『天使などいない』▽
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夢幻館。
現実世界と夢幻世界のはざまに立っており、ごくまれに――と言っても毎日が暇なのだが――博麗靈夢が暇つぶしに訪れることがある洋館である。例にもれず今日も靈夢は暇だったので、嫌々言う玄爺を無理やり使役し、夢幻館へとやって来た。
夢幻館は湖の真ん中に建っている。前に靈夢が来たときにはその水は引いていたが、いくらか経った今では水が満ち、綺麗な青色の湖となっている。しかし気持ち悪いくらいに綺麗だな、と靈夢は少しだけ思って玄爺に急ぐように言った。
先程も述べた通り、夢幻館は現実世界と夢幻世界のはざまに建っている洋館である。故に、何時消滅しても可笑しくないくらいに不安定な状況なのだ。世界のはざまと言うのはそれくらいに不安定であり、普通の人間であったら精神に異常をきたしているだろう。だからこのきれいな湖を、靈夢は気味が悪いと思ったのだ。
靈夢は幻想郷を維持する博麗の巫女という役職についている。数々の異変を解決し、夢幻館にもその異変がらみでやって来たことがあったのだ。確かあの時は、幽香が悪霊を呼び寄せて大変なことになっていたのか、と曖昧な記憶を辿りながら思考していると、靈夢の視界に一つの人影が見えた。玄爺にも見えたらしく、ゆっくりと速度を落としながら止まる。
「またきたの? あなたもヒマね」
気だるそうにしゃべったのは、先程の人影であるくるみだった。白いシャツに、黒色のスカート。胸には赤いリボンがアクセントとなっており、それ以上に存在感を示している、蝙蝠の様な羽。やれやれ、と首を振るくるみの口元が、少しだけ光った。この少女くるみは吸血鬼である。靈夢自身は血を吸った姿を見た事は無いが、外見と雰囲気、そして身にまとう妖気が否応なしにそれを理解させる。
吸血鬼と言うのは妖怪の中でも格段に強い種族だ。他人の血を吸い、強くなる。血と言うのはその生命の魂でもあり、それを体内に取り込めるというのは破格の強さを示すのだ。くるみは夢幻館の門番をしているが、今までに負けた事は無い、と靈夢は聞いた。それも吸血鬼故の強さなのだろう。まだ外見は十代前半だというものの、吸血鬼という種族には変わりはないようだ。
だが。
「いいじゃない別に。それより、邪魔だからどいてくれない?」
靈夢は博麗の巫女である。前回の異変でくるみに難なく勝利したりしていた。
ずいぶんとぶっきらぼうな言い回しにくるみは少しいらついたが、前に負けているので何も言い返せない。なので、仕方なく……と言うにはかなり悔しい表情で体を横に動かし、靈夢の前の道を開けた。それに靈夢がありがとー、と返し、くるみの横を通り過ぎようとする。
「…………。」
時に、少しだけ靈夢は不思議そうな顔をして、玄爺に止まるよう言った。玄爺は少し驚きながらもスピードを落とし、それに気付いたくるみはまだ少しいらついた表情で霊夢の方へと振り返る。「なによ、入りたいのならさっさと入ればいいのに」
「いや、少し気になることがあって」
嫌味たらしくに言ったくるみに対して、靈夢は少し不思議そうな顔をして返した。そして少しの間腕を組み、目を瞑って集中し始める。くるみは、何をするつもりだと少しだけ警戒していたが、靈夢が霊気を高めていることに気が付いた。
そうして靈夢が目を開くと、少しだけ眉間にしわを寄せた。
「幽香がいない」
その呟きに、くるみの目が見開いた。まさか、いや、そもそもなぜそんなことが分かる? 一瞬くるみの顔に動揺が走ったが、すぐにそれは消え、呆れた表情で靈夢に返した。
「あら、どうして?」
「幽香の妖気が感じられないわ」
なんで分かるの……?
くるみの頭にそういった疑問が浮かび上がるが、靈夢にとってそれは些細な物だった。靈夢は博麗の巫女でもありながら、卓越した戦闘能力、霊気操作技術を持っている。故に、一度交えた相手の妖気ぐらいは難なく見分ける事が出来る。とりわけ強い妖怪である幽香の事だったらなおさらだった。
なので、靈夢は不思議がった。この館の主である幽香が居ないのはどういう事なのだろうか。この前来た時は嫌々ながらもおいしいお茶を出してくれたのに、これではあのお茶が飲めないではないか。靈夢が夢幻館に来る理由はそれだけだったが、幽香は知らない。ましてや、靈夢の後ろで彼女の卓越した索敵能力に驚いているくるみなど、知る由も無かった。
「まいっか。適当に漁ってめぼしい物でももらいましょう」
巫女にあるまじき発言を残しながら、靈夢は玄爺に館へ向かう様に言った。確か、館にはもう一人の門番であるエリーが居たはずだ。しかし、彼女はどちらかと言うと霊夢に対しては友好的である。なので、靈夢はエリーの事はあまり考えずに、とりあえず何処にあのおいしいお茶があるかを考え始めた。
その時だった。また一つの人影が現れたのは。
「やっほー、靈夢ちゃん」
行き成り目の前に現れ、靈夢は思わず声を悲鳴を上げた。しかし亀はいきなり止まれない。靈夢は目の前の人影誰か確認しようとしたが、その前に人影の胸元へと勢いよく突っ込んでいった。勢いよくぶつかった衝撃と、ほんのわずかな柔らかい感触が靈夢を襲った。しばらくそのまま飛んで行ったあと、先程から霊夢の異変に気が付いて速さを落とそうとしていた玄爺がようやく止まり、靈夢は人影の胸元から顔を上げた。と同時に人影の顔を見て、思わずうげ、と声を漏らした。
肩までかかるくらいの金髪に、白いひらひらとしたワンピース。その上からは短めの紅いベストを羽織っており、腰と胸、そして後頭部に同じ赤色のリボンを結った少女だった。更に背中には先程あったくるみとは対照的な、天使のような羽が一対。その少女は靈夢を見下すようにしていやらしく笑い、口元に手を寄せた。
「幻月」
「ひっさしぶりねー、靈夢ちゃん」
名前を呼んで再認識する靈夢に対し、幻月はてをひらひらと振って軽く答える。よりにもよってなんでおまえが居るんだ、と靈夢は口の中で呟いた。
幻月――靈夢が知る限りでは、最強の妖怪……否、
元々悪魔の原始は不明とされているが、一説によると『魔界の希少種』である妖怪らしい。そんな中でも、靈夢の目の前に居る幻月は数段上であり、靈夢の力を持ってしても漸く勝てると言ったところである。もっとも、その悪魔に勝つ靈夢も靈夢で十分な力を持っているのだが。
「どうしたのよ、とっとと元の世界に帰りなさいよ」
「そんな事言わないでよね。私だって、好きでいる訳じゃないの」
はぁ? と眉を
「なんかねー、幽香が新しい住処を決めているらしいの。それで、今日はそこの下見。代わりに私たちに留守を頼まれたのよ。まぁ、ふつうの妖怪ならこんなところに住みたくないわよね。だって今にも壊れそうだもの」
その感覚が気持ちいいのに、と幻月は悪態を吐いた。靈夢は幽香の行動に少し驚いたが、彼女はどちらかと言うとマイペースな方だ。この前勝手に入った時も気にせずお茶を出してくれたし、突発的にこういった行動をしても別に何ら変わりは無い。しかし、幽香が出て行ってしまったことにより、幻月と会うことになるとは思わず、靈夢は幽香の事を少しだけ恨んだ。
「そうだ、靈夢ちゃんも暇でしょ? 夢月がお茶を出してくれてるの。ご一緒にどうかしら?」
「遠慮しとくわ。私は暇じゃないの」
「じゃぁなんでこんなところに来たのかしらね」
うぐ、と押し通せない事を悔やむ靈夢を、幻月は分かりやすい嫌味たらしい笑みを浮かべた。だから、幻月はどうしても好かないのだ。靈夢は暇つぶしと言うだけで此処に来たことを少しだけ後悔した。
「分かったわよ。少しだけね」
「まぁ嬉しい。あの博麗の巫女とお茶出来るなんて」
■
夢幻館の中は、幽香の趣味もあってか割と殺風景だ。趣味の悪い紫一色の壁紙だけで、そのほかにはこれと言った装飾は見当たらない。ただ、幽香の好きな花だけはちゃんと花瓶に挿して一定間隔で台の上に置かれている。花の事を思ってか、台の近くには窓が付いていた。こんなおどろおどろしい所の太陽が果たして花たちにとって健康的であるのかは分からないが、ちゃんと元気に咲いている辺り、幽香の花に対する気遣いが感じられる。
そんな事を思いながら、靈夢は夢幻館の中を歩いていた。玄爺はお茶の誘いを断り、玄関で待っている。その方が性に合うらしいが、靈夢は幻月に会いたくないだけなんじゃないのか、と勝手な妄想をしていた。無論、玄爺もそのつもりである。そんな靈夢の足取りとは裏腹に、幻月の歩みはどこか軽く、まるで靈夢とお茶をすることを嬉しがっているような風に感じられる。それを見て、靈夢は少しだけ溜め息を吐いた。
博麗靈夢はなぜか知らない――無論自覚も無い――が、妖怪に好かれている。先程のくるみも然り、夢幻館の主である幽香も然り、目の前を楽しそうに歩いている幻月も然りである。理由は不明だが、恐らく靈夢の持っている霊力に関係するのであろう。靈夢は生まれつき独りの事が多かったが、博麗の巫女となってから一気に孤独である時間が長くなった。理由としては、やはり博麗の巫女だからであろう。幻想郷における巫女は孤独なのだ。
それ故に、靈夢は独りを嫌った。家族が欲しい。親が欲しい。そして――友達が欲しい。そういった
そんな事はいざ知らず、靈夢は幻月と会話の一つもせずに、黙々と夢幻館の中を歩いていた。かれこれ三十分くらいは歩いているだろうか。館の内部には空間魔法が作用していることに靈夢は気づき、多少の時間は覚悟していたが、これまでに長いとは思っていなかったのだ。
「疲れた?」
靈夢が二度目の溜め息を吐くと、前を歩いている幻月が振り向きながら訊いてきた。先程も言ったように彼女は悪魔である。靈夢に比べれば格段に体力は強く、これくらいは呼吸と何ら変わりない運動だ。そんな体を羨みながらも、靈夢は「大丈夫よ」と返した。
「もうそろそろだから。今更引き返すのはやめてよね」
と幻月は前に振り戻り、それと同時に横にあるドアを開けた。もうそろそろと言うか、もう着いているのか。霊夢は思わず突っ込みたくなったが、そこまで関心がある訳では無いし、そもそも面倒だ。そうして幻月の後ろについて行きながらその部屋に入ると、そこはテーブルが一つと椅子が三つだけあるこじんまりとした部屋だった。
その部屋の隅で、ティーポットを片手にお茶を注ぐ姿の夢月が靈夢の視界に入って来た。青色を基調としたメイド服で、姉と同じ肩にかかるくらいの金髪を持った少女。一つだけ違うのは腰に差している銀色の銃と、姉の様に大きな翼を持たない点だろうか。そもそもなんでコイツは悪魔なのに翼を持っていないんだ、と靈夢は思考し、幻月に言われるがままにそばにある椅子へと腰を下ろした。
「珍しいお客さんね。姉さんが連れてきたんですか?」
「ええ、丁度そこで釣れたのよ」
「まぁ、それは今晩の夕食ですか?」
「それでもいいわよ」
よくねぇよ。
夢幻姉妹の淡々としたやり取りに、思わず靈夢は突っ込みを入れた。そんな靈夢を可愛がるようにして、夢月は口元を隠しながら静かに笑った。この前は戦ってすぐ姉に交代したので分からなかったが、夢月と言うのは姉と違って少しだけ慎ましやかなようだ。靈夢はそう思ったが、先程のやり取りを思い出してその考えを取り下げた。人間を冗談でも夕食と言うやつのどこが慎ましやかなのだろうか。
そんなくだらないことを考えている靈夢の目の前に、湯気の立っているティーカップがことりと置かれた。そして靈夢は少し驚いた。全体の色、香りからして幽香の注いだ紅茶とは格段に上である。思わず目を見開いて驚愕している靈夢に、幻月は「驚いたでしょ」と声をかけた。
「夢月は伊達に私のメイドやってないのよ。そこらの野良メイドよりは使えるメイドよ」
野良メイドってなんだ。と靈夢は思ったが、夢幻世界の専門用語だろうとあえて突っ込まなかった。第一、うちには野良メイドならぬ機械メイドが居るではないか。そんなつまらない事を考えていると、幻月の言葉に照れる夢月の姿が靈夢の視界に見えた。やはり夢月と言うのは姉よりは少しだけ慎ましいのだろうか。そんな事を考えていると、ふと靈夢の脳内に疑問が生じた。
「夢月、あんたってどうして羽がないの?」
突然の質問に、夢月と幻月は思わず固まった。靈夢にしてみれば何てことは無い質問だったのだが、幻月と夢月の反応に、思わずん? と声を漏らした。
「靈夢」
突然幻月に名前を呼ばれ、この状況に困惑しながら靈夢は生返事で返した。
「どうして、そんな疑問が思いついたのかしら?」
幻月の質問に、靈夢は少しだけ思考した。どうして、と言われてもなんとなくとしか答えられない。しかし、そう答えたとしてもこの状況に変化はあまり起こらないだろう。何とかして理由をつけなければ、と考えているうちに、靈夢の目線が幻月の後ろにある純白の羽へと移って行った。そういえば、どうしてこいつも悪魔なのにこんな羽を持っているのだろうか。そんな思考が靈夢の脳内を駆け巡り、靈夢が口を開く。
「普通、悪魔って羽……そうね、くるみみたいな羽持ってるでしょ? だけど夢月はそんな羽を持っていない」
その回答に幻月の眉が少しだけ動いたが、靈夢は気づいていない。
「それに今気づいたんだけどさ、幻月も少しおかしいわよね。あなたも悪魔の筈なのに、なんでそんな
訳わかんない、と靈夢が呟きながらカップを手に取り、中に注いである液体を口に含んだ。何とも言えない香りが口に広がると同時に、さっきの質問の下りで熱が冷め、少しぬるくなって飲みやすくなったらしい。中々おいしいじゃない、と靈夢は頭の中で感想を述べて、カップを受け皿の上へと戻した。その一連の作業を終えて靈夢が見たものは、これまでにないくらい真剣な表情で考え事をしている幻月の姿だった。先程の質問がここまで彼女を考えさせるとは思いもせず、靈夢は少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「靈夢」
不意に、幻月が口を開いた。
「確かに、私と夢月は悪魔にしては少しだけおかしいのかもしれないわね。蝙蝠みたいな羽も無ければ、普通のよくある悪魔が身に着けている角も無い。……おかしいと思うのは当たり前よね」
そう言って幻月は背もたれに寄りかかりながら、カップと受け皿を取って靈夢と同様にぬるくなった液体を口に含んだ。そして目を閉じながら何回かうなずき、受け皿にカップを置いてテーブルに戻す。
「どうかしら。お茶菓子の代わりに、話でも聞いて行かない?」
「話?」
幻月の提案に、靈夢が眉を顰めながら訊いた。
「そう、話。むかーしむかしの、とある悪魔の話よ」
そう前置きをして、幻月はゆっくりと語り始めた。
◆ ◆ ◆
むかしむかし、とある王国に二人のつがいの悪魔が住んでいました。
周りの住人は気味悪がり、その悪魔の家には近づこうとはしませんでした。人間だから、悪魔が怖いのです。それが人間なのです。ですが、悪魔たちはそれを恨みませんでした。自分らを人間達が避けることは知っていました。それはそういう事なのです。そういうものが、人間だと悪魔たちは分かっていたのです。
ですが、それは悪魔たちにとって都合のいい事でもありました。悪魔たちは平凡に暮らそうと考え、そう考えると人間達と関わりを持つという事は極めて無駄な行為だと知っていたのです。ですから、悪魔たちは人間から避けられようが、気味悪がられようが関係ありませんでした。むしろそっちの方が都合が良いと、喜んでいたのです。
やがて悪魔は人間と同じように子供を作り、元気な二人の女の子を生みました。悪魔たちはそれをたいそう喜んで、元気に育つように願いながら育てていきました。そしてその二人の願いどおり、悪魔の子供たちはすくすくと成長していき、数年も経てば人間で言う15歳ほどの外見になりました。悪魔は自分の力の成長と同じように身体も成長するので、総合的に見ると人間より成熟するのが数倍速いのです。
悪魔の子供たちは、親から人間についても学んでいました。私たちは、出来る限り平凡に暮らしたい。だから、人間に関わるなと言われていました。ですが、悪魔の子供は不思議がりました。何故人間は悪魔を嫌うのでしょうか。それが常識だとしても、この世界に生まれて間もない悪魔の子供たちにはそれが分かりませんでした。
ある日、王国の国王さまが悪魔たちの元へとやってきました。親の悪魔二人はいきなりの事に少し驚きましたが、王様の話を聞くに悪魔たちを王国の正式な住人として認めるらしいのです。この事に悪魔は喜びました。これで、私たちは一生平和に暮らすことが出来る。もう人間と関わる事を恐れなくていいんだぞ。父親の方の悪魔は、二人の悪魔の子供にそう言い聞かせると、二人の子供も大喜びしました。
国王さまは、まずはじめに住民として認めるために王城へと来てほしい、と伝えました。王様が来るのは父と母だけでいいと伝えたので、悪魔の両親は子供たちにちゃんと留守番をするように伝え、馬車に乗って王城へと向かっていきました。悪魔の子供たちは親たちが帰ってくるのを今か今かと待ち続け、人間と一緒に暮らせる希望に胸を膨らませていました。
しかし、その希望は最悪の形で裏切られました。
国中の人々が見ているところで、両親は首を切り落とされて殺されてしまったのです。
そんな事を知らない二人の元に、王様直属の騎士たちが向かいました。古ぼけた家のドアをけ破り、訳が分からない顔をしている悪魔の子供たちを連れて多くの
そこで初めて、悪魔の子供たちは首の無い両親の死体を目の当たりにしました。悪魔の子供たちは何が起きたか分かりませんでしたが、酷く嫌な予感がするという事だけは分かりました。そして流されるままに悪魔の子供たちは国中の人々が見ている中で、騎士たちに囲まれて乱暴に座らされました。
「今こそ、悪魔を根絶やしにする時だ」
王様がそういうと、重たい鎧を着た騎士が動き始めました。
悪魔の子供たちは必死に抵抗をしましたが、両親は力の使い方を教えてくれませんでした。人間がこんな事をするとは思わなかったのです。成す術もないまま、悪魔の子供たちは地面に這いつくばり、大きな翼を持った背中をむき出しにさせられました。
「羽を切り落とさなければ、逃げてしまう」
もちろん、二人に羽の使い方など分かりませんでした。しかし、王様が命じた通りに重たい鎧を着た騎士たちは、地面に這いつくばったか弱い悪魔の少女たちの羽をもぎ取りました。背中からはおびただしい量の血が流れ、銀色の騎士の鎧に飛び散りました。一瞬何をされたか分からなかった少女たちは、背中から流れる血を見て絶叫を放ちました。それは悪魔の呼び声などとは程遠く、人間の悲鳴そのものでした。
「殺すのだ。悪魔は復活する。殺すのだ」
少女は怒りました。何故自分らだけがこのような仕打ちを受けなければいけないのか。
少女は怒りました。何故自分らは悪魔として生まれてきたのだろうか。
そして、少女は神に縋りました。自分らは何もしていない。なのに、何故このようなことをされなければいけないのでしょうか。しかし、その思いは届こうにもありませんでした。騎士が王の命令を受け、腰にさしている鞘から鈍く光る銀色の剣を抜き出して少女の首元へと添えました。もう、自分の妹がどうなったか確認する余地もありません。少女は全てを諦めて、死を待ちました。
その時でした。その少女の背中から、あふれ出るような光の波が噴き出したのです。
その事に騎士は驚いて、とっさに身を引きました。その時に少女の首に少しだけ剣が触れ、少女の白い綺麗な皮膚に一本の赤い筋が引かれました。しかし少女はそんな事には気が付かず、後ろから溢れ続けている光の波に目を奪われていました。
光の波は、だんだんとその形を成していきました。その形は、いつも少女が空を見上げると目に入ってくる鳥の様な羽へと姿を変えていきました。その光がだんだんと弱まっていくと、そこにいたのは羽をもぎ取られて泣きわめく悪魔の姿ではなく、純白の翼を背負った天使の様な少女の姿でした。
少女は神に感謝しました。神様が少女にこのような美しい翼を授けてくれたのです。少女は感謝しながら、目の前でまるで天使を見るような希望に満ち溢れた目をしている
少女はその妹に近づいて、ぼろぼろになった背中に手を当てました。すると、その傷がみるみるうちに治っていきます。少女は、この力に感謝しました。これで、妹を救うことが出来たのです。少女は悪魔であるはずなのに、神へと感謝をしていたのです。
「天使だ! 天使様が舞い降りたのだ!」
国民のだれかがそう叫びました。
その叫びに、少女は怒り狂いました。
先程まで自分を悪魔だと言い張って殺そうとしていたのに、今度は自分を天使だと言い張ったのです。国民たちのせいで少女の父親と母親は殺されたのに、国民たちはそれを悪いとは思わず、ましてやその子供である悪魔を天使だと決めつけて勝手に崇めたのです。
国民たちは、口々に言います。天使様。天使様。天使様。天使様。天使様。天使様。
少女は殺しました。
殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺しました。
ありがたいことに、神様は自分の力の使い方まで授けてくれたのです。そのおかげで、自分を天使様と勝手に崇める人間達をいとも簡単に殺すことが出来たのです。天使の姿をした悪魔は、国民たちを殺し続けました。女だろうと、子供だろうと、赤子だろうと容赦なく殺していきました。国民の命はゆっくりと減っていきました。
国民を全て殺しつくした後に、少女は血だまりの中で倒れ込んでいる妹のそばへと寄って体をゆすりました。妹は、ゆっくりと目を開けてふらふらと覚束ない足取りで立ち上がり、周りの惨状を目の当たりにして目を見開きました。辺りにあるのは、すべて人間の死体と人間の血だけでした。所々に人間の腐った死体や内臓が落ちていて、あるところでは脳みその様なものが山積みになっているようなところまでありました。死体も上半身の無い者や、右半身が無い者、酷い物は胴体だけしかないものまでありました。
天使のような姿を持って天使の様な笑みを浮かべている悪魔は、怖がって怯えている妹に向かって提案をしました。
「もう、人間の居るところは信用が出来ない。私たちだけで平和に暮らせる、私たちだけの世界を創りましょう」
そして――――
◆ ◆ ◆
「……そのあとは?」
「あら、分かってるんじゃないの?」
天使の様な姿を持って、天使の様な笑みを浮かべる悪魔は、疲れたような笑みを浮かべながら靈夢の問いに答えた。
「変な悪魔よね。悪魔のくせに神に
そうつぶやく幻月の目を、靈夢は見ることが出来なかった。
幻月の話を聞き終えた靈夢は、何とも言えないような気持ちになっていた。確かに、人間と悪魔は憎み憎まれる、そういった関係なのだろう。しかし、本当に何の罪もない悪魔を殺しても良いのだろうか。そこは、もう少しだけ考えればよかったのではないか。靈夢は過去の事を考えるのは嫌いだったが、珍しくその事だけは真剣に考えていた。
「そうですよ、人間のせいです。あの人間達が私達のお父様とお母様を殺さなければ良かったじゃないですか」
「よしなさい夢月。過ぎたことを恨んでも何の解決にもならないわ」
真剣になって言う夢月に対して、幻月は適当な調子で答えた。
夢月にとって、幻月と言うのは救世主であり、尊敬する姉にもあたる人物である。既に死んでいた夢月の命を救ったのだから、当然だろう。
だから夢月は幻月に仕えるという形で恩を返すことにしたのだ。始めは失敗ばかりだったが、だんだんと幻月にとって使えるような人材へと成長していき、今では魔界のメイドよりも優秀なメイドへと成長をして見せたのだ。幻月もそれを誇りには思っている。が、結局は夢月の自己満足なのだ。夢月はそのことに悔みながらも、今でも幻月に使える優秀なメイドとして夢幻世界で暮らしている。
「さて、靈夢ちゃん。貴女はどう思う?」
ずっと考え込んでいる靈夢は声をかけられて、少しだけ驚いた。
「これは私たち悪魔が悪いのかしら。それとも人間が悪いのかしら」
その問いに、靈夢は沈黙でしか答えることができなかった。悪魔が人間に恐れられているのは事実だ。しかし、こうも恐れられるものなのだろうか。もっと分かり合えるのではなかったのか……という考えが靈夢の中で渦巻いていたが、次第に消えていった。やがて靈夢は俯いていた顔を上げ、幻月の目を見据えて言った。
「わかんない」
予想外の答えに幻月は一瞬だけ目を見開き、お腹を抱えて笑い始めた。その反応に靈夢は少しだけ顔をしかめたが、これが幻月だと諦めて重い溜息を一つ吐いた。
「やっぱりあなたは面白いわ。そんな答えが出るなんて」
しばらく笑い続けていた幻月は、少し息を整えて言った。
「でも、そうよね。そんなものは、極論を言ってしまえば個人の価値観だもの。それを貴女個人に聞いたところで何の解決にもならなかったわね」
悪かったわと幻月は謝る気があるのかどうか分からない様子で靈夢に言い、すでに冷めている紅茶を口に含んだ。靈夢も幻月が紅茶を飲んでいるのを見て、自分も冷めきっている紅茶を口に含んで、微妙な顔をした。
「さ、辛気臭い空気はここまでにして、後は楽しくやりましょう」
■
しばらくして、靈夢は居心地が悪くなって逃げる様に帰り、夢幻館にはふたたび幻月と夢月だけしかいなくなった。幻月は靈夢が帰った後も夢月が居れた紅茶を嗜んでおり、夢月も靈夢が座っていた場所へと腰を下ろして自分の入れた紅茶を飲んでいる。何てことは無い、いつもの姉妹の風景だった。
「懐かしいわね、あの頃を思い出すなんて」
カップを置いて、幻月が思い出したように呟いた。
「そうですね。お姉さまには迷惑をかけましたわ」
夢月も同じようにしてカップを置いて、独り言のように呟いた。
「もう、誰にも邪魔はされないわ。私たちだけで、安心して暮らせる世界ができたのだから」
そう言うと幻月は体を伸ばして、椅子から立ち上がった。そのまま部屋の窓際へ寄って、靈夢が飛んでいった方向へと視線を向けた。夢月は一瞬何をしているか疑問に思い、窓枠へ肘をついて外を眺めている幻月がまた思い出したように夢月へと訊いた。
「靈夢の事、夢月はどう思う?」
その問いに、夢月は少しだけ言葉を詰まらせた。
「……なんだか、おかしいですね。あの巫女は人間ではなくて、
夢月が言った答えに幻月はくすりと笑い、窓を背にして夢月の方へと向き直った。
「そうね、あの巫女は私達と同じ性質を持っているような気がするわ」
やはり、そうなのか――と夢月は思い、幻月の言葉に耳を傾けた。
「あの巫女の生まれなんて知らないし、どうして巫女になったかも知らないわ。けど、これだけは言えるのよ。あいつは
夢月は、幻月が
「恐らく、私達同様に家族を虐殺されているか……もしくは、世界を創った私達同様にずっと一人だったか。いずれにせよ、私達と共通点を持っているのには違いないわ」
幻月は一つ溜め息を吐きながら言葉を続けた。
「夢月や私が感じたのはその『一人』や『家族の虐殺』から来る共通の想いね。その想いが、あの巫女の霊力となって私達に影響してきた……そんな所かしら」
人の過去を詮索するのは好きじゃないけど、と幻月が付け足し、再び夢月の前にある椅子へと腰を下ろした。
「さて、一杯話しちゃったからお腹が空いたわ。夢月、何かないかしら?」
「……あんまり食べると太りますよ?」
大丈夫よー、と天使の様な悪魔は笑いながら答え、人間の形をした悪魔は仕方ないと言った表情をした。
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