Summon Devil   作:ばーれい

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第120話 長い日の終わり

 忘れじの面影亭では唐突に現れたネロを、フェアとエニシアの二人がここにいるはずのない存在を見たような顔で見ていた。

 

「それにしてももう閉店したのか? いつもならまだ営業している時間だろ。材料でも切らしちまったのか?」

 

 二人がそんな表情をしている理由を、元の世界に帰った自分が急に姿を見せたせいだと勝手に判断したネロが言うと、フェアが烈火のような勢いでネロに詰め寄りながら叫んだ。

 

「な、何言ってんのよ! ネロのせいでしょ!」

 

「は? なんでだよ」

 

「なんでじゃないでしょ! あんなことして!」

 

 そう言われてもネロは、まさか自分があの皇帝を自称する男を撃った瞬間の映像が全世界に向けて放送されていたなど知る由もなく、ただ首を傾げるだけだった。

 

「えっと……お兄ちゃんが人を撃ったところの映像を見て、フェアはずっと心配してたんだよ」

 

 そこへエニシアが助け舟を出した。それを聞いたネロはようやく自分の姿が放送されていたことを知った。

 

「ああ、なるほど。いつかのあのおっさんのようになったってわけか」

 

 ネロはその時の自分の姿を、かつてフォルトゥナの大歌劇場で当時の教皇サンクトゥスに銃弾を撃ち込んだダンテに重ね合わせた。さすが同じ血を引いていると言わんばかりの共通点の多さにネロは呆れたような笑みを浮かべた。

 

「ちょっ、どういう状況だか分かってんの!?」

 

「別にたいしたことはねぇって。詳しくは後で話してやるから飯でも作ってくれよ。こっちは腹が減ってるんだ。それに、お前らだってまだ食ってないんだろ?」

 

 久しぶりに那岐宮市を訪れたと思ったら悪魔絡みの事件に巻き込まれ、そのままリィンバウムまで来ることになり、挙句の果てに帝都のクーデターにも巻き込まれてしまったのだ。

 

 ネロの人生の中でも、魔剣教団が引き起こした一連の事件の時に次ぐような非常に濃密な一日であり、それに伴って腹も結構空いていたのだ。

 

 そんなネロの姿を見たフェアはそれまで勢いでまくし立てていた自分が馬鹿らしくなり、苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

「もう、しょうがないなぁ。ちょっとそのあたりに座ってて」

 

 そうは言いつつもフェアは完全に元気を取り戻している。驚きはしたものの、やはりネロの無事と彼が変わっていなくて安心したのだろう。

 

「ごめんなさいね、フェアちゃん」

 

「ううん、いいの。さ、キリエさんも座って。すぐに作っちゃうから」

 

 ネロが無理を言ったことを謝るキリエにフェアが首を振って答えた時、階段から二人分の足音が聞こえた。一人は早足で降りる子供の足音、もう一人は落ち着いて足取りで降りてくる大人のものだ。

 

「あー、パパだ!」

 

「よう、ミルリーフ。お前もこっちに来てたのか」

 

 最初に降りてきたミルリーフを抱きとめながらネロが答える。彼女は御使い達とともにラウスブルグにいることになっていたため、トレイユには遊ぶに来ていたのだろうとは簡単に想像できた。

 

「うん、一人で来たんだよ。パパもママに会いに来たの?」

 

 姿も態度も最後に会った時とたいして変わっていないが、御使い達がミルリーフを一人で行かせても大丈夫と判断したところを見ると、中身の方は成長しているらしい。

 

「まあ、似たようなもんだ」

 

 ミルリーフの質問にネロは言葉をぼかしながら答えた。とはいえ、少なくともフェアに会いに来たのは事実なのである。もっとも、この世界でネロが立ち寄れるのはバージルのいるラウスブルグを除くと、このフェアのいるトレイユくらいしかないのだが。

 

「まあ! よかったじゃない、フェア。これはしっかりおいしいものを作らないきゃね」

 

 ネロの言葉を聞いて反応したのはミルリーフの後に降りてきたフェアの母であるメリアージュだ。彼女は娘が常々ネロのことを話していたことをしっかりと記憶していたのだ。もちろん彼女自身もフェアのことを色々と気に掛けていたネロのことを好意的に見ていた。

 

「わ、分かってるってば!」

 

 母の言葉に厨房で準備をしていたフェアは赤い顔を見せないよう料理に集中しているふりをしながら答えた。自分に会いに来たと、遠回しにでも言われたことは嬉しくもあったが、やはり気恥ずかしくもあったのだ。そしてそれを母親にからかわれる形となったので尚更だ。

 

「あれ? コーラルもパパと遊びに来たの?」

 

 その時、ネロにばかり目を奪われていたミルリーフは彼がメイトルパで会ったコーラルを連れていることに気付いた。

 

「どっちかと言うと連れて来られた。でも、ここに来ることができてよかった」

 

 そう答えたコーラルは視線をメリアージュに向ける。それは明らかに親しい者に向ける視線であった。

 

「そうね。まさかまた会えるなんて思ってなかったわ、コーラルちゃん」

 

 そしてメリアージュも至竜であり竜尋郷(ドライプグルフ)の束ね役でもあるコーラルに親しげな口調で返答すると、そこへエニシアがその場にいる者を代表したように尋ねた。

 

「お二人は知り合いなんですか?」

 

「そう。幼い頃よく遊んだ。姉のような人。ついでに言えば頭も上がらない」

 

 コーラルがくすりと笑いながら頷くと、それを聞いていたネロは呆れたように口を開いた。

 

「……お前らいくつだよ、一体」

 

 メリアージュはこの十年以上異空間に囚われていたことは知っている。さらには彼女がかつてラウスブルグを用いてメイトルパからリィンバウムに渡ってきた古き妖精であることも。

 

 コーラルにしても今の人に近い姿をしているときはミルリーフとさほど変わらないような年齢に見えるが、至竜にまでなっているということは、実際はもう人の寿命よりも遥かに長生きしていたとしてもおかしくはなかった。

 

 そのように考えればメリアージュとコーラルが二人で一緒に遊んでいた頃とは二十年や三十年前では到底きかない昔だろうことは想像できた。

 

「ネロ、そういうことは聞いちゃダメでしょ」

 

 デリカシーがなっていないとキリエが諫めるとネロは「悪い悪い」と手を上げて謝罪した。もちろん二人ともネロに悪意があって口にしたわけではないということは分かっていたため、それ以上追求することはなく、そのまま別な話題へと移っていった。

 

 

 

 それから少しして、フェアが作った夕食をみんなが同じテーブルで食べ始めた。メニューは最初にフェアが考えていた簡単なまかない料理よりも少し豪華になっており、味もまた格別だった。

 

「それにしてもうめぇな。また腕を上げたんじゃないのか?」

 

 野菜がたっぷり入ったシチューをぺろりと食べた終えたネロがフェアに言った。以前に食べていた彼女の料理も確かに料理屋をやっているだけのことはあると納得できるだけの味を持っていたが、今食べた料理はそれ以上だ。

 

 それだけフェアはこの数年の間に試行錯誤を重ね、自分の腕を磨いていたのだろう。

 

「ふふん、でしょ? あ、おかわりあるから持って来るね」

 

 ネロに褒められたフェアは気をよくしたようで、ネロの皿を持って厨房に行った。

 

「あの子も料理をおいしくする研究は熱心にしていたみたいだから。おかげでお店の方は繁盛しているし。もっとも、そのせいでエニシアちゃんには苦労させてるけど」

 

「そ、そんなことないです」

 

 メリアージュの言葉にエニシアが首を振ると、彼女の姿を見たネロが口を開いた。

 

「ああ、やっぱりここで働いていたのか。通りでフェアと同じ恰好してるわけだ」

 

 最初に会った時のようなお姫様然としたドレスを着ていた時は儚げな印象を受けたが、フェアと同じような服を着ている今では、儚さはだいぶ緩和されているのだ。それは活発なフェアが着ている服というイメージもあるが、エニシア自身が忘れじの面影亭で働くことで、少しずつ変わってきているのだろう。

 

「うん、フェアに誘われて……」

 

「繁盛しているんじゃ、お昼なんかは大変でしょう?」

 

 この忘れじの面影亭は実質的にフェアとエニシアの二人だけで経営されていると言っても過言ではない。人手とすればメリアージュもいることはいるのだが、彼女はこれまでオーナーであるテイラーに任せっきりだった経理関係などフェアでは手が回らないところを担当してもらっているため、彼女に手伝ってもらうことは難しいのが現状であった。

 

「そうですね、その時間帯が一番込みますから。でも、厨房に近いところはフェアも手伝ってくれますからなんとかなってます」

 

 キリエの問いにエニシアは正直に答えた。ここで働き始めた頃はそれこそ失敗ばかりだったが、まだリシェルやルシアンもいたため、二人のサポートを受けながら仕事を覚えていくことができたのだ。

 

 おかげで今はフェアの力を借りながらも、なんとか一人で接客をこなすことができていたのである。

 

「にしても、ここで働くなんてことをよくあのおっさんたちが許したもんだ。……っていうか、あいつらはなにしてんだ?」

 

 エニシアの話を聞いていたネロはレンドラーのことを口にすると、シチューのおかわりを持ってきたフェアが答える。

 

「あの人たちなら今は町の近くの農場で働いているよ」

 

 それを聞いたネロはレンドラーがあのいかつい鎧を脱いで、剣の代わりに鍬を持った姿を想像して笑いを堪えながら口を開いた。

 

「なんだ、あのおっさん農作業なんてやってるのか、似合わねぇな」

 

「そうそう、おまけに監督はリシェルがやってるんだから」

 

 笑いに釣られてフェアも口角を上げながら言うと、ネロは笑いに呆れを含ませながら言った。

 

「おいおい、そんなんで……。いや、案外気が合えばうまくいくかもしれないけどな」

 

 まだ年若いリシェルに任せて大丈夫なのかと、途中まで言って、リシェルとレンドラーという組み合わせが以外といけるかもしれないと思い始めた。二人とも遠慮のない性格をしているから、考えの相違は起こりにくいだろうし、負けず嫌いな点も似ている。それがいい方向に働けば相乗効果で期待以上の結果を見込めるかもしれない。

 

「そうそう、意外と結果は出てるってリシェルが自慢してた」

 

「うちで使っている野菜も足りない分はそこから調達してるものね」

 

 フェアに続いてメリアージュが言った。店を訪れる客が増えれば増えるほど必然的に必要な料理の材料も増えていく。そのためミントがこれまで作ってくれた量だけでは早晩足りなくなりそうだったのだ。ミントとしてはもっと作ってもいいと言ってくれたが、頼ってばかりの彼女にこれ以上、負担を掛けたくなかったフェアはそれを断ったのだ。

 

 その事情を知ったリシェルが持ってきた話が、レンドラー達が働く農場の野菜を割安で提供するというものだったのだ。実質的にその事業を取り仕切るテイラーも帝国屈指の新鋭料理人御用達という付加価値がつくことを考えれば安い投資であると考えたようで、特段の反対もなく認められたのだった。

 

「なるほどね。そういえばルシアンの奴はどうしてるんだ? リシェルと一緒なのか?」

 

 おかわりをしたシチューを頬張りながら尋ねる。リシェルとルシアンは姉弟ということもありネロとしては、二人をセットで考えていたのだが、これまでルシアンの話は一切出てこなかったため、あえて尋ねてみたのだった。

 

「軍学校に入ったよ。確か、帝、都の……」

 

 そこまで言ってフェアはルシアンが帝都の軍学校に入学したことを思い出した。今日クーデターが起こり、そしてネロがその首謀者であり、新皇帝を自称した男を殺害したあの都市の軍学校に、だ。

 

「軍学校か。どうなったのか俺は見てないが、向こうもそんな大勢じゃないからな」

 

 将来の軍のエリートを養成するところとはいえ、制圧目標としての優先順位はそれほど高くない。向こうがそれほど多くの兵を持っていない以上、帝都中心部の皇帝の居城と議場、貴族街、それにアズリア達がいた軍本部を抑えるだけで手一杯だろう。そんな希望的観測を滲ませながら言ったネロの言葉に気を持ち直したフェアが続く。

 

「ルシアンの学年だと外での演習も増えるらしいから、もしかしたら帝都にいないかもしれない」

 

「それにあの子の父親は金の派閥の召喚師なんだから下手なことはしないわよ」

 

 メリアージュも言葉を添えた。ルシアンだけではなく、帝都の軍学校には貴族や裕福な商人など各方面の子息が集まっている。もしそういった子息たちを殺してしまえば、親は非協力的になるだろうし、あるいは反抗を企てる者も出ないとは限らないのだ。ただ、逆にそういった子息を人質にとろうと考えた可能性は捨てきれないが。

 

「あいつの親父だって気にならないわけじゃないはずだからな。無事かどうかは確認するだろうよ。……それに、無事でさえいればなんとかなるしな」

 

 ネロは薄く口元を歪めながら言った。状況によっては再び帝都に乗り込むくらいのことはするつもりのようだ。

 

「……っていうか、そもそもなんでネロは帝都にいたのよ?」

 

 帝都の話になったフェアは再びネロに話を切り出した。もう腹も空いていないだろうし、フェアも食べ終わりそうだったため話を聞くにはちょうどよかった。

 

 それを受けた残りのシチューを胃にかき込み、水を一口飲んでから答えた。

 

「……まあ、一言で言えば情報収集のつもりだったんだよ、いきなりこっちに来ることになったからな。それで帝都にいたら巻き込まれたってわけだ」

 

「巻き込まれたって割に随分派手なことしていたじゃない」

 

 フェアはネロの血に染まった顔を今でもはっきり覚えていた。あんなことをしておいて、巻き込まれたとは言えないだろう。

 

「最初は軍の奴らを逃がすための陽動のつもりだったんだ。あの男が悪魔に絡んでいなければな」

 

「悪魔って……あのレイって人が?」

 

 レイという男の言葉が正しいとすれば、彼は庶子とはいえ帝国皇帝の血を引く人間だ。そんな人間が悪魔に関係しているなどにわかには信じられなかった。

 

「ああ。ほら、覚えてるだろ。前に一緒に帝都に行った時に見た人影。あれがあいつだ。……もっとも今じゃ人かどうかも怪しいもんだがな」

 

 レイから感じた悪魔の力。それは以前に邂逅したときには感じなかったものだ。元々奴自身が悪魔になったのを以前は巧妙に隠していたのか、あるいはこの数年の間に悪魔の力を得たのかは不明だが、いずれにしろサンクトゥスの例もある以上、放っておくことなどできなかったのだ。

 

「それは初耳。他にもいた?」

 

 料理を食べながらネロの言葉を聞いていたコーラルが尋ねた。

 

「いたが反撃はしてこなかったぜ。おかげで楽に逃げられた」

 

 レイの頭部を撃ち抜いた後、ネロは悪魔とは関わりのない周囲の兵には目もくれず天窓から逃亡したのだ。それでも悪魔なら十分追って来ることはできたはずであり、あわよくば追ってきた悪魔を始末する算段だったのだが、勝算の乏しさを悟ったのか悪魔は追跡してこなかったのである。

 

「それでその後、ここに来たってわけね」

 

 フェアが納得したように言うと、今度はメリアージュがコーラルに尋ねた。

 

「彼らをここまで連れてきたのはあなたかしら?」

 

「そう」

 

「確かに随分ときな臭いことになってるのは間違いねぇな。そう簡単には終わりそうもない」

 

 デビルハンターとして場数を踏んできたネロの直感はこれでレイを発端とする悪魔絡みの騒動が終わったわけではないと感じていた。むしろこれからが本番とさえ感じていたのである。もっとも事態がどう動くかまではネロにもわからないが。

 

「あ、そういえば今お兄ちゃんのところにネロのこと知ってる人がいるんだけど、心当たりある?」

 

 その時、フェアがグラッドのもとにいる青年のことを思い出して声を上げた。一応、明日になればグラッドが話をしてくれることになっているが、もしかしたらネロにも心当たりがあるかもしれないと尋ねたのである。

 

「心当たり? そんなもん……いや、一つあるな」

 

 ネロは否定しかけて、一転、肯定した。彼が口にした一つの心当たりとは、那岐宮市のあの場にいたバジリスクに捕まっていた青年と中年男性のことだった。あの場で消えた四人がどこに行ったのかは定かではないが、少なくとも眼鏡の女と白髪の男なら大人しく帝国軍に捕まっているとは思えないため、ネロはその二人に対象を絞ったのだった。

 

「一応、明日お兄ちゃんから話を聞くことにしてるんだけど、どうする?」

 

「……気になるな。俺も同席する」

 

 現状、何の展望も見えていないネロはフェアの提案を受けることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 満月が夜空を彩っている時間帯、ラウスブルグの中のバージルとアティの私室に二人はいた。とは言っても、寝るには早い時間だ。二人が用があったのはこの部屋に置かれた機界ロレイラル製の無線機だった。

 

「さすがに思いがけないことなったのは事実だが、それでも私はネロに、お前の息子に感謝しているよ」

 

 無線機を通して伝わってくるのはアズリアの声。彼女はこの時間になってようやく自身の部隊と合流できたため、帝国で起こった政変の仔細を伝えるため、連絡をよこしたのだ。ただ、ある意味では最も重大事である帝国新皇帝レイの暗殺については、アズリア自身が見ていたわけではなく、彼女が合流したギャレオ率いる部隊の者が見ていたため、知ることができたのだった。

 

「皇帝暗殺、か……」

 

 バージルはネロが行ったことを呟いた。ロレイラル製とはいえ、無線機の仕組みは人間界のそれと変わりない。基本的に送信か受信のどちらかしか行えない。要は一方が話せばもう一方は聞くことしかできないのである。現在バージルの手元にある無線機は送信と受信をスイッチで切り替えるタイプのものであり、送信のスイッチを押し続けている間のみ声を送ることができるものだった。

 

 そして今で言えば、バージルは送信のスイッチを押していないため、その呟きは無線機の向こうにいる者には届かないのである。聞くことができたのは隣にいたアティだけだった。

 

「状況はわかった。……それで、お前達はどうするつもりだ」

 

 一息置いたバージルは、今度はスイッチを押して言葉を口にした。現状の帝国の政治はまさに混乱の只中にある。これまで政治の実権を握っていた者は既に殺害されており、それを為したレイもまた新たな皇帝に就いた直後に殺されたのだ。

 

 一応、残った者達が実権を握るべく動くかもしれないが、レイという皇帝の血筋を受け継ぐ者を戴くならともかく、それが亡き現状ではそう易々とはいかないだろう。

 

 特に帝国軍はウルゴーラの駐屯部隊と統合本部を失ったとはいえ、帝国各地に駐屯する部隊は丸々無傷なのだ。状況によってはその部隊とクーデターを起こした者達で戦いになる可能性も十分に考えられる。

 

 だからこそ、今後の動きを予測するためにも残存する帝国軍の中で最精鋭と目されるアズリア麾下の部隊がどう動くか知りたかったのだ。

 

「どうもこうもない。少なくとも現状では己の務めを果たすしかない」

 

 バージルに尋ねられたアズリアは即答した。帝国軍は帝国という国とそこに住む民を守るための組織だ。自身が拙速に動いて混乱を招き、守るべき民が被害を受ける結果になることだけは避けたかった。

 

 それにこの混乱に乗じて他国が軍事行動をする可能性もあった。帝国の新たな皇帝を名乗ったレイという男は全世界に宣戦を布告している。それを口実として国境を接しており、関係も劣悪な旧王国あたりが何か仕掛けてくるとも限らないのだ。

 

「少なくとも現状では、か……」

 

 バージルはスイッチを押さずにアズリアの言葉を繰り返した。それは状況如何では自身の持つ戦力を政治の安定に向けるという意味に他ならなかったが、生真面目な彼女のことだ。それも自身の野望を満たすためではなく、あくまで帝国の民のことを考えての決断となるだろう。

 

「理解した。……それとアティから話があるそうだ」

 

 自分が確認することがなくなったバージルはそうアズリアに伝えると無線機をアティに渡した。親友が無事だったことはこれまでの会話からでも十分に分かっただろうが、やはり直接言葉を交わした方がいいだろうと気を回したのである。

 

「俺はしばらく庭園の方に行っている」

 

 それを聞いてアティが頷くのを見たバージルは部屋から出て行く。これからは親友同士の会話だ。用もなく居座るつもりはなかった。

 

 そして残されたアティは嬉しそうに親友に無事を喜ぶ言葉をかけるのだった。

 

 

 

 ラウスブルグの空中庭園に移動したバージルは満月を見上げながら思考を進める。その中心にあるのはやはりネロのあの行動だった。

 

(なぜネロが皇帝を殺したのか、問題はそこだ)

 

 自分ならともかくネロは人を殺すのを避けている節がある。別にそれ自体は問題ではないのだが、今回気にかかるのは人を殺すのを忌避しているにもかかわらず皇帝を殺したことだ。

 

(やはり悪魔絡みというのが最も考えられるが……)

 

 最初に浮かんだのがネロに殺されたレイという男が悪魔を使役していた、あるいは彼自身が悪魔だったという可能性だ。これならばネロも殺すのに抵抗を持たないだろう。

 

 そこまで考えると連鎖的に思い出されることがあった。

 

(帝都では以前に悪魔を使った暗殺があった。それにネロも多少なりとも関わっているはずだ。それに皇帝が関わっているとすれば説明もつく)

 

 ネロが数年前に帝都ウルゴーラを訪れた際に、暗殺に使われていたと思われる悪魔を始末した話はバージルもネロ本人から聞いている。その悪魔を使役していたのが今回殺されたレイだとするとネロが殺したのも数年越しに仕事を果たしたと説明がつくのだ。

 

 おまけに悪魔を使って暗殺していたのも今回のクーデターのための下準備とすれば、レイが悪魔を使って帝国貴族を暗殺していた理由にも説明がついてしまうのだ。そして例の本に書いてあった名前も暗殺するつもりでいたのだとすると、それは帝国の皇帝として全世界相手の戦争をする上で、多少なりとも相手国を混乱、あるいは弱体化させておきたかったのかもしれない。

 

(そうすると背後にいるのはやはり……)

 

 オルドレイクが開発した従来の方法では自由に悪魔を呼び出すことさえできない現状で悪魔を使役していたとなると、やはりいつかの予想通り背後にいるのは魔界の支配者であり、バージルの倒すべき敵に違いない。

 

 しかし問題は人間を利用するという奴らしからぬ方法を取っているということだ。もちろん無策にただ攻めるという手法を取るとは思えないが、かといって少数の悪魔を用い、暗殺を繰り返したところで大きな影響はない。精々、来たるべき戦いにおいて人間の結束を妨害する程度の効果しか期待できないだろう。

 

 仮にその暗殺が今回のレイと名乗る男らのクーデターを成功させるためのものだったとして、さらにネロの妨害もなかったとすれば、帝国は世界を相手に戦争を始めていただろう。ただ、それでもやはりムンドゥスに利益がある結果を齎すとは思えない。一度魔帝を封印したダンテには全くの無関係で、同等の力を持つバージルにも与える影響はほぼないためだ。

 

 だが、この程度のことなど、あの狡猾な魔帝が想像しないはずはなかった。それはつまり、ムンドゥスは暗殺や戦争が齎す結果自体は望みではない、あるいは優先度が低いということを意味する。

 

(だとすれば奴の次の手は……)

 

 バージルの脳裏に一つの可能性が浮かび上がると同時に、ムンドゥスが次に打つだろう手が読めた。しかし、その舞台となるのは必ずしもリィンバウムとは限らない。それはつまり、バージルの力が及ばないところでの戦いとなる可能性もあるのだ。

 

 にもかかわらずバージルは口角を上げた。

 

 それは明らかにムンドゥスが打つ手への対抗手段があることを示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回投稿は2月になります。

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ありがとうございました。

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