間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争― 作:桜雁咲夜
応接室のソファーに龍之介を座らせ、落ち着かせるために鎮静効果のあるラベンダーのハーブティーをいれた。
黙ったまま、うつむいている龍之介と対面に座り、先程入れたハーブティーを口にする。
少し香りがきつすぎたかもしれないが、龍之介の分は薄めにいれてミントと蜂蜜を少し足したので、今飲んでいるものよりは香りは和らいだものになっているはずだ。
和物が好きな私だが多趣味ゆえに、その一つとしてハーブティーの勉強もしていた。
臓硯の書斎は手付かずにそのままになってはいるが、鶴野さんが使っていた部屋は私の趣味の書庫となっている。
そのため、無秩序に趣味関連の資料や小説などで本棚を圧迫しているのは御愛嬌というものだ。
まあ、それはそれとして……
「――とりあえず、手を見せて貰えますか?」
黙ったまま、龍之介は右手をテーブルの上に乗せた。
原作の龍之介いわく、三匹の蛇が絡みあった模様……だったか。
歪な同心半円をモチーフにしたような令呪――この場合は、兆しの聖痕か?――がそこにはあった。
令呪は聖杯がマスターの魔術回路に魔力を流し込んで形成される。
つまり、令呪の形状はマスターの魔術回路の特性に依存する。
形は、原作のものと同じ。
つまり、龍之介の魔術回路は原作通りだということだ。
「龍之介くん。貴方ならわかっていると思いますが、貴方の取れる道はいくつかあります。
一、見なかったことにし、逃亡する。
二、令呪を摘出もしくは誰かに授与して破棄する。
三、聖堂教会に保護してもらう。
四、とりあえずサーヴァントを召喚し、すぐに令呪によって自害させる」
どれもリスクがあり、一概にはなんとも言えない。
一は、すでに間桐の客人として龍之介は見られているだろうし、実際には出来ないと思う。もし、それをして発覚した場合、間違い無く龍之介は殺される。
二は、授与できる相手を探すことからしなければいけないし、摘出するなら私がやらねばならないが、いくら私が令呪を開発した臓硯の知識と技術を持っているとはいえ、令呪摘出経験は少ない。知識と技術があっても、ぶっつけ本番ではうまくいかないかもしれない。令呪は神経とも言える魔術回路にしっかりと癒着しているのだから。
三は、それこそ論外だ。父親だけならともかく、綺礼が覚醒後は目も当てられない。
消去法で、四だが……どちらにしても、危険度は余り変わらない。
「……『せっかく見逃してあげようと思ったのに、こんな時に来るから悪いんだよ?』」
突然、龍之介が口を開いた。
それは、棒読みでまるで聞いたセリフを反芻しているかのようだった。
「……柳洞寺で、聞こえた言葉です。それが聞こえた直後に右手に痛みが出て……気がついたら令呪が宿ってました」
何と言えばいいのだろうか。
聖杯の意思……アンリ・マユの意思にしては、随分と軽い。
「アレってなんだったんですかね。俺は、まるでカーニバル・ファンタズムで見た聖杯くんのように思えました」
聖杯くん……あの子供の落書きのような着ぐるみっぽい何かか。
かろうじて、カーニバル・ファンタズムは見たことがある。あの世界観ぶち壊しの明るい内容は面白かった。
「聞く者によって声が違うのかもしれませんね。龍之介くんには、あの声で聞こえたというだけかも」
情報が少ない。
実際に自分も柳洞寺に行き、地下の空洞に安置されている聖杯を確認してきたほうがいいのかもしれない。
「自分的には、1を選択したいんですが……それってきっと無理っすね。調子に乗った俺が馬鹿でした。本当、どうしよう……」
頭を抱えて、龍之介はまたうつむく。
聖杯に選ばれたのだから、仕方ないといえばそうだが……
「いっそ、私の弟子になって、聖杯戦争に参加しますか?」
「ええっ」
「危険は伴いますが……少なくとも何も知らないままでいるよりは、自力で身を守ることもできるでしょう。ただ、こちらに来るとなると、大学はどうにかしないとですね。新都にも大学がありますし、編入は確か三年からですが……最悪、来年再受験してはどうでしょう?」
せっかく国立大学に現役合格したのに、留年して再受験するのはかわいそうだとは思うが、このまま放っておくわけにも行かない。
「こっちの親父とお袋泣かせそうっすね……でも、それしかないか……」
ため息をついて、龍之介は苦笑を浮かべた。
「御両親の説得は、任せます。正直に話しても信じないでしょうから、言葉は選ぶように」
恐らく、龍之介も弟子入りは考えていただろう。
だが、確実にそれは危険に身を晒すことになる。魔術の道に踏み込んだら、一般人に戻ることなどできないのだ。
「……がんばるっす……」
「とりあえず、その手には包帯をしてきましょうか」
私はそう言って、ついでに飲み終わったカップを片付けるために立ち上がった。
化粧品のファンデーションがあれば令呪の上につけてごまかすこともできるが、おっさんの身になった私には無用のものなのでこの家にはない。
しかし、家政婦さんを雇っていた頃に常備しておいておいた救急箱がキッチンにある。確かその中に包帯があったはずだ。
これからのことを思うと気が重いが、できる限りのことをすることを私は心のなかで誓った。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
――時計塔の地下、ロード・エルメロイの魔術工房。
「……ねえ、ケイネス。例の魔術戦争、本当に参加する気?」
もはや、このケイネスの部屋に居ることが当たり前になってしまったソラウが、一枚の羊皮紙を見ながら呟いた。
ソラウ自身、魔術刻印こそ無いものの、その資質は高く、助手としても有能だったためケイネスの無くてはならない片腕となっていた。
「何か不満でもあるのかね? そのためにアレキサンダー大王の聖遺物を用意しようとしているのだが?」
生徒たちからのレポートの採点をしながら、ケイネスは返事を返した。
「例の御三家のうち……アインツベルンに魔術師殺しの衛宮切嗣が婿入りしているの。魔術師としての正々堂々とした戦いは、アレとはできないわ」
「ふむ……たしか、近代武器を主戦術として使い、魔術すらも道具として使う……魔術師としては忌むべき存在か」
「……私の調べた情報によれば、衛宮切嗣は『固有時制御』という「時間操作」の魔術と『起源弾』と言う恐ろしい礼装魔弾を使うわ」
ソラウは自分が見ていた羊皮紙をケイネスに渡した。
そこには、自動筆記で書かれた衛宮切嗣の情報が書かれている。
彼の略歴から性格、協力者はもとより、能力、礼装といった、本来外に出ているはずがないもので、それを知る者は闇に葬られているはずのシロモノだ。
「本気で参加するなら、対応策を考えておくべきだと思うの。それにもう少しすれば、参加者はだいたい絞れるわ」
「……なるほど。私にとっては、天敵とも言える相手か」
ざっと目を通した羊皮紙を机に置くと、ケイネスは腕を組み目を閉じる。
衛宮切嗣の起源弾は、相手が魔術で干渉した際にその真価を発揮する。
弾丸の効果は魔術回路にまで及び、魔術回路は切断され結合される。
結果的に魔術回路に走っていた魔力が暴走し、術者自身を傷つける。
機械や近代兵器を忌む、魔術師らしい魔術師であればあるほど、彼は強敵になるだろう。
「ソラウ。そこまで読んでいて、私に銃器の勉強もさせたのかね?」
「ええ。魔術師といえど、近代武器も知っておくべきなのよ。魔術が起こす神秘を科学で超えたものもあるのだから」
ソラウは微笑みを浮かべて、ケイネスに抱きついた。