Summon Devil   作:ばーれい

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第35話 蒼の派閥

 バージルはこのリィンバウムという世界の来るきっかけとなったテメンニグルでの一件の前には、父の足跡を追って世界各地を旅していたことがある。その中には「フォルトゥナ」という都市全体を巨大な城砦に覆われていて、近隣の諸国とも距離を置いていて独自の文化を保っているところがあった。

 

 フォルトゥナにはかつてスパーダが領主をしていたという伝説があり、今でも彼を神として崇め奉っているのだ。また、人間界では珍しく悪魔が非常に現れやすい場所であり、それもあって住民は悪魔の存在を認知しているのである。

 

 そうしたことからかフォルトゥナではスパーダを神として信仰する魔剣教団があり、それに属する教団騎士が悪魔の脅威から住民を守っているのだ。

 

 しかしつい最近、魔剣教団の教皇を務めるサンクトゥスと魔剣教団の幹部たちが引き起こした一連の事件によって、教団騎士の大多数を失うことになった。僅かに残された騎士は、教皇から計画への協力を求められなかったほど年若く、そして未熟な者たちがほとんどだった。

 

 もちろん今後は、新たな騎士を育てていくことになるだろうが、今のところ現れた悪魔を倒す役目を買って出ていたのは「ネロ」という名の青年だった。事件の前は教団騎士の中で悪魔に憑かれた住民の始末など汚れ仕事を任されていた男である。

 

 彼はフォルトゥナの者にしては信仰心が薄く、教団騎士の制服すら身に着けないひねくれ者だがその実力はかなり高い。そしてサンクトゥスの事件を解決した人物の一人でもあった。

 

「もう、ネロったら、いつまで寝るつもりなの? もうお昼よ」

 

「……ああ、キリエか?」

 

 ソファに横になっていたネロが目を開けた。壁に掛けられた時計を見ると確かにもう昼だった。幼馴染であり、恋人でもあるキリエが言ったことも納得できる。

 

 とはいえ昨日は悪魔退治の依頼があり、帰ってきたのは日付を跨いでからなのだ。そこを考えて欲しいと思うネロだったが、それでも起きたのはキッチンからのいい匂いに抗えなかったからだ。

 

 たぶんキリエがネロの朝食兼昼食として作ってくれたものだろう。

 

「ご飯できたから一緒に食べましょう?」

 

「ああ、そうだな」

 

 ネロは右手で眠い頭を掻きながら体を起こした。その右腕は人のものとは思えない色をしており、まるで甲殻を思わせるような質感をしている。悪魔の腕(デビルブリンガー)と名付けられたその腕は、まさしく名前通り悪魔を彷彿とさせる代物だ。実際にフォルトゥナの市民はこの腕を悪魔と見る人もいるくらいだ。

 

 それでもネロはこれを隠すつもりなどない。確かに腕がこうなったときは見つからないように包帯を巻いていたのだが、教皇の一件でこの腕も自分の一部だと考えられるようになったのだ。

 

 それにネロが人々を守るために悪魔と戦っていることが知れ渡ると、この腕を見て嫌がる人はだいぶ少なくなってきたのだ。一部には彼の銀髪を含めてスパーダの血縁だ、と言う人もいるくらいだ。

 

 それはサンクトゥスにも言われたことがある。彼が言うにはフォルトゥナを訪れたスパーダの血を引く者が、女を孕ませ生まれたのがネロだというのだ。

 

 今にして思えばあるいはそれは真実かもしれない。しかし、もはや彼は父や母がどんな者でも構わないと思えるようになった。今のネロがあるのはキリエと彼の兄クレド、そして彼女らの両親がいてくれたからだ。その両親は亡くなり、教皇の計画に与していたクレドも最後に裏切ったことで命を落としてしまったが、キリエだけはなんとか守ることはできた。

 

 一時はフォースエッジとかいう魔剣を利用した「神」と呼ばれる巨大なスパーダの石像に囚われたネロを助けたのはダンテだった。彼が愛剣リベリオンを神の胎内まで送り込んだことでネロは解放され、教皇を打ち倒し同じく囚われたキリエを助け出して外に出た時には、神までも瀕死に追い込んでいたのだ。さらにいえば彼は悪魔を呼び込んでいた小地獄門と呼ばれる装置も破壊してまわったようだ。

 

 そのおかげで街の建物への被害はあっても、人的被害はさほどでもなかったのだ。これには魔剣教団が小地獄門のオリジナルともいえる地獄門を起動させることがついぞできなかったことも関係するだろう。もしそれが起動していたら、被害は倍以上になっていただろう。

 

 ダンテという男はつくづく底の知れない奴だと思う。実際、その後もこうして悪魔退治の事務所を開こうと思っていた時にも「Devil May Cry」の看板を送ってきたのだ。

 

「うまそうだ」

 

 ネロは料理が並べられたテーブルを見ながら言った。テーブルに並んだものはフォルトゥナの一般的な朝食であり、ネロもいつも食べているものだ。しかし空き腹をかかえた彼にとっていつもと変わりないメニューでもご馳走に違いないのだ。

 

「何言ってるの、いつもと同じよ」

 

 キリエが苦笑しながら答えた。そうは言ってもやはりネロのように喜んでもらえるのは、作る側としては嬉しくないわけがない。

 

「だからいいのさ」

 

 今日もこうして彼女と共に食事ができることは何よりも嬉しいことだった。もしあの事件でキリエまで失っていたら、ネロは今のような生き方をしてはいなかっただろう。キリエがいるから人として生きていける。ネロはあらためて思うのだった。

 

 

 

 

 

 あの無色の派閥の乱からおよそ半年。バージルは再び聖王国を訪れていた。今回訪れたのも一年前と同じく手紙が発端だった。

 

 手紙の送り主はメイメイで、肝心の内容は「蒼の派閥の総帥と会ってほしい」ということであった。

 

 蒼の派閥は召喚術やそれを通して世界の真理を研究している召喚師の集団である。過激な思想を持つ者が多い無色の派閥や利益の追求を至上とする金の派閥と比較し、政治的な関与も避ける傾向にあるとされ反世俗的な組織であるといえる。

 

 また、無色が非合法な組織であることから普通の召喚師の大多数は、この蒼の派閥か金の派閥に属している。実質的に召喚師の総本山の一つと捉えて間違いはないだろう。

 

 それを証明するように蒼の派閥は、リィンバウム最大国家である聖王国の中心都市である聖王都ゼラムに本部を置いているのだ。

 

 太陽が僅かに雲に隠れている昼前、バージルはポムニットを伴ってそこを訪れていた。

 

「少し待ってほしいそうです」

 

 入り口を守る兵士に話しかけてきたポムニットが言った。メイメイからもらった手紙には蒼の派閥総帥の直筆のものと思われる手紙も同封されていた。彼女はそれを見せて取り次ぐように話したのだ。

 

 兵士たちはどう見ても召喚師には見えないバージルとポムニットを訝しんだが、さすがに総帥のサインが入った手紙を見せられてはそのまま突き返すわけにはいかなかったようだ。

 

「そうか」

 

 バージルは一言返事をすると、腕を組んでひとまず待つことにした。彼はわざわざ派閥の総帥に会うためだけに聖王国まで来たのではない。メイメイからの手紙には確かに総帥と会ってほしい旨の内容が書かれていたが、バージルにとってはその理由のほうが遥かに重要だった。

 

 近く悪魔の脅威がリィンバウムを襲うことになるかもしれない。バージルはメイメイがそう書き記した真意を確認するためにここまで来たのだ。もちろんここに来る前にメイメイの店は尋ねたが、留守にしていたため仕方なく派閥の本部まで来たのだ。

 

 もし仮にあの手紙を見せてもここを通さなかったらバージルは実力行使も辞さなかっただろう。なにしろメイメイの魔力はこの建物の中から感じるのだ。この男は目的の人物を前にして不承不承引き下がるような男ではないのは昔から変わらない。

 

「……ついてこい」

 

 しかし、どうやらここで血の雨が降るのは回避できたようだ。取り次ぎに行った兵士は太った中年の召喚師と思われる男と共に戻ってきたのだ。そしてその召喚師は二人についてくるように言った。

 

 その男はどうやら自分が使い走りのようなことをさせられたことに随分と不満を持っているようで「なぜ私が……」などと小さな声で愚痴をこぼしていた。もしかしたらそれなりの立場にある人物なのかもしれない。

 

 そのまま男の後ろについて本部に入った。その中は豪華絢爛というわけではなく、落ち着いた雰囲気の中にもどこか気品を漂わせるような造りだった。しかし、そこにいる召喚師たちは造りとは真逆で剣呑な雰囲気を漂わせ、刺すような視線でバージルとポムニットを見ていた。おそらく蒼の派閥は相当に排他的な集団なのだろう。

 

 そんなことを考えながら歩いていく。バージルはもちろんだがポムニットも派閥の独特の雰囲気に呑まれてはいないようだ。普段から気難しいバージルの相手をしてきたからかもしれない。

 

「…………」

 

「? どうしまし――きゃっ!」

 

 急に立ち止まったバージルを怪訝に思い、声をかけようとしたポムニットに何かがぶつかった。衝撃自体は軽くたいしたことはなかったが、不意のことだったため、倒れこんでしまった。

 

「うわっと! ごめんなさい!」

 

「すいません! ぼーっとしていて……」

 

 ぶつかった少女と、彼女と並んで走っていた若い青年は素直に謝って頭を下げた。そこへ二人の追いかけていたような召喚師の青年が駆け付け、彼女らが引き起こした状況を見て頭を抱えた。

 

「申し訳ありません。二人には僕からよく言い聞かせておきますので……」

 

「いえいえ、全然大丈夫ですから、お気になさらず」

 

 召喚師の青年は少女がぶつかった相手が、派閥の幹部の案内を受けていたことからかなり高位の相手と判断して丁寧に対応した。しかし、それでも不足と見たのか、たまたま虫の居所が悪かったのかバージルたちを案内していた召喚師は声を荒らげて怒鳴った。

 

「何をやっているんだ、貴様らは! ネスティ、貴様もこの成り上がり共から目を離すなと言っただろう!」

 

「申し訳ありません、フリップ様。……マグナ、トリス、君たちも謝らないか。元はと言えば君たちの……」

 

「もういい、さっさと案内しろ」

 

 ネスティと呼ばれた青年が原因となった二人に再び謝罪させようとした時、バージルがそれを遮った。これ以上くだらないことで時間を取られるのはごめんだったのだ。

 

「これはこっちの……! い、いや、なんでもない」

 

 ネスティを怒鳴った勢いのままにバージルにも怒鳴ろうとしたが、フリップが彼のほうへ視線を向けた瞬間、激昂していた頭が恐怖で一気に冷えた。さながら心臓を鷲掴みにされたようだった。

 

 それからはさきほどまでの怒りっぽさは影を潜め、まるで別人のように大人しく案内を再開した。

 

 再び歩き始めたバージルたちの後ろでは、ネスティがマグナとトリスに説教している。彼らの釈明によれば、どうやら二人は急いでどこかに向かう途中だったようだ。その上、話しながら走っていたのでは前方不注意にもなるだろう。

 

 それから一分も経たないうちに二人を目的の場所に連れてきたフリップはそそくさと足早に去っていった。

 

 案内された部屋は、壁という壁に本棚が据え付けられた部屋だった。そのせいで元々はそれなりの広さを持つ部屋にもかかわらず狭く感じた。とはいえ、机は円形に置かれていることから小規模な会合や打ち合わせに使われている部屋かもしれない。

 

「やあ、わざわざこんなところまで来てもらって済まなかったね」

 

 その机に座ってバージルとポムニットを迎えたのは、まだ年端もいかない少年だった。

 

「貴様が総帥とかいう人間か?」

 

 いつもの表情のまま尋ねた。総帥の姿に全く驚かなかったわけではなかったが、人間界においても古代・中世の時代では王などの支配的地位にある者は血縁による世襲でその地位を継承してきた歴史がある。その上、封建的な考えが根強い聖王国であるから、たとえ非常に若い者がトップに立ったとしてもたいした違和感は覚えなかったのだ。

 

 それにここは召喚術を通じて、四界の知識が集まる場所である。あういは、そうした知識があれば若返りや老化を止めることもできてもおかしくないだろう。

 

 そうした考えもあったため、バージルは総帥の容姿には触れなかった。

 

「そうだよ。僕が蒼の派閥の総帥、エクス・プリマス・ドラウニー、……まあ詳しいことは彼女が来てからにしようよ」

 

 エクスは椅子に座るように促した。その言葉に従い二人が腰を落ち着けて間もなくメイメイが現れた。

 

「あらら、待たせて悪かったわね」

 

 悪びれずに言うが、メイメイは明らかに疲れが溜まっている様子だった。しかし、バージルはそんなことは気にも留めず手紙に書かれていた内容について問い質した。

 

「それで、悪魔の脅威とはどういうことだ?」

 

「……そうね。一つずつ順を追って説明しましょう」

 

 きつけに酒の入った杯を呷った彼女は静かに語り始めた。

 

「きっかけは今から半年ほど前。あなたが島に帰ってしばらく経った頃だったかしら。私は彼から相談を受けて、『星読み』――わかりやすく言えば占いみたいなものね。……まあとにかく、それをやったの」

 

 そこにエクスが補足とばかりに口を開いた。

 

「実はその頃、誓約を結んだサプレスの者たちが召喚できなくなる事態が多く報告されるようになっていたんだ。それで、これまで通り召喚できた天使たちから話を聞くと、どうも悪魔との大きな戦いがあったってことが分かった。……ただ、悪魔との戦い自体は珍しいことじゃないから、多くの者はそれで納得したんだ」

 

 そこで一旦、言葉を切った。そして大きく息を吐いてメイメイへ視線を向けながら再び口を開いた。

 

「でも、どこか嫌な予感がして、彼女に相談することにしたんだ」

 

「それで『星読み』の力を使ってみたんだけど、全く何も見通すことができなかったわ。……でも、だからこそ確信したのよ。これにはあなたみたいな力を持つ存在が関わっているってね」

 

「それが『悪魔』というわけか」

 

 椅子に背を預け、腕を組みながら確認するように言う。

 

 メイメイの使う「星読み」がどんな原理のものかは知らないが、長く生きているだろう彼女の力が使えない相手とすれば、この世界には最近現れるようになった悪魔しかありえないだろう。サプレスの召喚獣についても、霊界に現れた悪魔との戦いに敗れたと考えれば一応の辻褄は合う。誓約を結んだ相手がいなくなれば召喚できなくなるのは当たり前のことだ。

 

 ただ、霊界に現れた悪魔は並大抵の悪魔ではないだろう。最低でもあのアバドンと同程度の力を持つことは間違いない。そうでなければ人間以上の力を持つ霊界に住む天使や悪魔を殺すことはできないはずだ。

 

「その通り。だから、あなたの力を貸して欲しいんだ」

 

「……ならば、貴様が出向いてくるのが筋だと思うがな」

 

 エクスの言葉に皮肉の効いた一言をぶすりと返した。その表情からはその言葉がどこまで本気かわからない。さすがにこれにはメイメイもエクスも少しばかり冷や汗を流した。

 

「……まあいい」

 

 話を変えるように鼻を鳴らして、さらに続けた。

 

「俺は俺のために悪魔を殺すだけだ。誰とも組むつもりはない」

 

「それなら、こっちは情報提供や後方支援だけを行うというのはどう? それであなたがどうするかは、こちらは一切干渉しないよ」

 

 エクスが望むのは、こちらに悪魔の脅威が及んだ場合にそれを排除することだけなのだ。それ故、バージルが悪魔を殺すと言っている以上、派閥としては余計なことはせず情報提供等の支援を行い、彼が速やかに悪魔と戦える環境を作るのが最良だろう。

 

「……いいだろう」

 

 少し考えて答えた。蒼の派閥がどこまでの情報を手に入れられるかは不明だが、悪魔がどこに現れるかもわからない現状では、何のあてもないよりはマシだろうと判断した。

 

「それじゃあ、情報は随時提供するけど、どこに伝えに行けばいいんだい? もし住む場所が決まっていなければ、ここの部屋を提供するよ?」

 

「必要ない。場所は追って伝える」

 

 エクスの申し出をばっさりと断った。こんなところに住むのであれば、監視してくださいと言っているようなものだ。たまに来る程度ならまだしも、居を構えるなど選択肢にすらならない。

 

 話が済めばもうここに用はないとばかりに立ち上がり、部屋から出て行った。

 

 

 

 二人を見送りながら二人は緊張から解放されたのか、大きく息をついた。

 

「……やれやれ、ここまで気を張ったのなんて、いつ以来かな」

 

 エクスが自嘲気味に呟いた。その様子は少年の容姿に反し、まるで年老いた老人のようだった。

 

「提案した私が言うのもなんだけど、覚悟したほうがいいわよ。あの人、知りたいことはどんな手を使っても知ろうとするでしょうし」

 

 ある意味バージルの本質の見抜いたメイメイの言葉に、エクスは苦笑しながら返した。

 

「もちろん覚悟はしているよ。……たとえ派閥が隠してきた真実が暴かれたとしても、あいつらに好きにさせるわけはいかないんだ」

 

 エクスが初めて悪魔と相対したのは今からおよそ一年前、サプレスのことをメイメイに相談した後のことだった。その進捗状況を確認するため一人でメイメイに会いに行った時に悪魔と対峙したのだ。

 

 そのとき悪魔から感じたのは、底知れぬ破壊への渇望だった。人が呼吸するのと同じように悪魔は人を殺し、物を壊す。それが本能であると言わんばかりに破壊を求めるのだ。

 

 あんな存在を放っておいたら全てが滅ぼされてしまう。膨大な経験に裏付けられた直感がエクスにそう悟らせたのだ。

 

 しかし、人間にできることには限界がある。今現れているような相手ならまだしも、これまでサプレスの全ての存在を敵に回しても、なお生き続けるような相手に正面から挑んでも勝てる見込みは少ない。

 

 強大な力を打ち倒せるのは、それ以上に大きな力のみ。だからバージルに協力を求めたのだ。もちろん彼が素直に協力してくれる相手でないことはメイメイからも聞き及んでいる。

 

 そしてさきほど最初にバージルと会った時に感じたのは莫大な力だった。本当にこれほどの力を持つ者がいるのか疑うほどの常軌を逸した力。そして同時にエクスはどうしても彼の協力を取り付けたくなった。それがバージルに提示した条件に繋がっていたのだ。

 

 その結果、エクスの望み通り協力を取り付けることはできた。しかしこれで仕事が済んだわけではない。むしろここからが本番なのである。

 

 彼の頭は早くも、バージルに渡す情報の精査とさらなる調査が必要な事項を整理しているのだった。

 

 

 

 

 

 蒼の派閥本部から出てすぐ、二人は貸家の管理を行っている店を訪ねた。こうしたところは物件の所有者から建物の管理や、家賃の徴収を請け負っているいわば不動産業者のようなものなのだ。

 

 そんな店を訪れたのは聖王国における住居を決めるためだった。短期間の滞在なら宿屋でも問題はないが、さすがに長期間となると金銭的にも厳しいのである。

 

 そうしてバージルが選んだのが今、二人が訪れている建物である。歓楽街の近くにあるこの建物は三階建て地下室ありの物件であるにもかかわらず驚くほど安い賃貸料であった。

 

 もちろんそれには理由があった。それを訪ねると担当者は少し言いにくそうにしながら話し出した。

 

 今から十五年ほど前に、この建物で二十人以上が一夜にして殺され、夥しい量の血が流れたのだ。歓楽街に程近い場所での大量殺人となると、当時は非常に大きな話題となったが、結局その犯人は捕まらず今に至るというのだ。

 

 もちろん建物自体は十分に清掃も修繕も行ったのだが、そうした経緯もあって事件以来、誰も借りようとしないため、仕方なく賃貸料を下げているとのことらしい。

 

 もちろんバージルとしてはそんなことは全く気にしなったため、この建物を借りることにしたのだ。そして鍵を受け取りそこへ行ってみると、借りた物件はどこか既視感のある建物だった。

 

「あの、本当にここにするんですか?」

 

 ポムニットが不安そうに尋ねた。流石に二十人以上も殺されたところに住むのはできれば避けたいようだ。

 

 そんな彼女を見ながら、過去の記憶を掘り起こしていたバージルは不意に既視感の原因を突き止めた。

 

「……死んだのは無色の同類だ。気にするな」

 

 この建物はポムニットに出会う以前、スカーレルから依頼を受けて襲撃した紅き手袋の拠点だったのだ。どうやら担当者が言っていた事件の犯人は他ならぬ自分自身だったようだ。

 

「は、はあ……」

 

 鍵を開けるバージルに、曖昧な返事をしたポムニットだったが、少し考えると彼の言葉の意味に気付いた。

 

(もしかして……)

 

 それでも疑問を口に出すことはしなかった。たとえバージルがここで人を殺していたしても、そこには何か理由があるはずなのだ。常に沈着冷静で理論的な彼が無差別に殺したとは考えられないのだ。

 

 それにいまさら聞いたとしてもどうにもならない。むしろバージルが関わっていたことが分かって、少し安心したのも事実だった。

 

 そして建物の中に入ってみると多少埃で汚れているものの、かつて血が流れたとは思えないほど綺麗だった。どうやらここの管理人は随分と修繕に金をかけたらしい。バージルが一階、二階の天井に開けた穴も綺麗に塞がっていた。

 

 この建物の立地は歓楽街の近くにあるだけあって、上等な部類に入るだろう。かつて紅い手袋が使っていたように一種の事務所のような拠点としても使えるし、調理場もあるので住宅として使うのもできる。事故物件でなければ十五年近くの間、誰も借りないということはなかっただろう。

 

「とりあえず、必要な物を買いに行くぞ」

 

 中を一通り見て回ったバージルが言った。さすがに家具や調度品の類はほとんど置かれておらず、わずかに作り付けの棚がある程度なのだ。テーブルやソファ、ベッドといった生活に必要な物は購入する必要があるのだ。

 

 しかし、既に時刻は昼過ぎ。このまま店が閉まれば、今日は床の上で寝ることになりかねない。だからと言ってわざわざ宿屋に泊まるのも馬鹿らしい。

 

「あ、待ってください!」

 

 答えを待たずに出て行ったバージルを追いかけて行った。

 

 

 

 それから数時間、日没近くまでかかったものの、何とか必要な家具は購入することができた。あとはその他必要な物があれば、その都度買い足していけばいいだろう。

 

「それじゃ、ご飯作りますね」

 

「ああ」

 

 なかなかハードな時間だったはずだが、二人とも悪魔の血を引くだけはあるのか、全くといっていいほど疲れた様子は見せなかった。特にポムニットは少し楽しそうにしながら壁を挟んだ裏にあるキッチンに向かった。

 

 彼女は昔からアティと共に食事を作ってきており、特に最近は一人で調理全般を引き受けているため、料理の腕は人並み以上だ。もちろん、さすがにプロ並みというわけではないが、彼女はバージルの好む味付けを心得ているため、彼自身、口には出さないがポムニットの料理を気に入っていた。

 

 夕食ができるまで少し時間ができたバージルは、買ったばかりの椅子に背を預けながら蒼の派閥の総帥から聞いた話を思い出した。

 

 霊界に現れたという悪魔。それに以前サイジェントで倒したアバドンという悪魔。どちらもこれまでリィンバウムには現れたことない、いや、現れるはずのない力を持った悪魔だ。

 

 あれほどの力を持つ悪魔なら魔界との境界を超えることはできないはずなのだ。にもかかわらず、現に悪魔はリィンバウムに、サプレスに現れた。

 

「…………」

 

 一連の事態にムンドゥスが関わっているかは不明だ。しかし、明らかに事態は動き始めている。これがどこへ向かい、どこへ行き着こうとしているのか。それを見極めなければならない。

 

 窓の外はとうに日が落ちて闇に包まれている。その光景はまるでこの聖王国の行く末を暗示しているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回から2編にはいります。何とか今年中に投稿できてよかったです。

次回は年末年始の休みの間に投稿したいと考えています。

ありがとうございました。

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