(ここにもなしかよ……)
トレイユの街中に位置する雑貨屋から出たネロは肩を落として大きく息を吐いた。お目当ての品物はこの店にはなかったのである。
ネロが探していたのはレッドクイーンやブルーローズの整備に使う工具だ。
レッドクイーンの大掛かりな修理や改造を施す場合を除き、それ以外の場合やブルーローズ自体の整備はネロ自身が行っている。だが、ネロがリィンバウムに召喚されたのは仕事中のことだったため、そうした整備に必要な工具の類は持って来ることができなかったのである。
ブルーローズには愛着が湧くように手ずから薔薇のレリーフを彫ったネロだが、整備に使う工具については特に愛着はないようだ。
「仕方ねえ、整備は諦めるか……」
レッドクイーンとブルーローズは大事な商売道具でもあるため、これまでのように簡易的なものではなく、そろそろ分解整備くらいしておきたかったのだが、肝心の工具がなければ話にならない。リィンバウムには工具が必要になる日常品がないため当然と言えば当然だが。
それに今整備をしないからと言って、信頼性が極端に低下するわけではない。フォルトゥナで起こった事件の際は今の何倍も酷使しても故障の一つもなかったのだ。
「ネロ君、こんなところでどうしたんだい?」
「ああ、アンタか」
仕方なく、忘れじの面影亭まで帰ろうとした時に背後から声をかけられた。振り返ったネロは、声をかけてきたセクターに挨拶代わりに片手を上げた。
「足も治ったんだな」
セクターは以前のように足を引き摺って歩いてはいなかった。ゲックの修復を受けたおかげで足回りも機能を取り戻したのだろう。顔も憑き物が落ちたようにすっきりとしている。
「ああ。君のおかげでね」
「別に、何もしてねぇよ」
鼻を鳴らしてふいと顔を逸らす。ネロは感謝されたいがために、ゲックにセクターを治すよう言ったわけではない。世話になっている者達がセクターの死を望んでいなかったから、そう言っただけなのだ。
「君の言葉がきっかけになったのは事実だよ。……それで何かあったのかい? 何やら落胆していたようだが?」
話を戻し、声をかけた理由を口にしたセクターにネロは指でブルーローズを一回転させて答えた。
「こいつの整備でもしようかと思ったんだが、生憎工具がなくてね」
「それなら私の持っている物を使ってみてはどうかな?」
ネロの落胆した理由を悟ったセクターは申し出た。さすがに帝国でも工具はどこでも買えるというわけではない。セクターも自身を整備するための工具は、わざわざ店に頼んで近くの都市から取り寄せてもらい、ようやく手に入れたのだ。
「……確かにあそこなら使えるものがあるかもしれないな」
以前に訪れたセクターの部屋を思い出しながら答える。ベルゼンの施設から逃げ出した彼は、自分の体の整備を自身が行わなければならず、そのために必要な工具類も一通り揃えてあったのだ。
「なら決まりだ」
セクターは微笑んで頷き、案内するように歩き出す。ネロも大人しくその後に続いて歩を進めた。一度セクターの家には行っているが、その時はフェアの案内があったため、一人で行けると自信を持っては言えなかった。
ネロとセクターは揃って歩くが、共通の話題もないためお互い一言も口を開かず無言のままだった。
しかし、間もなく目的地に着くところまで来て、セクターは視線を歩く方向に向けたまま口を開いた。
「まだフェア君達には言ってないんだが……、実は君達の一件が落ち着いた後、あの男の贖罪の旅に同行しようかと思っているんだ」
あの男というのはゲックであることは、ネロにもすぐに理解できた。
つまり彼は少し前まで復讐すべき相手だった男に同行しようというのだ。もちろん隙を見て暗殺しようと企んでいないことは分かる。きっとセクターはここ数日のゲックの態度や言葉を見聞きして決断したのだろう。
「いちいち理由は聞かねぇぞ。……それで? 俺はこれをフェアやリシェルにでも話せばいいのか?」
わざわざ同行する理由を聞くなんて野暮だ。セクター自身がそう決断したのなら受け入れるだけだ。むしろネロが気になったのはセクターがそれを自分に言った理由の方だった。教え子には中々言い辛いから自分を通して言って欲しいのかと勘繰ったのである。
「いや、彼女達にも自分の口で言うよ。君に言ったのは、こんな機会がこれから取れるかわからないし、今言っておくことにしたんだよ」
結果的に身の振り方を最初に聞いたのが、セクターが変わるきっかけとなったネロになったことは、ある種の必然かもしれない。
「……そうか、ちゃんと言ってやれよ。あいつら、あんたのことを本当に慕ってるようだしな」
「今回のことでそれは痛感したよ。……私は彼女達に救われたようなものだ」
セクターが私塾を開いたのは生きるための糧を得るためだった。しかしフェアやリシェル、ルシアンのような生徒と過ごしてきたことによって、知らず知らずのうちに生きるための活力を与えられていたのだ。多くの生徒に慕われるような教師になることができたのも、そうした活力のおかげに違いない。
「ならいいさ」
ネロが僅かに口角を上げてそう言ったところで、図ったようにちょうどセクターの家に到着した。
「それじゃこいつら借りてくぜ」
いくつか使えそうな工具を見つけたネロは、セクターにそう告げて借り受けることにした。整備は戻ってすぐ行うつもりだったので、明日くらいには返せるだろうと考えていた。
「そんなに急がなくていいよ。代わりもあるし、そう頻繁に使うものでもないからね」
セクターは元軍人の習性からか、紛失や破損に備えて工具類にも予備を用意していた。自身の整備と言っても、簡易的な点検はともかく工具類を使うものは毎日するわけではないのだ。しかし、トレイユで工具類を手に入れようとすれば、十日以上はかかるため複数備えておくことはリスク管理の観点から当然のことかもしれない。
「おう、悪いな」
ネロは片手を上げて謝意を示し、セクターの家を後にした。既に昼時は過ぎているので、今から帰れば忘れじの面影亭の営業も終了していることだろう。そしていつも通り昼食を食べてから部屋に籠って得物の整備をする。
そのようなこれからの予定を頭の中に描きながら中央通りを歩いていると、不意に後ろから小さな衝撃を感じた。
「あ、パパ、ごめんなさい」
ぶつかってきたのはミルリーフだった。通りで大した衝撃も感じなかったわけだ。
「ミルリーフか。どうしたんだ、こんな所で?」
彼女が一人で街中にいるのは珍しい。いつもならフェアかリシェルかルシアンのいずれか、あるいは御使いの誰かが一緒にいるのだが、今は周囲を見る限り一人のようだった。
「ミルリーフね、マルルゥっていう子を探してるの!」
「そりゃ偉いな。しかし何でそいつを探してるんだ?」
「クノンって言う人がその子を探しているから、ミルリーフも手伝ってるの!」
そこまで聞いてネロはようやく事情が呑み込めた。ミルリーフは困っている者を放っておけなくて、捜索に協力しているのだろう。
「御子さまー!」
ネロがそんなことを考えていると、少し遠くからリビエルの声が聞こえた。どうやらミルリーフは一人でいるのではなく、リビエルからはぐれてしまっただけのようだ。
「おい、こっちだ」
手を上げてリビエルに知らせる。それに気付いたリビエルは息を切らしながら走ってきた。その隣には見知らぬ女性が立っている。もしかしたら彼女がミルリーフに言っていた「クノン」という人物かもしれない。
「御子さま、はりきるのは結構ですけど、一人にはならないようにしてほしいのですが」
「……はーい」
リビエルの言葉に不満があることを顔に出しながらも、ミルリーフは返事した。一応悪いことをしたという自覚はあるようだ。
「失礼ですが、こちらの方は?」
「パパだよ!」
ネロの方を見て尋ねた女性の言葉にミルリーフが答える。
「なるほど、お父様ですか」
「正確には親代わりですわ」
先ほどもパパと呼んでいたためか、特に疑問も抱かずに信じた女性に、一応言っておこうとリビエルが口を開いた。
「ネロだ。あー……」
名乗ったはいいが、相手の名前を聞いていなかったネロが口ごもる。それで自分の名前を伝えていなかったことに気付いたのか、女性が言った。
「申し遅れました。クノンと申します」
「ああ、ミルリーフが言ってたのがアンタか。探しているやつがいるとか」
名前を聞いて納得した。やはりミルリーフが協力していたのは彼女だったようだ。
「ご理解いただけているようでなによりです」
「それに他の御使いにも協力をしてもらっていますの。なにしろ探すのは小さな妖精という話ですから手は多い方がいいかと思いまして」
「妖精?」
てっきり普通の人間かと思っていたネロはリビエルの言葉を繰り返した。
「花の妖精です。大きさはおおよそ人の顔くらいです」
「それくらいの大きさとなるとまだ年若いでしょうから好奇心も旺盛ですし、迷子になってしまったのだと思いますわ」
二人の説明で詳細も飲み込めたネロは、同時に手伝わなければならない状況に追い込まれたことを悟った。さすがにここまで聞いて、協力しないと言うのはあまりにも薄情である。
「まあ、手伝うのはいいけどよ。探すあてはあるのか?」
あてもなく探して見つけられるほど、この街は狭くない。せめて行きそうなところくらいのヒントは欲しいところだ。
「花の妖精ですから、大地のマナを感じられるところだと思いますわ」
マナと言われてもピンとこないネロではあったが、それでもリビエルの言っていることはなんとなく理解できた。
「……結構広いな」
トレイユは一時、皇族の別荘地候補として名が挙がったほど自然豊かな街である。中央通り以外はほぼどこへ行っても緑はあると考えていいのだ。
「ええ、ですから他の御使いにも探してもらっているんです」
どうやらリビエルが応援を頼んだのは小さな妖精を探すから、という理由だけではなかったようだ。それでも、まだ見つかっていないことを考えると結構苦戦しているらしい。
「それに私の仲間も探していますから」
「確かにそんな話してましたわね。何人くらいいますの?」
リビエルがそんな言い方をするということは、彼女はまだクノンの仲間に会っていないようだ。おそらく彼女が仲間と別れた後に会ったのだろう。
「二人です。彼らと四人で聖王国まで行く予定でしたから」
「見つけたらそいつらにも伝えなくちゃいけないってことか」
面倒なことになったとネロは舌打ちをした。
「とりあえず、夕刻前にはお店に集まることにしましょう」
「仕方ねぇ、それしかないか」
連絡をとる手段がない以上、見つける、見つけないにかかわらず、どこかに集まりその上でクノンの仲間を探すという手間のかかることをしなければならない。ネロが溜息を吐くのもしょうがないことだ。
「それならネロは彼女と一緒に探してくださいな。お店の場所はわからないでしょうし。……私は御子さまと探します」
「えー! ミルリーフ、パパと一緒がいい!」
「いけませんわ御子さま。今日は私がお供なのですから」
ぴしゃりとリビエルが断じた。先ほどは一時離れてしまったが、今度はそうはいかない。そんな決意がネロにも伝わってくるほどだ。
「何でもいいからさっさと探しちまおうぜ。あんまり時間もないしな」
もう昼は過ぎている。できれば今日中にケリをつけたかったネロはすぐにでも探しに行きたかったのだ。
「……そうですわね。私達は正門の方に向かいながら探しますから、あなた達はこの辺りを中心にお願いしますわ」
「わかった。ミルリーフも頼んだぞ」
ミルリーフの頭をぽんと撫でて、ネロはため池に向かって歩き出した。ため池のさらに西側は特に自然が多い。まずはそっちから行ってみようと考えたようだ。
そしてクノンも無言でついて行った。
かくして思いがけず人探しならぬ、妖精探しを手伝う羽目になったネロだったが、二時間ほどかけてため池以西を探しても、妖精の姿は影も形もなかったため、徒労感を感じていた。
クノンもいる手前、それを見せてはいないネロだったが、明らかに声の張りは落ちていた。
「次はどこを探すか……」
「少し休みましょう。どうやら疲れが溜まっているようですから」
「いらねぇよ」
疲れているのは事実だが、あくまでそれは精神的なものであり、身体的には全くの無傷で健康そのものなのだ。
「そうですか、しかし念のためスキャンで確かめさせていただきます」
「は?」
どういうことか問い質す前に、クノンからカメラのフラッシュのような光が放たれた。
「ふむ、確かに体に異常はありませんね」
どうやら今のが彼女が言っていたスキャンだったらしい。しかしネロはそんなことよりも、どうやってやったかが気になった。ここの文明レベルから考えて携帯サイズで体をスキャンできるものなんて作れるはずがない。
「なあ、もしかしてアンタ、召喚獣、か?」
リィンバウムにおける召喚獣の扱いについては知っていたため、若干聞きにくそうに尋ねた。
「正確に言えば、
「やっぱりそうか」
ネロは納得したように頷いた。それ以上聞くつもりはなかった。元々召喚獣であるか尋ねたのも、ただ単に気になったからだ。
そしてクノンはネロから更なる質問が来ないことを確認すると「私も聞きたいことがあるのですが」と口を開いた。
「間違っていたら申し訳ありません。もしかしてあなたは人間ではないのはありませんか?」
最初に謝罪を口にしてからクノンが発した言葉は、ネロの核心を突いたものだった。
「なんでそう思う?」
ネロ自身としては己のことを人間と思っているが、同時に悪魔の血を引いていることも自覚している。そのため今日会ったばかりの者に人間ではないと言われてもさほど気にならなかった。
「勘です」
「…………」
真顔で何の根拠もないことを平然と言ったクノンに呆れたような視線を送った。ネロはてっきり先ほどのスキャンで
「半分冗談です。実はあなたと似た人を知っているので、もしかしたらと思ったのです」
どういったところが似ているかはわからないが、自分と似ている者がいるということ聞いて気にならないわけがなかった。同時にさっきのクノンの言葉からその人物も人ではないということも考えると、ある人物の名前が浮かんできた。
「……まさかそいつの名前はバージルとか言うんじゃないだろうな」
「驚きました、大正解です。もしかしてあの方とお知り合いですか?」
機械人形であるためか、あまり表情の変化を見せないクノンも、まさかネロの方からバージルの名が出てくるとは思っていなかったのか、目を見開いて驚いていた。
「親父らしい、詳しくは知らねぇが」
「……これは大変なことになりそうです」
ぼそりと言ったネロの言葉に、クノンはさらに驚いた様子で言った。しかし同時に、どこかわくわくしているような雰囲気も感じ取れた。もしかしたら今の言葉に続いて言った「これが修羅場というものでしょうか」という言葉に関係あるのかもしれない。
「……数日前にも来たし、しばらくここにいれば会えると思うぞ」
どうやらクノンはバージルのことを知っているようだったため、一応情報くらい提供することにした。だが、クノンは見るからに残念そうな顔をして言った。
「非常に残念ですが、私にもするべきことがあるので、長くは留まれないのです」
「そうか。……で、北と南どっちに行く」
断ったのなら話を戻し、これからどの方向から探すか意見を求めた。中央通りで区切って、北ならミントの家があるほうで、南なら先ほどネロが立ち寄っていたセクターの私塾がある方角だ。
「お任せします。私よりあなたのほうがこの町の地理に詳しいでしょう?」
トレイユに来たばかりのクノンは捜索場所については一任するつもりのようだ。ネロもこの町にきて一年はおろか、半年も経ってないが、少なくとも今日来たばかりのクノンより詳しいというのは事実だった。
「……なら北の方からだ。いいよな?」
ネロが北から探すことにしたのは単純に北側の方が探す面積が広いからだ。南側は私塾から中央通りまではセクターから工具を借りた後に歩いている。その時は特に誰かを探していたわけではなかったが、いくら人間の顔ほどの大きさとはいえ見慣れないものがいれば自分なら気付くはず、という自信もあった。
「ええ、行きましょう。あと二時間もしない内に日も暮れてしまいます」
「あまり時間もないな。他になんか探す手がかりになりそうなことはないのか? 好きなものとかよ」
マルルゥは花の妖精という話だったため、こまでは花や植物のありそうなところを重点的に探していたのだが、残り時間を考えるとできれば品種まで特定したい。
「具体的な品種までは分かりません。ただ、こちらの世界の花よりも、故郷の花の方が好きではないかと思います」
「故郷っていうとメイトルパ、だっけか?」
「ええ、そうです。……ただ、私は詳しくありませんし、そもそもメイトルパの植物自体、そう都合よくあるとは限らないと思いますが」
クノンの言うことは当然のことだ。召喚術を用いて呼び出されるのは「召喚獣」という言葉が使われるように生物がほとんどだ。一応「召喚獣」という言葉は総称であるため、無機物や植物も含まれるのだが、実際そうしたものを呼び出すのは研究などの例外的な状況に限られるのである。
「なるほど、それなら専門家にでも聞いてみようぜ。ちょうどこれから行こうと思ってるあたりに住んでるしよ」
ネロの脳裏に浮かんだのはミントだ。メイトルパの召喚術を扱う彼女なら当然メイトルパの妖精にも詳しいだろう。
「召喚師がいるのですか?」
クノンが少し驚いたように聞き返した。帝国では一部の召喚術こそ民間にも解放されているが、他の大部分は厳しく管理されている。そのため、まさかこんな都市でもないただの宿場町に召喚師がいるとは思わなかったのだろう。
とはいえ、ネロはそんな帝国の事情など知らなかった。実際のところ、彼の召喚術に対する知識はそこらの子供と変わりない。
「ああ。何やってるのかは知らねぇけど、確かメイトルパが専門とかっていう話だし、大丈夫だろ」
ミントは自分の研究内容をひけらかすような真似をする人物ではないため、ネロは彼女が普段どういうことをしているのか分からなかった。それでも協力を求めようと思ったのは、人のいい彼女なら快く手伝ってくれると思ったからだ。
それにこれまで何度か話もしているし、一緒に戦ったこともあるため、頼みやすいという理由もあった。
「そうですね、話だけでもしてみましょう」
クノンとしても召喚師の協力を得られるのなら、闇雲に探すよりも効果的だと思ったようで大きく頷いた。
そして意見がまとまった二人は、まずミントの協力を仰ぐために、彼女の家に向かった。
「うーん、花の妖精が好きそうなものかぁ……」
ミントの家についたネロとクノンは、早速彼女に事情を話し情報の提供を求めたのだが、当の彼女は困ったような顔をして、考え込んでしまった。
「もしかして、専門じゃなかったか?」
「私が研究しているのは異世界の植物のことだからね。あ、でもメイトルパのことならいくつか本も持ってるから、そっちで調べてみるね」
研究の対象ではないとはいえメイトルパの召喚術を扱う以上、ミントがそうした召喚獣について書かれた本を持っているのは当然だった。
「ところで、玄関から見えた畑にあるのは研究しているという植物ですか?」
「うん、そうだよ。全部じゃないけどね」
ミントが畑で栽培している野菜は、本来は研究目的なのだが、実際のところはフェアの店にも出荷しているのである。もともとは研究で余った分を安くフェアに提供していたのだが、最近は店の方も繁盛しているためか、使用する野菜の量も増えており、今では研究のために栽培しているのか、フェアに提供するために栽培しているのか、よくわからない状況となっているである。
「気に入った植物があるかもしれないってことか」
クノンの考えていることがネロにも分かった。異界の植物も栽培しているのであれば、その中にマルルゥが気に入ったものがあるかもしれない、ということだろう。
「そういうことなら案内してあげるね」
畑の見回りは護衛獣のオヤカタに任せているとはいえ、生育状況の確認もあるため、ミントも日に一度は見ている。それも兼ねてネロとクノンを案内することに何の抵抗もなかった。
そうして三人は畑を見に行くため、ミントの家を出た。
「そういやこの家って随分デカイな。わざわざ買ったのか?」
一人で住むにはだいぶ大きな家だ。帝国の住宅価格は知らないが、中古物件であろうとそう安くはないだろう。
「ううん、借家だよ。テイラーさん……リシェルちゃんとルシアン君のお父さんから借りてるの。さすがに畑は後から作ったけどね」
ミントがトレイユに来たのは蒼の派閥から派遣されたからだ。そのため、住宅の賃貸料もある程度支給されているのだ。
元は空き家だったミントの家もそうしたお金を使って借りているのだ。ただ、畑だけは最初から備わっていたわけではなく、フェア達の助けも借り、一から作ったものだった。今フェアに野菜を卸しているのはそうした付き合いがあったからなのだ。
「あれ? なんだろう?」
その畑まであと少しというところで、畑をふわふわと動く光があった。その光は案外早かったようですっと畑から離れていった。
「おそらくあれだと思います」
「マジかよ……」
妖精とは聞いていたが、まさかただの光の球とは思っていなかったようだ。あるいはただ球形に光を放っているだけで、距離を詰めればネロがイメージしているような妖精の姿になるのかもしれない。
三人はさすがに野菜や植物が植えられている畑の上を走り抜けるわけにもいかないため、畑を避けるようにしながらその光を追って行くことにした。
「あれは……」
光を追ってミント畑から出たネロは光の向かう先に、見知った顔をあったのに気付いた。ミルリーフとリビエルである。彼女らは長身の男と犬のような姿の亜人と一緒にいた。
「お二人と一緒にいるのが、私の仲間です」
その二人がクノンの言っていた仲間だったようで、光はちょうどその二人に向かっているようだ。きっと畑から二人の姿を見つけたから、向かったのだろう。
「とりあえず、一件落着か……」
クノンの仲間の二人が、行方不明だった仲間と再会して嬉しそうにしているのを見て、ネロは何とか今日中に解決したことに安堵していた。
さすがに長くなりそうなので分割です。
なお、クノンが期待するような状況は過ぎ察った模様。
次回はいつも通り2週間後の8月19日(日)に投稿予定です。
ありがとうございました。