早めの昼食を取ったバージル達三人は再びタクシーで移動しショッピングモールに向かった。アティとポムニットの希望通り、ここで服飾品を見て回るのである。
一応、このショッピングモールには昨日に引き続きネロ達も来ているはずだが、この広さや人の多さでは偶然出会うことには期待できないだろう。
(なぜ俺がこんなところに……)
そんなショッピングモールの中、バージルは胸中で大きなため息を漏らしながら呟いた。顔こそいつも通り無表情ではあるが、その裏では憮然たる面持ちが隠れていたのである。
なにしろ彼は今、ランジェリーショップにいたのだから。
このショッピングモールに来たバージル達三人は、最初の方こそ普通のアパレルショップで服を見ていた。そしてその中のいくつかは購入もしたアティとポムニットだったが、次に彼女達が行ってみたいと指し示した店がこのランジェリーショップだったのである。
日本人から見てバージルは外国人に見える上に、女性向けの商品しかない店に入ったのだから、他の客や店員あたりからは当然奇異の目で見られたのだった。さすがにこれでは居心地が悪く感じるのも仕方のないことだろう。
(悪魔なら即座に斬り捨ててやるものを……)
バージルがそんな物騒なことを考えているとアティとポムニットが何やらいくつかの下着を手にしてやってきた。
「バージルさんはどっちがいいと思います?」
そう言ったアティが見せたのは白と黒の上下セットだ。両方ともレースがあしらわれているところを見ると、彼女は色で悩んでいるらしい。
「……白だな」
若干の思考の後、バージルは短く色を答えた。単純な色の良し悪しでいえば黒の好むのだが、アティが身に着けるものとして見るなら白の方が好ましいと思えたのだ。
「じゃあこっちにしますね。……ほらポムニットちゃんも聞いてみよう?」
バージルの答えに満足気に頷いたアティは、後ろにいて恥ずかしそうにしているポムニットの背を押すと、彼女は意を決して両手に持った下着をバージルに突き出して尋ねた。
「あ、あの、私にはどっちが似合うと思いますか?」
彼女が選んだのは一つがピンクのレースのもので、もう一つが彼女の髪と同じ紫のものであった。ただどちらもアティのものより露出が多めで攻めていると表現して言いものだった。
「……こっちだな」
「む、紫の方ですね。わ、わかりました、こっちにします」
バージルが指し示した方を確認したポムニットが改めてその下着を見て答えた。我ながら随分大胆なものを選んだと思いながらも、選ばれてしまった以上、今更やめたとは言えなかった。
「後はサイズですね。ここも試着できるみたいですから着てみましょうか」
アティもポムニットも自分のサイズなど計ったことはないが、ものを見て自分に合うかある程度目星はつけることはできる。そのため二、三種類のサイズを試着してみればどのサイズを買えばいいか分かるだろう。この店に限ったことではないが、試着できるのは彼女達にとってもとてもありがたいことだった。
「あ、先生からどうぞ」
二つほどサイズ違いのものを見繕って来たポムニットが試着室の前でアティに促した。店内の試着室は分散されて配置されているが、他の所は使われていたためここに来たのだが、あいにく一つしかなかったためポムニットは後に回ることにしたのだ。
「うん、それじゃあ先に使わせてもらうね」
アティとしても誘ったのは自分だからポムニットから先に使ってもらってよかったのだが、ここでそれを言ってもお互い譲らないことは目に見えていたため、大人しく彼女の好意を受けることにした。
そうしてアティが試着室に入るのを若干羨望が入った眼差しで見ながらポムニットは溜息を吐いた。
(まさか、ここまで差があったなんて……)
アティと一緒に下着を選んだおかげで、サイズの差の明暗がついたのだ。これまでも見た目でアティの方が大きいことは分かっていたが、やはり文字としてはっきり差をつけられると悔しくもあった。とはいえ、ポムニットが小さいわけではない。サイズでいえば平均的と言える。ただアティが大きいだけなのだ。というより、昔よりも大きくなったのではないかとさえ思える。
「どうした?」
「い、いえ、何でもありません」
溜息を吐いたのが気になったらしいバージルが声をかけてくるが、まさか「胸の大きさを気にしているんです!」とは言えないため、顔を背けて首を振った。だがその瞬間、気になる疑問が湧いたので思い切って聞いてみることにした。
「あの、もしかして揉んだりすると大きくなったりします?」
どこかで揉めば大きくなるという話を聞いたことがあるが、実際にそれで大きくなった人とは会ったことはない。しかしもし、アティがそうだとすると自分にもチャンスがあるとポムニットは思ったようだ。
「……知らん。そうなっていても俺にその意図はない」
バージルの目から見るとアティは少しばかり大きくなったように見えなくもなかった。だが、結果としてそうなる一助を果たしていたかもしれないが、断じてバージルは大きくしようと思ったわけではなかった。
「ええ、わかりました」
素直に返事をしつつもポムニットは心中でガッツポーズをとった。バージルが意図的にやったかどうかはともかく、言外にアティが大きくなったことは認めたのだ。
「あのー、バージルさん。ちょっといいですか?」
ポムニットが満足したところで、アティが試着室のカーテンの間から顔だけを出してバージルを呼んだ。
「何だ?」
「一応着てみたんですけど、似合ってるか見てもらえませんか?」
「は?」
いきなり何を言い出すのかとバージルが呆れたように声を上げるのと、同時にポムニットが口を開いた。
「先生、それはまずいんじゃ……」
「いいじゃないですか? バージルさんはいずれ見るでしょうし」
「あの、そういうこと言うのはちょっと……」
恥ずかしげもなくそう言うアティにポムニットが周りの視線を気にしながら言った。
「え? ……っ!?」
教え子にそう言われて自分の言ったことを顧みたアティが、その意味を一瞬で理解して顔を紅潮させた。あれではまるで
「…………」
焦るアティを尻目にバージルはあくまで沈黙を貫いた。沈黙は金、雄弁は銀という言葉があるようにここは何も言わないことが最善の選択だと思っているようだ。
ちなみに彼にとってはどんな下着を着けようと重要なのは中身のほうだった。中身は金、下着は銀なのである。
幸いにして試着室の周囲に人はいなかったため、特段の注目を集めることはなかったが、それでもアティの顔はしばらく赤いままだったのは言うまでもない。
「疲れたー」
フェアが背もたれに寄りかかりながら声を上げた。
彼女達が今いるのはフードコートである。午前中から買い物してきてある程度区切りがついたので、ここで切り上げるのか考えることを含めて、一度休憩することにしたのだ。
時刻は午後三時を回ったあたりだが、テーブルは結構埋まっていたため彼女達が座ったのは飲食店から離れた窓際の席だった。
「よくもまあ、これだけ買ったもんだ。呆れるよ」
ネロをフェア達が買った荷物を見ながら苦笑した。端の席なのをいいことにテーブルの脇に彼女達が買った物が置かれていたのだ。その量はネロが両手で持っても足りない程だ。おかげでネロは包帯の代わりに長袖のシャツを着てまで荷物を運ぶ羽目になったのだ。ショッピングモールの中は冷房が効いているため、長袖を着てもたいして暑くなかったことが幸いだった。
「これが最後だと思うとあれもこれもって思っちゃって。それにみんなにもお土産を買って帰りたかったし」
彼女が今回人間界にまで来ることができたのは、ラウスブルグの舵取り役という他の者には担えないことをできたからだ。だが、次の機会に彼女が呼ばれるとは限らない。今回の旅路でノウハウを得たことでエニシアとバージルだけで十分と判断される可能性は十分あるのだ。
だからフェアは普段の彼女らしくなく色々と買ってしまったのだろう。
「気持ちは分かるけどよ、次になんか買うならお前が持てよ。俺はもう持てないからな」
ネロはフェアに理解を示しつつも現状を説明した。袋がぱんぱんの状態であるため、これ以上は袋の中に荷物を入れることはできないし、現時点で両手に袋を持っているため、さらにもう一つ持つと言うのも難しかった。
「私はもう買うものはないから大丈夫だよ」
「後はあいつら次第か……」
フェアの言葉を聞いて、キリエ達三人のことを思い浮かべた。彼女達は今コート内にある店に飲み物を買いに行っているのだ。逆にテーブルに残っているネロ達二人は荷物番なのだ。
「ミルリーフは興味があるだけだし、エニシアも結構買ってたし、たぶん大丈夫じゃない?」
「ならいいけどよ」
ネロはそう言って言葉を切ったが、買い物を切り上げたとて、それを旅館まで持っていく必要があるのだ。少なくとももうひと頑張りは必要だろう。
「今日って一旦旅館に集まってから出かけるんだよね?」
「ああ。ハヤトの奴が迎えに来るんだとよ。とはいえ、帰ってすぐまだ出かけるより、少し休んだ方がいいと思うけどな」
花火大会自体は午後七時半開始だが、例年かなり混むらしく、また夕食はそこの屋台で取るつもりでいたため、午後五時には旅館に集合し出かける予定だったのである。そのためまだ時間はあるものの、ネロとしては少し休んでから出かけたいと言うのが本音らしい。
「お待たせ。ネロはアイスコーヒーでよかったわよね?」
そうこうしているとキリエとエニシアが両手に飲み物を持って戻ってきた。横にいるミルリーフは既に飲み始めているようだ。
「ああ、なんでもいいよ」
キリエから渡されたアイスコーヒーを受け取って一口飲む。砂糖もミルクも入っていないブラックのようだ。もっともネロは言葉通り飲み物の好き嫌いはないため、コーヒーでも紅茶でもジュースでも文句はなかった。とはいえ、さすがにホットドリンクを買って来ていたら皮肉の一つでも言っていたかもしれないが。
「はいフェアさん、ミルリーフちゃんと同じアイスココアにしました」
ネロとフェアの飲み物については事前に何も聞いていなかったため、エニシアとキリエが選んだのだ。ネロの分は付き合いが長いキリエがいるから問題はないにしても、フェアの好みは分からなかったため、とりあえずミルリーフと同じ物にしたのだった。
「ありがと。ちなみにエニシアはなに飲んでるの?」
「わ、私もアイスコーヒーにしました。砂糖とミルクを入れて」
「へー、そういうの好きだったんだ」
フェアが感心したように頷いた。エニシアが炭酸系が好きではないことは知っていたが、コーヒーが好みだとは知らなかったのである。
「えっと、お、お兄ちゃんが飲んでいたので……」
今朝はその苦さからギブアップしたエニシアだったが、もう一度リベンジという意味も込めてアイスコーヒーを選んだらしい。もっとも、砂糖もミルクも二つずつ使いだいぶ苦さを緩和させているのが真実だったが。
「ふーん、お兄ちゃんねぇ……」
エニシアがネロのことをそう呼ぶようになったのは今朝からだ。昨日まではただ単に「ネロさん」と呼んでいたのだから、今朝二人で飲み物を買いに行った時に何かあったことは想像に難くない。
キリエは恋人のネロに懐いているエニシアを微笑ましく思っているようだが、どうにもフェアは面白くない様子である。それが、兄を取られた妹のような嫉妬なのか、あるいは別の何かか。それはフェア本人も自覚できていなかった。
「……で、これからまだ買いたい物はあるのか? ないなら一度戻ろうかとフェアと話していたんだが」
アイスコーヒーを半分ほど飲み干したネロが飲み物を買いに行っていた三人に尋ねる。
「ミルリーフも一度帰りたいなー」
「私も欲しいものはもうありませんし、戻っても大丈夫です」
ミルリーフとエニシア、二人の言葉を聞いたキリエもそれに賛成するように口を開いた。
「みんなもこう言ってるし、一度戻りましょう」
「よし。ならそうするか」
先ほどフェアと話していた通りの展開になって満足げに頷いた。荷物持ちとしての役目は体力的にはそれほどではなくとも、やはり疲労は溜まっていたらしい。
「でも、これぐらいゆっくり飲ませてよ」
「分かってるよ。俺だってまだ結構残ってるしな」
半分ほどのアイスコーヒーが入ったグラスを振りながら答える。キリエ達は荷物運びで疲れているだろうネロを慮ってLサイズのものを買ってきたらしく、半分でもまだ意外と残っていた。
「しかし、お前ら良かったのか? せっかく来たのに買い物ばっかりで」
二口ほど飲んだアイスコーヒーのグラスを置いてネロが尋ねた。キリエはともかく、次はそう簡単に来ることはできないことはフェアやエニシアにも分かっているだろうに、二日も買い物に費やしてよかったのか思ったのだ。
「確かにそうですけど、それでもお土産をいっぱい買っていきたいんです。みんなはお城で待っているだけですから」
エニシアは先のフォルトゥナと今回の那岐宮市で二回外出することができたが、レンドラーやゲック達は一度も外出できていない。ラウスブルグは少し前までメイトルパ出身の召喚獣が住んでいた場所もあり、相当な広さを持つため窮屈さは感じないだろうが、それでもやはり自分ばかり外出できていることにエニシアはどこか負い目を感じていたのだ。
そしてそれはフェアも同じだった。
「それに観光はネロの国で十分したからね。だから今度は御使いのみんなに何か買って行ってあげようかなって」
彼女としてはネロの故郷を見れただけでも十分満足だった。だから今回は自分のためではなく、仲間のためにお土産を買うことに主眼を置いたのである。
「みんなにはミルリーフも買ったよ!」
アイスココアのひげを鼻の下に作ったミルリーフが声を上げる。確かに色々と買っており、それをみんなに配るつもりなのだろうが、どうにも食べ物、それも甘いお菓子が中心であるため、彼女の趣味が反映されていることは否めないだろう。もっともそれでもリビエルあたりは嬉々として受け取るだろうが。
「お前らが納得してるならそれでいいけどよ」
おかげで荷物が大変になったことは否定できないが、人間界で生まれ育ったネロはどちらかと言えばホスト側なのだ。いつまでも気にしているわけにもいかない。そう納得してネロは残りのアイスコーヒーを一息に飲み干した。
それから数時間が経ち、旅館でハヤトとクラレットと合流したバージルとネロ達は花火大会が開催される河川敷まで来ていた。まだ始まるまで九十分以上はあるものの、既に場所取りをしている者や立ち並んでいる出店で飲み食いして者も大勢いた。
「おいおい随分混んでるな。これで花火なんて見れるのかよ……」
「さすがにこのあたりで見るならもっと前から場所を取らなきゃいけないけど、いい場所知ってるからさ。ここから少し距離はあるけど」
あまりの人の多さに既にぐったりしているネロにハヤトが答えた。ハヤトもリィンバウムに召喚される前は友人達と花火大会は見に来ていたため、穴場となるような場所は知っていたのだ。もっとも、そこはさすがに今多くの者が場所取りしているような特等席ではない上に、出店も出ていない所なのだが、それゆえそこで花火を見る者は少ないという穴場なのだ。
「ああ、それならいいな」
あからさまにほっとした様子でネロは頷いていると、その近くで周りを見ていたフェアが声をかけてきた。
「意外とこういうの着てる男の人って少ないんだね」
フェア自分が着ている浴衣を見ながら言った。周囲を見れば、浴衣を着ている女性はちらほらと視界に入るくらいの人数はいるものの、男性の場合は意識して探さないと見つからないくらいには少なかった。実際、フェア達の方も女性陣はみんな浴衣を着ているのに対して、男性陣はバージルを除いたネロとハヤトは普段着を着ているため、男女の浴衣を着ているものの差はあながちおかしくはないのかもしれない。
「だろうな。俺も着ようとは思わなかったし。旅館でも女物の方が多かったから、そんなもんだろ」
フェア達女性陣が着ている浴衣は宿泊している旅館がレンタルしているものだ。それには色々なデザインの浴衣があったが、それでもやはり女性用のものが多いことからレンタルするのは女性の方が多いということだろう。ちなみにクラレットだけは旅館でレンタルしたものではなく、ハヤトの実家から借りたものだった。
「私も初めは男の人は着ないものなのかと思っていました」
「確かになあ。うちの親もクラレットには着せたけど、俺にはなんにも言わなかったし」
クラレットの言葉でハヤトが少し前のことを思い出して言った。彼の母親は嬉々としてクラレットに浴衣を着せていたが、自分には何にも言わなかったし、自身もそのことになんの疑問も抱かなかったのだ。確か小学校の低学年くらいまでは浴衣を着てこの花火大会に来ていた記憶があるのだが、いつからか私服で来ることが当たり前になっていたのだ。
そんな話をしているとミルリーフがネロの袖を引っ張った。
「ねー、ママ、ミルリーフあれ食べたい!」
ミルリーフが指し示したのは少し離れたところで親と手を繋いだ少女が食べているわたあめだった。
「いいけど……この中からあれが売ってる店を探すのかぁ……」
「確か少し前にあったと思いますけど……」
何十軒もある屋台の中からお目当てのものを探すのは苦労しそうだと呟いたフェアにクラレットが声をかけた。
「ありがとう、行ってみるよ。……あ、そうだ、エニシアも行ってみる? ああいうの好きでしょ?」
クラレットに礼を言ったフェアは後ろでキリエと話をしていたエニシアに声をかけた。彼女がああいう好奇心を刺激されるものに弱いということは、この数日の付き合いでよく分かっていた。
「あ、えっと……」
「気になるんでしょ? 行って来たらどう?」
「は、はい、それじゃあ行ってきます!」
わたあめは気になるが、かといって勝手に話を打ち切るのも悪い気がしたエニシアは言葉を濁したが、その心の内を察したキリエに背を押され、フェアと一緒に行くことにしたようだ。この様子を見ると、彼女にとってネロが兄ならキリエは姉といえるかもしれない。
「さて、こっちもなんか食べるか?」
三人で連れ立って歩いていく様子を見ながらネロがキリエに尋ねた。今は夕食も兼ねて屋台を見て回っているのだ。今のところネロ達とハヤト達は色々眺めてはいるものの、まだ何も食べてはいなかった。
しかし逆にバージル達三人は屋台を見始めて早々にどこかの屋台に向かったのだ。集合時間と場所は決めてあるため、実質的に今の時間は自由行動と言って差し支えないだろう。
「そうね。気になるのはいくつかあったからそこに行きましょう」
「ああ。……そういうわけで俺達もここで。また後でな」
キリエの提案に頷いたネロはハヤト達に一言伝えると、二人で先ほど来た道を戻って行った。
「クラレット、俺達はどうする? とりあえず一通り見てから決めるか?」
「ええ、そうしましょう。まだ時間はありますから」
残されたハヤトがそう提案するとクラレットは頷いた。そうして二人は手を繋いで歩いて行く。バージルやネロ達知り合いがいる前では恥ずかしさから遠慮していたが、本来の二人はこうして当たり前の関係なのである。
一方、最初のあたりで他の者と別れたバージル達三人は既に何件もの出店で買い物をしていた。だが、バージル自身は何も選んで買っていなかった。
「はい、バージルさんもどうぞ」
「あ、こっちもおいしいですよ」
なにしろアティとポムニットが買ったそばから分けてくるのだから、自分の分など買う必要がなかったのである。どうも二人はいろいろなものを食べてみたいらしく、お互いにも自分の選んだものを分けていたのだった。
「これで結構食べましたよね。今度は甘い物にします?」
「そうだな、あのあたりがいいだろう」
アティに尋ねられたバージルが一も二もなく肯定する。今しがた二人に食べさせられたものはたこ焼きとお好み焼きだ。味こそ多少違うとはいえどちらも小麦粉を主とした食べ物である上、かけられている調味料も同じくソースとマヨネーズであるため、正直こうしたものには飽きていたのだ。
「あのお店ですね。じゃあ私はあっちに行きますから、先生はもう一つの方お願いします」
「うん、わかった」
バージルが選んだのは隣り合って並んでいたクレープとベビーカステラの屋台だった。生クリームやフルーツを使うクレープはともかく、ベビーカステラの主たる材料はたこ焼きやお好み焼きと同じく小麦粉なのだが、甘い物であるなら話は別らしい。
二人がそれぞれの屋台に買いに行っている間、バージルは食べる際に出たごみをすぐ近くのごみ捨て場に捨てに行った。
そうして戻ってみると、ちょうどアティがベビーカステラを買ってきたところだった。そして彼女は袋に入ったベビーカステラを一つ手に取るとバージルの口元に持っていきながら楽しそうに言う。
「はい、あーん」
「…………」
バージルはたじろぎもせず無言でベビーカステラを頬張る。アティにこのようにされたのは初めてではなかった。最初の方で食べたフランクフルトやフライドポテトも、アティはこうして口元まで持って来て食べさせたのである。さすがに今のようにベタな言葉は言わなかったが。
周囲に随分と甘い空気を放っていると、そこへポムニットがクレープを持ってきた。しかし、視線はバージルとアティの方ではなく、屋台の並びの奥の方に向かっていた。
「あれ? もしかしてあれってフェアちゃんかな?」
その言葉で二人がポムニットの視線の先に目を向けると、どうやらダーツの屋台で遊んでいるようだ。しかし狙いが外れたのか上を仰ぎ見て悔しがっていた。
「そうみたいですね。悔しがっているみたいですし、行ってみましょうか」
アティの言葉に従って、三人がその屋台の近くまで行ってみると、フェアが一人ではなくミルリーフとエニシアも一緒にいるようだ。これ幸いとポムニットはエニシアに話しかけた。
「フェアちゃん、随分熱中してるみたいだね」
「あ、はい。ミルリーフちゃんが欲しいものがあったみたいで……」
「ああ、なるほど。それを取るために……」
エニシアの話を聞いてアティが納得したように頷いた。そうこうしているうちにフェアは「もう一回!」と言ってお金と引き換えにダーツを受け取っており、ミルリーフはそんな彼女を「がんばって!」と応援していた。
「どれを狙っているのかは知らんが、あれでは狙ったところに投げられるとは思えんな」
バージルはヒートアップしつつあるフェアを見て呆れたように言った。ダーツ自体は一般的な丸い的に当てるものではなく、手製のボードに商品の等級を表す数字を的にして狙うもののようだ。投げる場所とボードの距離は二メートルもなく、五等や四等といった等級の低いものならさほど労せずに当てられるだろうが、反面は一等や二等は非常に小さく当てるのは困難と言えた。
「バージルさん、手伝ってあげたらどうですか?」
「そうですよ、可愛い孫のためにぜひ取ってあげてください」
「……仕方ないか」
アティとポムニットにそう言われたバージルは大きく溜息をつくと、既に残りのダーツは一本となっていたフェアに声をかけた。
「代われ、俺がやる」
「あ、あと一本残ってるから!」
「無駄だ、今のお前ではいつまでやっても当てられん。そもそも誰の金を無駄遣いしていると思っている」
正論を言われたフェアは渋々、残った一本をバージルに渡した。
「で、どれに当てればいい? 欲しいものがあるんだろう」
「二番のやつ。でも結構小さいからそう簡単には……」
バージルはフェアから狙いの番号だけ聞くと、言葉を最後まで聞かずにダーツを放った。まるで虫を払うようなやる気のなく、手首の力だけで放たれたダーツは寸分たがわず「2」が書かれた的に命中した。
「おじいちゃんすごーい!」
(忘れてた。この人、ネロの父親だった……)
ミルリーフが感嘆の声を上げる一方で、フェアは呆然と口を大きく開けつつ胸中で呟いた。ネロの父親であれば今の芸当くらい朝飯前であることは容易に想像できるのだが、逆を言えばそれすらも失念するほど、今までのフェアは冷静ではなかったとも言える。
一方、目的を果たしたバージルはミルリーフが二等のぬいぐるみを貰ったのを確認すると、その場を後にしてアティとポムニットとともに次の店に向かって行った。
それから少しして先にアティ達が買ってきたベビーカステラやクレープを食べ終えた三人は、少し早かったが、先に待ち合わせの場所で待つことにした。そこからは河川敷に並んだたくさんの屋台が一望できる場所でもあった。
「だいぶ暗くなったね」
「はい。でも、お客さんはずっと多くなってます。あっちのほうなんかすごいですよ」
まだ薄明かりは残っているものの、ここに到着したときに比べると周囲はだいぶ暗くなっており、その分提灯の明かりが目立つようになってきていた。そして暗さが濃くなることに比例するように、出店が集まっている場所から少し歩いたところにある河川敷の方では、少しでもいい場所で花火を見ようともうおかなりの数の人が集まっており、イベントスタッフや警備員が客の誘導に追われていた。
「あれ、三人とも早いなあ。俺達も早めに来たつもりだったのに」
そこへクラレットを連れたハヤトが階段を昇りながらやってきた。二人は案内役という務めもあるためか少し早めに来たつもりだったので、バージル達がいたことに少し驚いたようだ。
「一通りは見た。それに人も増えてきたからな」
「確かに俺が来てた頃より、一割二割は増えてるなあ」
バージルが言葉を受けてハヤトが言う。数年前、まだハヤトが高校生だった頃も大勢の人が見に来ていたが、今はそれに加え外国人の観光客が増えているように見えた。
「このお祭りって結構有名なんですか?」
「どうだろう? この近くじゃ有名だと思うけど、もっと大きいところはあるからなあ」
クラレットの疑問にハヤトは首を傾げながらも答えた。この那岐宮市の祭りはこの地域の中では最大規模になるが、国全体を対象にすると同程度やそれ以上の規模の祭りを開催しているところは少なくなかった。
「すごいですね、これ以上のお祭りがあるんですか」
「そもそもこちらと向こうでは人口も文化も違う。単純に比較しても意味はない」
感嘆したように言ったポムニットにバージルが答える。各種交通手段が発達しており、リィンバウムに比べ自由な往来な可能な人間界では、こうして祭りを見に来やすいのだ。また、那岐宮市がある日本だけでもそれほど大きくない国土面積に一億を超える人口を有しているのだ。人の集まりやすさという面では相当に優れていると言えるだろう。
「お祭り自体はどっちのも楽しいものだよ」
人間界とリィンバウム、どちらの祭りも見たことがあるハヤトが言う。その時、ネロがフェア達と一緒にこちらに来るのに気付いた。どうやら彼らは途中で合流して来たらしい。
「おじいちゃん、さっきはありがとう! 大切にするね!」
ミルリーフは来て早々、バージルにぺこりと頭を下げた。手にはこの国の子供向けアニメの主人公のものらしいぬいぐるみが抱えられていた。それが彼女が欲しかったもののようだ。
「ああ。……しかし、ネロ。その手の袋はなんだ?」
ミルリーフの言葉に頷いたバージルは次にネロの左手に下げられた大きなビニール袋について尋ねた。ビニール越しにうっすら見えるパッケージからしてお菓子らしかった。
「ああ、これか。射的で取ったんだよ」
「ネロったら調子に乗って食べきれないくらい取るんだから」
ネロはちょっとした好奇心で射的をやってみたのだが、これが面白いように景品を当ててしまい、これだけの量になってしまったのだ。本人はさほど気にしていないようだが、キリエは「Too easy!」と調子に乗って食べきれない量のお菓子をとったネロに呆れ気味だった。
「いいじゃねえか、全部食べ物なんだからみんなで食えば」
射的の景品は箱に入ったお菓子も少なくなかったが、おもちゃの類も多かった。たださすがにそういったものは処分に困るだろうと思ったネロは、お菓子などの食べられるもの狙ったのだった。
「まあまあ、その辺にして、全員揃ったんだから少し早いけど出発しようぜ」
そこにハヤトが割って入り、ネロを宥るとみんなを先導するように歩き出した。
「ところでどのあたりで見るんですか?」
「端を渡った反対側の河川敷のあのあたりだよ。少し歩かなきゃいけないのが難点だけどさ」
クラレットの質問に目的地を指で示しながら答える。
ハヤトがリィンバウムに召喚される前に来た時は自転車を使っていたため、移動時間はそれほどかからなかったのだが、徒歩となるとどうしても時間を要してしまう。おまけに橋まで行くのも数分かかるため、花火を見る場所としての人気はそれほどでもないのだ。
そうして二十分ほど歩いてようやく対岸の河川敷に着いた。こちらは先ほどまでいた方とは違い、観光客ではなく地元の人間が多いように見えた。
「ここなら人も来ないし座っても大丈夫だよ」
ハヤトの言葉に従い、一行はそうした人の集まるとこの端の方まで歩いて、河川敷に降りるための階段に腰を下ろすことにした。ここに来てからずっと立ちっぱなしだったため、ここで座ってみることができたのは僥倖だった。
「借り物じゃなければ草のところに座ってもよかったんですけどね……」
アティが旅館で借りた浴衣を見ながら言う。階段以外にも植栽された法面に座ることもできたのだが、借り物の浴衣を着ている以上、あまり汚すわけにもいかなかったのだ。
「まだもう少し時間があるな。せっかくだし、何か食っとくか」
少しでもお菓子の量を減らそうと思ったのか、中段のあたりに座っていネロはビニール袋に入ったお菓子を適当に配り始めた。
「こういうの食べると飲み物ほしくなりそう……」
渡されたスナック菓子を見たフェアが呟くと、ハヤトが十数メートル先にある自動販売機を指差しながら言った。
「飲み物だったら、すぐそこに自販機あるからそこを使えばいいんじゃないか」
「あ、あんなところにもあるんだ。……それなら食べちゃおうかな」
人通りが少なそうなところにあった自販機に少し驚きながらフェアは頷き、飲み物の心配がなくなったためか、早速ネロからもらった細い棒状の焼き菓子を開けた。
「ねーママ、そっちも食べせて。代わりにミルリーフのもあげるから」
「ん? いいよ」
そこに隣に座っていたミルリーフがパッケージにコアラが印刷されたお菓子を持ってくると、フェアは迷いなく自分持っているお菓子を差し出し、代わりにミルリーフのお菓子から一つ貰った。
花火が始まるまでの束の間、同じような光景は他の者の間でもあった。もう最初の日のような遠慮やぎこちなさはなくなっていた。
「さて、そろそろ始まるよ」
それから少しして、時計を見たハヤトが後ろを振り返って口を開くと、話やお菓子の交換をやめて夜空を仰ぎ見た。
それとほぼ同時に周囲に口笛のような音が響いたと思うと、破裂音とともに空に一際大きな花火が咲いた。
「わぁ……」
誰ともなく声をあげる。生まれた世界は違えど、やはり花火を見た時に思い描くのは同じなのだ。
ついで色の違う花火がいくつも同時に空を彩り、長く残る花火が夜空に太陽を描き、さらには空全てを埋め尽くすような量の花火が大地を照らした。
花火はわずかの間に燃え尽き、輝くのは一瞬に過ぎないが、それが組み合わさることでこれほど美しいものなるのだ。人が集まるのも納得といったところだろう。
それからも芸術ともいえる趣向を凝らした花火は続き、誰もが空に目が釘付けだった。
そんな中、階段の一番上に座っていたアティは隣のバージルにこっそり耳打ちした。
「みんな夢中になってみているみたいですよ、よかったですね」
今回のことはバージルの提案から始まったものだ。それがこうしてみんなが満足できる結果に終わったことが、アティにとっては自分のことのように嬉しかったのだ。
「ああ、そうだな」
そしてバージルもまた、この結果に満足しており、彼女の言葉に大きく頷いた。
ネロの弟か妹は思ったより早く誕生するかもしれませんね。
次回は6月29日か30日に投稿を予定しています。
ご意見ご感想等お待ちしております。
ありがとうございました。