那岐宮市で行われる夏祭りの目玉となるのは河川敷で行われる花火大会だ。一晩で一万五千を超える花火を打ち上げる全国でも有数の規模を誇る大会である。もちろん昼間から河川敷には多くの出店が立ち並び、近くの公園では特設ステージが設けられ、有名人を招いたトークショーや特撮ヒーローなどのキャラクターショーを行っている。那岐宮市においては、一年で最も観光客が訪れるイベントと言っても過言ではなかった。
とはいえ、その前日である今日は、それほど人は多い様子ではない。明日は多くの人が訪れる河川敷の出店も準備中であり、街のいたるところで明日の夏祭りに開催に伴う交通規制を伝える看板や、駐車場の案内版などが設置されている以外は、以前来た時とそれほど変わりないように見えた。
「さて、荷物も置いたことですし、ま、まずは一休みですよね」
旅館の一室で腰を落ち着けたアティが少し上擦った声でバージルとポムニットに尋ねた。
彼女達三人がいるのは、今回の那岐宮市に滞在する間の拠点とした旅館だった。宿泊施設としては高級の部類に入り、質は当然だが料金も相応に高い。本来であればそこまで高級なところを選ぶ必要はなかったのだが、バージルに言われてハヤトが予約を取ったのが一ヶ月どころか二週間くらい前の話であるため、最寄り駅近くのビジネスホテルなどのリーズナブルなところは軒並み満室だったのだ。だが、この旅館は市街地からは若干離れたところにあるせいか、まだ満室ではなかったため、ハヤトはこれ幸いとすぐさま予約したという話だった。
「あ、私お茶淹れます」
テーブルの上に置かれた茶櫃を開けながらポムニットが言う。お茶の淹れ方は島にいた時に知っていたため、彼女はテキパキと準備をしている。
「あの……ネロ君達はいつ頃来るんでしょうか?」
アティが隣に座るバージルに話しかけた。本来ならここにはネロ達も一緒に来るはずだったのだが、ミルリーフたっての希望で少し街を見てから合流することになったのである。
「そう気を揉んでも仕方あるまい。少しは落ち着いたらどうだ」
「だ、だってしょうがないじゃないですか!? いきなり『お義母様』なんて呼ばれたんですよ!?」
何がしょうがないのかわからんとばかりにバージルは溜息をついた。アティがこうなったのは、ネロが一緒に連れてきたキリエの一言が原因であった。
彼女としてはネロがお世話になった理由を言いたかっただけだったのだが、事前にネロを通して話をした折に「それなら一緒に行ったらどうか」と他ならぬアティの提案により今回同行することとなった。そして今日、ラウスブルグに集まって挨拶した時にキリエの口から爆弾が投下されたというわけである。
おかげでアティは頭が真っ白になり、キリエとはまともに会話にならなかったのだ。その時はバージルがいつものように「気にするな」とか「自分が好きでやったことだ」と伝えて話を終わらせ那岐宮市に向かうことになったのだが、正気を取り戻したアティはまた頭を抱えていたのだ。
「うぅ……、どんなふうに話したらいいんだろう……」
なにしろネロ達もこの旅館に泊まるのだ。同じ部屋でこそないが、これから数日は顔を合わせる機会も多くなるだろう。その時にどのように彼女に接したらいいのかいまだ決めかねているようだった。
「別にどうもこうもないだろう」
キリエとしてはアティをネロの父親であるバージルの妻と認識していたため、そう呼んだに過ぎないのだろうから、そこまで難しく考えず、いつもの調子で話せばいいだろうとバージルは思っていた。
そうしてやれやれとばかりに首を振ると、ポムニットが困った様子で呟いているのが見えた。
「えっと、お湯は……」
「そこの白いポットだ。頭を押せば出る」
どうやら彼女はお湯をどうやって準備すればいいのか悩んでいる様子だったので、バージルが茶櫃の横に置かれた白い電気ポッドを示しながら声を掛けた。
それを聞いたポムニットは恐る恐るポットの頭を押して、急須にお湯を入れると感心した様子で口を開いた。
「お湯を沸かさなくてもいいなんて、ラトリクスの機械みたいで便利ですね!」
電気ポッドのように火を使わずにお湯を沸かすもの自体はポムニットもラトリクスで見たことがあったが、実際に使ったのは今日が初めてだったのだ。
「電気がなければ動かんがな」
当然だが電気ポットは電気がなければお湯を沸かすことはできない。電気が一般に普及していないリィンバウムではただの容器にしかならないのである。
「それじゃあ向こうじゃ使えないってことですか……」
ポムニットが肩を落としながら言う。日常的にお茶を出したりすることが多い彼女にとっては、電気ポッドは非常に魅力的だったらしい。これで向こうでも使えるのであれば是が非でも買って帰ったことだろう。
そうしてポムニットが落胆しながら淹れたお茶を飲んでいると、不意にドアをノックする音が聞こえた。
「あ、はーい」
ポムニットがドアを開けると、そこにいたのはハヤトだった。彼は玄関に立つとバージルに向かって言った。
「ネロ達も無事に着いたし、俺は帰るから後は頼む。あ、ちなみにあいつらの部屋は隣だから」
「ああ、わかった」
彼は今回この旅館には泊まらないのだ。金を出すバージルとしては別に泊まったところで文句など言うつもりはなかったし、アティやポムニットも彼とクラレットに泊まったらどうか勧めていたのだが、それでも二人は申し出を固辞し、ハヤトの実家に泊まることを選んだのだった。もちろん断った理由の中には、これ以上一緒にいると心労が増えそうという、というものがあったは言うまでもない。
「それじゃ、また明日、現地でな」
言ってハヤトは踵を返す。泊まる場所は違うとはいえ、せっかくの機会だからと明日の花火大会は一緒に集まって行くことにしたのである。
そしてハヤトが去った後、ポムニットは口を開いた。
「あの、どうします? 顔くらい出しに行きますか?」
ネロ達も戻って来たことだし、彼らのところに行った方がいいのではないかと思ったらしいが、バージルはそれを断った。
「いや、こいつの状態では今行っても無駄だろう。それに夕食のときに嫌でも顔を合わせるんだ。その時でいい」
いまだに悩んでいるアティに視線を送りながら言った。今行っても前と同じ展開になるのは目に見えているから、もう少し時間を置いた方がいいという判断だった。
「それならお風呂でも入りませんか? とっても大きいですし景色もいいですよ」
この部屋は値段相応にグレードが高かったらしく、部屋には展望のいい風呂がついていた。あと三ヶ月ほど宿泊が後ろにずれこんでいれば、風呂に入りながら見事な紅葉を見ることができただろう。もっとも今は青々と茂った山々と眼下に清流という夏らしい風景になっているが。
もちろん日本の一般的な旅館であるため大浴場はあるが、ポムニットの角を衆目に曝すわけにはいかない以上、最初から大浴場に行くという選択肢はなかった。そういう意味では部屋に展望風呂がついていたのは僥倖だったといえるだろう。
「……そうだな。ついでにこいつもな」
このまま悩ませるより風呂でも入った方が頭もすっきりするだろうと考え、アティも一緒に入れることにしたのだった。
同じ頃、バージル達の隣の部屋では市街地から戻ってきたネロが座って一息をついていた。
(ったく、なんであんなに元気なんだよ)
ミルリーフも含め女四人に男はネロ一人だったため、彼は並々ならぬ苦労を強いられたらしい。女三人寄れば姦しいとはよくいったものだ。
「いやー、それにしてもいっぱい買ったね、エニシア!」
「はい! みんなへのお土産たくさん買えました!」
嬉しそうに話をするフェアとエニシアは共に大きな三つの袋から今日の戦利品を出していた。どれも違う店の袋で、彼女達はそれぞれの店でまとめて購入したため、各々の分を仕分けているようだ。
「まったく、なんで初日にこんなに買うんだよ。最終日いいじゃねえか……」
今日は簡単に市街地を見て回ったあと、この旅館に来る途中にあった大型のショッピングモールに立ち寄ったのだが、そこでフェア達の興味を引く商品が多かったために思った以上に買い物をしてしまったのだ。
大小含めて二百近い店舗が入っているショッピングモールだけに、品揃えもフォルトゥナよりもずっと豊富なのは分かるが、初日からこれだけの買い物をするとは、正直ネロは先が思いやられていた。
「いいじゃないネロ。あの子たちにとってそれだけ楽しめたってことなんだから」
「そりゃあいつらからしたら何もかもが珍しく感じるのは分かるけどよ……」
キリエが言い聞かせるように宥めると、ネロはトーンを落として言う。一つの物を見てもデザインや大きさ付与された性能などで差別化され、多くの商品が存在するこちらの世界はフェアやエニシアにとって大いに好奇心や購買意欲が刺激されるのは理解できる。だがそれでも多少の自制心とついでに荷物持ちへの配慮を持ってほしいと思わずにはいられなかった。
「ねえパパ、ミルリーフお風呂行きたい! こんなに大きいんだよ!」
ミルリーフは旅館内の各種施設が書かれているガイドのあるページを開いてネロに見せてきた。どうやら先ほどまで静かだったのは熱心にこの館内ガイドを読んでいたからのようだ。
「風呂か。いいじゃねえか、入って来いよ」
「えー、パパは一緒に入らないの?」
「この腕だ、入れるわけないだろ」
文句を言うミルリーフにネロは自身の右腕を見せながら答えた。今は先日この街を訪れた時と同じように包帯を巻いているが、その下にあるのは人とはかけ離れた異形のそれだ。そんなものを堂々と晒して風呂に入るわけにはいかない。
それは人の姿の時でも尻尾を生やしているミルリーフにも言えることだったが、ネロの右腕に比べてタオルで隠すこともできるだろうし、フェア達の協力もあれば風呂に入ることは難しくないだろうという腹積もりだった。
もっとも仮にネロの腕が人間と変わらぬものであろうと、大浴場は男女に別れているため、ネロと一緒に入るというミルリーフの願いは最初から実現不可能なのだが。
「やっぱり色々と大変なんですね」
エニシアが少し悲しそうな顔をした。彼女も「普通」とは異なる出自のせいで不利益を被った身だ。ネロのことも我が事のように思ったのかもしれない。
「もう慣れたさ。それに部屋の風呂も結構いいみたいだからそっちに入るだけだって」
この右腕との付き合いも既に五年以上だし、仕事ではあるが何ヶ国もの異国を訪れたこともある。当然フォルトゥナ以外では右腕は隠さなければならかったため、今の状況も苦痛には感じていなかった。むしろ、いい風呂が付いた部屋を予約してくれたハヤトに感謝したい気分だった。
「むー……」
ミルリーフは頭の中では仕方のないことだと理解しつつも、一緒に風呂に入れないことは不満のようだ。
「そんな顔してないでさっさと入って来いよ」
ネロが苦笑しながらぶー垂れるミルリーフを見ていると、横からフェアが声をかけた。
「ほらわがまま言わないで行くよ、ミルリーフ。あ、エニシアはどうする?」
「あ、はい、私も行きます」
今日購入した物の仕分けはまだ終わってはいないようだったが、汗を流したいという思いもあったのかフェアもエニシアも既に気持ちは既に風呂に向いているようだ。
「全員行くみたいだしキリエも行って来たらどうだ? まだ夕食まで時間もある」
「……ええ、そうね。そうするわ」
先ほどまでミルリーフが手にしていた館内ガイドに目を通していたキリエがネロの提案を受けて微笑みながら頷くと、簡単に準備を済ませフェア達三人と共に部屋を出て行った。
「……さて、俺もシャワーでも浴びるか」
一人部屋に残ったネロは、キリエがテーブルに置いたままの館内ガイドを興味なさげに一通り見るとそれをテーブルの上に放り投げ、とりあえず汗でも流そうとシャワーを浴びることにした。
それからしばらくして、ネロ達は夕食の会場にいた。この旅館の夕食はビュッフェか部屋食のいずれかを選ぶのが通常であるが、予約を取ったハヤトはビュッフェではネロが窮屈な想いをするかもしれず、かと言って二部屋に別れてしまっている以上部屋食では寂しいと考え、小さな宴会場での食事としていたのである。
もっとも小さいとは言っても部屋の大きさは二十畳ほどあり、中心には長めの座卓が据えられ、それぞれの側に四席ずつ背もたれが付いた座椅子が置かれていた。
「しかし遅いな、あいつら」
「もう少しで来るわよ。まだ時間もあるし、もうちょっと待ちましょう」
先に宴会場に来ていたネロが言うと正面に座ったキリエが言った。しかしネロの隣には誰も座っていなかった。ネロ達は五人であるため、当然誰か一人がバージル達と座ることになる。だがさすがに他の四人にその役目を負わせるのは気が引けたのか、ネロが率先してこの席に座ったのである。
「ったく、飯も来てるってのに……」
ネロがテーブルに肘をついて文句を言った。既に彼らの前には一部とはいえ料理が並べられている。少し前まで結構歩いていたせいでだいぶ腹が減ってる身には厳しい仕打ちなのだ。
そうこうしているうちに出入口の襖が開いてようやくバージル達三人が現れた。
「お待たせしました」
「いえいえ、時間ちょうどですから」
ポムニットが言った言葉にキリエが返す。壁に立てかけられている時計を見ると、確かに夕食が始まる丁度の時間であり、続いて旅館の従業員が一礼をして宴会場に入ると刺身などの配膳や各々の卓上コンロに火をつけて回り始めた。
「なんだよ、あんたもそれ着てきたのか」
右に座ったバージルに視線を向ける。彼もまたネロのように浴衣と羽織を着ていたのだ。これがまた無駄に似合っているところはさすがと言うべきか。
ちなみにネロとバージルだけではなく、女性陣も浴衣を着ている。むしろネロは最初のうちは着ようとは思わなかったのだが、せっかく用意してもらったのだからという理由で浴衣を着ていたキリエやフェア達から強く勧められた、それを断り切れなかったため着る羽目になったのである。とはいえもちろん右腕は、包帯を巻いて隠しているのだが。
「ああ、こいつらがうるさくてな」
バージルは自分の右に座るアティとその隣のポムニットの方を見た。どうやら彼もわざわざ浴衣を着ることになった理由はネロと同じであるようだった。
「ネロ君はお酒飲めますよね、何か飲みたいのありますか?」
そこに従業員にアルコールのことを尋ねられたらしいポムニットがネロに声を掛けた。自分やバージル、アティなら何を注文すればいいか分かるが、他に酒を飲みそうなネロの好みは知らなかったのだ。
「あ、ああ、それじゃワインでも……」
「ワインですね。あとフェアちゃん達はジュースでいいですか?」
頷くと次いでフェアに尋ねる。ミルリーフはまず間違いなくジュースで問題ないだろうが、他の三人には聞いた方がいいだろうと思ったのだが、それに答えたのはネロだった。
「こいつらにはまだ早いし、それでいい」
「むぅ……」
キリエには自分が頼んだワインでいいだろうし、ミルリーフを含め他の三人にアルコールはさすがに早いだろうと思ってネロは言ったのだが、フェアはさすがに従業員がいるこの状況で文句は言わなかったが、露骨に不機嫌な顔をした。そしてポムニットはそれを伝え、従業員が退出するとフェアはすぐに口を開いた。
「私だって大人なんだし、お酒くらいいいでしょ」
「そりゃお前の国じゃそうかもしれないが、この国じゃ酒を飲めるのは二十歳からだ。諦めろ」
今日この国に来たばかりのフェアは分からなくて当然かもしれないが、那岐宮市があるこの国で飲酒が認められているのは二十歳以上なのだ。ネロは以前に那岐宮市に来た時に酒類の販売コーナーでそうした表示板を見ていたため、その点はよくわかっているらしい。
「あ、帝国じゃ十五歳で成人だったね」
アティがフェアの出身地を思い出しながら言った。もっとも帝国のみならずリィンバウムの主要な国は明文化しているかどうかの違いはあれ、大体十五歳前後で大人として扱っているのが一般的なのだ。酒についても基本的に同様ではあるが、日本のように購入の際に年齢確認までするようなことはないのである。
「ああ、なるほど。前にも『立派な大人だ』とか言ってたな、確か」
アティの言葉に、フェアの言うこともただの強弁ではなかったのか、とネロは納得したものの、しかしだからといって二十歳未満が飲酒禁止のこの国で大っぴらに飲んでいいわけがない。
「まあまあ、ジュースもおいしいですよ」
「そうだよママ、一緒に飲もう?」
口を尖らせてネロを睨んでいるフェアをエニシアとミルリーフが宥める。二人としては別にお酒に興味がなかったため、ジュースで何ら問題なかったらしい。
「せっかくだから飲んでみたかったのに……」
二人からも言われたフェアはまだ未練を残しつつも、とりあえずは諦めたようだった。ただ、残念そうにしていたため、ネロも少しは助け舟を出すことにした。
「そんなに飲みたいなら買って帰って向こうで飲めばいいだろ。さすがにあの城ならこの国のことを気にする必要もないしな、そうだろ?」
そう言って隣のラウスブルグの主に確認すると「ああ、そうだな」と答えた。フェアくらいの年齢のものが酒を飲むことはリィンバウムでは珍しいことでもないので、アティも文句はないようだった。
それに対しフェアが「そうする」と頷くと、再び出入り口から料理と酒が運ばれてきた。
旬菜を使ったおひたしや和え物、旬の魚五種類が盛られた刺身、海老と野菜の天ぷらなど全体として季節を感じる料理だった。もちろんこの後には地元のブランド牛を使った陶板焼きやそばも出るという話だった。
次いでネロと隣のバージルのテーブルに赤ワインの瓶とグラスが置かれた。
「なんだ、あんたもワインかよ」
「ああ」
バージルは酒の好き嫌いは特にないが、父がよく飲んでいた影響によるものか、迷った時はとりあえずワインにする傾向にあった。ポムニットもそのあたりを心得ていたからワインを頼んだのである。
「せっかくだ、注いでやるよ」
バージルは一応自分の父でもあり、偶然にも同じ物を注文したこともあってネロはバージルのグラスにワインを注ぐことにした。
「……悪くない」
バージルは注がれたワインを一口飲んで言う。このワインは品質的にはいい方だが、それでもどこでも買える程度のものだ。それでも味はリィンバウムの高額な酒に引けをとっていない。これは栽培技術や醸造技術、品質管理の考え方などによる差なのだろう。技術の進歩は酒の味にも影響するのである。
次いでネロがワインを飲むころには女性陣もそれぞれ食べ始めていた。宴会なら一言くらい挨拶してもよかったのかもしれないが、この場でそれを行う立場であるバージルはそんな事をするつもりはないだろうから、逆にそれでよかったのかもしれなかった。
それからしばらくして、料理に舌鼓を打ち、酒も進むと次第にあまり面識がなかった者同士でも打ち解けて話ができるようになっていった。
「それでね、バージルさんは――」
ポムニットはフェア、エニシアの二人に自身の身の上話をしていた。内容上、あるいはポムニットの趣味によるものかは不明だが、その内容は九割方バージルが関わっているものばかりだった。ついでに言えば三割増しくらいでバージルが美化されているような気がするが、当のバージルは勝手に言っていろと言わんばかりに無視を決め込んでいた。
そして二人はあの不愛想で強面のバージルにこんな一面があるのかと、目を輝かせながら聞き入っていた。
一方でネロはお腹がいっぱいになってしまったからか、寝息を立てているミルリーフを横に置いてバージルと共にいまだ酒を飲んでいた。二人の前にはワインのみならず様々な種類の酒が並んでいる。
「これはダメだ。口に合わん」
「そうか? まあ、それなら俺が貰うか」
この旅館での地酒や最初に飲んだワイン以外にも多くの種類を取り扱っているらしく、どうせなら全種類飲んでやろうという意気込みで二人はいろいろと注文しているのだった。どれも一合ずつだったとはいえ、既にもう十種類を超えている。
そうして飲んでいると案外バージルは選り好みするタイプであることが判明した。逆にネロは特に好き嫌いなく飲んでいるようである。
「さて、次は……、キリエ、何か飲みたいのあるか?」
ネロは旅館で取り扱っている酒のリストを見ながらキリエに声をかけた。彼女は最初に少し飲んだ程度だったのでもっと飲むのではないかと思ったのだ。
「ええ、それでそれからはネロの事務所を手伝っているんです」
「大変だったんですね。その後、ネロ君もあっちに召喚されちゃって大変だったでしょう?」
「たしかに心配はしましたけど、ネロなら必ず帰って来るって信じてましたから」
だが、キリエはアティと話し込んでいてネロの言葉は聞こえていない様子だった。
「とんだ取り越し苦労だったようだな」
バージルがアティを見て口角を上げた。彼女も数時間前まではキリエとどう接すればいいかあれほど悩んでいたのに、随分あっさりと打ち解けていた。もっとも、お互いの性格を考えればこうなることは火を見るよりも明らかなので、ただ単にアティが難しく考えていたに過ぎなかったのだろう。
「は? 何のことだ?」
「あいつがお前の女との接し方に悩んでいたという話だ」
「ああ、なるほど……。ったく、キリエも余計な事なんか言わなきゃいいのに」
バージルの答えを聞いてネロが納得すると同時に少し呆れた。なるほど義理の息子の恋人にいきなり「お義母様」なんて言われれば混乱しても当然だろう。しかもそれを言ったキリエ本人も「気を悪くしてしまったかしら」とアティを気にしている始末だ。ネロが呆れるのも仕方のないことだった。
ちなみにネロがそれ以上に気になったのは、キリエがバージルのことを「お義父様」と呼んだことの方だった。まるで結婚の挨拶かなにかをしているような気がしてどうも居心地が悪かったのだ。
「まあ、あの様子なら心配はいらないだろう」
「だろうな。……で、とりあえず何種類か頼むからな」
一度打ち解けてさえしまえばもう問題はないという認識で二人は一致した。そしてネロはキリエがあの様子であるため、酒は適当に注文することにしたようだ。
「構わん。……ただそれで終わりかもしれん、よく選ぶことだ」
周りを見れば分かるように料理は全て食べ終え、もはや夕食というより歓談の場と化している。そろそろお開きにしてもいい頃合いだった。
もっともバージルがそう言ったのは、確かに時間的なこともあったかもしれないが、それ以上に限界が近づいていたからかもしれない。どうやらネロは戦闘力では勝てなくとも酒の強さではバージルに勝っているようだった。
ただしネロはそんなことなど全く気付かず、真剣な顔で酒を選んでいるのだった。
那岐宮への旅行ですが、とりあえずこの話を含めて3話程度でまとめる予定です。書こうと思えばもっと長くもできなくはないですが、あまり本筋から離れた話を書くのもあれなので。
次回は6月1日か2日に投稿を予定しています。
ご意見ご感想等お待ちしております。
ありがとうございました。