翌日、バージルとアティは役に立つものはないか探すために浜辺を歩いていた。探索を提案したのはアティであるためか、先程から使えそうな物を拾っているのは彼女だけでバージルはただついて来ているだけだった。
そのアティは昨日バージルが悪魔であることを知って、どこか落ち着かない様子であったが、意を決して口を開いた。
「あの……バージルさんが悪魔って本当ですか?」
「嘘を言ってどうなる」
「あ、いえ、疑っているわけではなく、私の知っている悪魔とは随分違うなぁ、て思って……」
「この世界にも悪魔がいるのか?」
アティの言葉に反応したバージルが尋ねた。バージルの目指す魔界にいるような悪魔とは違うようだが、それでも悪魔がいるという事実に単純に興味が湧いたのだ。
「いえ、実際に住んでいるのはサプレスなんですが……」
そのままアティはサプレスやそこに住む悪魔や天使の説明をした。バージルの知る悪魔との違いは実体を持たず、マナという魔法力によって体を構成しているということだった。またサプレスには「奇跡」や「魔法」という技術、天使は「奇跡」を悪魔は「魔法」を使うのだ。
「全くの別物、というわけではないか……」
感想を言いつつ自らの知る悪魔のことを思い出す。バージルの知る悪魔も、人間界に姿を現すには媒体となるものを要する悪魔は多い。自分の肉体を持てる悪魔は決して多くはないのだ。大悪魔クラスは別にしろ、中級悪魔でもヘル=ヴァンガードのように砂を依り代に姿を現すものもいるのだ。
「はあ、そうなんですか」
言いながら近くにあった鍋を拾った。錆などは見られない。つい最近流れ着いた物のようだ。もしかしたら乗っていた船の備品かもしれない。
一時はバージルのことを少し怖がっていたアティであったが、話してみると人間と変わりないように思えた。自分の知識にある悪魔は、人間と契約を結ぶことはあるがけっして友好的とはいえない存在なのだ。その中には異世界に侵略する悪魔もおり、かつてリィンバウムも攻撃を受けたことがある。そのため人の好いアティでも少し身構えてしまったのだ。
しばらくして、役に立ちそうな物は全て拾い集めたため、寝ていた場所に戻ると、出発するときには寝ていたアリーゼは起きており、近くに浮いていたぬいぐるみのような影の方を向いていた。
「あ、おはよう。目が覚めたんだね」
アティが声をかけるとアリーゼは振り向いたが、その隣に見知らぬ男がいたため思わず尋ねた。
「あの、先生。そちらの方は……?」
「バージルさんっていって、昨日私たちを助けてくれたんだよ」
そう言われアリーゼは思い出した。確かにバージルは昨日、はぐれ召喚獣に襲われているところで助けられたということを。
「あ、あの、アリーゼと言います。昨日はありがとうございました」
そう言ってお辞儀をするアリーゼだったが、バージルにとって昨日の敵は、敵意を持っていたので、1匹を切り捨て、残りは睨みつけただけで逃げ去っただけであり、特に助けたという考えは持っていなかった。そのため「ああ」とひどくぶっきらぼうな返事をした。
「そ、そうだ、昨日から何も食べてなかったですし、お魚でも釣ってご飯にしましょう!」
バージルの傲岸不遜の態度によって悪くなった場の空気を、少しでも良くしようとアティが明るくそう言った。そしてアリーゼと共に釣りの準備をして海に向かっていった。バージルは特に手伝いもせず瞑想していた。
結局魚はそれなりに釣れたものの、食事中はこの後の方針として「食べ終えたらもう少し遠くまで探索してみよう」ということを決めた後は、誰一人口を開くことなく食べ終えた。
「……それはなんだ?」
いざ、探索に出かけるにあたり、バージルはアリーゼについてくるぬいぐるみのようなもののことが気にかかった。
「倒れていた私を起こしてくれたのがこの子なんです。それに昨日も召喚獣から守ってくれたりして……」
「これも召喚獣なのか?」
どうも聞きたいことがアリーゼにはうまく伝わらなかったようで、バージルはアティに直接尋ねた。
「そうですね、見たところ、サプレスの天使だと思います。……その子の名前はなんていうの?」
バージルの疑問に答えつつ、アリーゼに召喚獣の名前を聞いた。
「私はキユピーって呼んでます」
「いい名前だね」
サプレスの天使というのは随分情けない姿をしていると感じると共に、天使と敵対している悪魔の姿もまさかこんな形しているのではないか、という考えがバージルの頭をよぎる。
「……まあいい、さっさと行くぞ」
それを振り払い声をかける。今すべきはここの探索を進めることなのだ。
砂浜を一時間ほど歩いたあたりでバージルは人の気配を感じた。はぐれ召喚獣の気配は昨日から何度か感じてはいたが、人の気配は初めてだった。
「おい、向こうに人間がいる。行くぞ」
アティとアリーゼの二人に声をかけ、バージルは気配のする方へ向かっていった。そのまま少し歩くと目視でも十分人物が見える距離まで近づいた時、アティが叫んだ。
「船を襲った海賊!!」
「へえ……お前らも生きてやがったのか、それに前は見かけなかった奴もいるな」
若い二人組で一人は金髪で武器は持っていないが、しっかりとした体つきの男であり、もう一人は少しやせ気味の杖を持った男だった。
金髪の男はアティと知り合いのようだが、言葉からすると敵対関係だったのだろうとバージルは察した。
だがそんなことより重要なのは、奴らが海賊である以上船を持っており、その船に乗ったままここに来たという可能性があるのだ。
「おい、貴様らの船はあるか?」
「ああ、あるぜ。少し壊れちゃいるが直せないわけじゃない」
金髪の男はバージルの狙いが分かったのか、ニヤリと笑いながらそう言った。
「ならば話は早い。その船に乗せろ」
バージルの当面の目的はこの島から脱出することであり、そのためならばアティと敵対関係にある者でも、手を組むことに悩みはしなかった。
「はい、いいですよ、とでも言うと思うか」
「ならば言いたくなるようにするだけだ」
売り言葉に買い言葉である。隣にいた男が「カイルさん、落ちついて」と言っていたが、それを聞き入れるつもりはないようだ。アティも似たようなことを言っているが、バージルはそれを聞き入れるつもりは無論なかった。
「はっ、おもしろいじゃねぇか! いいぜ、俺に勝ったら客人として俺の船に迎えてやるよ」
「その言葉、忘れるな」
その言葉と共にバージルは前に進み出た。金髪の男は拳を構えながら、バージルに向かって走りだした。武器は出していないが、拳に革の籠手を付けているところ見ると、徒手空拳で戦うようだ。
常のバージルならば遠距離攻撃魔術の「幻影剣」で迎撃するか、疾走居合やトリックアップで距離を詰めつつ攻撃するのだが、今回の目的は殺すことではないので構えをとらず立ち止り、変わらずに向かってくる金髪の男を待っているだけだった。
「食らいやがれ!」
相当なスピードで殴りかかってくる金髪の男の一撃を、バージルは軽く右に避け、懐に入り込み鳩尾に閻魔刀の柄頭を打ちこんだ。人体の急所の一つである鳩尾に打撃を入れられたため、金髪の男は余りの痛みで一瞬うずくまったが、それでも場数を踏んだ経験からか痛みに耐えながらもバージルから距離を取ろうとした。だが、それを許すほどバージルは甘くはなかった。
「なっ!?」
周りに浅葱色の小さな剣がいくつも浮いていた。誰の物かはすぐに分かった。たった今対峙している銀髪に蒼いロングコートを纏った男だ。こんな芸当はただの人間にはできない、おそらくは召喚術か、もしくは銀髪の男自身が召喚獣なのだろう。
だが、彼にはそんなことはどうでもよかった。なにしろこれほど一方的に負けたことは元締めになってから初めての経験だったのだ。悔しいを通り越して笑いが込み上げてきた。
「ははは……俺の負け、完敗だ!」
それを聞いてバージルは幻影剣を消しながら言った。
「自分の言った言葉を忘れるな」
「ああ、勿論だ! お前ら3人とも俺の船の客人として歓迎するぜ」
「あの……私達もいいんですか?」
金髪の男の言葉を聞いたアティが恐る恐る聞いた。以前は敵対していた自分も乗せることになってもいいのかと思ったのだ。
「あんたらもこの兄ちゃんの仲間だろ? なら構わんさ」
「あ、ありがとうございます」
悪い人ではないのかもしれないと思いつつ、礼を言った。
「いいって、そう気にすんなよ。……そういやまだ自己紹介がまだだったな、俺はカイル、海賊一家の元締めをやってる。んでこっちがヤード、見ての通り召喚師で、ちょいとワケありで俺たちの客になってる」
「どうぞ、よろしく」
金髪の男カイルの紹介を受けた、杖を持った男ヤードが言った。
「バージルだ」
「アティです。昔は軍人でしたけど今はこの子の先生をしてます」
「えっと、アリーゼ、です」
それぞれ自分の名を名乗り、その後カイルが船へ案内するということになった。道中アリーゼが不安そうな顔をしており、アティがそれに気付き少し話をしていたようだが、バージルには興味がなかったためそれ以上、気にすることはなかった。
「バージルさん、先程の剣は召喚術で出したものですか」
「違う、あれは俺の魔力を剣の形にして放出しているだけだ」
ヤードの質問にバージルが答える。質問は彼がカイルとの戦いで出した幻影剣についてのものだった。遠距離攻撃魔術「幻影剣」、先程の戦いのように相手の周りに配置し、串刺しにすることもできれば、単に射出して飛び道具の代わりに使うこともできる、非常に汎用性の高い魔術である。
「すると、あなたは――」
「悪魔だ」
ヤードが最後まで言いきる前に言った。この世界でマナ――魔力――の使い道は召喚術に使用するくらいのものでバージルのような使い方をする者はいないのだ。もっとも幻影剣はバージルの莫大な魔力があって、初めてまともに使える術であるため真似することは不可能だろう。
「なるほどサプレスの方でしたか……それにしては随分人に似ているのですね」
「アティ、説明しろ」
「あ、はい。えっと、バージルさんはサプレスの悪魔でなく――」
いちいち説明するのが面倒なバージルは、それをアティに押しつけた。アティがヤードに説明していると、今度はカイルが話しかけてきた。
「通りで強いと思ったぜ。結局、得物も抜かせることができなかったしな」
「そうなっていたら貴様は既に死んでいる」
「わははは、はっきり言うねぇ!」
そうこう話しているうちに、湾のような場所についた。そこには帆船が一艘あった。おそらくそれがカイルたちの船だろう。
「ほれ、アレだ。あそこに見えるのが俺たちの船……っ!?」
「カイルさん、様子が変です!」
戦闘を行っているようだった。昨日バージルたちを襲ったのと同じスライムのような生物もいるが、それとは違う魚人のような生物もおり、合計で十数体いた。
「はぐれ召喚獣!?」
「ちくしょうが……ふざけやがって!」
「カイルさん、一人じゃ無茶だ!」
一人で走って行ったカイルを止めようとヤードは叫ぶが、カイルが止まることはない。そしてそれに続くようにバージルも歩き出した。彼にしてもこの島から脱出できる手段を壊させるわけにはいかないのだ。
バージルはある程度歩いて距離を詰めると、疾走居合で近くにいた魚人を両断しつつ、はぐれ召喚獣の只中へ躍り出た。そのまま閻魔刀を鞘へしまいながら幻影剣を近くの敵に射出する。その敵は幻影剣が腹に数発刺さっただけで絶命した。
「脆いな」
それが率直な感想だった。これでは悪魔はおろか、ただの人間にすら劣る。異世界の見たこともない生物だったので、多少なりとも警戒していた少し前の自分が愚かに思えた。
敵の強さを把握したバージルは、船の周りにいるはぐれ召喚獣に的を絞り幻影剣を射出し、ものの数秒で敵を仕留めた。
バージルの力を感じ取ったのか、残りのはぐれ召喚獣は狂ったように逃げ出した。そのうちの数体がアティとアリーゼがいる方へ向かって行く。既に二体を相手取っていたアティだが、彼女の実力か考えれば十分対応可能だろう。
ただし、それは実力を十分に出し切れればの話だ。アリーゼを守りながら戦っている現状を鑑みれば、それだけの数を相手にするのは非常に厳しいだろう。――現在のアティであれば。
(なんだ、あれは……)
バージルが胸中で呟いた。彼が見たものは、アティが碧の光を放つ剣を召喚したところだった。そして、その剣を握った彼女の姿が変わり、魔力も大きく上昇した。今の彼女の力なら大悪魔クラスは別にしても、ヘル=バンガードやアビス等の悪魔なら十分勝てるだろう。
その力を本能的に感じ取ったのか、はぐれ召喚獣は怯えながらアティを避けるように散り散りになって逃げて行った。
それを確認したアティが元の姿に戻るのとほぼ同時に、血相を変えたヤードがアティに詰め寄った。
バージルは話を聞きながらアティ達の所へ歩いていく。ヤードによればアティの召喚した剣は「
「込み入った話の前に客人にお礼が先よ」
会話に割って入ったのは紫一色の独特の服を着た男だった。それに続き大きなテンガロンハットをかぶった金髪の少女が同意した。
「うん、そうよね!」
二人の言葉により話の続きはは船の中で、ということになりカイル達の船の中へ案内された。彼らの船には金属はほとんど使われておらず、木材で作られているようだった。
バージルはこのような木船を見るのは初めてだった。彼の世界では製鉄業の発展と造船用の樫材の不足によって船体に使われる素材は鉄や鋼になっており、木船は小さなものが一部の地域で使われるだけなのだ。
船長室へ案内されたバージル達へカイルは他の船員を紹介した。紫の服を着た男はご意見番のスカーレル、テンガロンハットをかぶった少女はカイルの妹分のソノラという名前らしい。
それが一通り終わったところでカイルが言った。
「助けてもらっちまったな、あんた達に……」
「気にしないでください。私がそうしたかっただけですから」
「海賊カイル一家の元締めである俺があらためて、ここに宣言しよう。あんた達を俺たちの船の客人として歓迎するぜ!!」
こうしてバージル達はカイル一家に客人として迎え入れられた。