Summon Devil   作:ばーれい

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第85話 鋼鉄の心 後編

 軍の兵士となってからのセクターの人生は他人に振り回されっぱなしだった。

 

 自らの意思とは無関係に体を改造され、ゲックの施したプロテクトによって意思も封じ込められたセクターは、まさしく他者に翻弄されて生きてきた、いや、生かされてきたと言っていい。肉体を、命を、まるで道具に扱われてきたのだ。

 

 その後、偶然が重なり実験施設から逃げ出すことができたセクターだったが、その時のことは彼にとってある種のトラウマのようになっていたのかもしれない。

 

 そして流れ着いたトレイユでセクターは、生きるのに必要な金を稼ぐため、私塾を開いた。元軍人が私塾を開くのは帝国では珍しいことではない。退役した軍人が故郷に戻り、私塾を開くことで識字率や教育水準の向上も期待できるため、帝国としても半ば奨励されているのだ。

 

 教師として子供達を教育する姿は、傍から見たら穏やかな生活に見えただろう。セクターとしても生徒から慕われて何も感じなかったわけではない。しかしそれでも、彼の心はうつろのまま、満たされることはなかったのだ。

 

 彼はこのまま、どこにでもいる私塾の教師として朽ち果てていくことは嫌だった。しかし、だからと言ってどうすることもできなかった。不自由な体では自分の体を改造した存在の行方を調べるために遠出することもままならなかったのだ。

 

 徐々に機能停止へ向かって行く体を見るたび、このまま誰かに翻弄されただけの人生で終わってしまうのか、と焦燥し始めた頃のことだ。ゲックが、自分を改造した忌むべき存在が手の届くところにいることを知ったのは。

 

 そしてセクターはゲックに復讐する道を選んだ。迷いがなかったわけではないが、このまま満たされぬまま朽ち果てるよりは、たとえその先に終わりが待っていようとも自分の意思を貫きたかった。自分が自分である意味を失くしたくはなかったのだ。

 

 だが、奇襲は失敗し、挙句の果てにことごとくネロに邪魔された結果、復讐は果たすことはできなかった。その上、憎むべきゲックに生き長らえさせられたのだ。

 

 そして修復が終わり意識を取り戻した時、何の因果か己を改造したゲックの話を聞いたのだ。彼がなぜここまで融機強化兵の研究をやめ、己の意識を消去せず、プロテクトをかけた理由も彼の口から直接聞かされたのだ。

 

 だが、それだけで恨みも憎しみも消えたわけではない。

 

 しかし、セクターはその後一晩、ゲックの話と自分の心と向き合い考え続けた。果たして自分はどうするべきなのか、どうしたいのか。

 

 そして出した答えは――。

 

 

 

「結局、復讐は捨てられねぇか……」

 

 忘れじの面影亭にネロの呆れたような落胆したような声が響く。彼はセクターと庭で向かい合っていたのだ。

 

「そうだ。しかし私の復讐を果たすには貴様が邪魔なんだ。だからこの場で排除する」

 

 今日は昨日の話を受けて、また集まって話し合いの場を設けることにしていたため、忘れじの面影亭にはブロンクス姉弟にグラッド、ミントと彼女と一緒に来たポムニットそれにミントもいた。

 

 そして、その場に現れたセクターはネロに戦いを申し込んだのだ。昨日、ゲックから修復してもらったばかりで、今朝にはフェアが次の修復まで戦闘は控えるようにというゲックの言葉を伝えたにもかかわらずに、だ。

 

「まあ、正面から来たことは褒めてやるけどよ。俺に勝てると思ってんのか?」

 

 セクターの選んだ道にネロは不満にこそ思うが、彼の選択自体を否定するつもりはなかった。自分にとってはあまりに馬鹿馬鹿しい選択であっても、彼にとっては、きっとそうではないのだから。

 

「くどい! 私は私の意思を変えるつもりはない!」

 

 先の戦いでセクターはネロに敗れている。セクターもゲックの殺害を目的としていたとはいっても、ネロは片手間程度の動きで彼を完封したのだ。正面から戦って勝てる相手ではないのは明らかだ。

 

「やめて! 二人が戦う必要なんてないよ!」

 

「そうだよ、こんなことやめてよ!」

 

 ミントとフェアが向き合う二人に声をかける。他の者達もみな似たように思っているようだったが、セクターはそれを一切無視し、ネロはもはやこいつは手遅れだと言わんばかりに言葉を返した。

 

「こいつがやるって言ってんだ。相手してやるしかねぇだろ」

 

 戦いを止めるには双方の意思が必要だが、始めるだけなら片方の意思だけでできる。いくらネロが望んでいなくとも、セクターが戦いを望む限り、それを止めることはできないのだ。

 

「…………」

 

「馬鹿だな、あんたは……」

 

 セクターが構える。対してネロはレッドクイーンを肩に担いだまま、呆れと諦めを含んだ視線でセクターを見ていた。

 

「行くぞっ!」

 

 そして宣戦布告にも似た言葉と共にセクターは地面を蹴り、一直線にネロへと向かう。普通の人間では出せない速度だ。さすが融機強化兵と言ったところだろう。しかし最強の悪魔の血を引くネロに捉えられない速度ではなかった。

 

 せめて楽に終わらせてやろうと思い、向かってくるセクターに合わせてレッドクイーンを振り下ろした。

 

「っ……!」

 

 しかしそれがセクターに当たる直前、二人の間に入ったポムニットによって止められた。見るとセクターの手もポムニットが掴んでおり、その動きを制していた。

 

(こいつ……)

 

 ネロはレッドクイーンを掴むポムニットの力が明らかに人間離れしていることに気付いた。それでもネロの力ならポムニットを振り切ってセクターにレッドクイーンを叩き込むことは可能だったが、セクターも動きを見せない今、その必要はないと思っているようだ。

 

「子供みたいな我儘言ってないで、少しは周りのことも考えてください!」

 

 自分の都合だけを相手に押し付けるセクターの行動にポムニットは怒っていた。彼には彼の事情があるのは理解している。だからと言ってどんな我儘も許されると思ったら大間違いだ。

 

「我儘、か。確かにその通りだ……」

 

 先ほどまでとは打って変わり、弱弱しい声でセクターは呟いた。既に戦意を失っているようで、ポムニットが手を放してもネロに攻撃を仕掛けようとはしていない。

 

「ぐっ……」

 

 体を動かそうとしたセクターだったが、呻き声を上げて座り込んでしまった。今の動き程度の負荷にすら、彼の体は耐えられなかったのである。やはりゲックの言葉通り、今のセクターに戦闘など無理だったのだ。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 ほんの数秒前の怒りは影を潜め、ポムニットはセクターに声をかけた。さすがに目の前で見るからに弱っている者相手に怒る気にはなれないようだ。

 

「……本当は分かっていた」

 

 片膝を立てて座り込んでいたセクターは、俯いたままぼそりと言葉を発した。

 

「分かっていたさ。復讐が近づいてくる無為の死に抗うための大義名分でしかないことくらい。でも、今さら憎しみを、恨みを捨てるなんてできなかった」

 

 体を奪われ、心を閉じ込められた彼は、何も為せない空っぽのまま人生を終わらせたくはなかった。そこに現れたのがゲックだった。セクターにとって復讐とは憎しみを晴らすだけのものではなく、己の人生が無為なものでなかったと証明でもあったのだろう。

 

 セクターは一晩己と向き合うことでそれを自覚した。しかし、自覚したところでゲックへの憎しみも恨みも消えるわけがなかったのだ。

 

「…………」

 

 セクターは顔を上げて無言で自分を見るネロに言った。

 

「だから、いっそのこと全て壊して欲しいと思った。君の力で愚かな復讐心など、私ごと叩き潰して欲しかったんだ」

 

「……俺に喧嘩を売ったのはそのためか」

 

 ドラバスの砦跡で見せた姿を消しての奇襲ではなく、真正面から向かって来たのはそれが理由だったようだ。最初から負けるつもりでいたから、余計な小細工をしなかったというわけだろう。

 

「ああ。……だが、私にはそれすらも許されないようだ。……これまで通り、からっぽの人生を送れということかもな」

 

 どうやら立つこともままならないセクターは再び力なく俯き、自嘲気味に呟いた。今さら復讐に走ろうとは思わない。今までと同じく憎しみと恨みを抱いたまま、うつろな生を送るだろう。セクターはそう思っていた。

 

「からっぽ、ね……」

 

 ネロがセクターの言葉を繰り返す。彼はこれまでの人生をからっぽと称していたが、ネロはそうは思わなかった。

 

「おい、フェア、こいつを運んでやってくれ、ついでにリシェルとルシアンもな」

 

 名前を読んだ三人がセクターの教え子だったことは知っている。明らかに狙った人選だった。

 

「先生、しっかりして」

 

 ネロの意図を察したかは定かではないが、名前を呼ばれた三人は駆け寄りセクターを支えた。

 

「これは……」

 

「少なくとも俺は、悪い足を引きずって元教え子のところまで来る教師なんて知らねぇな」

 

 そのことだけでもセクターが無為に教師として過ごしてきたわけではないことを物語っている。それにフェア達のセクターのことを話す様子からも、彼がよく慕われている教師であることは明白だ。

 

 果たして、そんな教師の人生がからっぽだったといえるのだろうか。

 

「本当にからっぽだったかどうか、そいつらと話してから決めろよ」

 

 セクターは憎しみや恨み、そして死への恐れからからっぽだと思い込み、復讐へ逃げただけなのだ。そしてそれを自覚した今、彼に必要なのは教師としての彼を肯定してくれる存在、つまり教え子であるフェア達三人なのである。

 

 三人の教え子に支えられてゆっくりと立ち上がったセクターは口を開き、たった一言発した。

 

「……すまない」

 

 果たしてその言葉は何に向けられたものか、それはセクターにしか分からなかった。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 セクターとフェア達が空いた部屋に向かったのを見送ったネロは、食堂に疲れたように椅子に腰を下ろした。戦ったわけではないため身体的な疲労はないが、面倒なことに巻き込まれたという精神的な疲労だった。もっとも、セクターのことに首を突っ込んだのはネロ自身の意思であるため、自業自得であることは否定できないだろう。

 

 そこに先ほどのネロの対応に不満があるらしいポムニットが声をかけた。

 

「ネロ君もネロ君ですよ。売り言葉に買い言葉じゃなくて……」

 

「怒るなよ。言って聞くような状態じゃなかったし、仕方ねぇだろ」

 

 ポムニットの言葉を途中で遮った。彼女の言うことも分からないではないが、そもそもネロは職業柄腕っぷしによる解決を基本としているため、わざわざ対話で解決しようとは考えなかったのだ。

 

 ただ、それでも一応、セクターには戦うのかと確認したのだから、それで十分だろうとネロは内心思っているようだ。

 

 そんな言い訳に対し、またポムニット説教めいた言葉を口にする前に、ミントが宥めた。

 

「まあまあ、結果的に何とかなったんだし、よかったじゃない」

 

 一時は武器を振るうところまでいったのだが、誰かの命が失われたわけではない。唯一、立ち上がれないほどの損傷を受けたセクターも、ゲックがいることを考えれば、さほど心配することもないだろう。

 

 それに最後のセクターの言葉を聞く限り、これ以上復讐を求めるようなことはないだろう。

 

「うむ、終わり良ければすべてよしという奴だ」

 

 善哉善哉とセイロンが言う。御使い達はセクターの一件に関して、あまり介入してこなかったが、内心ではそれぞれ思うところがあったのだろう。リビエルは安心したような顔をしているし、アロエリもこの決着には文句はないようだ。

 

「あと気がかりなのはギアンだけだな」

 

 グラッドが口を開いた。もうレンドラーやゲックがミルリーフを狙うことはないだろう。しかし、ドラバスの砦跡から逃亡したギアンは最後に残した言葉の通り、またミルリーフを狙ってくる可能性は否定できない。

 

「ああ。正直あの時のギアンは正気を失っているとしか思えない」

 

 アロエリが同意する。元々バージルはギアンもメイトルパへ同行することを許していたし、彼がミルリーフ以外のラウスブルグを動かす手段にあてがあるのも聞いていたのだ。にもかかわらずギアンはバージルを信用できず、執拗にミルリーフを手中に収めることを求めた。はっきり言って常軌を逸した思考と行動である。

 

「……ギアン様を庇うわけではないが、あの方は幼少の頃より親から愛されもせず幽閉されていたのだ。他人を信じられぬのはそのあたりに関係があるのだろう」

 

 幼少の頃の話はギアンから直接聞いたものだ。ただ、既に離反したクラウレではあるが、ギアン不在の中でそれを話すべきかは躊躇いがあった。それでも話したのは、ギアンの戦いに巻き込まれた彼らは知る権利があると思ったからだ。

 

「幽閉……。やっぱり、人間じゃないから、ですよね?」

 

 ギアンがメイトルパの幽角獣と人間の間に生まれたように、ポムニットも悪魔と人間の間に生まれた響界種(アロザイド)である。母と暮らしていた頃は、いつ自分の正体が露見する恐怖に怯えながらの生活だったのだ。

 

「うん。それに無色の派閥だし……」

 

 ミントが付け加える。ただでさえ、頭のネジが外れたようなことばかりしているのが無色の派閥なのだ。そんな組織を構成するクラストフ家に生まれ、幽閉されていたほど疎まれていたのなら、きっと悲惨な幼少期だっただろう。

 

「かの者に同情できぬわけではないが、今は奴が再び来た場合のことを考えるべきではないか?」

 

 セイロンが話の流れを戻すべく口を挟んだ。この場はあくまでも今後のことを話し合う場であり、ギアンに同情する場ではない。

 

 リビエルも同じように考えていたようで、頷きながらセイロンに同意した。

 

「そうですわね。将軍や教授とも別れたのだから、普通に考えれば襲撃なんて考えないでしょうど……」

 

 数の上では、ギアンは圧倒的に不利であることは明らかだ。勝てるはずもない戦いをわざわざするとは考え難いが、先の戦いの姿を見る限り、断言はできなかった。

 

「確かに、今更何かできるとは思えないけど、あいつは腐っても無色の派閥だしなぁ……」

 

「別な仲間を呼ぶってことか?」

 

 グラッドが心配していることをネロが口にした。将軍や教授とギアンの関係はあくまで同じ目的を果たすための盟友に近いものだ。それゆえか、ギアンは派閥の構成員や紅き手袋の暗殺者を戦いに投入してはいない。

 

 しかしその盟友と別れた今、そうした者達を投入するのではないかとグラッドは危惧しているのだ。

 

「でも、ちょっと前に摘発があったばかりだし、そんなにすぐ人を集められるかな?」

 

「確かにそうですが、摘発自体はこれまで何度もありましたし……」

 

 ミントの疑問にグラッドが答えた。無色に対する捜査、摘発はこれまで何度も行われてきている。しかし、現在の無色の凋落は、ニ十年近く前に起きた派閥の拠点等へ襲撃とそれに伴う殺戮が原因とされており、帝国が実施した摘発等の対策は目に見える効果が上げられなかったのが現実なのである。

 

 今回の大規模な摘発はそれを指揮したのがアズリアであるし、従来以上に徹底したものであったため、グラッドとしても効果は期待したいところだが、これまでの実績からいくとどうしても効果に疑問符をつけざるをえないのだ。

 

 そう話していた時、フェア達が戻ってきた。

 

「随分早かったな」

 

「うん。先生は昨日まともに寝てなかったみたいで、まずは休んでもらおうと思って」

 

 思ったより早い戻りを不思議に思ったネロにフェアが事情を話した。少なくとも今のセクターは憑き物が落ちたような様子だったから、どうしても話をしなければならないとは思わなかったのだ。

 

「ギアン様が来るにしても来ないにしても、御子さまには早急に最後の遺産を継承していただかねば」

 

 逸れた話を戻すべく、クラウレが言う。

 

「……うん、わかってる」

 

 クラウレの言葉にミルリーフは頷いた。表情から見る限りまだ決心はついてはいないようだが、頭ではその必要性を理解しているようだ。

 

「そういや、お前らも一緒に行くんだっけか」

 

 継承ことを耳にして、ネロはミルリーフと御使いもラウスブルグに乗り込むということを思い出した。もっとも何の条件もないネロとは異なり、彼らはバージルの準備が整うまでにミルリーフが至竜としての力を振るえるようにするという条件のもとでだが。

 

「ええ、そうですわね」

 

「その後どうするんだ? メイトルパだかに残るのか?」

 

 肯定したリビエルに尋ねる。これまでラウスブルグに住んでいた者達は、故郷であるメイトルパに残ることは間違いない。しかしクラウレやアロエリはともかく、リビエルやセイロンはメイトルパの生まれではないのだ。

 

「私はメイトルパの生まれではありませんし、御子さまについていきますわ」

 

「俺とアロエリは隠れ里で生まれ育った世代だ。今さらメイトルパに戻ろうとは思わん」

 

 同胞を故郷に返すため一度はギアンについたクラウレだが、彼自身はラウスブルグで生まれ育ったためか望郷の念はないようだった。

 

「既に御子さまや他の御使いには話したが、我は御使いの座を辞するつもりだ」

 

「どういうことよ、それ?」

 

 てっきりセイロンも他の三人と同じように、ミルリーフについているものとばかり思っていたリシェルは驚いて声を上げた。

 

「セイロンは客人だったのだが先代に請われて御使いとなったのだ。御子さまが一人前になるまでという期限付きでな」

 

「そもそも我は召喚されたのではなく、自らの意思で訪れたのだよ。我が一族が奉っている龍神イスルギ様が遣わした龍姫さまを探すためにな」

 

 御使いになった経緯はクラウレが説明し、リィンバウムを訪れた目的はセイロン自身が説明した。

 

「そっか。それじゃあ、御使いを辞めた後はまたその人を探すんだね」

 

「うむ。しかし、いかんせん手がかりがなくてな。まあ、あの方もこちらに渡って長いから、さほど心配もしていないが……」

 

 ルシアンの質問に答えつつ、セイロンは息を吐いた。彼の探す龍姫はエルゴの王がまだ存命だった頃にリィンバウムにやってきたシルターンの龍神だ。力もそれ相応のものを持っているため、身の安全という意味では心配ないが、手がかりもなしに探すとなるとどれだけの時間がかかるかわからない。

 

「……ってことは、セイロンはラウスブルグには行かないってこと?」

 

「そこはまだ決めていないのだよ。まあ出発までには決めておくよ」

 

 セイロンはフェアの質問に気楽そうに答えているが、彼も意外と悩んでいるのだ。先代との約束はミルリーフが最後の遺産を継承すれば、果たしたことになるだろうが、恩義ある先代守護竜の死から始まった今回の一件を最後まで見届けたいという想いもあるらしい。

 

「そっか……、ネロさんとはもうすぐお別れなんだね」

 

 別れが近いことを改めて認識したルシアンが寂しそうに言うと、ネロはあっけらかんと言い放った。

 

「そんなに深刻な顔するなって。案外簡単に会えるかもしれねぇぞ」

 

 そう言うネロの頭の中にあったのはラウスブルグだ。異なる世界を自由に往来できる「船」のラウスブルグがあれば人間界とリィンバウムを行き来することは容易だ。

 

「確かに城の機能を使えば行き来は可能ですけど……」

 

 ネロの考えが読めたらしいリビエルは、それに否定的だった。口には出していないが他の御使いも同様のようだ。

 

 その反応は当然のことだった。先代の守護竜はラウスブルグの異界へ渡る力の持つ危険性を考えてずっと秘匿し続けていたのだ。同胞が故郷へ帰るためにラウスブルグを利用したかったクラウレも、必要以上にその力を行使すべきないという立場なのだ。

 

「リビエルやみんなの考えは分かるけど、あの人はそんなの気にしないだろうなぁ……」

 

 フェアが見たバージルは、もはやラウスブルグは自分の所有物程度にしか考えてないように見えた。先代の守護竜が守ってきた秘密など知ったことではないと言わんばかりの態度である。

 

「そういえば、結局あいつネロの故郷まで行って何がしたいのよ。あんた何か聞いてないの?」

 

 リシェルが尋ねたのは、バージルにはにべもなく断られたことだった。本人には言うつもりはなくとも、親密な間柄であるポムニットなら何か知っているのではないかと考えたようだ。

 

「私も詳しくは聞いていません。でもバージルさんにとってはきっと大事なことだと思います」

 

 バージルが人間界に行ってしようとしていることはポムニットも聞いていない。だが、大抵のことなら一人でやってしまうバージルが、わざわざラウスブルグを使ってまで人間界に行こうとしているのだから、よほど重要な物か人があるのだと推測はしていた。

 

「あんた……よくそれで納得できるわね」

 

 リシェルは呆れたように呟いた。もし自分がポムニットの立場だったら、詳しい説明を求めていたことは間違いない。

 

「そうですか? 特に気にしたことはありませんけど……」

 

 ポムニットは不思議そうに首を傾げた。まだ子供の頃にバージルと会って以来、彼女は一度も裏切られたことはなく、多くのものを与えてもらった。それゆえに無条件の信頼を寄せているのだ。だからバージルが詳しく説明しなくとも、不安に思ったことはなかった。

 

「はぁ……、もういいわよ」

 

 リシェルは諦めたのか、大きく息を吐いていると、ミントが尋ねた。

 

「ところで目的を果たしたら、バージルさんはラウスブルグをどうするつもりかわかる?」

 

 バージルが人間界に行くためにラウスブルグを手に入れたということは何度も聞いている。しかしミントが気になったのは、その後のことだ。もし、もう用済みとラウスブルグを放り投げたら、それこそ血みどろの争いにもなりかねない。

 

「うーん、どうなんだろう。よかったら聞いておきます?」

 

「いや、あいつならとりあえずでも手元に置いとくだろ」

 

 特に聞いてなかったポムニットはバージルに確認しておこうかと尋ねた時、ネロが当たり前だろ、何言ってんだと言わんばかりの勢いで口を開いた。別にバージルから聞いたわけではないがこれまでの言動から、あの男ならそうするだろうと思っただけだ。

 

「…………」

 

 それを聞いたポムニットが無言でネロを見つめる。

 

「……なんだよ?」

 

 急な変わりように驚いたネロが尋ねるとポムニットは少し驚いたように目を見開くと嬉しそうに答えた。

 

「やっぱり親子なんですねぇ」

 

 やはり血の繋がりがあるとお互いがどういう人間かわかるものなのかもしれない。ほぼ初対面のネロを同行させることを早々に認めていたバージルもそうだったのだ。

 

「はぁ? 何言ってんだ、あんた」

 

 もっとも、ネロはそんなバージルのことなど知る由もないため、いきなり突拍子もないことを口にした程度にしか思っていない様子だ。

 

 そしてポムニットの予想、つまりはネロの言葉は的を射ており、バージルは人間界から戻った後もラウスブルグを手放すことなど考えていなかった。唯一違ったのは、バージルは「とりあえず」などという理由でラウスブルグを手元に置いておくつもりではなく、明確な理由があったのだ。

 

 魔界最悪の逆賊スパーダの長子であり、魔帝討滅の意思を固めたバージルの計画。既にラウスブルグはそれに組み込まれていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




バージルと一緒だから戦う機会がほとんどないだけで、意外とポムニットは強いです。

次回は7月22日(日)に投稿予定です。

ありがとうございました。

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