存在に気付いているわけではなく、苦しさに思わず呻いた、そんな感じの声だった。

 だけど、その漏れ出た声は間違いなく、過去に何度も耳にした、よく知った少女の声だ。

「そんな……」

 思い出すのは6日前の記憶。教室での会話。

 彼女がいないのだと、いつも彼女と一緒にいた2人は話していた。

(いないのは……いなかったのは、ここに捕らえられていたから?)

 なんで、あなたが、どうして。

 そんな問いかけをしたところで、きっと眼前の少女が答えることは無い……いや答えられないだろうことはわかっている。

 それでも思わずにはいられなかった。

 彼女は聖杯戦争に関係なかったはずなのに、どうしてと。

「なんで……三枝さん」

 結界の中捕らえられていたのは同じ学校の生徒である三枝由紀香だった。

 以前から自分を慕い、何度もお昼の誘いをかけてくれた陸上部のマネージャー。同級生である平凡であるはずの少女。魔術師でもなんでもない、普通の女の子。それがどうしてこんなことになったのか。

 そう思うながらも一クラスメイトとして動揺するわたしとは別に、冷静な魔術師としてのわたしが仔細に彼女の様子も観察する。

 その顔色は青白く、いつもほにゃりと柔らかな笑顔を浮かべていたその顔は、見る影もないくらいやつれていて生気がない。生命力を搾り取られていたのは一目瞭然だ。

 やわらかそうだった茶色い髪はべったりと汗と共に皮膚に張り付いていて艶がない。

 その華奢な体は衣服も何もなく、それが余計に哀れみを誘う。

 下半身は彼女を捕らえている檻でもある木と融合しており、上半身は裸体をさらして、左右に広げられた両手の先はそれぞれの枝に木のツルによってしっかりと繋がれており、その様はまるでどこかの教会に飾られた聖人像(キリスト)に酷似していた。

 人類の罪を背負わされ、杭で手足を打たれ、頭には茨の冠を被されたという聖人(イエス)

 かつては柔らかな澄んだ光を湛えた瞳は濁り、他人が今ここにいることすら気付けそうにもない姿だった。

「まって、今助けるから」

 声は聞こえていないだろうけど、自分の心を落ち着かせるためにもそう声をかけて彼女を解放するために動き出す。

 冷たいけれど、心臓の鼓動を確かに伝える身体。

 触れるたびにビクリビクリと揺れる身体がただ憐れだった。

 幸いというべきなのか、まるで木と融合したかのような様の彼女だけれど、完全に融合したわけじゃない。

 神経が一部木と融合させられているようだから、引き抜くときに痛みはあるだろうし、これから開放しても暫くの間、後遺症はあるかもしれないけれど、それでもリハビリをすれば元通りになる範囲だ。

 そう判断して、僅かにほっとする。

 もしもあと数日、いえ……あと1日でも発見を遅れていたらきっと彼女はリハビリしても元通りにはならないだろうとわかったから、間に合ってよかったと思う。

 ……こんな目に彼女があっている時点で間に合っていないという、そんな内なる声を外に追い出しながらもそう思った。

 助け出しても記憶は残さない。一週間分の記憶を消去して返す。

 おそらく彼女がこんな目にあったのは聖杯戦争がらみだろうし、魔術は秘匿しなきゃいけないっていうのもそこにはあるけれど、わたし個人としてもこんな記憶を彼女に残す真似はしたくない。

 というそんな感情も混ざった判断だ。

 陽だまりがよく似合う少女だった。

 そんな彼女にこんな風にされたなんて経験は酷過ぎるし、覚えていないほうがいいに決まっている。

 一週間分の記憶が消え、身体には軽い障害を負ったまま返されることになるだろう三枝さんは、戸惑うだろうし、無い記憶と障害に不安を覚えるだろうけれど、それでも記憶があるよりはずっと回復も早いだろうし、彼女のことは氷室さんや蒔寺さんが支えるだろう。だから大丈夫。

 痛みなんて時間と共に薄れていくものなのだから。

 そう自分に言い聞かせながら、彼女を木から引きずり出した。

「ひぃ、ぁぃあああっ……!」

 神経が引き抜かれるような痛みに、意識もはっきりしないまま、目の前の三枝さんがビクリと身体を跳ねさせながら悲鳴を上げた。

 それは本当に痛々しい声で、思わず己が無力さを前に唇をかみ締める。

「大丈夫、大丈夫だから」

 出来るだけ優しい声でそう声をかけた。

 それはまるで自分自身に言い聞かすような言葉だと、意識の奥の冷静なわたしは告げる。

 そんな自分がほんの少しだけ嫌だった。

「大丈夫、大丈夫」

 三枝さんは変わらず「ぁ、いぁ、ぅぁあ」と言葉にならないか細い悲鳴を漏らしながら、縋るように自由になった両手でわたしの背中に手をまわし、がりりと弱々しくひっかいていた。

 細い手首、元から華奢なのに更にやせ衰えた身体。

 それが裸体ごしにダイレクトに伝わってきて、やりきれなかった。

 でも、こんなところで根を上げるなんて遠坂凛じゃない。

 だからぐっとそんな自分を抑えて、自分のやるべきことをやりぬいた。

「……ぅ……ぅう」

 叫びつかれたのか、木と術式から開放された三枝さんはくたりと脱力しながら、わたしに身体を預ける。

 そんな彼女をそっと抱きしめて、幼い頃、まだ『あの子』が遠坂を名乗っていた頃に時々してあげたように、撫でた。

「もう、大丈夫よ……安心して。悪夢は終わり。あなたは元通りに戻れるから」

「…………とぉ……さか、さん?」

 呼ばれた名前に驚き秘かに息をつめる。

 確かに先ほどまで濁っていたはずの目は僅かにもとの清純な輝きを戻してわたしを見た。

 けれど、それも一瞬。

 名前を呼んだかと思った三枝さんは、深い眠りへと落ちていた。

 次に目覚めた時には、彼女からはわたしに助けられたという記憶すら失くす。それは決定事項だ。

 だけど、さっきの三枝さんは、まるでわたしがこれから何をやろうとしているのか悟って、止めようとしたかのようだった。そんな風に見えた。

 馬鹿みたい。そんなことありえない。

 きっとわたしは今混乱しているからそんな埒も無いことを考えるのだ。

 冷やりとする内心の思いに蓋をして、わたしは彼女を抱え立ち上がる。

 今日は桜を探すつもりだったけれど、三枝さんを抱えた状態で他事を迎えれるはずもない。

 綺礼に任せてみようか。そんな考えが頭に湧く。

 あいつは人格破綻者で碌でもない男だけれど、それでも一応は神父であり、心霊治療術にかけては一流だ。

 そうと決まれば行動は少しでも早いほうがいいに決まっている。

「アーチャー」

 周囲の警戒を任せていた自身のサーヴァントの名を呼び、方針を告げようとしたその時だった。

「凛っ!」

 強い声をかけられ、急に腕をとられて転がされる。

 同時に状況判断。

 先ほどまでわたしがいた場所には剣と槍が弾丸のように突き刺さっていた。

 間違いなく宝具だ。強い神秘の気配をもつ美しいそれらを前に、とっさに何者かのサーヴァントに襲撃されたのだと気がつく。

 アーチャーは三枝さんごとわたしを抱えて、空いた片手に黒の剣を携える。

 だけど、状況は芳しくない。

 ただでさえサーヴァント同士の対決にマスターなどは邪魔になりがちだというのに、今のわたしは三枝さんという余計な荷物を背負っている。しかも、敵がどこから襲撃したのかは咄嗟にはわからなかった。

 思う間に第二戟が迫りくる。

 まずいと思ったとき、唐突にそれは現れた。

 4つの花弁が咲いた赤い花。

「こっちだ!」

 それに疑問を覚えるより先に、聞きなれた声が響いて、反射的にわたしはパスを通してアーチャーに念じるように思いを流し込み、その声の主についていった。

 

 

 

 side.???

 

 

「……贋作者(フェイカー)

 己の下から逃走する輩を見ながら、(おれ)は忌々しく顔をゆがめてそれを見ていた。

 これは確認作業の一環だ。

 わざわざこの(おれ)が顔を見せるほどのことではない。だから声もかけずに襲撃した。

 いや、襲撃なんて言葉こそおこがましい。これはただの遊び(ゲーム)に過ぎないのだから。

 結果としてわかったことといえば、今の(おれ)には十全に力を使うことは出来ぬということ。

 全ては(おれ)と同じものと呼ぶことすら汚らわしい狂犬めのせいだ。

 クラスが違うとはいえ、同一存在がそこにあることをなるほど、世界は許さぬらしい。

 矛盾の代償か、それでもクラスが違う故にどちらかがどちらかに吸収され、かき消されるというほどではないが、(おれ)への聖杯からの支援は2割ほどに抑えられており、8割は此度の正式な参加者ということになっているもう一人の(おれ)へと割り当てられている。

 受肉しているこの身ではあるが、聖杯のバックアップなしに力を好きには出来ぬらしい。

 それに舌打ちをする。

(この(おれ)にこれほどの屈辱を味合わせるとは)

 怒りと嫌悪を前に、くつりと笑いながら先ほどの光景を思い出す。

 一瞬であろうが、この(おれ)が見逃すはずも無い。

 あの女、姿こそ変わっていたが間違いが無い。(おれ)同じ(・・)だ。

 他の誰を誤魔化せようと、この(おれ)の目は誤魔化せるものではない。

 十年だ、十年待っていた。

 憎しみは固まりすぎてここまでくると、愛情とも大差はない。

 ゆるりゆるりと、腕を捥ぐ様にして殺す妄想は極上の美酒にすら匹敵するだろう。

 笑って、(おれ)はひとまずは其処を後にした。

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 苦悩している少年、それを見ながら私の心は不思議に静かだった。

 目の前の少年、それは確かにかつて愛し殺した少年と瓜二つなのに、同一存在だというのに、その事実は私の心を揺らすものではない。

 私がかつて愛した少年はもっと危うい均衡の上に立っていた。

 上手くはいえないけれど、だけど目の前の少年は違う。

 寧ろ、私が愛した少年には、この目の前の主の姉と名乗る女性のほうがよっぽど似ていた。

 でもこうして悩む姿を見ていると、確かにこの少年は私の愛した少年と同一人物なのだろうとも思う。

 纏わりつく危うささえ除けば、その瞳も苦悩の表情も彼によく似ていた。

「マスター」

 眠り続ける衛宮切嗣……少年の父親を見ながら、焦燥するように考え込んでいた赤毛の少年が、びくりと驚きに肩を震わせながら私に振り向く。

「悩んでいるのですか」

 私の喉から出た声は、想像以上に淡々としていて事務的だった。

 きっと、今の私の表情もそんな顔をしているのだろう。事務的で硬質で人間味のない顔。

 だけど、マスターは気にしていないとでもいうように、私の態度には触れずに「ああ」とそう小さく返した。

「親父を見ていて欲しいっていう、シロねえの言葉もわからなくはないんだ。だって、確かに今の爺さんには傍に一緒にいる奴が必要で、だけど、なんで急にシロねえは……」

 戸惑うように、苦悩するように琥珀色の瞳がゆらゆらと揺らめく。

 そんな様を見ながら、私はただ静かにマスターの言葉に耳を傾けていた。

「シロねえは馬鹿なんだ。アイツが一番危なっかしいくせに、そんな自覚なんてなくて。周囲がその無茶な行動にどう思うかなんてちっとも考えちゃいないんだ」

 そうして言葉を続けながら、主である少年は苛立ちを誤魔化すように自分の右手を強く握りしめる。

「イリヤは、ランサーがいるからきっと大丈夫だ。だけど、だけど、シロねえはきっと、何かあったら自分の命なんて勘定に入れずに突っ走る。昔からそうだった。昔っからそうなんだよ。シロねえは自分が大事じゃないんだ」

「…………」

 それを、まるで、シロウのことを言っているようだと私は思った。

 かつての私がシロウに放った言葉達を思い出す。

 もっと自分を大事にするべきだとそういって私もシロウに怒った。

 ……馬鹿な感傷だ。

 結局シロウは私が殺したというのに。

 思わず自嘲の笑みが口元にこぼれる。マスターはそんな私に気付かずに言葉を続けていた。

「それでもシロねえは親父を大事にしていたから、こんなことになって、悲しい反面ホッともしたんだ。いくらシロねえでもこんな親父を放ってどこか行ったりしないだろうって。親父を放ってまで無茶はしないだろうって。実際その通りだった。だっていうのに、なんで急に……くそ、どうして俺に任せるなんて言い出すんだよ」

 ダン、動けない自分に苛立つようにマスターは右手で拳を作り床に打ち付けた。

「俺はそんなに頼りないのかよ。そりゃシロねえよりは弱いかもしれないけれど、俺にだって背中くらいなら守れる。重荷をわけろよ。自分で、何もかも自分で解決しようとすんなよ。家族の前でくらい、弱音くらい吐けよ。守らせろよ、クソ」

 それは寂しいのか哀しいのか、それとも自分のふがいなさにやるせないのか。

 きっとどれもが正解なのだろう。

 もしかしたら信頼されていないと、そう感じているのかも知れない。

 だが、それは理屈ではないのだ。

 シロウがそうであったように、きっと彼女も、托さないのではなく、托せない、そういう人種なのだろう。

 そしてそれはわかっていても納得できるものではない。

 どちらが悪いとかではない。ただそれだけ。

「……マスター」

 私の呼びかけに、はっと驚くようにマスターは目を見開き、取り繕うように弱々しくクシャリと彼は笑った。

「……悪い、セイバー。みっともないところ見せちゃったな」

「いいえ」

 淡々と答えるけれど、マスターはそれに益々困り顔になって、小さく視線を落とした。

 その先にあるのはいまだ眠っている切嗣の顔だ。

 やつれ衰え、死相を浮かべているその顔は、既に死人になってしまったかのようだ。

 それでもトクリトクリと弱々しくも響く鼓動が、彼が生きた個体であることを示している。

 先ほどのそれなりに声の大きな会話を前にしても切嗣は目覚めなかった。

 私の知っていた衛宮切嗣という男であればありえないこと。そんなことに痛々しさをも覚える。

 きっと、マスターは今すぐシロを追いかけたいのだろう。

 だけど、少し前までがシロがその役であったように、この切嗣を置いていくのには躊躇いがある。そう、見て取れた。衛宮切嗣という男が枷になっていた。

 けれど、果たしてそれはこの男の望むことだろうか。それは違うと私は思う。

 だから、言った。

「マスター、いいですよ」

「セイバー?」

「行ってください。キリツグは……私が見ています」

 その言葉に、琥珀の瞳を丸くしてマスターが驚く。

「貴方は貴方の思う道を行くべきだ。ここに残るのは私だけで充分だ。……行って下さい」

「セイバー」

 本当にいいのかと瞳で問うている少年、それを前にして、私は薄っすらと微笑みの形を取りながら、強く一つ頷く。

「不肖ながらも、私は貴方のサーヴァントだ。……最も今の私に貴方のサーヴァントを名乗る資格があるのかは詮議が必要かもしれませんが、貴方の帰る場所くらいなら守れます。だから、行って下さい。貴方はこんなところで燻っているような人じゃない」

 そう、例え私が愛した少年とは平行世界の別人だとしても、それでも『衛宮士郎』ならば『誰か』の為に駆けていく、それが正しい姿だろう。そしてその本質は、どんなに変異しようとこの少年も変わらない。

 過去に残され、後悔に塗れるのは私だけで充分なのだから。

「……サンキュ。でもな、セイバーのことはマスターとかサーヴァントとかじゃなくて、既に家族と思っているんだ。だから自分を貶めるような、そんな悲しい言い方はもうしないでくれな」

 寂しげに揺れる瞳が誰かに重なって、数瞬動揺した。

「……行って」

「ああ。ありがとう、セイバー。……行ってくる」

 そういって駆けて行く少年の笑顔は眩いほどで、私は思わず泣きそうにクシャリと顔をゆがめていた。

「……これでよかったのですよね、シロウ」

 問いかける声に答えなんて返らない。

 自分がかつて奪った存在を思うように右手をなぞって、私はただ、眠り続ける切嗣を見続けていた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 円蔵山にある柳洞寺の裏庭で受けた襲撃から逃れる際に、わたしに声をかけ進路を促したのは、ある意味意外ともいえる人物だった。

 エミヤ・S・アーチェ。白髪褐色肌の異端の魔術師。

 こいつとの付き合いももう10年にもなるけれど、いまだに全容は掴みきれず、謎の多い女だ。

 こいつの弟が今回の聖杯戦争に参加している以上、わたしとこいつは準敵同士といえるわけだけど、それなのに何故こんな助けに来たような真似をするのか。

 自分達の立場を理解していないわけじゃないだろうにと思いつつ、簡素な武装を身に纏ったその背中を睨むように見る。

 まるで、アーチャーの外套の下の奴みたいな、ひらひらとした紅い巻きスカートのようなそれを纏っているのもあるだろうけれど、性別も髪型も体型も違うというのに、やっぱりこいつとアーチャーはよく似ている。

 雰囲気というか気配というものがそっくりなのだ。

 それに、やっぱり先祖と子孫なんだろうという確信を益々深めていく。

「……凛」

 自分にかけられた、どこか少年じみたハスキーな女の声に思わず思考を現在に戻す。

「何?」

「その子をどうするつもりだ」

 それが私が抱えた、いまだ裸のままで眠っている三枝さんを示していることに気付いて、一瞬沈黙してから、ついで線引きするように低く言った。

「……あんたには関係ないでしょ」

「凛」

 それが困ったような声音の呼びかけだったものだから、ついわたしも口をつぐんだ。

 襲撃を受けた場所からは大分離れた。

 その判断からか、前を行っていた女が足を止めて、ふわりと布を投げて寄越した。

 それを三枝さんにかけろという意味だと判断して、シーツのようなそれを彼女の身体に手早く巻く。

 どこに隠し持っていたのよ、とかそういう疑問も頭にもたげたけど、わたしだって場は弁えている。わざわざ今このタイミングでそんなことを問うような真似はしない。

 そんなわたしに対し、この褐色肌白髪の女は、厳しい中にも親愛の混ざったような表情で、淡々と言葉を投げて寄越した。

「まさかとは思うが……君は言峰教会に預けようと思っているのではあるまいな?」

「悪い?」

 当てられたことにむっとしてそう口にする。

 そんなわたしに対して向けられた鋼の瞳は苦衷交じりの真剣な視線で、わたしは多少の居心地悪さを覚える。

「やめたほうがいい。言峰綺礼は公平な監督役などではない。アレもまた、聖杯戦争の参加者だ」

「どういうことよ?」

 驚きに目を丸くする私を前に彼女は苦笑しつつ言った。

「説明をするのは吝かではないが、後にしよう。外で会話など、どこに目があるかわからんからな」

 そうして向けられる背を私は追った。

「……」

 そんなわたしとアーチェを、アーチャーだけが厳しい目でただ見ていた。

 

 

  NEXT?

 

 


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