Summon Devil   作:ばーれい

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第45話 ファナンの戦い 後編

 マグナ達はファナンの外に広がる大平原に布陣する黒の旅団の指揮官ルヴァイドと相対していた。後方支援型の機械兵士もいる黒の旅団がマグナたちの接近に気付かぬはずがない。おそらくかなり前から存在には気付いていたはずだ。

 

 にもかかわらずこうして直接指揮官であるルヴァイドが迎え撃つということは、おそらく結界を破る「鍵」たるアメルを万難を排して確保するためだろう。

 

「……レイムさんはいないみたいね」

 

「ああ。……だが、いたとしてもまともに話ができる状態ではないだろう」

 

 小声でトリスに話しかけられたネスティはいつものように冷静に返した。

 

「ルヴァイド、話を聞いてくれ!」

 

「問答など無用! 鍵である聖女を目の前に黙っているわけにはいかぬ!」

 

 ネスティの言葉通り、今のルヴァイドはこちらの話など聞いてはくれないだろう。それはマグナの言葉を一蹴していることも明らかだ。

 

 ルヴァイドの言葉を合図として彼の周りにいた兵士たちが一斉に武器を構える。それはマグナたちも同様だった。

 

「こっちだって、ただやられるために来たわけじゃないんだ!」

 

 マグナは剣を振りかぶって斬りかかった。ルヴァイドはそれを悠々と受け止めた。

 

「いいかルヴァイド、お前たちは悪魔に操られているんだ!」

 

「下らぬ戯言を……!」

 

 ルヴァイドはマグナの剣を押し返し、袈裟懸けに大剣を振り下ろした。

 

「ぐっ……!」

 

 最初の一撃は受け流したマグナだったが、実戦に裏打ちされたルヴァイドの力強い変幻自在の剣撃に攻め手を失い防戦一方となっていた。経験の差がもろに出る形となってしまったのだ。

 

「マグナ!」

 

「む……!?」

 

 そこへトリスが召喚術で援護があり、マグナはルヴァイドと距離を取ることができた。

 

「お願いだから話を聞いて、ルヴァイド! あなたたちは――」

 

「くどい!」

 

 その一喝でトリスの言葉を遮ったルヴァイドはマグナとトリスに向かって距離を詰めてきた。他の仲間も兵士達の相手で手一杯だ。応援は望み薄だろう。

 

「いい加減にしろ! デグレアもレイムたち悪魔に操られていたんだ、俺達が戦う意味なんてもうないんだよっ!」

 

 ルヴァイドの剣を、渾身の力を込めて受け止めたマグナが叫ぶ。

 

「……!」

 

 その言葉を聞いたルヴァイドは目を見開いた。それはこれまで見たことのない、明らかに動揺した姿だった。

 

 ルヴァイドが目を瞑りマグナと打ち合っていた剣から力を抜いた。おそらく彼はマグナ達の話を聞く気になったのだろう。そして剣を降ろしたルヴァイドは口を開いた。

 

「話は――」

 

 その瞬間、戦場となっていたこの一帯に黒い刃が襲い掛かった。それは闇の力を持った無数の武器を召喚する「ダークブリンガー」と呼ばれる召喚術であった。

 

「まったく……、命令通りに行動していただかないと。ねえ、ルヴァイド?」

 

「レイム……!」

 

 ダークブリンガーを発動させた張本人であるレイムが涼しい顔で現れた。後ろにはガレアノたちも付き従っている。どうやらルヴァイドとの戦闘に集中し過ぎていたせいで彼らの接近に気付かなかったようだ。

 

「まあ、いいでしょう。ファナンへの攻撃命令は私が下しましたし、あとは……」

 

 攻撃命令を出したことについてルヴァイドは特に疑問に思わなかった。レイムは元老院議会の決定で派遣されており、兵に命令できる権限は彼も持っているのだ。

 

 そしてレイムはいつものような笑顔を崩さず言った。

 

「邪魔なあなたたちを処分すれば、全て丸く収まるのですよ」

 

 その言葉と共に背後に控えていた三人の悪魔がファナンで見せた姿に変化した。

 

「ひゃーっはっはっは! さあ――」

 

 気色悪い笑い声をあげたレイムだったが、その言葉を最後までいうことはできなかった。

 

「何、あいつら……?」

 

 あたり一面に大悪魔が現れたのだ。それも現れたのは魔界とサプレス両方の悪魔だ。さらに悪いことに現れた数は尋常ではなかった。いくら弱い下級悪魔とはいえ、百や二百では到底足りないほどの数だ。

 

 そして悪魔は時間に比例するように、今この瞬間も新たな個体が出現し続けており、大草原を覆いつくさんばかりにその数を増やしていた。

 

 ルヴァイドはこの大量の悪魔を召喚したのがレイムだと考え、彼に詰め寄った。悪魔はレイムの言葉とほぼ同時に現れたのだ。彼が呼び出したと考えても仕方がないのかもしれない。

 

「レイム! 貴様、どういうつもりだ!?」

 

 現れた悪魔を見ながら、無表情で考え事をしていたレイムだったが、その言葉によって思考を打ち切らざるを得なかった。それに対する怒りもあってレイムは、いつもは見せない冷たい声で言った。

 

「ニンゲン風情が……鬱陶しい」

 

「っ!」

 

 しかしルヴァイドは距離を詰める前にレイムの放った攻撃を受けてしまった。さすがにルヴァイドといえど近距離から放たれた一撃には、吹き飛ばされた体を守ることしかできなかった。

 

「ルヴァイド様!?」

 

 その様子を目にしたイオスは声を上げ上官のもとへ駆け寄った。彼の後ろにはゼルフィルドもついている。

 

「さあ行きましょう。もうここには用はない」

 

 レイムはそう配下の三人の悪魔に伝えると踵を返してこの場を去って行った。途中、何度か悪魔に攻撃されていたようだったが、やはり少数の下級悪魔では相手にもならないようだ。

 

 それにルヴァイドやマグナたちも、いつまでも見ているだけというわけにはいかなかった。悪魔の出現はようやく打ち止めとなったもの、彼らはファナンに向かう者達と大平原にいる者を狙う者に分かれたのだ。

 

「密集しろ! 前に出るな!」

 

 ルヴァイドの指示が飛ぶが、それで動いたのはほんの一部だけだった。他の大多数はレイムの命令に従って進軍していたため悪魔によって分断され、彼の命令が伝わらなかったのだ。

 

 さらに悪いことにルヴァイドとイオス、ゼルフィルドの三人だけ孤立してしまったのだ。これでは直接指揮もできない。

 

 そして孤立しているのはルヴァイドたちだけではなかった。マグナたちも悪魔に囲まれてしまっていたのだ。それでも仲間とはぐれることは無かったのが不幸中の幸いだろう。

 

「ルヴァイドさんが……! 助けられませんか!?」

 

「気持ちは分かるが不可能だ!」

 

 ネスティが叫ぶ。

 

 自分を狙っていた者の命すら何とか救おうとするアメルは、紛れもなく天使の生まれ変わりで慈愛の心を持つ聖女だと言えるだろう。しかし、今の状況で彼女の望みを叶えるのは難しそうだった。

 

 アメル達とルヴァイド達の距離は全力で走れば十秒もかからない距離だ。しかし、その間には多くの悪魔がそれぞれを殺そうと向かっているのである。

 

 マグナ達の方は数が多いとはいえ、襲い掛かる悪魔の数はルヴァイド達よりも多く、現時点では守りに徹さざるを得ない。対してルヴァイドはレイムから攻撃の影響でいつもの実力を出せないようで、イオスとゼルフィルドがカバーして辛うじて持ち堪えている状態だった。

 

 しかし、どちらにも増援の見込みなどはあるわけがない。今現在、攻撃されているファナンから増援など来るわけはなく、間もなく到着する予定だったデグレアからの本隊もレイム達が引き上げたことを考えると、わざわざ黒の旅団を救援するために来るとは考えにくい。

 

 結局、この状況を打開するには目の前の悪魔を最後の一体に至るまで打倒する必要があるのだ。果たしてそれまで戦うことができるのか、甚だ疑わしいところではあるが、もはや彼らにそれ以外の道など思いもつかなかったのである。

 

 

 

 

 

 悪魔が現れる少し前、バージルとアティは宿の一階の飲食店で早めの夕食を食べていた。出される料理はいかにも大衆料理といったもので、値段の割にボリュームがあり味も上々だった。

 

 いつもであれば仕事が終わった漁師や港で働く労働者たちが食事や酒を飲みに来て混み始めるのだろうが、今は戦いが近いという噂が広まっていることも関係するのか、客はバージルとアティの二人しかいない。

 

「ごちそうさまでした」

 

 律儀に手を合わせてそう言うあたり、生徒の手本とならねばならない教師という職業は彼女の天職なのだろう。

 

「……終わったか」

 

 彼女が食べ終わったのを見たバージルは、足を組みながら読んでいた本を閉じた。宿の料金に食事の代金は含まれていないが、既に勘定は済ませていた。注文した料理が来た時に支払っていたのだ。混雑した時はさすがにこうはいかないだろうが、どうせ客は自分たちしかいないため、店員も多少の便宜を図ってくれたのだろう。

 

「まだ早いですけど、戻りましょうか?」

 

「ああ」

 

 アティの提案にバージルは頷き、二人は連れ立って部屋に戻ることにした。まだ日も沈んでいないが、彼らには特にすることがなかったため今日は出歩かずゆっくりすることにしたのだ。

 

 部屋に戻ったアティは、自分の荷物から袋に入った何かを取り出して言った。

 

「バージルさん。実は私、お酒を買ってあるんです。一緒に飲みませんか?」

 

 ゼラムから出発するときはそんな物を準備していなかったため、ファナンで別行動をしていた時に買ったものだろう。

 

「……たまには付き合ってやろう」

 

「はい! それじゃグラスか何か借りてきますね」

 

 嬉しそうにそう言って、アティは器を借りるため部屋を出て行った。それをベッドに座りながら見送ったバージルは、先ほども読んでいた本を取り出し、彼女が戻ってくる間に区切れのいいところまで読むことにした。

 

 二人が泊まるこの部屋はお世辞でも広いとは言い難い部屋であり、ベッドが二つある他はその間に小さなテーブルが置かれているくらいだ。

 

 そしてバージルが本を開いたところである存在の気配に気付いた。悪魔の気配、ファナンの外からだ。数はかつて島で悪魔が大量に現れたときに匹敵するほどの規模だ。

 

(大当たり、と言ったところか)

 

 どうやらファナンに来るというバージルの判断は正しかったようだ。この悪魔の出現が意味するところは、サプレスにいるという悪魔がとうとう動き出したということだろう。魔界の悪魔に混じってサプレスの悪魔がいるのがその証拠だ。

 

 そう考えている間に悪魔の出現は止まったようだ。バージルは開いた本をぱたんと閉じてテーブルの上に投げ捨てると、椅子から閻魔刀を手に立ち上がった。

 

「お待たせしました! ……って、どうしたんですか?」

 

 グラスを二つ持ったアティが部屋に戻ってきた。閻魔刀を持ったバージルを不思議に思った彼女は素直に尋ねた。

 

「外を見ればすぐにわかる」

 

「はあ……」

 

 大人しくバージルの言葉に従い、窓から街の正門や大通りの方向を見たアティが目を凝らして見たものは、門を超え周囲の壁を越えてファナンに侵入してくる悪魔の姿だった。

 

 かなり距離があるため辛うじて悪魔であることが分かる程度だが、それでもただならぬ事態であることには変わりない。

 

「バージルさん! あれって……って、どこ行くんですか!? ここは二階――」

 

 驚いたアティがバージルに確認しようと振り向いた時、彼はもう一つの窓に足を掛けていたところだった。確かに一旦部屋を出てから外に行くより早いかもしれないが、窓はそのように使うためにあるのではない。

 

「酒は俺の分も残しておけ」

 

 もっとも、そんなことなどバージルが気にするはずもなく、あっさりと窓から飛び降りてしまった。着地する瞬間には姿を消していたから彼お得意のエアトリックで悪魔のもとへ行ったのだろう。

 

「もうっ……私はバージルさんと飲みたいんです!」

 

 ここにいない男に文句を言いながらアティは部屋から出て行った。もちろん目指すはバージルのところである。彼女はそのためについてきたのだから、彼が何と言おうと一緒に行くつもりなのである。

 

 

 

 

 

(こんなものか……)

 

 バージルは複数の幻影剣を、自分を中心として円陣に配置、回転させながら閻魔刀を振るっていた。一時は正門から大通りを全体の三割ほどまで侵攻した悪魔だったが、バージルが現れてからは一歩も進めないどころか、逆に彼が正門まで進むのを許す始末である。

 

 ちなみにまだバージルが戦い始めてから三分も経っていない。これを悪魔が弱すぎるせいと見るか、バージルが強すぎるせいと見るかは人それぞれだろう。

 

 とはいえバージルによって殲滅させられたのは、ファナンに侵攻した悪魔の多数が進んだ大通りとバージルが来た下町があるファナンの東側にいる悪魔だけであり、西側に向かった悪魔はまだ生きている。しかし、それもたいして強くない存在のため、いずれは街を警備する者の手で排除されるだろう。

 

(後は街の外だけか)

 

 正門の周りにいた悪魔を閻魔刀と幻影剣で片付けながら、バージルは一人呟いた。そこへ息を切らせたアティが走ってきた。いつの間にか碧の賢帝(シャルトス)を抜いているところを見ると、おそらくどこかで悪魔と戦闘になったのだろう。

 

「戦いに行くのに文句は言いませんから、せめて出て行くときはドアを使ってください!」

 

「……そんなことよりいいのか? 悪魔はまだ街の中にいるんだがな」

 

 バージルがわざわざそう伝えたのは、アティに街の外の戦いへ参加させないためであった。それは別に彼女のことが心配というわけではなく、あくまでも戦いの邪魔させないためだ。

 

 街の外には黒の旅団がいるはずであり、悪魔が現れたことによって彼らもまた戦っていることだろう。ところがバージルは、外にいる者のことなど全く考慮するつもりはなく、かつてサプレスの軍勢を殲滅した時のように力を振るうつもりだったのだ。

 

 つまりはバージルの攻撃に巻き込まれる者が発生するということだ。これをアティが知ればうるさく文句を言ってくるのは目に見えているため、わざわざ街に潜り込んだ悪魔のことを伝えたのだ。

 

「そんな落ち着ている場合じゃないです! どこにいるんですか!?」

 

「向こうのあたり、ちょうどあれの近くだ」

 

 バージルは悪魔のいる西の方向、ファナンの中でも一際大きな建物のあるあたりを指し示した。

 

「あれは……金の派閥の本部ですね。わかりました!」

 

 どうやらバージルが目印としたものは金の派閥の本部だったようだ。金の派閥は金銭的な利益を追求する召喚師の集団であり、召喚術に対する考え方の違いからか蒼の派閥とは相容れない関係にあるようだ。

 

(確か、エクスが受け取った親書の送り主が金の派閥の議長だったか)

 

 ふと、ファナンに来る前に会ったエクスの言葉を思い出した。バージルがファナンを訪れるきっかけの一つのなったのが、金の派閥の議長ファミィ・マーンが送った親書なのだ。

 

 どんな人物か少し興味が沸いたものの、今は街の外の悪魔と戦うのが優先だと考えたバージルは足に力を込めて高く跳躍した。そして、そのまま正門を飛び越え一気にファナンの外に広がる大草原へ降り立った。

 

 バージルが着地した瞬間、現れた悪魔の七割ほどがバージルの方を見た。どれも魔界の悪魔だ。おそらくスパーダの血族の力でも感じ取ったのだろう。

 

(奴らの生き残りはなし……いや、僅かに残っているか)

 

 どうやら黒の旅団の者はほぼ全てが悪魔に殺されたようだ。一応、バージルとは随分離れたところにルヴァイドら三人となぜか、マグナやトリス、そして彼らの仲間がいるようだった。

 

 遠くにいるマグナ達までは巻き込むような攻撃はするつもりはないため、結果論ではあるがアティを参加させても問題なかっただろう。

 

「……まあいい」

 

 仮定のことなど考えても仕方がない。バージルは閻魔刀ゆっくりと抜いた。

 

 そして、逆袈裟に振るった。いつものようにコントロールされていない力は巨大な斬撃となって悪魔を消し飛ばした。

 

 だが、それだけでは終わらない。有り余った斬撃の力は容赦なく大草原の地形をも変えた。緩やかな丘陵が続いていた草原に深く長大な亀裂が刻まれたのだ。これがギルガメスを使っていればクレーターどころか、このあたり一帯が陥没していたかもしれないし、使いようによってはデグレアの大絶壁のようなものができていたかもしれない。

 

 しかしそれ以上に恐ろしいのが、バージルにとっては今の斬撃はスケアクロウなどの下級悪魔と戦う時と同程度の力しか使っていなかった。要は全力ではなく、小手調べの段階なのだ。

 

「いつかの愚か者共よりはマシか……」

 

 納刀しながらぼそりと呟く。今の斬撃でバージルという存在の危険性を悟ったのか、サプレスの者も含めすべての悪魔がバージルに向かってきた。それ自体は褒めるべきことだろう。

 

 かつてこれと同じような力を目にした悪魔の軍勢は恐怖に駆られ逃げ出したことを考えれば、立ち向かうだけ上出来だ。もっとも、その行動は彼らの残りわずかな寿命をさらに縮めることを意味しているのだが。

 

「さて、どこまで生き残れるか試してやろう」

 

 そう言い放った瞬間、バージルの姿は一瞬で消え去った。戦闘において頻繁に使う移動術のエアトリックだ。そして姿を現したのは敵の中心だった。

 

 間髪入れず閻魔刀を抜刀し、横一閃に斬撃を飛ばす。それだけで周囲の悪魔は両断された。彼らは自分が死んだことはおろか、何が起きたかすら理解できなかったに違いない。

 

 さらにバージルは返す刀で一回、二回とさらに斬撃を飛ばす。先ほどの斬撃も含め、バージルは込めた力と斬撃の効果範囲の関係を観察しながら斬撃を丁寧に放っていた。しかし、それ故にバージルにしては遅い攻撃だった。もっとも、バージルは次元斬など常軌を逸した速度での攻撃をしていたため、相対的に遅いというだけだったが。

 

 そうして数回、悪魔に攻撃を加えたバージルは、右手の閻魔刀をくるりと回し逆手に持ち替えた。そして、赤い夕焼けを反射し煌めいた刀身を鞘に納めた。生まれ持った力だけに頼らず、研鑽を積んできた者が至る堂に入った動きだ。この一連の動作だけでもバージルという男の卓越した技量が分かるだろう。

 

「…………」

 

 バージルは敵が死に絶えた草原の中を無言で佇む。息一つ、髪の一本すら乱れていない。同じ悪魔と戦っていたマグナ達が傷を負っていたり、息を切らしていたりするのとは対照的だ。

 

 表情からはそうは見えないが、バージルはそれなりに満足していた。全力とは程遠い力でしか戦っていないが、普段ほとんど行わないような力の使い方を試せたのだ。それだけでも意味はあった。

 

 街の中に残っていたはずの悪魔の力も感じない。

 

(アティがうまくやったか)

 

 今回の目的を全て果たし、もうここには用はなくなったバージルは踵を返す。

 

 もう間もなく日没だ。しかし、アティが買ってきた酒を飲む時間はまだ十分にありそうだった。

 

 

 

 

 

 バージルとアティが宿に戻ったのはほぼ同じ時間だった。彼女の方も金の派閥の議長の助けもあり、民間人の被害はなかったようだ。その関係でアティは議長のファミィから、改めてお礼をしたいから明日本部に来てほしい、と言われたらしい。

 

 ちなみに被害が少なかったのは金の派閥本部のあるあたりは下町地区とは対照的に、派閥に属する召喚師や富裕層の居宅があるエリアであるため、広さの割に住む人はそれほど多くはない。その上、召喚師は派閥に召集されているし、富裕層の一部にはファナンを離れている者もおり、いつもにもましてさらに人は少なかったのだ。そうした種々の要素が重なり奇跡的に人的被害はなかったのである。

 

「お疲れさまです。そっちも大変だったでしょう?」

 

 自分のベッドに腰かけバージルと向かい合う格好となったアティは彼のグラスに酒を注いだ。被害はなかったからか、彼女は少し嬉しそうだった。

 

「雑魚の集まりだ。あれがいくらいたとしても意味はない」

 

「そんなこと言えるのはバージルさんだけですよ」

 

 今度は自分のグラスに注ごうとしたアティだったが、バージルによって酒瓶を取り上げられた。

 

「え?」

 

 一瞬、驚いたがどうやらバージルが注いでくれるようでアティは予想外のことに目を瞬かせながらも「あ、ありがとうございます」と礼を言った。これまでのバージルはそんなことした例などなかったため、少し戸惑ってしまったのだ。

 

 そもそも今のバージルは少しばかり機嫌がいいように感じられる。とはいえ、それは付き合いの長いアティだから分かったようなもので、傍から見ればいつもと変わりなく見えるだろう。

 

「それじゃあ、乾杯しましょう」

 

 今日の戦いを無事に終えたことを祝して、乾杯しグラスを軽く合わせた。そして中の酒を一口飲み込む。

 

 さらりとした飲み口に比較的酸味が強いすっきりとした味わいだった。ただ、若干のどが焼けるような感覚がある。少しアルコールが強いのだろう。とはいえさすがに火酒と呼ぶようなものではないので、あまり酒に強くないバージルでも問題はないだろう。

 

「うん、今回も当たりですね」

 

 アティの口にも合っていたようで、微笑みながらそう言って、グラスの中の酒を飲み干した。確かに飲みやすいとはいえ、バージルと比べてもあまり酒の強い方ではない彼女にしては、かなりのハイペースと言える。

 

「バージルさんにも、もう一杯注ぎます?」

 

 二つのベッドの間の小さなテーブルに置いた酒瓶を取って、自分のグラスに注いだアティはバージルにも尋ねた。いつの間にかバージルのベッド、つまりはバージルの隣に座っており、先ほどよりも距離が縮まっていた。

 

「いや、いい」

 

 酒にあまり強くないからこそバージルは自分のペースで飲むことを心掛けていた。アルコールが強い酒ともなればなおさらだ。さすがにこの歳にもなって、酔い潰れるのはあまりにも情けない。

 

 しかし、それ以上に気になるのはやはりアティのペースの速さだ。島での宴会の時は上手く調節しているように見えたのだが、今はそんな様子は全くない。

 

「そうだ! 全部終わったら、また三人で飲みましょうね」

 

 一応、まだ意識ははっきりしているようだが、どうにもバージルは悪い予感を拭えないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回の投稿は5月21日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。



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