Summon Devil   作:ばーれい

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第78話 日の目に曝して

「あの野郎、言うだけ言って帰りやがった……」

 

 バージルが去った後のシトリス草原で、ネロは愚痴を吐いた。いろいろと聞きたいことがあったのだが、結局何も聞けずじまいだ。それどころか新しい力に、人間界へ帰還できる可能性と、こちらが混乱するようなことばかり残していったのだ。

 

「ネロ、あのさ……」

 

 そこへフェアがどこか遠慮がちに声をかけてきた。視線はやはり悪魔の腕(デビルブリンガー)に向いている。

 

 それに気付いたネロはばつの悪そうに頭を掻きながら言った。

 

「あー、この腕のことだろ? それも含めて説明するから、まずは戻ろうぜ。まだこんな時間だしよ」

 

 ネロが忘れじの面影亭を抜け出してからまだ一、二時間ほどしか経っていない。空から降り注ぐ月の光のおかげで、灯りのない草原でも視界は十分確保できるが、それでも話をするのに向いている環境ではない。

 

「あ、う、うん。そうだね……」

 

「店主よ、ならば話は夜が明けてからではどうだ?」

 

 そこでセイロンが提案した。ネロはともかく他の者は寝ているところを起こされてここにいるのだ。一息入れる時間も必要だろう。

 

「そうしてくれた方が僕達も助かるね」

 

「そうね、パパに内緒でこっそり抜け出して来たし」

 

 話を聞く限りリシェルとルシアンは、少なくとも起床の時間までは戻らないとマズそうであり、セイロンの提案に賛成するのは当然だろう。

 

「よし、なら集合は朝飯食べてからってことで」

 

 他の者も反対意見を表明する者はいなかったため、グラッドが確認するように言った。

 

「こっちも色々と聞いとかなきゃな……」

 

 そうして、とりあえずトレイユに戻ろうとみんなが歩き始める中、ネロは右腕を隠すようにコートの袖を下ろしながらぼそりと呟いた。

 

「え? 何か言った?」

 

「いや、何でもねぇよ。さっさと戻ろうぜ」

 

 呟きを僅かに聞き取ったらしいフェアが尋ねるが、ネロはしらをきって誤魔化した。さっきの呟きは考えていたことが口をついて出ただけなので、詳しく答えるつもりはなかったのだ。

 

「…………」

 

 フェアに帰るよう促して、ネロも一番後ろを歩いて行く。ただ、その視線は御使い達とミントに集中していた。ネロが話を聞きたいと思っている者達である。

 

 御使い達から聞きたいことは、バージルが言ったラウスブルグを使えば人間界に行けるか、という点だ。そしてそれが事実だった場合、なぜ黙っていたかも気になるところだ。

 

 結果的にとはいえ、自分もリィンバウムの人間でないことを隠していたのだから、御使い達のことを言えないのは理解しているが、それはわざわざ隠す必要があることなのかと思ったのだ。

 

 そしてミントからは、バージルという人物についてだ。そもそも「バージル」という名前自体ミントの口から出て初めて知ったのである。それにバージルの方もミントのことを知っていた様子だったため、少なくとも二人は顔見知りであることは間違いないだろう。

 

(バージル、か……)

 

 ただ黙々と歩きながら胸中で名前を呟く。これまでそんな名前の人物と会ったことも聞いたこともない。しかし、ネロはそのバージルに対しては奇妙な親近感を抱いていたのだ。

 

 バージルに刺された時にも感じた繋がりがそうさせていることには気付いていたが、その繋がりを適切に表現できる言葉を見つけることはできないでいたのだ。

 

「どうしたの、パパ? 刺されたとこ、痛いの?」

 

 思考に沈んでいたネロにミルリーフが駆け寄ってきて声をかけた。今でこそ血も流れていないし普通に歩いているが、ネロはさきほど体を貫かれたばかりなのだ。そんな彼が最後尾で浮かない顔をしていたから、ミルリーフは気になったのだろう。それに前を歩いた何人かもその言葉に反応して振り向いていた。

 

「心配すんな、もう平気だ」

 

 ネロはミルリーフだけでなく、こちらを見ている者達にも聞こえるように言った。もちろんそれは強がりではなく、本心からの言葉だ。

 

 確かに自分の身に起こったことに何も感じていないと言えば嘘になるが、それでもネロは右腕もそして背後に現れた「悪魔」も自分の一部であると認めていた。

 

 そんな心境でミルリーフの頭をいつものようにぽんぽんと右手で撫でた時、ネロはしまったと思った。右手は悪魔の腕(デビルブリンガー)と自称する異形なのだ。

 

 ネロ自身はもう何とも思っていないため、ミルリーフのことなど考えずに右手で撫でてしまったのだ。現にミルリーフの視線は先ほどからネロの右手に釘付けだった。

 

「あー、その……」

 

 さてどう謝ったものかとネロが思案する中、ミルリーフは口を開いた。

 

「ねぇパパ、それ、触ってもいい……?」

 

 どうやら先ほどから右手を見ていたのは、好奇心を刺激されたからのようだ。どうやらミルリーフは畏怖や恐怖より好奇心が勝る年頃のようだ

 

「…………」

 

 先ほど心配は何だったのかと脱力したネロは、無言で右手を差し出した。

 

「わ、硬い……」

 

 ミルリーフは撫でたり指先で突いたりしながら悪魔の腕(デビルブリンガー)の人間の皮膚とは異なる感触を味わっていた。

 

「足が止まってるぞ、まずは歩け」

 

「うん……」

 

 明らかな生返事ではあったが、それでもネロが歩くとそれに合わせてついてくるため、トレイユの町までの道がなだらかな勾配しかないことも手伝って、仕方なくそのままでいさせることにした。

 

 そんなミルリーフの反応を見てネロは、「子供は怖いな」と一人苦笑するのだった。

 

 

 

 

 

 忘れじの面影亭に戻ったミルリーフはさすがに眠くなったのか、フェアに連れられ部屋に戻って行った。そして御使い達も同様に戻って行ったが、その前になにやら深刻な様子で話をしていたので、これから三人だけで話し合いでもするだろう。

 

 もしかしたらセイロンが、全員で話をするのは夜が明けてからと提案したのは、その前に御使い達だけで話し合う時間が欲しかったからかもしれない。

 

「まずは話を聞いてからだな」

 

 一息つくために座った椅子の上で、足を組みながらぼそりと言った。御使い達だけでする話の内容は、なんとなく察しがつくが、深く考えるつもりはなかった。きっと彼ら三人なら話してくれる、何となくそう思っていたのだ。

 

「…………」

 

 手持ち無沙汰に足を組み直す。寝ることも考えたが、眠気などまったくないし、横になろうとも思えなかったのでとりあえず食堂で夜明けを待つつもりだったのだが、さすがに暇すぎて時間を持て余していた。

 

「…………」

 

 さらにまた足を組み直す。ある種の癖のようなものだ。

 

 そして今度は背もたれに寄りかかる。その時、ふと右手に意識が向いた。

 

「あの力……」

 

 自分の背に現れた悪魔。もう一人の自分。不思議なことにネロはそれを出現させる方法が手に取るように分かっていた。

 

 それを証明するかのように、ネロは立ち上がり意識を集中させると背後に先ほどの悪魔が現れた。思った以上に簡単にできたと、ネロは少しばかり口元を綻ばせた。

 

「ど、どうしたの!?」

 

 そうしていると食堂にミルリーフを寝かしつけたフェアがやってきた。そしてバージルと戦った時のようになっているネロを見て、戸惑いの声を上げた。

 

「ちょっと試してみたくてな……」

 

 力を自身の中に戻しながら言い訳めいた言葉を放ったネロだったが、確かにこんなところですることではないと反省もしているようだった。

 

「も、もう! びっくりさせないでよ!」

 

「悪いな。……で、お前は寝ないのか?」

 

 今のフェアは髪を下ろしている。これは寝る時にしかしない髪型なのだ。

 

「そうじゃなくて、灯りが点いてたから、まだ誰か起きてるのかなって……」

 

 どうやらフェアがここまで来たのは、ネロが灯りを点けっぱなしにしていたことが原因のようだ。消すのも面倒だったため、そのままにしていたのが悪かったようだ。

 

「悪かったな、気を付ける」

 

「ううん。いいの、気にしないで」

 

 自分の不作為が原因と気付いたネロは素直に謝ると、フェアは慌てて首を横に振った。彼女は別に咎めていたつもりはなかったようだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そして話はそこで途切れ、二人の間には沈黙が訪れていた。

 

 ネロは寝間着を着ているフェアを引き留めるのは悪いと思ったため、声をかけなかっただけだが、フェアは明らかに先ほどのことを引きずっている様子だった。

 

 刺し貫かれたにもかかわらず、得体のしれない存在を背に立ち上がったネロを間近で見たフェアが抱いたのは恐怖だった。自分のことを見ているわけではないのに赤い光を放つネロの目を見た瞬間、彼女は初めてネロのことを「怖い」と感じたのだ。

 

 それまでのネロに対するフェアの印象は、口は悪いが優しくいい人、というものであったが、その時に感じたのはそれとは真逆のものだったのだ。

 

 そしていまだにその時の恐怖が記憶に焼き付いており、ネロへの態度もその影響を受けてしまっているのだ。

 

「あー、俺はしばらく起きてるからお前は寝たらどうだ?」

 

 この沈黙に耐えきれなかったネロは、とりあえず当たり障りのない言葉をかけることにした。

 

「う、うん、そうする。おやすみ、ネロ」

 

 やはりどこかぎこちない様子で答えたフェアは、踵を返して自分の部屋に戻るべく、食堂を出て行こうとした。

 

「あのさ……」

 

「なんだ?」

 

 しかし、食堂の入り口で立ち止まったフェアから声をかけられたネロは、訝しむような顔をしながら聞いた。

 

「ネロは、ネロだよね……?」

 

 弱弱しい不安げな声で尋ねる。自分の知るネロ、先ほどの恐怖を感じたネロ、一体本当のネロとはどちらなのか、確かめたかったのかもしれない。

 

「俺は俺だ。これまでも、これからもな」

 

 この腕のせいで一時は自分が何者か迷ったこともある。しかしキリエのおかげで、今では誰の血を引いていても己を見失うことは、迷いを抱くことはないのだ。

 

「……うん、そうだよね、ありがとう」

 

 そしてもう一度「おやすみ」と言い残してフェアは部屋に戻って行った。その足取りは心なしか少し軽くなっているように見えた。

 

 

 

 

 

 夜が明け、朝食を食べ終えた仲間達は、忘れじの面影亭の食堂に集まっていた。

 

「さて、まずは俺からでいいよな」

 

 まずはさっさと自分から言ってしまおうと思ったネロが、冒頭から発言した。当然、それに異議を唱える者はいない。

 

「詳しくは知らねぇが、どうも俺は悪魔の血を引いてるみたいでな。昨夜俺の背に現れたのも、この腕も悪魔の力みたいなものだと思う」

 

 ネロ自身、背の悪魔にしろ、右腕が変質したことついても確たることはなにも分かっておらず、推測で話を進めるしかなかった。

 

 そして、当然それが気になる者もいた。

 

「詳しく知らない? 自分のことなのにか?」

 

「俺は生まれてすぐ孤児院に捨てられたらしいんだ。だから親については何も知らないし、周りも普通の人間しかいなかったから、あまりよく分かってないんだ」

 

 アロエリの疑問にネロは嫌な顔一つせず答えた。ただ、よく分かっていないのはあくまで悪魔の力の由来であり、力の使い方はよく知っていたが。

 

「その……すまない」

 

「気にすんなって」

 

 あまりにも込み入ったところにまで話が及んでしまったことにアロエリが頭を下げると、ネロは自分が全く気にしてないことをアピールするかのように軽く流し「……で、だ」と次の話に移ることにした。

 

「たぶん気付いている奴もいると思うが、俺はここの生まれじゃない。人間界――ここで名もなき世界って言うのか? まあ、とにかくそこのフォルトゥナってところの生まれでね」

 

 リィンバウムで「名もなき世界」と呼ばれている世界がネロの生まれ育った世界であるかは、いまだ疑問の余地があるため、ネロも断言するのを避けたようだ。

 

「それじゃあ、ネロさんも召喚獣ってこと?」

 

「ここじゃあそうなるな」

 

 それを聞いた皆は、やはり驚いたような顔をする者が多かった。ただ、その中でセイロンだけは頷くような素振りを見せた。彼はネロと初めて会った時に、何かに勘付いたようであったため、彼が普通の人間ではないと思っていたのかもしれない。

 

「その腕を隠してたのは召喚獣だってバレないようにするためってことか?」

 

 ルシアンの質問に答えたかと思うと、今度はグラッドが腕を隠していた理由を確認する。普通の人間と召喚獣では扱いが大きく異なることを彼は知っていたのだ。

 

「まあ、そんなもんだ。……一応言っとくと、俺のいたところでも自分以外にこんな腕見たことねぇからな」

 

 ネロは首肯すると同時に、釘を刺すように言った。そもそも人間界に住んでいるのはリィンバウムと同じ人間である。自分のような者ばかりいる世界と想像されるのも困るのだ。

 

「まあ、あなたみたいのがごまんといる世界なんて想像したくもありませんけど」

 

 リビエルが何気にキツイ言葉を吐いたが、ネロはそれには答えず話を進めることにした。

 

「……それで、十日くらい放浪してたらお前らに会ったってわけだ」

 

 フェア達を顎で示しながら言うと、グラッドは苦笑いをしながら口を開いた。

 

「それにしちゃ、随分馴染んでいたよな。全然気付かなかったぞ……」

 

 初めて会った時のネロは、旅人か冒険家と言われればそのまま信じてしまいそうなほどリィンバウムの空気に馴染んでいたのだ。その時のネロが召喚されてから十日ほどしか経っていないなど信じられなかった。

 

「言葉は通じるし、そんなに俺のいた世界と違いもなかったしな」

 

 人間界とリィンバウムでは技術という視点では大きな差があるものの、基本的な社会の構造や貨幣経済は共通していたため、何とかなったのだ。これにはデビルハンターとして、世界各地を回った経験が生きているのかもしれない。

 

 とはいえ、ネロも都市間の移動が馬車というのにはさすがにまいった。金の問題から歩くしかないという現実を知った時は、思わずぽかんと口を開けてしまったほどだ。

 

「そういえばネロを召喚した人はどうしたの? まさか逃げてきたとか?」

 

 ネロが召喚されたということは、彼を召喚した者がいるという事実に気付いたフェアは尋ねた。ミントのような召喚師なら事情を話せばすぐに送還してくれそうだが、召喚獣を道具としか考えてないような召喚師なら大変なことになっただろう。主に召喚師の方が。

 

 当然、フェアが言った「逃げてきた」とは、召喚師のもとからの脱走してきたではなく、召喚師をぶん殴ったことで追われる身となったという意味である。

 

「知らねぇ、仕事の下調べをしていたら、いつの間にかここにいたんだ。周りにもそれらしい奴は誰もいなかったしな」

 

「うーん、どうしてだろう……?」

 

 普通の召喚術とは明らかに異なる状況に現役の召喚師であるミントは首を傾げた。

 

「ねぇねぇ、パパってどんなお仕事してたの?」

 

 そこにミルリーフが興味津々といった様子で聞いてきた。

 

「あー、デビルハンター、悪魔を退治する仕事だ」

 

 ネロは一瞬誤魔化すべきか逡巡したが、右腕のこともあり正直に話すことにしたようだ。

 

「悪魔……」

 

「たぶんお前が思っているような悪魔じゃない」

 

 リビエルが悪魔と言う言葉を聞いて、天使の不倶戴天の敵を浮かべたのを感じ取ったネロはそれを否定した。ネロの退治する悪魔はサプレスの存在ではなく、魔界の悪魔なのだ。

 

「それって、僕が生まれる前くらいから現れるようになったっていう奴らのこと?」

 

「ああ、確かエルバレスタ戦争にも大量に現れたんだっけ」

 

 ルシアンの言葉を聞いたリシェルは思い出したように言った。悪魔によって齎された被害は人的、物的ともに甚大だが、軽い口調で言ったのは二人とも生まれてから今まで悪魔の脅威に晒されたことがないためだった。

 

 実際、トレイユはそうした悪魔の出現はなく、特にここ最近はトレイユのみならずリィンバウム全土で悪魔が現れたという話も聞こえなくなったため、ブロンクス姉弟のみならず、フェアも悪魔のことはよく知らなかった。

 

「確か、お兄ちゃんやお姉ちゃんはその悪魔と戦ったことがあるんだっけ?」

 

「……まあな」

 

 フェアは特に考えもなく、いつか聞いた話を思い出して尋ねただけだったが、ミントは困ったような顔をしており、グラッドも暗い顔をしながら頷いて続けた。

 

「俺が戦ったのは、戦争のすぐ後、各地にその悪魔が現れるようになった時だ。……俺がいた部隊は急に現れた悪魔に奇襲を受けてな。他の部隊から救援を受けてなんとか倒したんだが、生き残ったのは半分もいなかったよ……」

 

「お兄ちゃん……」

 

 溜息を吐いたグラッドは独白染みた言葉を閉めた。それを聞いたフェアは、なぜ彼が暗い顔をしていた理由を知った。彼は悪魔との戦いで多くの同僚を、それも同じ釜の飯の食ってきた戦友を数多く失ったのだ。

 

 彼が駐在軍人の道を選んだのは、あるいはこの辺りのことが関係しているのかもしれない。

 

「……その悪魔ってのは、どういう奴だった?」

 

 グラッドに悪いとは思いつつもネロは尋ねた。これまでの言葉だけでは、それが本当に魔界の悪魔が分からなかったのだ。

 

「すまん、その時は夢中で戦ってから相手のことはあまり覚えてないんだ。確か、ローブみたいのを羽織って、デカイ鎌を持っていたとは思うんだが……」

 

 もう何年も前のことであるし、極限状態の中で特徴的な部分以外を記憶していないのはやむを得ないことだろう。一応その特徴はセブン=ヘルズに合致するが、魔界の悪魔が存在する根拠としてはまだ弱い。

 

「……私もいくつか見たことあるよ」

 

 そこに意を決したようにミントが声を上げた。

 

「あの戦争の時に見たのは、白い体に赤い筋みたいのが入っていて、大きな赤い鎌を持った悪魔。その前にも一人でに動き回る人形みたいな悪魔と、ヤギみたいな顔をして、言葉を話す悪魔も見たことあるよ」

 

「喋れる悪魔はそこそこ強いんだが……よく助かったな、あんた」

 

 ミントが戦争の時に戦った悪魔はわからなかったが、その他についてはマリオネットとゴートリングだろうとあたりをつけたネロは、感心したようにミントに言った。マリオネットはともかく、ゴートリングは普通の人間に手に負えるような相手ではないのだ。

 

 見かけによらずミントが凄腕だったのか、あるいは悪魔に対抗できる独自の技術でも持っていたのかもしれない、とネロは考えていた。

 

「うん、その時は助けてもらったの。……その、バージルさんに」

 

(やっぱり知り合いだったか……)

 

 少し躊躇いながら述べたミントの言葉に、ネロは内心で納得していた。そしてそのことについて尋ねようとしたが、フェアに先を越されてしまった。

 

「バージルってネロを刺した奴のことでしょ? お姉ちゃんの知り合いなの?」

 

 だが彼女が聞いた内容は、ネロが聞きたかったことと合致していたため、口を挟むようなことはしなかった。

 

「最初に会ったのはお仕事で、ある村の館を一緒に調査した時でした。バージルさんには、なんでも総帥が直接依頼されたらしくて」

 

「何? あいつって結構大物なの?」

 

 蒼の派閥の総帥は簡単に会える人物ではないことは、父親が金の派閥の召喚師であるリシェルはよくわかっている。つまりバージルはそんな人物と直接会える存在ということになる。少なくとも一介の冒険者や旅人でないことは明白だろう。

 

「そんなことないと思うけど……。何度か家にお邪魔した時も、そんな感じじゃなかったし……」

 

「……家に?」

 

「うん、そうだよ。最初の仕事の時にバージルさんと一緒に暮らしてる子と仲良くなったからよく遊びに行ってたの」

 

 リシェルの言葉の持つ意味に気付かなかったものの、昔を懐かしむように答えたミントを見て、バージルと()()()()関係にないことは明らかだ。天然の勝利といったところか。

 

「ああ、何度かお姉ちゃんのところに来た女の人だよね」

 

 フェアもミントの言った人物のことは覚えていた。実際に話したことはなかったが、腰まで届く綺麗な長い髪が印象的な人だった。ミントも彼女ととても楽しそうに話をしていたのを見て、自分とリシェル、ルシアンのような間柄なのだろうと思ったものだった。

 

「そうだよ。今も手紙のやりとりはしてるの」

 

 交通手段があまり発達していないリィンバウムでは、遠くに離れたところに住んでいる場合、頻繁に会いに来ることは難しい。したがって手紙でのやりとりになるのが常なのだが、ポムニットが住んでいるのがどの国にも属していない島であるため手紙を送るのも、送られてくるのも時間がかかっているのが現実だった。

 

「……ともかく、あんたはあの男のことはそれ以上のことは知らないってわけか」

 

 ミントの説明ではあまり有用な情報は得られなかったが、少なくとも彼女が嘘は言っていないと思っていた。実際にバージルの強さであれば、ゴートリングなど鎧袖一触できる相手だろう。

 

「うん、ごめんね。あ、でもさっき言った友達ならたぶんいろいろ知ってると思うよ。近々こっちに来るっていってたし」

 

 ネロもバージルに刺されたことをさほど気にしてないようだったため、ミントはそう提案した。もしもバージルに対して怒り心頭だったらこんな提案はしなかっただろうし、彼女の友人であるポムニットもそんな状態のネロには何も語らないと思ったのだ。

 

「あいつと一緒に暮らしてた奴か……」

 

 ミントの提案は魅力的なものだった。少なくともミントに聞くよりは詳しいことが聞けそうだ。

 

「ネロ、分かってると思うけど……」

 

 そこにフェアが口を挟んだ。昨夜のことで確信が持てたが、ネロは意外と荒っぽい。バージルと共に住んでいるとは言っても、ミントの友人なのだ。あまりことを荒立てたくはない。

 

「別に無理矢理に聞こうとは思ってねぇよ、そもそもあの男を憎んでるわけでもないしな」

 

 バージルが自分を殺す気はなかったことには既に気付いていた。あの男にとってはネロとの戦いは試合、あるいは訓練のようなものでしかなかったのだ。そんな相手に憎しみをぶつけるほどネロは愚かではない。

 

 むしろ何故そんなことをしたのかが、気になっていたのだ。そしてそれはきっとネロがバージルに感じた奇妙な親近感の正体を解く手がかりでもあるような気がした。それがバージルのことを気に掛けている理由なのだ。

 

「なら、来たらネロ君にも紹介するね。……あ、でもその前にバージルさんが来たらどうしよう……」

 

「確かラウスブルグを使ってネロを元の世界に返すって話か。……そもそも本当にそんなことできるのか?」

 

 ミントの心配を口にするグラッドだったが、バージルの言っていたことには半信半疑のようだ。もっとも、別な世界に移動できるものの存在を最初から信じることができるのは極少数だろうし、そういう意味ではグラッドの反応は当然と言えなくもない。

 

「……それが存在するのだよ」

 

 話が始まってからずっと目を瞑って沈黙を守ってきたセイロンが言った。いつになく真面目な顔をしており、それが口にした言葉に噓偽りがないことを証明していた。

 

「ほ、本当に……」

 

 ルシアンもグラッドと同じようにバージルの言葉を疑っていたみたいで、セイロンの言葉を聞いて目を丸くした。

 

「本当ですわ。……ただ、これは先代の守護竜さまがずっと隠し続けてきたことなの」

 

「先代が亡き今、せめて兄者も含めた御使い全員で判断するべきところだろう。しかし、今回は事情が事情だ」

 

 リビエルとアロエリが説明することに決めた経緯を話す。既にバージルからその内容は聞かされているが、二人の話から察するに本来ラウスブルグの力は最高機密だったようだ。きっと昨夜の三人の御使いにだけの話し合いは、これについて詳しく説明すべきか、という議題だったのだろう。

 

「下手をすれば世界の均衡を崩壊させかねない事柄なのだ。どうか皆もこのことについては他言無用に願いたい」

 

 真摯な目を向けて告げた言葉に、誰もがことの重大さを改めて認識し、頷いたのを確認するとセイロンは口を開いた。

 

「あの男……バージルと言ったか。あやつが言ったことは真実だ。ラウスブルグには世界を渡る力があるのだよ」

 

「そもそもラウスブルグは、かつて我らの故郷、幻獣界メイトルパにサプレスの悪魔が侵攻してきた際に、戦いを嫌う古き妖精達によって造られたんだ」

 

 セイロンの説明を補足するようにアロエリが、ラウスブルグが造り出される経緯を話した。ちなみにこの悪魔によるメイトルパ侵攻は「魔獣浸蝕」と呼ばれ、その際に悪魔によって生み出されまき散らされた源罪(カスラ)で魂を歪められたのが、今に残る魔獣の祖先なのである。

 

「そうして造られたラウスブルグは、竜が動力の役目を果たし、古き妖精が舵取りを担当することで、あらゆる世界への移動を可能とした『船』なのだ」

 

「なるほど、だから先代の守護竜も隠していたのか。納得がいったよ」

 

「え? どういうこと?」

 

 グラッドはそれまでの説明で界を渡る力が隠された理由を悟ったようだが、リシェルはまだ気づいていないようだ。それはフェアやルシアン、それにネロも同様だった。

 

 そしてセイロンはそのことを説明しようと口を開いた。

 

「エルゴの王以前から今に至るまで、人間は召喚術で異界から呼び寄せることはできても、直接行くことは叶わなかった。だが、もしラウスブルグが悪しき考えを持つ者の手に落ちれば、再び暗黒の、戦いの時代が再来しかねない。先代はそう考え、隠されていたのだ」

 

 リィンバウムは今に至るまで他の世界に移動する術を持たなかった。しかしラウスブルグはそんなリィンバウム、いや、四界も含めて全ての世界において、界と界に張られた結界を越えて他の世界へ渡れる唯一「船」なのだ。

 

 ラウスブルグの所有者さえ望めば、他の世界へ一方的に侵攻することも可能であり、それによって結界が張られる以前のような戦いが勃発することを、先代の守護竜は恐れたのだ。

 

「でも、それをあいつが知ってるのはどうしてよ?」

 

 守護竜も御使いもその力を闇雲に話したとは考えにくい。にもかかわらずバージルはなぜそれについて知っているのだろうか、そんなリシェルの疑問に答えたのは意外にもネロだった。

 

「例の将軍だか教授だかは知ってるんじゃねぇのか? そこから聞いたあたりだと思うぜ」

 

「うむ、その可能性が最も高いだろうな。……だが、今重要なのは、件のバージルという男がラウスブルグを手中に収め、その力を使おうとしていることだ」

 

 単純な可能性であれば、バージルはその存在を知っているだけで、まだラウスブルグ自体は手に入れていない可能性もあるが、ああいうタイプは空証文など渡さないだろう。少なくともラウスブルグを使う道筋はつけているはずだ。

 

「でも、動かすには竜と妖精が必要なんでしょ? それはどうしたのかな?」

 

「妖精もそうですが、竜も必ずしも御子さまでなければならないわけではないのです。代わりの竜と妖精さえいればラウスブルグの機能は全て使えますし」

 

「だが、至竜なんてそう簡単に見つけられる存在じゃないはずだ」

 

 ルシアンの疑問にリビエルが答えたが、アロエリはミルリーフの代わりとなる至竜を見つけられるのか懐疑的だった。

 

「それはもっともだと思いますが、召喚術もありますし……」

 

「そうだな。我らは我らの務めを果たそう」

 

 どちらも根拠に乏しく、このままではいたちごっこになると思ったリビエルは言葉を濁すと、アロエリもそれに同意するように頷きながら言った。

 

「でも、バージルさんはラウスブルグを手に入れて何をしようとしてるんだろう?」

 

「だから人間界に行くつもりなんだろう? 本人もそう言ってたしな」

 

 聞いてなかったのか、と呆れるようにネロが言った。しかし、ミントはかぶりを振って自分の言葉の真意を口にした。

 

「うん。だからそこまで行って何するんだろうって思って」

 

「……さあな。それこそ本人に聞くしかねぇだろ。話してくれるとは思えねぇけど」

 

 自分と同じように人間界に行くことが目的だと勝手に思っていたネロは、バージルが人間界に行って何をするつもりなのか全く考えていなかったのだ。

 

「確かにそれも気になるが、我はそれとは別にもう一つ、気になることがあるのだ」

 

 バージルの目的はセイロンも気にしていたようだが、それとは別に気にしていることがあるようだ。

 

「それって?」

 

「将軍や教授たちのことだ。ラウスブルグがあの男の手に落ちたのだとしたら、あやつらはどうするのかと思ってな」

 

「確かにそうだな。もうミルリーフを手に入れてもラウスブルグの方が使えないんじゃ、何もできないだろうし」

 

 ラウスブルグを手に入れるのが目的だったとしたら、それがバージルの手に落ちた時点でミルリーフを手に入れる意味は失っている。そのため、もうこちらに攻めてこないのではないかと、願望混じりに考えるが、そこにミントが異を唱えた。

 

「でも至竜の持つ知識が狙いってこともありえるよね?」

 

 以前にリビエルが言ったところでは、ミルリーフが継承した先代の知識は失われた秘術や真の世の理といった、聞くだけでも価値のあるものばかりだ。それだけでもミルリーフを狙われる理由になりえる。

 

「また来るようなら話でも聞いてみるか……」

 

 ネロが呟く。バージルには勝てなかったが、将軍や教授なら無力化することは可能であるとネロは考えており、フェアもそれに賛成する。

 

「それしかないわね……」

 

「あーあ、結局またこれまで通りかぁ」

 

 これまでの話で、いろいろと明らかになったにもかかわらず、こちらの姿勢は受け身のままであることにリシェルは不満のようだ。彼女の性格から考えて、一気に全部片付くような方策を期待していたのかもしれない。

 

「そんなこと言わないの。もしかしたらネロも元いたところに帰れるかもしれないんだから」

 

 フェアが宥めるように言う。少なくともネロが人間界へ帰るための手段があることは確定したのだ。何も変わらないわけではないのである。

 

「実際のところ、その辺どう考えてるんだ?」

 

「ま、考え中ってところだ」

 

 グラッドの問い掛けを軽く受け流したネロだったが、実のところかなり悩んでいた。バージルと自分の関係性については別にするとしても、ミルリーフの件が片付いてもいないのに、自分一人抜けるのには抵抗があったのだ。

 

「まだ時間はあると思うし、ゆっくり考えたらいいと思うよ。大切なことだしね」

 

「まあ、我としては此度の一件が片付くまで残ってもらうと助かるのだがな」

 

 バージルの提案を受けるか否かはネロ自身が決めるものであるため、ミントはあくまでネロの考えを尊重する立場をとっていたが、セイロンはネロの力を頼りにしているのか「ハッハッハ」と冗談めかして笑いながらも、しばらくの間残って欲しいと思っているようだった。

 

 たとえどちらを選ぶにせよ、いずれにネロが決断する日はそう遠くないことは明らかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




DMC4ではネロは閻魔刀を手に入れてから魔人化できるようになりましたが、本作では閻魔刀がなくとも魔人化できます。

これについては以前感想の返信で似たようなことを書きましたが、閻魔刀を含む魔具が必要なのは、その魔力によって魔人化の力を安定させるためです。

したがって、人間界よりも魔力が豊富なリィンバウムではネロも閻魔刀なしに魔人化ができる、ということとなります。



さて、次回は4月29日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。

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