Summon Devil   作:ばーれい

35 / 130
第34話 戦乱の胎動

 バージルがいた世界には日本という国がある。その国の那岐宮市というところがリィンバウムの新たな誓約者(リンカー)である新堂勇人(ハヤト)の生まれ育った故郷だった。

 

 ハヤトは何か月かぶりに、クラレットは初めてその那岐宮市を訪れて、およそ一週間の時が経っていた。最初にハヤトが自分の家に帰ってきたときは、家族に心配されたり、怒られたりと大変だったのだが、さすがに一週間も経った今では落ち着きを取り戻している。

 

 クラレットもハヤトの母に「娘ができたみたい」と随分と気に入られており、こちらの生活にもだいぶ慣れたようだ。ここ最近の数日は一緒にキッチンに立っていることもあるくらいだ。

 

 既に彼はリィンバウムに再び戻るつもりであることは両親に話しており、了承を得ていた。まだ子供に過ぎない自分の我儘を聞いてくれた二人にはいくら感謝してもしきれない。

 

 そして現在、クラレットにとっては初めての世界ということもあり、折角なので二人は那岐宮市のランドマークのようなものである那岐宮スカイブレードに行っていたのである。

 

「ハヤト、ありがとうございます。大切にしますね」

 

 クラレットは首に掛けられたペンダント愛おしそうに握って、嬉しそうに呟いた。

 

「いいって、せっかく来たんだし。それに、俺の分も買ったからさ」

 

 そこでハヤトは記念にとスカイブレードを模したペンダントをクラレットにプレゼントしたのだ。自分のも買い求めたため、お揃いともいえる。

 

「それにしても、思ったよりお客さんはいなかったな」

 

 ハヤトは展望台のことを思い出しながら言った。那岐宮スカイブレードはそれなりに知名度があるらしいから、もっと人がいると思っていたが、肩透かしを食らった気分だった。

 

「仕方ありませんよ。今日は、へいじつ、というものなでしょう?」

 

「そういえばそうだったな。向こうの生活に慣れてすっかり忘れてたよ」

 

 クラレットの指摘に頬を掻きながら苦笑いをする。少し前の自分も那岐宮中央高校に通う普通の高校生だったのだが、これまでのサイジェントの生活で体はすっかりあちらの方に慣れてしまったらしい。

 

「もう、ハヤトったら」

 

 そんな彼をクラレットは手を口元に当てて、くすりと笑った。

 

「さて、他に行きたいところはどこかある?」

 

 仕切り直しも兼ねてハヤトは話題を変えた。もともと今日展望台まで行ったのは、クラレットが、ハヤトの住んでいる所のことを知りたいという話をしたため、那岐宮市の観光名所であり街を一望できる展望台でもあるスカイブレードへと連れてきたのだ。

 

 この後の予定は特に決めていなかったため、彼女の希望に沿う形で目的地を決めようと思ったのだ。

 

「ハヤトが行っていたところならどこへでも」

 

 その言葉にハヤトは照れながら頭を掻いた。彼は女性にこんなことを言ってもらった経験などない。というより今まで恋人の一人もいたためしはないのだ。そんなハヤトが意識している人にこんな言葉を言われたのだ、照れても仕方がないだろう。

 

「……うん。それじゃ、まずは商店街にでも行こうか?」

 

 ほんの少し勇気を出して右手を差し出した。

 

「……はい」

 

 クラレットは恥ずかしそうにしながらも彼の手を取った。それでも恥ずかしさ以上に嬉しさもあるようで、彼女は赤い顔を隠すように少し俯きながら言った。

 

「よろしく、お願いします」

 

 そして二人はまるで付き合ったばかりの中学生のよう、恥ずかしそうにしながら歩いて行った。それでもどちらも繋いだ手だけはしっかりと握り、離そうとはとはしなかった。

 

 

 

 

 

 バージルの足元には一瞬前に斬り捨てた悪魔の死体が転がっていた。依代がなければ現れることさえできない最下級の悪魔だ。

 

「無事に終わりましたね」

 

 そこにアティが声をかけてきた。彼女はバージルの召喚術が間違いなく使えているか、確認するために彼の練習に同行したのである。バージル自身は問題なく使えていると思っているのだが、やはり最終的には実際に召喚術を使う者に確認してもらうべきだと考え、アティに依頼したのだ。

 

 もっともそれ自体はなんら問題なく終わったのだが、その帰路で悪魔が襲い掛かってきたのだ。

 

 確かに少し前まで、このサイジェントで繰り返された悪魔の召喚はもう二度と行われることはない。しかし、それで悪魔が現れなくなるわけではない。出現の頻度こそ著しく落ちたが、今のように悪魔は現れ続けているのだ。

 

「……ああ、そうだな」

 

 つまらなそうに息を吐く。正直、この程度の悪魔といくら戦っても退屈なだけだ。確かにこの世界に来たばかりの頃は、こんな雑魚でもはぐれ召喚獣と戦うよりマシだと考えていたことは事実だ。しかし、ここ何年かで悪魔が現れるようになってからは、もう数えるのも馬鹿らしくなるくらいの悪魔を屠ってきているのだ。食傷気味になるのも無理はない話だろう。

 

 バージルにとってはその程度の認識の下級悪魔ではあるが、あくまでそれは、伝説の魔剣士の血を引く絶対的強者の視点における話だ。

 

「とりあえず、傷つく人がでなくてよかったです」

 

 ほっとしたようにそう言いつつ笑う。だが、バージルはいつもの仏頂面のままぼそりと呟いた。

 

「今回は、な」

 

 今、戦った悪魔は魔界を裏切った大罪人スパーダの血を引くバージルを狙って現れたのだ。それ自体は別に珍しいことではない。人間界にいた頃からよくあったことであり、いまさら動じる程のことではない。

 

 だが、悪魔がバージルではなく無差別に殺戮を行うために現れた場合、今回のように誰も傷つくことなく終わることはないだろう。戦う力を持たない一般人にとっては最下級の悪魔でも恐るべき殺人者なのだ。

 

(いつまで経っても無駄なことを)

 

 スパーダが魔界から離反して既に二千年の時が過ぎている。にもかかわらず、いまだ父への憎しみが一向に薄れもしない。いまだ自分を狙ってくるところからそれは明らかだ。それを考えればスパーダが人間についたことは、悪魔にとってどれほどの衝撃だったのだろうか。

 

 その時、ふとバージルの脳裏にある考えが浮かんだ。

 

 父は何故、こんなにも弱い人間を守るために魔帝に刃向かったのだろうか。

 

 まだ、魔帝を倒そうとするだけなら理解できる。スパーダも悪魔である以上、強大な存在を打倒し、己が力をより高みへ持っていこうとするのは当然のはずだ。

 

 だが、そうであるなら魔界でムンドゥスを倒せば済む話だ。人間を守る必要はない。

 

 一応、かつてスパーダが領主をしていたフォルトゥナの魔剣教団というスパーダを神として奉る集団に伝わるところでは、人を愛し人のために戦ったとされているが、仮にその時父が愛した者がいたとして、人間すべてを守るようにするだろうか。愛した者だけ守ればいいのではないだろうか。そしてその後も二千年の間もずっと人を守り続けるだろうか。バージルには甚だ疑問だった。

 

「…………」

 

「どうかしました?」

 

 ちらりとアティに視線を向ける。仮に、仮に、だ。もし自分がアティを愛したとして、父と同じように人間すべてを守ろうとするだろうか。答えは否だ。どんなに甘く考えても守ろうと思うのは、せいぜい彼女の周りの人間だけだろう。人間という種を守ろうとはどうしても思えなかった。

 

 ならばきっとスパーダは、バージルには見出すことのできなかった「人間を守り続けるだけの意味」を見つけたのだろう。それこそが魔界を裏切り、主君を裏切ってまで人のために剣を振るった理由なのだ。

 

「……いや、なんでもない。行くぞ」

 

 不思議そうにバージルの顔を覗き込むアティにバージルは思考を打ち切って答えると、家とは別の方向に歩き出した。

 

「あれ、どこに行くんですか?」

 

「酒を買うだけだ。別についてこなくていい」

 

 まがりなりにもバージルはこれまで長く人と共に過ごしてきた。そんな彼でもスパーダが人に見出しただろう意味を理解することはできなかったのだ。今の状態ではいくら考えても無駄だろう。

 

 久しぶりに酒を飲もうと考えたのも、行き詰った感のある気分を変えるためなのかもしれない。とはいってもバージルにも好みはある。酒なら何でもいいというわけではないのだ。

 

 商店街の適当な酒屋に入ったバージルは少しの間店内を見て回り、一本の酒を選んだ。

 

「……ほんとに買うんですか、これ?」

 

 選んだものを見たアティは思わずそう口走った。なにしろ他の酒とは文字通り桁違いの値段だったのだ。

 

 それもそのはずバージルの選んだ酒は、アティも一度は聞いたことはある各国の富裕層や宮廷にも出されるほどに有名なものだったのだ。

 

「当たり前だ」

 

 何のために選んだと思っている、そんな視線をアティに向けたバージルは、さっさと会計を済ませ店を出た。

 

 外は既に日暮れだ。今から帰ると酒が飲めるとすればおそらく夕食後になるだろう。かといってこの酒は、もともと飲食店への販売を主目的としていたのか、一人で空けるには厳しい量しか置いていなかったのだ。

 

「お前も飲めるだろう、付き合え」

 

 そこでバージルはアティにも飲ませることにした。どうせ残ってもいつ飲もうと思うか分からないため、今日で飲み干すつもりなのだ。

 

「へ? いいんですか?」

 

 脈絡なく誘われたアティは気の抜けた声をあげ、聞き直した。

 

「どうせ一人では飲みきれん」

 

「それなら遠慮なくお供しちゃいますね」

 

 バージルと酒を飲むなんて前に島で宴会をした時以来だから随分久しぶりのことなのだ。普通の食事なら毎日のように共にしているのに、酒を共に飲んだことは少なかったのだ。

 

 それが思いがけず共に飲む機会に恵まれたアティは嬉しそうに返答したのだった。

 

 

 

 

 

 その日の夜、約束通りバージルの部屋で酒を飲むことになった。雲一つない空には大きな月が昇っている。これほどの見事な満月となると明かりがなくとも十分過ぎた。

 

 場所をバージルの部屋にしたのは、月見をしながら酒を飲むためである。月見酒というだけでもなかなかに風流だが、彼が杯を傾ける姿は、月光に映える銀髪とあわせてやけに絵になっていた。

 

「あ、おいしい……」

 

 同じテーブルで飲んでいたポムニットが呟く。せっかくなので彼女やスカーレルも誘ったらどうかとアティが言ったのだ。バージルとしては思うところもなかったためそのまま了承した。ただスカーレルは珍しく夕食には一度帰ってきたものの、今日は帰れないかもしれないと伝えてすぐに出掛けて行った。

 

 なんでも近日中に新たな統治体制の核である市民議会が正式に発足するとかで、スカーレルはアキュートの面々や騎士団と共に大詰めの作業を行っているという。

 

 これには以前にもアティが協力を申し出たが、これまで住んできた街のことくらい自分たちで解決したいという想いがあったようで、丁重に断られており、彼女もそれ以上何も言わなかった。

 

 結局、スカーレルを除いた三人で酒を飲むことになった。見事な満月とポムニットが用意した簡単なつまみがあると、バージルもなかなか酒がすすんでいるようだ。とは言っても弟のようにがぶがぶと飲むわけではない。香りと風味を楽しむように杯を傾けていた。

 

「こういうのも、いいですね」

 

 ぽつりとアティが言った。普段、酒を飲むのは宴の時だけだった。仲間達と騒いで笑って、それはそれでとても楽しいものだが、今のように静かに酒を楽しむのも悪くないと思えた。

 

「はい、なんだかとっても安心します」

 

「月の光にはマナが豊富だからね」

 

 この世界に留まり続けるのに常に魔力を消耗し続けているサプレスの召喚獣が、夜に活発に動き出すのもこうした理由だ。サプレスの悪魔の血を引くポムニットが安らぎを感じるのも似た理由かもしれない。

 

 そんな二人の声を聞きつつバージルは静かに杯を重ねながら、大きな月を眺めていた。そうしているとあのテメンニグルの頂でダンテと戦った時もこんな見事な満月だったことを思い出した。

 

 思えば、あれからもう二十年弱の年月が経過していた。人間界で過ごした年月とこのリィンバウムで過ごした年月では、ほぼ同じか、こちらのほうが多くなっている。そしてその期間の半分以上を共に過ごしたのが今バージルの両脇にいる二人だ。

 

 昔と比べて少しは変わったという自覚はある。特にアティとポムニットの二人には随分甘くなったと思う。しかし、バージル自身はその変化を認めていた。今の自分があるのは偶然ではなく、自身の決断が積み重なった結果であると確信している。きっかけこそ偶然のものもあるだろうが、そこで何を考え、何を為したかは全て己が下した判断によるものなのだ。

 

 そのため、変化を認めないということは、これまでの自分の決断を否定することなのだ。もちろんバージルはこれまでの決断を悔いたことなどないし、間違っていたと思ったこともない。その時々で自分が正しいと思う決断を下してきたのだ。

 

「……あの、バージルさん。いまさらですけどあの話、本当によかったんですか?」

 

 これまでのことを思い出している間に、いつの間に二人の話題はバージルのことへ移っていたようだ。

 

「戻ったところで何もすることはない」

 

 実は少し前にバージルはハヤトから元の世界に戻らないか、という話を受けていた。ハヤトもバージルと同じくリィンバウムで生きていくことを選びはしたものの、生まれ育った名もなき世界には家族がいる。まさかなんの説明もなしというわけにはいかないため、けじめをつけるため結界を張り直す前に一度帰るつもりだったのだ。その際にアティを経由してバージルも名もなき世界の出身であることが伝わっていたため、この話が出たようだ。

 

 しかし、先ほどの言葉の通りバージルはそれを断った。彼にとって人間界は魔界への経由地に過ぎない。ところがそれも、ここでムンドゥスを迎え撃つと決めた以上、もはや戻る理由はないのである。

 

 アティもポムニットもバージルと永久に別れるのは嫌だったが、一時的に戻ることにはむしろ賛成だった。彼にも待っている家族や知り合いの一人くらいはいるだろうと思ったのだ。

 

「あの……、弟さんがいるんですよね? 一度だけでも会ったほうがよかったんじゃ……」

 

「必要ない」

 

 そうばっさりと断じた。自分も弟もいい歳なのだ。わざわざ会いにいく意味などない。それにいずれはダンテに会うことにはなるだろう。バージルが持つアミュレットがそう予感させているのだ。

 

 それに今更戻ることはできない。なにしろ昨日、ハヤトと彼と共に世界を渡ったクラレットが帰ってきたのだ。そしてその後すぐに召喚術の乱用でボロボロになったリィンバウムの結界は張り直されたのだ。今回のように、また他の世界に行こうとすれば結界を弱めることになるため、わざわざ張り直した張本人であるハヤトがそんなことをするわけがないのだ。

 

 ちなみにいくら結界を張り直しても魔界からの悪魔の出現は止まらないことは、今日バージルが悪魔と戦ったことで証明された。

 

 おそらくリィンバウムに張り巡らされた結界はあくまで四界からの侵攻を断ち切るものであり、いわば「海」のようなものだ。これまではリィンバウムと四界はいわば陸続きの状態であったため歩いてくることができたが、結界という「海」が間にできたおかげで「船」のような特殊な方法がなければ行き来することができなくなったのだ。

 

 ところが魔界とこの世界を遮る境界は「海」ではなく星と星を隔てる「宇宙」のようなものだ。しかしそれも魔帝の力によって四界を含むこの世界と魔界が無理矢理に繋がれてしまったのだ。そのため結界を張っても悪魔が現れるのは自明の理なのだ。

 

「そんなことより帰りの算段はどうなっている?」

 

 さすがにこれ以上、いろいろと聞かれることに嫌気がさしたのかバージルは露骨に話題を変えた。

 

「最近は近くを回っているみたいです。ソノラさんとは連絡を取り合っていますから間違いありません」

 

 ポムニットは自信をもってそう答えた。帰りは来た時のようにファナンからではなく、カイル一家が拠点にしている帝国のある港で落ち合い、島まで乗せてもらう予定なのだ。

 

 要はカイルたちが帰港するのに合わせて港へ出向けばいいのである。近場の海を巡っているのならたとえ行き違いになっても、待っている時間はたいしたことないだろう。

 

「なら、さっさと戻るか。……それでいいな?」

 

 一応、アティに確認をとるような形ではあったが、実質的にそれは決定事項を伝えるものであった。

 

「ええ、私も大丈夫です」

 

 依頼を受けアティが書き上げた悪魔に関する資料は数日前にレイドに手渡してある。

 

 実はそれには作者としてアティだけでなくバージルの名も書いてある。これはバージルの協力があって完成したものであると示したかったアティが入れたものだった。

 

 実際、その資料は現在この世界でもっとも詳しい対悪魔の戦術が記述されたものだった。もしこれが世界に広まるなら悪魔と戦うものにとっての聖典になるかもしれない。

 

「それじゃあ、この話はこのくらいにして、もっと飲んでくださいね」

 

 そう言いながらポムニットはバージルのグラスに酒を注いだ。いつの間にか飲み干してしまっていたようだ。

 

「ああ」

 

 短く答えて、あらためて注がれた酒に口をつけた。果実のような華やかな香りが鼻をくすぐり、なめらかな甘みが口の中に広がった。それでいて味のきれがよく非常に飲みやすい。やはり価格に相応しい味わいだ。ある程度飲んだ後でもそう感じることができた。どうやら選んだものは当たりだったようだ。

 

 

 

 そうして酒の味を楽しみながら飲んでいると、いつのまにかアティは随分と眠そうにしていた。意外とアルコールがきつい酒だったのかもしれない。ポムニットに至ってはバージルに寄りかかり寝息を立てている。

 

「おい、運んでやれ」

 

「……ふぁい」

 

 アティに声をかけるが明らかに呂律が回っておらず、そう答えるだけ答えてポムニットと同じようにもたれてかかって寝息を立て始めた。彼女にしては珍しく随分と酔いが回ったようだ。

 

「…………」

 

 無言でため息をついて二人を抱え上げた。さすがに部屋まで運んでいくのは面倒なので、普段使っているベッドに引っ張っていく。弟ほど酒が強くないバージルもそれなりに酔いは回っていたのだが、この一連の作業の影響で一気に冷めてしまった。幸い、まだ酒は残っていたようなのであらためて一人で飲むことにした。

 

 アティとポムニットはベッドを占領しながら幸せそうな寝顔を晒している。そのベッドの主はそんな二人を寝顔を見て、もう一度大きなため息をついた。しかし、その表情はいつもよりどことなく緩んでいるように見えた。

 

 

 

 

 

 霊界サプレスの一角に一体の悪魔が現れた。肉体を持つことからその悪魔は高位の存在と思われるが、激しい戦いに敗れたのかその体からは弱々しい力しか感じられなかった。

 

 その悪魔にとって幸いだったのは、この霊界サプレスは人間界に比べ魔力が豊富で力を回復させるのに適した場所であったこと。そしてサプレスにおいても辺境といえるこの場所には彼を脅かす存在がいなかったことだ。いくら大悪魔に区分される力を持っている悪魔でも、深手を負っているこの現状では人間のデビルハンターにすら敗れかねないのだ。

 

 そのため、まずこの悪魔がしたことはじっと力を蓄えることだった。いずれ戦いになることは明白だ。たとえここがどこであろうと悪魔である彼がすることは一つしかないのだから。

 

 じっと体を休ませ、力を回復させながら悪魔はこの場所について考える。魔界でも人間界でもないことは確かだ。そうなると最近行き来が可能になったと言われる世界かもしれない。

 

 その世界は数年前、魔帝が忌まわしきスパーダの血族に再び封印される前に、行き来を可能にした世界だということは知っていた。もっとも行き来できるのは力の弱い悪魔だけであり、人間界のように大悪魔は行き来できる方法はまだ見つかっていないため、大した興味は持たなかったのだ。

 

 もしその世界だとすればなぜ大悪魔である自分は、この世界に来ることができたのか。そもそも覚えている限り、彼は人間界でスパーダの血を引く男に敗れたはずなのだ。

 

 辛うじて生き残り、復活できたとしても故郷たる魔界か、敗れた場所である人間界であるはずなのだ。こんなところで意識を取り戻すことなどあるはずはないのだ。

 

 決して答えの出ない問答を繰り返していると、そこへこの世界の住民と思われる者達が二つの方向からやってくるのが見えた。その姿は人間界で伝えられる「天使」の翼を持つ者達と、同じく人間界の「悪魔」に似た羽を持つ者達だった。

 

 おそらくこの悪魔の力を感じ取りやってきたのだろう。それはつまりこちらへ来る者達に気付かれる程度には力が回復したといえる。おまけにどちらの集団も武装している。それなりには戦いの経験がある者達なのだろう。

 

 そこまでお膳立てされて戦わずに引くという選択肢などこの大悪魔にはなかった。伏していた体を起こし左手に剣を握った。四本の脚に二本の手。その姿は人間界に伝わるケンタウロスのようだ。

 

 しかし大きく違うところもある。ケンタウロスが人の顔しているのに対してこの悪魔はまるで獅子のような顔に大きな二本の角を持っており、全体の大きさも八メートルほどもある。さらに体を覆う皮膚は人のような脆いものではなく、まるで溶岩が固まったように強固で黒いものだった。

 

 そして悪魔は大きく咆哮する。刹那、体から炎から爆発的に溢れ出し、鎧のような体を包み込んだ。戦う準備が整った悪魔は、宣戦を布告するように誇り高き己の名を叫んだ。

 

「我はベリアル! 炎獄の覇者ベリアルである!」

 

 この日、霊界サプレスに黄昏が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 




この話で1の話は終わりになります。なんとか今年中に終わってよかった……。

次回より2の話に入っていきます。できれば今年中にもう一話くらい投稿したのですが、年末で忙しいのであまり期待はせずにお待ちください。

ありがとうございました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。