レルムの村の近くで遭遇した黒一色の鎧や服を着た特務部隊「黒の旅団」。ゼラムに戻ったバージルは、彼らが所属しているという崖城都市デグレアについて調べ上げた。
崖城都市デグレアは、かつてのエルゴの王の庶子を担ぎ出し、聖王国から分裂した旧王国の都市であり、鋼壁都市バラムと対をなす軍事都市でもある。
旧王国の支配体制は首都の元老院から人員を派遣し、都市毎の元老院を組織することで徹底した管理体制を構築しているのだが、それも限界に達しているようで、中央の元老院の影響が及ぶのは実質的にこのデグレアという都市だけなのである。
このように内部から不協和音が聞こえてくる旧王国だが、それでも聖王国の三砦都市トライドラ、帝国の国境警備部隊など旧王国に対する備えがあるのはこのデグレアの軍事力によるところが大きい。
特に、旧王国の体制に不満を持った者たちが王位継承者を連れ出して興した国家である帝国と旧王国の関係は最悪で、過去には何度も交戦状態になったことがあった。
そうした歴史を鑑みると、黒の旅団の目的は当然に聖王国への攻撃だと考えられる。
しかし、それでも彼らの行動には疑問が残る。レルム村を狙う理由だ。
聖王国侵攻の意図があるのなら狙うべきは聖王都ゼラムか、港町ファナン、三砦都市トライドラなどの政治・経済・軍事における重要な場所を攻撃しているはずなのだ。わざわざレルム村を狙う意味などない。
(これでは何もわからん、もっと直接的な方法をとるか……)
やはり重要なピースが欠けている。これでは真実に至ることはできそうもない。
さらなる調査の必要性を感じたバージルはアプローチの方法を変えることにした。
(この距離なら一日あればいけるな)
ゼラムとデグレアの位置関係を地図で確認したバージルは胸中で呟いた。
彼の選んだ方法とは黒の旅団の根拠地たるデグレアに赴き、直接調べることだった。デグレアなら彼らが命じられた任務のことを調べるのも容易だろう。たとえ証拠となるような物は見つからなくとも、命じた人間さえ分かれば、後はその人物の口を割らせればいい。
多少雑なところはあるが、これで計画は立てた。あとはそれに従い実際に行動するだけである。
それから一夜明けた今日。バージルはポムニットを伴って買い出しに来ていた。デグレアに向かうのに必要な物を揃えるためである。目的の崖城都市は聖王国の都市より高地にあり、かつ周囲を山に囲まれているため降水量が多く、今の季節になると既に雪も降り始まっているようだ。
いくらバージルでも好んで雨や雪を浴びる趣味はない。だからこそ、防水性や防寒性に優れた外套を探しているのだ。
「なかなかありませんね……」
朝から探し始めてこれまで五軒ほどの店を回ったものの、バージルが望むようなものはなかった。この結果にはさすがにポムニットも少し疲れたのか、そう言って息を吐いた。
もちろん外套自体はどこの店に行っても何種類か置いてあったし、レインコートのようなものもいくつかあった。しかし外套の多くは、あまり防水性が期待できない生地で作られていたし、レインコートは今回のように戦闘も想定される状況で使うには耐久性の面で不安があったのだ。
「とりあえず、どこかで食事でもするか」
「それなら、ちょっと行ってみたいお店があるんですけど……、いいですか?」
「構わん。そこでいい」
特に行きたい店がないバージルはポムニットに任せることにした。
「それじゃあご案内しますね」
そのまま彼女の案内に従って繁華街を抜けて一般の住宅街の方へ向かう。道中その店について話を聞いてみたが、どうやらその店はシルターンの「ソバ」という麺料理を扱っているという話だそうだ。ポムニットはミントからこの店のことを聞いたようで、ミント自身も行ったことはないようだが、安くて美味いと最近評判になっているらしい。
(ソバ……確か日本にそんなものがあったな。……ラーメンと似たようなものなのか)
どこで聞いたかはもはや定かではないが、かつてバージルのいた人間界の日本という国でも、同じ名前の料理あったことを思い出した。とは言え、知名度があるラーメンはともかく、ソバという料理はバージルも食べたことはなく、どのようなものか見当もつかなかったが。
一般住宅街では貴族たちや召喚師が住居を構える高級住宅に比べ質素な造りの住宅がほとんどだ。その分、非常に多くの住宅が整然と立ち並んでおり、ゼラムの人口の多さを物語っている。
「あ、ここですね」
少し歩くと目的の店が見つかってようだ。ポムニットは暖簾に「あかなべ」と書かれている小さな屋台に入っていった。バージルも彼女に続いて暖簾をくぐった。
「いらっしゃい」
人のよさそうな店主が言った。彼の他に中にいたのは以前にも見かけたことのある蒼の派閥の召喚師、マグナとトリスだった。どうやらこちらのことには気付いていないようだ。
これで客席側には四人。もともとあまり大きくない屋台だ。それだけでも随分狭く感じる。
「何にしましょうか?」
「……この天ぷらソバ、というのを二つ頼む」
壁に掛けてあるお品書きを見たバージルは、とりあえず目についたものを注文した。
「お二人はどうします。食べていきますか?」
店主はマグナとトリスの二人にも尋ねた。恐らく二人はソバを食べに来たのではなかったのだろう。
「うーん、せっかくだし食べて行こうかな」
「それじゃ、シオンの大将! こっちも天ぷらソバ二つね!」
トリスの元気のいい返事を聞いた店主のシオンは手際よくソバをつくり始めた。
「それにしてもレルム村の次はデグレアですか……、何か気になることでもあったんですか?」
最近のバージルはレルム村から戻ってきたかと思えば、今度はデグレアに向かうと言う。彼がこれほどによく出かけるのは非常に珍しい。それを不思議に思ったため、ポムニットは尋ねたのだ。
バージルがそれに答えようとしたとき、脇から声が聞こえた。
「レルム村?」
その声の主はマグナだった。どうやらポムニットが言った言葉が耳に入ったらしい。
「え……? あっ! 前にあたしがぶつかった人!?」
マグナの言葉に釣られてポムニットを見たトリスはようやく以前に会った時のことを思い出した。
「そういえば、そんなこともありましたね」
ポムニットもその時のことを覚えていたのだろう、微笑みながら話しかけた。
「おや? みなさんはお知り合いだったんですね」
そこにシオンが言った。もちろん口を挟んでも調理のスピードは下がることはないようだ。
「うん、前に一度だけ蒼の派閥で会ったことがあって……」
「って、そんなことより……あの、どうしてレルム村のことを知っているんですか?」
マグナがその時のことを話そうと口を開いた時、トリスがそれを遮りバージルに尋ねた。もともとは彼の発したレルム村の名前という言葉が気になったことが始まりだったはずだ。偶然の再会に驚くよりも優先することがある。
それに二人にとってレルム村に関することは無関係ではない。数日前、二人は護衛獣と兄弟子であるネスティ、それにちょっとして出来事から共に行くことになった冒険者のフォルテとケイナを加えた結構な大所帯でレルム村の聖女に会いに行ったのだ。
その後、聖女である「アメル」という少女と知り合うことができたものの、その夜にあの黒い兵士たち村が襲われ、必死に戦って命からがら逃げてきたのだ。
レルム村は忘れたくとも忘れられない出来事が起こった場所なのだ。気にならないはずがない。
「少し前に行っただけだ。……もっともその時にはもう燃やされていたがな」
「それならもしかして、あの兵士たちには会いました? 黒い鎧を着ているんですけど……」
身を乗り出しながらマグナは聞いた。マグナもトリスも彼らの正体についてはネスティと共に調べてはいるのだが、どんな文献にも載っていないため、正直お手上げの状態だったのだ。ここで何らかの手がかりを得られれば、と藁をも掴む気持ちで尋ねたのである。
「デグレアの黒の旅団と名乗る奴らには会った」
バージルは事実だけを短く伝えた。彼の会った黒の旅団とマグナの言う黒い鎧の兵士たちは、特徴こそ似ているが同一の存在だという証拠はないため、事実のみを答えるだけにしたのだ。
村を襲った兵士たちの正体を聞いたトリスは机を叩きながら言った。
「黒の旅団? それが奴らの正体なのね!? あたしネスのところに行ってくる」
「そう急がずに。これを食べてからでも間に合いますよ」
そこに湯気が立ち昇るどんぶりを四人の前に置きながらシオンが言った。四人が注文した天ぷらソバだ。
黒いつゆの中には麺が入っており、さらにその上に海老の天ぷらが二匹乗っている。
「大将の言う通り、食べて行こうぜ」
マグナは既に食べるつもりでいるらしい。もう昼食時であるため、それが当然だろう。
トリスは一度自分の前に置かれた天ぷらソバを見る。これまでも何回か食べたことがあるものだ。それゆえ、この店の味が間違いないことは分かっている。
味を思い出したのかごくりと生唾を飲み込んだ。
「……そうする」
結局、彼女は食欲には勝てなかったようで、椅子に座り直して天ぷらソバを食べ始めた。
一方、バージルは既に天ぷらソバに箸をつけていた。
まずは上にのっている天ぷらから食べる。衣のさくさくとした食感とそれにたっぷりとしみ込んだつゆの味が口一杯に広がった。そのすぐ後には海老の独特の甘さとやわらかさが舌に伝わってくる。彼がこれまで食べてきた揚げ物とはまた一味違う味だ。具材の海老にはまだ水分が残っていて、まるで蒸したようにやわらかな食感だ。
そして次にソバをすする。独特の香りを放つ麺に旨みを持つつゆが一体となりに口、そして喉を通り過ぎる。のどごしも良く、かといってそれだけで終わらない深みがある。
「ほう……」
感嘆するように息を吐く。確かに評判通りの味だ。これなら人気が出るのも頷ける。繁華街からわざわざ住宅地まで食べに来るだけの価値があると言える。
「あ、おいしい」
どうやらポムニットもそう感じたようだ。
ちなみにこの店では使用する食器としてフォークではなく箸が供されている。シルターンでは一般的に使用されているものだが、リィンバウムではあまり広まっているものではない。
それでもバージルやポムニットが箸を使えているのは島での経験が生きたためだ。四界の住民がいると言っても、共通で食べられるものはリィンバウム、メイトルパ、シルターンの料理に限られる。サプレスやロレイラルの召喚獣が糧とするのは感情や電気などのため、他の世界の者が食べられるものではない。例外としてアルディラのように機械と融合したロレイラルの
そういった事情もあるため、島で暮らしていたバージルやポムニットはシルターンの料理はそこそこ食べ慣れており、箸もそれなりには使いこなせるのである。
しばらくして、随分早く食べ終わったらしいトリスがどんぶりをテーブルに置きながら言った。
「ごちそうさま! マグナ、先に戻ってるからお金払っといて!」
「え……?」
天ぷらをおいしそうに食べていたマグナが、きょとんとした様子でもう出て行ったトリスの席を見た。
「……大将、ソバのおかわりよろしく」
「はい、ありがとうございます」
財布が軽くなることが確定したマグナは、やけに哀愁を漂わせながらおかわりを注文した。やけ食いでもするつもりかもしれない。
「会計してくれ。いくらだ?」
ポムニットももうすぐ食べ終わりそうだったため、バージルは先に会計を済ませておくことにした。
「天ぷらソバ二つで24バームですね」
かなり良心的な価格だ。このあたりも人気の要因かもしれない。そう思いながらバージルが支払いを済ませた頃にはポムニットも食べ終わっていた。
「ごちそうさまでした」
シオンが片付けやすいようにポムニットはバージルのどんぶりを自分のものに重ねる。そして席を立ってマグナに会釈すると既に店を出ようとしていたバージルに続いた。
ポムニットにとってはこの店は大当たりだ。今日食べた天ぷらソバもおいしかったが、他にもいろいろとメニューはあるようで、今度はこの店のことを教えてもらったミントと一緒に食べに来よう、そう彼女は思ったのだった。
デグレアは東を召喚術によってつくられた、大絶壁と呼ばれる長大な崖の傍にあることから崖城の名を付けられた軍事都市である。周囲を大絶壁と険しい山々に囲まれており、一年を通して気温も低いため夏期が短く雪が降りやすい。そのせいもありこの都市は極端に人の出入りが少なく、ひどく閉鎖的でもあるのだ。
それに拍車をかけているのがデグレア成立に大きな貢献した家々の者によって構成される元老院議会だ。デグレアは就業、住居の変更、結婚などあらゆることに元老院の許可が必要なのである。
確かにこれらは防諜という視点で見れば非常に有効であり、聖王国打倒を第一とするデグレアにとってこうした制度が必要なのは理解できる。しかしそのために集権的になるしかなく、非常に柔軟性に乏しいのも事実であった。
(さて、どこから行くか……)
バージルは外套のフードを被り、険しい山の中腹からデグレアを見下ろしていた。マグナとトリスと会ってからしばらくして、ようやく彼はデグレアにやってきたのだ。とはいえ、軍事都市というのはハッタリではなく、正門の警備は聖王国とは比較にならないほど厳しい。
もっとも、厳しいと言っても所詮守るのは人間だ。どれだけ向かってこようと全て斬り捨ててしまえば突破は容易である。
しかしそんなことをすれば、黒の旅団の目的を調べるという目的の達成に時間がかかることは目に見えているし、最悪、その手掛かりを処分されてしまう恐れもある。できるだけ無駄な戦闘は避けた方がいいだろう。
「やはり、上から行くか」
ぼそりと呟いたバージルはエアトリックでその場からデグレアの上空に移動した。いくら正門の警備がきつくとも、今のリィンバウムの技術では空からの侵入はまず探知できないだろうと判断したのだ。
さらに上空から最も重要そうな場所に目星をつけ、そこへエアトリックで移動した。
バージルが静かに降り立ったのはデグレアの中でもひと際目立つ城の中庭だった。そこからは誰の気配も魔力も感じない。一瞬で姿を現したバージルを見た者はいないだろう。そう判断して、移動の際に脱げてしまった外套のフードを被り直し堂々と城の中へ歩き出した。
今バージルが着ている外套は、ポムニットが作ったものだ。結局、思ったようなものを見つけることができなかったため、材料だけを購入しポムニットが手ずから外套を作ることになったのだ。それもデグレアを訪れるのが遅くなった理由の一つだった。
その代わり随分しっかりと作ったようで一目見ただけでは店で売られている製品と見分けがつかないほどだ。意外とポムニットはこういった才能があるのかもしれない。
(中でも随分と冷えるな)
城の中は暖房が使われている様子はなく、温度は外と大して変わりない。そのため、外套は着たままでいることにした。
この様子を見るとバージルの頭には、聖王国との戦争に備えて燃料を節約しているのだろうか、という疑念が思い浮かんだものの、今は黒の旅団の調査を優先しようと考え、その疑問は片隅に追いやった。
(これは……サプレスの悪魔、か?)
城内を少し歩いたところでバージルはサプレスの悪魔の魔力を感じた。ところが少し前に聖王国で偶然再会したレイムと比べると、随分弱い低級の悪魔のようだった。その代わり、数はそれなりに揃っているようだが。
だが、それ以上に奇妙なのは、城の中はおろか城の周囲にも人の魔力が感じられないことだ。まさか、この城にいる悪魔にその全てが殺されたとでも言うのか。
「……行けば分かるか」
いろいろと想像を掻き立てられるが、バージルはそれらを消し去り、悪魔の気配を感じる方へ向かう。
その場所に着くまで数分。その間にバージルの耳に届いた音は自らの歩く音だけだった。話し声はおろか、物音一つ聞こえてこない。これは明らかに異常なことだった。平時であろうと戦時であろうと、この城のような政治の中心になるような場所で何の声も音も聞こえないというのはありえないことだ。
城の異常な様子を見ながらバージルは歩き続けた。悪魔の魔力を感じたのは常であれば元老院議会が開かれている議場からだった。
議場には多くの人間が倒れていた。服装から考えて恐らく元老院の議員たちに違いない。悪魔の魔力は彼らから感じる。そのことから人としての命は既に尽きていることは容易に想像できた。
(悪魔が憑依したのか)
ここで重要なのはなぜ議員に悪魔が憑依するようになったのか、ということである。まさか偶然の産物だと言えるはずはない。誰かが糸を引いているに違いないのである。
そして、元老院議員全てが憑依されていたということは、悪魔を操っている者にとってはデグレアを手中に収めたのと同義である。つまりは黒の旅団も黒幕の意図のもとで動いていることを意味する。
(それでもレルム村を襲った理由は分からんな……、あの召喚師にでも聞いてみるか)
今回分かったのは黒の旅団の行動を決めているのは、デグレアではなく他の誰かということだけだ。レルム村を襲った理由はいまだ不明なままだ。そのため今度は方向性を変えて、自分と同じように黒の旅団に会ったらしいマグナとトリスに聞いてみようと思った。
もっとも、黒幕もデグレアにおらず聞き出すことはできない以上、他の手がかりはあの二人の召喚師くらいしか心当たりがないのが実情だった。
「戻るか……」
そうと決まればもうデグレアに用はない。バージルはこの場から立ち去る前に、幻影剣で議員の体を貫き憑依した悪魔を殺すことにした。
悪魔は命令がなければ抵抗することもできないのか、あるいは休眠状態なのか定かではないが、ただ無抵抗に殺されるだけだった。
それをつまらなそうに見たバージルは全ての悪魔の絶命を確認すると踵を返した。
バージルが悪魔を殺したのは口封じのためだ。悪魔を裏で操っている存在が再びここに戻ってくるかは不明だが、もしも黒幕が戻ってきて生き残った悪魔から自分のことを報告されても面倒だ。それに、わざわざこちらの情報をくれてやる義理もない。
そうしてバージルが去った議場には、もはや人の形をしていない死体がいくつも残されただけだった。
この前30話を投稿したと思ったら、もう40話になってました。
次回投稿はこれまでと変わらず2週間後の3月12日(日)の予定です。
次回の投稿予定日については、はっきりさせたほうがいいのか、大雑把でいいのか、そもそもする必要がないのかで悩んでいるところですが、今回ははっきり明言することにしました。
ご意見ご感想お待ちしています。
ありがとうございました。