間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争―   作:桜雁咲夜

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終わりがはじまり

「……喉が……渇いたわ」

 

 どれくらい眠っていたのだろうか?

 

 病室の白い天井を見上げて、私はため息混じりに呟いた。

 眠ってしまう前に点滴投与してもらった痛み止め(モルヒネ)のおかげで、いつもなら私をさいなむ痛みを感じない。

 副作用の全身の倦怠感となんとも言えないぼんやりとした感じは取れないが、痛み止めがなければ安静に寝ていることすら出来ないのだ。

 

「目が覚めたのか。大丈夫か?」

 

 私の声に、ベッドの傍らの椅子に座り本を読んでいた夫が声をかけてくれた。

 

 白髪がかなり目立つようになった初老の彼の声は、いつ聞いてもやさしい。

 この声も、もうすぐ私は聞くことは出来なくなると思うと寂しさで胸が詰まる。

 

「痛み止めが効いているみたい。……水か白湯をくれない?」

 

 彼は頷いて、かたわらの棚においたポットから、湯のみにお湯を注ぎ、ベッドテーブルの上においた。

 それを見て無理に起き上がろうとする私を、夫はやんわりと止めるとベッドの足元にあるスイッチを操作して上半身を起こしてくれた。

 

「ありがとう、あなた」

 

「どういたしまして。こんなことでもないと役に立てないからな」

 

 照れ隠しの苦笑を浮かべて、彼はコートを手にした。

 

「ポットのお湯がなくなったみたいだから……下の売店で水を買ってくる。何かほかにほしいものはあるか?」

 

 その言葉に返事のかわりに、首を振ってほしいものはないことを私は伝える。

 

「そうか。じゃあ、すぐ戻るから」

 

 外に出て行った彼の背を見送り、ドアを見ながら白湯を飲む。

 

 膵臓ガン……それが私の病名だ。

 

 娘の結婚式の次の日に、私は耐え切れないほどの腹痛と腰痛に襲われ……搬送された病院でそれがわかった。

 腹痛と腰痛はいつものことだと、軽く見てずっと放置していたのが裏目に出た。

 すでに末期であり、周囲の臓器に転移しており、手の施しようがなかった。

 

 医師から宣告された寿命は、とうに過ぎた。

 いつ、死んでもおかしくはない。

 

 普通なら、痛みや死への恐怖から錯乱するらしいのだが……。

 幸いなことに自分の両親は既に鬼籍であるし、未練は残していく事になってしまう夫が心配なことくらいで、痛いことと苦しいことが無くなるのであれば死ぬことも怖くはない。

 

 普通のサラリーマン家庭に生まれ、中学でRPGにハマった。

 高校で同人に手を出し、周囲の友人たちがボーイズラブに染まっていく中、ただ一人男性向けのギャルゲーや18禁エロゲーに走った変わり者の私。

 大学、就職と進んでいっても表面上は一般人を気取る、隠れオタク。

 

 今思えば、あの頃が一番輝いていたのではないだろうか。

 

 そのおかげで、同人相方・コスプレ相方としての今の夫にも出会ったし、結婚もできた。

 子供が生まれてからは、同人から足を洗って子育てをして……年を経て、その娘も嫁に行った。

 

「まあ、いい人生……だったかな」

 

 自嘲気味につぶやく。

 

 ふと、夫が座っていた椅子に視線を向けると、先ほどまで読んでいた本の表紙が目に入った。

 

 ――Fate/zero

 

 二十数年前に出た小説。

 元々は、ゲームのFate/stay nightの前述譚として作られたものらしい。

 アニメ化もされたが、当時はまだ子供が小さかったためリアルタイムでは見なかったが、あとで見るためにとDVDは買ったっけ。

 そして最近になって、またアニメがリメイクされるらしい。

 おそらく、それで懐かしくなって彼はこの小説をまた買ったのだろう。

 

 娘もオタクの道に走ったのは、絶対こんな両親だからだと私は思う。

 

「それにしたって、病室で読む内容なのかしら、これ……?」

 

 思わず、苦笑がこぼれる。

 

 著者が鬱ゲーのシナリオライターとして有名な人で、実際の内容も期待にもれず陰鬱な内容だった。その中でも雁夜というキャラクターがあまりにも悲惨な最期を遂げていて、その扱いに納得できなかった私と夫はネット小説や同人誌にその救いを求めるくらいだった。

 

 そういえば、雁夜の刻印蟲の痛みに耐える様は、今の私とよく似ている。うん、娘がいたらまちがいなく「お父さんは、配慮とデリカシーと思いやりが足りない」と夫は怒られていただろう。

 

 でも、そんなうっかりのある夫だからこそ、私は好きなのだ。

 

 椅子の上に手を伸ばして、その本を取ろうとして……私の意識は無くなった。

 

 

 

 

 

 ……夫が駆け寄ってきて、私を抱きしめてナースコールをする声と、看護師や医師達が走り回る足音がどこか遠くから聞こえた気がした……

 

 

 

 

 

 56歳。

 それが私が死んだ年齢だった。


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