現在の時刻、五月二十三日午前二時。私は自動車の中にいた。この自動車は雪ノ下家の送迎車である。どうして送迎車を呼ぶはめになったのか。それは十中八九、いや、十中十、私が原因である。私はその原因を思い出していた。
昨日、五月二十二日。金曜会の席で国防についての見識欠如に関して夫人に叱責をした。自分ではあまり気付かなかったが、その叱責は、ホワイト大佐曰く、相当なものだったらしく、夫人は叱責が丁度五時間を超えたあたりで急に過呼吸になり苦しみ始めたのだった。苦しみ始めた夫人を見て、すぐに私は叱責を止めて救護に入った。夫人は過呼吸で胸部に痛みがあるようだった。すぐに過換気症候群だと感づいた私はホワイト大佐に救急車の要請をして、夫人を落ちつけようとしたが、つい先ほどまですごい剣幕(ホワイト大佐曰く)で叱責をしていた私が落ちつけようとしても無理な話である。その役割は雪ノ下(姉)さんに丸投げした。
雪ノ下さんは苦しむ自分の母親を見て、ただ茫然としていた。今まで絶対に逆らえなかった母親が同い年の中学生に徹底的に叱責され、過換気症候群になるまで精神的なダメージを負ったことに衝撃を受けたと推察される。それを裏付けるような会話がその直後に彼女と私の間で交わされた。
「貴方のようになるにはどのようにしたらいいのかしら」
「……私のようになりたいのかい?」
「ええ、なりたいわ」
「どうして?自分の母親を苦しめている人間に?」
「……私では母さんに対抗できない。でも貴方はそれを為した。それだけではないわ。対抗しただけでなく、あの母さんをあそこまで叩きのめしたわ」
「ただの理論武装だよ」
「理論武装を使って相手を、大人を言い負かそうと思えば意志が必要よ」
「……だからその私が持っているという強靭な意志とやらがほしいと」
「ええ」
そう言った彼女は私に対して羨望の眼差しを向けていた。
確かに、私は同い年の人間と比べれば少々強い意志を持っていると自認している。しかし、それは決して向上心みたいな正の力で成り立っているわけではない。とは言っても、そんなことを彼女に説明してもよく分からないだろう。
「強靭な意志云々はまたの機会として、まずは雪ノ下さんのお母さんをなんとかしないと」
私はそう言って雪ノ下さんの意識を話から逸らした。
それから五分後、救急車が到着し、夫人は病院に搬送されていった。私はそのことを雪ノ下君に通知して迎えをよこすように言った。そして冒頭の部分に戻るのである。
車の中では雪ノ下さんは寝息を立てながら私の肩に寄りかかっていた。私がしていた夫人への叱責が夫人の体調不良で中断したのが午前一時頃であり、そこから救急車を手配して、金曜会をお開きにして、迎えが来たのが丁度午前二時である。当然のところながら私が夫人を叱責している間は睡眠をとれるような状況ではない(ホワイト大佐曰く)。その後もドタバタしていたので睡眠をとることはできない。よって、迎えの車の中で雪ノ下さんが睡魔に負けるのも無理はないのである。ちなみに雪ノ下(姉)さんは夫人の付き添いとして救急車に乗り込み病院へ行った。
ところで、私自身は肩に寄りかかられることは性別問わず好きではない。なぜなら、肩がこるからである。その肩こりは片頭痛に転じて私を苦しめるのである。
私の肩に寄りかかるのはその多くが時雨である。そして、時雨の場合、強引に引きはがそうとすると殴られるのである。睡眠をとりながら殴るという動作をとるとは器用な人間である。ゆえに、いつもは寄りかかられても抵抗はせずに寄りかかられているわけだが、今回の場合は違う。相手は雪ノ下さんである。引きはがしても殴られはしないだろう。そう考えた私は雪ノ下さんを引きはがしにかかった。
引きはがすとは言っても雪ノ下さんは寄りかかっているだけである。であれば、押せば簡単にこの状況から脱することはできる。私は雪ノ下さんの体を押した。しかし、雪ノ下さんの体は私に寄りかかったままだった。よく見てみると、雪ノ下さんは私の服を持っていたのだ。その手を解こうとするも、結構強い力で持っているため解くことができなかった。私は雪ノ下さんを引きはがすことを諦めた。私は体を座席に沈めた。
ふと、視線を感じた。この車に乗っているのは当然のことながら私と雪ノ下さんだけではない。
「気に入られているんだな」
視線を送ってきた人物が言った。その主は葉山君とやらである。
「気に入られてる?誰が誰に?」
「君が雪乃ちゃ……雪ノ下さんにだよ」
葉山君とやらは『雪乃ちゃん』と呼びかけたのを『雪ノ下さん』に言い直した。パーティーの場で雪ノ下さんに拒絶に近いような態度をとられたことで彼女との距離を少し置いたと言ったところか。
「本来は幼馴染である君のポジションだと思うけどね、こういうのは。どうだい、交代するかい?」
「無理だろ。雪ノ下さんの手を解けないんだから」
「たとえ解けたとしても、私と君が交代したら、彼女は喜ばないだろうね」
私の言葉に葉山君とやらは俯く。その表情は見えないが、少々落ち込んでいるようだ。
「聞かないのか?彼女と俺の間に何があったか?」
確かに幼馴染で仲が悪いというのは、人それぞれであるから、そういうこともあるかもしれない。しかし、それでも言葉の一つや二つは交わすであろう。
だが、雪ノ下さんは葉山君とやらと言葉を交わすどころか、拒絶に近い行動をとったのである。両者には何らかの因縁があると考えるのは普通である。だが、
「聞かないよ。興味もない」
これが私の正直な感想である。この二人に何があろうと私に影響はない。私の直感も何も感じていない。ようは、私にとって心底どうでもいい話ということである。
その後、葉山君とやらとの会話はなくなった。
金曜会が開かれていた料亭と宿泊しているホテルは徒歩で三十分である。したがって、自動車であれば十数分で到着する。時刻は午前二時半。自動車がホテルに到着した。ロータリーに駐車して運転手がすぐさま運転席から降り、ドアを開けた。運転手が開けたドアは雪ノ下さん側のドアであるため、まず、彼女が降車してくれないと私は降車できない。葉山君とやらはさっさと反対側のドアを自分で開けて降車した。
私は雪ノ下さんの肩を叩いて彼女を起こそうとした。
「雪ノ下さん着いたよ。起きて」
しかし、彼女は起きる気配はない。私は葉山君とやらを見習って反対側のドアから降車しようとしたが、彼女が私の服を掴んでいるため、私単体での行動はできない。
さっさと部屋に戻りたかった私は強引だが雪ノ下さんを担いで降車することにした。降車した私はそのまま彼女を担いで、彼女の部屋に行き、彼女が掴んでいる私の服を脱いで、自身が単体で行動できるようにして自分と時雨の部屋に帰った。
部屋に帰った私はシャワーを浴びて、体を洗い、就寝した。
五月二十三日午前六時。今日も朝から起床ラッパの音が部屋の中に響いた。
「総員おこーし!!!!」
その号令とともに私は飛び起きた。
「寝具収め!!!!」
私はまず寝間着からジャージに着替える。次に、ベッドのシーツをとって四角になるように畳んだ。次に、掛布団を四角に畳んだ。そしてベッドの端に掛布団を最下に、その上にシーツ、その上に枕を置いた。そしてベッドの前に直立した。
私が畳んだ寝具を時雨が鬼のような形相で確認した。
「よし!!」
どうやら不足のところはないようだ。ここ十年、朝はずっとこの調子であるため寝具が変わろうと戸惑うことはない。それにこの部屋に来た時に『総員おこし』に備えて畳み方を考えていたのだ。
そして、今日も、軍事教練(仮)が開始された。
午前八時、私と時雨、雪ノ下さん、葉山君とやら以下三名はホテルのレストランで朝食をとっていた。机は両側に三席ずつ席があり、一方に私と時雨、雪ノ下さんが、他方には葉山君とやら以下三名が着席していた。朝食はバイキング形式だったので、各々が好みの食べ物を取りに行っていた。
「そう言えば、雪ノ下君達は?」
私は隣の雪ノ下さんに質問した。この場に雪ノ下君と夫人、雪ノ下(姉)さんはいない。
「母さんの具合がまだよくないそうよ」
夫人の具合が悪いというのは変だ。すでに夫人が発症してから六時間以上が経過している。過換気症候群は一般的に数時間以内に自然寛解するはずである。だからこそ、現在も具合が悪いと言うのは変なのである。
「夫人には何か持病があったのかい?」
その持病が過換気症候群によって悪化したから具合が悪いというならば筋は通る。
「持病はないけれど心臓発作を起こしたとは聞いたわ」
心臓発作を誘発ならば仕方がない。病院で安静にしている方が良いだろう。
「そうかい。それは心配だね」
私のその言葉を聞いて雪ノ下さんは私の方を向いた。そしてじっと私に視線を送り続けていた。
「……何?どうかした?」
「いえ、心にもないことをと思っただけよ」
雪ノ下さんはそう言った。
「なんでそう思うの?」
「表情が病人を心配しているようなものではなかったわ。心底どうでもよさそうな感じだった」
雪ノ下さんは私の表情を見て、そこから私の心情を読み取ったらしい。
「昨日何かあったんですか?」
時雨は皿の上に山盛りになっているスクランブルエッグを食べながら言った。というより、朝から時雨はあんなに食べるというのか。ちなみ、私はまだ、昨日の夕食による胃腸へのダメージが回復していないので、朝食は野菜中心のヘルシーなものである。
私は時雨に昨日の金曜会でのことを掻い摘んで説明した。
「隼人。いったい昨日何があったんだ?」
我々の前方に着席している葉山君とやら以下三名の内の初老の男性が葉山君とやらに話しかけた。それに葉山君とやらも掻い摘んで昨日の金曜会で起きた内容を初老の男性に説明した。
「……私の目の前の彼女が!?」
「彼女じゃなくて彼だけどね」
そんなに私は女性に見えるのだろうか?
「しょ、紹介してもらえるか」
「ああ、彼は島村雪風君といって……」
葉山君とやらは私の立場をどうのように説明したらよいか分からないようだ。だからこそ、助け舟を出してやった。
「雪ノ下君というノミが寄生している犬の飼い主だよ」
「……の、ノミ……」
男性は言葉を失った。
「ようは父の支援者ということです」
私の辛辣な言葉に雪ノ下さんが付け加えた。
「な、なるほど」
雪ノ下さんの説明で男性は私の立場を認識したようである。
「この方の説明は必要?」
雪ノ下さんは私にそう質問した。私は首を横に振った。私と対面して座っている男性は葉山君とやらの父親、すなわち雪ノ下君の会社の専属弁護士である。腕は古美門君曰く『三流の雑魚』らしい。古美門君を基準にするから『三流の雑魚』になるが一般的には普通の腕の弁護士なのだろう。
「島村雪風だよ。以後お見知りおきを」
「雪風の妹の時雨です。お見知りおきを」
私と時雨は葉山弁護士に自己紹介した。
「とは言っても私のことは雪ノ下君から聞いているんじゃないのかい?」
普通に考えれば、雪ノ下君自身が危機的事態に陥った場合、それを弁護するのは葉山弁護士である。であれば、現在の雪ノ下君自身の置かれている状況については彼に説明しているはずなのである。もっとも、雪ノ下君にとって私は間に与党と県連の二つの組織がある。だからこそ、私の情報が必要な場面は現出しない。仮に現出した場合、雪ノ下君の政治生命はそこで終わる。
「はい、少々ですが」
葉山弁護士も私に対して、敬語を使用していた。自身のクライアントのオーナみたいなものなのだから、自分の心象が悪くなれば、もしかしたら雪ノ下君にも影響が及ぶかもしれないのだから利口な判断である。
「まあ、あんまり顔を合わせることはないと思うけど、よろしく」
私はそう言って席を立った。
「ちょっと、どこへ行く気かしら?」
雪ノ下さんは席を立った私の服の袖をつかんだ。というより、服の袖を掴むのが好きなのかこの人は。
「ヨーグルトを取りに行くだけだよ。腸内環境は健全に保たないとね」
私はそう答えた。ヨーグルトを毎日食べていないと私はすぐにお腹の調子が悪くなってしまう。
「では、私も行くわ」
彼女も席を立った。
「なんで?そんなに大量にヨーグルトは食べないよ」
「ヨーグルトではないわ。時雨さんの食べ物を補充しないと」
雪ノ下さんは時雨の皿を指さした。山のように盛り付けてあったスクランブルエッグはもうほとんど残っていなかった。おかしいな。私が時雨の皿に盛りつけてあったスクランブルエッグを認識したのは十数分前のはずである。それがもうないとは……いったい時雨はどれほどの速度で食事をしているのか。そして、あれだけの大量の料理は時雨の体のどこに収まっているというのか。
「時雨さん。何が食べたい?」
雪ノ下さんは時雨に所望の料理を聞いた。
「フライドポテト、とりあえず山盛りでお願いします」
時雨はそう雪ノ下さんに注文をした。にしても朝食からフライドポテトの山盛りとは……欧米人か!
「じゃあ、行こうか」
そうして私は雪ノ下さんを伴ってヨーグルトとフライドポテトをとり行くこととなった。
私が腸内環境正常化のために必要なヨーグルトはデザートに分類されているようで、私はヨーグルトを見つけた時、その隣接する容器には各種の果物が配置されていた。ヨーグルトを丸型の小鉢に装った。ヨーグルト単体で食べても味気ないので、隣接する容器からパイナップルの切り身を入れた。そして、ヨーグルトを食べる時に必要な小さ目のスプーンを調達するために周りを見回した。しかし、発見できなかった。数分わたしがあたりを見回していると、
「これをお探しかしら?」
雪ノ下さんが私が所望していた小さいスプーンを持ってきてくれた。
「ありがとう。これ、どこにあったの?」
「丁度ここからはテーブルで影になるような部分にあったから」
そういう雪ノ下さんの手には山盛りのフライドポテトがあった。だが、時雨の食べる量を考えれば、少々不足かもしれない。私はその懸念を雪ノ下さんに伝えた。
「え?!これで不足?」
雪ノ下さんは驚愕していた。
「不足だと思うよ。ほら、昨日のパーティーですさまじい勢いで食べてたでしょ、時雨は」
「それは貴方も同じだと思うのだけれど」
「確かにそうかもしれないけど、私は燃費がいい方なんだ。昨日の量なら一週間は水だけで過ごせるよ。でも、時雨は燃費が悪いからね」
こうして、私と雪ノ下さんはさらにフライドポテトを調達することにした。
ポテトを皿に盛りつつ、私は雪ノ下さんにこれからの予定を聞いた。昨日は雪ノ下家親族一同の主催するパーティーだった。ならば今日はどうするのだろうか。このまま朝食をとったら解散なのだろうか。
「……分からないわ」
「は?」
彼女の答えに私はかなり間抜けな声を出していた。しかし、分からないとはどういうことだろうか。まさか、行き当たりばったりで予定を決めるつもりだったかと質問をした。
「予定は決まっていたわ」
では、それに沿って行動すればいいだけではないか。どうして彼女は分からないと答えたのだろうか。
「ただし、父と母、そして姉がいる事を前提にした予定だけれどね」
なるほど、今、夫人は床に臥せっていて、雪ノ下君と雪ノ下(姉)さんはそれに付き添っている状態である。彼らがいる事を前提に予定が組まれているなら、それは大幅な改定を迫られることになるであろう。
「それで、現状で予定の改定はしてるのかい?」
「……」
どうやら、していないみたいである。
「じゃあ、予定を立てた人は誰だい?」
予定を立てた人が分かれば、その人に現状を通知したらよい。現状に合わせた予定を改定してくれるはずである。
「……予定を立てたのは父よ」
「では、雪ノ下君が不在の際に指揮を執る人は?」
「……」
決まってないんかい!と私は盛大にズッコケた。
「というか緊急時に誰が全体の指揮権を掌握するか、その指揮権の継承順位ぐらいかは決めておいた方がいいよ」
でないと緊急時に誰の指示に従っていいか分からず、また、指揮を執るべき人間が死亡もしくは消息不明の際にも同様にして状況が混乱し、結局親族まとめて共倒れなんていう状況にもなりかねない。
「……そんなものをあなたの家では決めているの?」
雪ノ下さんは驚いているが、我が島村家では真剣にそれが決められている。
それは島村家存続計画と呼ばれている。この計画が決められている理由は『白いオーケストラ』に代表されるように諜報組織や『
話を戻すと、雪ノ下君が主催ならばやはりその家族が指揮権を継承するべきである。
「雪ノ下さんのおじいさんはいるのかい?」
「いえ、お爺様たちはお昼にいらっしゃる予定だから」
なるほど、ということは、条件に合致するのは一人しかいない。
「じゃあ、雪ノ下さんが全体の指揮をするべきと言うことだね」
現状、このホテル内にいる雪ノ下君の家族は雪ノ下さんしかいない。
「……私が?」
雪ノ下さんは困惑しているようだった。
「うん」
「待って、私はまだ中学生よ」
「中学生かどうかは関係ないよ。君は雪ノ下君の娘でしょ」
雪ノ下さんは頷いた。
「であれば、娘の君が親の不在の穴を埋めるべきだよ」
「でも、どうすればいいか……」
「それは私が指示を出してあげるよ。参謀役としてね」
ポテトを皿に盛り終えた私と雪ノ下さんは席に戻った。
その後、山盛りのフライドポテトを時雨は平らげ、私はヨーグルトを食べ終え、朝食は終了した。朝食の終了後、私は早速、予定の改定を開始した。
直近の予定は親戚一同への雪ノ下君の挨拶周りである。昨日のパーティーの性質を考えれば、おそらくこの挨拶回りというのは政治関係ということになる。これについては雪ノ下君がいないので、どうにもできない。雪ノ下さん一人に挨拶回りをさせてもあまり意味はないだろう。では、どうするか。私が雪ノ下君の代わりにそこに赴けばいい。実際の所、雪ノ下家の状況は知ろうと思えばすべて知ることができる。その資料を持っていけば、雪ノ下君の代わりくらいはできるだろう。私はその旨を親戚一同に通知するように雪ノ下さんに通達した。
ということで、雪ノ下さんは私と時雨を伴って、というか私が雪ノ下さんと時雨を伴って雪ノ下家親戚一同への挨拶回りが始まった。
雪ノ下家親族一同に関する資料は時雨が用意してくれた。資料によると、雪ノ下家は現当主が雪ノ下夫人の親父さん、すなわち、雪ノ下さんの母方のお祖父さんということになる。ということは、雪ノ下君は婿養子ということになる。夫人の方が雪ノ下君より態度が大きいようなことが多々あったのはそのためだろう。さて、夫人の態度の問題は置いといて、資料を読み進めた。雪ノ下家現当主夫妻は三人の子供を授かったらしく、女男女の順で生まれて、夫人はその中で長女、すなわち最初に生まれたことになる。ようは家督を継ぐのは夫人の夫である雪ノ下君ということになるらしい。
雪ノ下君の家族、すなわち夫人、雪ノ下(姉)さん、雪ノ下さんについてはかなり調査が進んでいるので割愛するとして、次に長男の家族についての資料を読み進めてみる。雪ノ下現当主夫妻の長男、夫人から見れば弟であり、雪ノ下君から見れば義理の弟であり、雪ノ下さんから見れば叔父さんということになる。その長男は現在、雪ノ下君が社長を務める建設会社の関西支社の支社長をしているらしい。当然のことながら、この長男も所帯を持っており、その妻との間位には二人の子供を授かったようだ。二人とも男であり、年齢は14歳と13歳である。
さて、次は雪ノ下家本家の次女についてである。夫人か見れば妹であり、雪ノ下君から見れば義理の妹であり、雪ノ下さんから見れば叔母さんである。次女は千葉県にある地方銀行を経営する家に嫁いだようだ。政略結婚のようで、その夫との間には二人の男の子を授かったようである。双子らしく年齢はどちらも14歳である。ちなみその地方銀行に私はかなりの預金をしている。
これらの基本的な情報を頭に入れて、挨拶回りを開始したのである。最初は本家長男からである。
長男らはこのホテルのスイートルームに泊まっていた。スイートルームがあるのは二十階である。ちなみに私と時雨は五階に、雪ノ下さんは八階に、夫人と雪ノ下君、雪ノ下(姉)さんは二十一階にそれぞれ泊まっている。
長男らの部屋の扉を雪ノ下さんがノックしようとしたが、私はこれを制止した。
「何かしら?」
雪ノ下さんは不満の様子だが、まずしておかなければならないことがある。私は時雨に指示をした。時雨が服のポケットから出したのは盗聴器発見用の受信機だった。時雨はそれを迷うことなく操作した。
「大丈夫です」
どうやら、この部屋には盗聴器は仕掛けられていないようである。私は改めて雪ノ下さんにノックをするよう指示した。コンコンコン、三回のノックの後、男性が扉から顔を見せた。その人が雪ノ下さんの叔父さんである。雪ノ下さんが定型通りの挨拶をする。私はというと、その雪ノ下さんの叔父さんの顔を見ていた。なぜかというと、雪ノ下君に似ていたからである。雪ノ下君とは血縁関係はないはずだが、それにしても似ていた。
「どうぞ」
そんなことを考えていたら、雪ノ下さんの叔父さんが部屋の中に招き入れてくれた。部屋の中はホテルの一室だというのに二階があった。どうして、ただ滞在するだけの部屋なのにこんなにも豪華なのだろうかと思ってしまうほど豪華だった。
部屋の中には雪ノ下さんの叔父さんの夫人とその子供たち、すなわち雪ノ下さんの従兄たちもいた。当然、私とは初対面であるから誰?というような視線をこちらに送ってきた。
「それで、貴方が」
雪ノ下さんの叔父さんが言った。
「ああ、初見となる。島村雪風だよ。それで、こっちは妹の時雨だよ」
時雨は頭を下げた。
そして、私が名乗ったので雪ノ下さんの叔父さんも名乗り返した。また、家族の紹介もしてくれた。
「存じ上げているよ」
私は手に持っている分厚いファイルを叩いた。このファイルにお前らの情報はすべてあるぞということを示すためである。
「じゃあ、早速、お話に入ろうか」
そうして、雪ノ下さんの叔父さんとの会合が始まった。
会合の内容は公共事業をどれだけ受注するためにどれだけ市や県と癒着するかという話である。私は現状維持か抑制の方向に動く様に指示した。雪ノ下君の持っている情報では、というか私が県連に渡して、県連が雪ノ下君に渡した情報では、関西方面で今後それに対する監視が強くなるからである。ここで焦って、癒着により受注を加速するとしょっ引かれる可能性があるのだ。私はそのことについて丁寧に説明した。そして、雪ノ下さんの叔父さんもそれに納得した。こうして、本家長男の家族に対する挨拶は終了した。
次は本家次女への挨拶回りである。こちらも同様にしてまず、扉の前で盗聴器のチェックをして、ノックをして、部屋の中に招き入れてもらった。こちらの話は地方銀行を経営している一家なのだから、情報は金融関係のものとなる。こちらも雪ノ下君が持っている情報、というか私が県連に渡して、県連が雪ノ下君に渡した情報について話、指示を与えた。
こうして今、ホテルに滞在している雪ノ下家親族への挨拶回りもとへ事前情報を元にした指示は終了した。あとは雪ノ下家現当主の雪ノ下さんのお祖父さんへの挨拶が残っているが、これについては当人がこのホテルに到着してからでよいだろう。挨拶回りはなんとか午前中に終える事が出来た。後はこのことを雪ノ下君に通知しておけばよい。
雪ノ下君は雪ノ下(姉)さんを伴って、昼食が始まるころに帰ってきた。私はロビーで雪ノ下君に午前中の挨拶回りにことを説明した。雪ノ下君は私に感謝した。
それと時を同じくして雪ノ下さんのお祖父さんがホテルに到着した。すぐさま、雪ノ下家一同がロビーに集まり、挨拶をしていった。その挨拶の最後に雪ノ下さんのお祖父さんは私と時雨の所に来た。
「貴方達が島村雪風さんと島村時雨さんですか」
雪ノ下さんのお祖父さんは丁寧に話しかけてきた。
「ああ、そうだよ」
私がそう答えると雪ノ下さんのお祖父さんは自分の自己紹介を始めた。そして最後に言った。
「貴方達の曾お祖父さんには海軍時代と第二復員省時代に色々とお世話になりました」
どうやら雪ノ下さんのお祖父さんは私の曽祖父と知り合いのようであった。
私の曽祖父、島村成美は海軍軍人だった。名前が艦名でないのは曽祖父が婿養子だったからである。最終階級は海軍大将。とは言うものの生粋の軍艦乗りであり、現場から離れるのが嫌であまり昇進したくはなかったと言っていた。また、大将に昇進したのは敗戦間近であり、海軍大将として働いた期間よりも第二復員省の職員として働いた期間の方が長い。
「そうですか。あの人の下で働くのは大変だったでしょう」
相手が元軍人であることが分かった私は言葉づかいを丁寧にした。
雪ノ下さんのお祖父さんは頷いた。私も曽祖父には小さいころに会ったことはあった。言葉を少々交わしただけだったが、それでもその非凡な才能を見てとることができた。そして、その才能ゆえに部下泣かせだっただろうと私は推測していた。
「ええ、失礼とは思いますが、かなり無茶な事をしばしば言われました」
雪ノ下さんのお祖父さんは昔を懐かしんでいるようだった。
「最も肝を冷やされたのは第二復員省時代ですね」
「あ、私、その話知ってます。GHQ民生局怒鳴り込み事件ですね」
時雨が言った『GHQ民生局怒鳴り込み事件』。私もその話は知っていた。確か憲法草案の九条の記述を見て、『ふざけるな!戦力の放棄など正気の沙汰ではない!!』と激昂して、当時の幣原首相に詰め寄ったらしい。あまりの剣幕だったらしく幣原首相がGHQの介入があったことを漏らしてしまった。それを聞いた曽祖父はGHQの民生局に怒鳴り込みをかけたらしい。もちろん丸腰で、である。
「GHQの民生局への怒鳴り込みに同伴されたんですか」
「はい」
時雨が『うわ』みたいな顔をした。そして私も、それは本当にお気の毒なことだ、と思った。
「曽祖父がご迷惑をおかけしました。曽祖父に変わってお詫び申し上げます」
私は雪ノ下さんのお祖父さんに頭話下げた。
「滅相もない。曾祖父さんの剣幕にあたふたするアメさんを見て胸がすくような思いでした」
雪ノ下さんのお祖父さんは笑っていた。
「よろしいでしょうか」
雪ノ下君が大変恐縮した様子で私達と雪ノ下さんのお祖父さんの間に割って入った。私との会話を邪魔されたのが気に食わなかったのか雪ノ下さんのお祖父さんの鋭い視線が雪ノ下君に向けられた。その鋭い視線は雪ノ下さんがするものと寸分違わぬもの、いや、それよりも鋭いかもしれない。私はこうゆうところに雪ノ下家の血の繋がりを見ていた。
「そろそろ昼食を行う場所に移動しませんといけませんので」
雪ノ下さんのお祖父さんは自身の懐から懐中時計を出して時間を確認した。
「分かった。全員を急がせるように」
雪ノ下君にそう言って彼は再びこちらを向いた。
「それでは、また、後ほど」
こうして、雪ノ下さんのお祖父さんは昼食をとる場所までの移動を開始した。他の親戚たちもそれに同調した。
HOI的人物紹介
雪ノ下さんのお祖父さん
引退した海軍軍人
海軍組織力 +5%
生産効率 +5%