ジルコーダの一件以来、島の住人と交流をする機会が大幅に増えていた。それはバージルも例外ではなく、たまに各集落に出向いては戦闘術や独自の技術について見聞きしている。
ただ、そういったものが文書等の記録として残っているのはラトリクスか風雷の郷だけであり、もっぱらその二つの集落からデータや書物を借りるのが主で直接誰かから聞くのは多いことではなかった。
だが、現在はそういったものを見ているわけでも、話を聞いているわけでもはなかった。難破したジャキーニ達の船から読めそうな本を回収していたのだ。
以前ユクレス村に幻獣界の呪術等の話を聞きにいったとき、偶然オウキーニと会ったため戦闘に使える本を持っているかと聞くと、「本なら少し船にあったがどういうのがあったかまでは覚えていない」という話をしていたので、直接調べに来たのだ。
ところが、一部の本は海水に濡れたせいで読めなくなっており、それ以外も以前に必要ないと判断したストラ関係の本が何冊かあったくらいで、めぼしい収穫はなかった。
(あれは……)
とりあえず船に戻ろうと森の中を走る道を歩いていると、道の脇に生えている木の根元でアティが寝ているのを見つけた。
だが、それだけでない。近くの木の陰に、バージルが知らない魔力の持ち主もいたのである。気配からこちらの様子を窺っているようだ。
「…………」
そこで隠れている所に幻影剣を放ってみることにした。当然、ただの木に防げるはずもなく幻影剣はその木を貫通した。そしてそこに潜んでいた存在は、他の草むらに隠れようとしたのか、慌てた様子で転げ出てきた。
しかしバージルは、その動きを読んでいたかのように、その存在の目の前に幻影剣を突き立てた。
「その服装、帝国軍か……」
そこにいたのは陣羽織のような帝国軍の軍服を着ている女だった。
「くそっ……」
その女は憎らしそうにバージルを睨みつけながら、立ち上がり剣を構えた。その動きはよく訓練されたものであり、少なくとも以前戦った帝国軍の者達と同類に見ることはできない。
そうは言いつつも、バージルは女とは対照的に、閻魔刀に手に掛けてもいないし、ギルガメスも装着していなかった。ただいつも通り立っているだけだ。
「ふ、二人とも何してるんですか!? やめてください!」
そんな二人の間に、目を覚ましたアティが止めに入ってきた。
「俺は戦うつもりなどない。こいつが向かってくるなら話は別だがな」
事実、バージルが最初から殺すつもりなら、女はもう既に死んでいるだろう。つまり彼女が生きていることが、彼の言葉を証明するなによりの証拠なのだ。
そして、相手もこの場で戦う気は薄いように見える。剣は構えているものの、一向に攻めかかろうとはしないのだ。
バージルの力を感じ取っているのかもしれないし、部下も呼べないこの状況で、戦う愚を犯したくないのかもしれない。
「アズリア、私達は引き下がります。だからここで戦うのはよしましょう!」
「……よかろう。だが、剣は必ず渡してもらうぞ!」
そう言ってアズリアと呼ばれた女は、森の中に消えていった。
「はぁ……、それにしても、どうしてあんなことになっていたんですか?」
何とか戦いをせずに場を収められたことに安堵の息を漏らしたアティが、バージルに状況の説明を求めた。
「お前が間抜けな顔で寝ているのを見かけた時、こちらを窺っている気配を感じたのでな。少し牽制しただけだ」
「ま、間抜けな顔でなんてしてませんっ! ……っていうより、人の寝顔なんて見ないでください!」
しかしアティはバージルの話した理由より、バージルが言った「間抜けな顔」という言葉の方が気になったようだ。やはりアティも年頃の女性らしく、そのあたりは気になるのだろう。
「そもそも、こんなところで寝なければ済む話だ」
「それは、そうですけど……、少し疲れていたから、ここで休んでいこうかなって思って……」
言いづらそうしながら口を開いたアティから、寝ていた理由を聞いたバージルは、鼻を鳴らして言葉を返した。
「それで敵の接近を許しては意味などあるまい。それとも何かもっともな理由でもあるのか?」
「うぅ……、ご、ごめんなさい……」
バージルの正論にアティは、しょんぼりとして謝るしかなかった。アティとしてはアズリアを敵と思っていなかったが、バージルにそんな理屈が通用するとも思っていなかった。
「……分かったのなら、今度は自分の部屋で寝ることだ」
だいぶ申し訳なさそうに謝るアティの姿に、バージルも気勢を削がれたのか、それだけ言ってこの話は終わりとなった。
そして二人が、あらためて船に戻るため道を歩いていると、カイルやアリーゼ達とばったり会った。
いつもと様子がおかしかったアティを探しに来たのだそうだ。
そしてアリーゼたちと合流し、船に戻った。しかし、そこで解散とはならず、皆は船長室に集まり話をすることにした。先程の件に付いて話し合うためである。
「そういえば、バージルさんはアズリアとは初めて会ったんですよね? 彼女が島にいる帝国軍の指揮官なんです」
「そうか、あの女が指揮官か……」
アティの説明を聞いたバージルが呟いた。他の者はすでに会っていたため知っていたのが、バージルは今回が初めての邂逅だったのだ。
「そのとおりです。……たぶん、彼女が指揮する帝国軍は、とても厄介な相手だと思います」
確信をもってそう言うのだから、アティにとってはいろいろと因縁のある相手なのだろう。
「しかし先生よ……、いくら相手が厄介だからと言って、引くわけにはいかねえぜ。俺達はヤードと約束してるんだ。必ず剣を誰の手も及ばない所へ捨てるってな」
「それにあの魔剣の力の強大さは、使っているあなたが一番よくご存じでしょう。あれを軍事利用されることだけは、何としてでも避けたいのです」
「先生の言ってることは分かるけど、剣を渡せない以上、帝国軍との戦いを避けられないわ」
三人は帝国軍との戦いもやむなし、という考えで一致しているようだ。そしてアズリアも任務である以上、実力行使を躊躇ったりはしないだろう。このままいけば、戦いは避けられなかった。
「ちょっと、これじゃ先生が悪いみたいじゃないのよ!?」
「そうですよ!」
しかし、残ったソノラとアリーゼは、賛否に剣の処遇しか考えていないカイル達を非難した。その剣幕にカイルやヤードはたじたじとなっているところに、ソノラが口を開いた。
「そもそもあの剣ってなんなのよ!? ヤードだって知ってること全部を話したわけじゃないんでしょ!」
「それは……」
図星を突かれたヤードが押し黙る。さらにソノラの怒りは、得体のしれない剣を持っているのに不安すら口にせず、ただ笑ってばかりのアティにも向けられた。
「それに先生だって、そんな剣が自分の中にあるっていうのに、平気な顔してさ……。そんなの、絶対……平気なはず、ないじゃない……」
「ソノラ……」
そもそもソノラがアティにも怒ったのは、彼女が笑ってごまかそうとしていたからだ。
結局そのままソノラは泣きだしてしまい、この件についてはまた明日に話をするということでお開きになった。
翌日、アティはバージルの部屋にいた。部屋の主と話をしに来たのである。
「それで、何の用だ?」
椅子に座って本を読みながらアティを迎えたバージルは、鋭い視線を向けながら尋ねた。
「昨日のことで話があるんです。……少し話を聞いてもらってもいいですか?」
「……いいだろう」
アティの様子から、おそらく自分の今後にも関わる話だと判断したバージルは、本をぱたんと閉じて机の上に置いた。そしてアティにベッドにでも座れと、視線で合図を送った。
「実はさっきはみんなと話して来たんです」
バージルのベッドに腰かけたアティは、先ほどまでカイル達と話してきたことを言っていく。
「カイルさんは、昨日のことで謝られましたけど、やっぱりヤードさんとの約束は、何があっても守るって言われました」
「……だろうな」
まだカイルと会ってばかりだが、割と単純明快な性格をしているため、バージルにもカイルがそう言うだろうことは、容易に想像できる。ただバージルは、そうしたカイルの性格を嫌いではなかった。
「次に話したヤードさんには、剣について知っていることを全部教えてもらいました」
「ほう? どんなことだ?」
剣についてはバージルも興味があり、詳しく話すようアティに求めた。
「この剣は、無色の派閥の始祖のゼノビスという人が作って以来、危険な品として封印されてきたものだったもので、それをヤードさんの師にあたる人が封印を破り、剣に込められた魔力と知識を引き出す研究を命じたそうなんです。……ただ、作成された目的も封印された経緯も不明みたいで……」
「……そうか」
バージルはその説明を聞いて、引っかかることを感じた。派閥の始祖が作ったということは、少なくとも今より百年以上は前のことだろう。そんな前に作られた剣が、せいぜい作られて数十年のこの島の遺跡に影響を与えることができるは思えない。
遺跡自体が剣のために作られた可能性はあるが、それなら剣について研究していたというヤードが知らされてないのは不自然だし、危険を冒してまで剣を派閥から盗んできたヤードが、嘘を言っているとも思えない。
だからこそバージルとしては、ヤードが知らされなかった
そしてアティは、少し間を置いてから、バージルの顔を見て言った。
「ソノラにも言ったんですけど……、私だって剣に不安がないわけじゃありませんし、アズリアとだって戦いたくはないです」
「…………」
「スカーレルには私が剣を持っているのが、一番安全だと言われましたけど、自分の都合を一番にしなさいとも言われました」
「ならば好きにすればいいだろう」
それぞれ考えがあるのは当然のことだ。だからアティも自分の思う通りにすればいい、何を難しく考えることがある、と言いたげ表情を浮かべながら言った。
「私だって剣を帝国軍に渡すわけには行かないってことくらい分かります。でも、やっぱり私は……、アズリアとは戦いたくないんです。争いたくないんです……! 私はどうしたらいいんですか……?」
目指したいことは分かってるのに、そのための方法が分からない。結局は剣を渡すか戦うしかないのだろうか。
「俺なら脅しでもかけて剣を諦めさせるが、お前はそんな答えを望んでいるわけはないだろう?」
戦わず帝国軍に剣を諦めさせるにはそれくらいしか思い浮かばなかった。そもそもバージルは、生まれ持った圧倒的な力で問題を解決するタイプだ。アティの悩みを解決できるような答えを持っているわけがない。
「剣を、諦めさせる……?」
バージルの言葉で、アティの脳裏にこれまでの前提を覆す一つの考えが浮かんだ。
これでアズリア達と共存の道を進めるかは分からない。もしかしたら逆効果かもしれない。それでも、少なくとも現状を変化させることは間違いなかった。
「あの……、バージルさん。お願いがあるんです」
「……何だ?」
アティは意を決して、自分の願いを話した。
「この剣を、壊してください」
全ての原因である碧の賢帝を壊してほしいというのがアティの願いだった。確かに帝国軍との争いも剣があるから起こっていることであるため、それがなくなれば争う理由がなくなると思ったのだろう。
だが、バージルはそううまくいくとは思えなかった。もっとも、自分に関係することではないので口出しをするつもりはないが。
それにしても、剣を破壊すると言うのはさしものバージルも予想外だった。折角手に入れた力をむざむざ捨てるなど彼からすればありえないからだ。
それ以前に結界を解除していない今、剣を破壊するのは都合が悪い。
「…………」
「あの、もしかして壊すことは難しいですか?」
無言で考え込んでいるバージルの姿を見て、アティは不安そうにそう聞いた。この剣を壊せるとすれば、自分より遥かに強いバージルしかいないと思っていたのだ。もしバージルでも無理なら、アティの考えは最初から挫折してしまうことになる。
「……破壊することはできるだろう」
少し考えるように間をおいたバージルだったが、はっきりとそう告げた。伝説の魔剣士の血を引くバージルの力をもってすれば、
「だが、それは結界を解いてからだ」
「結界……っていうとジャキーニさん達が言ってた、この島から出ようとすると嵐が起こるっていうことですか?」
「そうだ。おそらくその結界は、遺跡の機能の一つだろう」
バージルとしては推測だけで話を進めるのは好きではないのだが、この際仕方ないと割り切ることにした。
「それと剣はどういう関係なんですか……?」
「喚起の門を思い出せ」
言われて彼女は喚起の門でのアルディラとの会話を思い出す。あの時彼女は言っていたはずだこの剣には――。
「……この剣には遺跡を制御できる力がある。だからその力を使えば結界を消すことができる、ってことですか?」
「確証はないがな」
「……バージルさんの言ってることは分かります。……でも、もう時間がないんです」
アティは帝国軍との相対しなければならない時が近付いていると感じていた。おそらくアズリアが単独で動いていたのは、戦場となるこの島の地形を調査するためだろう。彼女はどのようなところかも分からぬ場所で戦うほど愚かではないからだ。
そのため、これまでは偶発的な戦闘だけであったが、彼女の調査が終われば、帝国軍は大規模な行動を起こすだろう。もう猶予はほとんどないのだ。
「……時間は俺が稼いでやろう」
仕方なくバージルは助け船を出すことにした。
「え……? ど、どうするんですか……?」
バージルが戦うことになれば、前の帝国軍との戦いのように、文字通りの血の雨を降らせるのではないか、そう考えたアティは不安そうに尋ねた、
「少し脅しをかけるだけだ、殺しはしない」
本来なら邪魔な者は容赦なく殺すべきなのだが、今最優先させるべきは彼女に結界を解かせることであるため、あえて、アティが納得できそうな案をバージルは提示したのだ。
「……本当、ですか?」
「ああ」
短い返事。だがアティは、バージルが本気で言っていると思えた。これまで彼は嘘を言っていたことはないし、寡黙な性格のバージルなら嘘をつくより沈黙を貫きとおすだろう。
「それなら――」
「先生っ、すぐに来て!」
アティが答えようとした瞬間、船の外からアティを呼ぶ声がした。外に出てみるとそこにいたのは帝国軍人のギャレオという男だった。彼はアズリアの名代として宣戦を布告した。同時に降伏を勧告し、その意思があるならば剣をもって本陣まで来いとのことだった。
しかし、その中でカイル達を弱者と呼んだため、もはや彼らも収まりがつかない様子だった。
「私にアズリアと話す時間をください」
正直、どうしたら彼女に納得してもらえるかは分からない。それでも諦めることはしたくなかった。その一心が彼女にそう言わせたのだ。
島の東部にある暁の丘。ここで帝国軍が布陣していた。そこにアティはカイル一家や護人達を伴ってやってきた。
これから彼女はアズリアと話をしつもりなのだが、その前に彼女は他の仲間とは少し離れたところで瞑想しているように目を瞑りながら立っているバージルに話しかけた。
「バージルさん、もし私が彼女を説得できなかったら……」
アティとしては、できれば話し合いだけで決着をつけるのが理想だが、それがうまくいかなくても戦って傷つけあうようなことはしたくない。そんなことになるくらいだったら、脅かしてでも戦いにならない方がいいと思ったのだ。
「分かっている」
もし、彼女の恐れる事態になったらバージルは先程話したことをやるだけだった。
その答えを聞いてアティは頷くと、アズリアとの話し合いに向かっていった。
それと入れ替わるように、今度はカイルが話しかけてきた。
「さっきから先生となんの話をしてたんだ? 何か頼まれていたみたいだがよ」
どうやら二人が話をしているのを見て気になったようだ。
「この戦いのことだ」
カイルの疑問にバージルは腕を組みながら答えた。嘘は言っていないが、やけに抽象的な答えにカイルは再び尋ねる。
「よくわからんが、要はお前がこの戦いに来たのは、その先生の頼みを叶えるためだってことか……?」
「ああ」
素っ気なく答えたバージルにカイルはなるほどと頷く。アティも関わっているのだから、それほどヤバいことではないだろうと思い、それ以上詳しく聞くようなことはしなかった。
「……しかし、あんたでも先生の話は聞くんだな」
あの傲岸不遜なバージルがアティの頼みを聞くという、事実にカイルは少し茶化すような口調で言った。しかしバージルはあくまで真面目に答えた。
「あいつは特別だ」
「特別、ね……」
バージルにとってアティは、この島を脱出するための鍵という唯一無二の価値を持つ存在だ。それゆえ彼女を「特別」と評したのだが、カイルにはバージルが真顔で答えたことも相まって、違う意味に捉えたようだった。
「ま、そう思うなら、せいぜい大切にしてやることだな」
「無用な心配だ」
噛み合っているようで、噛み合っていない会話を続けていると、アティとアズリアの話し合いも終わりに差し掛かっていた。
アティはこの島について説明し、武器を収めて話し合うことを提案したが、アズリアはむしろ、召喚術の実験場だったこの島のことを報告すれば魔剣の輸送失敗という今回の失敗を帳消しにできると考えただけだった。
そして結局、二人の話はアズリアの一言で終わりを告げた。
「総員、攻撃開始だ! 今より、この者達を帝国の敵とみなす!」
そう彼女が宣言した瞬間、バージルが動いた。大量の幻影剣を空から雨のように降らせ、正確に帝国軍の武器を弾き飛ばした。もちろん指揮官であるアズリアも例外ではなかった。
「なっ!?」
突然のことに驚きを隠せない彼女の前に、バージルが一瞬で現れ、閻魔刀を突きつける。武器が籠手であったためか、唯一幻影剣を受けなかったギャレオが彼女を助けようとしたが、彼が一歩目を踏み出そうとしたときに。足元に幻影剣が突き刺さった。
「Don't move」
余計なことはするな、そんな意思も込めて言った。
アズリアが開戦を宣言してから10秒と経っていない。それなのに帝国軍は既に追い詰められていた。
「今回は見逃してやろう、だが次はない」
貴様らなどいつでも殺せるといった様子でバージルは言い放った。
そしてすべきことは終わったと言わんばかりに戻って行く。アティも彼の後をついていこうとしたが、途中で振り返った。
そして宣言する。
「私、見つけてみせます。みんなが笑顔でいられる道を」
決して楽な道ではないだろう。しかし、アティはもう決めたのだ。その言葉を現実のものとするために進むことを。何があってもあきらめないことを。
その日の夜、バージルはある男がペンダントに向かって話しているのを眺めていた。
「……同じことです。いずれは、そうすることになるのなら最大限に利用すべきと考えただけのこと。僕の覚悟が本物だと証明してみせましょう。全ては、新たなる世界のために……」
男が話を終えた時、バージルは話しかけた。
「記憶喪失と聞いていたが、一体何を忘れたんだ?」
「っ!」
背後から声を掛けられた男、イスラは驚いて振り返った。
「ぼ、僕はたまに独り言を言う癖があるんですよ」
「貴様は通信機に向かって話すことを独り言というのか?」
バージルはついさっきまでイスラが身に着けていたペンダントをいつのまにか手にしていた。それはただのペンダントではなく偽装された通信機だった。
「……僕をどうするんだい?」
努めて冷静にイスラは聞いた。身に着けていた自分にすら気付かせずあっさりとペンダントを奪い取ることができる相手に、力で対抗することなど不可能だと悟ったのだ。
「増援を呼んだのか?」
「……呼んださ、それがどうしたって言うんだ?」
正直に答えた。嘘をついても彼には全て見抜かれてしまう。そう彼に思わせる何かがバージルにはあった。
「このままおとなしくしていろ」
さきほどの問いかけには答えず、ペンダントを握り潰しながら言って踵を返した。
「っ!」
背を見せたバージルにイスラは「剣」を使って斬りかかろうとした。普段の彼ならもっと慎重に行動するのだが、今回は違った。すぐに奴を殺さねば大変なことになると彼の全身が叫んでいたのだ。
「やめておけ」
振り向き、そう言ったバージルの目は恐ろしいほど冷たく、赤く輝いていた。その目に射抜かれイスラは金縛りにあったように硬直した。
「その程度の力で俺に挑むつもりか、人間」
もはや先程までの殺気は見る影もなく消え失せ、イスラの顔には恐怖が刻まれていた。もっともそれは自分より遥かに強大な力を持つ存在から殺気を受ければ当然かもしれない。
思えばバージルがこの世界の人間に殺気を向けるのは、この男が最初だった。これまでの人間はほとんど敵対の意思がない者ばかりであり、唯一の例外である帝国軍にしても、最初に森で斬殺した者達は敵とすら思っていなかったし、今日戦った者達に至っては最初から殺さないように手加減していたのだ。
そのため、イスラは初めてバージルから敵として認められた人間であるとも言える。もっともそれは決して幸運なことではない。むしろ彼にとっては人生最大の不運だとも言えるだろう。
そんな恐怖に呑まれた姿を見たバージルは、その様子を鼻で笑うとそのまま歩いていった。
硬直が解け、極度の緊張から解放されたためか地面に膝をつき肩で息をした。
「なんで……」
信じられないと言わんばかりの弱々しい声が漏れた。
彼はバージルと目があった瞬間何かを感じたのだ。
最初は何か分からなかった。
そして、汗が吹き出し、鼓動が速くなり、身動き一つできなくなると嫌でも思い知らされた。
それは恐怖だった。頭ではずっと死を望んできたというのに、実際に殺されると思うと恐怖で体が竦んだのだ。
あまりにも情けなく惨めだった。
「僕は……僕は一体どうすればいいんだよ……教えてよ、姉さん……」
絶望しきった声が虚しく砂浜に響く。だが彼の言葉に応える者は一人もいなかった。
今回は前回の後書きでも話をした、バージルが戦闘で相手を殺さない状況を作り出してみました。また、イスラとの会話も描くのに難儀しました。
いかがでしたでしょうか。
ご意見、ご感想お待ちしております。
ありがとうございました。