Summon Devil   作:ばーれい

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第4章 いつか夢見た日
第54話 穏やかな夜


 後に「エルバレスタ戦争」と呼ばれることになる、悪魔と人間の戦争は終わった。大規模な会戦は一度きり、それも一日で終結した戦いなのだが、それによって生じた被害は甚大なものだった。

 

 殊に聖王国は聖王都ゼラムの王城にまで被害が及び、悪魔と戦った騎士団や蒼の派閥や金の派閥にも大きな被害が出た。近年は小競り合い以外、まともな戦いを経験していない聖王国にとって、それは大きな打撃であった。

 

 また旧王国も軍事力の中心であった崖城都市デグレアを失うなど、小さくない痛手を被ることになった。

 

 ただしこれは、戦争の黒幕であった大悪魔ベリアルの仕業ではなく、別の思惑で暗躍していたサプレスの魔王メルギトスによって行われたことであったが、現在は三砦都市トライドラと合わせて、戦争によって滅亡した都市という扱いになっている。これは事実をもとにした措置ではなく、戦争の被害とした方が復旧などもスムーズに進むと判断されたからだ。

 

 戦争は終わっても、国家に休むことなど許されない。ある意味、これから始まる復旧・復興の方が、戦争よりも困難な仕事なのだ。

 

 そうして復旧・復興に聖王国が力を入れていく中、バージル、アティ、ポムニットの三人は島へ帰るため、カイル達の船に乗っていた。

 

「それにしても聖王国はともかく、帝国は落ち着いていましたね」

 

 島を目前にした、ポムニットがここに来るまでに立ち寄った帝国の都市を思い出しながら言った。戦争による最も大きな被害を受けた聖王国は、三人が出発した終戦からひと月近く経った時でも落ち着いてはいないが、さほど被害がなかった帝国は、既に平時とそう変わりない様子だった。

 

「バージルさんが悪魔を倒してくれたからですね」

 

「俺がいなくとも、あの女なら何とかしていただろう」

 

 笑顔で言うアティにバージルは冷静に返した。仮に自分があの場にいなくとも、アズリアなら悪魔を退けていただろう、悪魔の単体の強さと数を考慮したバージルはそう考えていたのだ。

 

「でも、バージルさんが戦ってくれなければ、もっと大きな被害が出ていましたよ」

 

 アティがバージルに寄り添いながら言った。エルバレスタ戦争でバージルがしたことは、敵の総戦力の約三分の二を殲滅、黒幕であるベリアルの打倒の二つだ。

 

 それは言葉にするのは簡単だが、聖王国の精鋭を集めた軍勢でも、悪魔の三分の一を相手にするのが限界であり、ベリアルに至っては魔剣を使ったアティですら勝てなかった相手なのだ。

 

 それらを鑑みると、この戦争におけるバージルの行ったことは、彼がいなければ戦争に勝つことなどできなかったと断言できるほど、途方もない重大なものだ。戦果だけ見れば、救国の英雄として祭り上げられてもおかしくはないほどだ。

 

 とはいえ、バージルが齎した被害も小さいものではない。特にゼラムは高級住宅街の壊滅と、規模はベリアル以上なのだ。ただ、いずれにせよバージルは戦後の後処理には微塵も興味はないため、アティが回復次第、すぐにゼラムを後にしたのだが。

 

 話しているといつの間にか船は錨を下ろしていたようで、停船していた。島に着いたようだ。

 

「さあ、着いたぜ!」

 

 そこへ立派な海賊の頭領となったカイルが声をかけてきた。彼とはもう二十年以上の付き合いになる。お互いよく知った間柄であるから、余計な言葉は必要なかった。

 

「それじゃあ、お先しますね」

 

 荷下ろしを指揮しているカイルとソノラに一言伝えて、三人は荷物を持って船を降りる。

 

「うん、後でね!」

 

「おう! 今夜の宴会でな!」

 

 カイル達が来た時は宴会をするというのが、島の恒例行事なのだ。カイル一家も頻繁に来るわけではなく、かといって数年に一回というわけはないため、丁度良い頻度で宴会は開かれていた。

 

「それにしても……やっぱりそうだよね、アニキ?」

 

「は? 何のことだ?」

 

 三人を見送った後、カイルにソノラが話しかけた。

 

「先生とバージルのことに決まってるでしょ、気付いてないの!?」

 

「だ、だから何だよ?」

 

 ソノラの剣幕に若干気圧されながらカイルは聞き返した。どうやらいつまで経っても、この二人の関係は変わっていないようだ。

 

「呆れた……、どう見たってあの二人、何かあったんだよ! いつもと違うじゃん!」

 

「そ、そうか? 俺にはいつもと同じように見えるんだが……、それに昨日バージルとサシで飲んだ時も変わった様子はなかったしよ……」

 

 カイルがバージルと二人で飲むことは珍しいことではない。今回のようにバージルが島へ帰る時などは、互いの情報交換も兼ねてよく飲んでいるのだ。しかしその時のバージルも特に変わったことなどなく、いつもと違うと言われてもカイルにはてんで見当がつかなかった。

 

「だっていつもより距離近いもん! 拳二つ分くらい!」

 

「そんなもん気付くかよ……」

 

 あまりに些細すぎる違いにカイルは思わず呟いた。

 

「何言ってるの!? あの先生がいつもより近いんだよ! 絶対何かあるって!」

 

「ま、まあそう言われればそうかもな。……で、俺にどうしろって言うんだよ?」

 

 こういう時のソノラは自分に何かやらせようとしている。それを経験から悟ったカイルは観念したように尋ねた。

 

「今日の宴会でさ、バージルから聞き出してみてよ。あたしは先生の方を当たってみるからさ」

 

「……期待すんなよ」

 

 カイルとしても、かつて共に暮らしていた仲間が、どういう関係になったのか興味はある。それにバージルもアティも今も懇意にしている者なのだ。二人が深い関係になったとしたら、是非祝福してたいという思いもある。

 

 しかし相手はあのバージルだ。本人が話そうとしなければ何をしても聞き出すのはできないだろう。

 

「わかってるって! それじゃ、よろしくね!」

 

 同意を取り付けたソノラが上機嫌で船の中に戻って行くのを見届けたカイルは、とんでもない宿題を預けられたものだ、とため息を吐きながら荷下ろしの指揮に戻っていった。

 

 

 

 

 

 アティは帰ってきたことを皆へ伝えに行くと言うので、バージルとポムニットは先に自宅へと戻っていた。

 

「やっぱり、何ヶ月も空けちゃうと埃も溜まっちゃっていますね。夜までにお掃除しないと……」

 

「任せる」

 

 バージルは家事などまともにやったことはない。全てポムニットとアティ任せなのだ。戦闘においては無双の如き力を見せつけるスパーダの血族も、家事においては全くの役立たずであった。

 

 バージルが玄関に腰掛ける背後でポムニットは早速掃除をし始めた。

 

 てきぱきと作業を進めるポムニットの気配を背後に捉えながら、バージルは腕を組みながら瞑想でもしているかのように目を瞑っていた。なにしろ彼女の手際の良さは折り紙付きだ。別なところで時間を潰さなくとも、少しの間待っていれば、一室の掃除くらいすぐ終わるだろう。

 

「あの……バージルさん」

 

「何だ?」

 

 それまで順調に進んでいた掃除の手を急に止めたポムニットの言葉に、バージルは短く尋ねた。

 

「私……邪魔、ですよね?」

 

「どういう意味だ?」

 

「だって先生と特別な関係になったんですよね? だから私は出て行ったほうがいいですよね」

 

 聞き返したバージルに、ポムニットは俯きながら力なく答えた。バージルとアティが一歩進んだ関係になったことは、面と向かって言われたわけではないが、すぐに分かった。

 

 なにしろアティが分かりやすかった。さすがにゼラムを出てからここに来るまでは、それなりに自重しているようだが、それでも目敏い者は気付くだろう。

 

「……確かにあいつは、俺にとって特別な存在だ」

 

 ポムニットの言葉を聞いたバージルは、目を開いて振り返る。そして辛そうな顔で箒を握りしめたポムニットに言った。

 

 その言葉を聞いて、さらに顔を曇らせるポムニットにバージルは言葉を続けた。

 

「……そして、アティとは違う形だが、お前も俺にとっては特別だ。……だからお前にはここに残ってほしい」

 

 バージルがアティに向けるのは、父スパーダが母エヴァに向けていたものと同じものだが、ポムニットに向けているのは、妹とも、娘とも、弟子とも表せない複雑な感情だった。それでも確かなのは、バージルにとってポムニットは特別だということだ。

 

 だから、ここに残って欲しいというのも当然のことだった。

 

 とはいえ、これまでのバージルならいくら相手がポムニットであろうと、ここまで自らの胸中を語ることはなかっただろう。それがここまで変わったのは、やはりアティとの関係が進んだからか。

 

「え? あ、あの……」

 

 バージルの言葉に目を見開いたポムニットは、思わず聞き返そうとしたが、バージルはさらに言葉を続けた。

 

「……とはいえ、最終的に決めるのはポムニット、お前だ。……お前は、どうする?」

 

「わ、私は……」

 

 バージルとアティが特別な関係になったと知った時に感じたのは、自分の場所がなくなってしまうかもしれないという恐怖だった。

 

 ポムニットはバージルのことを父や兄のように好いていたが、男としても好きだった。しかし同時に、バージルは自分を女として見ていないことにも気付いていた。

 

 だからポムニットは好意を伝えることはしなかったし、たとえ女と見てもらえなくとも、一緒にいられるだけでもよかった。

 

 しかし、バージルとアティは、互いの足りないところ補える完璧な関係だ、少なくともポムニットにはそう見えた。だからこそ、そこに自分が入る隙間はないと考えたのだ。

 

 そして、その想いはバージルの言葉を聞いた今でも消えずに残っている。

 

 果たして自分が二人と一緒にいる資格があるのだろうか。

 

「で、できません! 決められないです!」

 

 ポムニットは決断できなかった。色々な想いが心の中でぐちゃぐちゃに混ざり、うまく整理できなかった。

 

「私、どうすればいいんですか……?」

 

 あまりに自分が情けなくて、バージルに助けを求めるように、彼に抱き着いた。

 

「……一体どうしたの、こんなところで?」

 

 そこへアティの声が聞こえた。どうやら家に戻ってきたようだ。

 

 ポムニットはその声ではっとした。今の自分はバージルに抱き着いている状態だ。それをアティが見てどう思うか悟ったのだ。

 

「あ、あの、先生っ! これは……その、私が勝手にやったことで……」

 

「こいつがここを出て行くと言っていたのでな。話をしていた」

 

 ポムニットが言い切る前にバージルが口を開いた。もちろんこの状況をポムニットのようにかんてはいない様子で、いつものように先ほどと表情は変わっていない。

 

「え……ほ、本当なの……?」

 

 狼狽えながら尋ねるアティに、再びバージルが答える。

 

「自分がいると俺達の邪魔になるからだそうだ」

 

「わ、私、邪魔なんて思ってないよ!」

 

 バージルからその理由を聞いたアティが言う。彼女はこれまでポムニットと長い時間共に過ごしてきて、ポムニットのことを本当の家族のように思っていたのだ。

 

「でも……」

 

 それに対し、ポムニットが俯いたまま答えようとした時、アティはさらに言葉を続けた。

 

「むしろ……、私はずっと羨ましかったんだよ」

 

「え……?」

 

 思いがけない言葉にポムニットは涙に顔を上げた。それほどまでにアティの言葉は意外だったのだ。

 

 ポムニットはアティのことをずっと羨ましく思っていたのだ。容姿、性格とも申し分ないし、なによりバージルに特別扱いされているのが羨ましかった。自分もそうなりたいといつも思っていたのだ。

 

 それが逆に自分が羨ましいと思われていたなんて信じられなかった。

 

「だって、いつもバージルさんと一緒だったし、気に掛けてもらってたみたいだし……。最初にここに来た時なんか、本当に驚いたんだよ」

 

 アティは今も昔も口には出さなかったが、バージルがポムニットを連れてきたことに驚いていた。そしてそれと同時にまだ子供だったポムニットが、自分の知らないバージルのことを知っているのかもしれないと、無意識でも嫉妬していたのかもしれない。

 

「でも私は教師の仕事もあったから、ずっと一緒にいられなかったし……本当に羨ましかった」

 

「先生……」

 

 当然ではあるが、二人とも別な個人であるため、バージルがそれぞれに向けるものも違っていた。結局、隣の芝は青く見えるというわけではないが、アティとポムニットは互いに羨望を向けていたに過ぎなかったようだ。

 

「それでも私はあなたに出て行って欲しいなんて思ったことは、これまでも、これからも絶対にないよ。だってあなたは私の大好きな家族だから」

 

 アティはゆっくりとポムニットに近付いて、彼女を優しく抱きしめた。

 

「だから、ここから出て行くなんて言わないで……。一緒にこの家で暮らそう?」

 

「一緒に……この家で……」

 

 アティが言った言葉を繰り返す。そして抱きしめられたままの視界に、これまで三人で食事囲んだテーブルが映った。

 

 自分が作った料理を不愛想ながらもうまいと言ってくれたバージル。授業では分からなかったところを教えてくれたアティ。

 

 それを皮切りに、これまでこの家で過ごしてきたことが次々と思い出された。

 

 母を失ったポムニットに、再び幸せというものを教えてくれたのがこの家であり、バージルとアティだった。

 

 ここを出て行くということは、それら全てを捨てるもののように思えた。

 

「わ、私……、やっぱり出て行きたくなんか、ないです……! 一緒に、いたいです……!」

 

 アティの胸に縋りつくように顔を埋め、ポムニットはようやく本心を吐露した。それを聞いたアティは安心したように、優しげな表情を浮かべて頭を撫でた。

 

「ようやく言ったか……」

 

 ずっと沈黙を守っていたバージルが小さな声で呟いた。彼としてもこの結末には文句はないようで、その口元には僅かながらの笑みが見えた。

 

 

 

 

 

 その日の夜、島では慣例通り宴が開かれていた。最初に全体で乾杯をした後は、それぞれが料理に舌鼓を打ったり誰かと話したりしていた。

 

「で、バージルとはどこまでいったの?」

 

 その席でアティはアルディラやファリエル、ミスミ、ポムニット、それに今は教師の一人として島で暮らしているかつての生徒アリーゼの計六人と話していた時、酒を飲んで顔を赤くしたソノラから問い詰められていた。

 

「え、えっと……」

 

 そもそもバージルとの関係についてはポムニットにしか知られていないはずなのに、と疑問に思ったアティは困惑しながらも隣にいたポムニットが話したのではないかと、彼女に視線を向ける。

 

 しかしポムニットはふるふると顔を横に振り否定した。もっともポムニットは「言ってなくても気付くと思うけどなぁ」と心の中で漏らしていたが。

 

「ふっふっふ、気付かないと思った? 先生ってば、バージルのことになると分かりやすいだよ」

 

「え、ええ!? そんなに顔に出てました!?」

 

 ソノラの言葉にアティは思わず聞き返した。もし自分の思ってることが、バージルにも筒抜けだったらと思うと、顔が赤くなった。

 

「あっ、やっぱりそうだったんだ!」

 

 一応、ソノラの中ではアティとバージルのことは、まだ疑惑に近いものだったのだが、アティの反応で確定したものとなった。

 

「ひ、ひっかけましたね……」

 

「いやー、ごめんね! ……でも、良かったね、先生。ずっとバージルのこと好きだったんでしょ?」

 

 恨めしい視線を送ったアティにソノラは軽い調子で謝り、今度は笑顔で祝福した。

 

「も、もう卑怯ですよ。そんなこと言われたら怒れないじゃないですか……」

 

心からそんなことを言われてはアティも怒る気にはなれず、そう言うのが精々だった。

 

 そこへ二人の会話を聞いていたアルディラが口を開いた。

 

「あら? 怪しいと思ってたけど、やっぱりそうだったのね」

 

「ど、どうしてわかったんですか!? バージルさんと一緒にいたのなんて、ここに来るときくらいだったのに……」

 

 船でそれなりの時間を共にしたソノラであれば気付かれるのもやむなしと思うが、他の者にバージルといたのを見られたのは、アティの言葉通り、家を出てからここに来るまでの間だけだったはずだ。

 

(先生、いくらなんでもあれじゃ、バレると思います。っていうか隠す気あったんですか)

 

 ポムニットは再び胸中で呟いた。彼女がそう思うのも無理はない。なにしろアティは腕こそ組んでなかったが、いつもより距離は近いし、傍から見ても幸せそうなオーラ全開だったのだ。少なくとも自分は気付いたし、特にアルディラやミスミのような恋愛の経験がある者をごまかせるとは思えない。

 

「なにはともあれ、ようやくそなたらも身を固める気になったようじゃな。これでわらわ達も安心できるというもの、そう思うじゃろ?」

 

「ええ、そうね。これで、ようやく肩の荷が下りた気がするわ」

 

「全くです。気を揉んでいたこっちの身にもなって欲しいですよ」

 

「あはは……、ともかく、おめでとうございます」

 

 ミスミに問い掛けられ、アルディラとアリーゼは清々したと言わんばかりに口を開き、ファリエルは少しばかりアティに同情するような視線を向けながら苦笑していた。

 

「……あの、もしかしてみなさん、ずっと前から……?」

 

 それを聞いたアティは、まさかと思い尋ねる。ずっと前から自分の気持ちは彼女たちに筒抜けだったとしたら、さすがに恥ずかしすぎる。

 

「なんじゃ、気付いておらんかったのか? 案外鈍いようじゃな」

 

「い、いつからですか!?」

 

 最悪の状況にアティは慌てて尋ねると、アルディラが過去を思い出しながら答えた。

 

「最初は……そうね、あなたがこの子と暮らし始めた頃からかしら」

 

「うむ。と言っても、確信はなかったがのう」

 

 言いながらポムニットを示す。ポムニットと暮らし始めたとは言っても、それは事実上バージルと同居し始めた頃でもあった。つまりは今から十年以上も前から、彼女達はアティの気持ちに勘付いていたことになる。

 

「うぅ……」

 

「そ、そんなに落ち込まないでください。みんな先生をお祝いしたいだけなんですから」

 

「そ、そうですよ。それにずっと想ってた人と一緒になれるなんて、すっごく素敵なことですよ!」

 

 羞恥に顔を赤く染め、俯いたアティにファリエルとアリーゼが声をかけた。

 

 なにしろアティはファリエルにとってもアリーゼにとっても大恩人だ。彼女がいなければ今の島、今の自分はありえないと言っても過言ではない。

 

「ええ。少しからかい過ぎたかもしれないけど、祝福したい気持ちは本当よ」

 

「うむ。わらわもその想いは同じじゃ。……ただ、経験者として言っておくが……」

 

「は、はい……」

 

 アティは神妙な顔をしてミスミの言葉に聞き入る。ミスミは今でこそ死別したが、夫をもっていた身だ。参考にならないはずがない。

 

「あやつの手綱はしっかりと持たねばならんぞ。男というのは無茶をするものだからの」

 

「ええ、そうね。なんなら尻に敷いちゃってもいいのよ」

 

 ミスミに続き、アルディラも茶化すような言葉を言うが、彼女の恋人でありファリエルの兄でもあったハイネル・コープスは、ミスミの夫のリクトと同様にかつて島であった戦いで命を落としている。

 

「……はい」

 

 それを知っているアティは、二人の忠告に真面目な顔をして頷いた。いくらバージルが凄まじい強さを持っているとしても、彼が戦う時に心配しなかったわけではないのだ。

 

「よし、それじゃあ話もまとまったところで改めて乾杯しよ! 乾杯!」

 

「いいですね! やりましょう!」

 

 少ししんみりしてしまった空気を戻そうとソノラがした提案にアリーゼが賛成した。

 

 どうやら女性陣の話はまだまだ続きそうだった。

 

 

 

 

 

 一方、バージルもヤッファ、キュウマ、ヤードと酒を飲んでいたが、その雰囲気は女性陣とはまるで逆だった。

 

 そもそもバージルも他の三人も宴席でもほとんど騒がないタチだ。キュウマとヤードは酒量をわきまえているし、ヤッファは案外酒に強いのか、酔っているように見えても言動は普段と変わらない様子なのだ。

 

 加えてバージルもキュウマやヤードと同じく飲み過ぎないようにしているため、この四人が一緒に飲んでも普段の会話と特に変わらないのだ。

 

 そこへ酒瓶と自分のグラスを手にカイルがやって来た。その顔には赤みがさしていた。だいぶ他の所で飲んできたのだろう。

 

「よお! 相変わらず静かだな、ここは!」

 

 挨拶代わりに声を上げたカイルは、手に持った酒瓶で四人に酒を注いだ。そして自分のグラスに入っていた酒を大きく一口飲むと、おもむろに質問を投げかけた。

 

「ところでよ、バージル。お前、先生とあれか? あれなのか?」

 

 酒の勢いで言った感が強いし、そもそも「あれ」と抽象的な表現ではあったが、何にせよカイルはこれで妹分との約束は果たしたことになる。

 

「……ああ」

 

 バージルは一口酒を呷ると短く答えた。それよりよく「あれ」で通じたものだ。やはり二十年来の付き合いともなるとある程度以心伝心の部分もあるのかもしれない。

 

「ああ、そうだったのですね。おめでとうございます」

 

「ええ、本当に。お似合いだと思いますよ」

 

「にしても随分時間がかかったな。もう十年以上一緒に住んでんだろ? どういう心境の変化だ?」

 

 そしてそれは他の三人も同じだったようだ。キュウマとヤードは口々に祝福し、ヤッファも軽く笑いながら尋ねる。

 

「答えるようなことではない」

 

 バージルとしては、アティとの関係については話すことは構わないが、そこに至るまでの自身の心境については何も話さないというスタンスを貫くようだ。

 

「やれやれ……、このあたりは嫁をもらっても、ちっとも変わりやしねぇな」

 

 バージルの冷たい返答に、ヤッファは呆れたように苦笑して、一口に酒を飲み干した。

 

「まあいいではないですか。ミスミ様もお喜びになると思いますよ」

 

「ところでご結婚となると、改めて何かした方がよろしいのでしょうか?」

 

(結婚したわけではないのだが……)

 

 先ほどから嫁だ、結婚だ、と言っているが、バージルはあくまで、アティがいなくてはならない特別な存在で、彼女が自分に対して抱いているのと同じ気持ちを持っていることを確認しただけだ。別に求婚したわけではない。

 

 とはいえ、そうした自分とアティの関係を夫婦と表現されるのは嫌ではないため、バージルは否定することはなかった。

 

 それに実際のところ、二人の関係を最も正確に表現するのならばやはり夫婦という言葉が適切だろう。アティの様子を見れば頭に新婚の二文字をつけたほうがいいかもしれないが。

 

「なにもしなくていい」

 

 ただバージルは人間界にあるような結婚式や披露宴などをする必要性は感じなかった。アティがしたいなら話は別だが、両親もしなかったであろうことをわざわざしようとは思わなかったのだ。

 

「わかったわかった。だが、これくらいはいいだろう?」

 

 カイルはそう言って酒瓶をバージルに向けた。お祝いに注がせろということか。

 

「フン……」

 

 バージルは鼻を鳴らし、グラスに残っていた酒を飲み干し、カイルから注がれた酒も一息に飲み干した。清々しいほどの飲みっぷりだった。

 

「すると、あとは世継ぎですね」

 

「ま、確かにそうだな。……で、どうなんだその予定は?」

 

 ヤードとヤッファが聞く。

 

「……時期が来ればな」

 

 一息ついて答えた。魔帝が不穏な動きを見せている現状、バージルは子供を作るつもりはなかった。

 

 父の代から続く魔帝の因縁。それをバージルと弟に託し、姿を晦ましたスパーダがどんな考えでその選択をしたのかは定かではないが、バージルは魔帝や魔界に関する問題一切を己が手で終わらせると決めていた。宿命を次の世代にまで残すつもりは毛頭なかったのだ。

 

「子供というのは授かりものですからね」

 

「…………」

 

 キュウマの言葉を聞きながらバージルはずっと前、まだ人間界で父の足跡を追っていた時のことを思い出した。

 

 かつてスパーダが領主をしていたという都市で、バージルは一人の人間の女を抱いた。そうするまでの経緯も理由も、果ては女の顔さえも思い出すことさえできないが、その時に子供ができていれば、もう二十歳を超えているはずだ。

 

 もし本当に自分に子供がいるなら――。

 

(……いや、仮定の話など無意味だ)

 

 そこまで思考を進めたバージルだったが、すぐに思い直し自分の考えを打ち消した。

 

「やれやれ、これで持ってきた酒も終わりみたいだ。最後は景気よく飲もうぜ!」

 

 いつの間にか新しい酒瓶を引っ提げて戻ってきたカイルの言葉を受け取ったバージルは、グラスを一気に空けると、中身のなくなったグラスをカイルに突き出した。

 

「へへっ、そうこなくちゃな!」

 

 カイルは嬉しそうにニンマリと笑い、なみなみと酒を注いだ。

 

 それに続くように他の三人とカイルにも酒は行き渡ったようだ。そして合図はなくともこの場にいた五人は、まるで示し合わせたようにグラスを軽くぶつけ合った。

 

 

 

 

 

 宴が終わり、バージルとアティも酔いも醒ます意味も込めて、二人並んで海沿いをゆっくり歩いていた。

 

「それにしても、ああやってみんなで騒いでいると、帰ってきたって実感できますね」

 

「ああ、相変わらずよく騒ぐ奴らだ」

 

 それでもその中にバージルもいたのだと思うと、アティはくすりと笑って言った。

 

「そうですねぇ。でも、バージルさんも随分と馴染んでましたよ?」

 

 それを聞いたバージルは鼻を鳴らし、言葉を返した。

 

「何年いると思っているんだ。いい加減慣れるに決まっているだろう」

 

「ええ、そうですね」

 

 アティはバージルの顔を見ながらくすくすと笑って、嬉しそうに答えた。最初に会った時からバージルは随分と変わっている。それを実感できたのだ。

 

 そして彼女が視線を正面に向けた時、二人は懐かしい場所に来ていた。

 

「あ……、いつの間にこんなところまで来てたんですね」

 

 そこはバージルとアティが最初に出会った砂浜だった。

 

「ここは……お前と初めて会ったところか……」

 

「覚えていて、くれたんですか……」

 

 周囲を見回して言ったバージルに、アティは少し驚きながら彼の顔を見上げた。

 

「……だが、ここに来た時は、まさかお前とこうなるとは思わなかったがな」

 

 自分を見上げてくるアティにバージルは視線を向けた。アティにしか向けない、彼女専用の顔をしていた。

 

「私は、どうでしょう……。もしかしたら最初に会った時から好きだったのかも……しれないです」

 

 バージルの意識を独占するアティは言いながら、その胸にぽすんと収まった。幸せそうに目を閉じて甘えるように抱き着くアティに、バージルはまるでガラス細工を扱うように丁寧に、そして優しく抱きしめ返した。

 

 

 

 満月の光が降り注ぐ砂浜で、片膝を立てて座ったバージルに、アティが寄り添うようにしなだれかかった。

 

「本当に、いろいろありましたね……」

 

 穏やかに寄せては返す波を眺めながらアティは続けた。

 

「特にこの数年は随分強力な悪魔も現れるようになったようですし……」

 

「ここ三年足らずで二度……少なくはないな」

 

 悪魔が現れるようになって既に十年を超えている。しかしその中でこの世界の人間に手に負えないであろう悪魔は、サイジェントに現れたアバドンとゼラムに現れたベリアルの二回。一概に強力な悪魔が現れるようになったとは断言できないが、そのどちらも目にしたアティがそう思うのも仕方ないだろう。

 

「でも、バージルさんも強くなってますから大丈夫ですよね……?」

 

 アティは悪魔が苦手だった。少し前に瀕死の重傷を負わせられたというのもあるが、彼らにはどうしても嫌悪感を抱いてしまうのだ。さすがに戦闘に支障をきたすほどではないが、それでも戦わずに済むのならそうしたい。

 

 とはいえ、その嫌悪感はアティだけのものではない。大なり小なり人間なら誰しも持っているのだ。もしかしたらそれは、悪魔という存在への恐怖が生み出したものかもしれない。

 

「当然だ。……それにお前が無理に戦う必要はない、俺がやる」

 

 不安そうな視線を向けるアティに断言した。彼女の言葉の通りバージルの力は最初にリィンバウムに来た時よりもずっと強くなっている。既に伝説の魔剣士と呼ばれた父を超えていることもあり得る。

 

 だからバージルは、もうアティに勝ち目のない戦いをさせたくはなかった。いや、もう二度とさせるつもりはなかった。

 

「はい……ありがとうございます」

 

 口には出さずともバージルの考えはアティに通じていた。だから嬉しくてさらにバージルにすり寄った。

 

 そんなアティを見たバージルは視線を上に向ける。その先には満点の星空と月が浮かんでいるだけだったが、どうやらそこに過去を見ているようだ。

 

「……もう十年以上か」

 

「何がです?」

 

 アティは不意に呟いた言葉の意味を尋ねた。

 

「お前やポムニットと暮らし始めてから、十年以上経った。いつのまにか、な」

 

「……そうですねぇ。今でこそ当たり前に思ってますけど、バージルさんがポムニットちゃんを連れてきた時なんか本当に驚きました。それに、嫉妬もしちゃいましたし……」

 

 若干口を尖らせながら言ったアティは、その代償とばかりにバージルの腕を自分の肩にかけた。ちょうどバージルに肩を抱かれる格好である。彼女の望むところを悟ったバージルは腕に僅かばかりの力を込め、しっかりと肩を抱いた。

 

「たしか昼にそんなことを言っていたか……」

 

「ええ、そうです。……それに一緒に暮らすことになって、最初は少し気まずかったですけど、……やっぱり好きな人と暮らせるのは嬉しいなぁって……」

 

 その時のことを思い出したのかアティは肩にあるバージルの腕を、マフラーを巻くように自分の口元へ持ってきた。まるでバージルの腕を自分のもののように扱うアティだが、バージルは彼女がそうする理由に思い当たった。

 

「ああ、そういえばお前、最初に別れた時に……」

 

「あぅ……はっきりと言わないでください。は、恥ずかしいです……」

 

 バージルがアティにキスされたことを言う前にアティが割り込んだ。したことに後悔はないが、やはり面と向かって言われると恥ずかしいものがあるようで、彼女は口元にあったバージルの腕に顔を埋めた。

 

「ふむ……」

 

 バージルは一瞬、考え込むように押し黙ると、アティに占領されていた自分の左腕を使って、アティの顎を掴んだ。

 

「ふぇ……」

 

 急な行動に目を丸くするアティをよそに、そのまま彼女の顔を自分の方に向かせた。

 

「あ……」

 

 バージルが何をしようとしているのか悟ったアティは、瞳を潤ませながら目を閉じる。

 

「アティ……」

 

 彼女の名前を呼ぶ。呼ばれた当人の体が震え、赤い顔がさらに上気するのが見て取れた。二人の顔がさらに近づく。

 

 しかし、バージルはなかなかそれ以上距離を詰めようとしない。じっくりとアティの顔を見ていた。

 

「……っ」

 

 もしかしたら自分の期待したようなことではないのか、とアティが不安になりそうな時、バージルはようやく唇を重ねた。

 

「んっ……」

 

 重なった二人を月の淡い光が優しく照らす。そのまましばらくアティの唇を堪能したバージルは顔を離した。

 

「あっ……」

 

 名残惜しそうにアティは声を漏らす。その心情を現したように、二人の唇の間には激昂を反射し、銀に光る橋が架けられていた。

 

「…………」

 

 バージルはもう一度アティの顔を見る。上気した頬にだらしなく開いた口から伝う口付けの名残、とろんと潤んだ目にバージルしか移していない瞳。

 

 ひどく、煽情的だった。

 

「もういっかい、してください……」

 

 アティはバージルの首に腕を回して強請った。

 

 そしてバージルは満足気に口元を歪ませ、アティの望みを叶えるべく動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 




いろんな意味でこれ以上は書けません。

次回はもっとほのぼのした日常を書こうと思います。

ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。



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