ドラバスの砦跡での戦いは、ギアンの逃亡という形で終わりを迎えたものの、全てが丸く収まったわけではなかった。むしろ、混乱の度合いで考えれば、戦闘の最中より大きいかもしれない。
「え、えーと……?」
フェアが困ったような言葉を漏らしたのもそんな理由からだった。なにしろ、戦闘中に少し前のネロと戦った男バージルが乱入してきたかと思うと、いきなり周囲に剣が降ってきたのだ。直後のバージルの言葉を聞く限り、当てるつもりはなかったのだろうが、それでも紙一重の距離に落ちてきた剣には肝を冷やしたものだった。
そして、そこへ以前セイロンが話していた「姫」がやってきて説得したのと、ネロがギアンを殴ったことで戦闘は終息したのだが、それ以上にバージルがネロの父親だと言う告白の方が遥かに衝撃的であった。
バージルはネロと同じ銀髪に似たような顔立ちと、親子と言われてもおかしくない類似点を持っているが、少なくともフェアからすれば、見るからに冷徹なそうなバージルに子供がいるというイメージが湧かなかったのだ。
実際、バージルの隣にいる親密な関係にありそうな女性も驚きの表情を隠せないでいる。それは、この場にいるほぼ全ての者の気持ちを代弁しているかのようだった。
だが、唯一の例外であるネロは大きく息を吐いて答えた。
「……だろうな。そんなところだと思ったよ」
全く驚かなかったと言えば嘘になるが、バージルの言葉を聞いて妙に納得したのも事実だった。きっとネロの魂がバージルの言葉が真実であると言っていたのだろう。
「…………」
だが、ネロはそれ以上の言葉を発することができなかった。己の父に対してどんな言葉を言えばいいのか、生まれた時から孤児院育ちのネロにはわからなかったのだ。
「…………」
それに対してバージルも無言だった。もっとも彼の場合は何を話すか悩んでいるというより、聞かれたことに答えたため、それ以上言うことはないと思っているだけだが。
さらにフェア達やレンドラー達も何も言わなかったため、砦跡には嫌な沈黙が流れていた。
その沈黙を破ったのは、セクターがいたあたりから聞こえた砂を踏んだような小さな音だった。セクター本人の姿が目視できないことから、彼が何かしたのは間違いないだろう。
もちろん、バージルもその音の正体には気付いていたが、彼は視線を送るだけで実際に対処したのはネロだった。
「しつこいんだよ!」
これまでブルーローズで牽制していたのとは異なり、今度は
「なるほど、融機強化兵か」
引き寄せられたセクターの姿を見たバージルが呟いた。距離があると少し機械的なライダースーツにしか見えないセクターの装備は、こうして近くで見ると多様な技術が用いられているようで、もちろんそれらは全身にまで及んでいる。
こうした四界の技術を人間に施したのが融機強化兵と言われ、ゲックがかつて帝国軍にいた頃に開発されたものだ。しかし、帝国から離れる時、全ての研究内容を破棄したため、現在、融機強化兵の開発は事実上頓挫していた。
だが、セクターを見る限り、少なくとも試験体の製作までは開発が進んでいたことがわかる。もっともそれは、以前ギアンに提供させたものにあったゲックの資料からも推測できたため、バージルとしても驚くことではなかった。
「あんた、知ってるのか?」
これ以上勝手にされてはかなわないとセクターに当て身をしたネロが尋ねた。
「ああ。……だが、聞くならあれにしろ」
バージルが知っているのはあくまでゲックの資料を読んだためだ。この場にそれを書いた本人がいるのだから、その本人に尋ねるのがベストだろう。
それに対してネロがどうするか考えていたところで、ミントがバージルに話しかけた。
「あの……、よかったらどこか別の場所でゆっくり話しませんか? 私もいろいろ聞きたいことがありますし、ネロ君だって……」
ちらりとネロを見ながらミントが言った。彼女は次いでエニシアの隣にいたポムニットに視線を向ける。その意味を悟ったポムニットはバージルの方に歩きながら口を開いた。
「何かいろいろ複雑な事情もあるみたいですから、私も一度話し合ったほうがいいと思いますよ」
「お前の場合、それだけの理由ではないだろう」
ポムニットがそう言ったのは、ミントから頼まれたというのも理由の一つではあったが、バージルの言う通りそれだけではなかった。
おそらくは久しぶりに会う親しい友人とゆっくり話をしたかったということもあったのだろう。ただでさえミントとポムニットは手紙のやり取りが主で、直に会うなど年に一回あればいい方なのだから仕方ない。
「えへへ、ダメですか?」
バージルが自分の目的に気付いていることがわかったポムニットは素直に頼み込むことにした。もし、本当にダメであればバージルなら有無を言わさず断っているだろう。
「……いいだろう」
どうせもう一度はネロの答えを聞くためにトレイユを訪れるつもりだったのだ。それが今になったとしても、たいした問題はないと考えたバージルはミントの提案を受け入れることにした。
「先生もそれでいいですよね?」
バージルの了解を得たポムニットは、アティにも確認しようと声をかけた。彼女の性格ならまず反対はないと思ったのだが、先ほどからずっと黙ったままだったため、一応聞いておこうと考えたのだ。
「…………」
「先生?」
呼び掛けても返事がないアティにポムニットは彼女の顔を覗き込んだ。特に意識を失っているわけではないようだが、やはりバージルの発言は衝撃的だったのだろうか。
それ自体はポムニットも驚きはしたが、ネロと呼ばれる青年の容姿とバージルの年齢を考えれば、バージルが相当若い時、おそらくこの世界に来る前にできた子だということは想像できたため、あまり気にならなかったのだ。
「え、えっと、ネロ君……」
「あ、ああ……」
なにやらただならぬ様子で名前を呼ばれたネロは、少し気後れしながらも答えた。
それを受けてアティは意を決して声を上げた。
「お、お母さんって呼んで!」
「……は?」
「…………」
それを聞いたネロは呆気にとられたように声を漏らし、バージルは無言でいたものの呆れたように額を抑えながら首を振った。
それからミントの提案通り、トレイユに戻った一行は忘れじの面影亭に集まっていた。ミント本人は提案した手前、自分の家を話し合いの場所として提供するつもりだったのが、ネロ達にレンドラーやゲックを含めたバージル達を加えると二十人を超えるため、彼女の家では手狭と判断され、食事時は多くの人で賑わう忘れじの面影亭で行われることになったのである。
ちなみにグランバルドはセクターによって武器と脚部にダメージを受けたため、剣の軍団の兵士や鋼の軍団の機械兵士達はいたところで特に話すこともないため、それぞれ一足先に帰らせていた。
「えっと……今回はどうして戦いを止めたんですか?」
とりあえず腰を落ち着け、セクターは開いている部屋に寝かせた一行は、簡単にそれぞれの紹介をしたところで、ミントが他の多くの者が気になっていたことを切り出した。バージルが善意でそんなことをする男でないことは、アティやポムニットに比べ付き合いが浅いミントでも理解していたため、余計に気になったのだ。
「こいつに頼まれただけだ」
バージルはエニシアを指しながら答えた。正確に言えばそれをアティとポムニットに頼まれたからなのだが、わざわざそこまで説明する必要はないと判断したのだ。
「は、はい。私がお願いしたんです」
「あの時の言葉を考えると、もう御子さまを狙う必要はない、そう捉えてよいのだな」
先の戦いでレンドラーとゲックを説得した時の言葉を思い出しながら、セイロンが念を押しながら確認した。
「って言うか、そもそもあんた達ってなんでメイトルパに行きたいのよ?」
「確かお母さんに会えるとか言ってたと思うけど……」
以前の話からラウスブルグを動かしてメイトルパに行くという話は聞いていたが、なんのために行くのかは知らなかったため、リシェルは尋ねた。一応ルシアンはエニシアの言葉を思い出して想像はしているようだが、やはり本人から直接聞きたいようだった。
「その通りです。私は帰ってしまった母に会いたくてメイトルパに行きたいんです」
「それじゃあ、エニシアさんって……」
エニシアの言葉を聞いてポムニットは、彼女が自分と同じように異界の存在と人間の間に生まれた存在であることに気付いた。
「はい。月光花シグマリアの古き妖精の母から生まれた
「我らはその姫様の願いを叶えるためにラウスブルグを手に入れ、そしてそれを動かすために竜の子を狙っていたのだ」
「……もっとも、それはとうに無意味なことになっていたのじゃがな」
レンドラーの言葉を継いでゲックが自嘲するように言った。もう少しギアンかバージルと話をしていれば、と後悔している様子だった。
「もう御子さまを狙う必要がないということは、代わりの至竜を見つけたということですの?」
「そうだ」
リビエルに質問されたバージルが答える。あまりにもあっさりとした答えなのは、余計な情報を与えるつもりはないという意思表示かもしれない。
「しかし、それだけでは動かないぞ。舵取りをする古き妖精がいなければ」
「派閥に探させている。仮に見つからなかったとしても俺がやるだけだ」
アロエリの質問に答えたバージルの言葉を聞いて、今度はグラッドが確認するように言った。
「派閥ってまさか、無色の派閥じゃないだろうな」
「いや、蒼の派閥と金の派閥だ」
常識的に考えれば無色の派閥に探させるなんて選択肢は浮かんでもこないのだが、この青いコートの男であればやりかねないとグラッドは心配していたが、バージルの言葉を聞いて安心したようだ。
「だが、お前に舵取りができるのか? 城は古き妖精でなければ操れないはずだが……」
「既に試した。問題はない」
以前ラウスブルグを動かして帝都まで行った際に、バージルは一通り動かせることを確認していたのだ。もちろんそれが正しいやり方であるという保証はないが、とりあえず正常に稼働さえできれば問題ないだろう。
「何のためにそこまで……」
ラウスブルグを稼働させるのに必要な妖精を確保するためだけに、バージルは二つの派閥まで動かしたのだ。一体のなんのためにそこまでするのか、フェアは気になったのだ。
「答える必要はない」
バージルは断じた。人間界に行くこと自体は秘密でも何でもないが、そこですることに関しては何の関係もない彼女に話すつもりはなかった。そもそも、話したところでリィンバウムが置かれた状況を知っていなければ理解することはできないだろう。
そう、悪魔が現れなくなった原因を知っていなければ。
「……あ、そういえばバージルさんが連れて行くかもって言っていたのはネロ君ですか?」
悪くなった場の空気を戻そうとポムニットが話題を変えた。バージルは人物を特定できるような情報は言ってなかったが、やはり実の息子だというネロが最もあり得ると考えたようだ。
「…………」
名前を出されたネロは悩んでいるのか無言でいた。いきなり話を出されても、まだどうするか悩んでいたので、答えられなかったのである。
「……どうやら、まだ決まっていないようだな。まだ時間をやってもいいが、あまり長くはない」
バージルはネロの様子からそれを悟った。本来であればもう少し時間を置いてから尋ねるつもりだったので、出発の準備が整うまでは待つことは可能だった。
「いや、いい。俺も行く、人間界に帰るよ」
そもそもネロはいつかは人間界へ、キリエの待つフォルトゥナへ帰るつもりだったのだ。先ほど悩んでいたのは、今の状況で帰ってもいいのかと考えていたのである。
しかし、ミルリーフを狙っていたレンドラーとゲックはもう戦う必要がないことを理解でき、御使いも全員集まった。まだ最後の遺産を継承できていないが、それが済めば仮に逃げたギアンが戻ってきたとしても何の問題もないだろう。
そうした現状を鑑みネロは、一つの区切りがついたと判断したのだろう。
「ネロ……」
「パパ……」
フェアとミルリーフが呟く。反対の言葉は口には出さなかった。二人とも故郷からいきなり連れて来られたネロの事情は知っているので、彼の意思を尊重するつもりのようだ。
「そう……、やっぱり帰るんだね」
「お前には世話になったな」
「……今すぐに、というわけではないが……」
ミントとグラッドが少し寂しそうに別れの言葉のようなものを言うと、バージルがぼそりと呟いた。先ほども言った通り、妖精はまだ見つかっていないし、そもそも至竜を呼ぶためのサモナイト石も手元にないのだ。
それに、ハヤトやレナードといった同行予定者の合流も待たなければいけないため、出発は最速でも二、三週間は先になるだろう。
そんなバージルの呟きが聞こえなかったのか、アロエリが真剣な顔で声を上げた。
「一つ聞きたい。里の同胞たちはどうなる? まさか、全員降ろしていくわけではないだろうな」
ラウスブルグに住んでいる者は元々が召喚獣として強制的に呼び出され、諸々の事情ではぐれ召喚獣となった者ばかりだ。アロエリのようにラウスブルグで生まれ育った若い世代もいるが、大多数が生まれ故郷に帰ること望んでいる者達なのである。
そのあたりを心得ているギアンに扇動されて、御使いであるアロエリとは対立した関係だが、それでも長く共に過ごしてきた同胞なのだ。返せるものなら返してやりたいのが彼女の本音なのだ。
「そう案ずるな。ワシらと共にメイトルパに連れて行く予定じゃ。……これも嘘でなければな」
「嘘ではない」
バージルとの話はギアンに任せきりだったゲックの言葉にバージルが答えると、リビエルがからかうような笑みを浮かべた。
「あら、意外ですわね」
「放り出した方がいいならそうするが?」
リビエルの言葉にバージルは無表情のまま言葉を返した。この男の恐ろしいところは、このような冗談みたいな言葉でも、本気で実行するところである。
「メイトルパに連れて行ってくれるならそれが一番。むしろ問題は我らの方だ」
「どういうことですの?」
セイロンの言わんとしているところが分からず、リビエルは聞き返した。
「いやなに、いつまでも店主殿の好意に甘えて居候を続けるというわけにもいくまい」
かといって帰るべき場所であるラウスブルグはバージルの手の中、おまけに忘れじの面影亭を出る時期によってはリィンバウムにいない可能性すらあるのだ。
「私は別に構わないけど……」
フェアはそう言うが、先ほどのセイロンの言葉には御使い全員が納得していたのだ。彼らが忘れじの面影亭に留まるという選択肢を取ることは、まずありえないだろう。
「それなら一緒に来たらどうですか? バージルさんも至竜が増えるなら断ることはないでしょうし」
ポムニットはそう言った後、バージルに向き直り「いいですよね?」と確認した。もともとギアン達がミルリーフを狙うのをバージルが黙認していたのは、竜の子に万が一の際の予備としての価値を認めていたからだ。
当然、それが何の苦労もせずにこちらに来るというのならバージルには断る理由はないのである。
「構わん。……だが、至竜の力くらい使えるようになってもらわなければな」
ミルリーフがまだ至竜としての力を継承していないことに気付いていたバージルは、しっかりと釘を刺しておくことも忘れなかった。彼はアティやポムニットとは違いお人好しではない。貴重な至竜の力を利用しない手はないのだ。
「我らとしてもこのままでよいとは思ってはいない」
クラウレが口を開いた。ミルリーフの安全のためにも、彼女には一刻も早く最後の遺産を継承してもらいたいのである。
「…………」
バージルは無言のまま、件の竜の子に僅かに視線を向けた。ミルリーフはそれに気付かずにただ居心地が悪そうに俯いていた。どうやら今の彼女はすぐに最後の継承を行うつもりはない様子だ。
しかし同時に、気まずそうにしているのだから、いつかは至竜とならなければならないということも理解しているのだろう。
「まあ、いいだろう。こちらの準備が整うまでに力を操れるようになっていれば文句はない」
この分ではじきに決心もつくだろうと判断したバージルは、一応、期限の設定だけはしておくことにした。
「決まりですね!」
笑顔で大きく頷いたポムニットは、そこで大きく息を吸うと先ほどから黙ったままのアティの代わりに尋ねる。
「……ところで、ネロ君と親子だって話ですけど、その……母親は……?」
その言葉にアティだけでなく、他の者達もバージルに視線を向けた。
それに対しバージルが少しの沈黙の後、口を開こうとした時、ネロがそれを妨げた。
「言わなくていい。今さら母親が誰だとか言われても困るだけだ」
子供の頃ならともかく、今のネロにとって母親が誰であろうと構わなかった。それに実の父親であるバージルも健在である以上、どうしても気になった時に聞けば済むことだと思ったのだ。
そしてネロはニヤリと口角を上げてバージルに忠告した。
「むしろ、あんたのためにも言わない方がいいんじゃないか?」
不安げな視線をバージルに送るアティを見ながら言った。彼女のこれまでの言動を見る限り、バージルの恋人かそれに近い関係であることは明白だ。そんな相手に昔の女の話をするなど好ましくはないだろう。
「……そうか」
バージルはネロの言葉を受け入れたのか、多くは語らなかった。そして自分を見るアティに視線を向けると、彼女はばつが悪そうに目を逸らした。
それを見たバージルは少し話した方がいいと思い、アティを連れ出すことにした。
「……もう話すこともないだろう。俺は戻るが、お前はどうする?」
バージルはポムニットに向けて言った。アティは連れ出すつもりでいたため、わざわざ聞くようなことはしない。しかしポムニットは、親友であるミントに会いに来たのもここに来た理由であるため、ここに残るのか、一緒に戻るのか尋ねたのだ。
「いえ、私は残ることにします。いろいろとしたいこともありますし」
「それに、今日は私の家に泊めますから心配しないでください」
尋ねられたポムニットはミントと顔を見合わせて答えた。それだけで伝わるあたり、どうやら以前から考えていたことのようだ。もっともポムニットがトレイユを訪れたときは毎回ミントの家に泊まっているため、ある意味恒例行事のようなものだった。
「そうか。……アティ、帰るぞ」
「あ……、はい」
やはりいつもとは違う返事をしたアティを連れ、バージルは忘れじの面影亭を後にする。
一応、帰るならエニシアやレンドラー、ゲック達も目的地は同じだが、さすがに今のバージル達について行こうとは思わなかったようだ。
忘れじの面影亭からため池の手前まで、バージルはともかくアティまで一言も口を開かずに黙々と歩を進めていた。先ほどからほとんど口を開いてこなかったアティだが、今も混乱が続いているというわけではなかった。
(バージルさんの子供……)
バージルに自分以外の誰かとの子供がいると聞いた時、アティは非常に混乱するのと同時に、その顔も名前も知らない誰かに対して、羨望と嫉妬の感情を抱いたのだ。母と呼んでほしいとネロに言ったのもそうした感情によるところが大きいだろう。
もちろん、その子供が自分と会った後にできたものではないということは理解しているが、心の動揺は抑えられなかった。やはり理屈で納得できるほど簡単なものではないのである。
これが話だけであればまだ違ったかもしれないが、実際にバージルの子供であるネロを前にすると、彼を通して嫌でも「顔も名前も知らない誰か」の存在が見えてしまい、それをどう受け止めればいいのか分からなかったのである。
二人は無言で歩いていたが、ちょうどため池を過ぎたあたりでバージルは立ち止まり、口を開いた。
「……この世界に来る前だ」
「え……?」
不意に言われた言葉にアティは聞き返し、彼の顔を見上げた。しかしバージルはアティの顔を見ずに言葉を続ける。
「ネロは人間界にいた時のだ。こちらに来てからではない」
「あ……」
アティはバージルがどうしてそんなことを言っているのか、ようやく理解できた。自分が彼のことを疑っているのではないかと思い、そんな言い訳めいたことを言っているのである。
「ふふっ」
バージルはこんなにも自分のことを気に掛けてくれている。昔のバージルがどうであれ、今の彼の一番は自分なのだ。それに気付くと、さきほどまで深刻に考えていたのが馬鹿馬鹿しくなり、思わず笑みが零れた。心を覆っていた羨望や嫉妬もいつの間にか綺麗さっぱり消えている。
「なにがおかしい?」
「ごめんなさい。もういいんです。気にしてない……って言ったら嘘になりますけど……、今は私が一番なんですよね?」
上目遣いで確認する。もちろんバージルがどう思っているかはアティにも理解できているが、やはり直接の言葉で聞きたいようだ。自分より他人を優先させるアティでも、バージルだけは譲れなかっただろう。彼の一番でありたかったのだ。
「今だけではない。これからもだ」
バージルもそれが分かっているからこそ、はっきりと断言した。もちろんバージルも、アティ以外の者と一緒になるつもりなどさらさらないようだ。
「私、しあわせです……」
それを聞いたアティはふにゃりと顔を崩し、にへらとした笑顔を浮かべた。そしてそのままバージルと腕を組むと、自分の頭をこてんと彼の腕に預けた。さきほどまでのやけに深刻な雰囲気は、既に影も形もなかった。
なんだかんだ言ってもこの二人、お互いのことが好きすぎるのである。
ミントのところに泊まることにしたポムニットの決断は英断と言えるだろう。あるいはこうなることを予想して、邪魔をしないように、そして自分の身を守るための決断のかもしれないが。
何はともあれ、こうした関係になって五年近く経つバージルとアティは、まるで新婚のように仲睦まじくラウスブルグへ戻って行った。
というわけで隠し子の件は収まりました。
さて、これで粗方決着は着いたので、今後はサモンナイト4におけるサブイベントをやっていきたいと思っています。もっとも、ほとんど原作沿いではありませんが。
次回はいつも通り2週間後の6月24日に投稿したいと思います。
ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。
ありがとうございました。