第14話 聖王国へ
魔剣士スパーダ。
かつて魔帝ムンドゥスの右腕として活躍し、彼がいなければムンドゥスの魔界統一は成し得なかったと言われる程、強大な力を持つ悪魔である。
それほどの力を持つ悪魔でありながら二千年前スパーダは、魔帝の軍勢が人間界を侵攻した際には、主であるムンドゥスと魔界全土を裏切り人間を守るために戦い、ついにはムンドゥスを封印したのだ。
その後もスパーダは人間界に留まり悪魔の脅威から人々を守り続けた。
その命が伝説に刻まれるまで。
魔帝を打倒して二千年。彼は唐突に姿を消した。彼の血を引く双子の息子を残して。
残された双子は父の力と母の形見を巡り、人間界と魔界を結ぶ巨塔テメンニグルで戦った。
そして戦いに敗れ魔界に身を投げた双子の兄バージルは、何の因果か人間界とは異なる世界「リィンバウム」に辿り着いた。
そこでバージルはスパーダの名が記された本を見つけた。
スパーダがこの世界で何を成したのか、父の意志を確かめねばならない。
そう決意してリィンバウムの中でも大国の一つである帝国を旅して既に二年の時が経過していた。
彼は今、帝国の辺境に位置する小さな村の宿屋に泊っていた。
「また
昨夜から夜通し読んでいた本を閉じて、疲れたように呟いた。
彼はこの二年の間スパーダについて語られた文献を探していた。
それでもスパーダについて書かれていたのはほんの僅かだった。今手にしている本もその一つであり、昨日、村の近くの山中にあった無色の派閥の施設から持ってきたものだ。
こういった類の本の中には「スパーダは
一つ目がそれらの文書が書かれた時代だ。その内容からエルゴの王がリィンバウムの統治した王国時代に書かれたものと思われる。
そしてもう一つはスパーダと
それが何を意味するかまだ確信は持てない。こういった類の本は非常に比喩が深く、書いてある通りに理解するのが正しいとは限らない。書かれた当時の状況に精通していてはじめて正しく解釈できるのだ。
「ならば聖王国か」
聖王国はリィンバウムに現存する国の中で最も歴史が古く、エルゴの王の直系が治める国である。王国時代について調べるには現在バージルがいる帝国より適しているだろう。
次の目的地が決まった。幸いこの村から聖王国との国境はすぐ近くだ。今日の昼頃には聖王国に入れるだろう。バージルは手早く荷物をまとめ、村を出て行った。
帝国から聖王国に向かうには、国境付近を担当する警備部隊の駐在する関所を抜けるのがベストだ。距離も短く街道も整備されているため両国を行き来する多くの人がこの道を使っているのだ。
帝国は聖王国との国境に部隊を配置し警備を行っているが、聖王国は国境付近の守りを全て三つの砦を持ち聖王都の楯の異名を持つ三砦都市トライドラに委ねているため、国境付近に騎士を配置していないのだ。
バージルは昼前に関所に辿り着いた。関所とはいっても特に通行税を取ることはなく、どちらかといえば聖王国からの侵攻を防ぐ砦のようなところである。
もっとも聖王国はあまり外征に熱心ではない上に、第一の敵国を旧王国としており、帝国とは比較的友好的関係を築けているため攻め込んでくる可能性は非常に低かった。そのことは帝国も理解しているらしく、ここに配属される兵は退役間近の老兵ばかりだった。
そんな関所の中を歩くバージル見つけ驚き声を上げた者がいた。
「おまえは……」
「ああ、貴様か。何の用だ」
声のした方に振り向くとそこにいたのは、かつてあの島で帝国軍の部隊を率いていたアズリアだった。どうやら島での一件でこの閑職に左遷になったようだ。
「……一つ聞きたいことがある」
最初の言葉とは打って変わって声のトーンを落としていた。
「何だ?」
バージルがそう答えるとアズリアは「歩きながら話す」と言って彼に並んで歩き始めた。しばらくお互い無言で歩きながら関所を抜け、周りに人がいなくなったタイミングを見つけて話し始めた。
「……最近、帝国内で無色の派閥のものと思われる施設が襲われる事件が相次いでいる。まさかお前じゃあるまいな」
「そうだ」
バージルはあっさりと認めた。スパーダについて書かれた文献を探すために、彼が無色の派閥の施設に侵入するのは珍しくない。その際、邪魔する者は誰であろうと容赦なく斬るのだから非常に性質が悪い。
「なぜ、そんなことを?」
「貴様に言うつもりはない。それに奴らはこの国で破壊活動をしようとしていた者達だ。庇う必要はあるまい」
「そういうことではない! いつ手配されてもおかしくはないんだぞ!」
なにしろ彼は自分に向かってくる者だけを斬っていたため、逃げ出した者達は恐怖のあまり帝国軍に助けを求めたことさえあったのだ。これではバージルのことが知れ渡るのも仕方がないだろう。
そして無色の派閥の人間が敵対している帝国軍に助けを求める異常事態は、それを引き起こしたバージルの力を際立たせた。当然、大きすぎる力は危険視され排除の対象になることも珍しくない。
だが、その程度のことで悪魔の血を引くこの男が動揺するはずもなかった。
「ほう、俺を捕らえようというのか。できると思うならやってみるがいい」
たかが人間になにができると言わんばかりの不遜な態度。それは決して過信ではなく、自分の力と帝国軍の戦力の比較からくるものだった。
アズリアはバージルのある意味清々しい態度に呆れるのと同時に、彼と戦った島での戦いを思い出した。
その時は何が起きたか分からず、気付いたら彼が放ったと思われる無数の浅葱色の剣により自分のみならず、部下の武器まで弾かれてしまったのだ。
もしもバージルにその気があったら浅葱色の剣は自分達の体に突き立てられていただろう。今思い出しても背筋に冷たいものが流れる。あの時ほど恐怖を感じたことはないし、力の差を痛感したことはなかった。
そんな帝国軍の一個部隊を一瞬で無力する相手の言葉だ。正直、帝国軍全軍をぶつけてもこの男を捕まえることができるとは思わなかった。
「なら、さっさとこの国から出て行ってくれ。お前と話していたことがばれるとまずいんでな」
本来ならアズリアはバージルのことを報告する義務がある。しかし、彼女は今回に限りそれを怠るつもりだった。なにしろ彼は経緯はどうあれ弟イスラの病魔の呪いを治した恩人だ。帝国へ忠誠を誓う軍人とはいえ、彼女は恩を仇で返すような不義理な真似はしたくなかった。
それに無色の派閥はイスラに呪いをかけた張本人であり、多くの帝国市民をテロに巻き込んで殺害した外道だ。正直アズリアも因果応報だと考えている部分があった。おまけにこの事件の噂を聞いた人々はその犯人を英雄視する者も出るほどなのだ。
「言われなくともそうするつもりだ」
大きなため息を吐くアズリアに見送られながら、バージルは帝国と聖王国の国境を越えた。太陽は既に南中を過ぎている。とりあえずの目的地としている聖王都ゼラムまでの道のりはまだまだ遠い。今日はどこか宿をとらなければならないだろう。
ここからいける町は聖王国の西端、現在地からは南の方角にある紡績都市サイジェントか、東の方角にある三砦都市トライドラのどちらかだ。
もしかしたらそれ以外にも小さな村ならあるのかもしれないが、今持っている地図には都市しか載っていないのだ。バージルの生まれ育った世界ではまず考えられないことではあるが、このリィンバウムでは地図に載っていない村はよくあるのだ。
もっともそれはどことも交流のなかった村だとか、軍事上の問題から地図に載っていないのではない。実際、近くの町の者に聞けば地図に載っていない村でもすぐにその場所を教えてくれる。あくまで各国が一般向けの地図作成に不熱心なだけなのだ。
それでも行商人や旅人から不満が出ないのは、載っている都市間の距離が徒歩でも野宿を必要な程ではないからだろう。
「ここからならトライドラだな」
地図を見ながら呟く。三砦都市なら聖王都への街道上にあるため、遠回りにならないのだ。
バージルは街道上に沿って歩いていく。この街道は多くの者が利用するためか、周りの草も刈り揃えられよく整備されていた。
「そういや知っているかい。帝国では最近、無色の派閥が襲撃されているらしい」
「へえ、無色の奴らに喧嘩を売るとは随分と命知らずな奴らがいるんだな」
バージルの後方から行商人と剣を持った傭兵らしき男の話し声が聞こえてきた。
「帝国は無色に恨まれているからね、こっちではどうなんだい?」
「そういえば、北のグライゼル辺りで悪魔が出たとかいう話を聞いたことがある。旦那もそっちの方へ行くなら気をつけた方がいいよ」
「そんなところまでは行かないよ! 今回はあんたに護衛を頼んだファナンに行くだけなんだから」
「それなら安心しなよ、この辺りで物騒な話は聞かないんだ。最近は旧王国もおとなしいしね」
「ま、うちとしちゃあ無事にファナンまで行ければそれでいいんだがね」
大声で話す二人の話を聞き流していたバージルであったが、グライゼルに悪魔が出たという傭兵の話は気になった。だが、この話はせいぜい噂程度のものであり、信憑性はたかが知れている。より確度の高い情報を得る必要があった。
(グライゼル、か……ゼラムに着いたら少し調べてみるか)
バージルはこの話を心に留め、トライドラへ向かう歩みを速めた。
数日後、バージルは目的地である聖王都ゼラムにいた。優美さと威厳を兼ね備えるこの王都は、この世界には珍しく歓楽街の収入が経済の基盤の一つになっている都市であった。
また、学問的な召喚師の組織である「蒼の派閥」の本部も置かれており、名実ともにリィンバウム有数の大都市といえるだろう。
そこの歓楽街のとある酒場で、バージルはカウンター席に座り情報を集めていた。昼の間は王国時代について調べるために、書店を回っていたのだが、日も落ちて店の営業も終わってしまったので、今度はグライゼルに現れたという悪魔についての情報を集めることにしたのだ。
そういった情報を集めるには酒場が最適だ。多くの人間が集まるだけでなく、酒が入ることで口が軽くなるからだ。
バージルが入った酒場は、少し値段が高いものの美味い酒と料理を出す店だった。その値段から一般の庶民からは多少敬遠されているものの、遠方から来た金に余裕のある商人がよく利用している店であり、グライゼルの情報が欲しいバージルにはうってつけだった。
もっとも彼の情報収集とは、能動的に話を聞いて回るのではなく、周りの会話を聞いているだけの受動的なものであった。
「なあ、あんた。そんなものを持ってるってことは傭兵かい?」
酒場の店主が閻魔刀を見ながら声をかけた。
「似たようなものだ」
静かに杯を傾けながら答えを返す。その答えは決して嘘ではない。バージルはこれまでも何度か、傭兵紛いのことをやったことがある。
リィンバウムでは大きな都市や町には軍人や騎士などがおり、彼らが治安を守っているが、それ以外の小さな村などは住民が自警団を組織して村を守っているというのが現状だった。
それ故、自警団では対処できないはぐれ召喚獣や賊が出ると、傭兵を雇うか近くの町へ行き助けを求めるのが常だった。
バージルは前者のような傭兵として、はぐれ召喚獣や賊を討伐し路銀を稼いでいたのだ。
「ってことは近いうちにあんたも北の方にいくのか?」
「……どういうことだ?」
「あれ、知らないのかい。なんでも北の方じゃあ旧王国から悪魔の大群が攻めて来るって噂が絶えなくてね。傭兵を雇い始めた村がいくつもあるって話だよ」
「所詮、ただの噂だろう」
バージルはそう切り捨て酒を飲み干した。以前の傭兵と似たような話ではあったが、噂の域を出ないのでは意味がない。
店主は空になった杯に酒をなみなみと注ぎ、ここからが本番だと言わんばかりに、にやりと笑いながら話を続けた。
「ところが違うんだな。つい二日ほど前には騎士団の連中が北の方へ出て行ったんだよ。滅多にゼラムから出ない騎士団の連中が北に行くってことは、なんかあると思わないか?」
「…………」
バージルは無言で考え込む。ただの噂で騎士団を動かすとは考えにくい。聖王国の中心であるゼラムの騎士団を動かすからには相当に重大な事態、それも地方に存在する各都市の騎士団では対応できない状況が、現に起こっているのかもしれない。
「金はここに置いていくぞ」
考えがまとまったバージルは足早に店を出て、夜の暗闇の中へ消えて行った。
翌日。バージルは朝から旅の準備を整えていた。
昨夜、酒屋で店主の話を聞いてから彼は北へ向かう決意を固めていたのだ。その目的は騎士団を動かす程の事態を起こした存在――噂によれば悪魔の軍勢――と戦うことであった。
バージルの力は日を増すごとに大きく、強大になっている。それは彼の体に流れる悪魔の、スパーダの血によるものだった。
しかし、島を出てから彼は戦いに恵まれているとは言えない。戦いの相手はほとんどがはぐれ召喚獣程度であり、たまに出現する悪魔にしても最下級の有象無象であった。
早い話、現在の力を確かめる相手が欲しいのだ。それは弱い相手でも不可能ではないが、力を試す前に死んでしまうので話しにならない。できれば大悪魔クラス、そうでなくともアビスやフロスト、ゴートリングクラスの相手と戦えればいいのだが、一応弱い敵でも数がいればなんとか力を試せるだろう。
それに相手がこの世界の悪魔であれば、彼らが使う技術を見てみたいという考えもあった。それは以前から考えていたことであり、島では稽古という形でキュウマとミスミからシルターンの戦闘技術を見たこともあったほどだ。
そんなことを考えながら歩いていると、少し離れた所から見知った魔力が感じられた。思うところのあったバージルはその持ち主に会いに行くことにした。
(この魔力は……)
町の中心部から外れた場所に目的の建物はあった。やはりというかその建物は、以前見たものと似たような外見だった。
「いらっしゃ~い」
店に入ると店主らしき女性の気の抜けた声が聞こえてきた。
「やはり貴様だったか……」
「あら、久しぶりね~、あれからもう二年くらいになるかしら」
にゃははと笑う彼女は、島でも今と同じような店を営んでいたメイメイだった。いつの間にかゼラムで店を開いていたようだ。
「……見てもらいたいものがあるんだが」
彼女から漂う酒臭さを我慢しながらバージルは旅行袋から本を取り出した。それらは彼が二年の旅路の中で見つけたスパーダについて書かれた本だった。
「随分年代物の本ね~、それでこれをどうすればいいの?」
「この本の解釈を頼みたい。特にスパーダについて書かれた部分は重点的にな」
バージルはこのメイメイという女店主がただの人間ではないことは分かっていた。島で無限界廊の門を呼び出したことから恐らく人間より高度な知識を備えた召喚獣なのだろうと予想していた。
「スパーダ? スパーダ、スパーダ……どこかで聞いたことがあるような……」
「知っているのか?」
メイメイがスパーダのことを知っているのなら話は早い。わざわざ本を調べなくとも彼女に聞けば話は済むのだから。
しかし、そんな都合よくはいかないようだ。
「昔、誰からかそんな名前を聞いたような気がするのよ。……う~ん、やっぱりだめ、思い出せない!」
「……まあいい、思い出したら話してもらおう」
今は思い出せなくてもメイメイがスパーダについて知っていたのは僥倖だった。本に比喩表現で書かれた言葉を見るより、生の声で聞いた方がより事実に近い情報を得られるだろう。
「はいはーい。……あ、そういえば報酬はお酒で持ってきてね」
言葉の通りメイメイは非常に酒が好きなのだ。店の儲けも酒代に消えていることは自明の理だろう。
「わかった」
短く言葉を返し、バージルはメイメイの店を後にした。軽くなった旅行袋を肩に掛けて、北の方へ向かっていった。
同じ頃、旧王国北部で悪魔の軍勢が東に向かって歩を進めていた。
その軍団の頭領たる大悪魔は、数年前にある召喚師によってリィンバウムに召喚された。しかし、悪魔は非常に傲慢かつ凶暴で人間に従うことをよしとせず、己を呼び出した召喚師を惨殺したのだ。
はぐれ召喚獣となった悪魔は、己の欲望を満たすため手当たり次第に人間を襲い始めた。
そうしていくうちに自分と同じようにはぐれ召喚獣となった悪魔を配下に加えていき、遂には軍団と呼べるほどの規模にまで悪魔の勢力は膨れ上がった。
大きな軍勢を手に入れた悪魔は、更なる欲望を満たすべく矛先を聖王国に向けた。
それが破滅への道筋であるとは知る由もなかった。
第14話いかがだったでしょうか。
やはり一から話を考えるとだいぶ時間がかかってしまいました。
今回より新章に入り、原作では空白の期間を描いていく予定です。
次回はできれば来週中に投稿できればと思っています。ご期待ください。
ご意見ご感想お待ちしております。