間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争― 作:桜雁咲夜
知識と神秘の集まると名高い時計塔の講義室。
ケイネスは担当である降霊術の講義を行っていた。
「――――であるから、降霊の際には霊格にあった触媒を用意したほうが成功率が高いという結果になる。さて、今回の講義はここまでとする」
教卓の上で講義に使用した羊皮紙の書類を丁寧に丸めながら、ケイネスはさらに言葉を続ける。
「ああ、そうだ。以前言った通り、課題レポートの提出期限は今週末までなので忘れずに提出するように。もし間に合わない者がいるのならば、期限を延ばして個別に対応しても良いがその分減点し、採点を厳しくするつもりだ。その点を念頭に置いて行動するように」
そして、まとめた書類を最近助手になったばかりの黒髪で白衣を着た眼鏡の男が片付ける。
この男は、周囲から少し浮いていた。それは、魔術師としての技量やその家柄からというわけではなく、その美しい顔が原因だった。
少し癖のある黒髪を整髪剤で撫で付け、かけている黒縁の眼鏡は何の変哲もないセルフレーム。ヨレヨレの白衣はまるで魔術士とは相反する科学者のようだが、ケイネスの研究室にある薬品や鉱物の扱いを考えれば白衣を着用したくなる理由は分かる。
そんな一般的で地味な研究者のような格好をしているのに、対照的な眼鏡でも隠し切れない抜身の剣のような危うい美貌。近寄りがたい雰囲気が漂っているのだ。そのため、彼と口を利くものはわずかしかいない。
それでも、その美貌に惹かれる恐れを知らない恋する乙女(中には漢女もいるようだが)は彼を誘おうと果敢に日々砕け散っているようではあった。
「……ねえ。先生って、ずいぶん丸くなったと思わない?」
講義室を後にする師と助手を見ながら、女生徒の一人が隣にいる生徒へつぶやく。
「そうかな。相変わらずだと僕は思うけど?」
話を振られた、女性と見間違えそうなほど華奢な黒髪のおかっぱの青年は、書きかけだったレポートの続きにペンを走らせながら、苦々しそうに答えた。
「だって、レポートの期限延ばして個別対応とかありえない。しかも、提出期限を再度知らせるとかもありえない。一度言ったことは二度と言わないあの先生がだよ?」
「気分屋なんだろ。それに権威主義で家柄、血筋大事なのは変わんないじゃないか」
「えー。確かに偉そうなのは変わりないけど、少なくともソラウ女史が正式に助手になってからだっけ? うちらみたいに歴史の浅い家系にだって目をかけてくれるようになったし、家柄を笠に着ることはなくなったじゃん。さっきの
その言葉に青年――ウェイバー・ベルベット――は手を止めた。
「……内容自体は散々こき下ろされた。現実を知らない机上の空論だってさ。しかも、同席してたソラウ女史にまで丁寧に一つ一つ実証されてツッコミを入れられて……完全に圧し折られたよ」
しかし、貶されただけではなかった。認めてくれた部分だってあったのだ。
推察と要点を整理する力、他者の能力への理解力。そして、
「家柄に拘る理由も、魔力回路にこだわる理由も、歴史による魔力刻印の大切さもそれでわかったけど……それでも、やっぱり僕はソラウ女史はともかく、ケイネスは大嫌いだ」
プライドだけは高かった自分。
それを叩き潰して矯正してくれたのはケイネスとソラウだが、天才であるケイネスには感謝の気持は抱けない。
「くそっ……凡才は頑張っても天才に勝てないなんて……バカにしやがってバカにしやがって……!」
「あー……でも仕方ないじゃん? 凡才が努力するより天才が努力するほうが遥かに伸びしろがあるのって」
諦めの入ったその言葉にウェイバーは彼女自身が、天才と呼ばれる双子の『姉』のスペアとして育ったと聞いたことを思い出した。
同じ努力をしても、生粋の天才には敵わない。回路がたとえ同じ数あったとしても、努力と研鑽を積んだとしても、元々の才能と歴史を刻んだ魔術刻印の有無によって更に差は広がる。
精神論を否定はしたくないが、実体験として天才に差を付けられた彼女には重い事実なのだ。
何か言わねばと言葉を探すうちに、時間を知らせる鐘の音が鳴り響く。
「いっけない、次の時間は錬金術じゃん!」
慌てて彼女は鞄を持って、席を立つ。
「ま、凡才なりにさ、頑張ろうよ。天才には確かにかなわないけど、根源にたどり着くのは天才じゃなくて切り捨てられた凡才だと私は思ってる。それにね、私は凡才でよかったと思ってるよ。こうして、ウェイバーと出会えたからね?」
満面の微笑みを浮かべて見つめてきた彼女に、ウェイバーは思わず顔を赤く染め言葉を失った。
そして、手を振ってから部屋の外へと走る彼女の背を見ながらウェイバーはつぶやく。
「……不意打ちすぎる」
その小さな声は、誰にも聞こえることがなく室内に溶けていった。
ケイネス達が講義室から時計塔地下の講師陣の研究室の階層に戻り、自室の扉を開けると紅茶の香りが広がった。
「おつかれさま。お茶淹れておいたわ」
工房の主人の帰還に、室内で待っていた女性が茶器を手に声をかける。
「ありがとう、ソラウ」
ケイネスは滅多に見せない笑みを浮かべて上着を脱いでから、琥珀色の紅茶の満たされたカップを手に取った。
側付きか使用人のようにケイネスに付き従っていた助手の白衣の男は、奥の書棚に手にしていた書類を片付け、ケイネスから受け取った上着をハンガーに掛ける。
「悪いわね、使用人のような真似をさせて。お茶、
「ソラウ殿……私には食事のようなものは不要です」
そう言いながら彼は、眼鏡を外し、翡翠色の鱗粉光のような魔力をまとう。すると、白衣は特徴的な戦装束に変わった。
彼はケイネスが呼び出したサーヴァント、ランサーである。
結局、ケイネスが希望していたイスカンダルの聖遺物は、既に別の者が手にしており、手に入れることはかなわなかった。かわりに手に入ったものはケルト神話で名高いディルムッド・オディナの名剣
召喚場所は、エルメロイ家の地下であり、術を行う際にケイネスが
しかし、結果はランサーだった。
だが、それでも問題はない。
ケイネスの婚約者であるソラウは、そうなると予想しており大金と伝手を駆使し、魔剣
この行動は、ランサーとケイネスを喜ばせた。
ケイネスには、勝利を確実とするために献身的な婚約者の贈り物として。ランサーには、もう二度と振ることができないと思っていた剣を主人のために振るうことができることを。
「あら? 食事からも魔力を補給することができると聞いているわ。私からの魔力供給が足りないということはないと思うけれど、戦いに備えて温存できるようにするのも戦士としての勤めではないかしら」
「確かに一理ありますが、それよりも私が霊体化したほうが……」
サーヴァントは霊体化したほうが、魔力の消費も抑えられる。しかし、ランサーは現界したままの状態でいた。
これは、ソラウの頼みからであった。
ケイネスとランサーの相互理解を深めるために、ランサーには偽名と立場を用意しケイネスの助手としたのである。
もっとも、これがうまく行っているのかは、ソラウにもわからなかったが。
「……それとも何かね? ソラウの淹れた茶は飲めないとでも?」
「いえ、そんなことはっ! 申し訳ありません、主よ」
冷ややかな声で主と仰ぐケイネスにそう言われ、差し出されたカップをランサーは手にとった。
「ところで、その魔術礼装の効果はどう? ケイネスと一緒に開発したものだから、効果はあるはずだけど」
机の上に置かれた眼鏡を見やり、ソラウは質問を投げた。
「効果はそれなりにあるようですが……完全ではないようです」
「まだ開発段階のものだから、仕方ないわね。もうすぐ、聖杯戦争のために日本へ行くから……それまでには完成させたいところだわ」
ランサーの返答に、ソラウは自分のカップを机に置くと、眼鏡に手を伸ばして手に取るとしげしげと見つめてため息をつく。
「しかし、ソラウ。手伝った私が言うのも何だが、何故そんなものを作ろうとしているのだ? 君は魔貌の魅了には抵抗力があるだろう」
「ええ。抵抗力はあるから、魅了はされないけれど……現界させたまま日本に行く予定だし、辺り構わず魅了して人が寄って来られても困るわ。だから、魔力を封じて人と誤認させるようなものが作りたいのよ」
「さすがに霊体化して連れて行くつもりだったのだが……」
「完成しなかったら、それでいいわ。でも、完成したら現界したまま連れて行って欲しいの。だって、普段から人として行動していたら、ランサーがサーヴァントだなんて思われないでしょう? 情報戦は既に始まっているのだし」
手にしていた眼鏡を机の上に戻すと、そのそばにあった書類にソラウは目線を落とす。
そこには、ケイネスが欲してやまなかったイスカンダルの聖遺物を手に入れた相手の名前が――遠坂時臣であると書かれていた。
Q.ウェイバーは聖杯戦争参加しないの?
A.青春してればいいと思うよ!