感じ取った悪魔の力を確かめるため、
どちらもバージルの視線の先にいる無色の派閥の幹部のオルドレイクが召喚したもののようだ。さすがに島で戦った時のように数でどうにかなると思っていないから、こうしてアバドンやスタルヴェイグを揃える手を企てたのだろう。そう考えたことは間違いではない。
「バカな……。貴様は確かに街に残っていたはず……」
その割にオルドレイクはバージルの出現に相当狼狽していた。よほど想定外だったのかもしれない。
そんな破戒の導師を尻目にバージルは魔界と霊界サプレスから召喚された二体の悪魔に視線を移した。
するとそのうち一体であるアバドンが、仇敵を見るように忌々しげに吐き捨てた。
「貴様……、忌まわしきスパーダの血族か……! こんなところにいるとはな……」
「ならば知っているだろう、スパーダと戦った悪魔の末路を」
挑発するように言葉を返す。もちろんバージルはこのアバドンという悪魔と戦うつもりであった。そもそも強敵との戦いに飢えていたバージルがアバドンほどの悪魔を見逃すはずがないが。
バージルの言葉をきっかけとしてアバドンは、わき目も振らずに拳を振り上げ飛び込んできた。これまでリィンバウムで戦った悪魔とは一線を画すその速度は、既に人の目だけではなくサプレスの悪魔の血を引くポムニットでさえ追うことができないほどであった。
アバドンの振り下した一撃は確かに忌まわしきスパーダの血族を捕らえた。しかし、小揺るぎ一つしない。いくら押し潰そうと拳を動かそうとしても全く動かないのだ。
「き、貴様……!」
拳を戻したアバドンはバージルの姿を見て動揺した。この男は大悪魔ですら無傷では済まない一撃を左手一本で止めていた。それも一切の魔具を使わず、素手で受け止めたのだ。
格が違いすぎる。そう思ったアバドンだったが、彼も悪魔としての誇りがある。仇敵を相手に退くなどありえない、ましてや逃げるなど言語道断だ。
戦意を奮い起こし、バージルにもう一撃を加えようとした時、アバドンと魔王スタルヴェイグの周囲に魔法陣が出現した。
「人間……邪魔をするな」
アバドンの怒りを含んだ視線が魔法陣を発動させたオルドレイクに突き刺さった。
「もはや、貴様の命令など聞かぬ! 今度は我の下僕になるがいい!」
バージルの出現にオルドレイクは動揺したのは、彼の計画が最後の最後で台無しになってしまうと思ったからだ。しかし、運は彼に味方した。
どうも今のあの銀髪の男は以前と異なり、なぜか攻めるのに積極的ではなかった。理由こそ不明であるが、それでもオルドレイクにとっては願ってもないチャンスだった。これで最後の詰めを行う余裕ができたのだ。
オルドレイクの計画、それはアバドンに魔王を憑依させ操ることであった。
サプレスに住む天使や悪魔といった種族は肉体を持たない。そのためリィンバウムに召喚されたときはマナで肉体を構成、維持しなければならないのだ。もちろんそれは常時マナを消費する行動である以上、本来の力を十分に発揮することは難しい。一応その他にも受肉という手段を用いれば弱体化と引き換えにマナを消費しない肉体を手にすることができるが、弱体化を望まないオルドレイクは最初からこの方法を選ぶつもりはなかった。
そんな男が選んだ手段はリィンバウムでの肉体を準備してやることだった。そうすれば当然、肉体を維持する必要もなくなり弱体化せずに済むのだ。そしてその肉体となる生贄として一度目はクラレットを、二度目の今回はバノッサを選んだ。
その上で魔王をアバドンに憑依させその肉体ごと支配下に置くのだ。
餓竜スタルヴェイグの力に加え、アバドンの力を合わせればバージルにも抗しうると考えたのだ。
だが、オルドレイクにはそれ為すために重要な要素が欠けていた。悪魔の知識である。
もちろん彼はこの方法を机上の理論のまま実行したわけではない。呼び出した魔界とサプレスの悪魔を使い実験を重ね、それが可能であることを確信したうえで行っていた。
下級の悪魔でもできるのなら、より強大な存在でも可能であると判断したのだ。
だが、悪魔はオルドレイクの想像を超えていた。
「やはり人間が思いつくことなどこの程度か」
オルドレイクの行おうとしていることを見抜いたアバドンは嘲笑するように言った。そもそもたとえ餓竜の憑依がうまくいったとしても、支配されることなどありえない。力ではアバドンがずっと上なのだ。
「っ! ほざけッ!」
怯えを押さえながらオルドレイクは叫んだ。アバドンの言葉からは彼が感じたものは以前バージルから感じたものと同じものだったのだ。
それは悪魔が持つ底知れぬ力、そして魔への潜在的な恐怖だった。
「…………」
アバドンは無造作に魔王を掴み上げた。スタルヴェイグは抵抗するものの、まるで意味をなさない。そして掴み上げた手を自分の顔の前に持ってきた。
「え……?」
果たしてそれは誰の言葉だったか。オルドレイクのものか、ハヤトのものか、あるいはアティやポムニットのものかもしれない。少なくともその言葉がこの場にいる者の思いを代弁していたのは確かだ。
アバドンは持ちあげた魔王を、器となったバノッサごと喰った。頭の方から噛みつき肉と骨を砕き、咀嚼する。人の体が喰われる、嫌悪感を引き起こす音が誰も声を発しない迷霧の森にいやに響いた。
「……待たせたな」
アバドンが魔王を食べ終わると下らぬことに時間をかけたことを詫びるようにバージルに言った。
この悪魔はそこらの有象無象の悪魔とは違う。それゆえ彼には彼なりのプライドがあるのだ。人間が戦いの邪魔をするなどあってはならない。それも自分が利用していた人間となれば尚更だ。
「構わん。どのみち結果は変わらない」
アバドンは喰ったレッドオーブの分だけ力を増す。しかしそれだけでない。今のアバドンは魔王の力をも取り込んだようで、さきほどまでよりも力が大きくなっている。
それでもバージルの表情は変わらない。無表情で冷徹な視線を向けるだけだ。
「減らず口を……ならばこのアバドンの力、存分に受けるがいい!」
言葉と共に右の拳を振り下した。それは最初の攻撃と同じだったが、そこに込められている力の量は別物だった。
そして拳から伝わってくる感触も最初と同じだった。
「言ったはずだ。結果は変わらないと」
「馬鹿な……、ありえん……!」
アバドンの狼狽した声が聞こえた。
そこには先程と同じように悪魔の拳を素手で受け止めているバージルの姿があった。しかも真面目に受け止めてすらいなかったのか、アバドンを見てさえいない。
「もういい、消えろ」
言葉と共にバージルの体にギルガメスが同化し、口元はフェイスマスクで覆われた。
そしてアバドンの攻撃を受け止めていた左手で、振り下された拳を押し戻すように一撃を叩き込んだ。
バージルの体は全くと言っていい程、微動だにしないところを見ると、単純に腕の動きだけで行った、軽い、全力とは程遠い一撃だったに違いない。しかしアバドンの腕に伝播した衝撃はこの悪魔には強烈過ぎた。
バージルの一撃に耐えきれずにアバドンの右腕は拳の方から次々と崩壊していく。
「なんだとっ……!」
腕を襲った惨事にアバドンが慌てふためいているのを尻目にバージルは空中に飛び出し、右手を手刀の形にして振り下した。
すると、まるで斬撃を飛ばしたようにアバドンの残された左腕が斬り落とされた。
瞬く間に悪魔の両腕を失わせたバージルだったが、それでもなお攻撃の手を緩めることはなかった。瞬時にエアトリックでアバドンの上方へ移動する。
アバドンを斜め下に見たバージルは右足に力を込め、一気にアバドンの頭をめがけて急降下した。
一見するとバージルの魔力の影響か青い流星にも見え、綺麗に見えるかもしれない。しかしその実、流星の名を冠したこの一撃は危険極まりない威力を持っているのだ。
それは直撃したアバドンの状態が雄弁に物語っている。流星脚の受けたこの悪魔は仰向けに倒れ、特に直撃した頭部は跡形も無く消し飛ばされていた。
それほどの威力をもった一撃だったにもかかわらず、バージルが着地した場所にはクレーター一つすらできていない。力をコントロールすることによって無駄な破壊を引き起こさなかったのだ。合理的で実に彼らしいといえるかもしれない。
「…………」
少し乱れた髪をかき上げようと手を頭にやった時、やるべきことを思い出した。
そして刹那の間にオルドレイクの眼前に移動する。
「っ! き、きさ……」
言い切る前にオルドレイクの腹に閻魔刀が突き刺さる。即死とはいかなかったが致命傷であることには変わりはないだろう。
「グ、おおぉ……」
呻き声を上げながらもオルドレイクはせめて一矢報いようと悪魔を召喚しようとした。バージルの速さを知っていればそんなことは無駄だということくらいわかりそうなものだが、計画が台無しになり精神的に大きなダメージを受けていたオルドレイクには正常な判断などできそうにない。
バージルはそれを解っていたのか、もはや何の感情もなく一言だけ言い放った。
「愚かな男だ」
そしてバージルが閻魔刀を抜き去り、姿を消したのと、オルドレイクがバージルの
オルドレイクが開発した悪魔を召喚する魔術は、召喚術と違い悪魔を己に隷属させるものではない。あくまで悪魔を連れてくるだけなのだ。それゆえ、召喚された悪魔はいつものように手当たり次第に暴れるだけである。
オルドレイクに召喚された悪魔も例に漏れず、すぐ近くにいたオルドレイクに狙いを定め、鎌を振り上げた。
「ま、待て、待ってくれ!」
当たり前ではあるが、悪魔が人間の命乞いに耳を貸すわけはない。ヘル=プライドは一片の迷いなく次々とオルドレイクの体へ鎌を突き立てた。
オルドレイクが絶命すると同時に、彼に凶刃を突き立てたヘル=プライドに幻影剣が突き刺さった。
「…………」
それを放ったバージルは、つまらなそうに息を吐きながら閻魔刀についた血を払って鞘に収めた。
結局、オルドレイクは利用していると思っていた悪魔に全てを奪われた。アバドンには計画をぶち壊され、便利な駒程度にしか思っていなかった下級悪魔に殺されたのだ。実に愚かとしか言いようがない。
そもそも悪魔を利用しようと思うのは愚の骨頂だ。人間界にも同じような輩は何人もいたが、いずれも悲惨な末路を辿ったのだ。
(奴と比べればまだあいつらの方がマシだな)
アティとポムニットに視線をやる。オルドレイクのように悪魔を利用しようとするより、たとえ無様でも彼女達のように悪魔と戦う道を選んだ方がいいと思えた。
「バージルさん……」
二人がバージルのところへ駆け寄ってくる。そして何かを言おうとした時、もう一人、この場にやってきた者がいた。
「見事。さすがは魔剣士スパーダの血族。……そして
空から舞い降りてきたのは一匹の竜、先刻までバージルが会っていたリィンバウムの
「あ、うん……」
目まぐるしく変わる状況に混乱しつつも、ハヤトはこの竜が
「しかし、まだ全ては終わっていない。さあ、その力で戦いに終止符を打つのだ」
「……ああ! 行こうみんな!」
それが終わらぬ限り、本当の意味で戦いは終わったとは言えないのだ。
ハヤトは仲間と共にもう一つの戦場へ駆けていく。
それを追うようにアティとポムニットも行こうとしたが、「さて……」と界の意思《エルゴ》がバージルと何か話そうとしているのを聞いて足が止まってしまった。
「大丈夫! こっちは俺達に任せてくれ!」
それに気付いたハヤトが大きな声で叫ぶ。彼なりの助けてもらったことに対する礼代わりである。
「改めて問おう。ここに残るか、それとも人間界へ戻るか、選んでほしい」
「え……?」
思いがけない言葉にアティもポムニットも言葉が詰まった。
「……戻るん、ですか……?」
「戻れば俺の目的を果たすのに近道ではあるな」
アティの質問にバージルは振り向きもせず端的に答えた。今のバージルの目的の一つである魔帝ムンドゥスの討滅を果たすには魔界との繋がりが多い人間界に戻るのが手っ取り早いのだ。
その答えに二人は動揺した。特に、これまでずっと共にいて、これからもそうだと思っていたポムニットの動揺は大きかった。
思わず彼女はバージルの左腕に縋りつきながら言う。
「うそ、ですよね……?」
ポムニットにとってバージルは、彼がいなければ今の自分はいないと断言できるほど大きな影響を与えた人だ。
母が死んだ時に自分を連れ出してくれたのも、アティやソノラ達カイル一家、島のみんなに引き合わせたのも、そして嫌悪感しか抱いてこなかったサプレスの悪魔の力の扱い方を教えたのも、全てバージルがいなかったらありえなかったことだ。
「わ、私、まだバージルさんに、何もできてません……それなのにお別れなんて……いや、です」
これまでの恩を少しで返したい、バージルの役に立ちたい。その思いで彼についてきたが、まだポムニットは自分自身が納得できるようなことはできていなかった。もっとも、仮にできていたとしてもバージルとの別れを認めはしなかっただろう。
既にポムニットの中ではバージルの存在がそれだけ大きいのだ。
そしてそれはアティにも言えた。
「バージルさんにはバージルさんの都合があるもの……無理を言っちゃ、ダメだよ」
しかし、アティはできるだけ平静を装いながらポムニットを諭す。それでも手の震えは隠せていなかった。
「先生……」
ポムニットが心配そうに声をかける。不意にアティの頬に冷たいものが零れ落ちた。
「あれ……何で……?」
彼が自分の意志で元の世界へ帰ることを選んだのなら、笑顔で見送らなければならない、笑わなければならない。しかし、いくら自分に言い聞かせても溢れ出る涙は止まらない。
涙が流れるたびにアティの中にはこれまでのバージルとの思い出が蘇っていた。最初に島の浜辺で出会ったこと、自分を守るように無色の派閥と戦ったこと、唇を合わせたこと、島で一緒に暮らしていたこと、どれもかけがえのない大切な思い出だ。
「ごめんなさい……っ」
果たしてその言葉は何に対してのものだったのだろうか。アティはバージルのコートの腰のあたりを掴みながら、彼の背中に自分の額を押し当てて、震えながら嗚咽を漏らした。
「…………」
左にはポムニット、背中にはアティにそれぞれ縋られながらも顔色一つさえ変えなかった。そもそもバージルは情に流されるような男ではない。
当然、彼の答えはもう決まっていたのだ。
バージルは
「もとより、戻るつもりなどない」
確かに人間界に戻る選択は、魔帝を滅ぼすという目的を果たすことだけを考えれば正しいだろう。しかし、それと引き換えにこの世界を探索する機会は永遠に失われてしまうのだ。
確かに父スパーダと
それに魔帝ムンドゥスはやはりこの世界を狙っているようなため、封印が解ければ向こうからやってくることは明白なのだから、是が非でもこちらから出向く必要はないのだ。
これらのことだけでも、ここに残る理由にはなる。ただ、バージルが人間界に戻れることを最初に聞いた時、二人のことが思い浮かんだのは紛れもない事実だった。
たしかに、たった二人のためにここに残る選択をすることは合理的に考えれば正しくはないだろう。しかしそれでも、アティとポムニットという二人の存在は、バージルにリィンバウムに残ることを決意させる一因となったのは間違いなかった。
二人はバージルにとって他の者とは違う、特別な存在といってもいいのかもしれない。
どちらも自分とは違うが、それでもどこか似ているところもあるのだ。そんな存在がいたからこそバージルは二人を通して己を見つめなおすことができた。
もちろんその恩に報いるために残るのではない。そんな殊勝な考えがこの男にあるわけがない。
それでもバージルはアティとポムニットと同じ世界にいる選択肢を選んだ。その事実こそ、彼が二人に対し抱いている想いを最も如実に表しているのである。
「ならば、また会う機会もあるだろう。……その時を楽しみにしている」
リィンバウムの
そして竜の姿をした
それを果たしたから、きっといるべき場所へ帰ったのだろう。
「いつまで引っ付いている。さっさと戻るぞ」
振り解くことは容易いだろうが、バージルはいまだ引っ付いたままの二人に声をかけた。
「腕……組んでもいいですか?」
背中に抱き着いていたアティが離れるのと同時に申し訳なさそうに尋ねた。
「……好きにしろ」
どうせ早く帰ってもやることなどなく、フラットが向かった戦場にも興味の引きそうな相手はいない。そのためいまさら急いでも意味がないと考えたバージルはこの際、自由にさせることにした。
返答を聞いたアティはバージルの右腕を両手で抱え込むように持った。
「わ、私も……」
アティに倣うようにポムニットもおそるおそるといった様子で、さっき縋るように持っていた袖を手放し、代わりに抱き締めるように腕を組んだ。もちろんバージルの左手は鞘に納まった閻魔刀を持っていたため、できる限り邪魔にならないようにだが。
そしてアティとポムニットはバージルの存在を確かめるように腕をひしとかき抱いた。
それでも二人は、どうして、などとここに残った理由を聞くことはしなかった。今はただバージルの存在が感じられるだけで、彼が残ってくれるだけで十分だったのだ。
ふとバージルの顔を見る。そこにはいつもの無愛想な表情があったが、一瞬ほんの少しだけ笑ったような気がした。
自分で書いていて何ですが、バージルは本当に丸くなりましたね。その過程を描けているか不安ですけど……。
ちなみに今後の予定はサモンナイト1編はあと2話ほどで終わる予定です。
ご意見ご感想お待ちしています。
ありがとうございました。