間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争― 作:桜雁咲夜
思えば十年ぶりだろうか。
開発の進む新都と違い、この辺りはまるで時が止まったかのように変化がない。
記憶にあるままの閑静な町並みの中を彼は足早に自分の生家を目指していた。
「ふざけるなよ、妖怪め……!」
黒いパーカー姿の彼……間桐雁夜は、高校卒業と同時に家を出奔し絶縁状態である。
彼は出奔してからは、カメラマンの助手のバイトから始まり、とある著名なルポライターの取材を手伝いながら勉強を続け、数年前にようやくフリーのルポライターとして独り立ちした。
そんな彼だが、月に一度は必ず冬木に戻る。その理由は幼馴染で初恋の相手である遠坂葵とその彼女の娘二人に会うためだ。
別の相手の手を取り幸せそうに微笑んだ彼女。自分では幸せにできないと恋慕の情を隠し、託すような思いでその幸せが続くことを祈り、見守ることに幸せを見出していたのだ。
いつもは長くとも三ヶ月程の取材が、ここ半年ほど国外の紛争地域での取材があったため、久しぶりの帰国だった。
彼女の娘、凛と桜への土産にと空港で色違いの二組のガラスビーズのブレスレットを購入し、その喜ぶ顔を想いながら冬木へ訪れた雁夜にとって青天の霹靂な出来事があった。
自分が日本を離れていた半年の間に、彼女の二人の娘のうち、次女の桜が間桐へと養女として貰われていったのだという。
「桜に会ったら、優しくしてあげて。あの子、雁夜くんには懐いてたから」
魔術師の妻となったからには、非情にならねばならないこともある。
魔導の血を受け継ぐ一族が、ごく当たり前の家庭の幸せなんて求めるのは間違いだったのだ。
気丈にそう言った彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
間桐家の次男である雁夜は、長男である鶴野よりも魔術の才能に恵まれた。
しかし、それはあくまでも鶴野よりは才能があるというだけだ。
魔術師としての才能は中の下であり、跡を継ぐ事を
そして残された間桐には魔術の才がある者は居ない。
才能ある子供を養子にしてでも、あの妖怪は跡を継がせたかったのだろう。
あの時、逃げ出さずに後を継げば良かったのだろうか?
いやせめて、遠坂時臣と彼女との結婚に反対していれば、また違う結果になったかもしれない。
時臣もまた魔術師であることを葵の幸福そうな微笑みで忘れていた。
今となっては、仮定にしかならないが……。
それが、廻り回って今に繋がっているのだから。
夕闇の迫る空の下、間桐雁夜はとある洋館の門の前にいた。
……確かに、この場所が生家のはずであるが、記憶とのあまりの落差に雁夜は門前から中に入ることができずにいた。
伸び放題だった芝生や生垣、鬱蒼と茂っていた木々は綺麗に切り揃えられ、館全体を覆っていた蔦は無くなり、外壁は塗り直され、窓も壊れた箇所が修復されている。
母屋から少し離れた場所には車庫が作られ、低燃費で最近CMでよく見る国産軽自動車が置かれていた。
玄関付近には、ラティスで囲われたプランターが並べてあり、色とりどりの花を咲かせ見頃を迎えていた。
「――どういう……ことだ……?」
もう一度念のため、門柱に取り付けてある表札を確認するが、どう見ても「間桐」と書いてあるので、間違いはない。
困惑しつつも、雁夜は門を開けた。
◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆
龍之介の右手に令呪が出てから、早くも3年になろうとしている。
彼はあれからとんぼ返りで実家に戻り、両親を説得した結果、私の弟子になった。
今は国立冬木大学の文学部に通い、教職課程を取っている。
どのように説得したのかは、よく聞かなかったが元々優等生であったし、大学を辞めて別の大学を再受験したいという我侭も聞いて貰えたらしい。
ただし、浪人中はもとより大学に受かっても仕送りはしないので生活費も学費も自分で稼げという、かなり厳しい処遇にはなったようだが、それについては同情はしない。
なにしろ、住まいは私の屋敷に住めばいいし、食事も問題はない。
学費や遊興費の分くらいはアルバイトして稼げとしか言えなかったが。
桜ちゃんも、ごく最近正式に私の養子となった。
小学校に入る直前に養子にするということで話を通しておいたおかげで、養子縁組はトントン拍子に進んだ。
まだ、屋敷に来て一ヶ月もたっていないため、態度はぎこちないが何とか慣れてくれようとしているのがわかる。
私としては遠坂と縁を切らせるつもりもなかったので、母である葵さんや凛ちゃんにもいつでも好きなように会って構わないとは伝えてある。しかし、どうもうまく伝わっていないようだ。
本来ならば、年齢的にいって鶴野さんや雁夜さんを父とするべきなのだろうが、絶縁状態であり、探そうと思えば現住所を探すことはたやすいが、それをすることは
原作では、数日で雁夜さんが桜ちゃんを養子にしたことを知り、屋敷に乗り込んできたはずだがいつになっても現れないため、ここでも齟齬が起きているらしい。
いつ来るのかは分からないが、早めに来てほしいものなのだが……。
ささいな違いといえば、藤村大河の年齢もそうだ。
龍之介に言われるまで知らなかったが、本来の年齢は今よりも二つほど年下らしい。
そして、何よりも違うのは、時世の流れだろうか。
これも私は気がついては居なかったのだが、龍之介が弟子になった際に彼が作った簡易年表でようやく知った。
原作では聖杯戦争が起きたのは1992年ないし1993年。
しかし、その年は過ぎ去り、当時は既に1994年だった。
どうやら五年から六年、ズレが生じている。
最後に、"現実"と決定的に違った点がある。
1995年の一月に、阪神・淡路大震災が起きなかった。
確かに、神戸市という都市がなく、日本地図上では冬木市となっている大本の違いがあるが。
原作では人殺しのシリアルキラーが、教師を目指してまじめに大学に通い、諸悪の権化の妖怪爺が、そこそこに人望のある好々爺になっているのだから、違うのもわかるといえばわかる……が、腑に落ちない。
とはいえ、考えたところでそれらの理由は説明もつかず、バタフライ・エフェクトだと思う他はなかった。
「――桜ちゃーん」
「はーい。この匂いは……おじい様、今日はカレーですか?」
私の呼ぶ声に、パタパタと桜は奥のリビングから走ってきた。
圧力鍋の蓋を開けたところだったので、カレーの香りが台所に広がっている。
「そうですよ。桜ちゃんはカレーは嫌いですか?」
「ううん。大好きです」
「それは良かった。もうすぐ、龍之介くんも帰ってくるでしょうし、少し早めですが御飯にしましょうね」
龍之介も今日はバイトが無いと言っていたので、そろそろ帰ってくるだろう。
「そこのサラダをテーブルに運んで貰えますか?」
「はい!」
私の言葉に桜は良い返事で返すと、シーザーサラダの入った木製のボウルを食卓へと持っていく。
白い皿に御飯を盛り、カレーをかけたところで玄関先が騒がしいことに気がついた。
「桜ちゃん、先に食べていて下さい。ちょっと見てきます」
「龍ちゃんじゃないんですか?」
「だと思うんですが……他にも人がいるみたいなので」
視界を玄関先に配置してある使い魔の羽蟲に切り替えようとしたが応答がないため、私は割烹着を脱ぎ、椅子に掛けると玄関の方へと向かった。
ようやく雁夜おじさんと桜ちゃん登場。
今回、少し短いです……。