私がその状況に直面して思ったことは一つ。なぜ、雪ノ下さんがここにいるかである。風呂場にいるのだから風呂に入りに来たのだろう。しかし、なぜ、私が入っている時にわざわざ入ってきたのだろうか。というか、脱衣所には私の着替えや着てきた服などが置いてあるわけだから分かるはずである。では、私が入っていることを分かったうえで入ってきたのだろうか。そうだとしたら、何のために。私の背中を流すためか。いや、違う。だったらわざわざ全裸になる意味が分からない。というより今日会ったばかりに人間の背中をわざわざ流しに来るだろうか。考えがまとまらない。もう少し情報が必要だ。私は意識を目の前の雪ノ下さんに戻す。
私は雪ノ下さんの顔を見た。彼女の顔は真っ赤になっていた。また、髪の状態を見る限り、まだ湯船には浸かっていない。であれば、顔が赤いのは風呂の熱にせいではなく、私に全裸をみられたのが恥ずかしいからということになる。ということはこの状況は意図いたものではなく事故ということなのだろう。
状況を動かすため私は雪ノ下さんに話しかけた。
「とりあえず、タオル使う?」
私は持って入ったもう一つの濡れていないタオルを雪ノ下さんに差し出した。彼女は顔を真っ赤にしながらそれを奪うようにとった。すぐに体を隠すようにタオルを広げる。とはいってもバスタオルではないので体を覆い隠すほどの大きさはない。上を隠せば下がのぞき、下を隠せば上がのぞく。それの繰り返しをしていた。タオルの大きさからいって全体を隠せないのは分かるはずだが、全裸を見られたせいで気が動転しているのだろうか。
「隠したいのならお湯につかればいいと思うよ」
その私の言葉に雪ノ下さんは柳眉を逆立てつつも言うとおりに湯船につかる。そしてやっと言葉を発した。
「やっぱり、こういう場合は大声を出して警察とか呼んだ方がいいのかしら」
いきなりの警察沙汰宣言である。雪ノ下さんは相当怒っているようだ。
「そうだね。私としてはどちらでもいいけど、おそらくその告発しても受理されないと思うよ」
私は冷静に状況を分析する。
「どうしてかしら」
雪ノ下さんは私を睨む。いつも以上に鋭い目つきだったがそれに怯んではいけない。
「だって、貴方が入浴中に私が入ってきたのであれば軽犯罪法違反くらいにはなると思うけど、私の入浴中に貴方が入ってきたんだから」
それは事実であるため雪ノ下さんは何も言えない。
「……」
ただ、沈黙しながらも私を睨み続けている。理屈は分かるが納得できないようである。
「というか、なんで入って来たの?私がいる事分からなかった?」
「人がいるとは思ったわ。気配がしていたから」
「だったらどうして入って来たの?」
「……そうね。自分でもよく分からないのだけれど。どうしてか入っている人間は姉か時雨さんかと思ってしまったの」
「どうして?」
今持っている情報だけなら時雨、雪ノ下(姉)さん、雪ノ下君、雪ノ下夫人、私がお風呂場にいる確率は同様に確からしいはずである。
「入っているのが母と父でないことは分かったわ。二人とも父の書斎で話していたから」
それなら雪ノ下君と雪ノ下夫人という選択肢は省かれる。
「それでも、私を省く理由はないよね」
「……そうね」
「なら、それも踏まえて再度質問するよ。どうして入って来たの?」
「……ものすごく抽象的になるのだけれど、入っている人の気配が女性みたいだったから、かしら」
それはどういう意味だろうか?私の身長が同年齢の女の子ぐらいだからだろうか?それとも髪が長いので一見すると女の子に見えるところだろうか?それも中学三年にもなってまだ声変わりしていないことだろか?それとも……あれ、私って結構女の子っぽいところが多々あるのかな?
「ようは私が女の子っぽいから女性が入っているものと誤認して入ってきたと」
「端的に言えばそうなるわね」
「……」
「つまり、貴方が悪いということよね」
「その理屈はおかしいでしょ」
「そうかしら?」
「可愛く首かしげてるんじゃありません」
にしてもこのまま口論していても仕方がないし、これから協力体制を築く相手の信頼度を下げるようなことは極力避けるべきだ。ゆえに私はこの状況を速やかに収拾しようと行動を開始した。
「それで、どうする。私が出て行った方がいい?それとも貴方が先にでていく?」
まずは相手の意思を確認する。
「それは私に出て行けと示唆しているのかしら」
「いいや、そんなことはないけど」
どうやら意思確認の質問は逆効果だったようである。
「でも、意図的でないにしても男と一緒にお風呂に入っているという状況は女の子としていかがなものなの?」
「だったら、貴方が出て行けばいいのではないかしら」
私は入浴を開始してからまだ二十分くらいしかたっていないので出て行くのはいやだった。ゆえに反論する。
「まだ入ったばかりだし」
「……なら、このままでもいいじゃない」
いいの?私の希望では雪ノ下さんの方に出て行ってほしいわけだったのだが、議論は全く違う所に着地してしまった。
「じゃあ、私は隅の方によっておくので」
私は雪ノ下さんが視界に入らないようにするため浴槽の隅の方に移動し始めた。
「待ちなさい。貴方は仮にも賓客よ。浴槽の隅に行く必要はないわ」
「いやいや、さすがに入浴中随時男の視線に晒されてたら落ち着かんでしょうに」
「別に大丈夫よ。先ほども言ったでしょう。貴方の気配は女性のようだと」
「……だから、視線は気にならないと」
「そうね。今も邪な視線は感じないもの」
「それって喜んでいいのかな?それとも悲しむべきなのか?」
「さあ、どうかしら。でも、今の場合ならいいことだと思うわ」
「それはどうも」
まあ、私が女の子っぽい理由には深いわけがあるわけだけど、ここでそれを説明する気にはなれなかった。
雪ノ下さんが入浴を開始してから10分、私が入浴を開始してから30分が過ぎた。雪ノ下さんは寡黙な方のようでその間に全く会話がなかった。
にしても気持ちいいな。やっぱりお風呂は大きいに限るよね。
「気持ちよさそうね」
唐突に雪ノ下さんが話しかけてきた。
「え?なんで?」
「顔に出ていたわ」
「そ、そう?まあ、私の家の小さなユニットバスとは体の温まり方が全然違うからね」
「私はいつも入っているからよく分からないのだけれど、そんなに違うものなの?」
「違いよ。もう、全然違う。零戦と
「え?え、えふ、に、にじゅうに、え、えーら、らぷ、らぷたー?あの、何を言ってるのかまったく分からなかったのだけれど」
「零戦のことはさっき説明したでしょ。零式艦上戦闘機」
「帝国海軍が開発した戦闘機よね。それは分かるわ。質問しているのはその零戦と比較したものなのだけれど」
「
「そうよ。何かしらそれは?」
「何って戦闘機だよ。アメリカ空軍が開発した世界初にして唯一の第五世代ジェット戦闘機、
「また分からない単語が出てきたわ。第五世代ジェット戦闘機って何かしら」
「戦術航空機での戦訓と技術の進歩から一九八〇年代に概念が打ち立てられ、おおよそ二〇〇〇年代から運用が始められたジェット戦闘機の一群のことだよ」
「最近の戦闘機ということかしら」
「そう言う認識でいいと思うよ。そして二〇〇九年現在で実戦配備されているのは
「どういう戦闘機なの、その
「そうだね。端的に言えば世界最強の戦闘機かな」
「……世界最強」
「うん。世界最強。
「航空支配……すごい戦闘機ということだけ分かったわ」
「それだけわかれば十分だよ。それにここだけの話、第四次F-Xの最有力候補でね。今年の夏くらいには決めようと思ってるんだ、
「……また話の腰を折るのだけれど、第四次F-Xって何かしら?」
「第四次F-Xっていうのはね。そうだね、まず空自は分かるよね。航空自衛隊」
「ええ、分かるわ」
「結構。それで空自ではね
雪ノ下さんは頷く。
「でね、その戦闘機、実はもう五十年以上も前の戦闘機なんだ」
「……ご、五十年。ということはベトナム戦争くらいの戦闘機だということ」
「そうだね。とは言っても五十年前と同じってわけじゃないよ。いろいろな近代化改修、ようは改良が加えられているよ」
「それでも五十年でしょう」
「そうなんだ。そろそろ耐久年数ギリギリでね、それを新しい機体に更新するのが第四次F-Xっていうわけ」
「さっき貴方、今年の夏くらいには決めよう思っていると言ったわよね」
「うん」
「貴方、それを決める事ができる立場にいるの?」
「決める事ができる立場にはいないよ。でも」
「でも?」
「決める事ができる立場の人間に影響を及ぼすことができる力を持っているよ。そっち方面にいっぱいお友達がいるからね」
私にはそっち方面のお友達が多数いる。日本には国防族というお友達が、米国は軍産学複合体というお友達が。
「お友達ね……貴方、本当に中学生なのかしら」
「何言ってるの。貴方と同い年の中学生だよ。だた、幸運のおかげでお金持ちで、そのお金で国防に関わる政治とか外交とかに口出ししてるだけだよ」
「後半の部分が普通の中学生ではないことの証左ね」
雪ノ下さんは少しうつむく。
「そういえば、雪ノ下さんは友達いるの」
「……」
雪ノ下さんは沈黙する。言ってみてから思った。学校での状況を見れば容易に考え付くことではないかと。
「そうね。まず、どこからどこまでが友達か定義してもらっていいかしら」
いないと答えればいいのにと思った。しかし、定義ときたか。友達の定義ね……仲間?いや違うな。じゃあ、味方?……でもない。呉越同舟ということもある。敵の敵は味方だけどそういった手合いはいつ敵になってもおかしくない。でも今日の友は明日の敵ともいうし……う~ん。
「……友達の定義ってなんだろうね」
私はそんなことを口走っていた。
「曖昧でしょ。友達の定義って」
「だから自分の友達はいるかどうか分からないと」
「そうね」
「雪ノ下さんの状況だと友達かそうじゃないかというより敵か味方かといったほうがいいかもしれないね。そっちのほうが単純だし」
「……単純ね。単純なのはいいことなのかしら」
「場合によるけどね。時に雪ノ下さんは『戦いの原理』って知ってるかな?」
知っているはずがないと思って私は聞いた。
「……知らないわ」
知っていたらたぶん雪ノ下さんは他の女子生徒たちともっとうまく戦えただろう。
「行動の目的を明確にする目標の原則、指揮系統を統一する統一の原則、先制して状況の支配権を獲得する主導の原則、敵の弱点に対して味方の戦力を集中する集中の原則、敵の意外性を突いて戦う奇襲の原則、移動によって我の優位な位置関係を維持する機動の原則、無駄な戦力を有効活用する経済の原則、目的や行動方針が大胆かつ単純である簡明の原則、敵の奇襲を防ぐために注意する警戒の原則、これら九原則が『戦いの原理』の要旨である」
得意げに説明口調で私は言った。
「それが今の状況とどう関係があるの?」
「関係おおありだよ。だってあなたは中学の女子全員と『戦争』をしてるんだから」
「……『戦争』ね。争っているということを考えればそれはあてはまるのかしら」
「あてはまると思うよ。それでその九原則の中には『簡明の原則』っていうのがあってね」
「それが単純のほうが良いということに繋がるのかしら」
「そのとおりだよ。それに他の原則のことも考慮に入れれば現状の劣勢を挽回できると思うよ」
「誰も劣勢になってはいないわ」
きっぱりと言い放つ雪ノ下さん。孤立させられて上靴やら体操服やらの損害が出ていることを劣勢と認識せずにどう認識すべきだというのかとは思うけど……雪ノ下さんって結構負けず嫌いなところがあるのかな。
「そうなのかい。劣勢かどうかは置いとくとして『戦いの原理』に基づいて現状を整理したほうがいいかもね」
「……整理ね」
「整理だよ。劣勢の挽回ではないからね」
「確かにあまりそうやって係争関係について考えたことはなかったわね」
「なら考える必要があるよね」
「そうね」
「あと、士気も重要だね。どんな争いでも飽く迄戦い続けることは大切だからね」
雪ノ下さんはうなずく。
「そして、どんな争いでも勝って終わらなければ意味がない。だから勝とう。勝って終わりにしよう」
「ええ、勝って終わりましょう。だから勝つまで宜しく。島村君」
「はい、宜しくお願いします。雪ノ下さん」
私と雪ノ下さんは互いに『勝利』を決意した。