Summon Devil   作:ばーれい

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第55話 忘れられた島のある一日 前編

 人間界のとある街。どんよりとした雲に覆われたその街に佇む「Devil May Cry」看板を掲げた建物の中では、一人のデビルハンターが来客と話をしていた。

 

「で、何の用だ、モリソン? 俺は一昨日にお前の仕事を終えて戻ってきたばかりなんだが」

 

 この事務所の主であるダンテが来客である情報屋のモリソンに尋ねた。

 

「俺がここに来たってことは、仕事があるってことだぜ、ダンテよ」

 

 ニヤリとモリソンは笑みを浮かべた。年齢でいえばダンテと親子でも通じるだろうこの男は、伝説のデビルハンターとの付き合いも長い情報屋である。整った身なりと口髭、そして律儀な態度から紳士のようにも見られるが、実際は様々なところのコネクションを持つ腕利きなのだ。

 

「仕事、ね」

 

 たいして興味がなさそう答えるダンテに、モリソンは先ほどからの笑みを絶やさずに言う。

 

「もちろんお前さん向きの仕事さ。……前の仕事と同じように、ある国で大量の悪魔が現れたって話だ。金払いもいい。受けるだろ?」

 

 モリソンはこの男が悪魔がらみの仕事には絶対にノーと言わないと知っている。だからこの仕事の話を聞いた後に、真っ先にダンテのところに持ってきたのだ。

 

「やれやれ……。最近は忙しいったらありゃしねぇ」

 

 ダンテは机の上に放り投げるように置いてあった二丁の拳銃を取りながら立ち上がった。後は立てかけられたリベリオンを手にすれば、それで仕事の準備は完了だ。

 

 口では文句を言いながらも依頼を受ける気になったダンテを見たモリソンは、同業者から聞いた話を思い出した。

 

「エンツォから聞いたぜ、先週も随分働いたらしいな」

 

 話に出たエンツォ・フェリーニョとモリソンは、ダンテに仕事を振ることができる情報屋として、ある種、特別視されている存在だ。だがエンツォは裏社会からの仕事を持ってくることが多いのに対して、モリソンはどちらかといえば表の人間からの仕事を持ってくることが多い。そうしたこともあって、同じ情報屋ではあるが二人は比較的友好的な関係を築いているのだ。

 

 そしてその二人から立て続けに持ち込まれた悪魔絡みの依頼を、ダンテはこの二週間の間、ずっとこなしてきたのである。

 

「……しかし、こうもお前さん向きの仕事が続くと、変に勘繰りたくなるな」

 

 ふう、と息を吐きながらモリソンは愚痴を言うように呟いた。

 

「別に……ただ当てられただけだろ」

 

 小さな声でダンテが呟いた。

 

 ここ最近の悪魔の大量出現、ダンテにはその原因が兄バージルであることは分かっていた。

 

 悪魔が出現するようになったのは、バージルの魔力を感じ取ったあの日以来だ。人間界とは違う世界にいるだろう兄の魔力が自分にも感じ取ることができたのだから、おそらく魔界にも届いていたことだろう。

 

 そしてその強大な力に当てられ、大した知性を持たない下級悪魔が所構わず暴れまわっているだけに過ぎないのだ。だから悪魔の出現は一時的なものに過ぎず、じきに収まるだろう。

 

「え? 何か言ったか?」

 

「何でもねぇよ。車くらい用意してあるんだろ? 送ってけ」

 

 聞き返したモリソンに言葉を言い放ちながらダンテは事務所の入り口に向かって歩く。前の依頼も車が用意してあったのだから、今回もそうなのだろうと考えたのだ。

 

「ああ、そのつもりだが……、しかしダンテ、少しくらい片付けたらどうだ?」

 

 出て行こうとするダンテの後を追いながらモリソンは言った。前の依頼を持ってきた時は小綺麗に掃除されていたのに、今は床に宅配ピザの箱が山積みになっており、机の上には酒の瓶や缶が散乱していた。少なくとも人を迎えるような部屋でないことは確かだ。

 

「うちには掃除担当がいるんでね」

 

「おいおい、まだあのお嬢さん来てるのかよ」

 

 モリソンの言う「あのお嬢さん」とは以前の仕事で知り合いになったパティ・ローエルという少女だ。今は母親と仲良く暮らしているのだが、時折ダンテの事務所に来て、おせっかいを焼いていくのだ。

 

 とはいえ、半ば入り浸っていた時に比べれば、格段に事務所を訪れる頻度は落ちたため、しばらくモリソンと顔を合わせてはいなかった。

 

「まあな」

 

「にしても、もう年頃だろ? 案外お前さんに気があるんじゃないか?」

 

 事務所の前に止めてあったモリソンの車に乗りながら短く答えるダンテに、モリソンは運転席に座り、エンジンをかけながら、からかうように口元歪めませながら言った。

 

「冗談言う暇あったらさっさと連れて行ってくれ」

 

「はいはい」

 

 ダンテが助手席のシートに体を預けた様子を見て、モリソンはそう答えて車を走らせる。向かう方向には分厚い雲の中から日が差しており、ダンテはそれを一瞥すると眠るようにゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 それから少し経った頃、フォルトゥナに事務所を構えるネロは、苛立っているのか、足を頻繁に組み替えながら電話を受けていた。

 

「悪いがこっちも忙しくてね。あんたの依頼は受けられないんだよ」

 

 そう言ってネロは返答を聞かずに電話を切った。相手は悪魔絡みの仕事を頼みたかったようだが、生憎今のネロに仕事を引き受けている余裕はなかった。

 

「ネロ、またお仕事の電話?」

 

「ああ、だけど断ったよ。今ここを離れるわけにはいかないしさ」

 

 恋人のキリエに声をかけられたネロは、彼女に向き直り素直に答えた。

 

 ここ最近の悪魔の頻繁な出現はフォルトゥナにとって看過できない影響を与えていた。元々フォルトゥナは悪魔が現れやすい土地であり、その上、数年前の事件で多くの騎士を失った痛手から完全に回復したとは言い難い。

 

 数の上でこそ事件前と同水準にまで回復したのだが、それはあくまで多くの新人が入団しただけに過ぎない。事件で失った騎士の多くは首謀者である教皇に荷担した者達だったが、皮肉にも彼らは精鋭揃いだったため、未だ彼らの喪失を補える人材は育っていないのが現状なのだ。

 

 そんなことを話していると、不意にネロの異形の右腕が疼いた。悪魔が現れた証拠だ。早速現れたらしい。

 

「さて、話してる間にまた現れたみたいだ。少し出かけてくる」

 

 弱体化した騎士団のこともあり、ネロはそこを離れたにもかかわらず、今もフォルトゥナに現れる悪魔と戦っていた。

 

 騎士団に在籍していた頃は厄介者として扱われていたネロだが、その力だけは認められていた。それは剣が特別なものとして扱われている魔剣教団の騎士団において、団長以外で唯一専用の剣を持つことを許されていたことからも明らかだ。

 

 そうしたこともあり、騎士団の精鋭を失ったフォルトゥナにとってネロは、悪魔から住民を守る上で重要な戦力だった。それを自覚しているからこそ、ネロは仕事の依頼を断ってフォルトゥナに居続けているのだ。

 

「気を付けてね、ネロ。お夕飯作って待ってるから……」

 

 出て行く自分を心配して言葉をかけてくる恋人のいじらしい姿に、ネロは少しだけからかってみたくなった。

 

「飯もいいが、それより帰ってきたらキスしてくれ、いいだろ?」

 

 肩に置いて言った言葉を聞いたキリエは、顔を赤くしてネロから視線を背けながら口を開いた。

 

「も、もうネロったら……」

 

「楽しみにしてるよ」

 

 キリエの反応を見て満足げに笑ったネロは、それだけ言い残すと事務所から出て行った。

 

 ただ、現れた悪魔はこれまでと同じくスケアクロウを始めとする下級悪魔だ。若い騎士でも対応できる相手だけに、ネロが悪魔を殲滅するまでに一分とかからなかった。

 

 それにネロも以前より腕を上げている。これまで仕事で多くの悪魔と戦ってきた経験が、ネロを一段上のデビルハンターとして昇華させたのだ。

 

「はぁ……いくら雑魚でもこう毎日立て続けに出て来られると疲れるな」

 

 現れた全ての悪魔を倒したネロは息を吐きながら、レッドクイーンを背に戻した。ここ二週間程はいつもこんな感じなのだ。これだけ続けば、いくら相手が有象無象で身体的な疲労はなくとも、精神的疲労はだいぶ溜まっていた。

 

 そんな愚痴をこぼしていると、後方から数人が走ってくる音が聞こえた。

 

「ようやくあいつらも来たか……、なら後は任せて帰るか」

 

 振り向きながら確認すると、走ってきたのは騎士の一隊だった。悪魔出現の報せを受けて来たのだろう。事件後に入団しただろう若い騎士だ。これまで何度か顔を合わせたことはあるが、名前まではネロは知らなかった。

 

「悪魔は始末した。後は任せる」

 

 ネロはそれだけを騎士に言い残し、その場を去ることにした。何を言われるかは分からないが、無駄な時間を費やしてしまうことは間違いない。ネロはさっさと自宅も兼ねた事務所に戻りたかったのだ。

 

「あ、おい……」

 

 騎士の一人が何か言おうとしているようだが、ネロはあえて聞こえないふりをして、キリエが待つ事務所へと足早に戻って行った。

 

 

 

 

 

 世界をリィンバウムに移しても、悪魔がこれまでにも増して出現するようになったのは同じだった。ただ幸いにして、バージルのいる名もなき島では、彼が戻ってから現在まで悪魔が現れたことはなかった。

 

 そもそもリィンバウムでは悪魔が出るようになったとは言っても、その頻度は人間界に比べずっと低めなのだ。そのため、頻度が上がったと言っても、平時の人間界より多少高め程度に過ぎなかった。

 

 それでもリィンバウムにおいて魔界の悪魔が脅威として扱われるのは、一度に多くの悪魔が現れるからだ。平均して人間界で一度に現れる悪魔の三、四倍の数が出現するため、その被害も大きくなってしまうのである。

 

 その反面、人に擬態するような悪魔はほとんど見られない。それがなぜかはわからないが、実際にリィンバウムに現れるのはセブン=ヘルズやスケアクロウなど、人と見ればすぐに襲いかかる悪魔ばかり現れているのだ。

 

 それは悪魔の手にかかる人が増える一方、現れた悪魔さえ倒してしまえば、それで被害は止められるのだ。人に擬態する悪魔は悟られぬように襲うため非常にタチが悪く、被害も長期化しやすい。考えようによっては、セブン=ヘルズのような悪魔よりずっと危険なのである。

 

 もっとも、そんな悪魔がバージルのいるこの島に現れても、一分と生存できずに殺されるのがオチだろうが。

 

「それじゃあバージルさん、今日はよろしくお願いしますね」

 

「ああ、分かっている」

 

 そのバージルは家でポムニットの作った朝食を食べながら、アティに言葉を返した。

 

「それにしても、ミスミ様がバージルさんに用事なんて、一体どんな事なんでしょうね?」

 

「うーん、私もキュウマさんから聞いただけだから……」

 

 ポムニットの疑問にアティは首を傾げた。バージルに頼みたいことがあるから明日来てくれ、とキュウマを通じてミスミから言われたのが昨日の夕方のことである。ただ、具体的なことはキュウマも聞かされておらず、時間も時間だったので本人から聞く時間はなかったのだ。

 

 アティはとりあえず話だけでもしてみようと、夕食の席でバージルに話してみたところ、彼はあっけなく了承した。そして夜が明けてあらためて確認し、今に至るというわけだ。

 

「大方、悪魔絡みだろう。それ以外で俺を呼ぶ理由はないはずだ」

 

 バージルの言葉を聞いてアティもポムニットもそれに違いない、と合点が言ったように頷いた。この島に悪魔が現れるようになって、もうかなり経つが、いまだバージル以上に悪魔の知識を持つ者はいない。それゆえ悪魔に関して疑問については、バージルが答えるのが通例になっていた。

 

 そうした疑問に答える他には、現れた悪魔を殲滅するくらいしかバージルの仕事はなく、それ以外はいつも瞑想しているか、本を読んでいるかのどちらかが島で暮らすようになったバージルの時間の過ごし方だった。実に羨ましい限りである。

 

 そうした意味では、バージルは島専属のデビルハンターと言っても過言ではないのかもしれない。あらゆる世界を含めて三本指に入る力を持つバージルがそんな役を引き受けているのだから、この島はリィンバウムで最も安全な場所に違いない。

 

「でも最近は現れてないんでしたよね?」

 

「うん。直近で私たちが帰ってくる四、五日前だって言ってたよ」

 

「それなら、どうして今になって呼ぶんでしょう?」

 

 ミスミが呼びつけた理由が全く思い浮かばないと、眉間にしわを寄せて考え込む。そんな二人を見たバージルは、一言口を開いた

 

「行けばわかる」

 

「……やっぱりそれが一番ですよね」

 

「それなら後で教えてくださいね」

 

 幸い、今日は学校が休みであるため、アティはバージルについていくことにしていた。ただどれほど時間がかかるか分からない上に、家事に休日はないため、ポムニットは家に残るしかなかったが。

 

 そして話も一旦落ち着いたようだったので、バージルは気になっていたことをアティに尋ねることにした。

 

「……で、今日のいつ行けばいい? 昨日の話では具体的な時間は言われなかったが」

 

「それは私も聞いていませんし、いつでもいいんじゃないでしょうか?」

 

 基本的にミスミは風雷の郷から動くことはなく、訪ねればまず在宅しているのが常なのだ。時間を指定しなかったのはそのあたりが関係しているのかもしれない。

 

「なら、この後すぐ行くか。お前もそれでいいな?」

 

「ええ、食べ終わったらすぐに準備しますね」

 

 アティも話の内容は気になるので、早く出かけることに異論はなく同意した。

 

「あ、そういえば今日のお夕飯なんですけど、何か食べたいものはあります?」

 

 そこへポムニットが尋ねた。二人が出かける前に聞いておこうと思ったのだ。料理を作ること自体は苦に感じないポムニットだが、それでも毎日メニューを考えるのは大変なことだった。

 

「うーん、食べたいものかぁ……」

 

 元よりアティは好き嫌いもないし、ポムニットが作る料理にも全く不満もなかったアティは、これといって思いつくものはなかった。それに対しバージルは、少し考え込むような仕草を見せてから呟いた。

 

「……天ぷら」

 

「天ぷら、ですか……」

 

 少し難しい顔をしながらおうむ返しに呟いた。ポムニットも天ぷらという料理を知らないわけではない。ゼラムではバージルと共に、ある屋台で天ぷらソバを食べたことはあるし、それがシルターンの料理だということも知っている。

 

「以前に作ったことがあったと思うが?」

 

 バージルの言うように作ってみたことがあるのだが、ゼラムや風雷の郷で食べたものに比べ、かなり味が落ちてしまうことが気になった。それは店を出すようなプロの作ったものと見様見真似で作ったものの差であるため、ある意味しょうがないのだが、それでも料理の腕にはそれなりの自信があったポムニットにはショックだったのだ。

 

「私が作ったものはあんまり美味しくありませんけど……本当にいいんですか?」

 

 それでもせっかくバージルが言ってくれた希望なのだから、できれば叶えたいともポムニットは思っていた。だから確認も兼ねてもう一度尋ねたのだ。

 

「お前が作ったのなら文句は言わん。作れ」

 

 ポムニットが作った天ぷらをバージルは食べたことはある。それは確かにこれまでゼラムなどで食べた天ぷらより、味は劣っているとは感じたが、別に不味いわけではない。絶対評価で見れば十分美味しい部類に入るのだ。

 

 そのためポムニットが自分の作った天ぷらを「美味しくない」と評価しているのは、首を傾げざるを得なかったが、バージルとしてはポムニットもので十分であるため、改めて彼女に作るように言った。

 

 ちなみにバージルも特別好き嫌いはないが、あえて言えば、先ほどの天ぷらに代表されるようなシルターンの料理を好んでいた。もちろん食事の時に使う箸も問題なく使いこなせていた。

 

「……わかりました。作ってみますね」

 

 決心したようにポムニットが言った。彼女にとってこれはリベンジの機会と捉えているのか、やけに気合が入っていた。

 

「ふふ、それじゃあ楽しみにしてるからね」

 

 そんなポムニットをアティは微笑ましく思い笑いかけた。

 

 もちろん彼女が作る夕食には期待しており、今から夕食が待ち遠しくなった。そしてそれは、アティだけでなくバージルも同じだった。

 

 

 

 

 

 朝食を食べ終わった二人は、風雷の郷へ向かった。ミスミはその最も大きな屋敷「鬼の御殿」に住んでいるのだ。

 

 たいした時間もかからず「鬼の御殿」着いた二人は、キュウマに案内されミスミの待つ一室へとやってきた。この部屋に限らずシルターンの流れを汲む部屋は、木材など自然の素材を最低限の加工だけ加えて使っている。そのためか、リィンバウムとは異なる独特の雰囲気を持っているのだ。バージルはこの雰囲気が嫌いではなかった。

 

「よう来てくれたのう。さ、まずは座ってくれ」

 

 部屋に入った二人をミスミが迎えた。バージルは正面に座り、アティがその隣に座る。そして案内したキュウマも。そのまま入り口の側で座っている。どうやら彼も同席するようだ。

 

「で、話とはなんだ?」

 

「うむ、それなんじゃが、実はお主に頼みたいことがあるのじゃ」

 

 早速、要件を聞いたバージルにミスミが答えた。その顔は先ほどバージル達を迎えた時のような穏やかなものではなく、至極真面目な顔だった。

 

「悪魔に関してだな?」

 

 確認するように尋ねたバージルに、ミスミは微笑を浮かべて頷いた。

 

「さすがに鋭いのう……、実はスバルの奴に稽古をつけて欲しいのじゃ」

 

「悪魔との戦い方を教えろ、というわけか」

 

 ミスミはまさしくその通りだ、と言わんばかりに大きく頷く。

 

 ただ単純に稽古をつけるだけなら何もバージルを呼ぶ必要などない。ミスミ自身かキュウマにでもやらせればそれで済む話だ。しかしあえてバージルが指名されたのは、対悪魔を想定した稽古をつけて欲しいということだろう。悪魔との戦闘経験はミスミやキュウマも持っているが、やはり人間界にいた頃から多くの悪魔と戦ってきたバージルには敵わないのだ。

 

「あっ、なるほど……」

 

 それを横で聞いていたアティも得心したように大きく頷いていた。どうやらアティはミスミが、なぜそんなことを言い出したか想像がついたようだ。

 

「うむ、お主は教えているだけあって気付いたようじゃな。実は今度、外の世界を見せるためにスバル達を旅に出そうという話になっていての。大抵のことは皆で教え込んだから心配してはおらんが、やはり悪魔は、な……」

 

 ミスミはそこで言葉を切った。しかしはっきりと言葉にしなくとも、彼女の言いたいことはバージルに伝わっていた。

 

「そういえば、向こうにいたときそんな話をしていたな……」

 

 バージルはアティの方に視線を向けた。彼女がゼラムに来たばかりの頃に、ポムニットとそんな話をしていた記憶があったのだ。とはいえ、バージルは聞かれたことを答えただけで、興味もなかったため、詳細は知らなかったが。

 

「え、ええ。最初は教師の誰かが一緒に行くことも考えたんですけど……」

 

 現在、島で教鞭を取っているのは、アティの他にもヤードとアリーゼがいる。どちらもリィンバウムの人間であるため、引率するのは問題なかった。

 

「それではこれまでの授業と同じじゃからな。それに、いずれは外の世界の人間とも付き合っていかねばならんだろうし、その時の中心の世代になるだろうスバル達には自分の目で見て、これからどう付き合っていくべきか、考えて欲しいのじゃ」

 

 アティの言葉に続き、ミスミが引率をつけない理由を語った。将来を見据えた判断であり、それ自体に反対するつもりはバージルにはなかった。

 

「俺に稽古をつけさせるのは、そのための護身用か」

 

 ミスミに向き直る。いくら将来の為に旅に出しても死んでしまっては元も子もない。特にいつ現れるか分からない悪魔は、今でもリィンバウム各地で被害を出している恐るべき存在だ。ミスミが稽古をつけて欲しいというのも当然だろう。

 

「うむ。それにお主なら時間も融通きくじゃろう? なんとか引き受けてはもらえんか?」

 

 暗に暇だろうと言われているような気がしてならないが、現にバージルは週休七日、毎日が日曜日状態であるため、ミスミの言葉を否定できなかった。

 

「引き受けるのは構わん。だが俺のやり方でやらせてもらう。口は挟むな」

 

 稽古と言ってもバージルのやり方なら、長くて一回に二、三時間程度で済む。そのため、自分のやり方に口出し無用であれば、引き受けてもいいと思ったのだ。

 

 これが一昔前なら頑として断るのだが、やはりバージルはリィンバウムでアティを筆頭に多くの人と関わりを持ったことで、精神的に成長したのだろう。ついでに力も非常識なほど成長しているが。

 

「おお! 引き受けてくれるか、かたじけない!」

 

「あの……あまり無茶させないでくださいね」

 

 ミスミはバージルが引き受けたことに喜んでいたが、アティはバージルのやり方に大いに不安を感じていた。昔ポムニットに力のコントロールを教えていた時も、ポムニットは傷だらけになって帰ってきたのだ。それを知っているからバージルがどんなことをするのか不安になったのだ。

 

「いや、むしろ鼻っ柱を折るぐらい厳しくやってもらって構わぬ。自分よりも強い相手がいることを、身をもって知らねばならぬ」

 

 自分の力を知ること、それは戦いにおいて何よりの基本である。そしてそのためには、自分より弱い相手だけでなく、強い相手とも戦わなければならない。ミスミはその役をバージルにやってもらおうという魂胆なのだろう。

 

「だそうだ。……まあ、死なない程度には手加減しよう」

 

「まぁ、ミスミ様がそう言うのなら……」

 

 再びアティを見て答えた。彼女はスバルの親であるミスミも納得の上であることを知って、半ば諦めたように言う。そしてその心中ではスバルへの同情の念を禁じ得なかった。

 

 

 

 案外あっけなく話がまとまったため、バージルとアティは館を出て行こうとしたのだが、せっかく来たのだからゆっくりしていけと、ミスミに引き留められたため、もう少しここにいることにしたのだ。

 

「それにしても不思議なものじゃの」

 

 運ばれてきた茶を啜りながらミスミはバージルを見ながら言葉を続けた。

 

「まさかお主が所帯を持つとはな。一番そうしたことから縁遠そうだと思っていたのだがのう……。人とは変わるものじゃな」

 

「し、所帯……」

 

 あらためて自分達の関係を口に出されたアティは、隣に座るバージルの横顔を見て頬を赤く染めた。普段はバージルとの関係なんて特に意識したことはないが、こうして他人からもそう見られていると思うと、やはり気恥ずかしいようだ。

 

「そうか……」

 

 それに対してバージルは、ミスミの言葉には特に反論もせず、茶を啜った。自分が変わったということはバージル自身、今に至るまで何度も自覚しているのだ。反論などあるはずもない。

 

 顔色一つ変えないバージルを見たミスミは少し口を尖らせて言った。

 

「つまらん顔じゃな、おもしろうないのう……」

 

 バージルにどんな反応を期待していたかは分からないが、少なくともバージルには、ミスミが期待するような反応をしてやる気はさらさらなかった。

 

「生憎と、もとよりこんな顔だ」

 

 期待するだけ無駄だと言わんばかりにバージルは、口元だけ動かして言った。

 

「いつもそんな鉄面皮か……アティは随分と苦労していそうじゃのう」

 

 バージルに呆れながらも、ミスミはアティのことを考えながら言った。彼女の夫であるリクトはよく感情を表に出す男だったので、意思疎通に苦労することなどなかった。しかし夫の正反対のバージルが相手では、普段の生活から苦労しているのではないかと心配だったのだ。

 

「全然苦労なんてしていませんよ。それにバージルさんも、たまには笑ったりしますよ。昨日だって――」

 

 そこまで言いかけたところでアティは自分が何を言おうとしているのか気付き、咄嗟に口を噤んだ。

 

「ん、どうしたのじゃ? 言うてみい」

 

 アティの様子から何やら面白そうな雰囲気を感じ取ったミスミはアティに先を促した。

 

「い、言えません、そんなの言えるわけないじゃないですか!」

 

 ミスミの言葉を、顔を真っ赤にして拒否しながら、アティはその時のバージルの顔を思い出した。実に楽しそうな、それでいて悪そうな笑顔を浮かべていたのだ。

 

「まあまあ、ミスミ様。無理強いはよくありませんよ」

 

 そこでキュウマが助け舟を出した。さすがにこれ以上は悪ふざけが過ぎると判断したのかもしれない。

 

「相変わらずの堅物じゃのう。そんなだから嫁ももらえんのじゃ」

 

「わ、私のことは関係ないでしょう!」

 

 キュウマは恋愛関係のこととなるとかなり弱いのか、ミスミにそう言われただけでかなり動揺していた。

 

「まったく、キュウマといい、ヤードといい、何故揃いも揃って独り身なのじゃ!」

 

 ミスミが言葉を続ける。この場にいないヤードにとっては完全にとばっちりだ。とはいえ、かつて島で共に戦った仲間の中で、独り身でないのはバージルとアティだけなのだ。ミスミがそう言いたくなるのも仕方ない部分もあるだろう。

 

「……悪いが、そろそろ帰らせてもらおう。稽古の件はそちらの都合がついたら報せろ」

 

 バージルはもう付き合ってられんと言わんばかりに、かぶりを振って立ち上がった。そしてミスミにそれだけを告げるとアティに目配せをする。

 

「お茶、ごちそうさまでした」

 

 アティもぺこりとお辞儀をして立ち上がり、連れ立って部屋を出て行った。

 

 言葉なしにやりとりした二人の様子を見たミスミは、思った以上に上手くいっているような二人に安堵するとともに、少しはバージルを見習えとキュウマに言ってやろうかと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




長くなりそうだったので分割しました。

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