翌二十二日朝、私と雪ノ下さん、時雨は反雪ノ下派の主要人物と最後の交渉を行っていた。交渉内容は単純である。こちらから先方に対して『学内諒解案』という文章を手交したのである。その内容は以下のようである。
『学内諒解案』
第一項
雪雪同盟及反雪ノ下派ハ相互ニ学内ニ於ケル影響力ヲ有ス団体デアル事ヲ承認シ共同ノ努力ニヨリ学内和睦ヲ樹立シ友好的諒解ヲ速ヤカニ達成ス
第二項
島村雪風ハ反雪ノ下派ニ対スル損害賠償請求権ヲ放棄ス
第三項
雪ノ下雪乃及反雪ノ下派間ノ紛争二於イテ雪雪同盟ガ次ノ条件ヲ容認シ反雪ノ下派ガ之ヲ保証シタ場合島村雪風ハ雪ノ下雪乃ニ和平ヲ勧告ス
(イ)対雪ノ下攻勢ノ終止
(ロ)現在迄継続セル対雪ノ下攻勢ニ於ケル不法行為実行ノ認定
(ハ)対雪ノ下攻勢ニ於ケル不法行為ニ対スル謝罪
第四項
雪ノ下雪乃ハ学内ニ於ケル如何ナル男女交際ノ不実行ヲ宣言ス
極めて甘い内容ではあるが、今の反雪ノ下派の状況を考えれば、これを受諾する可能性はない。ではなぜわざわざこんなものを手交したかというと、こちらは平和的な解決をしようとしたことの証拠にしようと言うだけである。
朝に出された『学内諒解案』によって反雪ノ下派内部は紛糾していた。ようは諒解案を受け入れるか突っぱねるかである。ここで休戦派は男子の中で最も島村雪風に近い田中角衛を交渉役として派遣した。しかしながら、島村雪風と田中角衛の関係は十八日以降悪化しており、交渉妥結を難航させた。しかしながら、経戦派を抑えつつ交渉の主導権を握るためには田中角衛のルートを使用する他なかったのである。田中角衛はまず、反雪ノ下派の内部状況に理解を開始した。内部状況の理解が完了した田中角衛は次に雪雪同盟との交渉の状況を理解に努めた。そして雪雪同盟の意図を理解した。雪雪同盟は交渉を妥結させるつもりがないばかりか、正式に紛争状況に突入することを所望している。島村雪風の性格からして紛争状況の突入を所望しているならば、おそらく紛争状況に突入した際に実行するであろう各種攻勢の準備を完了しているはずである。角衛はそれらを反雪ノ下派に通告した。ここで、交渉妥結できなければコテンパンにされる。角衛は真剣にそれを彼女らに説いた。休戦派はそれを了承し速やかに学内諒解案を受諾すべきという立場になった。しかしながら、経戦派はそれを理解せず、それを拒絶した。この時より角衛の役目は休戦派による経戦派の説得が成功するまでの時間を稼ぐこととなった。そして角衛はまず『田中オーラルステートメント』を雪雪同盟に手交した。内容としては以下の通りである。
『田中オーラルステートメント』
一、反雪ノ下派ノ排除ハ学内ニ於ケル勢力拮抗ニ極メテ大ナル影響ヲ与フ
二、法的強制力ヲ有スル強引ナル本件ノ収拾ハ反雪ノ下派ニ回復不能ナル打撃ヲ与フ
三、強引ナル本件ノ収拾ト雪雪同盟ノ特ニ島村雪風ノ行使セシメル労力ハ見合ワズ
四、右ノ三点ヨリ交渉ニヨル学内和平樹立ヲ指向スベシ
雪雪同盟はこの『田中オーラルステートメント』に同意する。しかし、であればなぜ『学内諒解案』を受諾しないのかと詰め寄られることになってしまう。角衛は『学内諒解案』の早急な成立を反雪ノ下派に具申する。しかし、経戦派はあろうことか雪雪同盟との交渉を打ち切るべきだと主張したのである。これを聞いて角衛は休戦派に経戦派に見切りをつけるべきだと提案した。角衛曰く、ここで経戦派とともに一網打尽にされてしまえば雪ノ下は完全に勝利してしまうだろう。しかし、ここで休戦派が残存すれば、反攻の可能性を残すことができる。雪雪同盟は早くて二か月、遅くて半年すれば解消するはずである。それから反攻をすればよい。その時には島村雪風による雪ノ下雪乃への援護はない。田中角衛という人間は島村雪風の特性を理解していた。自らの権益や国体に対する損害がなければ、能動的に紛争を助長するようなことはしない。休戦派はその申し出を受けることにした。結局反雪ノ下派から休戦派が離反して『学内諒解案』を受諾。経戦派のみを残す反雪ノ下派は『学内諒解案』を拒絶することに決定したのであった。
「それにしてもいいのですか?」
二限目と三限目の休み時間、時雨は私に質問した。二限目と三限目の休み時間は多くのクラスが移動教室のある授業をするために少し時間が多めにとってある。それを私と雪ノ下さん、時雨、田中は交渉の時間に充てていたのだ。雪ノ下さんは現在席を外している。田中は休戦派の面々に交渉妥結を知らせに行った。
「何が?」
時雨の質問には主語がなかったので何のことを言っているか分からなかった。
「さっきの交渉妥結の件です」
「何か問題あったけ?」
「ええ、あったと考えます。休戦派の思惑がおそらく雪雪同盟が解消した後にまた雪ノ下さんに攻勢をかけることだと推察します」
「ああ、なんだそのことかい。まあ、それはそうだろうね」
そういう思惑があったのは見え見えだった。大方、田中が入れ知恵をしたのだろう。
「では、雪雪同盟解消後も雪ノ下さんをお助けになられるのですのか?」
「いいや」
「では、交渉を妥結してはいけなかったではありませんか」
「だから、なんで?」
「ですから、このままではまた雪ノ下さんが……」
「同盟解消後の雪ノ下さんを取り巻く状況は雪ノ下さんの自己責任だよ」
「しかし……、雪ノ下さんはおそらく兄様を信用しはじめています。この学校に来て初めての味方が兄様なのですよ。そんな相手にこの仕打ちはあまりにも酷ではないでしょうか?」
「確かにそうだね」
「だったら……」
「でも、それなら彼女自身がこの状況を理解して、何らかの手を打てばいいじゃないかな」
「それは……」
「私も慈善事業でこんなことをしているわけじゃないからね」
「……」
時雨はものすごく雪ノ下さんに肩入れしているようだ。
「まあ、これも雪ノ下さんの一つの教訓になると思えばいいよ。人は疑って疑って疑いつくして初めて信用できるってことをね」
反雪ノ下派が我々に『学内諒解案』拒絶を通達してきたのは三限目と四限目の間の休み時間であった。こうして、開戦のお膳立ては完了した。そして昼休みに我々は『対反雪ノ下派宣戦通告』を反雪ノ下派に手交した。以下がその内容である。
『対反雪ノ下派宣戦通告』
学内ニ於テハ反雪ノ下派ノミガ雪ノ下雪乃ニ加害ス唯一ノ団体トナレリ
学内ノ和睦ニ関スル本日早朝ニ手交セシメタル『学内諒解案』ハ反雪ノ下派ニヨリ拒否セラレタリ
之カ学内ノ治安維持ヲ極メテ困難ナル状況ニスルモノナリ
然ルニ雪雪同盟ノ施策ハ学内平和ノ到来ヲ早カラシメ今後ノ犠牲及苦難ヨリ雪ノ下雪乃ヲ解放セシメルコトヲ得セシムル唯一ノ方法ガ反雪ノ下派ノ排除ナリト雪雪同盟ハ思考スルモノナリ
右ノ次第ナルヲ以テ雪雪同盟ハ本日正午即チ五月二十二日正午ヨリ雪雪同盟ハ反雪ノ下派ト紛争状態ニアルモノト思考スルコトヲ宣言ス
この文章を手交したことにより、雪雪同盟と反雪ノ下派が正式に紛争状態に突入したことが衆知されることとなった。私は電話で攻勢開始を各々に下命した。
開戦一時間目の本日一三〇〇時、早速千葉県警が中学校に逮捕令状を持って現れた。もちろん、被疑者は反雪ノ下派の面々である。生徒達がざわつく中、我々の教室に入ってきた刑事たちは反雪ノ下派の中心人物である田中の所に立ってこう言った。
「千葉県警です。田中さん、あなたに器物破損及び名誉棄損の罪で逮捕令状がでていますので、あなたを逮捕します」
田中は衆目の前で手錠をかけられた。島村も同様に逮捕された。二人は刑事に連行されていく。それは他のクラスでも起こっていた。結局、逮捕者は二十人以上に上った。これから彼女らには刑務所での暮らしが待っていることだろう。私は警察と検察、裁判所にも一定の圧力をかけたので、懲役の実刑判決はもはや免れない。起訴するまでの期間を考慮して、約二ヶ月程度で判決が出るであろう。開戦二時間目の本日一四〇〇時、反雪ノ下派の経済基盤を破壊するための措置が始まった。それによって約四十人の雇用契約解除がなされた。開戦三時間目の本日一五〇〇時、学内新聞に『雪雪同盟、反雪ノ下派ニ宣戦』という見出しで今回の出来事が掲載された。開戦四時間目の本日一六〇〇時、古美門君が反雪ノ下派の面々の親に民事訴訟提起の通達を始めた。そして開戦五時間後の本日一七〇〇時、学内から反雪ノ下派の駆逐が完了したことを受け、雪雪同盟は勝利宣言を行った。