Summon Devil   作:ばーれい

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第106話 那岐宮の痕跡

 じめっとした暑さに包まれる日本の那岐宮市にバージルとネロはいた。彼らの背後にはラウスブルグへの転移の門(ゲート)がある。二人は今しがたこれを通ってここに来たのである。

 

 その目的は少し前にバージルが告げた通り、那岐宮市の再調査を行うためだった。

 

「悪い二人とも。実はこれから結構歩くんだよ」

 

 麦わら帽子を被ったクラレットと共に二人を出迎えたハヤトが言った。転移の門(ゲート)を出現させる場所は人の出入りが少ない場所でなければならない。人口も少なくない那岐宮市でそういった場所は、どうしても市街地から離れた場所になってしまうのだ。

 

 一応、今日調べる予定の場所も転移の門(ゲート)を出現させる場所としては適していたが、不測の事態に陥る可能性も考慮して、選定から外したのだった。

 

 そうした経緯を経て選定されたこの場所は小さな神社のすぐ近くだった。手水舎や賽銭箱もしっかり手入れされた様子もないが、一応誰かかしらが管理しているらしく神社に至るまでの道は草刈りがされていた。

 

「構わん」

 

 さほど気にした様子もなくバージルが答える。他の手段を用いたならもっと多大な時間を要していただろうから、多少時間がかかる程度はなんとも思っていないらしい。

 

「あの、ネロさんって怪我でもしたんですか?」

 

「ん? ああ、これか。さすがにあの腕見せるわけにはいかないだろ」

 

 ネロの右腕に巻かれていた包帯を見て尋ねたクラレットにネロが答えた。

 

 フォルトゥナではともかく、悪魔のことなど全く信じられていない国であんな腕を見せたら気味悪がられるか、変なコスプレと思われるだけだ。だからネロは仕事でフォルトゥナを離れる時も今と同じように右腕を隠しているのだ。

 

 とはいえ、ほとんど場合は長袖のコートに厚手の手袋をして隠しているのだが、今回は夏ということもあって長袖とはいえ、薄手のシャツに通気性のよい包帯で腕全体を巻くことで誤魔化していた。

 

 これなら右腕を怪我した外国人の観光客くらいには思われるだろう。脇に置いた巨大なギターケースさえ目に入らなければ。

 

「……一応聞いておくけど、それに入ってるのってギターだよな?」

 

 ハヤトが半ば諦めつつも、ネロの傍らのギターケースを指さして尋ねる。するとネロは「はあ?」と呆れたように眉をしかめながら言った。

 

「そんなわけあるか、仕事の道具に決まってるだろ。」

 

 前回も今日と同じようにレッドクイーンを持ち込んでいた。それでもしくじってしまったのだから、前よりも準備をしないというのはありえない選択肢だった。

 

「……それを出すのは誰もいないところでやってくれ、せめて」

 

 この国でレッドクイーンのような刃物を無許可で所持することは紛れもない犯罪だということは、リィンバウムでの暮らしが長いハヤトも覚えている。状況が状況だから持ち込むのはこの際黙認するとしても、衆人環視の中でそれを使われるのだけはやめてほしかった。

 

「わかってるよ。それにこいつもあるからな」

 

 そう言ってネロが腰から取り出したのはブルーローズだ。シャツの裾を出しているため一応隠れてはいるが、はっきり言って本当にハヤトの意図が分かっているのかは甚だ疑問である。

 

「いやいや、この国じゃ銃はもっとマズいのくらい知ってるだろ!?」

 

「それは知ってるけど、意外とバレないもんさ。それともそんなに心配ならお前が持ってるか? 俺はいいぜ、あっちに着く前に返してくれれば」

 

 思わず声を上ずらせたハヤトに、ネロはたいして気にするなと肩を竦め、彼にブルーローズを差し出しながら提案した。ハヤトがそこまで心配なのなら目的地に着くまでは預けてやろうと思ったのである。

 

「……やめとく、俺なんかが持ったら絶対怪しまれそうだし」

 

 少しは考えたらしいハヤトがトーンダウンしながら言う。仮に自分が持ったとしたら周囲を気にし過ぎて余計に怪しまれるのが関の山だろう。なにしろ銃などこっちではもちろん、リィンバウムでも持ったことはないのだ。

 

 ネロはブルーローズをくるりと回転させて自分の腰に戻すと、そんなハヤトの肩を叩きながら口角を上げた。

 

「いざとなれば自分で何とかするさ。お前の故郷だからって何でもかんでも背負い込む必要はないぜ」

 

「……ああ、そうだな」

 

 大きく息を吐いたハヤトは目を閉じて頷いた。自分の知り合いが神隠しにあったと知って気負い過ぎていたのかもしれない。ネロにはそんな気はなかっただろうが、彼の言葉はハヤトから余分な力を抜く効果があったようだ。

 

「バージルさんは何も持って来ていないんですね? てっきりいつものカタナは持って来るものと思っていましたが……」

 

 フル装備のネロと比較し、手ぶらのバージルを見たクラレットが言う。元々不必要な物は持たないイメージがあったが、閻魔刀まで持って来ていないのはさすがに予想外だった。

 

 それを聞いたバージルは平然と手元に閻魔刀を出現させながら答えた。

 

「無用な騒ぎを起こすつもりはない。それだけだ」

 

 バージルも人間界の出身だ。父の足跡を追って世界を旅していたこともある。さすがに日本には来たことはなかったが、この国が武器の類の所持を禁止していることくらいは知っていた。

 

 そして今回の目的がただの調査である以上、現地で騒ぎを起こしてしまえば調査がやりにくくなるのは火を見るより明らかだ。バージルが武器を持っていないように見せるのもそうしたことからだった。

 

「魔具か……、便利なもんだ」

 

 だがネロが反応したのは簡単に消したり出したりできる魔具のことだった。どこの国で仕事をするにしてもレッドクイーンやブルーローズを持ち込むのは簡単なことではない。多くの場合は自分に仕事を回した情報屋にでも任せるのだが、それでもタダでとはいかないのが実情だった。それがデビルハンターへの報酬が法外なほど高額な理由の一つでもあるのだが。

 

 そうした問題もバージルのような魔具があれば簡単に解決する。わざわざ高い金を払わなくとも簡単に仕事道具を持ち込めるのだ。それだけでも十分魔具を使う価値はあると言っていいだろう。

 

「さて、それじゃ行こうぜ。これからどんどん暑くなるから、日が高くならないうちに向こうに着きたいんだ」

 

 ハヤトがそう言って歩き出す。まだ時刻は八時半を過ぎたばかりだが、それでも日光は強烈だ。おまけに天気予報では今日は一日晴れが続くとされており、猛暑日になると予想されていた。気温が高くなる前に目的地に行こうと思うのは当然のことだろう。

 

 そうして神社から出てアスファルトで舗装された道路に出た。この辺りは山々に囲まれた場所のようで、数百メートル先にはまた山が見える。それでも道路に沿って青々とした水田が並んでいた。ただ中には跡取りがいないためか、耕作されておらず雑草が生い茂っている田もある。

 

 この国では特に珍しくもない地方の田舎の風景だった。

 

「そう言えば先生は来なかったんですね」

 

 バージルにクラレットが言った。二人はあくまで一時的に来ただけであり、帰還の時期の調整のために一定の周期で転移の門(ゲート)を通りラウスブルグに赴いているのだが、バージルから今回のネロの調査に同行するということを聞いたのは、前回にラウスブルグに行った時のことだった。

 

 別段バージルが来ることには何も思っていなかったが、逆にアティも来ないことをクラレットは不思議に思ったようだった。

 

「そう何人でするものでもない」

 

 今回の調査は人手がいるようなものではなく、専門的な知識を持った者が必要な調査なのだ。アティの持っている知識で今回使えそうなものは召喚術に関するものなのだが、クラレットがいるためどうしても必要な人材ではなかったのである。

 

 そんな話をしながら歩いていると、徐々に汗が出てきた。朝から二十五度を超える気温に加え、この日差しだ。無理もないだろう。

 

「俺も何か被って来ればよかった」

 

 空を見上げながらネロが愚痴る。いつの間にかクラレットだけでなく、ハヤトもつば付きの帽子を被っている。気温は如何ともし難いが、この強力な日差しを遮ることができるだけでも羨ましかった。

 

「帽子と言ってもこんなのじゃ、気休めにしかならないよ」

 

「それよりもバージルさんはコートなんか着て暑くないんですか?」

 

 ネロの言葉に苦笑いしながら答えたハヤトに続き、クラレットが尋ねた。バージルの恰好は夏に見合った服を着ている他の三人とは異なり、いつもと同じく青いコートを着ていた。コート自体は厚手の生地を使っているわけではないが、それでも真夏に着る物ではない。

 

「問題ない」

 

「好き好んでそんな恰好してるんだ、ほっとけよ」

 

 いまだ汗一つかいていないバージルにネロは呆れたように言うと、次いでハヤトに声を掛ける。

 

「で、場所は知ってると思うが、どこから行くんだ?」

 

 今回はネロの仕事の再調査であるが、前回は全く調べられなかったわけではない。むしろ一箇所を除き、那岐宮市の調査は終わっていたのだが、その一箇所を調べようとした時、ネロはリィンバウムに召喚されたのである。したがって、調査を行うのはその最後の場所なのである。

 

「ここからじゃ直接は行けないから一度市街地の方を通ってから行くつもり。たぶん一時間もかからないと思うけど」

 

 今回の調査が始まるまでハヤトはネロと直接会っていないが、必要な情報はバージルを通して聞いていたのだ。そのため、既に目的地へのルートも決まってあった。ただ正確に言えば、もっと短時間で目的地に着く道はあったのだが、それは地元の集落の者しか知らないような道だったため、いくら那岐宮市出身のハヤトでも知らなかったのだ。

 

 もっとも、そのことは誰も知らなかったため、四人は晴天の中、目的地へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 それから一時間弱。目的地着いた一行の前にあったのは一軒の大きな家だった。この国らしい建築様式で建てられた二階建ての母屋に、作業場と倉庫を兼ねたような建物が併設されている。そのことからこの家に住んでいたのは農家だったのかもしれない。ただ建物が植物に覆われていることやその傷み具合からおそらく二、三十年は放置されていることが伺える。

 

 引っ越したのか、死んでしまったのかは分からないが、ここに来るまでの道が雑草に覆われていたのを見れば、いずれにせよ前にネロが来るまでは何年も人が来たことはなかったに違いない。

 

「こんなところに本当に家があるなんて……」

 

 自分の生まれ故郷にこんなところがあったとは信じられない思いでハヤトは家を見上げた。

 

「前回はこの辺りまでは来たんだな?」

 

 バージルがネロに尋ねる。前回の調査のことは情報の共有のためあらかじめ話してあったのだが、現地で確認の意味もあるのだろう。

 

「ああ。それでこの近くを調べてたら向こうに召喚されたってわけさ」

 

「近く……と言ってもどこもすごいことになってますね」

 

 クラレットは周囲を見回しながら言う。ここに来るまでもそうだが、家の裏はすぐ山になっていて杉の木が無造作に生えている。家の周囲にはさすがに木は生えていないが代わりにだいぶ成長したらしい雑草で生い茂っていた。

 

「俺が来た時はここまでじゃなかったんだがな」

 

「季節柄こうなるのは仕方ないんだけど、こりゃ調べるのは大変だ……」

 

 ネロが来たのは今から何ヶ月か前のことであり季節としては春のことである。まだ今ほど雑草も成長していない時期ではないため、周囲を調べるのはそれほど難しいことではなかったのだ。

 

 だが今は夏であり、一年の内最も雑草が成長する季節なのだ。ハヤトも子供の頃、休みの日に市街地の外まで遊びに行くと、肩掛け式の草刈り機を使って草刈りに精を出している者を見かけたことを覚えている。

 

「…………」

 

 バージルはハヤトの言葉に無言で肯定すると、そのまま右手にベリアルを出現させた。この場で炎の剣を呼び出してすることなど一つしかない。

 

「ちょっ……!」

 

 ハヤトの制止の言葉が発せられる前に、バージルはベリアルを振るい周囲の雑草を焼き尽くした。

 

 ただの炎でさえ簡単に燃えるのだから、炎獄の炎に包まれた雑草は煙も出さずにあっという間に燃え尽きてしまった。もちろんベリアルから放つ炎は完全にコントロールされているため延焼も一切なかった。

 

「ご苦労なことで」

 

「あのままでは無駄に時間ばかりかかるからな」

 

 いくらコントロールできているとはいえ、相当の無茶をしたバージルにはネロは皮肉交じりの言葉を浴びせるが、当の本人はベリアルを戻しながらさも当然のように言った。理由としてはもっともに聞こえるが、その割に過激な手段を用いるあたり彼らしいと言えなくもない。

 

「そうですね、探しやすくなったのは事実ですし。早く調べましょう」

 

 これ以上バージルに何を言っても無駄だと悟ったクラレットは、とりあえず周囲の調査をしようと提案する。

 

「……近くに悪魔の力は感じないな」

 

 一通り周囲を見たバージルが口を開いた。封印されている可能性もゼロではないため、悪魔の力を感じないからと言って悪魔がいない証明にはならないが、少なくともいきなり悪魔が潜んでいるということはなさそうだった。

 

「それじゃ、今度は向こうに召喚されることはないってことか」

 

「さあな。そもそも俺は何故お前を召喚したのかは知らん」

 

「へえ……、ならまた同じ目に遭う可能性もあるってことか」

 

 ネロは不敵な笑顔を浮かべた。言葉ではそう言うものの、二度と同じ手は食わないと言わんばかりの自信だった。

 

「それはない。あいつらも俺がいることは知っている。無駄なことはしないだろう」

 

「無駄なこと、ね……」

 

 ネロは言葉を繰り返した。バージルの言い方から、まるでネロをリィンバウムに召喚した存在に疑念を抱いているように聞こえたのだ。父親の性格から考えれば全幅の信頼など置くはずもないため、別段驚くほどのことではないが。

 

「とりあえず俺はクラレットと家の周りと向こうの方を調べるけど、二人はどうするんだ?」

 

 悪魔に襲われる可能性は少ないとはいえ、安全を考えて二人で探すことにしたハヤトはバージルとネロに尋ねた。

 

「じゃあ俺は反対側でも調べてみるか」

 

 普段の仕事から全て自分一人でこなしているネロは、当たり前のように単独で行動するつもりでハヤト達とは逆方向を示す。そしてそれはバージルも同じであった。

 

「……山の方を見る」

 

 消去法で決まったことには思うところがあったようだが、バージルは残された家の裏側にある山を調べることにしたようだ。いずれにせよすスパーダの一族は協調性に欠ける独断専行型であることは間違いないようである。

 

 

 

 三方に分れて周囲を調べることになり、バージルとネロはさっさと自分の担当の方へ歩いて行ってしまい、家の前にはハヤトとクラレットだけが残されていた。

 

「ハヤト、とりあえず家の周りから調べましょう?」

 

 彼女の提案でまずは家の周囲から調べることにした二人は敷地の中に入って行く。

 

 敷地内の通路や車を止めていただろう所はアスファルトで舗装されているため、外より雑草は生えていなかったが、それでも継ぎ目やアスファルトが剥がれたところからは植物が生えていた。人が住んでいた頃は美しい庭園だっただろうところは無造作に雑草が生い茂る場所となっている。

 

 どちらもさきほど放たれた炎に巻き込まれていたらあっけなく燃え尽きていただろうが、生憎バージルは家の方には炎を伸ばさなかったため、青々と茂っていた。

 

「家の方はともかく、作業場は結構傷んでるな……」

 

 尖ったところもあるため、素手で触るには危険だと思ったのか、ハヤトは持参した革の手袋をつけると、まず作業場の方から調べ始めた。

 

 だがやはり放置されて久しいのか、壁には何箇所も亀裂が入っており、屋根も一部は壊れたままになっている。中も農機具の類などはほとんどない。南京錠で鍵をかけることができる扉も開け放たれたままだで、あるのは無造作に置かれた錆びついた鎌や鋸、ロープなど道具の類と、使い古しの袋などごみとしか思えない物だけだった。

 

「人がいなくなるとこんなになってしまうんですね……」

 

「まあ、こんなところだしなあ……」

 

 何十年も使われていない作業場を見た物悲しそうに呟いたクラレットにハヤトが言葉を返した。こういった人里離れたところだと店や病院も遠くにあって生活するには不便であり、引っ越してしまうのも無理はないとハヤトは思っているようだ。

 

「それにここは特に関係なさそうだな。家の方も中はすっかり片付けられているし」

 

 縁側から窓を通して家の中を見たハヤトが言った。テレビやテーブルなどもなく家の中のものは全て持ち出されている様子だった。恐らくこの家から引っ越す時に全て持って行ったか、捨てられたのだろう。

 

 いずれにせよ、この家の住人がいきなり消えたということは考えにくい。それに何十年も前のことだから、今回の那岐宮市で起きた神隠しの一件に絡めて考えるのは無理があった。

 

「確かにそうですね。私も特に何も感じませんし……」

 

「それじゃ、次は外の方か……」

 

 意見が一致したため、二人は家の敷地から出てネロが向かった方とは反対の方に歩いた。

 

「このあたり周りとちょっと違いますね……畑でしょうか?」

 

「本当だ。ちょっと柔らかい……」

 

 家から二十メートルほど歩いたところでクラレットが地面を見ながら呟いた。このあたりまでがちょうどバージルが焼き払った範囲のようで、地面は焼かれた草に覆われていて真っ黒になっていたが、確かにそれまでの地面に比べて踏んだ感触が柔らかくなっている。

 

 ここが畑だとしたら家の近くであり、少し先までは平らになっているため広さも必要十分。自分で食べる分の野菜を作るには適した土地だろう。

 

「……でも、家の方と同じように何十年も使ってないはずなのに、耕されたみたいにこんなに柔いんだ? おまけにちょっとでこぼこしてるし……」

 

 素朴な疑問がハヤトの口から出る。数年ならまだしも、何十年も耕されておらず、草も生えっぱなしの畑であれば他と同じようにもっと固くなってしかるべきだ。それについ先ほどまで草で生い茂っていた所の土がほじくり返されたようにでこぼこしているのも不思議だった。

 

 その時、焼かれなかった藪の中から何かが動く音がした。

 

「ん? なんだ……?」

 

 ハヤトは訝し気な視線を藪の中に向けるが、音を立てた存在の姿は確認できなかった。

 

「…………」

 

 ハヤトはクラレットを庇いながら数歩下がった。相手が悪魔でないことは分かっていても、正体の分からぬ相手はやはり不気味なのだ。

 

 そのままゆっくりと交代を続け、二人は家の前まで戻った。藪からは視線を外してはいなかったが、いまだ音の主の姿は見えなかった。

 

「なんなんでしょう? 今の……」

 

「わからない、たぶん動物かなんかだと思うけど……」

 

 山の中であれば野生動物はいくらでもいる。ほとんどの動物は基本的に憶病であるため、大きな危険はないが、それでもクマのような大型生物と唐突に出会ってしまったら注意が必要だ。一応、武器さえあれば、クマであろうと後れを取ることはないだろうが、今はその武器を持っておらずハヤトは緊張した様子でじっと注視していた。

 

 そうしていると、藪の中から出てきたのはイノシシの群れだった。

 

「小さいのが七匹にでかいのが一匹……、っていうかあんなにでかくなるのかよ」

 

 現れたのは体にまだ縞模様が残る小さなイノシシに、体長一メートル半、体重も百キロを超えていそうな大きなイノシシだった。合計八匹のイノシシの群れはハヤト達に見られているのに気付いていないのか、地中に潜むミミズを探しているのか地面を掘り始めていた。

 

「あれはあいつらの仕業かよ……」

 

 ハヤトは先ほどの畑が耕されたように柔らかく、かつでこぼこしていた理由を悟った。イノシシに荒らされたせいでああなっていたのだ。

 

 何かの手がかりになるかも、という淡い希望が消え去ったため少し落胆していると後ろから声を掛けられた。

 

「おう。そっちは終わったのか?」

 

「ネロさん……」

 

「あ……」

 

 ネロの言葉にクラレットが振り向いた時、イノシシは人がいたのに気付いたのか一目散に藪の中へ逃げていった。

 

「ん? 何かあったのか」

 

「ああ、いや、イノシシがいてさ。まあ、たった今逃げていったんだけど……」

 

「へえ、ともかくお互い成果はなしってことか」

 

 ネロは興味なさげにイノシシのことを聞き流した。

 

「ええ、怪しいものは何もありませんでした」

 

「こっちもだ。どこまでいっても草と木しか生えてなかったよ」

 

 クラレットの言葉にネロが同意する。これが何か成果でもあれば別だったのだろうが、徒労に終わったせいか少し疲れているようにも見えた。

 

「とりあえずバージルの後でも追うか。それで何もなければ切り上げるしかないな」

 

 この時点でネロは那岐宮市で起こった神隠しには悪魔が関連していないと半ば確信を持っていた。これでバージルも何も成果がなければ悪魔とは関係なしと報告する腹積もりだったのである。

 

「わかった。とりあえず後を追おう。この燃えた後を行けばいいっぽいし」

 

 家の背後にある山には、道らしい道は一切ない。そのためバージルは先ほどと同じように草を焼き尽くして足跡の道を作っていたのだ。

 

 そして三人はその道を歩いてバージルを追って行った。

 

 

 

 

 

 その少し前、ネロ達他の三人と別れたバージルは自らの担当となった山の中の道なき道を進んでいた。もちろん邪魔な草は片っ端から焼き尽くしながらである。

 

 一応、周囲の魔力に注意を払いながら歩を進めるが、もちろん悪魔の力など全く感じなかった。

 

(何かがいることはわかるが……)

 

 バージルの魔力を感知する能力も万能ではない。悪魔のような特徴的な魔力であればすぐに分かるが、それ以外の人間や他の動物については、位置こそ正確に感知できても、それが人間なのか、あるいはただの野生動物なのかの違いは分からないのだ。

 

 一応、魔力の動きである程度候補を絞ることはできるが、それも限度がある。

 

 現にバージルは周囲にいくつかの魔力を感じているが、全くといっていいほど動きを見せないため、それが何なのか見当がつかないでいる。おそらくイノシシやクマが休息を取っているものと考えられるが、そんな魔力がいくつもある上、今回の調査に関係するとは思えないため、わざわざ確認しようとは思わなかった。

 

「これは……」

 

 そうしてただ歩いていると正面は崖の場所に出た。バージルの脚力であれば難なく飛ぶ上がることは容易いだろうが、彼が声を上げたのは別な理由だった。

 

(なぜこんなところから魔力を感じる?)

 

 崖の一箇所から魔力を感じるのである。その量はバージルもこれだけ近づかなければ気付かない程微量ではあり、こうして見ている間も魔力ずっと放たれていた。

 

「…………」

 

 無言で閻魔刀を出現させて抜き放つ。魔力を放っているあたりを周囲の土砂ごと削り取ると、そこからさきほどとは比べ物にならないほどの魔力を感じ取れた。

 

「なるほどな……」

 

 バージルはそれをつぶさに観察して呟いた。彼の目の前の魔力はただ放出されているわけではなかった。人間が地下に眠る石油を採掘するように、大地から魔力を吸い出しているのだ。

 

 その行き先は魔力をみるだけではわからないが、悪魔以外の存在でこうしたことができるのは界の意志(エルゴ)くらいだろう。魔界との間に結界を張っている彼らなら、それを維持するために大量の魔力を欲するのも当然だ。

 

(だが、何のために……?)

 

 胸中でバージルは断じた。

 

 ネロを召喚した存在が界の意志(エルゴ)であることは、彼が召喚された時の状況から考えても、想像することはそれほど難しくはなかった。

 

 だが問題は召喚した経緯なのだ。バージルは当初、ネロの手に負えないような状況に巻き込まれそうになったのかと思ったが、彼が召喚の直前にいたという那岐宮市を実際に見てその線はないと判断した。もしも、そうした状況になったのであれば街にも相当な爪痕が残っていてしかるべきだからだ。

 

 そしてこの人間界から魔力を吸い出しているのを見たバージルは、ネロが召喚された本当の理由に気付いた。界の意志(エルゴ)()() ()を見られたくなかったから、近くまで来たネロをリィンバウムに召喚したのだ。

 

 問題は界の意志(エルゴ)がそうまでしてこれに気付かせたくなかった理由である。そもそも人間界は魔力に頼らない文明を築いた世界だ。そんな世界から使わない魔力を吸い出したとして大きな問題にはならないだろう。ましてそれが私利私欲のためではなく、世界を悪魔の脅威から守るためであれば、ネロも理解を示すだろう。

 

(奴らはまだ俺に話していないことがあり、それを知られたくはない。……そしてそれに繋がる手掛かりがこれということか)

 

 界の意志(エルゴ)についてバージルが知っていることは彼ら自身から語られたことがほぼ全てを占める。当然いまだ話していないことも多くあるだろう。だがこの魔力の先にあるのは、その中でも隠さなければならない部類に属するものなのだ。

 

(……確認しておくべきだろうな)

 

 バージルは少し考えて決断した。彼個人としてはたとえ界の意志(エルゴ)であろうと他人の隠し事など興味はないが、存在が存在であるだけに隠し事の内容によっては計画に支障が出ないとも限らない。それにネロも召喚された理由を知る権利くらいはあるだろう。

 

「いずれ話は聞かせてもらおう。覚悟しておくことだ」

 

 そう思ったバージルは魔力の向こうにいるだろう存在にその言葉を投げかけた。それは向こう側にいる存在を焦らせるには十分だった。

 

 そしてバージルは遠くから聞こえてくるネロ達の足音を耳に入れながら踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は5月4日か5日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。

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