Summon Devil   作:ばーれい

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第51話 終わりの始まり

 大平原における聖王国と悪魔の戦いは、徐々に聖王国の劣勢へと傾いていた。最初こそは互角以上に戦えていたものの、バージルが推測した通り、時間の経過とともに被害は甚大のものとなっていったのだ。

 

 開戦より一日と経過していないが、騎士団をはじめ聖王国側は戦闘開始以来、休みなく戦わざるを得ない状況にあるため、まさしく擦り切れるような持久戦の様相を呈していた。

 

 しかし人間とは対照的に悪魔は、戦いの疲れは全く見せない。むしろ戦いを求めているのか、その攻勢は激しくなるばかりだ。

 

 それを証明するように、当初は一対一であれば下級悪魔相手にはまず不覚をとることがなかった騎士も、疲労の影響もあってか今では二人がかりでなければまともに倒すことができなくなっていた。

 

「まずいな……」

 

 その様子を見ていたネスティが呟いた。マグナたちを見送ってから、彼らも多くの悪魔と戦った。聖王国が劣勢になっていくにつれ、悪魔が防衛線を突破することが多くなったため、彼らの出番も否応なく増えたのである。

 

 だが、それもいつまで持つか。ネスティが不安に思うのはその点だった。

 

 確かに今のところ、全ての悪魔を阻止できてはいるし、まだ余力もある。しかし、このペースで戦いを続ければ遠からず限界もくるだろう。

 

「大丈夫? 怪我でもしたの?」

 

 難しい顔をしているネス的のことを心配したのか、トリスが背後から声をかけてきた。

 

「いや、大丈夫だ」

 

 ネスティは彼女の方に振り返りながら否定した。もともとネスティは剣の腕の方はさっぱりであり、もっぱら召喚術による攻撃を担当する典型的な召喚師だった。そのため怪我することは、フォルテやシャムロックのように前に出て戦う者に比べて、非常に少ないのである。

 

「ねえ、ネス。あれ……何?」

 

 不意にトリスがネスティの後方、さきほどまで見ていた悪魔と騎士たちが戦う戦場の方を指さした。

 

 彼女が示した方向で見たものは、悪魔に襲い掛かる無数の剣影だった。その数は百や二百ではきかないほどだ。

 

「なっ……」

 

 驚き唖然としたネスティは呆然とその光景を眺める。

 

 彼には知る由もなかったが、この時使われたのは「至源の剣」と呼ばれる、かつてエルゴの王が使っていたとされる伝説の魔剣だった。それは数多の剣の源とされ、それらすべての力を発揮するといわれるこの剣は、聖王家の至宝でありエルゴの王の血を受け継ぐ者しか使うことはできない。

 

 それはすなわち、あの戦場にエルゴの王の血を受け継ぐ者、聖王スフォルト・エル・アフィニティスがいることを意味していた。

 

 今、リィンバウムで最も危険な場所に聖王国で最も重要な人物がいる。それは下手をすれば聖王国の存続にすら関わる事態にもなりかねない危険性を孕んでいるのだ。

 

 それでも聖王がこの場でその力を振るうことを決めたのは、この戦いで勝利を納めなければ聖王国、ひいてはそこに暮らす臣民たちの明日はないと判断したからに他ならない。

 

 何はともあれ、これで劣勢になっていた聖王国側が息を吹き返したことは間違いない。

 

 戦いの終わりはまだまだ見えそうになかった。

 

 

 

 

 

 東へ向かった悪魔と聖王国が激戦を繰り広げているのとは裏腹に、北進した悪魔は既にその姿を消していた。既にバージルによって殲滅させられたのだ。単純に考えて、これで悪魔は三分の一の戦力を喪失したことになる。

 

 その戦場となったローウェン砦の周辺は見る影もない。いくつものクレーターができており、さながら月面を思わせる様相を呈していた。

 

 しかし、もうここには誰もいない。悪魔はもちろんのこと、バージルも次なる戦いの場を求めて去っていたのだ。

 

 そして西へ向かった悪魔は今より少し前に帝国領へ侵攻し、国境警備部隊との戦いが始まっていた。

 

「一人で戦うな! 複数で当たれ!」

 

 その部隊を指揮していたのがアズリア・レヴィノスであったことは帝国にとって幸運だった。彼女とその副官を務めるギャレオは悪魔の軍勢の大半を占める魔界の悪魔と戦った経験があったのである。おかげで徐々に押されてはいるものの、帝国側の被害は僅少だった。

 

 とはいえ国境警備部隊は退役間近の兵士がほとんどである。やはり体力的にとうにピークを過ぎた老兵では長時間の戦闘に耐えられるものではない。

 

「隊長、やはり押されています……! このままでは突破されるのも時間の問題です!」

 

 前線から走ってきたギャレオが状況を伝える。予想していたこととはいえ、現状の厳しさにアズリアの顔が曇った。

 

「とはいえ、今の状況でこれ以上の行動は不可能だ……」

 

 今、悪魔を押さえているのだって、奇跡のようなものなのだ。もう少し敵の数が多かったら既にこの場は崩壊していただろう。

 

「なら、僕も手伝うよ」

 

 その言葉を発したのはアズリアの弟のイスラだった。島から戻ってきた彼は、帝国を中心に様々なところを旅して回っていたのだが、こうして稀に姉のもとにやってきているのだ。

 

 今回はたまたまイスラの来訪と悪魔の侵攻が重なったのである。

 

「し、しかしだな……」

 

 確かにイスラには強力無比な魔剣紅の暴君(キルスレス)がある。アティの持つ碧の賢帝(シャルトス)と同じ性能を持つその魔剣を使えば、この状況を好転させることができるかもしれない。

 

 だが同時に、もう軍人でもない弟にそこまでのことをさせてよいものか、という迷いがアズリアにはあった。

 

「しかし、じゃないでしょ。今はあいつらを何とかするのが先決でしょ。……全く、姉さんはいつまで経っても頭が固いんだから」

 

 呆れるように言ったイスラは紅の暴君(キルスレス)を抜剣する。

 

 紅い光と魔力が放たれイスラを包み込んだ。

 

 それが収まり、姿を変じたイスラは迷うことなく悪魔の大群の中に飛び込んでいく。

 

 剣に紅い魔力を纏わせ、すれ違いざまに斬撃を叩きこむ。所詮は下級悪魔に過ぎない存在であるため、それに耐えられるはずもなく悪魔は次々と数を減らしていくが、いかんせん数が多すぎた。

 

「ちぇっ、めんどくさいなあ」

 

 いくら倒しても全く数を減らす様子を見せない悪魔にイスラは溜息を吐いた。まだまだ戦うことはできるが、こうも焼け石に水だと精神衛生上よくない。

 

 ただ、現実的に長期戦は起こりえないだろうとイスラは思っていた。彼が介入することで確かに悪魔の一部を引き付けることはできたが、戦局を逆転させるまでには至っていない。せいぜいこの場が崩壊するまでの時間を伸ばしただけだろう。

 

 それでもイスラが戦い続ければ、最終的には悪魔を殲滅することはできるかもしれない。しかし、それまで悪魔は帝国領内深くまで入り込むことになるのだ。そうなれば倒すのにも時間がかかるし、被害も大きくなるばかりだ。

 

「イスラ! 態勢を立て直す。奴らを引き付けてくれ!」

 

 言葉を伝えたのはギャレオでもこの指示を出したのはアズリアだろう。部隊全体に対する命令を出せるのは指揮官である彼女しかいないためだ。

 

「はいはい。……人使いが荒いなあ」

 

 文句を言いつつも、紅の暴君(キルスレス)を振るって纏わせた魔力を放ち、周囲の悪魔を吹き飛ばした。それを見たイスラは、さらにもう一回、二回と魔剣を振るった。

 

 その時、イスラは悪魔の軍勢の後方に大きな力が現れたのを感じた。

 

「何だ……?」

 

 新手の悪魔かと考えたイスラは、その方向に意識を集中する。

 

 瞬間、彼の目の前にバージルが現れた。

 

 

 

 旧王国方面に向かう悪魔を片づけたバージルは、続いて西に向かう悪魔と戦おうと考えたのだが、どうやら軍勢の一部をサイジェントの方に向けたようで二手に分かれたのだ。

 

 とりあえず近い方から向かうか、と決めたバージルはサイジェントに向かう悪魔の方へ出向き、これをあっさりと殲滅した。

 

 そうしてあらためて残った悪魔を追ってこの帝国国境までやってきたのである。その時に大きな魔力を感じたため、悪魔と帝国軍の最前線たるこの場まで来たのだ。

 

「イスラか……」

 

 大きな魔力の持ち主がイスラだったことは彼にとって残念な結果だった。同じような魔剣を使うアティとは既に戦った経験があり、今更戦う意味は見出せない。

 

 ちなみにバージルは、紅の暴君(キルスレス)を使ったイスラを見たことはあるが、それは今から二十年ほどの過去のことであるため、彼だと気付かなかったのだ。

 

 それでもさすがに、悪魔でないことは気付いていたが、別にバージルは悪魔としか戦わないという信念を持っているわけではないので、それなり力を持つ存在なら悪魔でなくともついでに戦うか、と考えていたのである。

 

「なに? あんたも来たわけ?」

 

 バージルの姿を認めたイスラは嫌そうな顔をした。

 

 一応彼にとってバージルは、体を蝕んでいた病魔の呪いを解除した恩人ではある。しかし、それはあくまで結果論に過ぎない。もしもあの時に紅の暴君(キルスレス)を適格者となっていなければイスラは殺されていたに違いないのだ。

 

 そうした経緯があり、イスラはバージルにあまり良い印象は抱いておらず、それが態度に出たようだ。

 

 とはいえ、戦況が芳しくない現状でバージルが現れたのはまさしく地獄に仏だ。それが分からぬほどイスラはもう子供ではない。魔剣の影響か、見た目こそかつてとそう変わりはなくとも、これまでの旅の中で彼もまた変わったのだろう。

 

「……まあいいや、僕は邪魔しないからさっさとやっちゃってよ」

 

 この男が悪魔と戦うためにこの場まで来たということはイスラにも分かっていた。ならば意地を張ってこのまま戦うよりも大人しくバージルにこの場を譲ったほうがいい、そう考えての言葉だった。

 

「言われなくともな」

 

 答えたバージルは姿を消した。そして次の瞬間には周囲にいた悪魔が攻撃を受けたのか消えていく。容赦の欠片もない攻撃だ。もしこの場が先ほどのように半ば乱戦状態だったのなら、この攻撃による被害が帝国の兵士にも及んでいただろう。

 

 偶然とはいえ、アズリアの後退命令と、この場で敵を引き付けたイスラの判断は、最善の結果を齎したのだ。

 

「さて、姉さんの手伝いにでも行こうかな」

 

 この場でバージルが戦う限り、新手の悪魔が後退したアズリアたちに向かうことはないだろう。押し寄せて来る悪魔はどういうわけかバージルを目指して殺到しているのだ。

 

 それらもバージルに任せるとして、残るはイスラが引き付けられなかった悪魔である。それらは今も後退中の帝国軍と交戦中だった。この悪魔さえ何とかできれば勝利を手にすることができる。

 

 イスラにとって今回の戦いは、苦労ばかりかけてしまった姉への恩返しだった。もちろん戦いへ赴くアズリアを助けたいという想いが第一であったが、勝利が見えた今となってはもう一つの想いが生まれたのだ。

 

 悪魔を撃退したという功績があれば、アズリアは栄達の機会が得られる。二十年近く聖王国国境の警備部隊の長として置かれた姉の、おそらく最初で最後の昇進の機会だ。イスラはこれを逃すつもりはなかった。

 

 かつては病魔の呪いをかけられた己の代わりに軍学校へ入り、島やアティをそのままにしておきたいがために自分やギャレオと口裏を合わせてまで偽証した結果、閑職に回された。いつも貧乏くじを引かされてばかりの姉にせめて軍人としての栄光くらいは掴んで欲しいのだ。

 

 

 

 

 

 それから僅かに時間が流れた。既にバージルの前に悪魔の姿は残っていない。彼に群がっていた者は、全て等しく死を迎えたのである。

 

「…………」

 

 あっけない、あまりにもあっけない相手にバージルは溜息を漏らすのを抑えられなかった。とはいえ、まだこの方面の悪魔を全て殲滅したわけでない。後退する帝国軍を執拗に狙っていた悪魔は残っているのだ。

 

 しかし、今の彼はその程度の相手と戦おうとは思わなかった。

 

「...Disappointing...」

 

 その言葉がバージルの心情を正確に表していた。霊界サプレスに異変を齎した悪魔と戦えると期待していたのだが、出てくる悪魔は有象無象の下級悪魔だけ。はっきり言って期待外れもいいところなのだ。

 

「っ……!」

 

 もう件の悪魔の出現を待つことはやめにして戻ろうかと思案していた時、随分と遠く、いかにバージルといえど下級悪魔はおろか、フロストクラスが姿を現しても気付けないほどの距離から魔力を感じ取った。

 

 魔力の大きさなど確認しなくとも、これだけで相当の力を持った悪魔が現れたということがわかる。少なくとも一年前に戦ったアバドン以上は確実だ。もしかしたら、かつてテメンニグルで戦ったベオウルフよりも上かもしれない。

 

 正確な強さはどうであれ、ようやく待ちに待った相手が現れたのだ。

 

 その場に向かうべく姿を消そうとした瞬間、バージルは気付いた。

 

 魔力の発生源はアティが向かった聖王都ゼラムの方角からだったのだ。

 

 

 

 

 

 それから時は少し遡り、バージルがまだサイジェントに向かう悪魔に目を付けた頃まで戻る。

 

 聖王都ゼラムは混乱の極みにあった。

 

 街を悪魔が襲ったのである。

 

 それも正門からではなく、王城の背後の滝の上流にある至源の泉から現れたのだ。数はそれほどでもない、大平原で聖王国の軍勢と戦っている悪魔に比べたら百分の一にも満たない数だ。

 

 それでも防備が手薄の上に、想定外の場所から攻められるという奇襲効果も相まって、ゼラムに残る者達は組織的に反撃することができないほどの混乱の只中にあったのだ。

 

 それはポムニットとミントも例外ではなかった。

 

「少し休みましょうか?」

 

 ポムニットが呼吸を乱したミントに声をかけた。

 

 二人は今、蒼の派閥の本部に向かっている。この混乱の中、ミントが現状の説明と、今後どうすべきか指示を受けるために、本部に行くというのでポムニットも同行しているのである。実際、彼女のこの判断は正しかったといえる。

 

 家を出てから大通りに出るまでにも悪魔に襲われたのだ。幸い、ポムニットでも対抗できる程度の悪魔で、数も一体だけだったため、容易く撃退できたのだが、こんな街中に平然と悪魔が現れたことに驚きと焦りを隠せないでいた。

 

「ううん、大丈夫……。それよりも早く行かないと……!」

 

「もう少しで導きの庭園ですから、そこまで行けば――」

 

 その時、二人の前に一体の悪魔が現れた。それもこれまでのように屋根から飛び降りてきたわけでも、歩いてきたわけでもない。地面が水面のように波打ったかと思うとそこから燃え盛る鎌を持った悪魔が現れたのだ。

 

 現れ方からしてこれまでとは違う相手だということを悟った。ポムニットの頬に嫌な汗が流れた。

 

 現れたアビスがのそのそと緩慢な動きで近づいてくる。

 

「……っ!」

 

 湧き上がる恐怖を押さえながらポムニットはアビスへ立ち向かう。籠手を着けた拳でアビスに殴りかかるが、アビスはそれを鎌で受け止めた。

 

「くぅ……!」

 

 鎌を押し合う格好になるが、人の姿のままでは十分に力を発揮できないためか徐々に押されていた。

 

(迷ってる場合じゃない……!)

 

 ポムニットが状況をひっくり返すために、力を使おうと決心した瞬間、ミントの声が響いた。

 

「オヤカタ、合わせて!」

 

 先ほどから召喚していた彼女の護衛獣の体当たりと、新たに召喚したメイトルパの妖精「ポックル」の放った木の実がアビスに当たった。さすがにダメージを与えられるようなものではなかったが、それでも体勢を崩すことと、注意を逸らすことはできたようだ。

 

「はああああっ!」

 

 この機会は逃してはならない。そう思ったポムニットは半魔の姿へと変化し、全力で隙を見せたアビスの胴体を殴りつける。そのまま悪魔は近くの建物の壁に叩き付けられ倒れ伏した。

 

「そ、それ……」

 

 アビスが倒れたことよりも、ポムニットの変わりように驚いたミントは呆然と言った。

 

「……ごめんね」

 

 彼女は震える声でそれだけ答えた。ミントからはポムニットの顔は見えない。それでも今の彼女がどんな顔をしているのか声色からでも十分想像できる。

 

「ち、ちがっ……」

 

 せめてそれだけでも否定しようとミントが口を開いた時、アビスが立ち上がった。自由にさせるわけにはいかないとポムニットが向かって行くが、その前に悪魔は現れた時のように地面に潜った。

 

「逃げてっ!」

 

 驚き周囲を見回したポムニットはミントの足元に波紋が浮かんでいたのを走りながら叫ぶ。それはアビスが現れる前兆だった。

 

 たとえミントが己の正体を知って、離れてしまうとしてもポムニットにとってはかけがえのない友人だ。損得で行動が変わるほど友情とは安いものではないのである。

 

 ミントを抱えて地面に転がったのと、波紋からアビスが飛び出してきたのはほぼ同時だった。しかし、僅かの差でアビスの鎌を避けたのを喜んでいる余裕などなかった。

 

 宙にとんだアビスは転がったままの二人に目掛けて鎌を投擲した。

 

「っ……」

 

 動くこともままならない二人にできることは反射的に目を瞑ることだけだった。

 

「大丈夫!?」

 

 しかし聞こえたのは、悪魔の鎌が自分の体を切り裂く音ではなく、ポムニットにとって尊敬できる人の声だった。

 

「せ、せんせい……」

 

「もう大丈夫だからね」

 

 既に碧の賢帝(シャルトス)を抜剣し、姿を変じていたアティがそう告げ、アビスに魔力を放った。もともと目の前のアビスは、ポムニットの一撃で少なからぬ痛手を負っていた身だ。その上で碧の賢帝(シャルトス)の魔力を受けたのだ。さすがに耐えられることはできなかったようだ。

 

「よかった……、怪我ないみたいだね。それなら正門から逃げて。あそこはメイメイさんが守っているから大丈夫だから」

 

 アティはここに来る前にメイメイと会っていた。聞けば彼女はもしもの時の予備戦力として待機していたのだが、こうしてゼラムに悪魔が現れるに至り、正門を確保しつつ悪魔を迎撃していたのだ。

 

 万が一、正門を悪魔に抑えられればゼラムを守るはずの城壁が、住民が逃げ出すのを阻む檻となってしまうのだ。

 

「先生はどうするんですか?」

 

「私なら大丈夫だから、ね?」

 

 アティはポムニットに言い聞かせように優しく諭した。

 

「わかりました……」

 

 納得したわけではない。それでも自分がいれば足手纏いになりかねない、ということは理解していた。今のポムニットは下級悪魔なら苦もなく相手にできても、戦闘経験の差が露骨に出てしまうのか、アビスクラスとなると途端に苦戦してしまうのだ。

 

「さあ、あなたも一緒に」

 

「は、はい……」

 

 ミントにも同じように言う。二人は揃って踵を返し正門の方へ向かって行く。アティが来た方向であるため、悪魔は多くないはずだ。

 

「……気を付けて」

 

 二人の背に言葉を投げかけたアティは振り返り、導きの庭園の方向へ走った。

 

 

 

 間もなく庭園に辿り着いた時、アティの瞳に映ったのは炎に包まれ崩れ落ちる王城の姿だった。

 

「城が……」

 

 アティは言葉を最後まで口にすることができなかった。いつの間にか庭園にある花や草木にも炎が広がっていた。そしてそれとほぼ同時に、背後には炎を纏った大きな生物がいて城を眺めていたのだ。

 

「っ……!」

 

 聞かなくともアティにはわかった。この圧倒的でどこか恐怖感を与えるような力を持った存在が、城を崩壊させた元凶であることを悟らせたのだ。

 

「ほう、人間にしてはやるな」

 

 炎を纏った巨大な悪魔ベリアルは、アティが纏う魔力を一瞥しながら言った。

 

 ベリアルがリィンバウムに現れる場所は本来なら他の悪魔と同じくトライドラとなるはずだった。しかし、直前にサプレスの力が満ちている場所を見つけそこに現れることにしたのである。それが至源の泉だったのだ。

 

 もともと至源の泉は、サプレスなどの異界の力で満ちている。ベリアルにとっては結界を突破する際に消耗した力を回復するには、うってつけの場所なのだ。

 

 ベリアルにはただそれだけのことだったのだが、その結果、ゼラムは奇襲を受けることになってしまったのは不運としか言いようがない。

 

「我はベリアル! 炎獄の覇者ベリアルである! さあ、貴様の力、見せてみよ!」

 

 律儀に名乗ったベリアルは言葉と共に手にした巨大な剣を振り下ろした。余計な装飾などなく、岩を剣の形に削り出したと言われれば信じてしまいそうな無骨な造りだった。

 

 それでも刀身の部分は高温を持つのか光を放っており、この剣が人の手で造り出せるものではないことを証明していた。

 

 叩き付けられ剣は容易に地面にひびを入れた。おまけにその部分には焼けたような跡が残っていた。剣が熱を持っているという見立ては当たっていたようだ。

 

「くぅ……」

 

 辛うじてその一撃を避けたアティはすぐ碧の賢帝(シャルトス)を構えた。

 

「なるほど……、ただの人間ではないようだな」

 

 ベリアルの剣を避けられたのは、模擬戦とはいえバージルの剣を受けた経験があったからだ。反応できないほどの速さで剣を繰る彼に比べたら、ベリアルの振り下ろしはまだ対応できるものなのだ。

 

(バージルさん、力を貸してください……)

 

 右手に碧の賢帝(シャルトス)を持ったまま、左手で胸のあたりにあるアミュレットを握る。すると不思議と勇気が湧いてきた。ベリアルに感じていた恐怖もなくなった。

 

 そして一気にベリアルとの距離を詰める。そして前足を斬りつけるが――。

 

「っ!?」

 

 肉体に当たる前に碧の賢帝(シャルトス)が弾かれた。ベリアルの体を包む炎に防がれたようだ。

 

(ただの炎じゃない……!?)

 

 アティの知る炎のように熱を発してはいるが、どうやらこの悪魔の纏う炎は質量まで持ち合わせているらしい。

 

 つまりベリアルにダメージを与えるにはまずこの炎を何とかしなければならないのだ。

 

「それなら……!」

 

 一旦距離をとった。物理的な攻撃では炎を突破できないと判断し、魔力で炎を吹き飛ばそうと考えたのだ。

 

 そしてアティは碧の賢帝(シャルトス)を掲げ、魔力を剣に蓄積させる。

 

「はあああっ!」

 

 そして声と共に魔剣を振り下ろし、貯めた魔力を解き放った。

 

「むっ……」

 

 それを見た時、ベリアルはサプレスにいた時にもしなかった反応を見せた。それでもこの悪魔にアティの放った魔力を回避するという選択肢はなかった。自分よりも矮小な存在、ましてや人間ごときの攻撃を避けたとあっては、炎獄の覇者の名が廃るというものだ。

 

 そしてベリアルはアティの放った魔力をまともに受けた。

 

 結果から言えばベリアル自身にダメージはない。しかしそれでも、その身を包んでいた炎は随分と弱くなっていた。おそらくアティは炎を弱めることだけを目的に魔力を放ったのだろう。

 

「小癪な……! 人間の分際で……」

 

 いくら己には傷一つなく、再び炎を身に纏うことも容易いとはいえ、身を包む炎を吹き飛ばされたことはベリアルのプライドを傷つけるには十分だった。

 

 大きく吼えるとともに再び炎を身に纏い、先ほどとは比べものにならない程、激しく連続で剣を振るう。

 

「くっ……」

 

 これにはアティも避けることに専念するしかなかった。

 

「Fire!」

 

 ベリアルが拳を地面に叩き付けた。すると一瞬の間をおいてアティの足元が赤く熱を帯びた。

 

「っ!」

 

 反射的に動いた瞬間、その場から彼女よりも高さのある火柱が立ち昇った。あのまま動かずにいたら今頃焼かれていただろう。

 

「Die!」

 

 だが、そんなことをしている暇はなかった。ベリアルが飛びかかりながら剣を叩きつけてきたのだ。

 

 しかし、それもアティは紙一重で避けてみせた。そしてすぐ近くには剣を振るい隙だらけのとなったベリアルがいる。ようやく巡ってきた数少ない攻撃のチャンスだ。

 

「これで――」

 

 攻撃に意識をとられていたアティは自身の足元が先ほどと同じように熱を帯びているのに気が付かなかった。

 

「――っ!」

 

 そして気付いた時には既に手遅れだった。

 

 地面が立ち昇った火柱がアティを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 バージルは魔人の姿となって魔力を感知した方へ移動していた。

 

 たかが移動のために魔人となったのは、先ほどからずっといやな予感がしていたからだった。ファナンでアティと別れた時にも感じていたものと同じものだった。

 

 今なら予感の示すところは察しがつくが、バージルはあえてそこまで考えないようにしていた。

 

 移動を開始してからおよそ一分、目的地たる聖王都ゼラムの中心に位置する導きの庭園に到着した。距離を考えれば信じられないほどの短時間だが、バージルにとっては永遠にも等しい時間だった。

 

 しかし、そこはかつて住民の憩いの場として親しまれた面影はなかった。草木は燃え尽き、地面は焼け焦げ、さながら火事のあとの様相だった。

 

「…………」

 

 バージルにはそれが何故だか、母の命を奪われたあの日の光景と重なって見えた。

 

 それを作り出したであろう悪魔が視界に映る。しかしバージルは、現れるのを心待ちにしていたはずの存在には目をくれず、そこから少し離れたところで倒れているアティを視線から外せなかった。

 

「アティ……」

 

 魔人化を解きアティの傍へ行く。そして膝をついて彼女の名を呼び、抱き起こした。

 

 全身は焼け焦げ、目を背けたくなるような有様だ。特に碧の賢帝(シャルトス)を持っていた右手は炭化し黒く変色していた。その魔剣も刀身のほとんどを失っている。

 

 もはや碧の賢帝(シャルトス)の加護もなく普通の人間と変わらないはずだが、それでも彼女は意識を保っていた。ほとんど奇跡と言っていい状態だ。

 

 そして彼女は力を振り絞ってバージルに言葉を伝えた。

 

「バージル、さん……ご、めん、なさい……」

 

 そして鎖が溶け落ちて首に掛けることはできなくなったアミュレットを左手に持ったアティは、バージルにそれを返そうとした。

 

 それが約束だったからだ。

 

「戦いは、まだ終わっていない」

 

 そう言ってバージルはアミュレットを持つ彼女の左手を握らせた。そしてその時、アティの瞳から一筋の涙が零れた。

 

 しかし、その意味を問うことはできなかった。

 

 もうアティの意識はここにはなかったのだ。

 

 そんな彼女の姿を目の当たりにしてもバージルの表情は変わらない。

 

 悪魔である彼には、誰かのために流せる涙など存在しないのである。

 

 それでも全身から溢れ出る禍々しいまでの魔力と、瞳に宿る感情は隠しようがなかった。否、隠すつもりなどなかった。

 

 バージルは、激怒していた。

 

その怒りがこの力を生み出しているのだ。

 

「人間風情がこの炎獄の覇者に勝てると思ったのか……実に愚かな」

 

 哄笑するベリアルに視線を移す。

 

「やはり人間には、その無様な姿こそ……」

 

「Don't speak――」

 

 ベリアルの不愉快な声を遮る。もはやバージルは、一切手加減も力の出し惜しみもするつもりなどなかった。己の全力でこの悪魔を葬り去ると決めたのだ。

 

 全身から凄まじい魔力が発せられる。先程から無意識に発していた魔力とは比べ物にならないほど凄まじく夥しい量だった。

 

 そのあまりにも強力すぎる魔力に、大地は鳴動し、空が割れた。

 

 バージルは体に眠る全ての力を解放した。

 

 それが引き金となり、彼の姿は変貌を遂げる。

 

 全身は黒い甲冑に覆われ、背には二対四枚の漆黒の羽。だが、その羽は鳥類のようなものでも、蝙蝠のようなものでもない。まるで魔力を顕現したかのようなエネルギーの塊が羽のような形を成して、背から出ているのだ。

 

 通常の魔人化と比べても大きな変わりようだが、それでも左手から伸びる閻魔刀の鞘だけは変わっていなかった。

 

 そして顔自体も魔人化と変わっていないが、頭部だけは大きな二本の角が生え、より悪魔特有の攻撃性が増したような印象を与える。

 

 その姿はバージルが力を解放し、そこまで至った証左である。

 

 これまでの魔人よりも、更に上の領域へ。

 

「――just die」

 

 真なる、魔人へと。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は明日8日午前0時に投稿します。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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