間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争― 作:桜雁咲夜
その日、珍しく季節はずれの雷雨が冬木をおおった日。
間桐鶴野は応接間にて渡された数枚の見合い写真を見ながら軽くため息をついていた。
名目だけの当主という屈辱も魔道に対する嫌悪も、間桐家の資産と何不自由ない暮らしの対価と考えれば悪い取引ではなかった。
当主としての責務の一つに次代を担うと言う物がある。
つまりは、政略結婚にあたるわけであるが……それだけであるなら、鶴野もため息はつきはしない。
「殺されるとわかっていて、選ばなければいけないというのはどうなんだろうな……」
父の傀儡として、一生を生きねばならない自分には拒否権など無いのだ。
せめて、妻は迎えずに居られれば良かったのだが、逆らえば父である臓硯に自分が殺される。
母は、弟が生まれた後に用済みとばかりに、父により蟲蔵に入れられ……地下埋葬所には母親だったモノがあるはずだ。
それを知った時の彼の絶望感は果てしなかった。
そして、自分より才能に秀でていたのに逐電した弟に対しては、既に肉親の情は持つこともできない。
「まだ決めかねておるのか。さっさと選べばいいものを……」
奥の書斎に居た矮躯の老人……臓硯が応接間へやって来ると、写真の前で悩む鶴野を忌ま忌ましげに見た。
外の雷雨は、未だ鳴り止まずその激しさを増すばかりだった。
「どの娘でも、出身は三流とはいえなかなかの素質を持つゆえ、蟲蔵での調教で……」
その時。
屋敷のすぐ近くの木に雷が落ちた。
凄まじい閃光と雷鳴の轟く音に、一瞬窓の外に気を取られた鶴野は、視線を父に戻した後、何が起きたのか理解できなくなった。
……父が。
臓硯が、自分が見ている前でその姿を変えていったことに。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
気がつくと、自分はどこか……応接間のような場所にいた。
眼の前のソファーには、テーブルの上に写真を広げ、こちらを見て呆けた表情のわかめ髪の青年。
視線を自分の手や体に移してみれば、ミイラと見紛うほどに萎びて乾いた手足と男物の質と縫製はいいが地味な着物。
そのまま、自分の顔に手を伸ばし……乾いた老人特有の皮膚に驚愕する。
「……あ……ありえん」
思わず、そう呟いた自分をきっと誰も止められない。
いや、それよりもここはどこか?
そして、自分は一体誰なのか?
目の前のわかめ髪の青年は?
いったい、何が起きた?
あまりのことに思考が停止する。
自分は、病室で寝ていて……確か、夫が置いていったFate/zeroの小説に手を伸ばしたはずだ。
その後はよく覚えていない。
意識が遠くなって、ベッドから落ちたような記憶があるような、ないような……
瞬間。
知識が……膨大な知識が、一気に私を襲ってきた。
それは、マキリ・ゾォルケンという人物のものらしい。
正義に燃え、挫折し、不死を求め、外道禁呪に走り、500年の間に魂を磨耗させた人物……。
マキリ・ゾォルケン……って、間桐臓硯!?
……気がつくと私は間桐臓硯になっていました。
だが、しかしである。
なぜよりにも妖怪爺なのか。
私にどうしろというのか。
これは死の間際が見せる泡沫の夢か。
……あー、あれだ。
現状をちょっと整理してみよう。
少なくとも、この体を動かしているのは私の意思であり、この身体も蟲の集合体による擬態であることは把握できた。今、擬態を崩せと言われればもちろんできるし、自分の本体が左胸の本来は心臓がある位置にいる蟲だということも、臓硯が持っていた知識でわかった。
あれ?
確か、臓硯は本体の魂を写している蟲が人の血肉を依り代として体を作っていたはず。
その本体の蟲……いや、魂はどうしたんだろう?
まさかとは思うが……知識を得た際に私が取り込んでしまったのだろうか。
「それこそ、ありえん」
思わず呟いた声の音程が高い。さっき、呟いた時とは全く違う。
元の自分の声に近い。
……いやいや、そんなまさか。
自分が取り込んでしまった説が強くなってしまったではないか。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
それは、まるで昔のホラー映画かテレビで見た巻き戻しのワンシーンのようだった。
臓硯のミイラのような枯れた皮膚が若干ではあるが生気を帯び、落ち窪み眼下の奥の光だけが恐ろしさを引き立てていたその眼には戸惑いが浮かんでいる。
何かおかしい。
化物である父が、このような表情を浮かべるはずがない。
声をかける事もできず、鶴野は臓硯を見つめていた。
「それこそ、ありえん」
臓硯が呟いた。
しかし、その声も今までの声とは違う。
今までの声よりも随分と高い……女のような声だったのだ。
「臓硯……じゃないのか?」
やっとの思いで、そう声をかけると臓硯の姿をした何者かは鶴野を見やった。
「あー……えーと、鶴野さん? でしたっけ。そんな身構えなくて大丈夫」
そのセリフで更に顔色を青くして鶴野は後ずさる。
臓硯ではないようだと思っていても、長年の恐怖は変えることはできない。
「ざっくばらんに言えば、
「は? 消えた……?」
臓硯の言葉が理解できない。
自分が消えたとはどういう意味なのか。
「あー、たぶんなので確定はまだできてないけど……。今眼の前にいる私は、臓硯であって臓硯じゃない」
「なんで、突然変わったんだ? それじゃあ、臓硯はどこに行ったんだ??」
「……たぶん魂を私が取り込んだ……?」
臓硯であって、臓硯ではない?
魂を取り込んだ?
そんなバカな話などあるわけがない。
「まあ、とりあえずその辺のことは置いといて……これからは、好きに生きるといいですよ」
「意味がわからない」
「つまり……もう束縛はないのだから、結婚相手も自分で選べということ。自由に生きろと言うことですよ」
テーブルの上に置かれていた写真を手に取り、臓硯は懐にしまう。
「家を出るなら止めはしないので。お金が必要なら金庫から持っていけばいいかと」
それだけ言い放つと、臓硯は奥の書斎へと消えていった。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
あれから二週間たった。
今、私は柔らかな太陽光が降り注ぐ芝生の上の
生前と言うべきなのか今となってはわからないが、茶道を趣味の一環として習っており、一度こうやって野点を楽しんでみたかったので、ささやかな夢がかなった。
自分の注文通りの野点用の茶碗を用意してくれた詠鳥庵の店主には礼を言わねば。
……茶道具を揃えるのにお金を使ってしまったが、価値あるものなのできっと問題はない。
鶴野さんは、数日部屋に閉じこもったあと、一週間ほど前に出て行った。
ここでの生活と臓硯への恐怖、そして今後の自由と新天地での不安を天秤にかけて悩んだ後の行動だと思う。
現金500万と間桐家所有の新都にある立地条件の良いマンションの権利を要求されたので、それを渡して送り出した。マンションは一棟全てなので、オーナーとして家賃で暮らしていけるし、そうでなくても売れば土地代だけでもかなりの金額になる。
おそらくは、今後起こるであろう聖杯戦争に巻き込まれることを恐れ、売ってお金に換えるのではないだろうか。
これで、私はこの広い館に一人である。
太陽の光を遮っていたうっそうと茂る木々や、屋敷に絡まるツタ、伸び放題だった芝生と生垣は、数日前にタウンページを調べ、一番近い植木屋とその手の何でも屋に連絡して、全て刈り込み手入れさせた。
せっかくの庭なのに、手入れもせずに放置だなんて全くもったいない。
屋敷自体も、昼間は家政婦さんが来るようになっていたのだが、いかんせん広すぎて掃除が行き届いていない。部屋数が多い上、使用されていない部屋や隠し部屋が多いのも原因だろう。
外から見て、窓ガラスが割れている部屋もあるので、近いうちにハウスクリーニングの業者を呼ばなくては……。
さて、なんとなく自分でもツッコミを入れたい箇所が多々あるが……どこからつっこむべきか。
書斎に戻った後に、臓硯が残していた書物や知識を総動員して「臓硯の魂」を探したが、見つからなかった。
彼の魂は文字通り腐っていたらしい。形作る肉体は必ず老人のモノとなり、魂の腐敗に引きづられるため、蟲が擬態する肉体も長持ちせず腐る。そして、彼の肉体は交換期に入っていたらしく、常に腐っていく苦痛を感じていたようだ。
しかし、今の私には腐っていく感覚も痛みも感じない。蟲も私の影響か、直射日光でない限り太陽光は平気のようだ。
これはやはり、私が臓硯に憑依したことによって、彼の魂は私に取り込まれ、魂が記憶する知識だけが私に受け継がれたと認識せざるを得ない。
彼の意識や性格が私に影響を及ぼさなかったのは、本当に良かった。
皮肉なものだ。死を喜び受け入れようとした者が、死を恐れて逃避しよう(本来の目的は違うが)とした者の場所を奪ってしまうとは。
申し訳ないという思いと、これで数々の悲劇は防げると思うと複雑な心境になる。
外見もここ二週間で完全に変わった。
劇的○フォーアフター! ……何か違うが、実際そんな感じだ。
禿げ上がっていた頭には群青がかった黒髪に白髪交じりの髪があり、顔に皺は刻まれてはいるが臓硯のそれとは違い少ないものだ。
端的に言えば若返りをしている。
見た目が臓硯の
これはおそらく、私の魂と臓硯の魂の両方にひっぱられたものと推察する。
臓硯の若いころは精悍なイケメンだったらしいし、私もおばさんなのは認めるがお婆さんといわれるほどの歳ではなかったのだから。
目下の問題は聖杯戦争と桜ちゃんの養子縁組。
これは遠からず起こることで、どう対処していくべきか。
私のこちらでの寿命はどれくらい残っているのかも、問題ではあるが……臓硯のように他人の命を奪ってまで生きたいとは思えない。
全て終わる前に死んでしまったときは、仕方ない。
気持ちの良いそよ風が吹く中、自分が点てた薄茶を味わいつつ、私は考えをまとめることにした。
※野点(のだて)
茶道において戸外で茶を点てる(たてる)こと。
屋内での作法よりも簡易で、お茶を楽しむことが重点。