ハルが高町家に到着した時刻。
聖祥大附属小学校。
ヒカリは机に突っ伏していた。
その背中には哀愁が漂い、どよどよと言う効果音が一番似合うだろう。下手をすれば人魂が辺りを飛んでいるかも知れない。
クラスのメンバーも話し掛けるのをためらってしまう、そこまでの負のオーラが彼女を包んでいた。
と、春風が彼女の机に置いてあった二枚の紙を舞あげた。それはふわりと宙を舞い、落ち葉がはらりと落ちるかのように教室の床に舞い降りた。
白い紙に黒と赤の字で書かれていたのは彼女の消沈の理由。
『ヒカリ・如月 国語のテスト 0点 社会のテスト 0点』
「もうダメだ、おしまいだぁ…。」
「そ、そんなに落ち込むことはないよヒカリ。私だって最初は良くなかったもん。だから、ね?元気出して。」
フェイトが傍らに立ち、彼女を慰める。目の前でここまで落ち込んでいる人物をどう元気づけたらいいのかわからず、四苦八苦していた。
事の発端は、新学年になって、二週間ほど経ったと言うことで行われた学力テスト。三年生までの効果測定に近く、復習として問題が選ばれている。
さて、当のヒカリはというと、算数はまぁ共通なので問題ない。理科も先生が英語で構わないとのことで、お言葉に甘えた。…先生が英和辞典を引っ張ってきて、ほぼ徹夜で採点したのは別のお話。証拠に朝の先生の目の下には隈が出来ていて、皆ギョッとしたものだ。
閑話休題。
しかし、問題は社会と国語。言わずもがな、ヒカリは日本の文法や社会等の知識は皆無に等しく、知っている大まかなことと言えば、アメリカの車は右側通行だが、日本の車は左側通行、ということくらいだ。
「ヒカリ、アンタの文法。決定的な欠点があるわ。」
ズバァッ!と、アリサの一言がトドメを刺した。はうっ!と一度仰け反った後、ヒカリはそのままだらりと動かなくなってしまう。
「あかんわアリサちゃん。息の根止めてるで。しかも駄洒落を仕込んでたら、もう…」
「う、うっさいわね!わ、わざとじゃないんだからね!勘違いしないでよね!」
「アリサちゃん、勘違いしないでよね、はツンデレの典型的な台詞や。しかも、前の台詞が実は逆の意味を持たせるという効果がもれなく付く。更にアリサちゃんの声が加わると…」
うがーっとはやてをアリサが追い回す。はやても松葉杖をついて逃げていく。ここ最近、彼女の松葉杖を扱う技術は格段に向上しており、普通に歩くスピードよりも速く、さらには走っていてもそれに併走できるくらいまでになっていた。
「と、とにかく、ヒカリち…君。良かったら一緒に勉強しようよ。」
「そうだね。それがいいよ。お茶も交えてやればもっといいかもね」
なのはとすずかが案を出す。追いかけっこをしている二人も、その言葉にピタリと足と松葉杖を止めて首をこちらに向けた。
「わ、私もまだ分からない部分が結構あるから、一緒に頑張ろうヒカリ。」
ぐっと握り拳を作って意気込むフェイト。件の二人も、
「し、しょうが無いわね。私も手伝ってあげるわよ。か…」
「勘違いしないでよね!ク、クラスの平均点が下がるのが嫌なだけなんだからね!べ、別に教えたいとかそう言うんじゃ…」
「は、はやてーッ!!」
再び始まった二人の鬼ごっこは、その範囲を廊下に広げていた。どうにも最近はアリサがはやてのからかい相手に定着し始めている。
苦笑しながら二人の光景を見ていた残りのメンバー。するとそこに、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
「なのはちゃんの携帯じゃない?」
「あ、ホントだ。…お父さんから?」
携帯の背に表示される発信元が、『お父さん』と表示しているとおり、士郎からのメール着信だった。パカッとディスプレイを開くと、手慣れた操作でメールボックスを開く。
大抵メールは母の桃子や姉の美由紀から、と言うことが多く、士郎や恭也はメールよりも通話を好む。つまるところの士郎からのメールというのは珍しい、というよりは覚えている限りでは初めてなのかも知れない。
メールを確認していたなのは。が、その表情は見る見る困惑し始めて行く。どうしたのか?と言う表情で顔を覗く3人について、無言のまま携帯画面を見せた。
『かえてきたらさふらいす』
奇しくも四人は同じ顔をしていた。
「ただいまー!」
元気よく家の玄関を開けて帰宅する。時刻は三時。いつもなのはが学校を終えて帰宅する時間だ。靴からスリッパに履き替え、リビングに入る。
「お父さ~ん?…て、今は翠屋にいるかぁ。」
鞄を背中から外しつつ、結局士郎から送られてきたなぞのメールの解読は出来ずじまいで、あれからモヤモヤとした気分が抜けずにいた。ともあれ、あのメールについて尋ねるために翠屋に足を運ぼうと思い、私服に更衣しに私室に足を運ぶ。
別に電話しても構わないのだが、軽食だけではなく、ケーキやシュークリームも扱う翠屋の15時、と言うのは地獄である。この時間は桃子の作るスイーツをお茶請けにティータイムに洒落込もうと、近所の奥様方や老夫婦、果てには学校帰りの学生…特に女子が押しかけてくる。結果として、電話をしても手が離せないだろう。それならば自ら赴き、店を手伝えば家族も助かるし、あのメールについても聞き出せる。うん、一石二鳥とはまさにこのことだ。
ガチャリと部屋のドアを開いた。…いつもなら変わらずに制服を脱いで、タンスに入った私服を取り出して着替えるだろう。もしくは、勉強机に向かい宿題を打破するか、だ。
しかし、目の前には違った光景が広がっていた。
窓から差し込む傾きかけた日差しに反射して、煌めいているのはプラチナの頭髪。背を向けているから分かるが、長さとしては髪を下ろしたなのは位の長さだろう。そしてその髪の持ち主は、なのはを背に部屋の中央で座り込んでいる。…いや、あの座り方は座戦を組んでいるように見えた。よく父や兄たちが道場で精神統一を図るために行っているアレだ。しん…とした部屋に、座禅するその人物と、部屋の主たるなのは。ピンと張られたピアノ線のように、どこかしら緊迫した空気だ。
「…どうやら、部屋の主がお帰りのようだな」
なのはの方も向かずに、そう紡いだ。ビクッとお下げごと跳ね上がるなのは。ゆっくりと立ち上がりながら後ろにいるなのはの方を向く。
…やはり、というか綺麗なプラチナの頭髪に相応しく、整った顔立ち。その瞳はよく知る親友と同じく、真っ赤に燃えるかのように見受けられるルビー色。別の意味で見とれるような容姿だった。
「…ふむ、私の顔に何か付いているか?高町なのは。」
「ほぇっ!?あ、いや、その…綺麗だなって…」
「…ふむ、確かに…、この部屋から見える夕日、と言う物は中々に風情があるな。」
…どうにも二人の会話が食い違ってしまう。ただただ目の前の少女の風貌に見とれつつも、そんなやりとりに苦笑してしまうなのは。と、ふと疑問に思ったことを尋ねる。
「あれ?…私、自己紹介した?貴女とは初対面だったような…」
まずこれだ。先程はっきりと、自分のフルネームを呼ばれたことに疑問を感じたのだ。他にも、なんで自分の部屋にいるのかー、とか、そう言った根本的な事も尋ねたかったが、いの一番に名前について浮かんだものだから仕方が無い。
「ふむ、何だ。案外とお前は自分の武勇伝の広まり具合を知らんのだな。結構有名だぞ?史上最強の九歳児の一角、とな。」
「し、史上最強って……、って武勇伝ってどういう…」
「あぁ、なのは、帰ってたのか。」
背後から声を掛けられ振り返ってみれば、士郎がいつものさわやかな笑顔を浮かべて立っていた。
…たまになのはは思う。気配を消して背後に立たないで欲しい、と。
「お、お父さん!あのっ、私の部屋に知らない女の子が…」
「それについては本人から聞くのが一番だよ。ハル、なのはとはもう挨拶は済ませたのかい?」
「いや、今からするところだ。」
そういうとハルは、足を肩幅に開き、両手は腰の位置で後ろに組む。ビシッと胸を張ったその姿勢は、規律の取れた軍隊のそれを彷彿させた。
「時空管理局陸士108部隊武装隊員ハル・エルトリア准尉。本日より、第97管理外世界地球における療養として、108部隊長ゲンヤ・ナカジマ三佐、及び次元執行部隊リンディ・ハラオウン提督の善!意!ある計らいにより、高町家に滞在する運びとなった。短い間だが、宜しく頼む。」
…なにやら途中でえらく怒気と皮肉が混じったように強調した部分があった。未だにこの案に納得いかない部分があるのだろう。しかしポーカーフェイスというか、仏頂面というか、無表情というか。淡々と自己紹介をする彼女は背伸びしている女子に見えなくもなかった。
「…退屈だな。」
広いマンションの一角に割り当てられた自室で、クロノはベッドで横になりながら一人小散る。仕事が出来ない。訓練も出来ない。やってもいいこととすれば、読書とかそういった身体に負担を掛けないことばかり。デバイスの調整も先程既に済ませてしまったし、かなり手持ちぶさたになっていた。
先程帰ってきた義妹はというと、自分がいることに驚いていた。怪我のことは伝えていたし、入院の見舞いにも来てくれた。ただ、今日退院して戻ってくることは知らなかったらしい。
「いつも無茶しすぎなんだよクロノ。いい機会なんだから、しっかりと骨休めしたらいいんじゃない?」
…取り付く島もなかった。入院時にも言われたが、帰ってきてからも一言一句違わない言葉を投げかけられた。そういうとフェイトは、友達が来るからと、台所にてお菓子作りに勤しんでいる。
…はて?妙に上機嫌だ。…友達というのはなのはの事だろうか?…いや違う。なのはとはフェイトと自分にとって、まぁ共通の友人、とも言える間柄だ。だからわざわざ別に友達、という代名詞を普段から使わなくても問題ないはず。もちろん、はやてやアリサ、すずかと言ったクラスメイトも同じくだ。
…新しい友人でも出来たのだろうか?そういえばクラス替えがあったとか何とか言ってたが…。
「…まさか!男かっ!?」
ガバッと勢いよく起き上がる。いやいや、フェイトはまだ小学四年生。男なぞまだまだ早過ぎる。
訳の分からない思考の沼にズブズブとはまりつつ、考えはどんどんネガティブに沈んでいく。俯いてブツブツか細い声で呟く彼は、第三者から見れば十分に薄気味悪く、近寄りがたい存在へと変貌していた。ただ、部屋には彼一人しかいないのが幸いか。
…気付けば部屋に…ひいてはハラオウン家の住まう区画に香ばしくも甘い匂いが漂い始めた。…クッキーでも焼いているのだろうか?
出来上がりを待っていたかのように、来客を知らせるインターホンが鳴り響いた。
『はぁい。ちょっと待ってて。』
ドア越しに聞こえる来賓者との会話音声。無意識にドアに耳を充てている自分がいることにクロノは気付かずにいた。…端から見れば変態である。
(ぬっふっふ~、時空管理局の執行部隊。しかも若手の低身長執務官はやっぱりシスコンでしたぁ!)
…思い出したくもない、自分をこんな状況に追いやった奴のニヤケ顔が脳内に思い浮かんだ。
「っ!…バカバカしい…!」
ボフッとベッドに背中から沈み込んだ。機能性を重視したベッドは、程よい弾力で彼の身体を受け止める。
再び自分の腕を枕にして、天井を見つめていた。
そしてドアの開かれる音と、聞こえてくる話し声。
『いらっしゃい。ごめんね、開けるのが遅くなって。』
『あぁ、いいわよそんなの。なのははなんか急な来客で行けないってさ。……って、そんなに落ち込まなくてもいいじゃない。』
『まぁまぁええんちゃう?お二人はラブラブなんやから、やっぱり来られへんだら寂しいもんやと思うよ~。』
『…あれ?そういえば甘い匂いがするけど、フェイトちゃん、クッキーか何か作ってた?』
『うん、最近やっと作れるようになって…。勉強しながら食べようかなって。』
クロノは安堵した。よかったいつものメンバーじゃないか心配して損をしたいや別に気になるとかじゃなくてだな僕は単に妹の友好関係が変な方向に走るんじゃないかと気が気じゃなくてだだからといってなのはとみたいにイチャイチャしろと言うわけではないけど取り敢えず男が来なくてよかっ…
『へぇ~、フェイトってお菓子が作れるんだ?ボクは普通の御飯以外はあまり作れないなぁ…。パンケーキくらいなら作れるけど…』
ガバッと、再びクロノは飛び起きた。
『ボク』!?男子か!?
剰え『フェイト』と呼び捨て!?
再びクロノの額に脂汗。背中には冷や汗が流れていく。嫌な予感が的中した…!
『へぇ…ここがフェイトの部屋かぁ。』
『相変わらず几帳面に片付けてるわねぇ。感心するわ。』
『そ、そうかな?お茶とお菓子を持ってくるから、座って少し待っててね』
どうやらフェイトの部屋に案内されたようで。ひそかに、というか無意識のうちに発動した聴覚の強化魔法によって現状を知ることが出来た。
……どうにも落ち着かない。アリサ、はやて、すずかは顔が知れているし、向こうもこちらを知っている。だが知らない人間が義妹と仲良くなると少し警戒してしまうのは自分の悪い癖なのだろうか?
『お待ち遠様。美味しいかどうか分からないけど…良かったら食べて。』
『わぁ~、美味しそうだよ~。フェイトちゃん、上手に焼けてるよ』
『ん~、この焼きたての香ばしい香りが何とも…。お腹の虫が我慢大会させられてまうで。』
どうやら先程のクッキーが卓上に出されたようだ。余程上手く焼けたのか、周囲に絶賛されているようだ。そして少し照れ屋のフェイトがそれにより、顔を赤らめて照れているのがありありと想像できた。
『むっ!さっくりした食感もさることながら、程よい甘さが何とも…!』
『スゴく美味しいよフェイト。ボク、これほどのクッキーは食べたことないなぁ。』
アリサも件の同級生も絶賛しているようだ。ハラオウン家の養子になってから、彼女はめきめきと料理を覚え始めた。と言うのも、母親たるリンディの料理というのは、一般的な料理は普通に美味しいものだった。だがしかし、お菓子を作るとなると、極甘党の彼女が作る物は、お察しのものを天元突破して、二、三日食べれば軽く糖尿病患者の仲間入りが出来る程のものだった。家族の健康状態を憂いてフェイトはそれはもう健気にお菓子を中心とした料理を覚え、時には桃子を師事していた。その結果があのクッキーだ。
『フェイト、この数式の解き方って…』
『…うん。公式はこれだから、それに代入したら解けるよ。』
『なるほど…、O.K.』
どうやらある程度クッキーに舌鼓を打った後に勉強に入ったみたいだ。件の同級生に勉強を教えてるのがわかる。…どうやら、彼の為の勉強会と捉えても良いようだが…。
『そういえば、男物の靴があったけど、クロノさんが戻ってきてるの?』
『うん、仕事中の怪我で療養として有給消化してるんだって』
『あ~、なるほど。確かにクロノ君、無茶してまうところがあるからなぁ…、体を休めるにはええ機会ちゃう?』
…やはり自分は周りから見れば無茶しているように見えるのか?そりゃ確かに自分にしか出来ない仕事もあるし、譲るつもりもない。執務官は基本的に多忙な職務だから仕方ないし、自分がやらないと他の執務官の負担が増える。無茶が効く若いウチから頑張る、と言うのも悪くはないはずなんだが…。
『フェイトのお兄さん?どんな人なの?』
不意に件の男子が口にした質問。
これは気になる。彼女達が普段から自分をどう思っているかがわかる。
心拍数が上がる。
なぜか汗も出てきて頬を伝う。
気付けばクロノは、自室とフェイトの部屋を隔てる壁に耳を充てていた。
『えっと…一言で言えば…生真面目、かな?』
『あ、あと堅いわね。堅物。』
『頑固なところもあるもんねぇ…。』
『考えてるようで、無鉄砲なとこもあるなぁ…。』
上からフェイト、アリサ、すずか、はやての供述。
…八割。下手をすれば全てが褒められていないように感じた。
『あ、でも不器用ながらの気遣いもしてくれるけど。』
『そうだね。基本的に優しいし。』
『私もよく将来の相談に乗って貰って、嫌な顔一つしないで相談に乗ってくれるし。』
『そやね、私も家族のことで世話になったこともあるから感謝しとるんよ。』
…何でだろう。目から汗が出てきた。コレが落として持ち上げると言う奴か。ガクリと膝を落として、クロノは普段から自分はどう思われているのかを噛み締めた。
そうか、普段から僕は堅物キャラとして通っていたのか。
しかし、良く思われているのは悪い気分ではない。
「…やはり、気にしない方が良いのか。」
べったりと張り付いていた壁から離れると、再びベッドに身を預けた。そうだ、義妹の交友関係を信じてやらなくて何が義兄か。うん、そうだ。大丈夫に違いない。
そう言い聞かせたクロノは、ふっ…と目を閉じた。
程なくして、心地よい微睡みに意識を預けていく…。
どれほど寝ていたのか。目をゆっくり開けたときには、未だ明るい、と言うよりも夕方だった。西日が窓から差し込み、夕暮れ時を証明している。
時計を見れば17時前。かれこれ一時間ほど寝ていたらしい。
寝て硬くなった身体をほぐすために、ぐっと背伸びしたところで、少し催してきていたのに気付く。
ガチャリと部屋からでて、リビングの大きなステンドガラスから差し込む夕陽に目がくらむ。
…なるほど、中々日が長くなったものだ。
冬場、事件の関係で頻繁にこの家で寝泊まりしていた頃は、今の時間、太陽は沈んでいくくらいだったな。
半年も経っていないのに長い時間が過ぎたように感じるのは、やはり仕事に打ち込みすぎていた、と言うことなのだろうか?そんな自問自答を繰り返しながら、トイレのドアを開けて中に入った。
青い目が目の前にある。
そして、義妹と同じくブロンドの髪。
整った顔立ち。
白いワンピースに青のカーディガン。
ちょうど立ち上がって下着をあげようとしていたのか、ワンピースのスカート部がたくし上がっている。
…沈黙。
そして時間が止まったかのように、二人の身体は静止していた。
「に…!!」
に?
「にゃぁぁぁぁぁぁっ!?!?」
クロノは鳩尾の痛みと共に、トイレからと彼の意識とが同時にフェードアウトした。
『クロノ。』
『父さん?』
『決して諦めるな、自分の感覚を信じろ』
ビシッとサムズアップして、訳の分からない、しかも名言と思っているかのようにどや顔をする、死んだはずの父親に懐疑的な目を向けつつ、クロノは現世に意識を取り戻した。
「あれ…?僕は一体…。」
『クロノ(君)((さん))。』
意識を取り戻した先には、地獄の閻魔とも思しき形相の四人がいた。…成る程、父に出会ったのは、これから地獄への旅路に向かう自分を迎えに来ていたのだろう、と納得する。
「クロノ、ノックもせずにトイレに入るのは、そんなのおかしいよ。」
「マナーがなってないわよ。」
「流石に私も…フォローできない、かな。」
「…助平や、クロノ君。」
…あぁ。これでさっきの僕の評価の中に、
『ムッツリスケベ』
というジャンルが加わるのだろうか。
危惧するクロノを余所に、がみがみと4人からの少し罵倒が入り混じった説教が続く。無意識なのか意図してなのか、クロノはソファの上に正座していた。
最近は説教と正座が多いな。
という思考も追加される。
「あの…さ。」
怖ず怖ずと手を上げるのは、渦中の人物その2。…ちなみに1は説教を受けている、クロノその人である。
「あぁ、構わへんよ、女子のトイレに潜入どころか堂々と立ち入るクロノ君に弁護士は要らんからな。」
「ぐっ…!執務官として、弁護が付かない裁判を受けさせられるのか…!」
「そや。それほどまでにクロノ君の罪は重罪や。半ケts…もとい、判決を言い渡すで!」
「まてまて!今何が聞き捨てならない単語が…!」
「被告人は口を慎むように!」
取り付く島もなかった。異議を唱えようにも、裁判長が許しちゃくれない。
このままでは八神裁判の名の下に、理不尽な半ケt…もとい、判決を下される。
「い、異議あり!」
必死の叫びはリビングの中に響き渡った。着々と進められる裁判に歯止めが付く。
びしぃっと指は裁判長たるはやてを指し、微動だにせず、その腕は見事なまでに直線美を描いていた。
が、それから二の句が出てこない。そのまま固まった皆の間には気まずい雰囲気が流れる。
「え、えと…。何…?」
ようやくその雰囲気を飲み込んで口を開いたのはアリサだった。
「あ、え、えっと。ボクにも悪かった部分もあるんだよ。そもそも、ボクが鍵をしてなかったのが悪いんであって…。」
「しかし、そうなるとノックをしなかったクロノさんにも非があることになるよ?」
ぐっ!…と反論できないクロノはうなりを上げた。
「…ほなら、お互いに悪い点があった、と言うことで痛み分けでえぇか。」
我ながら名審判、と言わんばかりに、腕を組んで頷くはやて。まぁ覗いた代償に、強烈な一撃を鳩尾にうけた、と言うことで恙無く他のメンバーの『異議なし』の決断で、八神裁判は閉廷と判決を迎えた。
「ヒカリ・如月です。ヨロシク。」
「クロノ・ハラオウンだ。こちらこそ。」
なんやかんやあって、それでも何とか握手までこぎ着けた2人。夕日が差し込むリビングで行われるそれは、一昔前の少年漫画に出て来る主人公とライバル2人が、激闘の果てに砂浜辺りでやってそうなものだった。
「美しい友情やなぁ…」
「…なんだか知らないけど、結果オーライってやつなのかしら?」
少し離れた場所で、なぜか涙ぐむはやてと、イマイチ納得しきれないアリサ。
「…ところで。」
「ん?なに?」
握手をしている最中、ふとクロノは疑問を投げかけた。見るからに神妙で、尚且つ真剣な面持ちだから、ヒカリも先程の件の申し訳ない気持ちも相まって真摯に質問を受ける。
「…どこかで会ったことはないか?初対面とは思えないのだが」
「…へ?…それって日本で言うナンパの決まり文句じゃ…」
「いや、違うんだ。何年か前に…どこかで…」
ふと顎に手を当てて考え込むクロノの表情はやはり真面目そのもので、喉の辺りまで思いだしてはいるが、出てこない。そんなもどかしいような感覚がクロノには感じられた。
「…いや、気にしないでくれ。もしかしたら思い違いかも知れないし。」
苦笑しながら手を離す。どうにも気になるヒカリだったが、彼がそう言うのならば気にしないでおこう。彼女自身にはそう言った記憶がない。が、それでもクロノの言葉が気になるヒカリだった。
「…しかし。」
「ん?まだ何か気になることがあったの?クロノ」
「一人称がボク、だと聞こえたから、男の友達が来ていたのかと思った。」
「ま、アメリカじゃ一人称は千差万別じゃなくて、ほぼ統一されているから、こういうこともたまにはあるんじゃないの?」
ふと思った疑問を口にしてみたら、アリサがある程度解説をしてくれた。が、これをはやては見逃さなかった。
「ん?もし男の子が来とったらんやったらどうやったん?その辺詳しくきかせてもらいたいなぁ…?」
こうなっては後の祭。にやりと微笑むはやてのソレは、将来『ちび狸』と呼ばれる片鱗を垣間見るに相応しく素晴らしい笑顔だったという。
こんな感じでクロノとの邂逅です。
これから稀に本編の裏話的なサイドストーリーをちらほら交えていこうと思います。
本編のあのシーンがここなのか、と少し思えるような感じに仕上げていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。